世界は残酷だ。
――家族を奪われた。
人々は残酷だ。
――守りたかった人を奪われた。
何もかもが残酷だ。
――未来を託してくれた友を奪われた。
振り返ってみれば、その全てが残酷だった。
けど、一番残酷だったのは本当は誰なのだろう。
◇
そこは暗い場所だった。暗い、暗い、光など通さぬ闇の底。
その中に自分がいる。落ちていく自分がいる。
――これは、夢か。
シンはその光景が現実ではないことを悟る。現実の自分は今、ギンガ・ナカジマに吹き飛ばされたはずだから――半分は自分から吹き飛んだ訳だが。
だからこれは夢だ。
その夢の中にあって彼は自分自身に深い落胆と――切実な絶望を手に入れていた。
運命は変えられなかった。
3ヶ月間必死に頑張ったつもりだった。けれど、届かなかった。
確かにたかが3ヶ月間の訓練で一流の魔導師に勝とうなど甘い話しだ。だからここで終わるのは別に拙いコトではない。それを誇るコトなど決して出来ないけれど、ある意味それは最も正確な対応なのだろう
何故なら、この結果は至極当然。“当たり前”の出来事なのだから。
だから、ここが終わり。この結果が、自分にとっての一つの終わりだった。
「……ちくしょう。」
暗い闇の中。彼は瞳を閉じた。
意識が、落ちていく。更に深奥。負け犬の人生へと。
見えたのは幾つもの自分。
無様に負け続け、失敗してきた自分だった。
何度も何度も誰かを失ってきた自分。そしてそれと引き換えるように何度も何度も数え切れないほどの人間を殺してきた。
決して等価交換とは言えない、交換だ。
そして、その果てに辿り着いた結論は、自分には力しか無いと言うこと。力を振るって守ることしか出来ないと言うこと。
――そして自分は力を奪われた。
元の世界を弾かれて此処――異世界ミッドチルダに来たコトで。
そして、そこでも力を求めた。けれど、それももう終わり。負け犬はここで終わるのだ。いつだって、自分は誰も守れないのだから。
自分を猟犬と呼ぶ者もいた。
――それは間違った見解だ。自分は猟犬などではない。“負け犬”なのだ。
伸ばした手はいつも届かない。また、それが繰り返される。
“また”守れない人生が始まる――。
「あ、あ、あ……!!」
声が漏れた。哭き叫ぶ声。
狂ったように声を上げて哭くシン。
自分は、救われない。
もう、“決して”救われない。
決して救われることなく諦観と絶望の人生に突き進む。
安寧と平穏の人生など、彼にとっては煉獄と何ら変わらない……文字通り針のムシロそのものなのだから。
そして、頭の奥。心の最奥。意識の深奥。そこで――何かが弾けた。そして、同時に自分の胸にあった“何かが眼を覚ます”。
そして、いつも近くにいた――そう感じていた暗い人影が一つが“弾け飛んだ”。
まるでシャボン玉が破裂するように。そして弾け飛んだ“ソイツ”は無数の光となって、飛んでいく。
手を、伸ばした。
行くな、と。おいて行くな、と。
けれど――その手は届かない。光はシンの制止に構わず飛んでいく。
同時に感じ取る暖かな温もり。それは粉雪のように儚く消えて、彼の中に染み込んでいく。
涙が流れる。理由は分からない。けれどそれは“流すべき涙”。シン・アスカにとって大切な涙。
――行こう、お兄ちゃん。
そんな声が、聞こえた気がした。
◇
その日、シャリオ・フィニーノは機動6課の隊舎内で待機していた。
本当は今日行われる模擬戦を見に行きたかったにも関わらず、だ。
だから、正直暇でしょうがなかった彼女はいつも通りに機械弄りをしていた。
ザクウォーリア。
異世界の機動兵器。半壊し、スクラップ同然だったそれを引き取って解析を行っていた。
異世界の技術は彼女にとっては未知なることばかりで、眼を輝かせて取り組むことが出来た。
その日も彼女はいつも通りに、解析しようとして――おかしなことに気付いた。
“勝手に動いている”のだ。
動力は落としてある。更には本来、魔法が関係ない純粋な機械であるソレは動力なしで動くなどというコトが発生するはずもないのだ。
燃料のないエンジンは動かない。魔法だとて出来ないであろうその所業。
在り得るわけがない――だが、目前で起こる現実として、ソレが起こっていた。
起こっている以上は現実なのだ。現実である限り覆しようはない。
呆然とそれを見やるシャリオ。
その時、ブツン、と画面が、消えた。唐突に始まった異常は同じく唐突に消えた。
再び電源が落ちたのだ。
「……何が、起きてたの。」
薄ら寒いモノを感じながらシャリオは呟く。まるで狸に化かされたような……幽霊にでも出会ったかのような悪寒を感じ取って。
――彼女は知らない。コックピットシートに残されていたピンク色の携帯電話。電池が切れ、放置され、半ば壊れていたソレ。ザクウォーリアが起動していた時、それが“何かを通信中だった”ことを。
◇
――機動6課隊舎内で起きたザクウォーリアの自動機動と同時刻。
陸士108部隊訓練所。
吹き飛ばされ、叩きつけられ舞い上がった噴煙の中で、シン・アスカのデバイス「デスティニー」。
デバイスが言葉を示す画面。それが、静かに動いていた。シン・アスカの意思とは無関係に。
目まぐるしく動いていくその画面。そこに映る文字はあまりにも高速すぎて確認出来ない。
そして、画面が消え――数瞬の間を空けて、再び輝いた。
デスティニーの画面がそれまでとは違う形の文字を映し出す。
それまでは通常の文字だったモノが――少しだけ丸みを帯びたどこか女性らしさを強調する文字へと。
文字は一文ずつ現れ、そして消える。その回数は7回。
即ち――
『Gunnery』
『United』
『Nuclear』
『Deuterion』
『Advanced』
『Maneuver』
『System』
――その言葉自体には意味は無い。
意味があるのは言葉の意味ではなく、その言葉そのもの。
それは、ZGMF-X42S……すなわちデスティニーのOSの名称である。
シンの肉体に血管のような“赤色の輝き”が生まれる。それは回路のようにシンの全身を覆い尽くし――そして、消えた。
デスティニーの液晶画面に、再び文字が現れた。その回数は5回。
即ち――
『Renewal completion pro-movement(動作系書換完了)』
