こん
感じたことを極力参考文献などを示しながら記していきたいです。
国益を蔑ろにし、敵対国家朝鮮の意向を垂れ流すマスコミ
森首相だった頃に、神の国発言に対して、朝日新聞などが、正義面して激しくバッシングし、退陣に追いやったことを皆さんもまだ記憶されていると思う。
・神の国発言
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神の国発言(かみのくにはつげん)とは、2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会において森喜朗首相(当時)が行った挨拶の中に含まれていた、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知していただく、そのために我々(=神政連関係議員)が頑張って来た」という発言。
これに対し、野党や朝日新聞・毎日新聞などのマスコミからは「国民主権や政教分離に反するものではないか」との批判がなされ、世間の注目するところとなった。これに対し、産経新聞などは「批判は挨拶文の一部だけを意図的に抜き出して曲解した不当なものだ」として首相を擁護した。なお、読売新聞のように発言自体は非難しない立場からも、誤解を招く失言であるとする批判があった。
この発言騒動によって支持率が急落した。
では、その朝日新聞が、ミサイルが飛んできた場合に、「一発だけなら、誤射かもしれない」と考えていることをご存知であろうか?
・1発だけなら誤射かもしれない!?
朝日新聞4/20東京版朝刊第2面
このことを踏まえて、今回の一連のマスコミが垂れ流す報道内容を観察すると、何を誤魔化したいのか分からないが、何やら必死さがヒシヒシと伝わってくる。
先制攻撃論について、毎日新聞は、「ペリー元米国防長官、先制攻撃論を提唱」という見出しで、事実を伝えながら、記事中でチェイニー米副大統領の否定的な意見も紹介するスタイルである。
・北朝鮮:テポドン2号 ペリー元米国防長官、先制攻撃論を提唱
毎日新聞 2006年6月24日 東京朝刊
【ワシントン及川正也】ペリー元米国防長官は22日付の米紙ワシントン・ポストへの寄稿で北朝鮮が長距離弾道ミサイル「テポドン2号」の発射準備をしている問題について、米国が発射前にミサイルを攻撃する「先制攻撃論」を提唱した。これに対してチェイニー米副大統領は同日の米CNNテレビで否定的な考えを示した。
元長官は寄稿の中で「北朝鮮が発射準備を続けるなら、米国は発射前にミサイルを攻撃し、破壊するという意思を明確にすべきだ」と提唱。これに対して副大統領は、外交圧力を通じて対処する方針を強調した。
また副大統領は同テレビでテポドン2号について弾頭部分に推進力がある「3段式」とみられることを明らかにした。
これが、「一発だけなら、誤射かもしれない」と考えている朝日新聞の手にかかると先制攻撃を推奨する声がなかったかのようになる。
・米副大統領ら、北朝鮮への先制攻撃に否定的
朝日新聞 2006年06月23日10時18分
米国のペリー元国防長官らが北朝鮮の弾道ミサイル「テポドン2」に対する先制攻撃を提言したことについて、チェイニー副大統領は22日、CNNテレビの番組で「現時点では問題に正しく対処している」と述べ、提案に否定的な考えを示した。ハドリー大統領補佐官(国家安全保障担当)も「外交が正しい答えだ」と述べるなど、外交的解決を目指す姿勢を強調する声が相次いだ。
副大統領は「ほかの国を攻撃する場合は、一発だけではすまないと心すべきだ」として、攻撃をきっかけに戦闘が拡大する可能性を指摘。訪問先のブダペストで会見したハドリー氏は「解決には、北朝鮮がミサイル実験の凍結を守って(核問題に関する)6者協議に復帰することだ」として、改めて北朝鮮に対応を求めた。
ロドマン国防次官補も同日の下院軍事委員会の公聴会で、先制攻撃に踏み切れば「劇的な事態となる」と指摘。「提案には驚いた」として「現時点での我々の政策はより穏健な方法を追求することだ」と述べた。また、北朝鮮が発射に踏み切った場合には「何らかの対価を支払わせる」とも語り、北朝鮮を牽制(けんせい)した。
これでは、北の将軍様の意見を額面通りに垂れ流す韓国の新聞と違いがない。
・【社説】国家としての良心を失った日本の先制攻撃論 朝鮮日報
結論としては、マスコミの意見が相変わらず信用できない。だが、マスコミの意見も逆に解釈すれば役に立つ。
この法則は、軍事面に限らずホリエモンなどのIT企業ヨイショ、小さな政府(緊縮財政)、規制緩和、公務員削減の推奨、赤字国債の多さの誇張と公共事業の無駄の誇張などの話にも適合する。根拠は、追々述べさせて頂くが、例えば、小さな政府について言えば、米国の鉄道、テレビ、半導体などの各種産業の発展と衰退の過程において、米国政府がどの局面で小さな政府を採用し、そしてどうなったかを調べれば結論が見えてくるのではなかろうか。このような話は、マスコミからは何故かあまり聞かない。
ところで、朝鮮人の名前と同じようにここころ変わるミサイル着弾箇所とミサイル発射数(7発説、10発説)は、いったい何が真実なのだろうか?そして、3番目の赤い空の写真は、爆発したミサイルの影響か・・・?
・北朝鮮ミサイル問題における報道の変化
桜の舞う季節は君を想う
朝鮮人も中国人と同様に、根本的に我々と思考回路が異なるから、最悪の事態を事前に考えておいた方がよいだろう。
・すごいところを見つけた(覚書)
のりあさ
ここ!
http://resistance333.web.fc2.com/patriotism/patriotism_top.htm
「反日勢力撃退用・PDF資料館」
きっちりまとめられていて、PDFなので印刷すると読みやすい。
ベージとページに記事が変なかっこうでまたがるってこともないし。
さらにすごいのが、ゆくゆくは英語、朝鮮語、中国語も用意する予定だということ。
大変な仕事ですよ。
ほんとうなら、国が金だしてやるべきこと。
このファイルを読んでいて、ここに驚いた。
★ ★
「大阪の一隅に生きて七十年―私の総括―」上田等(創生社 2002年11月)73頁
吹田操車場へ乱入デモをし、岸部から国道を吹田に向かっていたとき、デモ隊の後方からウィポン車に乗った茨木警察の一隊がデモ隊を追い越して先頭に出ようとした。
これに対して火炎びんで攻撃を加えた。
警官は車から転げ落ち、田植えをしたばかりの田圃に逃げ込んだ。
火傷した警官が逃げられずに路上に転がっている。
デモ隊はそれを竹槍で突こうとした。隊長だった私はそれを止めた。
日本人は止めた。
朝鮮人は何を言うか、やってしまえと、ピストルも全部奪ってしまった。
日本人は巡査をやっつけろと火炎びんを投げたけど、殺す気はなかったから、無抵抗になった奴を竹槍で突くことはできなかった。
朝鮮人は突いた。
止めたら日本人は言うことを聞いたが、朝鮮人は怒った。
その差がいまだに分からない。民族が違うからか。
私の思想が中途半端なのか。
殺してしまってもよいという所までになっていないことは事実だ。
ビビった。
その差というのが、いまだに分からない。
朝鮮人教育闘争のときにも、南警察署だったか税務署だったかを襲撃した。
あのときも、日本人は勝ったらそれで終わったが、朝鮮人は頭を割るところまでいく。
そのときもビビった。
★ ★
こわい。やっぱり彼らが「日本がやった!!」と糾弾しているようなことは、そういうことをやるのに何の躊躇もない自分たちの精神の反映なのだろうか。
このような加減をしらない朝鮮人が発射するミサイルに対して、一発だけなら誤射かもしれないと考えるマスコミの気が知れない。もう少し、日本国民の視点で物事を考え、報道して頂きたい。
【参考書籍】
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阪神・淡路大震災にみる日本の危機管理レベル
過去に起きたいくつかの危機を西村眞悟議員が提案する危機の種類の考え方で、分類すると次の3通りのようになるであろう。
阪神・淡路大震災の死者約6千名の規模を遥かに超える22万名のスマトラ島沖地震後の津波の被害をみると自然の力の大きさを感じずにはいられない。
1.自然災害
・阪神・淡路大震災
(死者6,434名、行方不明者3名、負傷者43,792名、避難30万名以上)
・スマトラ島沖地震後の津波(死者226,566名・・・2005/01/20現在)
・ハリケーン・カトリーナ(死者1,836名)
2.人災害
・新宿の雑居ビル火災(死者44名)
3.奇襲および主権侵犯
・北朝鮮のミサイル発射
・北朝鮮による日本人拉致 (100名以上)
・韓国の竹島占領
(死傷者44名、拿捕された船舶数328隻、日本人抑留者3,929名が人質
人質の交換条件として日本における朝鮮人重大犯罪者など472名を収容所より放免して
在留特別許可を与える煮え湯を飲まされた)
・中国のガス田問題
・ソ連侵攻後のシベリア抑留 (65万名や、200万名以上の説あり)
・アメリカ同時多発テロ事件 (ニューヨークで死者2,749名)
・地下鉄サリン事件 (死者12名、重軽傷5,510名)
そして、驚くべきは、スマトラの津波のような自然災害よりもさらに規模が大きい、シベリア抑留の200万名以上(マッカーサー元帥の統計など)である。被害規模の傾向としては、奇襲および主権侵犯を侵す主体が、オーム真理教といった組織団体よりも、ソ連などのような国家の場合の方が大きくなりがちである。このようなことから、特定アジアは何かの危機を引き金として、日本に大きな被害をもたらす危険性を秘めている地域といえるので、危機管理意識を高揚させることが重要である。
さて、危機管理では、危機の種類に適した対応策を検討する必要がある。その際、危機の性質を個別にみると、予知が可能な危機と、そうではない危機があり、予知が可能な危機は、事前対策により被害を減らすことができるので、危機予防も範疇とすることが求められる。試しに上述した過去に起きた危機を分類してみると、次のようになる。
【危機の予防が可能】
・北朝鮮のミサイル発射
・スマトラ島沖地震後の津波 (死者226,566名)
・ハリケーン・カトリーナ (死者1,836名)
・中国のガス田問題
【危機の予防が不可能】
・シベリア抑留 (65万名や、200万名以上の説あり)
・アメリカ同時多発テロ (ニューヨークで死者2,749名)
・韓国の竹島占領 (死傷者44名、犯罪者釈放472名)
・北朝鮮による日本人拉致 (100名以上)
・地下鉄サリン事件 (死者12名、重軽傷5,510名)
・阪神・淡路大震災 (死者6,434名)
・新宿の雑居ビル火災(死者44名)
危機の予防をすることにより、被害規模削減を期待できるが、スマトラ島の地震後に津波対策をしなかった時のように、無策では、意味がない。このような無策による人災を極力減らしたいものである。
我が国における危機管理の状況を、村山内閣時に死者が6,434名の規模となった「阪神・淡路大震災」を通して、どのようなレベルだったのかを再確認し、その危機管理レベルが戦争などの有事の際に頼れるものなのかを考えたい。
※画像は関西電力さんのサイトより
桐花大綬章を受賞された村山元首相は、危機管理能力をいかんなく発揮していたのだろうか?
早く救助すればするほど生存率が増えるので、はじめの48時間が勝負と言われている。そのため、無駄のない組織だった救援活動をいかに実現できるかが鍵となる。
・第1章 死者を減らすために
阪神・淡路大震災の経験に学ぶ--震災時における社会基盤利用のあり方について
2.早く助けるほど高い生存率
救出者のうち生存者の占める割合について日を追って見ると、早く助けるほど生存の確立は高かった。被災当日の1月17日は、救出者の4人に3人は生存していたが、翌18日では、救出者のうち生存していた人は4人に1人しかいなかった。
救助作業がスムーズにできたかどうかの現場の声に耳をかたむけると、渋滞により作業がはかどらない様子が伺える。
・第1章 死者を減らすために
阪神・淡路大震災の経験に学ぶ--震災時における社会基盤利用のあり方について
4.優先で通すべき救助部隊
救助に向かう途中で渋滞に巻き込まれた
発生当時の人命救出作業に従事するものが少なかった。道路が渋滞し、緊急車両の通行に障害が出た。
【警察官】
地震発生直後から救助活動に従事したが、各所の救助現場に到着するのに消防車輌自体がガレキ、倒壊家屋の上を車輌の損壊を懸念しながら通行する状態で、それも良い方で車輌通行不能の救助場所には人力により救助資材を運び、救助活動した箇所も多々あった。
【消防隊員】
道路の大渋滞により、活動地域に車両で移動できなかった。当時の状況:震災当日、灘区王子動物園に集結して人命救助活動を実施したが、山手幹線及び国道2号ともに大渋滞であり、高羽町までの約4kmの距離の移動は全て徒歩であり、活動に必要な資機材の運搬についても車両は使用できなかった。
【自衛隊員】
救助用の重機運搬も渋滞に巻き込まれた
1月17日の震災当日、会社の指示により現場を中止し、準備して15時に協力業者を含めて50名、重機をトレーラーにて京都地区から出発したが、現地に着いたのは21時頃で大渋滞であった。
【救助活動に従事した建設会社】
渋滞の原因および対策方法は、次に詳しい。
・危機への対処方法
亡国か再生か―自虐50年の戦後日本から脱却する[著]西村 真悟
阪神大震災現地見聞報告 H7.1.21
四、調査所見
(省略)
3、道路状況
国道2号線、43号線は使用可能である。しかし、救援車両、資材運搬車両と同数の自家用乗用車が乗り入れており、道路の渋滞は著しい。
多くの善意の人々は、車の乗り入れをひかえ黙々と長時間歩いて、あるいは肉親をさがし、またボランティアで食料等の荷物をかついでいる。
しかし、そのかたわらで平然と自分一人だけで、乗用車を運転したり、また数人で何のために乗り入れているのかわからない車が多い。これらの車には、若者が多く、またマスコミ関係者の車は大型車に一人の記者が乗り、特権でもあるかのように歩行者を待たして走り抜けていく。
このように車の渋滞は目にあまり、これは規制により解消し得るものであるだけに無策を感じる。救援機材、救助隊の遅れは、この交通状態から生じている。
(省略)
五、望まれる対策と教訓
(省略)
2、交通問題について
救援隊、救援物資、消化隊のすみやかなる移動を確保するのが必要不可欠である。私用車が参入するのを規制しなければ、道路を救援活動に効果的に利用することができない。しかし、現状は全くできない。私用車両を排除するかわりに、バスなどの公共輸送車両をきめ細かく走らせる必要がある。
現在のように善意の人々を平然とあるかせながら、無用な車両の乗り入れを放置している無策は許せない。
交通規制・治安維持は、警察の仕事である。
また、今回の大震災でも最も待たれた自衛隊の車両は、赤信号で止まらねばらならいといった法律改正を怠ってきたツケが露呈した。これは、昭和53年の栗栖統幕議長の問題意識を封殺したことに起因する。
・今日の惨状をもたらした政治の責任
「平和ボケ日本」を叱る!!
栗栖弘臣統幕議長は、「わが国に有事法制がないから、いざという時には超法規的に行動せざるを得ない」と発言しました。例によって社会党が騒ぎ、金丸信防衛庁長官は栗栖統幕議長を解任して、せっかくの問題提起を自社馴れ合いで封殺してしまった。こうして、国防・危機管理の問題はまともに論議されないまま今日に至っているのです。今も旧社会党の流れを汲む野党は、有職故実よろしく、三十年以上も前の三矢事件当時の政府答弁を引き合いに出して政府を追及し、一方の政府はこれまた有職故実の塊である官僚に答弁を任して、政治的な決断を避けています。実に嘆かわしい限りです。政府は今こそ日本が直面している状況を真剣に受け止めて、毅然とした見解を明らかにすべきですね。
栗栖統幕議長の問題意識は、次のような当たり前に思うことであったのだが、これを封殺したことによって、いざと言うときに自衛隊が国民を守ることができなくなっていた。
・押し寄せる最大の危機
亡国か再生か―自虐50年の戦後日本から脱却する[著]西村 真悟
(省略)
ミグ25事件、ダッカ日航機ハイジャック事件に接した栗栖統幕議長の問題意識はどういうことかというと、現行の法体制ではたとえば自衛隊が弾薬などの火薬類を急遽運搬しなければならないときに「火薬類の運搬に関する総理府令」により運搬できない、「危険物船舶運送及び貯蔵規則」により運搬できない、現地で指揮所を急遽設置しなければならないときに「建築基準法」により設置できない、道路や橋が潰れていても自衛隊が補修することは「道路法」により補修できない。現地で緊急手術して人命を救助しようとしても「医療法」により救助できない、などなど。
これでどうして、いざというときに国民を守る活動ができるというのでしょうか。
栗栖議長でなくとも、問題提起するほうが誠実な態度です。
この法律に関する弊害を以前も述べたことがあるので、興味がある方は、こちらもどうぞ。小坂英二議員のBLOGのコメント欄にも次のような興味深い意見があった。
・阪神大震災で役立ったもの ベスト10
荒川区議会議員小坂英二の考察・雑感 2006年02月26日
このところ震災に備える記事を見かけることが多くなりました。
私は、神戸震災時に直後の緊急復旧に携わりましたが、そのときに見た光景は忘れられません。
強烈に覚えていることは、5〜6m幅くらいの道路(2車線位の道です)は、左右から家が崩れ落ち、そこら中で家の屋根が垂直に道路に立っており、人が歩いた道が、まるで獣道みたいにその間を縫って出来ていたの思い出されます。
この状態では、まず外部からの恒常的な輸送は出来ない環境になり、援助物資はまず途切れ途切れしか必要なところに届かないでしょうね。
私の会社も、緊急の災害復旧に出かけたが、現地で被災者と同じように、食料・飲料水などを援助を受けるようではいけないと思い、出来るだけの物資・設備を持たせて現地に向かいました。
このときに初めて知ったのですが、個人がプロパンガスを他府県に持って行くことは、法律で禁止されていると言うことで、とにかく震災の神戸でプロパンガスは調達してほしいとガス会社に言われたときは、正直面食らいました。
現地の状態を考えると、まずそんなことは不可能に近く、再度強くガス会社に言うと、県のプロパンガス協会を紹介され、そこでも同じことを言われました。
その当時の緊急事態に対して法律を盾に、とにかくダメ!の一点張りだったので、「じゃそこまで言うのなら、そちらで手配できるかどうかやって見てくれ。」と依頼したところ、約束の日時の夕刻に同じ兵庫県の姫路から一晩掛かって届けられました。(国道は、災害復旧や安否を心配してやってくる人で大渋滞の状態でした。)
私も法律を学んできた一人として、法律は必ずしも万能でないと思っております。
これから起こる災害に対しては、ある程度超法規的な処置も必要ではないか思いコメントさせて頂きました。
我が国の法律は、平時を想定して作られており、条文中に「ただし、有事の際は適用しない」といったことが記載されていないとのこと。早急な法整備を期待する。
次に、陸路が渋滞で使い物にならない場合、神戸沖の海路を活用することも考えられた。実状は、どうであったのか?
・押し寄せる最大の危機
亡国か再生か―自虐50年の戦後日本から脱却する[著]西村 真悟
我が国に合った有事体制とは
(省略)
我が国は海岸線にそって大都市がある国土です。災害救助・復旧には、海からの接近が非常に有効です。関東大震災では、連合艦隊は救援物資を満載して東京に陸揚げし、避難民5万6千人を輸送しました。また、アメリカ・アジア艦隊も食料・医療・医薬品を積んで9月6日には東京湾に入っています。伊勢台風のとき、アメリカのヘリ空母キャサージーは、名古屋沖に碇泊しその全ヘリコプターは自衛隊小牧基地指令の指揮下に入りフル稼働して救助活動に大きな成果をあげました。
そして今回の阪神大震災。アメリカは空母インディペンデンスを基地兼病院船として提供を申し出てくれました。しかし、村山内閣は断っています。その理由は不明です。説明はありません。また、海上自衛隊第一護衛隊群の旗艦「しらね」は救援のため神戸沖に急行しました。しかし、神戸市は接岸を渋ったといわれています。そして「しらね」の能力を活用したとは思われません。
内閣の無能と無責任はともかく、海岸線沿いに幹線道路・鉄道が走る我が国においては、今後海からの救助の必要性は増大していきます。艦船は基地にも病院にもなり得るのです。救助船の配置、自衛艦の充実した配備が我が国には必要です。
なお、本項は日本市民防護協会理事長・郷田豊氏の「わが国の『危機管理・災害防護』の在り方についての基本的な提言」に多くを学ばせていただきました。
このように海路も十分に活用されていなかったようである。
では、組織的な救助の実現という点で、村山内閣は、自衛隊や警察などを十分に指揮できたのか?
