あたたかいコミュニティ─スープの冷めない距離にあるこころの交流─


蝶のスープ


最近、読んでいたアートニュースサイト経由の記事で、こんな一文を目にした。人間は自分で稼ぐよりも、他人のためにお金をつかうことに喜びを感じると。私にはお金がない。だからもしひとに与えられるとしたら言葉だ。「貧しいので、あなたにあげられるのはせいっぱいの愛情だけです」という、樋口一葉の言葉が私は好きで、ブログ活動においてもそうしてきたつもりだった。

が、しかし。多くのひとに気づかいの言葉を寄せるには、私の時間はすくなすぎた。私が参加していたコミュニティでは、こちらが何十分もかけてていねいな文章を残しても読みもしない人もいた。ランキング支援してくださいと、図々しく伝えてくる人もいた。こうした方はたいがい人当りがいいので、ついつい応じてしまうが、おおくの読者のうちのひとりにしか扱われていないことに、しだいと不満がつのった。都合のいいときだけ質問などしてくるひと、自慢話を聞かせたがるひと。しかし、こちらの話にはいっかな耳を貸そうとしない。
見返りをもとめる自分もどうかしていたが、かなり飽き飽きしていた。そして、いちばん仲が良かった方ともけんかした。コミュニティのなかで意味のない権謀術数がくりひろげられている。これではまるで、現実社会となんら変わらぬではないかと思った。もちろん、ブログの書き手は生身の人間なので、あたりまえなのだけれども。

こうして、私はよそにでかけて言葉を残してくるのが馬鹿らしくなった。じっさい、会社で同僚に嫌がらせしたある方から,無意味なコメントをおくられ、ブログ上では答えたが,相手先に向かわなかったら嫌味たらしく催促されたりもした。

もう、あのコミュニティは退会しよう。そう決意していたとき、あるブロガーさんが私のささやかな変化を察して、コンタクトをとってくださった。ふだん表立って交流していない方だったが、前職に共通点があって私は好感をいだいていた方だった。その方もコミュニティ内のふとどきな要求のおおい連中にうんざりしていたと明かしてくれた。
その方は私に諭してくれた。「あれこれと人間関係にはとらわれずコミュニティを楽しんでください」と。
おなじころ、いつも美しい海の画像をみせてくれるあるブログさんの記事に、桜の画像があって、その花言葉「心の平安」を添えていた。その方も私のブログを観察してなんとなく、私の荒れた心理状態を察していらっしゃったように思えた。コミュニティ内ではいえぬ自分の本心をつたえると大いに同意してくださった。

私がこのお二方に好感がもてるのは、じつはすごい体験の持ち主であったり知己を得ていると思われながら、それをちっとも鼻にかけないところだった。そのお二方の見えない声援を得て、私は自分の書くべき道、そしてブログをふたたび楽しむ方向を見出せた。とても感謝している。

スープの冷めない距離という言葉があるが、私が理想とするのがつかず離れずでいららえるあたたかい関係だ。これは都合のいいときだけ助け合うというのではない。相手の状況をみて料理をだす給仕のようなサービスで、お金のともなわない気くばりだ。スープというのは夏場はいらないのだ。真冬の外で仕事をするときに、無言でさしだされた一本のホットな缶ジュースにこころ癒されるように。

インターネットの普及によって、人間のつながりはますます薄くなったといわれるが、それは多くの人との出会いが増えたたためだ。まごころのスープをさしだせる相手には限りがある。相手がもとめても温情をあたえれなかったことで、恨まれてしまうかもしれない。猫舌な相手に火傷をさせてしまうような痛い言葉をなげつけてしまうかもしれない。

おそらく、このテーマを設定した企業様は、もっと実生活に属した体験をお聞きしたかったのだと思う。じつは、そういう体験は人生上たくさんある。それを語りたくないのは、あまり自分の実存をさらしたくなからであり。かつ、これがネットを通じての話で、あのコミュニティ経由であることを意識してだ。コミュニティでの自分の悪感情をさらすことにはいささかためらわれたが、あえてそれを記したのは、コミュニティの意識改善をうったえたいがためだ。
ネットというのは視覚、聴覚にはうったえるが、触覚はないせかいだ。だから、文面から相手のこころの温度を読みとる能力がたかく要求される。このお二方は、それがすぐれていたということだろう。私が静かになにかに冷めつつあり、かつなにかに怒りの炎を燃やしつつあるかをよく心得てていらっしゃったのだ。スープは温めるものでもあり、冷やすものでもあるのだ。なぜなら、それは液体でいかようにも形をかえて他人のうちがわに溶け込んでくれるものだから。消化されてしまうあたたかさ、誰かのなかで確実にエネルギーになるもの。それを贈ることがだいじなのだ。

あのコミュニティにはアフィリエイト目的で強引な勧誘をしている方はたしかにいる。が、しかし。一部に良心的に商品を紹介したり、現実の経済活動におおきく寄与していたり、人生におおきな目標をもうけて毎日まいにち自己鍛錬を欠かさない方々もいる。そして、じつはアフィリエイトとは銘打っているがひじょうに真摯に研究して、己のためでなく皆の利益のために情報公開している方もいる。
私はこうした方々とのおつきあいをとても大切に思っている。そして、記事を書くことで企業様やコミュニティ運営者がわから感想をいただけたりしたことがとても励みになっている。

私が出会ったお二方は、まったく自分の趣味とは分野がことなる方なのだが。互いの共通点をみとめて共感しあうのではなく、じつは、異質なものをそれと認め、無理に理解しようとしないというのが、文化相対主義の考え。私はしばしばこの精神を忘れてしまうが、コミュニティもおのがじしが表現をもつ文化集団である。

私はいまかなりコミュニティへの参加を楽しんでいる、一時はひらくのも嫌だった場所だったが、いまはかつてのように、あちこちに顔出ししている。そして、その交流をすることはコミュニティ運営者の望みなのだろうと思う。
今後もこの稀なるバズマーケティングモールと、そこに参加する企業、そして参加者の幸運をいのろう。彼らがおたがいにスープを贈りあうようなあたたかい関係でいることを、私は切に願う。いくつか、その恩恵を受けてきたひとりとして。
そしてお二方からいただいた、あたたかさを誰かに贈れる人になろうと、願う。


【参照記事】
"Give away your money and be happy" (NewScientist.com news service, 20 March 2008)

スープストックトーキョー

【2008/03/23 23:00】 エディタ・モニタ私事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

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