『Nervous system connection completion(神経系接続完了)』
『An optimization start pro-operation(操作系最適化開始)』
『The power fixation completion(魔力定着完了)』
『Wake up ,brother. And you stand ,and fight.(起きなさい、兄弟。そして立って、戦いなさい。)』
人格の無いはずのデスティニーが“喋った”。
聞いた事もない電子の声。怜悧冷徹で、人間らしさなど欠片も無い――けれど、それはどこか誰かを思い起こさせる。
それが誰なのかは既に過去の彼方。よく分からないけれど。
シン・アスカはその声に導かれるように立ち上がった。
◇
幽鬼の如く立ち尽くすシン。バリアジャケットは所々が破れ、真紅のソレは埃を被って、白く染め上げられている。
満身創痍。接近して確認するまでもない。シン・アスカは既に限界だ。
だが、
「……ギンガ?」
フェイトが呟く。あろうことかギンガ・ナカジマはその姿を見て、カートリッジをロードし、再度構えを取った。
戦いはまだ終わっていない。そう、言わんばかりに。
「ちょ、ちょっと待ってよ、ギンガ!!」
フェイトが観客席から身を乗り出し、ギンガに向かって叫んだ。
「もう、勝負はついてる、これ以上は単なる虐待にしか――」
「……弱くないんです。」
「え?」
ギンガが答えた。答える声はか細く、脆く。けれど、
「これで終わるほど、シン・アスカは弱くない――彼を侮らないでください。」
言葉に秘めた想いは決してフェイト・T・ハラオウンには理解出来ない。何故なら、彼女はシン・アスカを“知らない”からだ。
シン・アスカを本当の意味で知っているのは、この場において、ギンガ・ナカジマと八神はやての二人――支えようとする者と利用しようとする者。その両極端な二人だけだった。だから、彼を止める資格があるとすればその二人だけ。
「……ギンガ、どうして、そんなことを……」
『ええんやな、ギンガ?』
呆然と呟くフェイトを尻目にはやてはギンガに向かって念話を送る。
「はい。」
返される声は平然としたモノだった。
『……分かった。』
「はやて、どうして止めないの!?」
「試験官がやめへんて言うてるのに止める訳にもいかんやろ。それに……私もこの程度で終わるとは思ってないんや。」
フェイトは口ごもる。はやての表情。それがこれまでにないほどに愉悦に歪んでいる。
「はやて……?」
「見てみい、フェイトちゃん。シン・アスカを。」
「シン君を……?」
はやての言葉に従い、フェイトはシンを見る。そして、絶句した。
その異形に声を失った。
「何が……起きてるの。」
シンの肉体が輝いている――否、正確には光が走り回っている。
右手に携えたデスティニーを大基として、シンの肉体にまるで電気回路のような形で光が走り回っているのだ。
光はシンの肉体全てを走りぬける。
服の上からでも分かるほどに明滅が分かるその輝き。
それは凡そ確認されているどの魔法にも類似しないモノ。
「狂った炎は羽金を切り裂く刃となる、か。」
シンの肉体を走る赤い光――回路上に輝くその光。それは鼓動を刻むようにシンの全身を明滅しながら走り抜ける。
そして、魔力が膨れ上がる。感じ取る魔力量。その量がどんな“意味”を持つのか。
歴戦の勇士たるシグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ、そして八神はやて、過去、蒐集行使を繰り返していた彼らだけがそれに気付いた。
シン・アスカの増加した魔力量。それが凡そ一般的な人間一人分の魔力量。リンカーコア一つ分とほぼ同量だと言うことに。
その意味にまでは気付かなかったが。
『Wake up ,brother. And you stand ,and fight.(起きなさい、兄弟。そして立って、戦いなさい。)』
「デスティニー」の画面にその文字が映し出され、そして消えた。
同時にシンの身体中を走り回っていた光が消える。
シン・アスカの閉じていた瞳が開く。
焦点を失った瞳。幽鬼の如き立ち姿。そして、“あり得ざる意思”を持ったデバイス。
「……行く、ぞ。」
声の調子は満身創痍。肉体も同じく。
されど、煮えたぎる意思だけは決して冷めることなく。
――“シン・アスカとデスティニー”の戦いが始まる。
◇
戦いは、それまでとはまるで違う様相を見せていた。
シンはそれまでと同じくアロンダイトによる突進を行う。その表情は悪鬼羅刹の如く歪み切っている。
焦点を失った眼はそれを覆い隠す役割を何らしていない――それどころか彼の異常さを際立たせるのにさえ貢献している。
鈍い金属音を響かせ、両者が激突する――そこでギンガは気付いた。シン・アスカの動き。
それが吹き飛ばされる前と、吹き飛ばされ立ち上がった後でまるで“違う”と言うことに。
「アアアアア!!!!!」
獣の如き咆哮と共に振るわれるアロンダイトの連撃。
嵐の如きそれを左拳の一撃で弾き、右手に発生させた幾重にも折り重なり、翼のような外見をした小規模積層型トライシールド――リボルビングステークに使用されている技術である――によって捌きつつ、ギンガは心中で呟いた。
(これ、は……!?)
戸惑うギンガ。
弾いた左拳が衝撃で痺れる。
捌こうとして、速度が間に合わなかった右手に痛みが残る。
吹き飛ばされる前は決してそんなことはあり得なかった。
確かに積層型トライシールドこそ彼の前で今始めて使ったものだ。
今それを使用したのは純粋に速度が間に合わなかったからだ。回避よりも捌くべきだと言う判断によるものだった。
これまではそんなモノを使う必要は無かったのだ。全て回避できていたから。何故なら彼の剣戟は稚拙だが気持ちの篭った剣戟。
そう、“稚拙”だったのだ。
それが今はどうだろうか。その動きはもはや怜悧冷徹。強靭且つ俊敏でありながら精緻極まりない機械の如き動き――かと思えば次の瞬間、元の獣の如き動きと成り変わり、そして機械に舞い戻る。
稚拙且つ精緻。荒ぶる獣でありながら、冷徹な機械。
矛盾した二つの動き。シンの動作はその狭間で揺れ動く。
(一体、何が……!?)
