だが、土曜授業よりは、夏休みを減らして、夏に授業をする方がいい。
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東京都では、土曜授業が復活する。( Google 検索すればわかる。)
これについて、賛否両論があり、朝日の特集で掲載された。( 2010-05-15 )
《 賛成論 》
「基礎学力の低下が進んでいる。底抜けを防ぐためにも、土曜授業を進めるべきだ。また、土曜の授業分が、平日に分散されて、平日には教員も疲弊している。その問題もなくせる」
《 反対論 》
「時間を長くすればいいというものではない。能率よく効果的に学ぶことが大切だ。時間をかければいいという頑張り主義だと、無限に時間をかけるようになり、日曜日さえも勉強しろということになる。それは危険だ」
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- この反対論は、「百マス計算」の陰山英男によるもの。私は「百マス計算」というものを、何となく胡散臭いと感じていたが、この話を読んで、はっきりと確信した。
「百マス計算」というものは、あまりやらない方がいい。やりすぎは危険だ。なぜなら、それは、「人間をコンピュータにしてしまう」というような傾向があり、「人間の思考力を奪う」という傾向があるからだ。
私は理系の人間ではあるが、計算は得意ではない。子供のころから、計算は上手でなかった。というか、計算が大嫌いだった。大好きなのは、「考えさせる問題」だった。
ところが、上記の「百マス計算」は、生徒から「考える時間」を奪い、「単純な計算」だけをやらせる。しかし、そんな計算至上主義からは、ろくな人間は生まれない。そのことを、陰山英男は自ら実証した。
上記の《 反対論 》を見るがいい。その非論理の極みには、呆れる他はない。まともな思考力を持つ人間の発想ではない。「土曜授業をすると、日曜までも授業をさせるようになる」だって? 馬鹿げている。そんなことは誰も思うはずがないのに。それはいわば、
「東に百メートル進んではいけない。東に百メートル進むと、そのままどんどん百キロも東に進んで、太平洋に落ちてしまいそうだからだ」
というようなものだ。馬鹿馬鹿しくて、話にならない。
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ま、それはさておき。
《 賛成論 》 の「土曜の授業分が、平日に分散されて、平日には教員も疲弊している」というのは、もっともだ。
また、この点は、生徒にも当てはまる。私だって、小学生のころは、6時限目には、疲れてうんざりした。子供というものは、耐久性がない。一日にたっぷりと勉強するよりは、毎日少しずつ勉強する方がいい。
だから、週5日制にして、1日の授業時間を増やすよりは、週6日制にして、1日の授業時間を減らす方がいい。この意味では、《 賛成論 》 には賛同したい。(というか、もともと私の持論だ。)
ただし、賛成論では、「1週あたりの授業時間も増やす」というふうになっている。私としては、これには、賛成しない。むしろ、1週あたりの授業時間を減らす方がいいと思う。その点では、ゆとり教育と同様で、「授業時間の削減」を支持したい。(1週あたりでは。)
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さて。ここからが、肝心だ。
1週あたりの授業時間は減らす方がいいが、1年あたりの授業時間は増やす方がいい。そのためには、次の方法を取ればいい。
「夏休みを削減する。夏にも授業をする」
夏休みは 40日ぐらいも休み続けるが、これは無駄だ。春休みみたいな休みが1週間ほどあれば十分だ。それは、お盆のころだ。ま、企業は、10日〜14日ぐらいの夏期休暇を与えることもあるから、学校も 14日ぐらいの休暇を実施してもいい。だとしても、40日からは大幅に削減するべきだ。つまり、25日ぐらい、授業日を増やす。
とはいっても、暑い盛りには、授業はしにくい。そこで、次のようにする。
「授業は早朝から実施する。午前6時ごろに朝食を給食として与える。そのあと、7時ごろから、授業をする。午前11時ごろに授業を終えて、帰宅させる。(昼の給食はなし。)」
ちょっとサマータイムみたいだが、サマータイムとは違って、時計の設定は動かさない。単に時間割を変えるだけだ。
