「口蹄疫は問う」

口蹄疫は問う

2010年5月18日(火)

口蹄疫、「生き地獄」の現場から

好転の兆し見えない宮崎県川南町から町職員が報告

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■4月21日(水)

 午前8時30分、役場応接室において緊急の「課長会議(役場組織内の代表者会議)」が召集された。

 私は、早朝から宮崎市に出張していた上司(課長)の代わりとしてこの会議に出席した。会議の内容は、「口蹄疫」に感染した牛が、川南町でも発見されたので、ついては、その後の処置対策に役場全体で取り組んでいく、というものだった。

 対策は、各課から男性職員を中心にした班体制を編成し、農場付近を中心に消毒ポイントを設け、立ち入りを規制する監視業務を24時間体制で実施するものだった。これによって、蔓延防止に取り組むという趣旨だった。

立ち入り規制、監視という初仕事

 見渡すと、召集された各課長の表情が一斉に厳しくなっていった。「何としても蔓延防止に全力で努めなければならない」、との決意がそれぞれの表情にも現れていた。

 その一方で、「大丈夫、大丈夫。冷静に、確実に、適切に対処していけさえすれば、絶対に蔓延することなんかないって」と互いに声をかけあいながら励ます姿もあった。その言葉を自分に言い聞かせているようにも感じた。

 この会議が終了すると私はすぐさま職場(町民課)に戻り、会議で発表された内容の報告とともに、当日の午後2時から24時間体制で急遽対応しなければなくなった「家畜防疫業務の割振り」などを整え、通常業務は残ってもらう職場のスタッフにお願いし、あわただしく現場に向かったのであった。

 私の職場である「町民課」に与えられた仕事は、当該農場並びにその付近への立ち入りを規制する監視業務である。監視時間は、午後2時から午後10時まで。この時期には珍しく、夕方から冷たい雨が降りしきっていた。口蹄疫対策は、寒さに耐えながらのスタートになった。

 この時は、まだ被害の急拡大など予想する人は誰もいなかったと思う。やがて、日付が変わる度に「口蹄疫発生農場」が次々と発表され、殺処分する牛や豚の埋設作業などが当初の計画(県から派遣された人員数など)では追いつかない状態となった。そして、役場職員までもがそこに出向かなければならない状態となった。

「畜産のため、川南町のためじゃかいね」

■4月23日(金)

 この日は、午前6時から午後2時までの8時間、人や車両の通行を制限する監視業務にあたった。

 発生から3日目を迎え、近隣の方々は不便な状況に少し慣れた様子だった。とはいえ、予告も無く突然実施された通行規制などの措置に、戸惑いや不満もあったことだろう。そんな不満をおくびにも出さず、「畜産のため、川南町のためじゃかいね(だからね)、遠回りになるけど協力せにゃいかんもんね(しないといけないもんね)」と、見ず知らずの私に対して、優しい言葉で語りかけてくださった。地域の方々に、深く感謝をせずにはいられなかった。地域の絆を感じた業務であった。



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このコラムについて

口蹄疫は問う

 口蹄疫――。牛や豚、羊、ヤギなど蹄のある動物に感染する、ウイルス性の病気である。非常に伝染力が強く、蔓延を防止するためには、発生した農場で飼育された家畜はすべて殺処分するよう、法律では定められている。
 2010年4月、家畜農家を震撼させるこの伝染病への感染が宮崎県で確認された。現場では一体、何が起きているのか。そして、今回の災禍は何を我々に問いかけているのか。

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