心中の言葉通り、これで戸惑わない方がおかしい。同時に、それはギンガにとっての危機をも意味する。
前述した通り、シューティングアーツとは洞察力と戦闘の組み立て、そして鍵となる魔法を使うことで距離の差を埋める“武術”である。
シン・アスカの動きがこれまでとまるで違う――それは再び情報の取得を行わなければならないと言うことだった。
彼女が守勢に回るのは何もシンの速度が上がったからという訳ではない。それまでとはまるで“違う”からだ。違うからこそ彼女は守勢に回り、情報の取得に全霊を込めるしかない。
シンの身体に起こった異変――それが何なのか、と心を乱しながらも。
あの回路上に走りぬけた光が影響を与えている。それは分かる。だが、“それ”が何なのかまでは彼女には分からなかった。
だから、彼女は戦いながらも祈るしかなかった。
それが単なる杞憂であることを――シン・アスカの肉体が“変質している”などありうるはずがないと祈りながら。
そんな彼女を気にすることもなくシンは剣を振るい続ける。
シン自身、自分の動きが――身体が変化したことには理解していた。そして、その動きが“何の動き”なのかも。
現在シンが行っている動作、その動きの根幹にあるのは“ZGMF-X42Sデスティニー”の動作パターンである。
つまり、シンは今、正に“ZGMF-X42Sデスティニー”に乗るようにして戦闘を行っているのだ。
――以前、語ったことではあるがザクウォーリアのOSとはつまり“ZGMF-X42Sデスティニー”のOSである。シン・アスカの反応速度を生かす為に元々のOSから書換えたモノである。
デバイス「デスティニー」はあの瞬間、ソレをザクウォーリアから“受け取った”。
如何なる意思が働いたのか、如何なる力によってか。それは“今は”誰にも分からない――だが、それは起きた。
そして「デスティニー」はそれをシン・アスカの肉体に付着し、その結果としてあの回路の如き光が走った。
MSと言う機動兵器の動作パターンである以上、実際の人間が使うような応用性がある訳では無い。
動きを書き換えたところで、人間の動きと機動兵器の動きは決して相容れないモノだ。
機械の動きは人間の動きに辿り付けない――その絶対原則は決して超えられない。
“だから”、それを一瞬一瞬ごとに最適化していっているのだ。“ZGMF-X42Sデスティニー”のモーションパターンを“根幹”として。
元より、斬撃武装として作られた“ZGMF-X42Sデスティニー”のモーションパターンは余人では辿り付けないほどに高度なモーションデータを使用している。斬撃を放つための理想的な動き――達人の動きを。
そして、それはアロンダイトによる斬撃だけではない。フラッシュエッジの投擲や動きそのものへの干渉。
それらの、“理想的な動き”の内、彼にとって必要なモノ、不要なモノをデバイスである「デスティニー」が取捨選択し、彼の身体の動きを“書き換え”、彼にとって最も最適なカタチへと最適化を施していく。
その動き。それは“ZGMF-X42Sデスティニー”に記録される以前の“達人の動き”である。
そして“書き換えられた”動きは現在のシン・アスカにとって正に理想そのものと言った最強の動きである。
――だが、理想であるが故にその動きは限界を超えることをシンに強いるのは自明の理。
身体と骨格が軋みを上げる。
剣を振るう度に身体のどこかがギシギシと唸りを上げ、全霊の一撃はそれだけで筋繊維を少しずつ断裂していく。
それはあくまで凡庸であるシン・アスカの斬撃を理想の斬撃に塗り替えていくことへの反動である。
そして、断裂していく筋肉を無理矢理繋ぎ止めていく跳ね上がった“自動治癒術式”。
増加した魔力が余剰魔力となり、それを燃料としてデスティニーに納められていた“自動治癒術式”がシンの肉体を癒していっているのだ。
身体の節々から立ち上る蒸気は断裂する度に繋ぎ止められていく筋繊維が生み出す蒸気。
デスティニーとは機動6課において作成されたデバイスではあるが、その設計図や使用する魔法については管理局の上層部――カリム・グラシアから直接機動6課に渡されている。
故にデスティニーにその術式を納めたのはデバイスを作った人間ではなく、デバイスを設計した人間となる。それが誰か、など考えるべくもない。
カリム・グラシア直属の部下ギルバート・グラディスである。
シンやはやてはそんな事実を知らない。知るはずも無い。
シン・アスカは与えられた武器に意見を言う人間ではなく、八神はやては与える武器の持つ意味を知らぬまま、デスティニーを使用した。
その流れは全てカリム・グラシアとギルバート・グラディスの計画の通りである――だが、彼らもこんな状況は予測していなかった。デバイスに突然意思が宿り、“使用者の肉体の動作系を書き換える”などと言う“世迷言”は。
――剣を振るえばブチブチと筋肉が千切れ、千切れた端から肉体は再生を繰り返す。
血切れる痛みと繋ぎ止められる痛み。
シンの表情が悪鬼の如く歪むのは、怒りでも悲しみでも無い。ただ単純な話し、脳髄にまで到達せん勢いのその痛みによってだった。
けれど、シンは止まらない。止まることを知らないからではない。
止まってしまえば、躊躇してしまえばその瞬間全てが終わる。それを知っているからこそ、シン・アスカは止まらない。暴走列車の如く、突き進む。
だが、それでようやく互角。
シンの連撃は未だ彼女に当たらない。完全に守勢に回ったギンガの防御をシンは未だ切り崩せないでいる。そして、それが長引けば長引くほどに彼女の防御は完全に近づいていく――ギンガ・ナカジマの情報の取得がシン・アスカの進歩を飲み込んでいくのだ。
当初はズレていた捌きのタイミングも今はもはやコンマ数秒のズレさえない。
「くっそ……!!」
一合ごとに壊れ、無理矢理に繋ぎとめられていく身体。それでも突き崩せない高き壁。
その前でシンの心は剣を振るうごとに折れそうになる。
膝を付きたくなる衝動が我慢しきれない。
痛みに震える身体を休めたい。
自分は勝てない。届かないモノに憧れたから。
自分は負ける。分不相応な願いを抱いたから。
あの時――あの赤い無限の正義に敗れた時――と同じく自分はまた、負けるのだ。
焦燥は絶望となり、彼に停止を促す。
止まれば、ここで止まってしまえば自分は“楽になれる”のだ。
(――違う)
楽になどなれるものか。
安寧とした人生。幸福な人生。昔、当たり前にそこに在ったモノ。
けれど、守れなかった人達が、守りたかった人達が、そんなことを望む訳が無い。
望みは一つ。守ること。全てを守り、彼らのような人々を二度と生み出さないこと。
世界の平和などどうでもいい。目に映る人々を全て守って守って守り続けるただそれだけ。
大剣と鉄拳が激突した。衝撃が全身を襲い、痛みが激増した。
割れんばかりに奥歯を噛み締め、必死に耐える。
刺すような激痛の生理的な反応として涙が零れそうになる――いや、零れた。
涙を零しながら剣を振るうその姿は正に無様。正に敗者。
けれど、それでも彼は止まらない。
無様で構わない。敗者で構わない。負け犬で構わない。
守れるなら、一生をソレに捧げることが出来るならばソレで良い、と。
決然と瞳を燃え上がらせ、赤き瞳の異邦人は、諦めることを選択しない。
止まることなど、初めから選択肢に存在しないのだ。
(――考えろ、シン・アスカ。)
速度はこれ以上上がらない。技術もこれ以上、上がらない。
だが、彼女の防御を突き崩すには“今のまま”では駄目だ。
今よりももっと速く、もっと強くなければ駄目だ。
ならば、どうする。今までのように“出し抜く”のではない、“追い抜く”為にはどうすればいい?
