2010年05月07日

◆ 失敗しない方法

 何事であれ、さまざまな行動で、失敗することがある。では、失敗を避けるには? 

 ──

 失敗はしばしば起こる。仕事上の失敗は言うに及ばず、日常の些事でしばしば失敗することがある。
 例。食品を切る、刻む、器に入れる、……など。

 こうした失敗を避けるには、どうすればいいか? 

 ──

 逆に、失敗する方法は、こうだ。
 「どうせ失敗しないさ、注意しておけば大丈夫さ、と思い込む」
 こうして楽観して行動すると、思いもよらぬ不手際などが起こって、意に反した失敗が起こる。
 これを反面教師とすれば、失敗に対して、うまい方法がわかる。
 
 ──

 うまい方法がある。
 「たぶん失敗するだろう」
 と予想することだ。これによって失敗を回避できるわけではないが、次の対処をできる。
 「失敗しても大丈夫なように、防護措置を取る」
 つまり、失敗そのものを回避するのでなく、失敗による被害を防ぐ。

 例。
 インスタント・コーヒーを大瓶から小瓶に移す。「こぼさないように」と注意していれば大丈夫だ、と思っていると、(注意しても)予想外の不手際が起こって、こぼしてしまう。テーブル上に散乱させてしまう。ここで、「こぼさないように」と注意するよりは、「こぼしても大丈夫なように」と防護措置を取る方がいい。たとえば、下に紙や皿などを置いて、こぼれたコーヒーを受け止める。こうすれば、こぼれたコーヒーがテーブル上に散乱することもない。

 このような発想は「フェイル・セーフ」と呼ばれる。「失敗しても大丈夫なように」という措置を取ることだ。よく知られた概念である。
 その発想は、工業関係やサービス関係で用いられることが多い。しかし、それだけでなく、人生における一般的な原理とするといいだろう。

 たとえば、人生の進路を決めるような場合にも、このような発想を取ると便利だ。
 「この会社に就職すれば、きっと儲かるだろう」
 と思うよりは、
 「この会社に就職して、倒産や解雇される危険はないか? もしそうなったときにうまく逃げ出せるか?」
 というような発想をするといい。
 受験でなら、このような発想はしばしば取られる。いわゆる「滑り止め」だ。
 逆に、「きっとうまく行くさ」と楽観するのは、競馬などのギャンブルに見られる。ギャンブルの好きな人は、要注意だ。

 ともあれ、人生のさまざまな場面で、「フェイル・セーフ」の発想を取るといいだろう。その前提は、「人は失敗を避けられない」ということだ。常に失敗するというわけではないが、あらゆる失敗を完全に回避することはできない。千以上の行動を取れば、そのうちいくつかでは、予想外の出来事によって失敗することがある。
 だから、「人は失敗を避けられない」と自覚した上で、「失敗の被害を減らす」という発想を取るといい。

( ※ 本項の標題は、「失敗しない方法」だから、「失敗の被害を減らす方法」を示すのでは、「看板に偽りあり」と言われそうだ。すみません。「失敗しない方法」という題名は、本項の内容ではなくて、話の取っかかりです。題名が内容の要約である必要はないので。……ごめんなさい。   (^^)ゞ )
  


 [ 付記 ]
 以上の趣旨は、確率的には、(被害の)「期待値を下げる」ということに相当する。
 (被害の)確率を下げようとしても、確率をゼロにすることはできない。どうしても被害がときどき生じる。ただし、被害の規模を小さくすれば、被害の期待値は下がる。
 例。被害の確率は 0.1% ぐらいあるが、被害が起こったときの損害額を、100万円から 10万円に下げる。
 たとえば、地震対策では、地震の発生確率そのものは変えられないが、地震が起こったときの被害額を少なくする方法はある。
 これは当り前だが、これと同じことを、人生のさまざまな場面で応用することができる。
 例。大金がかかっているときは、注意力を最大化するために、小さな事柄はすべて無視する。「あっちもこっちも」とすべてに注意するのではなく、重要なことだけに集中する。……この場合は、1件の損害額は同じだが、注意力を最大化することで、被害の発生確率を下げる。(ここでも期待値の考え方は重要だ。AとBの期待値を考えて、被害の規模はAの方が大きいのであれば、Aの方に注意力を最大化することで、全体的な被害の期待値を下げる。)



 【 参考 】


 ついでに言うと、次のような教訓もある。
 「迷ったら止まれ」
 何らかの危険性にぶつかって、どうするべきか迷ったら、とりあえず、止まるといい。止まって、よく考えるといい。
 逆に、いけないのは、次のことだ。
 「迷ったら直進する」
 これまでずっと直進してきたから、ちょっとぐらい危険性を感じても、そのままずっと直進する……というのが、普通の人の行動だ。しかし、こういうことをやっていると、たいていの場合は大丈夫でも、あるとき突然、大きな障害に正面衝突する。「大丈夫さ」と思ったあげく、大被害をこうむる。そして、そのあとで、「しまった、楽観しないで、止まっておけばよかった」と後悔する。
 というわけで、
 「迷ったら止まれ」
 「迷ったら止まって、じっくり考えよ」
 というのを、教訓としたい。

 例。タイの暴動の取材で死亡したカメラマン。「たぶん大丈夫さ」と思って取材して、命を落とす。理由は防弾チョッキを付けなかったことだ。だが、どんなに重要な取材であっても、命を落とす危険があるならば、取材を避けるべきだ。「迷ったら止まれ」というポリシーをもてばよかったのだが、止まることができなかったせいで、命を落とした。
 愚かというよりは、人間性として、ありがちだ。こういうふうに突っ走って、大きな危険にぶつかる、ということは、ありがちだ。他人事ではない。「あのカメラマンは注意が足りなかったんだ」なんて思っていると、自分もまた似たような失敗をするだろう。むしろ「自分も同じような失敗をしかねない」と思って、「迷ったら止まれ」というポリシーをもつべし。

( ※ しかし人間というものは、自分自身のことになると、楽観して注意力が散漫になることが多い。だからこの世界では事故というものが多発する。そのほとんどは、勝手な楽観が原因だ。……パロマの社長も、同様だろう。)
  
posted by 管理人 at 19:37 | Comment(0) | 一般 (雑学)
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