GREEキャリア > 横浜市東山田中学校校長(元・楽天取締役副社長)本城 愼之介氏(前編)
本城 愼之介(ほんじょう しんのすけ)氏 プロフィール1972年、北海道生まれ。慶應義塾大学政策・メディア研究科在学中に楽天株式会社創業者の三木谷浩史氏と出会い、一からプログラミングを学んでインターネットショッピングモール「楽天市場」を立ち上げる。楽天株式会社取締役副社長として開発管理などを担当後、2002年に新しい学校の設立を目指し株式会社音別を設立。2005年4月より横浜市の公募制度を利用し、全国最年少の公立中学校長として東山田中学校校長に就任する。 |
人生を変えた、楽天創業者三木谷氏との出会い
- 田中:
本城さんは慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(以下、慶應SFC)の大学院生時代に、当時日本興業銀行を辞めて独立していた三木谷さん(現・楽天社長)に出会い、一緒にオンラインショッピングモール『楽天市場』を立ち上げられました。
まさに日本のインターネットビジネスの草分け的存在で、その後は楽天株式会社で取締役副社長にまでなられたわけですが、2005年4月からは横浜市の公募制度を利用して公立中学校の校長先生を務めてらっしゃいます。
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ベンチャー経営者から教育者へという極めてユニークな転進を実現されていますが、今回は本城さんがこれまでに描いてきたキャリア観についてお聞きしたいと思います。
- 本城:
よろしくお願いします。
- 田中:
三木谷さんと出会う以前の本城さんは、元々は普通に就職活動をして日本興業銀行への入社を志望されていたと伺っています。初めて三木谷さんに会いに行ったキッカケも、元・興銀マンだった彼に就職活動の一環でOB訪問するのが目的だったとか。
時代的には、だいたい1995年頃ですよね。バブルが崩壊してしまい、次の道がまだ見えないような時代。ちょっと前にはオウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件や、阪神・淡路大震災があったりして、世の中が暗くなっていた。安定した大企業に入りたいと思うこと自体は普通だと思いますが、その中でなぜ興銀を目指していたのですか?
- 本城:
興銀は今ではみずほ銀行になってしまったけれど、当時の興銀にはある意味、戦後の日本経済を引っ張ってきた特別な企業というイメージがありました。今でいうゴールドマン・サックスやリーマン・ブラザーズなどの投資銀行とも違っていて、本当に日本の発展のために尽くしているような特別な存在でした。そこに魅力を感じていたんです。
脚色はあれども、作家の高杉良さんが書いた『小説 日本興業銀行』の世界ですよ。学生の頃はあの小説を読んで、これぞ男のやるべき仕事だと思っていました(笑)。
- 田中:
当時の日本興業銀行というと、やはり今あるどんな会社にも似ていない特別な印象がありますね。
- 本城:
あの小説の中身だけでいうと、まさに「社会事業家」というのが的確です。もちろん儲けをあげているけれど、やっていることは日本の産業振興なんだということをすごく感じました。興銀マン達は、日本を良くしていきたいという思いが強かったんでしょうね。
僕も、もっと日本が良くなってほしいと考えていたので、興銀で5〜10年修行して、自分で会社をやってみたいという思いが漠然とありました。
- 田中:
興銀に入ろうと思ったときに、実際働いている人の話を何人かに聞いてみようと考えたんですよね。OB訪問をして、三木谷さん以外にも何人かには会われたんですか?
- 本城:
結構会いましたよ。7、8人は会ってるんじゃないかな。慶應のOBだけじゃなくて、例えば一橋や東大、早稲田出身の人にも会っていました。その中で「興銀辞めた人の話も聞いてみたい?」という話になり、三木谷さんとの出会いにつながりました。
当時の三木谷さんが何を考えていたかはよく分からないけれど、何かをやってやろうという想いはあったみたい。ただ、それがまだ明確には定まらなくてとりあえずコンサルティング会社をやっていた時期でした。
- 田中:
その頃の本城さんから、三木谷さんはどう見えていたんですか?
- 本城:
ただ単に、「スゴイ」と思っていました。
- 田中:
それは三木谷さんがやっていたことがスゴイと思っていたのか、それとも「この人にはどう頑張っても勝てなそう」という動物的な勘でそう思っていたのですか?
- 本城:
どちらかというと、動物的な勘としてかなぁ。なんと言うか、雰囲気が普通じゃなかったんですよ。だから、出会った次の日から「アルバイトでも何でも良いからここで働かせてください」と言って、無理やり彼の仕事を手伝いに行ったんですよね。
三木谷さんをスゴイと思った具体的な一言に「銀行や商社といった大企業が日本や社会を変える時代は終わった。これからは、個人や中小企業が既成事実を作っていくことで日本が変わるんだ」というのがありました。その言葉を聞いて僕は、「この人と仕事をしたい」と直感的に思ったんですよね。
結局、当時三木谷さんと一緒に会社をやっていた人はみんな辞めちゃって、残ったのは彼と僕の二人だけでした。そこで普通だったら即戦力になるような、他の人材を探しますよね。まだ大学院生だった僕とたった2人で何かをやろうという発想自体が、ちょっと普通ではなかったと思います(笑)。
- 田中:
普通でないといえば、本城さんの方もなかなか普通じゃないように思いますが(笑)。もし会社で社長とアルバイトの学生の二人だけ取り残された状態になったら、学生側としてもいろんな選択肢を模索しますよね。まだ時期的には間に合うから普通に就職活動を再開しようとか。そういう選択をしなかったのはなぜですか?
- 本城:
「この人と一緒に仕事をする」と決めていたからですよ。実際、三木谷さんと働くのがすごく面白かったし、まさに「成長感」というのをすごく感じていました。
カルチュアコンビニエンスクラブの増田社長を初めとして、三木谷さんの人脈で実業界のいろんな人に出会えましたし。普通の24歳だったら出会えないような人達ばかりでした。それが、直接会って「本城君」と声をかけてもらえるのがすごく嬉しかった。
人と会うことで成長することを実感できたのと、具体的に何かができるようになっていってるという実感がありました。
- 田中:
それでもやはり社会的な通念としては、商社や銀行などへ行った方が大きい仕事ができるという考えに囚われるのではないかと思うのですが……。
- 本城:
あ、もちろん大企業では確かに大規模な仕事ができますよ。でも、大きい仕事が必ずしも楽しい仕事かといえば、そうではない場合もあるんじゃないでしょうか。また、大きい仕事が自分を成長させてくれるかというと、それもイコールではない場合があると思います。
大きい仕事って、みんな自分の手柄にしたいでしょう。だけど、その大きな仕事への一人一人の貢献度を考えるとそう大きくはならない。それが本当にその人の成長につながるかというと疑問です。
- 田中:
そういう意識そのものが、普通の24、5歳の若者は持ち合わせていないと思うんですけどね。普通は、やっぱりお金や地位、名声などにフォーカスしてしまいがちで、成長や仕事の充実感、楽しみというのは二の次になりがちじゃないですか。
- 本城:
確かにそれはあるかもしれません。でも、単純に考えて成長してる状態ってカッコイイですよ。逆に成長してないタイミングというのはガッカリしたり、ヘコむ感じがする。だから当時の僕にとっては、お金や名声よりも「常に成長できる場所にいるかどうか」が重要なポイントでした。
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