脳裏を覆う全能感と共に澄み切った思考も未だに消えていない。
そして彼の思考は、剣戟を繰り返す肉体と離別したかのように冷静に加速し、考えを繰り返し続け――その方法を閃く。
それはあまりにも簡単な基礎の応用。けれど、恐らくこの世界の誰もが気付くことは無い方法。
MS戦闘を行い続けた自分だけが辿りつく解答。
必要となる“その魔法の規模”は極小規模。故に詠唱も不要。増加したが故に魔力量に不安などあるはずもない。
だが、思った通りの結果が得られるのか。そして、限界に差し迫るこの身体が果たしてもつのか。
正直、不安材料にはこと欠かない。だが、それでもやらねばならない。
それは正に賭け。伸るか反るかの大博打。
逡巡は一瞬。
そして、シンは決断する。それを使うことを。
――発生地点を操作し、アロンダイトの峰の部分に設定した極小規模のパルマフィオキーナを。
「行けええええ!!!!」
叫びと共に赤い間欠泉がアロンダイトの峰で“噴き出した”。その様はMSならば必ず存在するバーニアそのもの。
そう、シン・アスカはパルマフィオキーナをあろうことか、“スラスター”として利用したのだ。
そんな思考はこの世界の人間には出来はしない。何故なら、宇宙空間における機動戦闘などこの世界の人間にとっては真実無縁であるが故に。
そして、“噴き出した”瞬間、振るわれたアロンダイトが“加速”した。
「速い……!?」
左拳での迎撃が間に合わず、ギンガの左手はアロンダイトの一撃で彼女の身体ごと吹き飛ばされた。
好機来たり――シンがアロンダイトを構え、跳躍。地面と並行に飛行し、空中を正に弾丸の如く疾駆する。
「そんな真っ正直な攻撃で……!!」
右腕の小規模積層型トライシールドをアロンダイトの予想斬撃角度に対して、斜めに構え、アロンダイトの斬撃をトライシールドで“滑らせて”捌く。
大剣を振り下ろしたその状態は大きく態勢を崩し、正に絶好の好機そのもの。
間髪すら入れることなく、右手の捌きと完全に連動した滑らかな流水の如き動きで彼女の左拳が放たれる――そして、シンの姿が掻き消えた。
ギンガの左拳が空を切る。ぞくりと肌が粟立つ。
「――!?」
ヒュン、と風を切り裂く音がした。即座にその場から一も二も無く離脱するギンガ。
彼女がそれまでいた場所をシン・アスカの斬撃が振りぬいていったのだ――それも背後から。
見れば、彼の身体のそこかしこが黒く煤で汚れていた。バリアジャケットが、熱量に耐え切れずに焦げ付いたのだろう。
熱量――それは、パルマフィオキーナの熱量である。
今、シンは小規模のパルマフィオキーナを全身の至る所から“放ち”、無理矢理に自身の肉体を動かしたのだ。
アロンダイトを振り下ろした姿勢。
そこから足裏から“発射したパルマフィオキーナ”によって無理矢理、真上に跳躍し、そして連続した肩からの“発射”によって彼女の背後に移動。
肩からの“発射”によって態勢を大きく崩し、脳天から地面に激突するような態勢から再びアロンダイトの峰からパルマフィオキーナを発射。
そうやって、シンはギンガに向かって、無理矢理にアロンダイトを振り抜いた――むしろ激突させた。
そして本来なら頭から地面に激突し、首の骨を折っていてもおかしくない状況であったにも関わらず、遺伝子に刻みこまれたSEEDと言う名の度を過ぎた集中力によって拡張した知覚は、態勢を崩しながらも何とか着地に成功させる。
「……ゲホッ、ゲホッ!」
咳き込むシン。急激な加速がシンに与えた影響は甚大だ。
足裏からの発射は発射点である足裏、そして膝や腰に大きな負荷をかけ、連続して行われた肩からの発射による移動は足裏の時と同じく発射点である肩に甚大な痛みを与え――足裏からの移動と伴って、彼の内臓を大きく揺らし、乗り物酔いのような状況を作り出す。
吐き気と胸焼け。そして、先程よりもはるかに強く痛み、ギシギシと軋み出す肉体。満身創痍の肉体は限界へと確実に一歩近づいた。
だが、それでもシンはそんな辛さなど欠片も見せずに、戦闘に没頭する。
ガキン、と音がした。鈍く、そして馬鹿みたいに大きい、金属がぶつかり合う音。
何度も何度もこの決戦場に響き渡った「拳」と「剣」のぶつかり合う音だ。
戦闘は止まらない――否、シンが用いたパルマフィオキーナの高速移動。それを切っ掛けに二人の戦いは“加速”する――。
シン・アスカは小規模パルマフィオキーナによる残像すら生み出さんばかりの高速近接戦闘。得物はアロンダイトとフラッシュエッジの二刀流による高速連撃。
対するギンガ・ナカジマは左手のリボルバーナックルと右手の小規模積層型トライシールドによる全てが全力の一撃必殺近接戦闘。
短剣と蹴りが交錯し、大剣と鉄拳が激突する。
ギンガのリボルバーナックルが唸りを上げてシンの腹部に激突する――寸前、シンは小規模パルマフィオキーナで独楽でも回すような動きで身体の向きを無理矢理右に回転させ回避。そして、回転した勢いのままギンガに向けて右手でアロンダイトを振るう。
ギンガが振るわれたアロンダイトを小規模積層型トライシールドにて捌き、その動きに合わせるように右足を跳ね上げる。
狙いはシンのコメカミ。ブリッツキャリバーの加速によって放たれる蹴りは意識を断絶するには十分すぎる。
左手に持っていたフラッシュエッジでシンは無理矢理弾く。捌くような余裕は存在しなかった。衝撃で態勢が崩れる。腰が落ち、後ろに寄りかかるようになったその態勢では攻撃手段は無い。防御手段も無い。一度立て直さなければ何も出来ない。
リボルバーナックルが唸った。必殺の一撃。喰らえば意識は無い。
シンの瞳が燃え上がる。まだだ、と言わんばかりに咆哮。そして同時にフラッシュエッジ、アロンダイト。両の手に持つ得物の峰から同時に小規模パルマフィオキーナを発射。その二つを全力で絶対に離さない様に握り締め、“振り抜いた”。シンを支点にしてフラッシュエッジとアロンダイトはハサミのようにギンガを左右同時に挟み込む。
それを後方に反り返るようにして回避し、右足を跳ね上げるギンガ。狙いはシンの顎。
シンは後方に倒れこむことでその一撃を避ける。紙一重。刹那の差で眼前をギンガの左足が通り抜けて行った。
僅かに距離が開く。両者の身体が動く。そのタイミングは同時。
そして――激突。交錯は止まらない。
二人が戦っている場所は先ほどから殆ど変わっていない。だが、それにも関わらず二人は一瞬たりとて同じ場所には位置していない。
上下左右前後。目まぐるしく動くシンとギンガ。その攻防が一瞬ごとに入れ替わる。
極小空間にて行われる疾風怒涛。
過熱し、赤熱し、白熱する男と女。
その様は正に座して動かぬ竜巻の如く。
大剣による一撃必殺と短剣による高速連撃。
「うおおおおおおおおお!!!」
――振るう刃が剣嵐(ケンラン)ならば。
それを捌き、弾き、唸る一撃必殺の拳の雨。
「こんなものでええええ!!!」
――荒ぶ拳は驟雨(シュウウ)の如く。
今、此処にシン・アスカとギンガ・ナカジマは肉薄していた。
◇
――シン・アスカは強い。
異常な成長速度。
常識を超えた発想。
その身が秘めているであろう何かしらの秘蹟。
だが、それら全てを除外したとしても彼は強い。
その心根は、折れぬ曲がらぬ無毀(ムキ)の剣。決して刃毀れなどしない――したとしても、その逆境すら飲み込んで彼はきっと“超えて行く”。
ストライカー。立ち向かう者。それがスバル達に求められた資質である。
では、シン・アスカはそれなのか?
