海外の学会で議論すると、"Be provocative!"とよくいわれます。「アゴラ」は論争の場としてつくったので、論争を「心苦しく」思う必要はありません。今回の「アクセス回線会社」案は、政治的には不可能(総務省も1年後に先送りした)ですが、今後の日本のブロードバンドを考える重要な素材を提供したと思います。
まず通信インフラは単なる技術の問題ではなく、第一義的には経済問題であることに注意が必要です。ソフトバンクの孫正義社長は、昨年の決算発表で次のようにのべています:
光ファイバーは必要なのか、むしろ少し遅れた人が光ファイバーを使っているのではないか。iPhone前は、家に帰ると1〜2時間もパソコンの前に座っていたが、今は日中に仕事が完了し、寝る前に5分未満確認するだけ。すべての携帯電話がiPhone化し、モバイルインターネットマシン化してくることで、光の必要性がなくなってくる。ソフトバンクの社員はみんなそう思っている。光を利用するのは地デジのアンテナが建てられない地域になるだろう。
私は、この認識が正しいと思います。通信の価値を示す基準は、ビットレートだけではなく、いつでもどこでも使えるという自由度との2次元平面で考える必要があります。経済学に無差別曲線という概念があります。いま数Mbpsの携帯のARPUが数十MbpsのFTTHとほとんど変わらない(無差別である)ことから考えると、大ざっぱに次の図のような関係があると考えられます(距離を自由度の代理変数としました):
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これと予算制約(直線)をあわせ考えると、かつては携帯の料金が非常に高く速度が遅かったため、図のAのような固定ブロードバンド(DSLやFTTH)しか選択肢がなかったと考えることができます。しかし3GやiPhoneによってモバイル・ブロードバンドの利用可能性(予算制約)が広がったため、図のBのように需要が無線にシフトしてきました。

この傾向は、今後も続くでしょう。固定ブロードバンドは頭打ちですが、無線ブロードバンドは、iPadの爆発的な人気に見られるように、さらに需要が大きくなると予想されます。世界的にみても、アメリカのILECは固定回線を売却して無線に特化し、光はバックボーンや業務用に限定する方向です。新興国は、すべて無線です。NTTでさえFTTHは赤字営業で、2000万回線にもならないと見ています。他方で、無線の帯域は絶対的に不足しており、これは今の不合理な電波政策が続くかぎりボトルネックであり続けるでしょう。

つまり固定回線はすでに需要が飽和に近づいており、これ以上ビットレートを上げても大したビジネスにはならない。まして必要もない地域までFTTHを引くのは、ありがた迷惑です。それよりも光は、無線基地局の中継系として重要になると予想されます。これはユーザーを巻き込む必要はなく、キャリアが自分で引けばいい。NTTの経営問題などという泥沼に足を突っ込む必要はありません。

フェムトセルで室内の需要をまかなうという話は、ソフトバンクだけでセルを使えるなら成り立つでしょうが、多くのキャリアのセルが各家庭に散らばった場合、料金はどこが徴収するのでしょうか。国策会社が一括徴収するというのでは、電電公社時代に逆戻りです。ソフトバンクの無線バックボーンのために、NTTにアクセス系の光ファイバーを引かせるというのは邪道であり、NTTも政府も認めないでしょう。

すでに若い世代では、固定電話の存在も知らない人が増えてきました。おそらく今後10年のうちに一般家庭では、アナログ放送を捨てたように固定回線を捨てるときが来ると予想されます。そのとき銅線の代わりに必要なのはFTTHではなく、Wi-Fiのような無線ブロードバンドでしょう。携帯電話も、電話網の遺物にすぎない。このパラダイム・シフトにいち早く気づいていた孫氏が、なぜFTTHというレガシーに回帰したのか、不可解です。