GREEキャリア > 横浜市東山田中学校校長(元・楽天取締役副社長)本城 愼之介氏(前編)
「何がしたいか」よりも「誰とどんな仕事をするか」
- 田中:
僕が本城さんを面白いと思うのは、プロセスそのものを愛していかないと続かないことを分かっていることと、やっていることに愛情を持てるからこその悩みが同時に存在しているところです。達成すればそれで終わりということでは全くないんですね。
話は戻りますが、今でこそ三木谷さんは楽天の社長を務めていますが、興銀から独立した当初はでかいことをしたいとか世の中を変えたいと思ってはいても、何をやるかを具体的に決めて始めたわけではなかったんですね。
でも、今の楽天ユーザーのほとんどが、「楽天市場は綿密な計画により立ち上がったものだ」と考えていると思いますよ。実際のところどうだったんですか?
- 本城:
綿密な計画があったとは言えないでしょうね(笑)。もしかしたらこの組み合わせ……例えば、三木谷さんと僕がタッグを組んだからこそ生まれてきたことかも知れない。もし三木谷さんが別の人と組んだら、別の業種や形態を選んで、もっともっと成長した会社を作ったかも知れないですね。
- 田中:
他の人達が会社を辞めていっちゃって、三木谷さんと本城さんの2人きりになったときに、「みんないなくなっちゃったけどどうしよう」という話に普通なりますよね。
当時、本城さんとしては三木谷さんとこのまま会社を継続してもいいと思いつつも、「このまま一生続くのかも」という重い気持ちになったり「これからどうしようか?」と二人で話し合ったりしたんですか?
- 本城:
あんまり話し合った記憶が無いなぁ(笑)。僕は僕で、パソコン教室のようなものをやっていたけれど、三木谷さんとこれからについて深刻に話し合ったことはないように思います。むしろ、「こういう面白そうな事業やろうよ」って次の事業のことを話し合ったりしていました。
- 田中:
現在の楽天ユーザーの大半は、初めてインターネットを使った時から既に「楽天は当たり前のように存在していた」世代だと思います。でもよく考えてみれば、実際には楽天をゼロから作り上げるプロセスがあったわけじゃないですか。楽天というショッピングモールを立ち上げることに決まった経緯を聞かせて下さい。
まずは当然、新規事業の業態をいろいろ検討したんですよね。ショッピングモールの他には何が候補に挙がっていたんですか?
- 本城:
候補は3つありました。地ビールレストランのフランチャイズ展開、天然酵母パン屋さんのフランチャイズ展開、インターネット上のショッピングモールの3つです。どれもこれも米国から話があったり、参考モデルがあったりしたもので。それらをホワイトボードに3つ書いて三木谷さんと話し合った記憶があります。
興味をそそるものはいくつもあったけれど、それを3つまで絞り込みました。結局、その中で初期投資に一番お金がかからなくて、成長性が高いのがショッピングモールだという話にまとまったんです。
- 田中:
普通、会社を作るときにはビジョンとか事業内容とかが明確に決まっているはずじゃないですか。一般的な感覚でいくと、「会社はあるけど何をしていいかわからない。だからこれから考えよう」ってあり得ませんよね(笑)。
- 本城:
僕はいろいろやってみて、最後にやることが決まったという形でもいいと思ったんですよね。自分も特に不思議にも思わず、「会社っていろいろやることが変わるものなんだな」とのんきに受け入れていました。だって、あの頃は大学院の学生だったから、まだどこの会社でも働いたことなかったし(笑)。
- 田中:
なるほど、確かに(笑)。それは知らない者の強みですね。
- 本城:
でも、逆にいろいろなことが体験できて面白いと感じていましたよ。そもそも「会社に入った」のではなく、三木谷さんと一緒に仕事をしに行ったわけだから。
その点が大切だと思っていたので、何をやるかよりも、「誰と仕事をするか」「どんなふうに仕事をするか」の方が僕にとっては重要。でもハッキリ言って、仕事の内容は楽しければ何でもよかったんです。でも、誰とでもよかったわけじゃない。
- 田中:
なるほどね。いいパートナーに巡り会えるかどうかが重要なんですね。じゃあ本城さんは三木谷さんと出会えて、すごく仕事が面白かったんでしょうね。
- 本城:
そうですね。だから「この人と仕事がしたい」と思われる存在に、自分もならなければと思います。例えば「30歳までに何かやり遂げる」といった目標値を定めてね。
僕は、三木谷さんが30歳のときに独立しているのもあって、「30歳」をとても意識していましたし、実際その年に教育という新しいテーマに挑戦しようと楽天を離れました。まぁ、30歳になって、当時の僕にとっての三木谷さんのような存在になれたかどうかは別の話ですが。
「できないこと」なんて存在しない
- 田中:
ショッピングモール事業を始めることに対しての迷いはなかったんですか?