・危機への対処方法
亡国か再生か―自虐50年の戦後日本から脱却する[著]西村 真悟
五、望まれる対策と教訓
(省略)
4、緊急対策組織について
見聞きした限りでは、自衛隊、警察、消防が統一的な指揮下での組織的活動をしているとはとうてい思えない。
このような大災害においては、内閣総理大臣の指揮のもとに、自衛隊が組織的に行動することが必要である。工兵隊、炊事班、医官などをもつ軍の自己完結組織がそのまま投入されなければ、迅速な救助体制、避難民対策はなし得ない。
交通規制活動、治安維持活動を主とする警察、また消化任務を持つ消防隊は、その任務に特化する必要がある。
そして、これらの者が同一の指揮命令系統のもとに、民間の支援組織の補完を受けて連携して行動しなければならない。
このためには、道路における私用車の撤廃、ヘリポートの確保火災拡大防止のための防火帯の形成などが必要であり、この点現行法制には不備であるが、現行法において最低限、災害対策基本法百五条以下の災害緊急事態の布告、災害緊急対策本部の設置が必要であった。
地震発生から6日目になる今日においても、いまだ犠牲者が増え続けるという今日の自体は、その書道において、最高指揮官たる内閣総理大臣の決断の欠如に帰すると言わざるを得ない。
道路の渋滞、消火活動の無策、人命救助活動の非効率は、自衛隊の組織的投入による指揮命令の一元化によって解消可能なことだった。
そして、これをなし得る地位にあるのは内閣総理大臣である。
現在、現地では日本人の美徳とする協調性のみに依存して、救助活動が行われているが、決して組織的、網羅的、効果的でなく、したがって、現場の救助隊の懸命の努力にもかかわらず、全体としては助けえた人を多く放置し、死に至らしめることになっているのである。
本震災は、1月17日午前5時46分の時点では天災であるが、その後の被害拡大は、決断なき総理大臣をもつ日本の人災である。
阪神・淡路大震災は、組織的な活動が実現できず、人命救助で重要な、始めのの48時間を有効に使えず、最終的に、6,434名を亡くした人災でもあった。
しかし、当時からすると50年もの前の戦争において、国家として謝罪させた村山元首相は、震災に関するご自身の責任に対しては、謝罪もせずに、勲章を受章したというのが現状である。
このような現状の生ぬるい評価では、当時の危機管理レベルを真摯に反省し、二度と繰り返さないように欠点を厳しく改善しようとしているようには思えない。
危機管理の基本は、想像しうる最大の危機の対処方法を決め、小さな危機にはどうとでも対処できるとのこと。軍事的な危機に関しても、最大の危機の対処方法を決めていれさえすれば、ミサイル発射があっても大騒ぎする必要がない。
大騒ぎしている現状から、有事に関する危機管理が全くできておらず、阪神・淡路大震災の二の舞を危惧するのは、私だけだろうか?
北朝鮮のミサイル発射とマスコミに関する問題は別途述べたい。
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【関連記事】
・(H18.07.08)テポドン2の発射を機に国防のあり方を見直すべき
・(H17.11.26)人権擁護法案を考える上での諸問題
・(H17.08.26)終戦日前後のソ連のどさくさの軍事行動を忘れてはいけない
・(H17.08.11)中国の地下資源泥棒…略奪文化は三国志時代から変わらない
・(H17.07.25)中国の軍事脅威と国内問題(その2)
【参考書籍】
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テポドン2の発射を機に国防のあり方を見直すべき
・?テポドン2の発射は、失敗か、自制か?(7月6日)
日本軍事情報センター
(前略)
今までの情報では、2段目ロケットへの点火や加速が確認できず、1段目の切り離しも行われていないという情報が主流です。2段目が1段目に連結されたまま墜落したのであれば明らかに失敗です。それらの確認は宇宙配備のミサイル監視衛星(米国)から瞬時に捕らえることが出来ます。日本海配備のイージス艦のレーダーでは、テポドン2・ミサイルの高度が低すぎて探知できなかったようです。
北朝鮮のミサイル発射の脅威により、国民にも国防の意識が高まる。これ自体は、悪いことではないが、その方向性を懸念する。費用も高く、その効果も疑わしいミサイル防衛(MD)で貴重な予算が浪費されることを。
このようなMDよりも、「攻撃こそが最大の防御」といった思想に基づいて、日本が独自の武器を開発し、保有すべきである。武器を保有したからといって、戦争に直結するわけではなく、むしろ、米ソ冷戦時代をみてわかるように破壊力が高い武器を保有することが戦争抑止につながるからだ。
・逆襲せよ、日本!
この日本をどうする [著] 石原 慎太郎
政治家は役人の下僕か
(前略)
慎太郎 それは露骨だね。僕が参議院時代にはこんなことがあった。イスラエルの駐在武官と仲良くなったら彼がこう言う。「日本はどうしてテルアビブに駐在武官を置かないんだ。中東は米ソの代理戦争をやっているから、どの国の兵器が優秀かよくわかる。米ソの兵器に比べると、日本の兵器は話にならない」と。そこで最新データを取り寄せて調べたら、通常兵器の性能があまりにも酷かった。迫撃砲なんて重量が倍で射程距離が半分しかない。三菱重工や豊和工業が気にして、「改良いたしますからここは一つ・・・。その代わり先生の後援会に入ります」と言ってきたけど断った。
すると防衛庁長官がやってきて「あれはわかっていることだから、わざわざ問題にしないでくれ」と言う。「あなたがそう言うんだったら、ますます止めるわけにはいきませんな」と言ってやった。与党の議員が自国の装備が劣悪だなんて批判したら、アメリカなら大スキャンダルになって政府はたじたじだよ。ところが日本の記者は馬鹿だから、誰もメモを取らない。
55年体制というのは高度成長と相まって、官庁を通じでそういう企業との絡み合いがあったけど、もうそれは終わった。その終わったことがわからない人がまだずいぶんいることが問題だね。
伸晃 本当に終わったんだろうか。防衛装備産業は不況知らずの業界だから。僕は通産次官やった関係で、防衛関係の会に呼ばれるんです。そこの新年会に行くと凄い。この不景気なのに、ホテルの一番大きな部屋が満員で、制服組もずらっと来ている。
日本の独自の道を拓け
慎太郎 どうせ官民グルなら、防衛族議員はこう言うべきだ。「アメリカが内需喚起というならやりましょう、日米安保も色々問題あるし。北朝鮮のミサイルも察知できない、察知しても通達して来ない、防衛力がない。それじゃあ日本は独自の防衛体制を作ります。安保はそのうち解消する、その前提で我々は完全に強力な防衛国家になります」とね。一番嫌がるのはシナとアメリカだから、それをやったらいい。
伸晃 でもTMD(戦域ミサイル防衛)はやめた方がいい。あれはミサイルが十発飛んで来ても全部は打ち落とせない。一発でも東京に落ちたら日本は終わりです。それなのに初期投資が一兆三千億円もかかる。
慎太郎 衛星はどうだ。火星まで無人探査衛星を飛ばせる国は、世界に日本とアメリカしかないんだから。
伸晃 衛星を六個打ち上げればいいんですよ。六個で三千億円で済む。これで北朝鮮を監視して、相手が打ってこようとしたら、空中給油機を連れた戦闘機がトマホーク・ミサイルで先制攻撃できるようにしておく。これで初めて本当の抑止力になる。そうすれば、核武装する必要などありません。
慎太郎 そうなんだ。アメリカは日本が自主防衛を持つことが一番嫌いなんだ。例えば、日本が衛星を打ち上げに成功したときに、外人記者クラブでヨーロッパの記者たちは「おめでとう、おめでとう」と言う。その前に二回失敗したときは「あれはCIAの策略ですよ。スタッフの中に向こうの金で動いている奴がいるんじゃないですか」と本気で心配している。それが成功すると「おめでとう、これで日本も核兵器を持てますね」だって(笑)。そういう発想というのはヨーロッパでは当たり前なんだ。そこまで行かなくても、日本の防衛族議員は独自の防衛構想なんて着想できやしない。防衛庁の掌の中で走り回ってるだけの孫悟空だね。
(後略)
戦闘機がトマホーク・ミサイルで先制攻撃するといったように、防衛のため、こちらが敵国の基地を攻撃するという思想がいい。なぜならば、日本と同じ海洋国家であるイギリスの防衛思想と同じであるからだ。
ちなみに、イギリスの防衛思想は、スペインの無敵艦隊を壊滅させたドレイク提督の考え方に基づくものである。
・変革の時代
戦争学 [著] 松村 劭
英国海峡の海戦
(省略)
キャプテン・ドレイクは、大陸に隣接する英国のような島国の防衛方針について、名言を残している。
「イングランドの防衛線は国境や英国海峡にはない。大陸側の港の背中にある。」
これが今日まで続く英国の防衛思想の骨幹である。この考え方は今日の日本の防衛線にもあてはまる。かつて日本は防衛線を朝鮮半島のつけ根を流れる鴨緑江に求めたが、これは大陸国家の防衛思想であった。
北朝鮮のミサイル発射を機に、国防の方向性は、次のような、「断じて国内を戦場にしてはならない」、つまり、国民を一人も国内で失ってはならないのだという基本ドクトリンに従うべきだと改めて考えさせられた。
・夏の終わりと現在の憲法議論について・・・条文解釈の前提としての私の防衛ドクトリン
「眞悟の時事通信」(H16.9.5)
2、ところで、我が国の戦後歴代政府の憲法解釈に基づく防衛思想は何であるか。
それは、「専守防衛」というものである。
つまり、相手の攻撃があってから防衛に立ち上がるというもの。しかも、その相手側の攻撃が、我が国内に行われたときに我が国内で防衛行動に入るのである。
我が国の防衛ラインを、国境線の内側とするのが「専守防衛」なのだ。
よって、我が国政府のもつ「専守防衛思想」とは、国内に攻撃があり被害が発生した場合に(つまり、国民の一定数が殺されてから)、国内を戦場にして防御するというもので、全国土で「本土決戦」、つまり「沖縄戦」を展開するというものである。
一億二千万人の住む狭い国土を戦場にすれば、一般住民の被害は如何に悲惨な拡大をみせるか、想像力が乏しくとも分かるはずだ。各所で、チェチェンゲリラによる学校占拠のような惨害が繰り返される。そのとき国民はどうすればいいのか。
時々、テレビタックルに「竹やりを持って守る」と真顔で語る「けったいな」評論家がでるが、これは、馬鹿だが正直なのだ。ミサイルを持つ相手に竹やり・・・そのような悲惨極まる「狂乱」しか残されていないからだ。
しかしそのような事態になって、そもそも国民は、自衛隊は国民を守っていると思うだろうか。ロシアのテロリストによる学校占拠事件で泣き叫ぶ母親は、ロシアの軍隊が我が子を守ったと思っているだろうか。答えは明らかだ。
では、これは「防衛思想」ではなく、防衛放棄の思想ではないか。
防衛行動ではなく、自暴自棄の「本土決戦」ではないか。自衛隊を持たずに竹やりをもとうという評論家と、五十歩百歩どころか、同じなのが我が政府である。
現在の日本国政府は、防衛思想を持っていない。放棄している。
防衛ラインを国境線の内側に想定する政府の「専守防衛」とは、このような「防衛」なのだ。国民を何と思っているのか。政府に国民の命を守る気はあるのか。
そして、この防衛思想が主流でまかり通っているのが我が国政治の次元だ。
このような防衛思想の欠如というべき怠慢を放置して、「国連警察軍」が議論されている異様さに気がついてもいい尊と思うのだが。
また、このような「防衛状態」を前提にして「有事法制」を整備すると喜んでいる者がいるが、この「専守防衛状態」とは、「法制」など消し飛んでいて無秩序・狂乱状態なのだ。無秩序の中で「有事法制」など、機能するものか。オトトイ来いだ。
3、私は、国民の一人としても衆議院議員としても、この従来の防衛思想を容認できない。
よって、次のような防衛思想を具現化しうる憲法解釈に転換すべきである。
「我が国の防衛ラインは、国境線ではない。海の向こうの敵基地とその周辺海域が我が国の防衛ラインである」
従って、この防衛ラインにおける祖国防衛を可能とするために、自衛隊・国防軍を「専守防衛」体制から真の国防軍に転換再編しなければならない。
その根本は、
「断じて国内を戦場にしてはならない」
という基本ドクトリンである。
つまり、国民を一人も国内で失ってはならないのだ。
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【関連記事】
・(H17.7.25)中国の軍事脅威と国内問題(その2)
・(H18.6.17)侵略できると思う者が敵であると同時に、それを防衛できると思わない者も敵
・(H18.6.21)恒例、悪夢の季節が北の将軍様に到来したご様子
【参考書籍】
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旧日本軍の毒ガス…靖国問題同等レベルへの発展の危機
また韓国によるありもしなかった従軍慰安婦問題の蒸し返しが始まった。
・href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050826-00000178-kyodo-int"
target=_blank>韓国、日本の対応注視 慰安婦問題で責任追及
【ソウル26日共同】韓国政府は26日、日韓国交正常化に関する外交文書を根拠に、従軍慰安婦問題について日本政府の法的責任を追及する方針を示したが、具体的な対日行動には言及せず、日本政府の対応を注視する姿勢を示した。 慰安婦問題に関しては、これまでも国連人権委員会などで日本の不当性を訴えており、引き続き国連などを通じ国際的な理解を得たい考え。 強制連行被害者について、韓国政府は来年初めまでに救済策を立法化する方針を表明。元慰安婦については1993年に「元慰安婦に対する生活安全支援法」を施行、生活支援に当たっている。 韓国政府高官は「(責任追及に)これ以上の言葉はない」としており、「法的責任」を突き付けられた日本政府への風当たりが強くなるのは必至となった。(共同通信)従軍慰安婦問題の発端は、昭和58年に吉田清治の作り話(本人も認めている)の著書「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」を、朝日新聞が平成3年から翌年にかけ4回にわたり報道したことにより世間に広まったもの。
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8月26日19時8分更新
書籍の内容はというと、以下のように手厳しく評価される程度のもの(購入しないで下さい)。
・href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4380832317/aoiumi-22/ref=nosim/249-3242122-7284347"
target=_blank>『フィクション』と大きく記せ!!, 2003/10/28
レビュアー: 戸咲光弘 (プロフィールを見る) 大阪府 Japanこの有害書籍が広まったことが原因で、平成5年8月4日、河野官房長官談話(政府調査の結果)にて、「甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあった」と発表した。この河野談話によって日本政府は慰安婦が軍によって強制徴集されたことを公式に認めてしまったことになったものである(href="http://homepage3.nifty.com/yoshihito/ian-fu.htm" target=_blank>詳細1、href="http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/12779933.html"
本来、絶版すべき本であるが、まだ売ると言うのなら『フィクション』と大きく記せ!!(尤も記したところで罪が消されるわけではないが…)
昭和58年に著者が印税目的で、ありもしない慰安婦の強制連行を著し、出版当時、多くの国民が騙された本である。さらには平成元年には韓国で出版され韓国国内で「従軍慰安婦(この頃作られた造語)=強制連行」というイメージが広がっていった。その後、本書や同類の書籍に倣って金を稼ぐ輩も後を絶たない。それどころか本気で洗脳され、似非物の正義感で現在活躍中?の諸氏も多く存在する。この一人の軽々しいお金目当ての行いが、どれほど世論を貶めたことか計り知れない。後々著者自身も泣く泣くフィクションであることを認めてはいるが、認めただけでは既に済まさ!れない。嘗ての戦友の名誉を嘘で汚してまでお金儲けをすることなど日本人として、否、人間としての最低の行い、人間の屑である。
この一連の出来事についてノンフィクション作家の猪瀬直樹氏は『それにしてもたった一人の詐話師が、日韓問題を険悪化させ、日本の教科書を書き換えさせ、国連に報告書までつくらせたのである。虚言を弄する吉田という男は、ある意味ではもう一人の麻原彰晃ともいえないか。』と評している。是非とも道路公団の問題を片付けた後にでも、日本人の名誉回復のために世論に訴えてもらいたいものである。もしも、間違って?本書を読んでしまったならば、『慰安婦と戦場の性』秦 郁彦 著 をお薦めする。
target=_blank>詳細2)。 我が国周辺には、このように有りもしない事にに難癖をつけ、一度でも謝罪すると更に金品を毟り取ろうと懐に踏み込んでくる国家が3つもある。 これらの国々の言いがかりを毅然と回避するためのバックボーンとなる歴史認識が重要性であることを再認識させられた。そこで、今回は、旧日本軍の毒ガス問題が、従軍慰安婦問題や靖国参拝問題等と同様のレベルに発展しそうなので、この件について述べる。
まずは、毒ガス問題の背景となる日中戦争について、以下の記事をご紹介する。
・href="http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/rokokyo.html"
target=_blank>81.仕掛けられた「日中戦争」 ── 廬溝橋事件の真実(2000.11.7)
帝國電網省
style="FONT-SIZE: 150%">昭和12(1937)年7月7日夜半、北京の南を流れる廬溝河に架かる橋 ──このように、日中戦争の件で中国が謝罪を要求してくるのは、そもそも不当である。それを戦争体験がない我々がいつまでも申し訳ないと謝罪し続けると、以下のように、お金を毟り取られていくのが現実である。
廬溝橋を舞台に「日中戦争」(支那事変・日華事変)が勃発しました。当時、廬溝橋の近くで、現地に駐屯していた日本軍は夜間演習を行っていたのですが、不意に暗闇から銃撃を受けました。日本軍駐屯地の近くには、支那・国民党軍(蒋介石軍)も駐屯していたのですが、銃撃を受けた日本軍は、その銃撃が国民党軍によるものと思いこみ、遂に日本軍と国民党軍の武力衝突
──
いわゆる「廬溝橋事件」が起こったのです。そして、この事件を契機として、日本は広大な支那大陸を舞台に、昭和20(1945)年8月15日の終戦迄、「日中戦争」と呼ばれる終わる事の無い戦争の泥沼へと引きずり込まれていったのです。戦後半世紀を経た現在でも、支那が事ある毎に「日本軍国主義」の歴史的事実として引っ張り出す「日中戦争」。そして、その発端となった「廬溝橋事件」が、実は支那側によって仕掛けられたものだったと言ったら、皆さんはどう思われるでしょうか? と言う訳で、今回は、「日中戦争」の発端となった「廬溝橋事件」について書いてみたいと思います。
style="FONT-SIZE: 150%">廬溝橋事件。結論から言えば、「日中戦争」の発端となったこの事件は、決して日本軍が仕掛けたものではありません。日本軍が最初に銃撃を受けた際
──
つまり演習をしていた際、日本軍は「丸腰」(演習の為、実弾を携行していなかった)だったのです。ですから、橋本群・陸軍中将(駐屯軍参謀長)も当時の状況を、「実弾を持たずに発砲された為、応戦出来ず、非常に危険な状況に置かれた」と証言しています。それは、そうでしょう。「丸腰」の所を銃撃
──
しかも、暗闇からの銃撃を受けたのですから、堪ったものではありませんでした。しかし、支那現政権は日本軍が先制攻撃したと言い、村山富市・元首相も当地を訪れた際、「廬溝橋で往事を反省してきた」等と寝惚(ねぼ)けた発言をしています。その様な事は到底あり得ないのです。考えても見て下さい。「丸腰」で演習していた日本軍が「銃撃を受けた」と称して、自ら好きこのんで「武装」しているであろう国民党軍と事を構えたでしょうか? これこそ「暴論」と言うものです。
(省略)
・日本を篭絡するシナの偽史文明
href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4884710665/konn-22/ref=nosim"
target=_blank>日本人が知らない「二つのアメリカ」の戦略
日本政府は中共の反日プロパガンダによって捏造されたる事実無根の戦争犯罪なるものを謝り続けているが、もっと根本的なことにそもそも日本は中共とは戦争をしていないのだ。日本軍が交戦した相手は中華民国であり、つまり現在台湾の国民党政権との戦いである。従って今も中共が日本に謝罪を強要するのは、例えるならば徳川末期の文久3年に薩摩藩と戦争したイギリスが大正時代になっても日本政府に謝罪を求め続けるようなものだ。もっともイギリスがそんな馬鹿なことをする筈もなく、逆に日本の強さを認め、北清事変への出兵により日本軍の優秀さが世界中の賞賛を得るにあたり、明治35年には日英同盟締結に至っている。(省略) そもそも支那事変の発端である廬溝橋事件が中国共産党の謀略による発砲であったことは立証されており、それは人民解放軍総政治部発行の軍事教科書『戦士政治課』にも載っている。同事件発生時にソレンコンテルンは中国共産党に対し「局地解決を避け、日支の全面衝突に導くこと。局地解決や日本への譲歩に動こうとする要人は抹殺せよ」という指令を発しており、支那事変の拡大を推し進めたのは日本ではなく中共なのである。 また昭和18年、大東亜会議に先立つ対華新政策決定により、日本政府は汪兆銘政権に対して一切の不平等条約を破棄して租界の返還と治外法権の撤廃、そして蒋介石政権が和平に応じて汪政権に合流すれば日本軍を支那から撤退させるとまで約束した。もしも侵略の意図があれば何故こんな決定をするのか。日本が望んだのは支那に安定した親日政権が樹立され、白人諸国の植民地主義に共に対抗する友邦となること。それだけである。それを西安事件や廬溝橋事件でことごとく妨害し、戦火を拡大させたのは中国共産党なのだ。 style="COLOR: #ff0000">日本の中共への謝罪とは、冤罪被害者が真犯人に謝罪するようなものである。
さて前章で述べたように中共はこれまで数多くの「日本の戦争犯罪」なるものを捏造してきたが、その中でも新ネタの部類に入るのが「日本軍廃棄化学兵器」なるものである。2003年8月21日に黒竜江省で起きた旧日本軍化学兵器による死亡事故で、中共は阿南大使を呼びつけて「日本政府は謝罪と保証をせよ」と要求し、日本のマスコミもさも日本が悪いような報道を行った。しかしそもそも根本的なことに、60年も昔の有毒ガスの効果が残存していること自体、科学的にはほぼ有り得ない事だ。福田長官訪中の一週間前に突如公表されたこの事件は、中共の自作自演による捏造だというのが真相であろう。ところが日本政府はまたもや土下座外交を行い3億円の補償をしたあげくに実に27億円もの無償援助を約束してしまった。この廃棄化学兵器の総処理費用は22兆円はかかると推定され、2003年度だけでも日本は315億円の処理予算を組んでいる。 実にこれまでの過去4年間で日本政府は、623億円もの日本人の税金をすでに処理費用として中共に注ぎ込んでいるのだ。
多くの諸外国は、こちらが一度謝罪すると、必ず賠償金を請求してくる。角が立たないように丸く収めるための謝罪が有効なのは、日本人同士での争いだけである。諸外国の場合は、中国や南北朝鮮をみれば明らかなように逆効果である。だから、欧米諸国は、かつての植民地の国々に謝罪をしたことがない。従って、国家間の問題を国内の内輪もめを解決するようなアプローチでいくと、失敗する。国を代表する役人や議員には特にその辺を気を付けて頂きたい。
さて、日本軍降伏後の武器引渡しに関してもう少し踏み込んだ西村慎吾前議員の記事を以下に記す。
・target=_blank>中国大陸の毒ガス弾について。だれが遺棄したのか?