否。断じて否。
シン・アスカは立ち向かう者に非ず。
彼は足掻く者だ。
ドブ泥に塗れようと、絶望に落とし込まれようと、何もかも失ったとしても。
彼はそれでも足掻き続ける。
ありとあらゆる全てを利用し、僅かな可能性に縋り付き、何度失敗しても、諦めないと駄々を繰り返して足掻き抜く。
故に彼は“ストラッグラー(足掻く者)”。生き汚さだけに特化した生粋の戦士である。
男と女のぶつかり合い。
その横で、二人の女の胸中にも複雑なモノが蠢きだしていた。
◇
「……なんて――凄いんだろう。」
疼き始めていた。彼女の心の奥底で、これまで一度も動かなかった気持ちが。
フェイト・T・ハラオウンはいつの間にか、手に汗を握りながら、観戦している自分と――そして、いつの間にか“彼”を応援していた 自分に気付いた。
それは何故か。
立場上は中立である。そして、試合が始まるまではどちらが勝つかなどあまり興味があることではなかった。
――彼女はシンを知らなかったから。
なのに、今は心情的にはシンに勝って欲しいとも思う。
それは先ほどのギンガの発言が気になったから?
違う。フェイト・T・ハラオウンはそんな狭量な人間ではない。彼女は純粋無垢が故の強さを“生まれ持った”閃光。
作られた人間であるが故に、誰よりも人間の善性を信じ抜く人間である。
――それはシン・アスカとはまるで真逆。彼は人間を信じてなどいない。
信じていないからこそ、守ることに命を懸けたいのだ。信じるべきは人間の善性ではなく悪性だと考えているから。
だから、彼女は彼を応援しているのかもしれない。
自分には無いものを持った彼を――自分は今、好ましく思い始めている。
話したことなど僅かに数時間。だから彼女は彼を知らなかった。彼の内なる苛烈さを。
だが、今、彼女は“見た”そして“知った”。朧気ながらも――知ってしまった。
胸が疼く。心臓の鼓動が大きくなる。
――20年と言う人生の中で一度も感じたことの無い鮮烈な気持ち。
その胸に疼く思いは如何なるモノか。
その頬を熱くする想いはどこから来たのか。
そして、この胸の鼓動は何を意味するのか。
彼女には分からない。経験したことなど一度も無いが故に決して理解など出来ない。
金色の乙女の――その胸の奥で、今、一つの心が疼き始めていた。
それはカタチなど持たない、曖昧なモノでしかないけれど。
◇
八神はやての胸は、痛んでいた。
目前で繰り広げられているシン・アスカとギンガ・ナカジマ。両者の迷い無き剣と拳のぶつかり合い。
それを見て、思ったのだ。
――自分は薄汚れてしまった、と。
別にその汚れは決して誇れないものではない。むしろ誇って然るべきものだ。
世界を救うと言う大望。その為に利用できるものは何であろうと利用する。それは間違いではない。
だが、と思うのだ。
自分が利用しようとしているあの男――シン・アスカ。
その戦いぶりは苛烈である。奇襲を行うなど模擬戦という舞台には相応しくないほどに勝利――いや、彼の場合は“守る”ことか――に拘る姿勢。そして自分自身の身などまるで省みない戦い方。
それは、戦闘力ならば6課でも下から数えた方が速いと自認する彼女にとっても“輝いて”見えたから。
自分自身を省みない戦い方と奇襲は届かないモノに届く為の試行錯誤の表れ。
そうまでして、彼は守ることに拘り続けている――今も、まだ。
その姿は自分を苛んでいく。
決して自分を省みないその生き様。
誰かの為にと身体を張って戦うその苦しみ。
それがあまりにも自分とは食い違っていたために。
「……・っ」
胃が痛む。罪悪感が再びせり上がってきている。
だが、それを鉄の精神力で押さえ込むと八神はやては決然と戦いを“見た”。
(……地獄の果てまで、付き合ってもらうで。シン・アスカ。)
――鋼鉄の乙女は、再び鎧を身に纏う。自身の意思を隠し、“強くなる為に”。
◇
剣と拳が離れる。
竜巻の如き闘争は互角のままに終了し、二人は一度その場を離れた。
両者の目に灯るは決意の輝き。
それを見て、シグナムが呟く。
「……これが最後だろうな。」
「ああ。」
ヴィータが返答を返す。
二人の意見は同じもの。疲労困憊のギンガと満身創痍のシン・アスカ。
両者の肉体は既に限界に近づいている――シン・アスカは既に限界を超えていると言っても良いのだが。
先ほどまではギンガが圧倒していた。だが、何があったのか、シン・アスカの力は戦っている内に成長していった。
その速度は凄まじく、数多の戦いを超えてきたヴォルケンリッターである二人ですら見たことが無いほどだった。
――だが、それでも未だギンガ・ナカジマが有利なのは動かない。
ギンガには防御や攻撃をそれごと破壊し撃ち貫く一撃――リボルビングステークが存在するが故に。互角では適わない。届かない。
それが、シグナムとヴィータ、二人の見解だった。
だが、二人はある種の期待を覚えるのを抑えられなかった。
先ほど増加した、一人分の魔力量。そしてその後の爆発的な成長。幾重にも絡んだ要因と、その要因を全て抜き去った部分で二人は思った。
赤い瞳の異邦人“シン・アスカ”。そんな簡単にこの男は終わらない。終わらせない、と。
◇
ブリッツキャリバーに向かってギンガが呟く。
「ブリッツキャリバー、リボルビングステークはあと何回撃てる?」
『One bullet(あと一発です。)』
「――十分ね。」
確認を終えるとギンガは構えを取った。
対するシンも同じくデスティニーに呟く。
「……勝つぞ、デスティニー。」
『Exactly(当然です。)』
味も素っ気も無い回答にシンは苦笑を浮かべる。
シンはデスティニーに意思が宿ったことに対して不思議と違和感を感じていなかった。
そして、そのデバイスによって身体機能を書き換えられたと言うことを理解していながらも、それに対して恐怖も無かった。
不思議な話し、デスティニーは自分にとって害となることを“決してやらない”。そんな確信を持っていたから。
それは――デスティニーに何か懐かしいモノを感じ取ってしまったからなのかもしれない。
ギンガが構えたことを見て取ると、シンもフラッシュエッジを収めてデスティニーを振りかぶる。
脳裏に浮かべるのはこの交錯で勝負を決める為の考え。
どの道、これで終わる。
自分に、もはや余力は無い。
故にこの一撃が最後。間違いなくこれが最後の交錯。
最後である以上、現時点で自分が出来る全身全霊を込めて、彼女を超える。
そして、その意見はギンガも同様だった。
言葉はもはや不要。
