きょうのコラム「時鐘」 2010年5月18日

 金沢の市民グループが河北潟に自生するアシをすだれに活用する記事があった。見出しに「厄介者」とある

アシを放置すれば環境悪化の元になるからだが、アシは水質改善にもなるヨシと同じものだという。元々アシ(芦・葦)と呼んだが「悪し」の響きが嫌われて、平安時代末期に「善し」のヨシ(葦・葭)の名が登場した

以上は元金大教授で琵琶湖畔にヨシ研究所を作った西川嘉廣さんの解説(北國文華・01年秋号)である。もっとも、現在の葭生産はアシとヨシは区別されて、ヨシに混じって生えるオギと言う植物をアシというからややこしい

アシからヨシへの変化は教訓に満ちている。中身が変わらないのに、呼び方が変わるだけで善と悪が入れ替わったように思われるからだ。身近にも10カ月前に「ヨシ」と思われた政権が坂をころげ落ちるように「アシ」になった例がある

評価が変わっても自分は何も変わっていないと言いたいのだろう。揺れは民主政治の本質とまで言う。強風に揺らぎはしても折れそうもなく、何を考えているかも分からない「アシ」が、豊葦原(とよあしはら)の国に生い茂るばかりである。