「眞悟の時事通信」(H15.9.30)
(省略)ここでは、法の理論の問題ではなく、『事実認定』だけに焦点を当てて重大な疑問を提起しておく必要がある。つまり、果たして「中国大陸にある毒ガス弾は、旧日本軍が放棄・遺棄したものかどうか」である。我が国の毒ガス弾は、敗戦時に武装解除し、没収されたものである。従って、管理責任は、ソビエトや中国にある。それが、あちらの手際の悪さで事故が発生しても、我が国は一切関係ないはずである。我々は、このことが中国の言いがかりであることを強く認識し、中国へ毅然と異議を唱えることができるような政治家を選挙で選ぶべきである。
昭和二十年八月十五日の天皇陛下の玉音放送のとき、中国大陸には、百万の完全武装の無遜のシナ派遣軍がいた。満州には五十万人の関東軍がいた。そして、シナ派遣軍は蒋介石政府に対して降伏し武装解除せよという大本営命令により、整然と降伏し武装解除して、その装備を蒋介石国民党政府に提出したのである。関東軍は、ソビエト軍に降伏し武装解除した。但し、一部には共産党軍に降伏し武装解除した部隊もある。
さて、当時の満州を含む中国大陸は如何なる状態であったのか。ソビエト軍、蒋介石国民党軍と毛沢東共産党軍やアメリカ軍さらに日本軍がいた。そして、日本降伏とともに、国民党軍と共産党軍・ソビエト軍が雌雄を決する内乱再発の舞台が用意されたのである。したがって、日本の百万のシナ派遣軍と関東軍の装備を国民党か共産党かいずれが手にするかは、中国側にとって重大な関心事であり、そのために武装解除と装備引渡しは、極めて短時間に行われた。
つまり、日本軍降伏時には、中国大陸と満州には国民党軍、共産党軍、ソビエト軍、アメリカ軍、日本軍の毒ガス弾が存在したが、日本軍の毒ガス弾は国民党軍と共産党軍とソビエト軍に引き渡されたのだ。
このうち、日本軍のものはもちろん日本製であるが、国民党軍や共産党軍のものはアメリカ製やソビエト製やドイツ製やイギリス製のものがあったと思われる。大戦時の、アメリカやソビエトやイギリスの、国民党・共産党への支援、その前の、ドイツと国民党の関係を考えれば当然であろう。
旧日本軍ほど装備や武器を正確に把握する軍隊はない。中国やイギリスの軍隊が散布した地雷による戦後の事故は発生しても、日本軍が散布した地雷による事故は聞いたことがないはずだ。日本軍は、地雷散布記録により全て回収したからである。
私の事務所の佐々木秘書は、防衛研究所において、台湾派遣軍と海軍の作成した詳細な武器引渡しリストを入手したが、そこには当然に、毒ガス弾を何発引き渡したと記載されていた。他の日本軍も部隊ごとに詳細な武器引渡しリストを作成して整然と引き渡したと考えるのが合理的である。
では何故、他の多くの引渡しリストが日本にないのか。その理由は、大陸に駐屯する陸軍においては、降伏・武装解除とともに中国側やソビエトの捕虜となり、部隊の所持する文書とともに、中国側・ソビエト側の管理下に入れられたからである。したがって、これらの武器引渡し文書は、今も中国大陸内やシベリアに保管されていると考えられる。
【追記H18.6.26】 旧日本軍が毒ガス弾を中国に引き渡していた証拠がついに見つかった。
・href="http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1147094925/"
target=_blank>【日中】 旧日本軍の「遺棄化学兵器」は中国に引き渡されていた・・・正論6月号 [05/01]
1 :株で(´・ω・`)@Mimirφ ★ :2006/05/08(月) 22:28:45 ID:???この『正論』のスクープのことを含んだhref="http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a164265.htm"
■スクープ:旧日本軍兵器引継書 撮影・解説 水間 政憲
シベリア資料館に所蔵されている旧日本軍兵器引継書の一部。実数は支那派遣軍の各軍及び直轄師団のすべてを網羅し、約六百冊に上る。 onclick="window.open('http://blog-imgs-36.fc2.com/k/o/n/konn43/vi4662896961_4b3351e850105.png','popup','width=530,height=775,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"
href="http://blog-imgs-36.fc2.com/k/o/n/konn43/vi4662896961_4b3351e850105.png"> alt=vi4662896961.png src="http://blog-imgs-36.fc2.com/k/o/n/konn43/vi4662896961_4b3351e850105.png" width=480
border=0> ■眠りから醒めた旧日本軍兵器引継書
戦後の数奇な時空から、私の前に現れたのは、膨大な量の旧日本軍兵器引継書の原本であった。それは、ゴルバチョフ・ソ連大統領時代からのグラスノスチの自由と民主主義の「風」にのってロシアから、山形県にあるシベリア史料館に来たのだ。しかし、元全国抑留者協会長、斎藤六郎氏が亡くなられてから十年以上封印されてきた。埃を被っていた段ボール箱を開けたのは、十年間で私が初めて。何ものかに導かれるかのように開けた最初の箱から大量の兵器引継書が出てきたのである。これらの史料は、一九八〇年代に朝日新聞が火をつけ、媚中派政治家、外交官と中国が連動して育ててきた「遺棄化学兵器」問題を根底から覆すことのできる、第一級の歴史史料なのである。
onclick="window.open('http://blog-imgs-36.fc2.com/k/o/n/konn43/vi4662882015_4b3351ef055f2.png','popup','width=1030,height=763,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"
href="http://blog-imgs-36.fc2.com/k/o/n/konn43/vi4662882015_4b3351ef055f2.png"> alt=vi4662882015.png src="http://blog-imgs-36.fc2.com/k/o/n/konn43/vi4662882015_4b3351ef055f2.png" width=480
border=0> onclick="window.open('http://blog-imgs-36.fc2.com/k/o/n/konn43/vi4662885120_4b3351f5c90ce.png','popup','width=1030,height=775,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"
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border=0>
引継書を検討していて、支那派遣軍の各軍、師団に所属していた引継ぎを担当した数千に及ぶ兵士たちの心情を思うとこみ上げてくるものを抑えることができなかった。それは、近代国家へ脱皮するため、開国以来、ひたすら国際条約を遵守してきた日本人がポツダム宣言受諾に対する遵法精神そのものであったからだ。これらの史料には小泉首相の靖国神社参拝を象徴する歴史認識問題をからめて、朝貢国家に貶めようとしている中国のもくろみをはねつける力がある。そして、一兆円とも言われる遺棄兵器処理費用。その税金の無駄を回避させることができるのだ。
onclick="window.open('http://blog-imgs-36.fc2.com/k/o/n/konn43/vi4662888118_4b3351fc84e05.png','popup','width=1030,height=775,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"
href="http://blog-imgs-36.fc2.com/k/o/n/konn43/vi4662888118_4b3351fc84e05.png"> alt=vi4662888118.png src="http://blog-imgs-36.fc2.com/k/o/n/konn43/vi4662888118_4b3351fc84e05.png" width=480
border=0> ソース:正論2006年6月号 ネット上にソースが無いため、記者が紙面を確認してテキスト化しました。 height=500 alt=seiron200606.jpg src="http://blog-imgs-36.fc2.com/k/o/n/konn43/seiron200606_4b335202a06ef.jpg"
width=341> 関連: 【日中】旧日本軍遺棄化学兵器処理で日中が共同機構設立〜処理期限も5年間延長[2/21]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1140532696/
【日中】遺棄化学兵器問題〜中国に兵器引き渡し文書発見なら日本の処理義務なし[060225]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1140806686/
【日中】中国の遺棄化学兵器処理、5年間の延長を「化学兵器禁止機関」へ来週申請[04/16]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1145214621/
【中国】遺棄化学兵器の処理加速を=視察中の日本の国会議員に要求〔05/02〕
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1146561956/
target=_blank>遺棄化学兵器に関する質問主意書を鈴木宗男議員が通常国会に提出(5/17)したもよう。
質問主意書とそのhref="http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b164265.htm"
target=_blank>答弁内容を以下に記す。
・遺棄化学兵器に関する質問主意書 提出者 鈴木宗男
内閣衆質一六四第二六五号 平成十八年五月二十六日
遺棄化学兵器に関する質問主意書 一 化学兵器の定義如何?このようなスクープ内容を知った上でも、なお、日本政府が化学兵器を廃棄する義務を負うとの答弁(五)が腑に落ちない。 この問題において、高松明内閣府遺棄化学兵器処理担当室長が売国しているとの噂があるようだ。
答弁『化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約(平成九年条約第三号。以下「化学兵器禁止条約」という。)第二条1において、「化学兵器」とは、弾薬類及び装置であって、その使用の結果放出されることとなる毒性化学物質の毒性によって、死その他の害を引き起こすように特別に設計されたもの等をいう旨が規定されている。』
二 遺棄化学兵器の定義如何?
答弁『化学兵器禁止条約第二条6において、「遺棄化学兵器」とは、千九百二十五年一月一日以降にいずれかの国が他の国の領域内に当該他の国の同意を得ることなく遺棄した化学兵器をいう旨が規定されている。』
三 「正論」二〇〇六年六月号は水間政憲氏執筆の論文「スクープ!"遺棄化学兵器"は中国に引き渡されていた」(以下、「水間論文」という。)を掲載しているが、政府は「水間論文」の存在を承知しているか?
答弁『御指摘の「論文」が「正論」平成十八年六月号に掲載されていることは承知している。』
四 現在、日本政府は中国において遺棄化学兵器の廃棄を行っていると承知するが、その法令上の根拠を明らかにされたい?
答弁『我が国は、化学兵器禁止条約に基づき、中国における旧日本軍の遺棄化学兵器の廃棄に向けた発掘、回収等の事業を行っている。』
五 太平洋戦争の終戦時に、日本軍が中国軍もしくはソ連軍に対して引き渡した化学兵器を日本政府は廃棄する義務を負うか?
答弁:『御指摘の「引き渡した」がどのような行為を指すのか必ずしも明らかではないが、我が国は、化学兵器禁止条約上、二についてで述べた「遺棄化学兵器」を廃棄する義務を負う。』
六 「水間論文」によれば、日本の民間団体に引き渡された約六百冊の兵器引継書が存在するが、これまで政府はかかる文書の存在について承知していたか?
答弁:『御指摘の「兵器引継書」について、「正論」平成十八年六月号に掲載されていることは承知しているが、その存在等については、確認していない。』
七 「正論」二〇〇六年六月号のグラビアに掲載された「スクープ旧日本軍兵器引継書」で言及されている「三八式野砲九〇式代用弾(甲)」、「四年式十五榴弾砲榴弾」、「四一式山砲榴弾甲」、「四一式山砲榴弾乙」は化学兵器に該当するか?
答弁:『お尋ねの兵器が一についてで述べた「化学兵器」に該当するか否かは明らかではない。』
・target=_blank>鈴木宗男議員が支那の言いがかりに対抗
nikaidou.com 【6/11(日)12:45】
<ある人より投稿> 下記は http://www.shugiinmps.go.jp/mailsend/ での配信です。
遺棄化学兵器の支那からの言いがかりの件について、鈴木宗男議員が質問主意書を提出しました。 --------------------------
一 「前回答弁書」において、政府は「御指摘の『兵器引継書』について、『正論』平成十八年六月号に掲載されていることは承知しているが、その存在等については、確認していない。」と答弁しているが、
政府は「正論」平成十八年六月号に掲載された「兵器引継書」に関して調査を行う意向を有しているか否か について明確な答弁を求める。
二 中国における遺棄化学兵器を担当する政府の部局と責任者の官職氏名を明らかにされたい。
三 内閣府もしくは外務省の職員が、「正論」平成十八年六月吋に楊枝された「兵器引継書」をもとに、質問、質疑を行おうとした国会議員に対し、「遺棄化学兵器の問題は取り扱い如何によっては日中関係に悪影響を与える恐れがあるので、国会における質問については配慮して欲しい」との働きかけを行ったという事実があるか。
四 高松明内閣府遺棄化学兵器処理担当室長が、在ソヴィエト連邦日本国大使館に勤務した時期に裏金組織
『ルーブル委員会一の運営に関与し、闇レートで現地通貨ルーブルを購入したり、任国の法令に違反する形で秋川市をルーブルで販売し、その汲、裏全組織一ルーブル委員へどのメカニズムを用いて外貨に換金したという事実があるか。
右質問する。 --------------------------
この四に登場する高松明氏こそ、2006年4月7日に、中国において、中国のメディアに href="http://www.cn.emb-japan.go.jp/media_j/media060407_j.htm"
target=_top>遺棄化学兵器のブリーティングを行い、「化学兵器を保有することは国際法違反にあたるという意識が強かったため、終戦後ただちに地面に埋設したり、水中に投棄したケースも少なくなかったと考えられる。
これらについては、日本国内で旧日本軍人に対して聞き取り調査を行い、部分的には確認している」という、日本及び日本軍の名誉を踏みにじる、真実とは全く正反対の嘘の内容を述べてきた人間です。戸井田議員は、質問の中で高松明氏は委員会に出てこないと言っておられました。
このような事態にあって高松明氏はご自分がなさった支那における答弁について、内閣委員会で質問に答える義務があると考えます。みなさんはどうお考えになりますか?
(コメント) style="FONT-WEIGHT: bold; COLOR: #ff0000">売国する役人、高松明とやら。個人情報を調べ上げ、どこから金をもらっているのかを調べたほうがよさそうですな。まさか、シナの毒ガス処理等で実績のあるIHIやら何やらと関係はないだろうな。え?あるって?そしたら贈収賄じゃない。死刑が相当だな。
中国メディアへのブリーフのホームページから、「化学兵器を保有することは国際法違反にあたるという意識が強かった」などの発言が修正されているようであるが、この一連の問題に関して、高松明氏が、平成18年6月7日の外務委員会にて参考人として招致されたようだ。高松氏の認識が誤りで、化学兵器を保有することは国際法違反にあたらないことや、日本のトップの発言としては軽率であったことがあかされた。
・第20号(平成18年6月7日(水曜日))
第164回国会 外務委員会
○松原委員 今回、幾つかの質問をさせていただきたいと思いますが、冒頭、まず遺棄化学兵器の問題からお伺いをしたいと思っております。
第一にお伺いしたいことは、外務省にお伺いしたいわけでありますが、化学兵器を保有することは国際法違反であったということが、いわゆる大東亜戦争、一九四五年の戦争の前の状況で、使用することは禁止されていたというふうなことが言われているわけでありますが、保有することに関しての禁止条項というのはあったのかどうか、お伺いしたいと思います。
○塩崎副大臣 これは戦前の話でもございますが、当時、今御指摘のとおり、国際法上、化学兵器の保有自体は禁止されていないで、使用は禁止されていたということになっておりまして、それは、ヘーグ陸戦規則及び一九二五年のジュネーブ議定書というのがありまして、これらで化学兵器について戦争で使用することを禁止したもので、化学兵器の開発、生産、保有までは禁止しなかったというのが事実だと思います。
○松原委員 今の塩崎副大臣のお話であれば、使用は禁止だけれども保有は禁止されていなかった、こういうことになるわけであります。
そこを押さえた上で御質問を続けていきたいと思うわけでありますが、在中国日本大使館ホームページで、四月七日、「高松内閣府遺棄化学兵器処理担当室長による中国メディアへのブリーフ」というものが日本語と中国語で掲載をされているということであります。このことは事実でしょうか。
○高松政府参考人 お答え申し上げます。
事実でございます。
○松原委員 その中で、中国側のマスメディアとの議論のやりとりがあるわけでありますが、問いがありまして、「遺棄化学兵器はすべて中国の東北地方にあるのか。」という問いに対してのお答え。この答えは、高松室長がしているわけでありますが、「文献等資料が残っておらず、自分の個人的な推測であるが、化学兵器は日本の広島県の大久野島で生産された後、中国大陸に持ち込まれたと考えられている。これらの化学兵器の大部分は中国東北地方に配備されたが、東北以外の部隊もまた化学兵器を装備していたと考えられる。戦後、中国の各地方にいた日本軍は、これも私の個人的な推測であるが、化学兵器を保有することは国際法違反であるという意識が強かったため、直ちに地面に埋設したり水中に投棄したケースも少なくなかったと考えられる。これらについては日本国内で」、こういうふうな文章が続いているわけであります。
まず、この中で「化学兵器を保有することは国際法違反であるという意識が強かった」ということを高松さんは言っておりますが、この発言をしたわけですか。
○高松政府参考人 お答え申し上げます。
当時は、御承知のとおり、第一次世界大戦におきます毒ガス使用、そういったことに対する非常に厳しい国際的な認識ないし世論があったというふうに認識しておりまして、また、そういった旧軍関係者への聞き取り調査におきまして、一部の関係者が、当時ジュネーブ議定書により化学兵器の使用が禁止されていた、そういうことに言及しつつ、化学兵器は当時旧軍により対外的に極めて慎重に取り扱われていたといった趣旨の証言をされているところでございます。
御指摘の私の発言は、こうした証言等を念頭におきまして、旧軍関係者の化学兵器に対する当時の認識を個人的な推測として述べさせていただいたものでございます。
○松原委員 先ほどの塩崎副大臣のお話で、保有は当時禁止されていなかった。高松さんのこのブリーフを読むと、保有も禁止されていると、「化学兵器を保有することは国際法違反であるという意識が強かった」、極めて具体的に「国際法違反であるという意識が強かった」と書いてある。ちょっとこれはよくわからないんだな。事実は、保有は禁止されていなかった。しかし、国際法違反という意識が強かったと。
なぜ、これをまた中国の記者とのブリーフで言う必要があったのか、ちょっと答えてもらいたい。
○高松政府参考人 今お答え申し上げましたとおり、当時、一般的に、化学兵器の製造、保有ないし使用につきましては国際的に非常に厳しい世論があったというふうに考えております。特に、旧軍におきましては、そういったことについて非常に対外的には慎重に取り扱っていたというのが私の認識でございます。
御承知のとおり、生産場所の大久野島は我が国の地図には全く載せられなかったということもございます。
失礼いたします。
○松原委員 ちょっとやはり発言が軽率だと思うんだよね。これを言うこと自体が僕は非常にどうかなと思うけれども、戦後、中国の各地方にいた日本軍は、これも私の個人的な推測であるが、事実は国際法違反ではないけれども、保有することはいけないという意識が強かったと言うのだったら、それはまだわかりますよ。こういう表現を使うというのは、私は少なくとも、日本の政府関係者のこの問題の一番の担当者が言うということの重みを考えてほしいと思うんですよ。
それで、これも私の個人的な推測であるが、化学兵器を保有することは国際法違反であるという意識が強かったため、直ちに地中に埋設したり水中に投棄したケースが少なくなかった。これは、例えば参議院の委員会でも、あそこは山谷さんが質問したと思いますが、それぞれの委員会で、遺棄化学兵器が本当に遺棄されたかどうかというのが今、日本の国会で議論されているときに、担当者が中国の記者との質疑の中で、私の個人的な推測だがと言って、地面に埋設したり水中に投棄したケースが少なくなかったと考えられる、ここまで言うというのは、これはどういう認識で言っているわけですか。
国会で、遺棄されたのかどうか、我々日本の旧軍は武装解除するときに相手に渡しているというような資料も随分出てきている。この間の外務委員会でもそれを私は取り上げました。その中でなぜ、個人的な推測だがと言って、水中に投棄したケースが多かったとかと。高松さんが評論家だったらいいですよ。日本の国の遺棄化学兵器の担当室長でこういう発言をするというのは、麻生大臣、これはどうお考えですか。ちょっと内閣官房とは違いますが、大臣に御所見をお伺いしたい。
○麻生国務大臣 ちょっと担当の役所と違いますので、他省庁のあれなんで何とも言えませんけれども、今松原先生から御指摘を受けるような内容を、向こうに何となく保有も禁止されていたかのごとき感じを与える可能性がある発言だなとは思いました。
○松原委員 麻生大臣、重要なのは、しかも、個人的推測で、地中に埋設したり水中に投棄したケースがあったと考えられると。今この部分で国会でも議論がなされているときに、これを中国のメディアとの議論で言っちゃったら、では、我々の国会でのその議論は何なんだ。国会の議論は関係なく、担当者は、私の個人的推測です、個人的推測といったって、室長ですからね。
今麻生大臣にお答えいただきましたから、今度は塩崎副大臣、こういうふうなことを、山谷さんあたりも遺棄はされていないというふうなことを言っているときに、個人的推測だが埋設したり投棄したケースがあると思われると中国のマスメディアに語っている。ちょっとこれ、塩崎さん、御感想をお伺いしたい。
○塩崎副大臣 御案内のように、九七年になってやっと開発も生産も保有も禁止ということになったこの化学兵器でありますが、先生御指摘のように、今問題になっているのは中国において日本が遺棄をしたのかどうかということでありますから、事はやはり正確に言った方がいいというふうに思います。
○松原委員 少なくとも、中国のマスコミとの質疑で、在中国の日本大使館のホームページにこれが掲載されている。これを見た中国の人は、これは日本の担当者で、ある意味では対立する側のトップの人間が言うんだから間違いないよというふうになるわけであります。私は、高松室長に、やはり自分のお立場を考えて、発言する場合は慎重に発言をしていただきたいということを、これはもう既に流れているので、今後これをどうするかということは、この事態も見ながらでありますが、とりあえずきょうはそのことを強く要望しておきたい。
次に、私はこの外務委員会での質疑で何回も訴えてきたわけでありますが、やはり今、日本を悪者にしようという議論が中国やアメリカで非常に起こっている。アメリカはやはり原子爆弾を投下したトラウマというのがありまして、例えば広島の原爆ドームが世界遺産に登録されるときに、どうもそれに一番抵抗したのがアメリカだという話はマスコミで伝わっているわけでありますが、結果として、あの、人類に原子爆弾というものを投下したということに対して、アメリカのそのことを正当化しようとする人たちは、戦前の日本は原子爆弾を投下してもおかしくない悪い国だった、ある意味ではナチス・ドイツ・レベルの悪い国だった、だから彼らには原子爆弾を投下することの正当性がある、こういうふうな恐らく論理立てを求める人たちはいるだろうと私は思っております。
従来、私もこの外務委員会で質疑をしましたが、中国においては、逆に今の中国共産党、例えば北京市の市の副部長が七億円とかそういう額のお金をいつの間にか蓄財をしていた、泥棒が入ってびっくりした、こういう話も伝わっている。
結局、そういった中で、年間で七万件の五十人以上の規模のさまざまな反乱といいますか、農民一揆といいますか、そういったものが起こっている。その矛先、中国共産党はあのゲシュタポのような日本を中国大陸から追っ払ったんだから、まあ、今の状況に対しては多少目をつぶって、この栄光をきちっと評価しなさいと。愛国主義教育というのは、時間軸を現在から昔に戻すことによって、現在に対しての国民の怒りを昔に対しての思いの中で共産党に対する意識の高まりをつくる私は一つの国家的な戦略ではなかったかというふうに思うわけでありますが、そこで言われるのは、アメリカにおいてもそうであります、中国においてもそうであります、結果として、日本という国が悪い国だったということをつくり上げることによってそのレトリックは成立をするわけであります。そういう中で、私は、非常に今アメリカという世界の世論の中枢においてこういったプロパガンダが進んでいるというふうに思っているわけであります。
そういう中で幾つか質問をしていきたいと思うわけでありますが、まず第一に、中国に対する円借款等の凍結が解除されるというのが新聞に報道されたわけでありますが、この具体的な中身について教えていただきたいと思います。
(後略)
払う必要がない賠償金をむしり取られた上に、「日本という国が悪い国だったということをつくり上げる」ことに加担するほど哀れなことはない。
昨年の高松明氏に対する山谷えり子議員のお願いはいったい何だったんであろうか。
・参議院 外交防衛委員会 平成17年10月13日(木曜日)
参議院議員 山谷えり子〜yamatani-eriko_com
- 山谷えり子君
引き続き、本当にお働きをお願いしたいと思います。
最後に、遺棄化学兵器、この席でも私、以前質問いたしましたけれども、これは経済援助ではないから明細書も含めてきちんと計画、いろんな行動を、やり取りすべきだということを指摘させていただきまして、町村外務大臣もそのとおりだというふうに御答弁くださいました。
現在、十一日から十五日まで内閣府の江利川事務次官が中国に行っていらっしゃると思いますけれども、どのようなことをなさっていらっしゃるんでしょうか。
- 政府参考人(高松明君)
お答え申し上げます。
現在、委員御指摘のとおり、江利川内閣府事務次官が十一日から十五日までの日程で中華人民共和国、北京及び吉林省のハルバ嶺の両地を訪問しております。訪問の目的は、遺棄化学兵器処理事業に関しまして中国側と協議を行い、事業促進を図り、併せて事業の中核となりますハルバ嶺の現地を視察することでございます。
御承知のとおり、ハルバ嶺におきましては大規模な遺棄化学兵器の処理関連施設を建設する、そのために日中間でいろいろな建設方法及び施設運営体制等につきまして安全面、環境面に配慮してこれを行うというために協議、調整を行ってきております。今回、次官の訪中に際しましても、遺棄化学兵器処理事業の促進を図るために、こういった問題につきまして中国側の要人と協議する予定でございます。
高松明氏による中国メディアへのブリーフの内容を読むと、賠償することが目的になっており、山谷議員の願いが無視されているようである。
※下記『(答)』の部分が、高松明氏の回答内容である。
・高松内閣府遺棄化学兵器処理担当室長による中国メディアへのブリーフ
在中国日本国大使館
(前略)(問)中国での処理事業はどのぐらいの時間、またどのぐらいの費用がかかるのか。
(答)まず、できるだけ早くこの事業を実施したいと考えている。化学兵器禁止条約では、発効後10年で処理することが規定されている。ただし、現在でも中国各地で発見されており、10年経った後も発見される可能性はある。今後、発見される遺棄化学兵器をどのように処理するかという問題について、現在、日中双方で協議を行っている。
また、日本政府は巨額の資金を投入しこの事業を行うことを決意しており、実際に実行している。現在までに、約350億円以上の資金をこの事業に投入しているが、今後、施設の建設が始まると、更に多くの費用が日本政府の資金として投入されることになる。
(問)高松室長の今回の訪中目的は何か。
(答)中国政府とハルバ嶺事業をどのような形で実施するか等について協議を行った。日本は処理事業の実施に対しすべての責任を有しているが、他方、中国国内において同事業を実施するため、中国政府の協力が必要で不可欠である。そこで、どういう形で協力を得るか、その協力の中で日本がどういう形で責任を取るのか、どのような体制で建設作業等の事業を行うのか等につき協議を行っている。
(後略)
「日本がどういう形で責任を取るのか」との発言が簡単にでてくる人物であるからこそ、現在までに約350億円以上も資金を投入した上に更に日本政府の多額な資金が投入されても何も感じないのであろう。中国の話がいかに間違っているかを主張し、この出費を無くすことが、外務省の仕事ではあるまいか?次のように言われないように恥を感じて欲しい。
・外務省自体が日本への工作をしてないか?