――ギンガが駆け出す。ブリッツキャリバーが唸りを上げる。
――シンが撃ち放つ。ケルベロスから朱い光が放たれた。
ギンガは放たれた朱い光に対して突進した。速度を止めることなく、着弾の瞬間にそれを避け懐に入り込むつもりなのだろう。
シンはギンガの動きを確認するとデスティニーに二本収納されているフラッシュエッジの内、一本に手を掛け、抜き放ち、弧を描くように投擲した――投擲の瞬間をケルベロスから放たれた光に紛れ込むようにタイミングを計って。
放たれたフラッシュエッジは大きく弧を描くように飛んでいく。その軌道はシンが設定したモノだ。彼女の視界の端を“舐めるように”飛んでいけ、と。
そして、ケルベロスを彼女が避け、そして加速する。ギンガは大きく腕を振りかぶり、リボルビングステークの準備をする。
無論、ブリッツキャリバーは全く足を止めない。突進し、その勢いそのままにこちらに撃ちこむつもりなのだろう。
「リボルビング――!!!!」
「させるかぁああ!!」
シンは全速力でギンガがリボルビンステークを完成させる“前に”彼女に向かって突進していった。
リボルビングステークとは魔法の天敵である。
完成してしまえば、その前では如何なる魔法であっても無意味となって拡散する――だが、それは完成した場合の話だ。
魔力を収束し、回転することでリボルビングステークは天敵足りうる。
その前段階であるならば、決して魔力を拡散させることは出来ない。
故にリボルビングステークの弱点とは突進。
こちらから距離を近づけ、鍔迫り合いに持ち込むことが出来ればリボルビングステークは、“破れない”までも“止める”ことは出来る。
「くっ……!!」
「うおおおお!!」
ギシギシと軋みを挙げる二人のデバイス。
「はああああっ!!」
押し合いに勝利したのはギンガだった。裂帛の気合と共にシンが後方に吹き飛ばされる。
そして距離が開き、ギンガは再度、リボルビングステークを打ち放つ準備をする。
――ここだ。
振りかぶったその隙を逃すことなく、シンは残されたもう一本のフラッシュエッジを抜き放ち、アロンダイトをギンガに向かって、“投擲”した。
「――“飛べ”……!!」
投擲されたアロンダイト――つまりデスティニーは飛行の魔法を付与され、投擲ではありえないほどの速度に加速する。
そして、同時に先ほど投げたフラッシュエッジがギンガに向けて飛来する。
右斜め上空から飛来するフラッシュエッジと真正面から飛来するアロンダイトによる二点同時攻撃。
だが、そんな程度の奇襲で破れるほどギンガ・ナカジマは甘くない。
「そんな、奇襲で……!!」
リボルビングステークを解除し、ギンガは目前のアロンダイトに狙いを変更。生半可な捌きなどではこれは捌けない。故に、打撃を以って迎撃するのみ。
「ナックル……バンカー!!」
左足の踏み込み。そしてその踏み込みの力に下半身を連動させ、左拳を突き上げ――鈍い金属音を放ち、アロンダイトが弾き返された。残った右拳に展開したトライシールドで上空から飛来するフラッシュエッジを弾き返した。
――そして一瞬で二点を同時に撃破したギンガはそこで今度こそ驚愕する。
アロンダイトと同じ軌道でフラッシュエッジが既に迫ってきていたからだ。
シンはアロンダイトを投擲した瞬間、あらかじめ抜いておいたもう一本のフラッシュエッジをその背後に連なり、アロンダイトの影に隠れるようにして“投擲”したのだ。ギンガの眼にはフラッシュエッジが突然現われたように見えたことだろう。完全なる奇襲。
だが、
「まだ、終わりじゃ――ない……!!」
両手は既に使用済み。手は無い。だが、両手は使えなくとも足がある。
こんなもので終わらない。ギンガ・ナカジマは未だ終わりを認めない。
「はあぁっ!」
右足を力任せに振り抜いた。その一撃はフラッシュエッジを弾き、今度こそギンガ・ナカジマの回避は成功する――。
そして、その後方、ギンガがフラッシュエッジに意識を集中し、弾き返したその後ろからシン・アスカが突進していた。
「シ、ン。」
腰溜めに構えたシンの右手が赤熱している。
その姿は紛うことなくある魔法を意味する。その魔法の名はパルマフィオキーナ。
「――っ!」
ギンガはそれを見て咄嗟に振り上げた右足を振り下ろし、シンに向かってカカトを落とした。
――そして、シン・アスカが加速する。
迫る一撃を完全に無視して前に進む。あえて左肩で受け止めた。
今、この一瞬を逃すことに比べれば左腕など安いものだ。そう、思って。
「ぐ、ぎぃ」
カカトが当たった肩に痛みが走りぬけた。ヒビ、もしくは骨折くらいはしたのかもしれない。
――恐らく左腕は死んだ。もう、アロンダイトを持つことは出来ないだろう。
だが、構わない。それでいい。それは全て承知の上。
何故なら、今、この瞬間、必要となるのは右手の掌のみ。その為にここまで全てを“放り出した”のだから――!!!
「パルマ――」
残った全魔力を炎熱変換し、右手に注ぎ込む。赤く光るも炎は出ない。収束した魔力は赤色の魔力光を放ちながらシンの右掌の中心で光輝く。
シンの右手が無防備なギンガの右胸に触れる。ギンガは咄嗟にその右手を叩き落とそうとするが間に合わない。
「――フィオキーナ!!」
瞬間、魔力光の間欠泉が吹き上げようとする――が、ギンガに右手を叩き落された結果、制御を狂わされ、収束した朱い魔力光は、吹き上げることなく、“爆発”した。
「――」
「――」
――閃光が爆ぜた。
空気が振動し、爆煙が立ち昇り、決戦場を覆い隠す。
誰も動けなかった。
動こうとしなかった。
誰もが見入っていたから。
そして――煙が晴れていく。
「……シン、君」
金色の乙女が呟いた。
「アスカ、さん」
鋼鉄の乙女が呟いた。
赤い瞳の異邦人――シン・アスカがそこに立っていた。膝を抱え、倒れそうになる寸前になりながら。
――観客席からは分からないが、シン自身立ち上がれたことに驚きを隠せなかった。
歯を食いしばり、笑う膝を両手で押さえ込み、そして全身全霊の力で立ち上がった。
そして、前を見る。ギンガ・ナカジマの吹き飛んだ方向の煙は未だ晴れていない。
「……」
胸の鼓動が収まらない。
今、彼の心には二つの怖さがあった。
一つは最初から今まであった恐怖。
即ち――負けてしまうことへの恐怖。敗北し、終わってしまうことが怖い。彼女が立ってきたならば余力など欠片も無い自分は終わってしまう。その確信があったからだ。
もう一つ。それは今、初めて生まれた気持ち。今まで気付くことのなかった気持ち。
もし――眼を覚まさなかったら?
