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内戦と見まがう銃撃戦と首都バンコクの空に立ちのぼる黒煙。タイ軍によって、数千人のタクシン元首相派が占拠していた地域は制圧された。だがその後、放送局などへの放火が相次ぎ、銃撃戦で多くの死傷者も出た。タイの国際的信用は深く傷ついた。
タクシン派の人々による集会と占拠は約2カ月に及んだ。アピシット政権は一時、11月の総選挙実施を打ち出したものの協議はまとまらず、強硬路線に突き進んだ。その結果がこれだ。
この政治危機の根は深い。
タイは経済発展を続ける新興国の一つである。社会には新たな矛盾も生じている。しかし、今回の占拠とそれに対する武力鎮圧が示したのは、タイの政治が新しい対立を解決できる自律的な力を欠いているということだ。
政権は2年前、議会多数派の支持で発足した。しかし、タクシン元首相派は、軍と司法当局の力を後ろ盾にした政権だと批判している。
この対立の背景には、社会の深い亀裂がある。タクシン元首相は、グローバル化の中での経済発展に置き去りにされてきた地方農民や都市貧困層に手を差し伸べ、権力基盤を強めた。そのことが、経済発展の受益者だった都市中間層や官僚の反発を招き、現政権とタクシン元首相を支持する住民との対立を招いた。
これまで、社会の最終的な調停役は王室に期待されていた。1992年に軍とバンコク市民が衝突し、流血の事態となった際にはプミポン国王が仲介し、実際に事態を沈静化させた。議会制民主主義を骨格としながら、問題に行き詰まると、王室の威光に頼って解決しようとする。「タイ式民主主義」とも呼ばれる政治スタイルだ。
しかし、これも限界だ。実際、今回は、対立する二つの勢力が互いに街頭行動をエスカレートさせ続けても、82歳になった国王が仲介に登場することはついになかった。
当面、政権はどのようにして、タクシン派との和解を達成し、政治の安定を取り戻そうとするのか注目したい。まず、その道筋を描き出し、社会の亀裂を修復するには、総選挙の早期実施しかあるまい。
だが、それでこの国の政治危機が終わるとは思えない。
人々の民意を議会が吸い上げ、国王に頼らずに政府が対立を収束させる。この国が必要とするのは、そんな自立した議会制民主主義である。
日本にとって、タイは外交でも経済でも重要なパートナーである。現地に進出している日本企業は約7千社に及ぶ。政治の不安定が続けば、日本への影響はさらに深刻になる。
発展する東南アジア諸国連合(ASEAN)の中核国の混迷は、地域全体にも不安定をもたらしかねない。
関西空港の対岸、大阪・泉南地域には、かつて100軒を超える石綿(アスベスト)の紡織工場があった。戦前は軍需産業、戦後は自動車や造船など基幹産業の成長を下支えして、工場の外にまで石綿が雪のように積もっていたという。
そうした工場で働いていた人たちが肺がんなどになったのは、国が規制を怠ったためだと訴えた集団訴訟で、大阪地裁は「省令で適切な対策を講じなかったことは違法」と、国に総額約4億3千万円の賠償を命じた。石綿の被害をめぐる裁判で、初めて国の責任が認められた。
石綿は天然の繊維状鉱物だ。吸い込まれて肺に突き刺さった細い繊維はいつまでも溶けず、中皮腫や肺がんを引き起こすことがある。中皮腫は10年から40年もたって発症することから、「静かな時限爆弾」と呼ばれている。
石綿の粉じんが健康被害を引き起こすことは早くからわかっていた。被害を防ぐため1960年に国はじん肺法をつくったが、排気装置の設置を事業所に義務づけなかった。それを義務づけた後も粉じんの測定結果を報告したり、労働環境を改善したりすることを求めなかったために、被害の拡大を招いた。判決はそう指摘した。
石綿の被害は世界的に大問題になり、欧米では80年代に使用禁止にした国もある。だが、日本では90年代半ばまでかなりの量を使い続けた。
石綿を使っていた業界が「代替品がない。管理して使えば大丈夫」と主張し、政府がその言い分を受け入れてしまったからだ。
規制を厳しくすれば経営者に負担をあたえる。だが経済効率の前に人々の健康を犠牲にしてはならない。数々の公害でも問われたことが、ここでも言える。判決も「労働者の健康や生命の安全をないがしろにすべきではない」と明快に指摘した。
鳩山政権はまず国として石綿被害を拡大させた責任を認め、被害者に謝罪すべきである。そして控訴せずに、被害者対策に乗り出した方がよい。
兵庫県尼崎市でクボタ旧神崎工場周辺の石綿被害が明らかになったことをきっかけに、労災では救われない住民を対象にした石綿健康被害救済法が06年にできた。だが、月10万円余の療養手当などではあまりにも手薄だ。法施行から5年をめどに見直すことになっており、予期せぬ被害を受けた人の救済を充実させてほしい。
国内で使われた石綿は1千万トンに及び、中皮腫による死者は今後40年間で10万人にのぼるとの試算もある。石綿が使われた建物はそろそろ耐久年数を迎え、建て替えのため解体される。
石綿の被害は過去のことではない。この判決を、対策の遅れを取り戻すきっかけとして生かしたい。