nikaidou.com 【6/23(金)5:30】
<cさんより>
「朝鮮総連系メンバーに選挙された「児童の権利条約」意見交換会
児童の権利条約---。国連の下、192ヶ国が締結しているこの条約の目的は、 全ての子供の保護と人権の尊重にあるはず。 ところが、外務省が開いた条約についての意見交換会は、朝鮮総連系のメンバーに占拠されていたのである。
3月17日の意見交換会は、外務省によれば、日弁連、子どもの権利条約レポート連絡会議、第3回報告書を作る会、と三つの団体が参加したという。もっとも、これでは団体の由来は分からないが、手元の資料によれば、たとえば「連絡会議」の参加予定メンバーは23人で、その内訳には仰天するほかない。在日本朝鮮人人権協会から3人、在日本朝鮮人民主女性同盟から3人、そして朝鮮学校オモニ会連絡会から3人。なんと朝鮮総連系のメンバーが9人を占めるのだ
ネット規制に総連がかかわってますね。
style="FONT-WEIGHT: bold; COLOR: #ff0000">↑外務省自体が日本への工作をしているのでは、と思ってしまいます。外務省の体質についていろいろ難しいことを言う人がいるのですが、実はきわめて単純で、「今の幹部のほとんどが、カネ(贈収賄だけではなく裏金など含む)あるいは女(ハニートラップだけではなく単純な不倫とかも含む)などに負けていて、その弱みを諸外国の工作組織に握られているだけじゃないでしょうか。部下の役人どもは上が狂っているのを百も承知でいながら、「事なかれ」「保身」で何も言わない→やがて同じアナの狢になる、というだけの話でしょう。どこかでそれを切り捨てる大手術をしないと日本はよくなりませんね。日本の国益を考えた場合、犯罪外交官でも見逃さなくてはならない
(諸外国が日本の犯罪外交官をマスコミにリークしても、日本国としては「その犯罪外交官は犯罪を犯していない」と対外的に発表、しかし道義的責任を取らせるという言い訳で外務省のポストから離してしまう)
こともあるでしょうが、国益を考えればやむをえないかとも思います。
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・(H17.6.30)旧日本軍の毒ガス…中国公安と朝日・毎日新聞の共同反日賠償工作疑惑
・(H17.8.29)旧日本軍の毒ガス…靖国問題同等レベルへの発展の危機
・(H17.8.31)鹿笛:旧日本軍の製造とみられる毒ガスで…本当?
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恒例、悪夢の季節が北の将軍様に到来したご様子
・平成14年3月29日
日本軍事情報センター
北朝鮮の4月、5月、6月は、厳しかった冬の季節が終わり、人々が食糧を求めて移動を開始する時期である。また昨年秋に収穫した穀物などの保存食糧が枯渇してくる時期でもある。毎年この時期になると、北朝鮮では高度の警戒体制をひいて、軍隊や治安部隊が大規模暴動に備える配備につく。
今年も4月になれば、また敵が攻めてくるという警戒警報が出されるのだろうか。それとも、そう何年も同じ手は使えないと判断して、韓国の大統領特使の受け入れなのか。ドンドン追い詰められていく北朝鮮で、何か変化が起き始めているのか。
・平成17年6月8日
日本軍事情報センター
毎年、昨年秋に収穫した穀物(保存食料)を食べ尽くし、冬の寒さが弱まる春から初夏にかけて、北朝鮮では大暴動が発生する可能性が高くなる。食糧を求めて人々の移動が頻繁になるからである。
そのため、今までは春になると全軍に非常警戒命令を発令して、地方規模での暴動を鎮圧できる体制を取るのが常であった。しかし今では最も安全なはずの平壌での暴動も想定する事態に追い込まれたようだ。その証明が今回の情報統制処置なのである。
かの国の食糧が、必要量に比べて約100〜150万トン不足している。この構造が変わらない限り、花粉症の季節と同様に、悪夢の季節も、毎年訪れることとなる。
・コリアが発明したオンドルは優秀だ!
そのため、私は、この季節になると特に北朝鮮の状況が気になる。案の定、何かを起こすのが、かの国である。
・北 ミサイル発射準備、テポドン2号
日本軍事情報センター 平成18年6月19日
北朝鮮の軍人向け内部文書では、軍隊の中でも日常的に餓死するものが出ているし、集団脱走や兵士による強盗事件が多発しているという。また最近の脱北者の話しでは、親しい知人同士では、金正日の批判が行われているという。イラク戦争が始まった3年前と比べると、北朝鮮の末期症状はより深刻になっている。(参考資料 「北朝鮮軍の全貌」 清水 惇著 06年1月 光人社刊)
また本日の産経新聞では、北朝鮮で生産された覚醒剤が国際的に厳しい取り締まりで国外に出せず、国内に流れて中毒者が増えているという。
ミサイル発射でアメリカを挑発して、経済制裁を解除させたいという狙い以上に、国内向けに緩んだ国民の気持ちを引き締めたいとの目的を感じる。ブッシュ政権が北朝鮮のミサイル発射で態度を軟化させることはあり得ないからだ。そんなことは北朝鮮も十分にわかることである。
とにかく今日は、”北朝鮮がミサイルに液体燃料を注入した可能性がある”という朝6時のニュースで目が覚めた。いよいよ北朝鮮が本当に崩壊する瞬間が始まったような気持ちである。今年の夏が越せるのだろうか
(省略)
それにしても北朝鮮とは不思議な国である。私には北朝鮮が自分の喉にナイフを突きつけ、お金や食糧をくれなければ喉を突くと脅しているように見える。偽札を作り、覚醒剤を密輸する、国際支援で韓国からもらった肥料をタイに横流す。自国民の多くが飢え、人権を無視した政治が行われている。
それに韓国である。韓国の盧武鉉大統領は北朝鮮の圧政で苦しんでいる北朝鮮・国民の苦しみは理解できないのか。
北朝鮮では、自国で生産された覚醒剤を売りさばくことができずに、中毒者が国内で蔓延しているもよう。まるで、このことを予期したかのように、大日本焼肉文化研究所のMUSASHIさんが、次のように断言していたことが凄い。
・覚せい剤
大日本焼肉文化研究所blog 【2006/06/01 21:54】
覚せい剤と言えば北朝鮮。
日本の覚せい剤の大半は北朝鮮で生産されている。
そして北朝鮮から在日コリアンの暴力団に覚せい剤が渡され、日本で販売されるという筋書き。
が、覚せい剤だが、日本に迷惑をかけるだけなら北の将軍様は問題ないが、自国で覚せい剤を製造すると必ず自国民に覚せい剤が蔓延することになる。
例えば偽札と言えば北朝鮮だが、ドルの偽札を作りすぎて、北朝鮮ではどれが偽札か解らないのでドルを使うのを辞めてユーロを使い出した。
要は、偽札とか覚せい剤を製造すれば、他国だけでなく自国も滅ぼすことになるのだ。
ドルの偽札で自爆した事実のアナロジーとして、覚醒剤が蔓延すると考える思考法が、予想の的中率を上げるのだろう。この力をつけたい場合は、以前の記事「偉大なる在日コリア人の秘密!」で、同氏が書かれた
『★在日済州島人の歴史SAMPLE』も参考になるかもしれない。
そんな識者のテポドンに関するお話を次にご紹介する。
識者の目:
・テポドン
大日本焼肉文化研究所blog 【2006/06/17 14:28 】
北朝鮮のバックに中国がいる限り、テポドンの発射をやりかねない。
北朝鮮は太平洋らへんに打ち込むかもしれないが、精度が悪すぎるので下手したら日本列島に落ちかねない。
というか中国に落下するかもしれない(笑)
あまりに精度が悪いので絶対に平壌上空を経由しないようにミサイル発射基地が作られている(笑)
下手したら平壌に落下するかもしれないからね。
テポドン問題に対する麻生外相の反応が良い。こちらの意志を伝えることが、税金の浪費を抑止することの良いお手本となるので。
・麻生外相「日本にミサイル発射すれば攻撃と見なす」
中央日報 2006.06.18 16:52:46
共同通信が18日ニューヨーク発で、複数の外交筋が明らかにしたものとして報じたところによると、米国と日本は「北朝鮮が『大浦洞(テポドン)2号』を発射した場合には、国連安保理で対応する方針を固めた」との認識を示した。
(省略)
全 74 件の一言があります
宇宙人 推薦 : 59
2006-06-18 20:38:18 中国といいソ連といい、世界に害悪しかもたらさない国が、世界平和を希求するとかいう国連で常任理事国を勤めているなんてばかな図は、地球以外には考えられないね。もし宇宙人なんてものがいて、正しいことを考える能力があれば、なんで地球人は中国やソ連を排除してまともな国の連合体を再構成しないのかと問うのではないか。邪悪な中国、醜悪な朝鮮ということか。
さて、これから秋ぐらいにかけて、この問題が、どのように食糧援助の話題に切り替わるのかを観察していきたい。
とりあえず、現状のステータスは、次の通りである。
・WFP、北朝鮮への食糧支援を再開
中央日報 2006.05.11 15:41:27
世界食糧計画(WFP)は11日、春窮期(前年の食糧を食べ尽くした3〜6月)を迎え、食糧不足問題が深刻化している北朝鮮に、食糧支援を再開することで、北朝鮮当局と合意した、と伝えた。
食糧支援の再開について協議するため、2日間の日程で北朝鮮を訪問した後、北京に戻ったバンバリー・WFPアジア局長はこの日、記者会見し「来週末から北朝鮮への食糧支援を再開するだろう」とし「今後の2年間、190万人が食べられる食糧が支援される予定」と説明。WFPは今年2月、北朝鮮への食糧支援再開を承認したが、北朝鮮がモニターを10人に制限しようとッ主張し、支援を再開できずにいた。
WFPは食糧配給を監視するために常駐するモニターを、北朝鮮側の要求通り32人から10人に減らし、北朝鮮事務所も以前の5カ所から平壌(ピョンヤン)の本部だけを残すことにするなど北朝鮮の要求を受け入れた。
全 24 件の一言があります
中道右派 推薦 : 14
2006-05-13 17:37:10 北が自分で拒否したのだから再開する必要はない。
破廉恥 推薦 : 17
2006-05-13 08:18:16 内乱等で国家が機能せず、食糧が不足して飢餓に瀕している国にWFPが食糧援助をするのは分るが、北朝鮮は独裁者とはいえ、金正日が国を取り仕切り、一応国家としての体をなしている。その北朝鮮が食糧危機というのは全て最高責任者である金正日の責任である。国民を飢えにさらすような人物に国家を運営する資格はない。そんな北朝鮮は援助を受ける立場にあるにも拘わらず、「モニターを減らせ」などと破廉恥な要求している。WFPは北朝鮮に食糧援助をするのであれば、金正日に責任を取らすべきである。そうでなければ援助はすべきでない。
豚キム 推薦 : 23
2006-05-12 08:46:35 てか、 核兵器の研究・製造をやめて そのういた費用(金)で 南チョン からキムチ等を買えば良いジャン!? 日本から ちょっとだけだけど・・・脱脂粉乳をあげるにょ。。。
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・(H17.06.23)拉致被害者奪還では武力を背景にした交渉が一番では
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・(H17.12.10)偉大なる在日コリア人の秘密!」
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侵略できると思う者が敵であると同時に、それを防衛できると思わない者も敵
本日のテーマの出発点を、昨日と同様に、マキアヴェッリとする。
・国家篇 47
マキアヴェッリ語録 [著] 塩野 七生
わたしは、改めてくり返す。国家とは軍事力なしには存続不可能である、と。それどころか、最後を迎えざるを得なくなる、と。・・・
もしも、あなた方が、なぜわれわれに軍事力は必要なのか、フィレンツェはフランス王の保護下にあるではないか、ヴァレンティーノ公爵チェーザレ・ボルジアだって、攻撃してくる恐れもないではないか、と言われるのなら、わたしはそのような考えほど軽率なものはないと答えよう。
なぜならすべての国家にとっては、領国を侵略できると思う者が敵であると同時に、それを防衛できると思わない者も敵なのである。君主国であろうと共和国であろうと、どこの国が今までに、防衛を他人にまかせたままで、自国の安全が保たれると思ったであろうか。
「すべての国家にとっては、領国を侵略できると思う者が敵であると同時に、それを防衛できると思わない者も敵なのである。」との言葉に対して、我が国において、その敵が何にあたるのかをまず知るべきだ。
そして、敵を知った上で、それを放置するとどのようになるのかを想像し、そうならないようにする対策をみなさんにも検討して頂きたい。
「領国を侵略できると思う者が敵である」との言葉に対して、現在、その態度すら隠さない明らかな国は、北朝鮮、中国であろう。
北朝鮮は、拉致問題、工作船などによる諜報活動、テポドン発射などの多くの事件を実際に引き起こしている。次の「東京を火の海にする」との発言も、まだ記憶に新しい。
・北朝鮮「東京を火の海に」 2004年 09月 24日
散歩道
米国が核戦争起こせば「東京が火の海に」・北朝鮮紙
北朝鮮の労働党機関紙「労働新聞」は23日、「日本が米国の対朝鮮(北朝鮮)・対アジア軍事戦略の最重要拠点」と題する論説を掲載した。「米国が核戦争を起こせば、在日米軍基地は日本の生存を脅かす巨大な時限爆弾と化し、日本を核戦争の火の海にする導火線になることは避けられない」と警告した。北朝鮮が運営するホームページ「わが民族同士」などが伝えた。
日本人拉致事件をめぐる北京での日朝実務者協議の開幕を25日に控えているだけに「火の海」発言が波紋を広げる可能性もあるが、拉致事件の真相解明に向けて北朝鮮への強硬姿勢を崩さない日本側との駆け引きの一環とみられる。
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20040923AT2M2302823092004.html
なんかもう、追い詰められすますなー。
もうどうとでもしてくれという感じです。
最近になって半島危機が取りざたされるようになっただけで、本当は随分前から危なかったんだよね。
こういうことを言うから自衛隊の権限が強化されるんだけど自分の首をしめているのが分かっているのだろうか。
中国は、尖閣諸島、上海領事自殺事件、我が国に照準を当てた核ミサイルなどの問題が燻っている状態であるが、チベットなどの周辺国に対する信じがたい虐殺を実際に犯している。
そのような虐殺を対岸の火事とは、思わないで、放置すれば何れ我が身に降りかかってくると考えるべきだ。そう考えた上で、次の衝撃的な二つの記事を読んで頂きたい。
・隠蔽された。チベットの真実
仏教美術館
チベット国は有史以来、ただの一度も中国領土だったことはありません。
独自の文化・言語・価値観を持った完全なる独立国家で、国土の平均標高は4500m、空気中の酸素は平地の約3分の1程度です。インドから直接に伝えられた仏教を信奉し、生活のすべてが「お祈り」と共にある宗教国家で、全国民の約20%が僧侶や尼僧でした。
1911年、現在の中国で辛亥革命が起こり、中華民国の建国が宣言された際も、隣国チベットは清朝以来の対等外交を保つべく、主権国家としての立場を表明、中華民国もそれを認めました。
太平洋戦争の開戦前、経済封鎖された日本国に対し、チベット政府から大量の羊毛が送られて来ました。その理由はただ、「同じ仏教国が苦しい思いをしているから」でした。
戦争突入後、チベットは一貫して中立を守り、日本との国交は変わらず続けられていました。
当時の日中戦線において、中国はアメリカから武器弾薬等をビルマ経由で輸入していましたが、このルートが日本軍によって絶たれた後、連合軍側はヒマラヤ越えのチベット・ルートを開こうとしました。しかし、先代のダライ・ラマ13世はあくまでも中立を貫き、アメリカ大統領特使の強硬な要求にも断じて応じませんでした。
このあまりにも理想主義的な外交が、やがてチベット国に悲劇をもたらす結果となりました。
1945年8月15日・・・日本の敗戦です。
日本との国交を継続していたチベットは、なんと国際舞台で「敗戦国扱い」をされるようになってしまいました。
その後、戦勝国によって「国連常任理事国」が結成され、中国もそのメンバーになりました。
これが更なる悲劇の幕開けでした。
第二次大戦終結後、新たに東西冷戦が始まりました。中国やソ連を代表とする共産主義陣営が世界の覇権を目指しました。インターナショナル・コミンテルンと呼ばれる政治勢力です。
「無宗教こそ文明だ。仏教を信じるチベットは野蛮人の国だ」中国は、共産主義によるアジア大陸統一のために、ヒマラヤ山脈のむこうにあるインドを領土化する必要がありました。その足掛かりとして、チベット国に狙いを定めたのです。
毛沢東は、青年時代のダライ・ラマ14世を「洗脳」する計画を進める一方で、極秘にチベットでの高地戦闘に耐えうる特殊部隊を編成していました。
若き日のダライ・ラマ法王は、少しは共産主義に魅かれるものがあったといいます。
でも、毛沢東のこのひと言で、考えが変わりました。
「君の態度はとても殊勝でよろしい。だが君が信じている仏教は、人民にとってきわめて有害だ。
すべての宗教は、毒なのだ」ダライ・ラマ法王は毛沢東のもとを去りました。
まもなく中国の高地戦闘特殊部隊がチベット国境を侵犯。まともな軍備を持たない「祈りの国」は、ひとたまりもなく侵略されてしまいました。
そして1959年の3月、首都のラサで、人類史上空前の大規模な「民族浄化」が開始されました。殺戮に次ぐ殺戮。破壊に次ぐ破壊。強奪に次ぐ強奪。レイプに次ぐレイプ・・・。チベットにはそれまで15万人の僧侶と尼僧がいましたが、虐殺と強制改宗によって1400人に減らされてしまいた。すべて残虐行為は、「改革解放」の名で強行されました。
ある僧侶は、大きな仏像をくくりつけたロープを滑車に通して首にかけられ、仏像の重みを使って絞首刑になりました。この処刑は公開でおこなわれました。
ある尼僧は、警棒の形をした5万ボルトのスタンガンを性器に入れられ、感電死させられました。
彼女の死体は裸のまま路上に捨てられました。
一般民衆は強制労働へと駆り出され、過労死するか自殺するまで、徹底的に働かされました。
「強制断種」(チベット男性の生殖機能を手術によって奪うこと)。