非殺傷設定は継続している。だが、非殺傷設定とは万能ではない。所詮は人間の作り出した技術。神ならぬ人間が作り出した技術である以上は万能でなどあるはずも無い。
それが、怖い。ギンガ・ナカジマが眼を覚まさない――彼女が、いなくなることが怖いのだ。
その気持ちが何なのか。シンは考えたくは無かった――否、考えられなかった。
“その気持ち”を持った時、自分はその気持ちを抱いた相手をいつもいつもロクな目にあわせていないから――だから、その気持ちについて、何も考えたくはなかった。
けれど、そんなシンの理性を無視して恐怖はシン・アスカの鼓動を早まらせ――そして、煙が晴れた。
シンはその方向を凝視する。
そこには――座り込んだままのギンガ・ナカジマがいた。
その表情はシンが思い描いたどんな予想とも違う晴れやかな笑顔で。
「――貴方の勝ちです、シン。」
その笑顔にシン・アスカはしばし、見惚れていた。
そして、すとん、と腰を落とし、床に寝そべった。
「……やった。」
シン・アスカは、ギンガ・ナカジマに勝利した。
叫びを上げることも、勝ち名乗りを上げることも無い。
全身全霊を尽くしたが故に、そんな力はどこにも無かった。
ただ、一つ、彼の右拳。それだけがしっかりと握り締められていた。
◇
しばらくして、八神はやてがシン・アスカの場所に降り立った。
座り込み、休んでいるシンに向かって右手を伸ばす。
「おめでとう……アスカさん……いや、これからはシン・アスカって呼ばせてもらうな。」
「八神、さん……・そうですね、そうしてください。」
そうして、立ち上がると、身体がふらついた。
そこを横から新たな手がシンの身体を優しく抱きとめるように差し伸ばされ――彼に肩を貸すようなカタチになる。
新たな手の主。それは金色の髪をした女性――フェイト・T・ハラオウン。
「おめでとう、シン・アスカ君。そして……これからよろしくね。機動6課はキミを歓迎するよ。」
何故か頬を染めながら、彼に向かって自己紹介をしつつ肩を貸すフェイト。
その笑顔は柔和であり金色の月の如き輝き。男ならば真っ先に頬を染めるであろう、その笑顔。
だが、シン・アスカはその顔を見て必死に考えていた。
曰く、「正直、どこで会ったか分からない。」
恐らく、ここまで親身にしてくれる以上はどこかで会っているのだろう。
「アンタは……」
「私はフェイト・T・ハラオウン。覚えてないかな?」
その名前でシンの記憶が繋がる。
「ああ……病院で会った金髪の人か。」
味も素っ気もない――それどころか、水っぽさすら無いその回答。
フェイトは苦笑しながら肩を貸して、彼の歩く手助けをする。
八神はやてはその後方で、親友のそれまでに無いような行動に呆気に取られながら――無茶苦茶、邪悪な微笑みを浮かべた。
唇を吊り上げ、瞳をにやけさせ、擬音で伝えるならばまさに「ニヤリ」。
「何があったかは知らんが……これはまた面白いことになりそうやな。」
呟くはやて。
そして、フェイトに置いていかれたエリオとキャロは呆然としていた。
「……フェ、フェイトさん、いきなりソニックムーブ使っちゃったね。」
「ど、どうなってるんでしょうか、エリオ君。」
純真無垢な子供は知らなくても良い事柄だ。
特にこの二人は既に“出来ちゃってる”ようなものであるが故に、その内知るに違いない。
そうして、シンはフェイトの手を借りて歩き、彼女の前まで歩いてきていた。
彼女、ギンガ・ナカジマの前に。
「……」
先ほどとは打って変わって申し訳なさそうにするギンガ。
そして、シンは手を伸ばす。
言葉を添えて。
「……なんて言っていいのか……分からないんだけど、俺は、アンタと戦えて、良かった、と思う。」
たどたどしい言葉。恐らく本人も何を言っているのか分かっていないに違いない。
「シン?」
「アンタが――ギンガさんがいたから、俺はここまで来れた。だから――えーと、あの」
何が恥ずかしいのか、シンは一瞬、口ごもり、
「これからも、よろしく……お願いします。」
その声はか細く、小さな声で。
先ほどまでとは打って変わったその姿にギンガは小さく苦笑し……彼の右手を取って、呟いた。
「……こちらこそ、これからもよろしくお願いしますね、シン。」
そして、彼女はシンの手を“思いっきり”引っ張った。
シンの肉体は満身創痍。誰かに支えてもらわなければ、歩けないほどに。
そこを思いっきり体重をかけて引っ張ればどうなるか。
「ギンガさん、ちょ、どい……ん――!!?」
「え、ちょ、ん、ん――!!??」
重なるようにして二人は倒れた――正に流れるように、狙ってこれが出来るかどうかというほどの流麗な動きで“シンの唇はギンガの唇に押し付けられた”状態で。
そしてこれで終わりではなかった。
あろうことかギンガのバリアジャケットの胸の部分にシンの右手が触れ、ギンガのバリアジャケットが舞い散っているではないか。
――そう、パルマフィオキーナが直撃した部分がボロボロに破れ散っていた。
どうしてか。簡単だ。
パルマフィオキーナは炎熱変換した魔力の収束発射。
先ほどはギンガの妨害によって集束爆散になってしまったとは言え、その直撃を受けた代償としてバリアジャケットは焦げてボロボロになっていたのだ。
シンの右手が偶然そこに押し付けられて、“破れる”くらいには。
そのままシンの右手は桜色の突起が輝くギンガの胸に吸い込まれるようにして、接触。
「―――」
水を打ったように辺りが静まり返った。
現状を整理しよう。
シンの右手はギンガの胸を押さえつけるように――しかも外気に晒された素肌の上を触っている。
シンとギンガの顔は瞳と瞳が触れ合うほどに近づき、唇と唇が触れ合っている。
ああ、そうだ。シン・アスカは何と、ギンガ・ナカジマの「おっぱい」を触っているのだ。
見ようによっては揉んでいると言っても良い――否、既に揉んでいた。
こう、むにゅっと。
そしてその状態でシンとギンガは唇を触れ合わせ、キスしている。
一瞬、固まる二人。そして硬直するその場にいた全員。
シンは現状を理解できていないのか、呆然としたまま唇を触れ合わせている。
フェイトはあまりの状況の変化に思考が追いついていないのだろう。呆然としっかりと見つめていた。
はやては抑えきれないのか、口元を押さえて笑いを堪えている。
そして、当のギンガは――何というかこう、“うっとり”していた。
どれほどの時間だったのか、本人同士にしてみれば、数分にも数秒にも数時間にも感じられるほどに長い時間のようにも感じられていた。
シンがギンガからばっと離れた。顔は赤く、冷や汗が流れ落ち、表情は狼狽しきっている。
直ぐに自分の上着を脱ぐと呆然としているギンガの胸を隠すように被せ、頭を下げる。
「す、す、す、すいません!!!俺、ホントわざとじゃ、いや、ゴメンナサイ!!!すいません!!」
