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[理研ニュース 2009年12月号]

FACE

100年ぶりの快挙ヌタウナギの発生を調べた研究者

理研発生・再生科学総合研究センター(CDB)に、ヌタウナギを対象に、進化と発生の謎に迫る研究者がいる。形態進化研究グループの太田欽也研究員だ。ヌタウナギは、顎(あご)を持たず、目、ひれ、うろこなどが退化している。古くは、ゴカイなどの仲間だと考えられていた。現在は、DNA解析などから脊椎(せきつい)動物に分類されているが、脊椎骨を持たない原始的な姿のため、その分類に異議を唱える研究者もいる。しかし、ヌタウナギに関する詳細な研究は、1899年に出た論文がたった1本あるだけ。深海に生息するため、捕獲や飼育が難しいのだ。太田研究員はヌタウナギの人工飼育下での産卵・受精に世界で初めて成功し、約100年ぶりに胚の発生を調べた。そして、脊椎動物にしかない神経堤(しんけいてい)細胞を確認。数ヶ国語を操り、実際にヌタウナギ漁に出るという太田研究員の素顔に迫る。

太田欽也(おおた・きんや)


ヌタウナギの胚におけるSox9遺伝子の発現
 「変わった子どもでした」と太田研究員。自然豊かな和歌山県で育ち、弓矢づくりやウナギを捕るのが好きで、イノシシの猟師に付いて山に入ることもあった。「自然の中にいると、自分がいかにちっぽけな存在かを痛感します。学校の勉強なんてやっていられませんでしたね」。刀鍛冶(かじ)にも夢中になり、窯をつくって炭焼きから始めた。「将来は科学者になりたい」と考えていた太田研究員だが、進学したのは商業高校。「推薦入学があり、家から近いというだけで決めました」。釣りや刀鍛冶はやめられず、まったく勉強をせずに迎えた3年の進路相談で「理系の大学に行く」と言い、担任をあきれさせた。そして1年浪人し、近畿大学農学部水産学科へ。

 「大学に入ってから、科学者になるにはこのままではあかんと気付き、猛烈に勉強しました」。大学で興味を持ったのは生物進化。その後、国立遺伝学研究所で分子進化学を学んだ。そのころCDBの倉谷滋グループディレクター(GD)のヤツメウナギ捕りに同行し、ある論文を渡された。1899年に出たもので、ヌタウナギの発生の精密なスケッチが載っている。「脊椎動物は顎を持つものと持たないものに分けられ、後者はヌタウナギとヤツメウナギの2系統だけです。それらを調べることで、脊椎動物の起源に迫ることができます」。しかし、ヌタウナギの詳しい研究は、100年前のその論文しかない。「ヌタウナギの受精卵を取って発生を調べたら面白いだろうなあ。世界が驚くぞ」と二人は盛り上がった。
 それから3年、太田研究員は英国オックスフォード大学を経て、2005年に倉谷GDのもとで「ヌタウナギ発生学プロジェクト」を立ち上げた。「自分ならできるという自信がありました」。水産学の経験から漁師の協力が必須だと考え、島根県江津市でヌタウナギ漁をしている柿谷紀(おさむ)さんに協力を依頼。自らも漁に同行し(図1)、卵を持ったヌタウナギの捕獲に1年目にして成功した。「水槽で飼育し、翌月には95個の卵を確認できました。そのうち受精卵は7個。インパクトが大きく、かつ現実的に解ける問題をやろうと考え、神経堤細胞に決めました。脊椎動物にしかないこの細胞を確認できれば、進化系統樹上での位置付けもはっきりします」。そして形態学的観察から神経堤細胞を確認。さらに神経堤細胞に特異的な遺伝子がヌタウナギの胚で発現していることを明らかにした(図2)。その成果は2007年、英国の科学雑誌『Nature』に掲載され、注目を集めた。国際学会の会場で、脊椎動物の化石研究の大御所フィリップ・ジャンビエー氏から声を掛けられた。「私が生きている間にヌタウナギの発生を見られるとは思わなかった」と。「最高の気分でしたね」

 CDBがある神戸の港島にロシア人の妻と7ヶ月の子と暮らす太田研究員は語学が趣味で、ロシア語、英語、中国語、韓国語、イタリア語を話し、現在も多数の言語を学習中。「モノマネが好き。それが上達のコツかな」。もう一つの趣味が古代史づくり。「港島は埋め立て地なので歴史がない。寂しいので自分で創世記をつくろうと、古代港島文字もデザインしました。それを粘土板に刻み、子どもに読んで聞かせたい(笑)」
 実験室の壁には100年前に描かれたヌタウナギの発生のスケッチがある。それを太田研究員が描き直す日は近い。