「強制交種」(チベット女性を中国男性と交わらせ民族の血統を絶つこと)。
そして、子供たちは親元を引き離され、散り散りになりました。
死者の総数は、なんと128万人に達しました。
祖国を失ったチベット国民に、インド首相ネールはヒマラヤの街『ダラムサラ』を提供しました。そこに亡命政府が樹立され、現在に至っています。
中国領チベットでは、今でも「民族浄化」が続けられています。
しかし、侵略の当事者である中国が国連常任理事国であるために、国連平和維持軍は手出しができないのです。
自由と独立を訴えるチベット人は、思想犯として逮捕され、すさまじい拷問を受けています。ある尼僧さんは、わずか15分ほどの平和的なデモに参加しただけで、刑務所に投獄されました。彼女はその後、なんと2カ月ものあいだ拷問され続けたのです。多くの男性たちが見ている前で全裸にされ、飢えた「拷問犬」によって全身を噛まれました。
チベットの小学校では、中国共産党から派遣された洗脳教師による「仏教否定教育」が行われています。そのなかに「殺生の実践」という宿題があるのです。仏教徒であるチベット人は、小さな頃から無益な殺生はしないように家庭で躾けられています。中国人教師が出す宿題とは、子供たちに毎日一匹ずつ生き物を殺して来るように命じるのです。ムシなら1点、ネズミなら2点、ネコなら3点、イヌなら5点、という具合に採点されるのです。
これほどの大問題に対して、わが国の政府は黙殺しています。
ノーベル平和賞受賞者のダライ・ラマ14世が来日する際も、日本外務省はいちいち侵略者である中国共産党にお伺いを立てて指示を仰いでいます。
日本の政府が無視する理由は、いわゆる弱腰外交。加えて政治家の利権も絡んでいます。
また、日本のマスコミも政府の方針に右へならえで、まったくと言っていいほどチベット問題を報道しません。その理由は、報道会社といえど企業ですから、広告収入に関わるスポンサーの意向を無視するわけにはいきません。人命より中国経済市場のうま味が優先されてしまうのです。
加えて、マスコミに影響力のある知識人のほとんどが左翼運動家くずれであるため、自分たちの思想信条で共産主義国を好き勝手に美化し、真実を隠蔽しているのです。
続いて、これ。
・政治家の本来の姿とは
この日本をどうする [著] 石原 慎太郎
福田 中国はかなりふざけたことやってますよ。新華社の記者が山ほど来てて、毎週毎週ユーゴ人民の英雄的な戦いなんて特集を組んだ上に、今日はNATO機が何機落ちるでしょうなんてクイズをやっているんです、テレビで。現地の軍人は頭に来ますよ。
石原 成田空港を作っていた時は、廖承志がやってきて、歴史的な闘争だって反対派を支援して金をばらまいた。それでいて飛行場ができれば、台湾の飛行機は成田に降ろすなって言うんだからね。
この間、昔の海将が僕のところに来てね、航空会社のコンサルタントをしているんだが中国のミリタリアタッシュと時々話すらしい。それで、つい数日前に会って話したら、われわれ軍人からみれば、石原さんが言っていることはまったく正しいといってたそうだ(笑)。正しいも正しくないも、中国は120万人殺したチベットにインドへ向けての戦術核ミサイルを配備しているし、インドが反発したら、その敵のパキスタンに技術を与えて核開発させている。知らないの日本人だけだよ。
この様な敵に対抗するためには、一昨日前に述べた軍備の増強に加えて、我々の心構えを正すことが大事である。
・国家篇 49
マキアヴェッリ語録 [著] 塩野 七生
真の防衛力とは、ハードな面での軍事力だけではない。軍の評判というものも、軍事力に数えられるべきである。
不当に戦いをいどまれたら全力をつくして闘う軍隊、と思われることは、敵をひるませる要因の一つに立派になりうる。
自衛力とは、武器と戦意を合わせて計られるべきであろう。
中国の軍事費用増大に目をつぶる一方で、防衛費削減させてきたことや、イラク派遣時に武器を持たせないようにさせることが、自衛隊の戦意低下に結びつく愚行であったことに気付くべきだ。
そして、自衛隊員に無事で帰還できるよう心から祈願できるようになるべきだ。税金を必要としない我々の心構えが、戦意向上につながり、国防に寄与できる。
さて、文頭のマキアヴェッリが言う「それを防衛できると思わない者も敵」に該当する国内での敵とは誰であろうか?
そもそも防衛の必要性すら感じていない者も敵と言えるのではなかろうか。その点においての敵は、憲法9条に固執する団体、平和都市宣言をする無責任な地方自治体、それについて何も考えない無関心な国民であろう。
例えば、次の護憲キャンペーンについて考える。
・又市幹事長吠える 「日本は戦争放棄しているので、他国は攻めて来ません」
mumurブルログ
又市幹事長吠える 「日本は戦争放棄しているので、他国は攻めて来ません」
北陸中日新聞
『九条守れ』街で訴え
富山などで 市民グループ 護憲キャンペーン
憲法記念日
街頭で護憲をアピールする「日本国憲法をまもる富山の会」のメンバー=富山市婦中町で憲法記念日の三日、県内では憲法改正を危惧(きぐ)する市民グループなどが街頭運動を行い、護憲を訴えた。
富山市婦中町の「ファボーレ」前では、「日本国憲法をまもる富山の会」のメンバーが、「平和」と記されたうちわやステッカーを通行人や運転手らに配った。事務局長を務める坂本義夫弁護士は「(改憲すると)米国に加担して戦争に参加してしまう」と訴えた。
富山市のJR富山駅前では、「憲法擁護県民連合」がキャンペーンを展開。街宣車上でマイクを握った参院議員の又市征治・社民党幹事長は「九条で戦争を放棄しているから、他国は日本を攻撃できない」と、憲法九条の意味を説明した。同連合は四台の街宣車で県内全域を回り、護憲をPRした。 (木村尚公)
じゃ、社民党の若い女性職員もしくは議員の娘に「私は男に襲われても絶対に抵抗しません。話し合いで解決します」と宣言してもらおうか。
日本人よりも信仰深いチベットの「平和を願うお祈り」が、侵略しようとする意志を持った中国には叶わなかった。それにもかかわらず、チベット人よりも信仰深くない人間が念仏のように「護憲キャンペーン」を唱えたところで、どうなるだろうか?
他国の侵略する意志を挫くためには、それを超える圧倒的な軍事力であることは、歴史が証明している。我が国の軍備拡張の阻害と、隊員の戦意低下の両輪で軍事力低下に結びつくのが護憲キャンペーンである。従って、護憲キャンペーンは、敵国の侵略意志を増徴させるだけの、百害あって一利なしといえよう。
無責任な地方自治体や、無関心な国民については、次の対談が、私の考えをよく描写しているので、引用する。
・「自立」の前提になるものは何か
この日本をどうする [著] 石原 慎太郎
(省略)
金 地方自治体の多くが「平和都市」という宣言をして、そう記した柱のようなものを役所の庭なんかに立てているけれど、同じ能天気さですね。そう宣言すれば諸国民がそれを尊重してくれると本気で思っているとすれば、もう日本人の人の善さ自体が、その生存を危うくしていると言える。
これも昨年末の「朝生」だったと思いますが、北朝鮮のテポドン・ミサイルの脅威をめぐって議論になったとき、作家の野坂昭如さんが、「とにかく抵抗しない。降伏する」と言うのでびっくりした覚えがあります。それでいて自分の妻子に危害が及んだら断固として守るというようなことも言うので、私にはその非論理性が訳が分からない。結局、誰も本気でそれを脅威とは受け止めていないんですね。
石原 野坂も、非責任になっちゃったということなんだろうな・・・。政治家にしても役人にしても、一般国民を含めてみんなそうなってしまった。これは責任を負って頑張ってきた人たちを、戦後はいかに冷淡に扱ってきたかという問題に行き当たる。警察官だって、消防士だって、まして自衛官は、責任というものをアプリオリにして励まなかったら成り立たない仕事です。そういう本質を持った職業に従事する人間は、非責任社会では逆に煙たい、目障りな存在にされてしまいかねない。責任を負って死んだ人間に対する名誉の処遇ということも忘れ去られてしまう。
野坂さんに限らず、国民の多くが、拉致や防衛など何事にも他人事のように無関心になり、それでいて、当事者となったら憤慨するような非論理的な人間になってしまった。平和都市宣言などをする奇妙な自治体が多いのは、多くの非論理的な人間が役所で勤めた結果に過ぎない。このままでは、敵国に攻められて滅ぼされる以前に、阪神大震災などのような震災で自滅しかねない。このような状況が本当によいのか、国民一人一人が考えるべきに差し掛かったのではなかろうか。
現状を打破する上で、まず、個人や国家の価値観を見つめなおすのも良いと思う。
・三軍統合防災訓練の意義とは
この日本をどうする [著] 石原 慎太郎
石原 わが国において、”非常時の決断”で思い出すのは、昭和61年に起きた伊豆大島・三原山の噴火で、当時中曽根首相が全島民に避難命令を出したことです。実際に艦船を派遣して都区内に非難させたわけですが、間に合わないことがあってはならないと閣議にもかけず一人で決断した。厳密には内閣法違反、憲法違反だけれども、最高責任者としてはよくその孤独な決断に耐え得たと私は思っている。
ここでもう一つ考えなければならない問題があって、そのとき中曽根さんは島民の非難が完了するまでは残れといって、町長や警察署長ら数人を島に残している。都民、国民の生命を守るのが努めであるけれど、それがすべてではない。命を守るためだけに国政があるとするなら、命を捨てても任務をやり遂げなければ成らない自衛官や警察官、消防士といった同じ国民の存在とは矛盾する。命さえ助けられれば国政は目的を果たし、それでいいとする論理と矛盾が生じる。
国政の目的は、確かに国民の生命財産を守ることにあるけれども、そこにはより高次の概念があるべきです。それは命を捨てても守るべき国家の価値、われわれ一人一人の歴史に連なる国家の存続を確保することであり、政治家には常にそれを意識していなければならない。実際に誰かに対して死地に飛び込むことを命じるわけですから、自らもその決断に責任を負う覚悟が求められるのは当然です。
命を捨てても任務をやり遂げなければ成らない自衛官や警察官、消防士などに恥じぬよう、被害が及ぼされるまで無関心である自分たちの姿を、見つめなおしたい。
【追記H18.6.17】
私は、命を捨てても任務をやり遂げなければ成らない方々がいることを誇りに思う。このような任務に対して、前述した平和都市宣言をする無責任な自治体や、護憲キャンペーンを実施する怪しげな市民グループは、どう考えているのだろうか?
日本人としての暖かい心が、欠落したように見受けられる。このような現象が起きるのは、マスコミの偏向報道だけではなく教育も悪い。教育で大事だったことは、「個性を伸ばすこと」よりも「人の気持ちが理解できること」ではなかろうか。
・松井、イチロー、中田
バカの壁 [著] 養老 孟司
では、脳が徹底して共通性を追求していくものだとしたら、本来の「個性」というものはどこにあるか。それは、初めから私にも皆さんにもあるものなのです。
なぜなら、私の皮膚を切り取ってあなたに植えたって絶対にくっつきません。親の皮膚をもらって子供に植えたって駄目です。無理やりやるとすれば、免疫抑制剤を徹底的に使うなんてことをしないと成功しません。
皮膚ひとつとってもこんな具合です。すなわち「個性」なんていうのは初めから与えられているものであって、それ以上のものでもなければ、それ以下のものでもない。
生みの親とだって、それだけ違うのに、何で安心して、違う人間に決まっていると言えないのか?逆に意識の世界というのは、互いに通じることを中心としている。もともと人間、通じないものを持っているに違いない。だから、アラブとイスラムの考えはわかるけれど、そういう「個」というものを表に出した文化というのは、必ず争いごとが起きている。
こう考えていけば、若い人への教育現場において、おまえの個性を伸ばせなんて馬鹿なことは言わない方がいい。それよりも親の気持ちが分るか、友達の気持ちが分るか、ホームレスの気持ちが分るかというふうに話を持っていくほうが、余程まともな教育じゃないか。
そこが今の教育は逆立ちしていると思っています。だから、どこが個性なんだ、と私はいつも言う。おまえらの個性なんてラッキョウの皮むきじゃないか、と。
逆に今、若い人で個性を持っている人はどういう人かを考えてみてください。真っ先に浮ぶ名前は、野球の松井秀喜選手やイチロー選手、サッカーの中田英寿選手あたりではないでしょうか。要するに身体が個性的なのです。
彼らのやっていることは真似できないと誰でも思う。それ以外の個性なんてありはしない。
(後略)
また、次のような「愛」を教えることも大事であろう。
・四つの愛
国家の品格 [著] 藤原 正彦
「四つの愛」とは何かと言うと、まず「家族愛」です。それから「郷土愛」、それから「祖国愛」です。この三つがしっかり固まった後で、最後に「人類愛」です。
順番を間違えてはいけません。家族愛の延長が郷土愛、それら二つの延長が祖国愛だからです。日本ではよく、最初に人類愛を教えようとしますが、そんなことがうまく行くはずがありません。「地球市民」なんて世界中に誰一人いない。そんなフィクションを教えるのは百害あって一利なしです。まずは家族愛をきちんと整える。それから郷土愛。それから祖国愛です。このうちのどれかがかけていたら、世界に出て行っても誰も信用してくれません。
私は、ガーナ人でガーナを愛さない奴がいたらブッ飛ばします。韓国人で韓国を愛さない奴がいたら張り飛ばします。仮に張り飛ばさなくても、少なくともそういう人間とは絶対に付き合いません。根無し草と付き合っても、何一つ学ぶものがないからです。
これは日本国内に当てはめても同じことです。青森出身の人は、青森を、沖縄出身の人は沖縄を、愛していればいるほど、人間として魅力的で信用もできる。鹿児島でも北海道でも同じです。
ところが、現在の教育は、ひどいものである。藤原正彦氏が述べたような「家族愛の延長の延長が人類愛」の考え方ではなく、「地球市民」(東京書籍などの中学校歴史教科書)が出発点である。
・まとめ 「まえがき」「あとがき」を比較・検討する
全「歴史教科書」を徹底検証する―教科書改善白書〈2006年版〉 [著]三浦 朱門
(前略)
東京書籍には「まえがき」がなく、はっきりした主張を述べた「あとがき」もないが、「これからの日本と世界」という結語の中で、次のように述べている。「日本が地球社会の中で大きな役割を果たすうえでの大切な課題の一つに、差別をなくし、人権を尊重する社会を築くと言うことがあります。部落差別の撤廃は、国や地方公共団体の責務であり、国民的な課題です。在日韓国・朝鮮人やアイヌの人々、外国人労働者などへの偏見や差別をなくすことも、日本人一人ひとりの課題です」「国際社会に生きる人間(地球市民)として、よりよい社会づくりを考えていきましょう」。以上のように「地球社会」「地球市民」という言葉が踊っているが、その中身は「差別をなくし、人権を尊重する社会を築く」ということに大きなウエイトがかかっている。
(中略)
帝国書院も、「いまの自分にたちかえって」という結語の中で、次のように述べている。「部落差別、アイヌの人々や在日コリアンへの差別、障害者・老人など社会的に弱い立場の人々への差別などは、基本的人権にかかわる重大な問題です」「地球上にともに生きる地球市民として、まず一人ひとりの個性や考え方を認め合うことが必要です」
日本書籍新社も、「激動する世界のなかで」という結語で、次のように述べている。「南北問題・地球環境問題などの深刻化は、世界各地の人々の中に『地球市民』としての自覚を芽生えさせている」
(中略)
以上の6社(東京書籍・大阪書籍・教育出版・日本書籍新社・帝国書院・清水書院)は、差別反対・人権重視・反戦平和・地球市民の思想に立脚している点で、おおむね共通しているといってよい。”金太郎飴”でもあるまいに、判で押したようにどの教科書も似たり寄ったりなのは、ある意味では驚くべきことだが、教科書の種類はたくさんあってもそれを書いている執筆者の歴史観はさして変わらないということを意味している。その根底に牢固(ろうこ)としてあるのは、戦後の日本国憲法を金科玉条のように信奉する反戦平和主義の思想である。しかし、このような考え方には、非常に多くの国民が違和感を持ち始めていることも事実であり、憲法改正に賛成する国民がすでに過半数を超えている国民世論の動向とも乖離している。また、これらの教科書は、「太平洋戦争」を「侵略」と決めつける、非常に一面的な歴史観を強調することでも共通しており、「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」という指導要領の観点からも疑問を抱かざるを得ない。
(後略)
このような教育では、祖国を愛する気持ちや、命を捨てても任務をやり遂げなければならない自衛隊などの方々の存在を誇りに思うことができなくなる。平和都市宣言をする無責任な自治体や、護憲キャンペーンを実施する怪しげな市民グループは、我々の教育が生み出した結果である。教育を変えない限り、この現象に歯止めがかからないだろう。皆さんにも、教育問題に関心を持ち続けていただきたい。
扶桑社の歴史教科の「まえがき」と「あとがき」を参考までに引用し、おしまいにする。
・歴史を学ぶとは
新しい歴史教科書―市販本 [著] 藤岡 信勝
●先祖が生きた歴史
歴史を学ぶとは、過去のできごとを知ることだと考えている人が多いかもしれないが、これは必ずしも正しくない。歴史を学ぶのは、過去におこったことの中で、過去の人がどう考え、どう悩み、問題をどう乗り越えてきたのか、つまり過去の人はどんな風に生きてきたのかを学ぶことだ、といったほうが良い。
これから学ぶ歴史は、日本の歴史である。これは、いいかえれば、みなさんと血のつながった先祖の歴史を学ぶということである。あなたの最も身近な先祖は、あなたのご両親だ。両親の先には、4人の祖父母がいる。こうして世代をさかのぼるにつれ、あなたの先祖の数は増えつづける。この日本列島に住んでいた人たちは、現在教室で机を並べているあなた方の共通の祖先であるということもわかる。日本の歴史は、どの時代を切っても、すべて私達の共通の先祖が生きた歴史なのだ。
●日本文明の伝統
世界のどの国民も、それぞれ固有の歴史をもっているように、日本にもみずからの固有の歴史がある。日本の国土は古くから文明を育み、独自の伝統を育てた。古代において、日本は、中国に出現した文明から謙虚に学びつつも、みずからの伝統を失うことなく、自立した国家をつくりあげ、着実に歴史を歩んできた。そのことは、今に伝わる文化遺産・歴史遺産を観察すればよくわかる。