平身低頭。地面に頭をこすり付けんばかりに土下座を繰り返すシン。
何せ年頃の娘の唇を奪い取った挙句に、胸を触って揉んで――しかもその胸は素肌の上……いわゆる生乳だ。殆ど犯罪者である。
捕まるとかどうとかではなく、シン・アスカはひたすらに罪悪感で頭を下げ続けた。
――その狼狽は彼女の心を理解していないが為の狼狽なのだが。
彼女は床に座り込んだまま――シンにかけてもらった服と謝り続ける彼を見つめながら、呆然としていた。
胸/揉まれた=シンに触られた/赤い瞳が綺麗/でも駄目私たちまだそんな/でも私シンなら……/あれ、これファーストキスだよね、ワタシ/初めてがシン/初体験/ピンク/やばい無茶苦茶嬉しい/皆に見られた
情報が錯綜し、次元跳躍し、思考が天も次元も突破して――ギンガの思考はパンクする。
「……ぐすっ」
泣き出した。じわっと涙が広がる。
それは喜んでいるのか、悲しんでいるのか、まるで定かではない泣き笑い。
彼女はあの時を思い出したのだ。
彼と決別した二週間前の“あの日”。あの日の始まりもこうだった。
――やっと、戻ってこれた。
そう、その涙は喜びの涙。ただただ、シン・アスカと――想い人とまた元に戻れた、その喜びの。
「ああ、ちょっ、泣かないでください!ギンガさん!!」
「うっ、うっ、うう、うわああああああああん!!!!」
抑えきらなくなったのか、ギンガは今度こそ大声を上げて子供のように泣き始める。
対するシンはオロオロとして、どうすればいいのか分からないと言った有様だ。
「ほ、本当にごめんなさ、へぶらっ!?」
突然、横合いから入った一撃で吹き飛ばされるシン。
「ギン姉を、ギン姉を泣かせたなああああ!!!!」
金色の瞳。白いバリアジャケット。右手にはリボルバーナックル。
そこには鋼の鬼神――スバル・ナカジマがいた。
「痛って……い、いや、アンタ、誰ってうおおおおおお!!!?」
訳も分からぬ一撃に驚き、食って掛かろうとして――先ほどまで嫌というほど味わったリボルバーナックルが目に入った。
「問答無用――!!」
繰り返すが、シン・アスカの肉体は限界を超えている。だが、その限界を超えて本能が叫んでいる。
危険だと。彼女の目は本気だ。本気の目だ。
(逃げろ)
シン・アスカは一目散に逃げ出した。
――でも、多分無理だよな。
そう、確信じみた思いを持ちながらも。
◇
姉に狼藉を働いた――あの瞬間のギンガの顔を見れば狼藉なのかどうかは微妙なラインではあるが――シン・アスカを追い掛け回すスバルを尻目に、ティアナ・ランスターはとりあえず、ギンガのフォローに回ることにした。
――そして、そのことを彼女は直ぐさま後悔することになるのだが。
「ギンガさん、大丈夫ですか?」
「や、やっぱり、子供は二人くらいよね?」
赤面して、ぼうっとして、夢うつつのような表情で、“何の脈絡もなく”突然彼女の口から飛び出した言葉にティアナは、思わず鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてしまう。
「……は?」
訳が分からない。何がどうなって、子供という単語が出てきたのか。
だが、猪突猛進究極無比の乙女はそんなティアナの困惑など知ったことかとばかりに話を続ける。
「……は、初めてはやっぱり結婚式の初夜で……いや、でもいきり立つリビドーを抑えられない二人は……」
頬に手を当て、いやんいやんと言わんばかりに身体をゆらすギンガ。
正直、ぶっ壊れてました。
(怖っ! ギンガさん、怖っ!!)
メーデーメーデー。ワーニンワーニン。
ギンガさん、乙女回路発動中です。当社比150%増しで乙女中。もはや止められません。
「う、うふふふふふ」
うふふふ、と恐らく傍から見てる分には綺麗な笑顔をしながら――思わず身体を引いて、硬直するティアナ。
正直、怖すぎた。
「ギ、ギンガさん!?ギンガさん!?しょ、正気に戻ってください!!」
「……はっ!?」
身体を揺らされながら必死に叫んだその一言でギンガはようやく正気に舞い戻る。
「わ、私、今、何を……」
「だ、大丈夫ですから。と、とにかく気を落ち着かせて……あの人も今頃スバルが……ってスバルゥゥゥゥ!!??」
二人がそちらに眼をやると、壁際にシンを追い詰め、右手を腰溜めに構え、左手を突き出したスバル・ナカジマの姿があった。
その構え。それはスバルの代名詞にしてパルマフィオキーナと似て非なる“近接砲撃魔法”。
「だから!アンタは誰なんだ!」
「一撃!!!必倒――!」
切なるシンの叫び。だが、そんなことはもはやどうでもいいと言わんばかりに、青く輝く光が大きく膨れ上がる。
「ディバイィィィン!バスタアアアアアアァァァ!」
「人の話を聞けええええ!」
そして――放たれた閃光はシン・アスカの意識を今度こそ刈り取った。
最後に思ったことは一つだけ。
(ああ、もう、どうにでもしてくれ。)
まな板の上の鯉――それはそんなヤケッパチな思いだった。
◇
「これで、君は合格や――って聞いてないな、これ。」
八神はやてがその光景を見ながら、予め用意してあった合格通知書を再び鞄に仕舞いこむ。
「……はやて、シン君はいつから機動6課に来るの?」
「まあ、ボロボロになった身体を治してからやから……一月後くらいかな?」
「一ヵ月後、か。」
「……ま、そんなに気に病まんでもええよ。悪いようにするつもりはないし。」
「はやて?」
「……ちゃんと見ててな、フェイトちゃん。あいつはフェイトちゃんの下につけるつもりやから。」
「シン君を……?」
八神はやてはフェイトの言葉に答えることなく、シンをただ見つめ続ける。
その視線は厳しい――少なくとも、彼女達に向ける視線とは一線を画す厳しさを秘めている。
「はや……」
フェイトが口を開いた。はやての視線があまりにも厳しくて――どこか寂しさを漂わせていたから。
けれど、言葉は届く事無く後方から上がった声にかき消された。
「フェ、フェイトさん、エリオ君が!?」
「へ?」
「エリオがどうしたの、キャロ?」
予想もしなかった人間の名前。
キャロの声には切迫した調子が込められており――フェイトとはやては直ぐに現場に直行――そして、呆れてしまった。
そこには鼻血を垂らしながら、地面に寝そべるエリオがいた。
「エリオ君!エリオ君!?」
そんなエリオを必死に揺さぶるキャロ。
だが、悲しいかな。その揺さぶりは彼にとって余計に鼻血の噴出を促すだけの結果に終わり――それでもキャロに鼻血が飛ばないように両手で必死に抑えるあたり、エリオ・モンディアルは紳士なのだろう。
一言、呟き地に伏した。
「……ピ、ピンク……きゅう」
「エリオ君――!!」
二人が繰り広げるその惨劇。
フェイトとはやては溜息をついて呟いた。
「……刺激が強すぎたんか?」
「エリオにはまだ早いって言うか早すぎたんだよ。」
それは正に道理であった。