現在位置:
  1. asahi.com
  2. 天声人語

天声人語

Astandなら過去の朝日新聞天声人語が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)

2010年5月16日(日)付

印刷

 いまは沖縄市になった旧コザ市は、面積の6割を米軍基地が占め、島の縮図と言われた。その市長を4期16年つとめた大山朝常(ちょうじょう)さんの思い出を1月の小欄に書いた。本土復帰の日だったきのう、晩年の著書『沖縄独立宣言』を読み返してみた▼副題には「ヤマト(日本)は帰るべき祖国ではなかった」とある。大山さんは復帰運動を熱心に担った。しかし悲願の復帰後、待っていたのは失望だった。基地は残り、米軍がらみの犯罪や事故は後を絶たない。「どこまで沖縄人を踏みつけにすれば気がすむのか」。執筆のとき95歳だった故人の筆は激しい▼米軍は戦後、島に君臨した。住民の土地を「銃剣とブルドーザー」で奪い、政治に介入し、凶悪な犯罪もうやむやに葬った。積もりに積もった怒りが爆発したのが、復帰前の「コザ暴動」である▼5千人ともいう市民が、70台を超す米兵らの車や基地施設を焼き払った。市長の大山さんは鎮圧に協力すべき立場だった。だが民衆の怒りは痛いほどわかった。身を裂かれる思いで、夜空を焦がす炎をにらみつけていたそうだ▼「押しつけ憲法とか言ってますがね、沖縄はその憲法、押しつけてももらえなかった」と生前によく言っていた。復帰の前も後も沖縄を米側に差し出すことで、本土は平和と繁栄をうたいあげてきた。失望と不信が九十翁に「独立」を言わせたのだった▼日米が相携える国益を言うなら、その「国」の中に、今こそしかと沖縄を抱き寄せるべきである。首相の「愚直」になお一筋の期待をつなぐ価値はありや。

PR情報