欧米列強諸国の力が東アジアをのみこもうとした近代にあっては、日本は自国の伝統を生かして西欧文明との調和の道を探り出し、近代国家の建設と独立の維持に努力した。しかし、それは諸外国との緊張と摩擦をともなうきびしい歴史でもあった。私達の先祖の、こうしたたゆまぬ努力の上に、世界でも最も安全で豊かな今日の日本がある。
・歴史を学んで
新しい歴史教科書―市販本 [著] 藤岡 信勝
○ 外国の文化を学びつつ独自性を維持 ○
日本の歴史を今、学習し終えたみなさんは、日本人が外国の文化から学ぶことにいかに熱心で、謙虚な民族であったかということに気がついただろう。日本人は、外国の進んだ文化を理解するために、あらゆる努力をおしまずにやってきた民族だった。
古くは、遣隋使や遣唐使が、木の船で荒波を越える危険をおかして、留学生を送り出した。留学生は中国で長い期間を学習についやした。帰国できないで死亡する者、やっと帰路についた途中で嵐にあって遭難してしまう者も少なくなかった。明治になると、留学生たちは西洋文明を学ぶ使命を帯びてヨーロッパやアメリカに渡った。当時はまだ飛行機がなかったから、ときには1か月以上もかけて、船で渡ったのである。
このように、日本人は外国から深く学ぼうとしたが、それによって自国の文化的な独自性を失うことはなかった。それは各時代の文化を見ればよくわかる。飛鳥文化から江戸の文化にいたるまで、いずれをとっても日本らしいユニークな個性を備えつつ、しかも世界に通用する普遍的な魅力をもっているからである。
○ 方向が見えない二つの理由 ○
ところが、ここ半世紀は、必ずしもそうとはいえない時代になってきた。それはなぜだろうか。
日本人が外国の文明に追いつけ、追い越せと頑張っているときには、目標がはっきりしていて不安がなかった。ところが今や、欧米諸国に追いつくという近代日本がかかげた目標を達成し、日本は、どの国も目標にはできない立場に置かれるようになった。これが、日本人が方向を見失いつつある一つの理由である。
しかし、もう一つ重要な理由がある。日本は長い歴史を通して、外国の軍隊に国土を荒らされたことがない国だった。ところが大東亜戦争(太平洋戦争)で敗北して以来、この点が変わった。
全土で約50万人もの市民の命を奪う無差別爆撃を受け、原子爆弾を落とされた。その後の占領によって、国の制度は大幅に変更させられた。戦後、日本人は、努力して経済復興を成しとげ、世界有数の経済大国の地位を築いたが、いまだにどこか自信をもてないでいる。戦争に敗北した傷跡がまだ癒えない。
○ 自国の歴史と伝統を学ぶ意味 ○
日本人が、これからもなお、外国から謙虚に学ぶことはとても大切だ。しかし、深い考えもなしに外国を基準にしたり、モデルにみたてたりすることで独立心を失ったたよりない国民になるおそれが出てきたことは、警戒しなくてはならない。
何よりも大切なことは、自分をしっかりともつことである。自分をしっかりもたないと、外国の文化や歴史を学ぶことも、じつはできない。そのために、さらに深く自国の歴史と伝統を学んでほしい。これが『新しい歴史教科書』を学んだみなさんに送りたい最後のメッセージである。
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・(H18.05.05)侵略できると思う者が敵であると同時に、それを防衛できると思わない者も敵
・(H18.06.11)マスコミで今も続くGHQの検閲の仕掛け
【参考書籍】
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マスコミで今も続くGHQの検閲の仕掛け
この原因の一つが、祖国を誇りに思えないような自虐的な情報を流布してきたマスコミと言われている。このマスコミによって、反日日本人が増加する構造的な問題を次に記す。
・第7章 マスコミ・文化人の大罪
日本をダメにした売国奴は誰だ! 前野 徹 (著)
市民団体という名の反日日本人
戦後の偏向教育の過程で現れたのが反日日本人だった。反日は、敗戦直後は左翼勢力がになっていたが、そのうちに偏向マスコミ、偏向教育による反日史観の吹き込みによって次の世代へと広がった。
それが目に見える形となって現れたのが、1960年代から1970年代にかけて燃え上がった学生運動だった。そのころから、もう30年以上たっている。反日日本人は、日本の社会の隅々まで拡大している。
すでに一般社会のなかにも反日日本人は根付いている。彼らは、かつてのようにゲバ棒を持って破壊活動を行うという過激な行動には出ない。市民団体という衣を着て、社会正義や人権擁護をかかげて政治や世論に働きかけ、日本の国を卑(いや)しめ、つぶそうとする。看板だけはもっともらしい分、一昔前よりはるかに始末が悪い。
(省略)
反日マスコミの意図的な誤報
(省略)
一見もっともらしい論理で、庶民の味方を気取っているが、空疎で何の定見もない、ただ大衆に聞こえの良い言葉で媚びる年収1億円を超える人気キャスターに、すぐばれるウソをでっち上げるテレビマン。
「病、膏盲(こうこう)に入ったな」と私は感じた。病気にたとえれば、第一世代は保身のために、やむなく敗戦病を受け入れた。第二世代は自ら積極的に病気になり、病原菌をまいた。第三世代は重い敗戦病に侵されているにもかかわらず、自分は健康体だと思っている。
全共闘世代に代表される第二世代は、病気にかかっていることがわかっていたので、まだ完治するチャンスはあったが、第三世代は病気になっていることさえも気づかない。
一度も戦後の価値観に疑問を抱いたこともなく、自虐史観を当然のことと考えて垂れ流すマスコミ世代の出現に、私は恐怖を覚える。
実際の病において、自己の体調が悪いことを認識する能力(病識)がない場合がある。この病識のない患者を病院につれていくのが、実はかなり厄介である。病院に連れて行こうとすれば「病人扱いするな!」と怒鳴られ、かといって放置すれば、病状が進行する。言葉を選んで説得しても、多くの場合は、もめる。このような経験はできれば二度としたくないものだ。だが、これと似たようなマスコミの被害を受けた病識のない患者が、あちらこちらにいるので、類例が起こり得る。そう考えると私も恐怖を覚える。
では、マスコミが、自虐的な情報を流布するようになったのは、何故なのだろうか?それを知るには、少し歴史を紐解く必要がある。
・現在もなお検閲下にある日本 江藤
断固「NO(ノー)」と言える日本 石原 慎太郎 (著), 江藤 淳 (著)
自主検閲をしくまれた日本
(前略)
当時米占領軍の民間検閲支援隊(CCD)は、毎月千九百万通から二千万通の郵便を取り扱い、そのうち月平均四百万通の私信を開封して、日本の世論の動向を探っていたからです。
石原さんと同じように、私も教科書に墨を塗られたりして、戦後の教育制度の激変に翻弄された世代ですが、今日から振り返ってみると、一番影響が今日に残っているのは、修身と地理歴史の教育禁止ではなかったろうかと思います。これは昭和20年(1945)12月31日、「修身、日本歴史及ビ地理ノ総テノ課程」がGHQ指令によって即時中止されたという出来事です。翌21年(1946)1月11日、文部次官はこれに関する「依命通諜」を各地方長官と学校長宛てに発しています。
修身はこの指令によって廃止され、紆余曲折を経て今日の道徳として復活しているけれどもいまだに教科書がありません。だから普通受験校では受験の補修、そうでない学校では遊び時間になっている。歴史について言えば、歴史教育を禁じた代わりに、GHQは昭和20年12月8日、日米開戦の日を選んで朝日、毎日、読売等の各新聞社に、用紙の特配をして4ページの紙面を作らせ、見開き2ページに「太平洋戦争史」なるものを掲載させました。これは「連合軍司令部提供」で、以後今日までの日本の近現代史の歴史記述を拘束しています。地理はさきほど言ったように、国境の画定、つまり戦後世界の分節化−意味づけそのものにかかわる教科だから禁止されたのです。
もう一つ影響が今日に及んでいるのは、言葉に対する占領権力の行使です。これは通常、「国語改革」といわれているもので、当用漢字新仮名の強制から始まりました。そこに検閲をするため、なるべく日本語を簡便にしたいというアメリカの意図が作用していたことは否定できないと思います。占領が終わって2年後の昭和29年(1954)から見直しに着手して、歴代の国語審議会がこの問題に取り組んできましたが、いまだに抜本的な改正はできていません。高校以上は原則的に自由だと言っても、義務教育段階で新仮名と制限漢字を強制されるから、事実上国民の国語能力がそれまでにコントロールされてしまいます。その結果、現在の若い人たちは旧漢字旧仮名で書かれた戦前の文献が読めなくなっている。岩波文庫にはいっている夏目漱石の作品さえ、原文を書き替えているというのが現状です。
日本占領中にCCD(米軍民間検閲支援隊)が行った検閲は二段階に分かれます。終戦後間もない昭和20年10月8日から昭和23年7月25日まで、全国主要新聞は事前検閲に付されていました。新聞、通信社の記事は、一切校正刷のまま、日比谷公園の市政会館内にあったCCD新聞係に持っていって、検閲を受けたのです。そして、OKならパスのスタンプを押されるのですが、デリートという削除やサプレスという全面掲載禁止の処置を受けることもありました。しかもこれは、戦前・戦中に日本の内務省や情報局の行った検閲と違って、検閲の証拠が残らないように周到な注意を払っていた検閲でした。だから、当時の朝日新聞でも読売新聞でも、アメリカ兵が婦女暴行をしたという記事が掲載禁止になると、突然、アメリカでは最近新しい冷蔵庫ができて非常に便利だなどという記事に差し替えられるというわけです。CCD当局は、あらかじめリーダーズ・ダイジェストあるいはAP,UP,INSなどという通信社が提供した穴埋め原稿を用意して、差し替えさせるということをしていた。なぜ検閲の存在を秘匿したかというと、ポツダム宣言の第10項に「言論の自由を保障する」ということが謳(うた)われており、占領軍が起草した現行日本国憲法の第21条も、「検閲は、これをしてはならない」と規定しているからでしょう。つまり、建前として日本は、「言論の自由」を保障されていることになっていたので、検閲はどうしても隠蔽されなければならなかった。別の言葉でいえば、戦後たしかに日本政府の官憲による検閲はなくなったけれども、それと同時に占領軍CCDの覆面検閲が始まっていた。「言論の自由」は少しも保障されていなかったということになります。
昭和20年から23年にかけて、大体東京裁判の決着がついた頃から事前検閲は事後検閲に移行しました。事後検閲とは何かというと、一応自由に書いてはいいのだが、刷り上ったものを占領軍CCDが見て、これはけしからん、となったときには回収断裁されたのです。裁断されれば事実上発行ができなくなるばかりでなく、版元も著者も莫大な損失を受けます。新聞に限らず書籍もそうでした。一番大変だったのは映画でしょう。投下資本が大きいから、一本撮り上げて、試写で事後検閲されて、「ダメ」と言われたら、何千万円、何億円という大金が全て無になってしまう。東宝もひどい目にあっていますが、日映などという左翼系の会社は、事実上検閲でつぶされたようなものです。
問題は、事前検閲よりも、事後検閲がそのまま自己検閲になって、その後遺症がいまも続いていることだと思います。わかりやすい例でいうと、例えば『「NO」と言える日本』という本を10万部刷ったとする。それが刷り上った段階で占領軍CCDの事後検閲にかけられ、「ダメ」と言われたら版元は大損をします。本は、断裁され、一冊も売れなくなるからです。そうすれば版元は、二度と石原晋太郎という著者には頼まなくなる。これが自己検閲・自主検閲です。
(後略)
このようにGHQの検閲のカラクリが、そのまま自己検閲となって、産経新聞を除く多くのマスコミの組織の中で今も続いている。マスコミにおける自己検閲のカラクリを構造改革することを望む。
さて、検閲指針に関する史料を次に記す。先人に残して頂いた史料を広めずにはいられない思いである。
・忘れさせられた事 (江藤淳氏追悼号)
国際派日本人養成講座 平成11年7月31日
(前略)
■5.検閲の中の民主主義ごっこ■
検閲の対象となったのは、軍国主義を鼓舞するような「民主主義に対する障礙」ばかりではなかった。民間検閲支局の検閲指針として、30項目の「削除または掲載発行禁止の対象となるもの」が挙げられていた。その中で、占領軍行政、連合国に対する批判はすべて封じられた。連合国の戦前の政策を批判したり、占領軍兵士の婦女暴行や強盗犯罪などの報道も禁じられた。
朝日新聞は、昭和20年9月前半までは米兵による婦女暴行の報道、原爆や病院船攻撃など連合国側の国際法違反に言及する記事を掲載していた。これが民間検閲支局の忌諱にふれて、48時間の発行停止処分を受ける。これを機に、朝日の報道は、180度転換して、占領軍の意向に沿ったものとなる。今日まで続く朝日の論調は、この時に始まったものである。
JOG(49) 終戦後の戦い
「満州における日本人取り扱い」への言及も禁じられたが、これは、ソ連による満州居留民の虐殺、日本軍将兵のシベリア抑留などのことであろう。またすでに始まっていたソ連との冷戦に関する情報も禁じられていた。「平和を愛する連合国」が残虐行為をしたり、仲違いを始めているというような事実は、都合が悪かったのである。
さらに検閲指針では、「連合国司令部が憲法を起草したことに対する批判」も削除または掲載禁止の対象とされた。占領軍による憲法改変は、国際法であるハーグ陸戦規則第43条の「占領地の法律の尊重」の違反であり、またポツダム宣言12条の「日本国民の自由に表明せる意思に従い」という条件に背反する。
占領軍が起草した日本国憲法の第21条第2項には、「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」とある。その蔭で、当の占領軍により、大規模な検閲が行われていたわけである。さらに上記「検閲指針」の違反者は米軍の軍事法廷で訴追され、江藤氏の調べた範囲での最高刑は、沖縄における強制重労働3年乃至5年であった。[3,p248]
占領下の日本は、見えない検閲システムの中で「自由ごっこ」「民主主義ごっこ」をさせられていたのである。
(後略)
■ 参考 ■
1. 「閉ざされた言語空間」、江藤淳、文春文庫、H2.1
2. 「忘れたこと忘れさせられたこと」、江藤淳、文春文庫、H4.1
3. 「一九四九年憲法−その拘束」、江藤淳、文春文庫、H7.1
ところで、事後検閲で、一番大変だったのは、映画だったとのこと。『花よりもなほ』(監督:是枝裕和)という映画が、次のように評判悪いのは、検閲のカラクリが原因だったのだろうか、それともマスコミや教育が原因だったのだろうか?
・日本映画「花よりもなほ」に見る映画界の日本破壊工作
☆☆甦れ美しい日本☆☆
誰に言われるでもなく、久しぶりに日本映画を見るかとぶらっと昨日封切のこの映画を見た。岡田准一 、宮沢りえ 、古田新太 、浅野忠信 、香川照之などが出演する映画で監督脚本は是枝裕和という人物。この監督Wikipediaで調べてみると1962年、東京生まれ。87年に早稲田大学第一文学部文芸学科卒業後、テレビマンユニオンに参加。主にドキュメンタリー番組を演出、現在に至る。95年に初監督した映画『幻の光』 が第52回ヴェネツィア国際映画祭で金のオゼッラ賞を受賞。以降 『ワンダフルライフ』 『ディスタンス』 と作品を発表。03年夏には初プロデュースした2本の映画 『カクト』 (伊勢谷友介監督)『蛇イチゴ』(西川美和監督)が公開された。04年、カンヌ国際映画祭にて『誰も知らない』が映画祭史上最年少の最優秀男優賞を受賞し、話題を呼ぶ。05年、自身がオリジナルに脚本を手がけた『花よりもなほ』で"仇討ち"をテーマにした初の時代劇に挑戦する。
ということで国際的に活躍している40歳台の団塊の世代とは異なる世代に属するようだ。
映画の筋はというと、元禄時代の「悪ふざけ」仇討ちもの。父の仇を討つため信州松本から江戸に出てきた青木宗左衛門は、長屋で実家からの仕送りだけが頼みの貧乏生活で、憎き父の仇、金沢十兵衛を探していた。仇討ちに成功した暁には、名誉の回復だけでなく褒美の金も入る。この宗左、まったく駄目な侍で、剣の腕は道場の稽古の域をでない。女々しいこの侍、近所の子どもたちを集めて寺子屋を開いている。生活臭ぷんぷんのおんぼろ長屋衆とこの侍とのお笑い物語。そこに赤穂浪士の浪人などが登場して、仇討ちや憎しみなどくだらないと、侍がいまそこにある元禄版「生命至上主義」生活をエンジョイしようというもの。昨今のテレビなどの低俗番組並みの脚本で、ここまで日本映画も堕ちたのかと唖然とした次第だ。
冒頭この太平の世の中(時は元禄時代)農民や商人(あきんど)は必要だが侍など必要はないと言い切り、まさにそれは戦後60年の平和ボケとサヨクの洗脳を受けた、自衛隊など必要ないと言っているようなものでまず血圧がアップ。
挙句の果ては侍として親の敵を討つという倫理観、使命感も根底から否定し、憎しみだけではむなしいと偽善に満ちた憲法序文のような科白を宮沢りえの口から言わせ、仇の子供や親を見て仇を討つことをやめてしまう。それでいてちゃっかり褒美の金を取るために仇討ち芝居を行いお上から金をせしめる。その行為自体を監督も脚本も賛歌しているのだ。僕に言わすれば、侍という日本文化をここまで不純で不潔極まりない姿に矮小化する、冗談でも許されない行為である。それは金のために売春をして、何がわるいとの女子高校生と同じ腐りきった精神の堕落そのものである。
しかもあの赤穂浪士討ち入りという、日本人の歴史上の誇りであるともいえる美談について、主君の仇討ちも茶化しまくり、浅野も49士も馬鹿扱いで、討ち入りが吉良の寝入り時を狙った卑怯なものだと聞き捨てならないことを言わせる。そして49士のなかで、討ち入り後一人消えた足軽寺坂吉衛門を登場させこの茶化しに色を添えさせる。あきんどが使う大阪弁を浪士に意図的に使わせるなどここまで美談を貶める意図がありありと見える。
江戸の長屋連が、綱吉の生類憐れみの令に逆らって犬鍋を食べる場面なども、徹底的に国家権力を悪として意図的にたたく監督の意図が見える。良く聞け!そこの監督よ、日本人に犬を食べる習慣などないことを!覚えておけ!