- 本城:
この事業をやると決めてからは迷いませんでした。というか、迷う暇もない感じでした。
例えば、最初はシステムを外注で開発していたんですけど、思うようなものが完成しなかったんです。それで三木谷さんが「他人まかせではダメだから、自分たちで作ろう」と言って、本屋でプログラミングの入門書を買ってきた。
-
僕は素人なのに、三木谷さんからその本を渡されて「お前がやるんだ」と言われて、それからシステム開発の仕事を始めました。ショッピングモール事業にとって一番大事な開発作業をエンジニアでもないただの学生に任せちゃうんだから、やっぱり三木谷さんは普通じゃないですよね(笑)。
- 田中:
それまではプログラミングなんてやったことなかったんですよね。どうやって勉強したんですか?
- 本城:
大学1年生の頃、大学の授業で少しやった程度でした。だから何千人もの人が使うシステムなんてもちろん作ったことは無かったですよ。
それで五日間だけシステム開発の家庭教師をつけてもらって、あとは独学で学びました。その後に入社したスーパープログラマーの増田さんからもいろいろ教えてもらいました。技術解説書を読むというより、実際にソースコードを書きながら覚えましたね。でも、動くところが目に見えるからおもしろかったですよ。成長が感じられるから。
- 田中:
普通、「いまスキルがないからこれができない」と思うじゃないですか。でも、世の中の仕事ってみんな勉強して成し遂げるものばかりなんだから、よっぽどのことでないと「できない」ってことはないと僕は思うんですよね。
そういうことが、みんな理解していない点だと思う。だから本城さんの話のようにある日突然「プログラム書いて」と言われたら、普通は「自分は、プログラマーじゃないからできません」という返答になって終わっちゃうんですよね。
でも僕も、23歳の頃転職して楽天に入社してから初めてプログラミングというものを勉強しました。それから幾つもサービスを開発してきましたが結局なんとかなりました。それから3〜4年後にはたった一人でのこのGREEというサービスも立ち上げましたからね。人間やれば大抵のことは出来ると思うんですよね。
- 本城:
絶対にできる。仮に今から「脳外科の医者になれ」と言われたとしても、自分がなりたいと思えばなれると思いますよ。だって、あとは勉強する時間の問題だから。
つまりは、どれだけ強く「なりたい」と思えるか。プログラムをやれと言われて、プログラムの勉強をしたくないのであればしなくてもいいと思うけれど、勉強したら選択肢は増えますよね。まぁ、「100メートルを10秒で走る」というような、身体能力の向上は無理だけど。
- 田中:
なるほど。ところで、インターネット上のショッピングモールって、楽天の成功もあって今でこそ認知されましたけど、始めた当初は実績があったわけでもないし、営業に行って出店を募っても全否定されていたんじゃないですか。
- 本城:
全否定ならまだいいですよ、一応関心は持ってもらえているわけですから。でも当時ほとんどの人はショッピングモールというものに無関心だったんです。「あっそう、がんばってね」というのが一番辛かったよね(笑)。
-
でも、僕は否定され続けたこと自体はあまり気になりませんでした。今やるべきことはこれ、と明確に決まっているのであれば、どんなことがあってもやり遂げようと思うタイプなんで。
中途半端で終わらせるのではなく、完結させてみる。やった結果が仮に日の目を見なくても、例えば「僕はプログラムが書けるようになった」ということに関しては、それでひとつ成長ができているわけですよね。
そういう意味でいうと、ひとつの「結果」というのは、「プロセス自身」でもいいと思っています。失敗したら次のことをやればいい。その経験というプロセスが、自分自身の成長へつながっていきますよ。
- 田中:
本城さんは成長そのものだけを求めているから、成長していると実感している時期はあまり悩みがなさそうですね。では楽天がスタートしてから、商品が売れずに事業的にはあまり芳しくない状態でも、あまり気に病んではいなかったんでしょうか。
- 本城:
売れなきゃ自分たちで買うとか、手はありますから(笑)。でも、絶対に売れるだろうという自信はありました。インターネットサービスには、これから時代がついてくるし、それを既に提案しているわけでしょう。インターネットを利用したライフスタイル、消費体系、販売体系は絶対にこれから伸びますよって言い続けていました。何より、自分たちがこのビジネスはすごくいいと思っていましたからね。
-
でも不思議なんですけど、よく考えたらそれまでは自分達もインターネットショッピングをしたことがなかったんですよ(笑)。それなのに「良い」と確信して、社会に対する提案をし続けていた……というのは、我ながらすごいなと、今ではそう思います。
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