なお、午前11時のあとは、子供たちは学校で遊んでもいいが、一部の生徒については、交替でプールで泳がせる。ちょうど暑い時間帯に、プールで泳ぐわけだ。
( ※ 昼食は? いったん家に帰って昼食を取る。午後のプールの時間までは在宅している。)
というわけで、「夏休みの削減」(夏季授業の実施)を、提案したい。
( ※ 本項のタイトルは、「夏休みを廃止せよ」だが、これは東スポふうのタイトル。 (^^); )
[ 付記1 ]
夏の暑さを防ぐためには、「緑のカーテン」も有効だ。これで3度ぐらいは気温が下がる。昼以降には、効果がなくなるかもしれないが、昼までなら、結構涼しく過ごせるはずだ。
( ※ クーラーを使うというのも一案だが、現状では、コストの点から、ちょっと無理だろう。地域差が出るのも難。)
[ 付記2 ]
小学校、中学校、高校で、いくらか区別した方がいいかもしれない。
夏休みの廃止は、小学校には適切だが、通学の時間がかかる高校には、適切ではないかもしれない。高校の場合は、夏休みはあった方が良さそうだ。夏の電車は大変ですからね。高校生がいないせいで、混雑度が低まるので、一般の大人も恩恵を受けている。
[ 付記3 ]
本項に従えば、省エネ効果も出そうだ。
家庭に子供と母親がいれば、クーラーが ON になる可能性が高い。
家庭に母親だけがいれば、クーラーが OFF になる可能性が高い。(母親は自分一人のためにクーラーを付けるのはもったいないと思うので、我慢する。少なくとも、午前中は。)
太陽光発電なんかに熱中するより、夏休みを削減する方が、省エネ効果はずっと高まりそうだ。
【 関連サイト 】
同様の話題を扱っているウェブページが見つかった。2ちゃんねる。 (^^);
→ http://school.2ch.net/edu/kako/1026/10261/1026130092.html
私は反対論に一票を投じます。
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学力向上のために、夏休みを減じて授業数を増すとする考え方には反対だ。
それは問題の根本から外れていて対処療法にもならず、また既に中レベル以上の学力を持っている生徒にとっては、授業数を増しても特にプラスに働く要素は無い。
学力テストの回答を見ると、小学校低学年の基礎的な学習の理解からつまづいている子供が多いように見受けられる。小学校の授業は暗記よりも理解に主体が置かれており、日本語をきちんと読めれば容易に理解できる内容ばかりである。従って、教科書に書かれた事柄が理解できないのは、基礎的な日本語が修得できていないからと言える。
通常、母国語の習得については家庭内で会話の機会を増し、読書量を増やすことで容易に改善できるが、家族の会話が「ヤバイ」レベルではお話にならない。PCでも動画を扱うのとテキストを扱うのではCPU負荷は桁違いだが、語彙が少ない環境で育つ子供は脳の活動の大半を処理量が大きいイメージ処理に割いており、思考サイドの発達が遅れてしまう。
お粗末な言語環境で育つ子供と、まともな日本語を操る子供を同じ学習指導要綱でカバーしているのが土台無理な話だ。
夏休みの存廃という主題とは異なるが、単に学力向上を謳うのであれば、理解力別に10人程度で学習クラスを分けたほうが確実だ。最低レベルの子供をそこそこ底上げしても中の下レベルの子供が増えるだけで、高得点を取る子供の数には影響しない。中〜高レベルの子供の学力を向上させてこそ、国際的な競争力に繋がるというものだ。
特に小学校低学年の学習内容は、家庭・図工・音楽・体育といった副教科を除けば、理解力がそこそこ高い子であれば2週間で1教科分修得出来るといっても良い。それを全体のレベルを探りながら薄く引き延ばした授業にしているから、学習時間が不足することになる。これを少人数クラス制とすることで、子供達のレベルに応じた指導方法がとれる。低レベルの学級には補助教員を必要数付けるようにすれば、集中力の低下もカバーできるし、学級崩壊の危険もぐんと減る。
現行の教育システムには「平等」を楯にした「障害」が多い。3段階や5段階の成績評価をやめて大学のように単位制にし、飛び級も可能にすべきだ。学習機会の均等などというのは詭弁に過ぎず、現状はかえって理解が早い子供達の学習機会を奪ってしまっているにすぎないと感じる。