この監督まさに日本をメルトダウンさせようとの邪悪な意図があるのか、これでもかこれでもかと日本文化を矮小化し茶化しまくる。まるでどこかの第三国の謀略に沿って日本文化を根底から破壊させる意図ではないかと僕は見た。このような自虐映画が無抵抗に観客に受け入れられ、日本人自身が自尊心を傷つけたとの自覚も無く観客はただ笑う姿を見て、戦後の自虐根性が真綿で首をしめるように、ここまで来たかという感がある。これはもうまさに日本人もアメリカや中国の隷属民として「パンとサーカス」の民に成り下がったものといえる。アメリカの第51州か中国の第二のチベットの道は、いまそこにあるように見える。
そういえばこの映画、肥え溜やら、糞やら、雲固やら排泄物の話がテーマとしてあり画面から悪臭が漂ってくるである。日本文化を茶化しまくり、挙句の果て日本人の清潔感をあざ笑うような糞尿の世界を下卑た言葉で話しているのだ。もうこうなったら美的世界から程遠い内容である。このような映画が日本代表としてカンヌやベニスなどで大手を振って歩いているとすれば、日本文化が捻じ曲がった形で誤解されること間違いない。そしてくだらない戯言が精神的にも武装解除された抑止力ゼロの国として世界に恥をさらすことになること請け合いである。それこそこの映画の狙いではないだろうか。
反日という日本にとっての「最大の敵」は実は日本の内部に存在するという、この現実を痛感した次第である。
奥山篤信:
京都大学工学部建築学科卒
東京大学経済学部卒
三菱商事本社入社
6年余にわたる米国三菱ニューヨーク本店勤務を経て
平成12年退社
平河総合戦略研究所代表理事
「仇討ちに成功した暁には、名誉の回復だけでなく褒美の金も入る。」といった内容は武士道の精神が踏みにじられた気がしたので、再度、武士道について触れてみたい。武士道は、しばしば、次のような意味として使われている。
・戦争と平和を考える
日本には武士道というものがかつてあり、子供の教育にも、それが活かされていました。よく誤解されるのですが、「武士道」とは戦うことだと理解されているようですが、「武」は「矛を止める」意味であり、「士」は「そのことを理解している人」の意味で、「道」は「人の生きる道」と言う意味です。
この武士道には、「名誉」や「忠義」といったような徳目がいくつかある。「名誉」と「忠義」の徳目の意味は、次の通り。
・「武士道」Bushido The Soul of Japan
第八章 「名誉」−苦痛と試練に耐えるため
(名誉:すぐれているという評判を得ること)
不名誉はその人を大きく育てる
人を人たらしめている部分、そしてそれを差し引くと残るのは獣性しかない。
高潔さに対するいかなる侵害も恥とされた。そして羞恥心という感性を大切にすることは、幼少の教育においても、まずはじめに行われた。羞恥心は人類の道徳意識の出発点である。
武士道はなぜ忍耐強さの極致に達したのか
名誉の繊細な掟がおちいりがちな、病的な行き過ぎは寛容と忍耐で相殺される。ならぬ堪忍、するが堪忍、取るに足らない侮辱に腹をたてるならば、すぐれた人物にふさわしくないが、大儀のための義憤は正当な怒りである。
名誉はこの世で「最高の善」である
名誉は「境遇から生じるものではなく」て、それぞれが自己の役割をまっとうに努めることにある。恥となることを避け、名をかちとるためにサムライの息子はいかなる貧苦をも甘受し、肉体的、あるいは精神的苦痛のもっとも厳しい試練に耐えたのであった。もし名誉や名声が得られるならば、生命自体はやすいものだとさえ思われた。したがって生命より大切とする根拠が示されれば、生命はいつでも心静かに、かつその場で棄てられたのである。
第九章 「忠義」−人は何のために死ねるのか
(忠義:国や主人にまごころをつくして仕え、命さえ捨てること)
日本人の忠義とはいったい何か
主君に対する臣従の礼と忠義の義務は封建道徳を顕著に特色づけている。忠義心がもっとも重みを帯びるのは、武士道の名誉の規範においてのみである。
命令に対する絶対的な従順が存在した
義務の命ずるところに対する従順、そしてより高い世界から発せられる命令に対する絶対的な従順が存在した。
武士道では個人よりも国を重んじる
武士道においては、一族の利害とその個々の成員の利害は一体不可分であるとする。武士道はこの利害を愛情、すなわち自然で、本能にもとづくもので、かつ他の者がとってかわることができないもので結びつけた。
サムライの真の「忠義」はここにある
己の良心を主君のきまぐれや酔狂、思いつきなどの犠牲(イケニエ)にする者に対しては武士道の評価はきわめて厳しかった。そのような者は「佞臣(糟イシン)」すなわち無節操なへつらいをもって主君の機嫌を取る者、あるいは「寵臣(チョウシン)」すなわち奴隷のごとき追従の手段を弄(ロウ)して主君の意を迎えようとする者として軽蔑された。主君と意見が分かれるとき、家臣のとるべき忠節の道は、あくまで主君のいうところが非であることを説くことであった。もしそのことが容れられないときは、サムライは自己の血をもって自分の言説の誠であることを示し、その主君の叡智と良心に対して最後の訴えをすることはごく普通のことであった。
このように武士にとって、名誉や公が、個人の命よりも重んじられてきた。それゆえに、金銭のような経済的事項の価値観が優先されることが少なかった。
・「国家の品格」と「武士道」
スジャータの「善・禅」日記
●武士の金銭に対する価値観
(武士道の教育に数学がなかった理由は)武士道が損得勘定を考えず、むしろ貧困を誇るからである。(p.107)
武士は金銭そのものを忌み嫌う。金儲けや蓄財を賤しむ。武士にとってそれは真に汚れた利益だったからだ。(中略)したがって武士の子は、経済のこととはまったく無縁に育てられた。経済のことを口にすることは下品とされ、金銭の価値を知らないことはむしろ育ちのよい証拠だった。(p.108)
武士道が倹約の徳を説いたのは事実である。(中略)贅沢は人間を堕落させる最大の敵と見なされ、生活を簡素化することこそ武士の慣わしであった。(p.108)
このように金銭や貪欲さを嫌ったことで、武士道を信奉するサムライたちは金銭から生じる無数の悪徳から免れたのである。わが国の役人が長い間、腐敗から遠ざかっていたのは、ひとえにこのお陰である。だが、悲しいかな、現代においては、なんと急速に金権腐敗政治がはびこってきたことか!(p.109)
従って、是枝裕和監督が描写する「仇討ちに成功した暁には、名誉の回復だけでなく褒美の金も入る。」といった内容は、武士を侮辱した捏造と言える。また、「江戸の長屋連が、綱吉の生類憐れみの令に逆らって犬鍋を食べる場面」なども酷い。渡来人と称する大陸(中国、朝鮮)からの難民が日本に移り住んだ際に、騙された一部の日本人が犬食を試みたかもしれないが、文化としては定着していない。そのため、江戸時代における犬食などあるわけがない。
どこかの国の捏造武士と意図的に同一視されるのは、大迷惑だ。
・写真で見る哀れなコリア
大日本焼肉文化研究所
朝鮮の侍、MUSA=武士
朝鮮人のごちそう。
死を悟った犬は、朝鮮人のように泣き叫ばない。
この犬には武士道を感じる。
注)日本においても江戸時代に薬肉等としての犬食があったとの文献がある模様(追記6/13)
在日の犬肉事件も併記しておく
マスコミや映画の悪影響によって、無意識ながら反日日本人だった人が目覚める数よりも、新たに生み出される反日日本人の数のほうが圧倒的に多い。この構造のままでは、確実に国が衰退していく。そのことを、まず政治家や官僚の方々に気付いて頂きたい。
そして、できるところから早速改善して頂きたい。例えば、マスコミが国籍を隠して報道することは、すぐに改善できると思う。
・★<*`∀´> 犬の頭を大量に水路に捨ててくれてやったニダ!マンセー!
★厳選!韓国情報★ 2005年12月17日
■事件の概要
【朝日】水路に犬の頭部29個 食肉業者「処分困り、捨てた」[12/16]
16日午後1時50分ごろ、東京都葛飾区小菅1丁目の東京拘置所近くを流れる水路に、犬とみられる動物の頭部が大量に捨てられているのを通行人が見つけ、近くの交番に届けた。警視庁亀有署が調べていたところ、現場近くの食肉業者の男性(82)が名乗り出て、「処分に困り、コイのえさになると思って捨てた」と認めたため、同署は廃棄物処理法違反とみて容疑が固まり次第、書類送検する。
調べでは、この業者は10月20日午後9時ごろ、仕入れたものの売れ残った食用犬の頭部を2回にわたって水路に投棄したという。見つかったのは29個の成犬の首で、一部は白骨化していた。
業者は8年ほど前に中国から食用犬肉を輸入しはじめ、中国料理店などに卸していたという。これまでは売れ残ったものは有料ゴミとして出していたが、苦情が出るようになり、処分に困って水路に捨ててしまったらしい。
■テレ朝 報道ステーションより
【関連記事】
・(H17.8.24)売国マスコミの報道内容は反対の意味として理解すべし
・(H18.2.19)儒教の教えが中華思想となる中国、武士道となる日本
追伸
ここ半年程度で、読んだ書籍の量は、古本を含め、積み重ねると恐らく1メートルを超えると思います。先の記事「Blogを執筆し、早1年。得たことは・・・。」にて述べた多読の勧めは、この経験を踏まえてのことです。まだ読書量が足りないと思いますが、中には知らないほうが良かったと思えるほどの日本にとって厳しい内容のものも数冊見受けられました(気が重くてまだご紹介しておりませんが)。
この悶々(もんもん)とした気持ちを背負って一人BLOGを続けるのが気が重いので、是非みなさまにも実情を知っていただきたいと思い、以下のようなアマゾンさんのアソシエイトを時間があるときにでも追加していこうと考えております。興味のある分野からでよいので、是非、ご購読願います。
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【参考書籍】
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両極端なイメージを持つ政治家
・上海総領事館員自殺「職務の重圧原因」書面やりとり否定 外務省、宗男議員に答弁
産経新聞 - 6月6日15時58分更新
外務省の佐々江賢一郎アジア大洋州局長は6日午前の衆院決算行政監視委員会で、平成16年5月に上海の日本総領事館員の自殺問題に関し、中国が発生直後の日本側の申し入れに対し、「死亡原因が職務の重圧だったとしたので(日本側は)受け入れられないと答えた」と述べ、日中政府間で「職務の重圧が原因」とする書面をやりとりしたとされることを否定した。鈴木宗男衆院議員への答弁。
麻生太郎外相は「直接の原因は現地の中国公安当局者による恫喝(どうかつ)、脅迫それに類する行為があった。極めて遺憾な行為だ」と改めて強調した。
鈴木氏が外務省に直接、質問するのは昨年11月以来。これまで外務省の体質を指摘する質問主意書を連発してきたが、この日の質問でも、自殺問題の対応をただしたほか、在モスクワ日本大使館を舞台にして裏金づくりが行われていたのではないかと重ねて追及。在外公館職員が飲酒運転で起こした死亡事故などの不祥事への処分の甘さを指摘した。
宗男議員が頑張っているようだ。勉強不足の私に宗男ハウス等の嫌なイメージが残っているが、それはマスコミに刷り込まれたせいだったのだろうか。
宗男議員の天敵である外務省に対して、当該事件だけではなく「mumurブルログ」サイトの記事などを通して不信であった。
・【週刊新潮】朝鮮総連とズブズブの外務省 総連参加団体に乗っ取られた「児童の権利条約」意見交換会 (H18.5.26)
次の書籍を購入して、外務省のことを少し勉強してみたくなった。
・さらば外務省!――私は小泉首相と売国官僚を許さない+α文庫
天木 直人 (著)
レビュー
内容(「BOOK」データベースより)
「拉致」「イラク」「対中国・韓国」「国連」…総選挙では圧勝したかもしれないが、小泉総理、あなたの米国追従外交政策は、明らかに間違っている!キャリア官僚が、自分の首と引き替えにして、外務省の封印されたままの犯罪をすべて書き尽くした!今こそ、日本国民が自ら考えて、自分たちの手に正しい外交を取り戻すときである!―禁断のベストセラー、待望の文庫化。
とはいってみても、本音は、公務員の方々には、お天道様に恥じぬ生き方をして頂きたいと思う。なぜなら、日本の背骨である公務員の頑張りを期待しているし、その背骨を溶かす次の政策に反対の立場だからだ。
竹中や、その背後のアメリカに足元をすくわれるネタを自ら提供して欲しくない。
・竹中総務相、1―1・5%公務員削減は定員管理強化で
(2005年11月5日19時13分 読売新聞)
アメリカが国益のために、日本を陥れようとする理由は納得できるが、自国を陥れようとする日本人を見ると情けなくなる。
その一例として、靖国問題が解決できるチャンスが過去にあったが、そのチャンスを壊したのも日本人であった。
・ブッシュ米大統領に「靖国神社参拝の話があった」
散歩道 2006年 04月 25日
米大統領、訪日時に靖国参拝を検討…野田氏が明かす日中協会会長の野田毅・元自治相は25日、都内で日中関係などについて講演し、ブッシュ米大統領が2002年2月の訪日の際「靖国神社参拝(を検討していたと)の話があった」と明らかにした。
当時、野田氏は保守党の党首として与党首脳の立場にあり、複数の米政府関係者らから直接この計画を聞いたという。
大統領は、実際には明治神宮を参拝したが、野田氏は、「A級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社を参拝すれば、(米国の)大統領が東京裁判を否定することになる。だから代わりに明治神宮に参拝することになった」と語った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060425-00000212-yom-pol
しばしば出る話なので、ソースとして保存。
大統領が東京裁判を否定することになる根拠は、次の通り。
・ブッシュが靖国に行きたかった理由
日本をダメにした売国奴は誰だ! 前野 徹 (著)
平成14年2月、ブッシュ・アメリカ大統領が訪日した折、明治神宮を参拝した。実は、この参拝の舞台裏では見過ごせない小泉総理の大罪があった。
訪日に当たってブッシュ大統領が要望していたのは、小泉総理との靖国神社への参拝だった。だが、打診された外務省も官僚も、近隣諸国との悶着(もんちゃく)を起こしたくないとの事なかれ主義で、これを拒絶、明治神宮に変更された。
その上、小泉総理と一緒に参拝したいとの要望も蹴り、ブッシュ大統領夫妻のみの参拝になったという経緯を辿っている。
天皇陛下や日本の総理、大臣が訪米すると、国際的な儀礼としてまっ先にアーリントン墓地を訪れる。諸外国を訪問すれば、慰霊塔や無名戦士の墓に献花し、祈りを捧げる。
ところが日本では、訪日した国家元首や国王が靖国神社に参拝したいと望んでも、外務省は中韓に気兼ねして拒否する。国のために尊い命を捧げた英霊に対して、天皇のご親拝はもちろん、総理の参拝もままならない。
ブッシュ大統領の申し出は、このおかしな状況を一気に打開する絶好のチャンスだった。近隣諸国が公人の靖国参拝を非難する根拠となっているのが、東京裁判でA級戦犯とされた英霊が祀られていること。連合国の盟主で東京裁判開廷の主導的役割を果たしたアメリカ合衆国の大統領が靖国神社に参拝すれば、この根拠が吹っ飛ぶ。アメリカが戦犯でないと認めたことになるからだ。おそらくブッシュ大統領もその点を考慮しての靖国神社への参拝要望だったと考えられる。言ってみれば、小泉総理への手みやげである。
また、ブッシュ大統領と小泉総理が手を携えて靖国神社を参拝し、靖国に祀られる英霊が戦犯などではないことを示せば、戦後半世紀、日本人をむしばんできた自虐史観を払拭する契機にもなる。
ところが、この千載一遇のチャンスを外務省も官邸も見過ごした。最終的な決定権は、小泉総理にある。結局は、小泉総理が踏み切らなかったがために実現しなかったのだ。
(後略)
靖国神社参拝に小泉総理が踏み切れなかった理由として、外務省以外に、ポスト小泉と言われている福田康夫議員の存在も大きい。
・靖国代替施設は歴史への裏切り
日本をダメにした売国奴は誰だ! 前野 徹 (著)
(前略)
平成13年の参拝当日、総理は「内外の人々がわだかまりなく追悼の誠を捧げるにはどのようにすればよいか、議論をする必要がある」との談話を出し、これを受けて同年10月、福田康夫官房長官の私的懇談会として「追悼・平和祈念のための祈念碑等施設のあり方を考える懇談会」(通称、戦没者追悼懇談会)が設置され、靖国に代わる施設の審議がはじまった。
追悼懇ははじめから代替施設設置を前提としており、平成14年暮れ「国立の無宗教の恒久的な施設が必要だと考えるが、最終的には政府の責任で判断されるべき」とする答申を提出した。
(後略)
この福田康夫議員率いる私的懇談会のメンバは、以下の通り国会議員不在のようだ。
・追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会
首相官邸
(前略)
委員名簿
あがりえ やすはる
東江 康治 (前名桜大学長,元琉球大学長)
(座 長) いまい たかし
今井 敬 (社団法人経済団体連合会会長,新日本製鐵株式会社代表取締役会長)
うえしま かずやす
上島 一泰 (株式会社ウエシマコーヒーフーズ代表取締役社長,前社団法人日本青年会議所会頭)
かみさか ふゆこ
上坂 冬子 (ノンフィクション作家,評論家)
くさやなぎ ふみえ
草柳 文惠 (キャスター)
さかもと たかお
坂本 多加雄 (学習院大学法学部教授)[平成14年10月29日逝去]
たなか あきひこ
田中 明彦 (東京大学大学院情報学環教授)
にしはら はるお
西原 春夫 (学校法人国士舘理事長,元早稲田大学総長)
みくりや たかし
御厨 貴 (政策研究大学院大学教授)
(座長代理) やまざき まさかず
山崎 正和 (劇作家,東亜大学長)
国民を代表するはずの国会議員もなめられたものだ。国会議員が蚊帳の外で、一個人が大事な国の方向性を提言する。この汚い手口は、「皇室典範に関する有識者会議」と同じである。何とかして欲しい。
・安直な女性天皇容認は天皇制崩壊の危機に繋がる
こうなると福田康夫議員の対抗馬である安部晋三議員の期待が大きい。
・あとがきにかえて−日本再生の「起死回生策」
日本をダメにした売国奴は誰だ! 前野 徹 (著)
(前略)
石原さんとはスケールこそ違え、安部さんは若手政治家には珍しく、基軸のしっかりした歴史観と国家観、民族観を持っている。
晋三氏の父は元外務大臣の安部晋太郎さん、祖父は元総理の岸信介氏。お二人とも確固たる国家観、歴史観を有する政治家だった。とりわけ、岸さんは、当時の状況のなかで表面上はアメリカの意向に添うよう振舞ってはいたが、軸足のぶれない歴史観を規範に政治活動を行っていた。晋三氏は幼い頃から、父や祖父から問わず語りに日本の正史を聞かされていたのだろう。外圧にはビクともしない歴史観、国家観に貫かれている。
(後略)
ポスト小泉が、安部晋三vs福田康夫だった場合は、安部晋三議員を応援したい。そう思っていた矢先、「三輪のレッドアラート」さんのサイトのショッキングな記事が目に付いた。
・(H18.6.7)安倍晋三内閣など悪夢であろう
上記記事にもショックを受けたが、それ以上だったのが、舛添要一議員の件であった。舛添要一議員に対しては、中国のガス田問題における次の国会答弁の議事録を読んでから、好印象であった。
・参 イラク人道復興支援活動…-17号 平成16年06月11日
第159回国会
○舛添要一君 私は今日は、我が日本、海洋国家日本の海洋権益をいかに守るかという点について集中して質問いたしたいと思います。
こういう問題もちゃんとやらないで有事法制やってもどうしようもないんで、国益を守らない、自分の領土、領海をちゃんと守れないような国は諸外国から侮られるわけであります。これだけの海洋国家でありながら、最近、中国が調査を本当にやりまくっている。それから、尖閣諸島に対して不法に侵入する。しかも、それ十二時間後にしか対応できない。それから、油田の開発を我が経済水域のそばでやってしまっている。こういうことに対して全くどの省庁もばらばらで政府が統一していない。これは極めてゆゆしい事実で、事態であります。
そこで、まず中川経済産業大臣、お伺いします。先般のASEANプラス3のエネルギー大臣会議で、この点について中国側にあなたはどういうふうに問いただしましたか。
〔委員長退席、理事常田享詳君着席〕
それから、私、十五分しかありませんから、すべての関連省庁に質問いたしますので、五つの省庁にやります。一省庁三分しかありません。全部の答弁一分以内にしてください。お願いします。
○国務大臣(中川昭一君) おととい、今御指摘の会議に中国のエネルギー担当の責任者が来られましたので、前の会談で、今マスコミ等でも大きく取り上げられております日中中間線付近でのガス田の開発について、外交ルートを通じて今申入れをしている、データをきちっと教えろということについて一時間余にわたりまして協議をいたしました。
○舛添要一君 私は、これ国連海洋法七十四条の三項、つまり、「最終的な合意への到達を危うくし又は妨げないためにあらゆる努力を払う。」というので、努力していないですね。こういうことをちゃんと問いただしましたか。
○国務大臣(中川昭一君) 日本は国連海洋法七十四条及び八十三条を忠実に守っているという前提で、我が国の権益に違反する疑いがあるという前提で話合いをしたところであります。
○舛添要一君 相手が調査をやっているのにこっちが何にもしない。相手が試掘しているのをこちらが何もしない。中国見ているわけですよ。何やっても日本というのはぼけっとしてやらないな、それでどんどんやっちゃえと。もうここでわざわざ地図を示しませんけれども、どれだけの調査をやり、どれだけのことをやっているか御存じでしょう。
そうすると、経済産業省として、資源エネルギー庁として直ちに調査をやる、対抗するためにも。そして、調査やって、ほぼそこに天然ガスとか油田あること分かっているわけですから、試掘をやってくださいよ。どうですか。
○国務大臣(中川昭一君) 我が国として、基本的に権益を守るためにやるべきことはやっていかなければいけないと思っております。他方、両国の友好関係ということ、また、条約、法律等々もありますので、我が国としては、今までもやってきた向こうに対する問い合わせ、去年の十月もこの件に関してやっているところでありますけれども、今回、外交ルートを通じてやっているところでありますが、いろんな、我が国のその目的を達成するためにいろんなことをやっていかなければならない。今、舛添委員御指摘のようなことも十分懸念されるということを前提にして、いろんなことを今後やっていかなければならない。
ちなみに、調査については過去も複数回やっておりますし、また、公のデータによると、それが日本の中間線の中にその資源が入っているという公のデータもあるわけでございます。それが事実だとするならば、きちっとした対策を取っていかなければならないわけでございますので、そういうことも含めて、今慎重に検討しているところであります。
○舛添要一君 まあ、あなたの立場だとそこまでしか言えないと思いますけれども、権利の上に眠っていたらこちらの権利が主張できないんですよ。だから、日本の資源、どんどん中国が持っていくだけになりますから、我々は党の中で海洋権益を守るワーキングチームを作って提言まとめました。これ政府に持っていきますから、必ず実行していただきたいということを申し述べます。
さて、そういうことをやって、実際試掘をやる、調査をやる。それから我々は、中国の調査を妨害するために地震波を発生させるという、いろんなことがやれます。必ず中国は漁船団を組んだりして妨害に来ることが予想されます。
海上保安庁長官、どういう対応をしますか。手短に。
○政府参考人(深谷憲一君) 先生御指摘の我が国の排他的経済水域内において日本がそうした資源調査等の活動が妨害されるケース、その妨害の内容によりまして様々なケースが想定されますので、一律的に申し上げるのはなかなか難しい点もございますけれども、実際に行われる妨害の内容に応じまして、法令に従って警告、指導など適切な措置を講じていくということになろうかと思いますが、いずれにしましても、そうした場合には、その具体的内容に応じまして関係省庁と協議して、国内法に基づいて妨害を排除するための適切な措置を講じていきたいと、かように考えます。
○舛添要一君 まあ、能力はあると思いますけれども、あなたたちに十分な権能が与えられてないと思うんです。平成八年のガイドライン、平成十年のガイドライン、中身はもう時間ないんで言いませんけれども、恐らく現場はこれでは動けないと思っていると思いますが、どうですか。
○政府参考人(深谷憲一君) 排他的経済水域におきましてのいろんな法執行につきましては、一般論的に申し上げますと、国際法上、排他的経済水域において日本が、今テーマになっております資源調査等、これに対しての妨害行為、これについては、その排他的経済水域をも含めたいわゆる日本の領域外、領海外における国内法の適用、これにつきましてはあくまでも必要最小限の適切な範囲内でのみ許されるべきではないかというふうな考え方が一般的に多い中で、国内法的な問題もありまして、そういったものを踏まえながら、現実には先ほど申し上げたような対応をしていこうと、かように考えています。
○舛添要一君 しっかりやっていただきたいと思いますけれども、防衛庁長官、先般のあの北朝鮮の不審船のときに、海保がロケット弾を撃たれてやっているときに海上自衛隊後ろにいないと。スピードの違いもあるけれども、ああいうことが起こっちゃいけないんで、こういう海保がそこで現場でやるときに、ちゃんとP3C含めて海上保安庁をバックアップする態勢、自衛隊やれるんですか。で、そういう態勢取っているんですか。
○国務大臣(石破茂君) 基本的に、ああいう場合には第一義的に警察機関たる海上保安庁が対応するということでございますが、海上警備行動をいかなるタイミングで発令をするかということにつきましては、今後、海上保安庁ともよく議論をしながら、タイムリーにやっていきたいと思っています。
いずれにいたしましても、これは法律、それから装備、そして運用、訓練、そこのすべての場において海上保安庁と防衛庁・海上自衛隊との間で緊密な連絡を取っていかなければいけない。ワーキングチームの御提言も踏まえまして、私ども、政府部内できちんとした検討をして適切に対処をしてまいります。
○舛添要一君 防衛庁長官、私が心配している、そして国民が心配しているのは、例の不審船のときにP3Cで写真を撮ったけれども、あなたたち、その現像もできない、東京まで持ってこないとカメラでできないという、こんなばかなことをやっていたわけですね。間に合いませんね。こういうことをちゃんと改めましたか、その後。
○国務大臣(石破茂君) 相当に改善をいたしておりますが、私はあのときも先生と部会で御一緒でしたが、きちんとリアルタイムで電送できるというシステムを作らなければ駄目だと思っております。在り方検討の中におきましても今度の大綱の中におきましても、その点は極めて重視をし、優先をして整備をしてまいりたい、このように考えておりますが、よく政府の中で議論をしてまいります。
○舛添要一君 もちろん、備えあれば憂いなしということでちゃんとやれということを言っているんですが、かといって、私は別に日中関係を悪化させろとかそういう意図で言っているんではないんですね。隣の国であります。中国と友好的な関係を結んでいい関係を保つということは、これは当然のことです。しかし、是は是、非は非として、言うべきことはちゃんと言うという、そういう姿勢がないといけない。
しかし、今まで、我々のワーキングチームのこの検討過程におきましても、どうしても、これ外務大臣にお伺いいたしますけれども、そういう意味で中国に言うべきことはちゃんと言うという姿勢がない。そして、どうしても腰が引けている、それで先送りだと。いや、調査をします。調査してたって、実施しなければ、結果出さなければしようがない。向こうはどんどんやっている。
だから、大局的に日中関係をいい関係にするというのは私も当然だと思います。そういう中で、今回のこの海洋権益に関して調査であるとか尖閣諸島の問題であるとか、こういうことについて外務省としては私が今非常に腰が引けているという印象を持っていますが、外務大臣、どういうふうにお答えになりますか。
○国務大臣(川口順子君) おっしゃるように、中国との間で友好関係、これは中長期的に強力なものにしていかなければいけないと思っていますし、そのためには率直に物を中国との間で言っていくということは非常に重要であると私は思っております。そういう観点から、この前、四月に中国に参りましたときも、これは尖閣の上陸の直後でございましたけれども、はっきりと中国に日本の考えていることを伝えたということでございます。
海洋調査船の件につきましても、我が国の海洋法条約に基づく主権的なその権利、これが侵されてはいけない、そういう観点から、関係省庁とも十分に御相談の上、適切に対処してまいりたいと存じております。
○舛添要一君 例えば中国の石油の精製を日本の民間企業の精製会社がやると、そういうビジネス、ビジネスのいい関係もあるわけです。それから、春暁のガス田の、この問題になっている、にしましても、どこにあるかといったら、日本と中国比べて中国側に近いんですね。しかし、開発して、例えば十あるキャパシティーの中の七が日本側だ、三が中国側だったら、七の取り分は日本にあるわけです。ですから、先ほど中川大臣にちゃんと調査し、試掘しろということを申し上げたんで。そうすると、私たちの七の取り分は、長いパイプライン引いて日本に持ってこなくても中国に売ってもいいんです。
〔理事常田享詳君退席、委員長着席〕
そういう権利の使い方があるんで、特にそういうことをちょっと御注文申し上げておきたいことと、時間がありませんので細かい議論は避けますけれども、排他的経済水域についての国連海洋法二百四十六条の解釈が、ちょっとこれは海上保安庁、それから外務省とちょっと違うと思うので、これを厳格にやれば、例えば「排他的経済水域及び大陸棚における海洋の科学的調査は、沿岸国の同意を得て実施する。」と、そして沿岸国が、相手がちゃんと外国の船がやってきたときクレーム付けられるようになっているんですけれども、ちょっとこの点も弱腰だと思いますが。
一言で構いません。条約局長かどなたか、この問題に詳しい、外務省おられますか、三十秒ぐらいでお答え願います。
○政府参考人(鈴木庸一君) お答えいたします。
今御質問のございました海洋法二百四十六条二及び三でございますが、これによりまして、沿岸国は科学的調査の実施について同意を求められた場合に規則にのっとり遅滞又は拒否しない形で同意をするということになっております。そのためのガイドラインが御指摘のガイドラインでございますが、このガイドラインは国連が制作したガイドラインにのっとっておりまして、関係省庁で不当な遅滞がないようにということで作られたものでございます。
他方……
○舛添要一君 いや、そこまででいいです。そこまでで結構です。
あなたが読んでないところがあるんで、その前に、「専ら平和的目的で、かつ、すべての人類の利益のために海洋環境に関する科学的知識を増進させる目的で実施する海洋の科学的調査の計画については、」ということがあるんで、要するに中国が自分の利益のためにだけやっているならそこを問題にしろということだけ言って、また次の機会に議論します。
そこで、今日、実は内閣官房長官の出席を求めたんですが、記者会見の時間だということでできませんので、官房長官の意を体して猪俣参事官。正にばらばらなんですよ、省庁が。どう統一するんですか。ちゃんと対策本部、官邸内に作るんですか。
○政府参考人(猪俣弘司君) 官房長官の御指示に基づきましてお答えさせていただきます。
海洋権益をめぐる問題が我が国の国益に直結するとの認識というのは当然持っておりますので、内閣官房といたしまして、関係省庁ともなお一層密接な協調を図りつつ、政府一体となった取組を進めてまいりたいということでございます。
○舛添要一君 我々はちゃんと内閣に対して党の、党としてこのことをちゃんとやれということを申し上げ、そして対策本部をどういう形であれ、関係閣僚会議であれ何であれ作ってやってもらうということでありますので、今の御答弁は官房長官の意思だということで承ります。
そこで、最後に私申し上げますのは、幕末明治維新、百五十年前の歴史を外交官の皆さん方もちゃんともう一遍振り返っていただきたい。私は福岡の生まれですけれども、隣の下関、赤間の関にイギリス艦隊来るわけです。そのときに、測量をやる、検分ということで。測量が終わったらその港は夷狄の手に落ちたも同然であるということで、その検分をほったらかして何もやらない徳川幕府を見捨てたんですよ、長州は。そして、倒幕という方向に持っていった。そういう先人の、百五十年前の先人の努力があったから我が国は独立国としてちゃんとこの体を成したわけであります。
測量を幾らでもやらせる、そしてほったらかしている、こういうことをほっておくようでは政府として私はいかがなものかというふうに思いますから、百五十年前の幕藩体制の終わりを感じますので、是非しっかりやっていただきたいということを申し上げて、終わります。
ありがとうございました。
だが、次を読んで、少し考えさせられた。
・戦後の病理
日本をダメにした売国奴は誰だ! 前野 徹 (著)
長子相続の皇室典範改正の発想は今、俎上(そじょう)にのぼっている憲法改正と深く関係している。平成17年秋、念願であった自民党の憲法草案が決定し発表された。その後、起こったのが憲法草案前文を巡る騒動だった。
草案の前文は自民党新憲法起草委員会の前文小委員会に委ねられており、委員長を務める中曽根康弘元総理らが中心となって練った。ところが、発表された草案の前文は小委員会が作成した文章のほとんどが勝手に削られていた。削除されたのは、日本の成り立ちや歴史、国家観を謳(うた)った部分である。
前文小委員会の原案の前段には日本の国の歴史、文化を明記した崇高な理念が盛り込まれていた。
「日本国民はアジアの東、太平洋と日本海の波洗う美しい島々に、天皇を国民統合の象徴として戴き、和を尊び、多様な思想や生活信条をおおらかに認め合いつつ、独自の伝統と文化を作り伝え多くの試練を乗り越えて発展してきた。・・・」
ところが、首相主導で決定された草案からはすっぽりとこの部分が抜け落ち、無味無乾燥な官僚的な文章が並んでいるだけであった。
この事件に怒りをぶつけたのは原案作りを中心になって進めてきた中曽根元総理である。何の相談もなく、いきなりカットされたばかりか、趣旨説明もなかったのだから、当然だ。中曽根元総理が意図したのは、日本の歴史と文化に基づき、国に対する考え方をはっきりと明示した文章で、「中学生が暗記し、そらんじられる美しい文章」である。かたや、公式の説明はないものの、最終的にカットする役割を担った自民党新憲法記草委員の枡添要一参院議員は削除した理由を次のようにマスコミに語っている(読売新聞11月23日付)。
(後略)
ブッシュ大統領の靖国神社参拝問題、皇室典範改正問題に続き、結論ありきの類例が、新憲法草案問題であったようだ。
郵政民営化法案が、参院で否決された後に、刺客を送ってまでも押し通す非情な小泉首相ならば有り得そうだ。
ちなみに、中曽根元首相の怒りのコメントを以下に引用する。なお、この毎日新聞の記事は、リンク切れでキャッシュにしかなかったので、記録がてら全文引用するが、記事前半と後半の文章は、無視してよい。
憲法改正のハードルが高いからという理由で草案の大切な部分を削除しては、本末転倒であるし、また、「私はむしろそうした批判を受けるほど厳しい論議がなされたことが重要だと思う。」というのは事実誤認で、議論せずに無断で削除したのが問題だからだ。
・記者の目:憲法記念日 「3分の2」条項の効用=田中成之(政治部)
毎日新聞 2006年5月3日 東京朝刊
◇ハードルあればこそ
04年から政界の憲法論議を取材して実感したのが憲法改正のハードルの高さだ。両院の「3分の2以上の賛成」という発議要件を満たすには、自民、公明、民主3党の協調が不可欠。与野党対決が宿命の議会では極めて難しく、発議はほとんど不可能に見える。自民党は新憲法草案で「過半数の賛成」による発議を可能にし、ハードル引き下げをねらった。
しかし、私は「3分の2」の効用を主張したい。「憲法は国家権力を制限するもので、国民に義務を課すものではない」という基本的な認識が、特に自民党内で薄いからだ。一般に「国民の3大義務」と言われるが、勤労と教育は人生に不可欠な義務以前のものだし、納税義務の条文は「国民は法律によらずに納税の義務を負わない」と読むべきだ。
ところが、自民党草案の策定過程では「国防の責務」や「家庭を良好に維持する責務」など、国民に新たな義務を課すことが検討された。優勢だったこれらの意見が草案に盛り込まれなかった理由は、ひとえに改憲のハードルの高さにある。「自民党らしい」主張は3党の協調に水を差す。
起草にあたった与謝野馨政調会長(当時)や舛添要一参院議員らはそうした項目を次々に削り、中曽根康弘元首相直筆の前文素案も完膚無きまでに改変した。「太平洋と日本海の波洗う美しい島々に、天皇を国民統合の象徴として戴(いただ)き」という中曽根案は退けられた。舛添氏は「情緒的な表現や歴史解釈は前文には入れない」などと指摘したのだが、中曽根氏は草案発表直後、親しい議員に「法匪(ほうひ)の議論だ」と不満をぶちまけた。
「法匪」とは法律を悪用する役人や弁護士を指す。しかし、私はむしろそうした批判を受けるほど厳しい論議がなされたことが重要だと思う。結果、草案は9条以外は「微修正」程度の穏当な内容に収まった。9条にしても2項を削除して「自衛軍」保持を認める条文を新設したが、1項の条文は一字一句変えずに済ませ、党外に配慮した。
毎日新聞の2月の世論調査では、戦後日本の平和維持や国民生活の向上に憲法が「役立った」と評価した人が80%に達した。自民党草案がこうした世論から乖離(かいり)せずに済んだのも、「3分の2」の効用だろう。
私にとって、宗男氏、安部氏、枡添氏は、「両極端なイメージを持つ政治家」である。応援すべきか否かの判断が非常に難しい。普通に知りえる程度の情報だけでは、真偽がわからないが、悩み続けてもそのことは変わりない。今までのような手放しでの応援とまではいかないが、注意深く様子を見ながら応援したい。
【関連記事】
・(H17.8.11)中国の地下資源泥棒…略奪文化は三国志時代から変わらない
・(H18.5.3)拉致問題、上海領事自殺にみる外交の脆弱性
【参考書籍】
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創価学会、朝鮮によるネット規制工作
・ネット規制が始まった
ポリスジャパン 2006年6月1日
6月1日より、総務省、警察庁が税金を投入し、運営だけは民間に任せる(=だから通信の秘密を侵してないよといいたいらしい)ネット規制が始まった。詳しくは以下のとおり。
http://wiki.nothing.sh/page/
日本テレビの氏家が旗振り役のようだが、
http://www.daily.co.jp/newsflash/2005/03/28/166879.shtml
テレビでも十分、毎日キチガイ芸人のツマラン番組を公共の電波で流しているじゃないか。善良な風俗を害しない?単にネットが広まると、自分たちマスコミの広告出向量が減るから騒いでいるだけだろう。単なる銭ゲバの面を隠して、いかにも偽善面するところ、さすが「日本テレビの天皇」である。
また、このバックは公明党である。つまり創価学会ということだ。
http://d.hatena.ne.jp/kitano/20050615
創価学会はこのほか、規制を行う民間団体にありとあらゆる方式で資金援助をしている可能性がある。要するに自分たちに都合の悪いことがネットに書いてあった場合、信者を総動員してインターネット規制ホットラインに電話させ、自分たちの都合の悪いサイトをサイトを閉鎖に追い込む、ということができるのだ。
しかし、このバカどもはまだわかっていない。
「アフリカのサーバです」
といわれたらどうするのであろうか。もうやりようがないだろう。しかし、大概のサイトは日本国内においてあり、プロバイダーのスペースを借りている場合が多い。そこを規制しちゃえば黙るだろう、と考えているようだが、これまた甘い。そういう抑圧が弾けたときにどうなるか、日本人の底力を舐めてかかっているのではないか。
また、このネット規制ホットラインでは、警察庁が関与しているのになぜか朝鮮の工作員が牛耳っている。
「(社)韓国サイバー監視団」である。
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2005/03/24/6981.html
反民族的、反国家的なサイトを削除しても表現の自由には抵触せず〜韓国ゴング氏
会場からは、表現の自由に関連して韓国の情勢を尋ねる質問もあった。韓国サイバー監視団のゴング氏によると、同監視団が有害情報を発信しているサイトをA〜Fまでの等級に分類し、「A等級であれば司法機関に事件として委ねる」「B等級であれば該当ISPを通じてサイトを閉鎖させる」など、等級に応じた措置が取られる。強制的に閉鎖された場合には異議申し立ても可能だという。
NHNのキム氏は、判断基準について「ガイドラインは作成されているが、そうした基準は人間が作り、実際の判断も人間が行なう。どうしても主観的にならざるを得ないし、判断がぶれることもある。また、基準自体がない分野もある」とコメント。また、ゴング氏によれば、「最下級のF等級であったとしても、政府の情報通信倫理委員会に諮られ、反民族的、反国家的な情報を掲載していると判断された場合は削除される」という。ゴング氏は「ねつ造されたり、誤った情報を配信するサイトを削除したとしても、表現の自由には抵触しないと考える」とコメントした。
↑半島の朝鮮人連中になぜネットを規制されなければならないのだろうか。公明党はそんなに朝鮮がすきなのだろうか。糖尿デブが朝鮮出身だからだろうか?
http://www.uwasanoshiokinin.com/ikeda-sanfujinka.html
http://www.uwasanoshiokinin.com/ikeda.html
ネット規制で、逮捕者を続出させればよい。昔の学生運動張りに逮捕者が出れば、逆に社会も変わるだろう。昔の学生運動は、左よりの活動家を片っ端から逮捕し、弾圧したが結局今の日本は世界的に見ると真左の国である。現代のネット活動家のほとんどは中道、右より、いわゆる普通の人間だ。それを規制する、逮捕するとなれば、今後日本がまともな右よりの社会(それでも世界的に見れば中道)になるのではないか、などと思うのだがみなさんはいかがだろうか。
ネット規制の背後に潜んでいる朝鮮工作団体の「(社)韓国サイバー監視団」と公明党(創価学会)が気持ち悪い。創価学会の次の捏造を見たら気持ち悪さが倍増してしまった(リンク先:音声有)。
・朝鮮が日本のネットを監視。公安関係者要注目。
nikaido.com 【6/1(木)8:00】
(前略)
さて、公明党がネット監視というのは当たり前なんですね。
【参考映像】経済産業省の現役の役員が糖尿センベイ委員会。
↑中央官庁の役人が仕事せずに宗教三昧、はさておき、公明党=創価学会は、単に糖尿デブがノーベル平和賞取りたいだけのお笑い団体です。そうだろ神崎、お前あるところでポロっとそういったよな?藤井、そうだよな?
ネットを監視する団体に援助をする=創価の都合の悪い事を潰すためなら、いくらでもカネを出すのが創価学会のやり方です。そういうことはいけないことだ、おかしいことだとわかっている大幹部もいるのですが、公言して排除されては元も子もないので、草として中にいるわけです。
ホットラインセンターには、創価信者から次々と電話が寄せられることでしょう。そしてその多数決で「悪」が決められていく。米国情報筋は、最近とみに創価が「ナチスと同じ危険思想をもっている」としてマークしているといいます。アメリカの圧力を有効活用するためにも、もっとこの異常な事実=ネット監視が創価の手によって行われそう、ということを広めていきましょう。
ちなみに、こんな捏造をするのも創価学会のお家芸です。(クリックで放送開始:リンクフリー)
ネット規制の詳細を知りたい方は、「ネット規制問題まとめwiki」を閲覧して頂きたく。
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小学校から英語を教えることは、日本を滅ぼす最も確実な方法です。
内容が面白いと思うのは、読み手の興味に依存するので書き手の努力の範疇を超えるからだ。面白さの質をあえて、努力するとしたら、書籍の多読であろうか。
わかりやすい文章が書けるようになったかというと自信がない。仕事の報告書がわかりにくいと言われることがあるからだ。
このような時に、つい「英語ができたなぁ」と思ってしまう。物事を論理的に表現する上で英語が優れた言語のイメージがあるからだ。
私の動機と必ずしも合致しないが、8割の国民が、「英語がもっとできたら」と思っているとのこと。また、「小学校からの英語教育」や「英語の第二公用語化」の話題をしばしば耳にする。
全国民がそこまで英語教育に時間を費やすことが、果たして、ありがたいことだろうか?
英語を使えば誰でもが論理的でわかりやすい報告書が書けるのかという疑問を考える上で、まず、ベストセラーの「国家の品格」にて、「小学校から英語を教えることは、日本を滅ぼす最も確実な方法です。」と言い切る藤原正彦教授の他の書籍を引用する。
・(三)国語は論理的思考を育てる
祖国とは国語 藤原 正彦 (著)
アメリカの大学で教えていた頃、数学の力では日本人学生にはるかに劣るむこうの学生が、論理的思考については実によく訓練されているので驚かされた。大学生でありながら、(−1)×(−1)もできない学生が、理路整然とものを言うのである。議論になるとその能力が際立(きわだ)つ。相手の論理的飛躍を指摘する技術にかけては小憎たらしいほど熟練しているし、自らの考えを筋道立てて表現するのも上手だ。
これは、学生に限られたことでなく、暗算のうまくできない店員でも、話してみると驚くほどしっかりした考えを持っているし、スポーツ選手、スター、政治家などのインタビューを聞いても、実に当を得たことを明快な論旨で語る。
これと対象に日本人は、数学では優れているのに論理的思考や表現には概して弱い。日本人学生がアメリカ人学生との議論になって、まるで太刀打ちできずにいる光景は、何度も目にしたことだった。語学的ハンデを差し引いても、なお余りある劣勢ぶりであった。
(後略)
日本人が、言語を単に日本語から英語に変更しても、アメリカ人を唸らせるほどの論理的思考が発揮できなかったようだ。
同様に、日本人の英文も理解し難いようである。結局、言語の違いによる論理的思考への影響はなかった。
・「一段落一話題」に徹する
ビジネス文完全マスター術 篠田 義明 (著)
「早稲田大学−ミシガン大学 科学・工業英語検定試験」という英文文書作成の能力をみる試験がある。日本人が作成した英文が、英米人に理解してもらえるかどうかをチェックするもので、一級は、問題の作成も採点もミシガン大学で行われる。その講評を見ると、毎年、次のような指摘がある。
「一つ一つの文は理解できても、パラグラフ(段落)全体を通して読むと、何が言いたいのか理解できない。つまり、日本人の多くは、読み手が理解しやすいパラグラフで文章を書いていない」
(後略)
では、日本人とアメリカ人の差はいったい何なのか?それは、教育である。
・コラム5:日本のお粗末なライティング教育
論理的な文章が自動的に書ける! 倉島 保美 (著)
日本の多くは、論理的に文章を書く教育を受けたことがありません。日本の教育システムでは、なぜか、論理的な文章を書くという教育が抜け落ちているのです。これでは、日本人の多くが論理的な文章を書けないのはしかたありません。
私の経験上、論理的な文章を書く教育を受けてから社会人になる日本人は、5%もいません。たまに教育を受けたことがあるという新社会人もいますが、その約半数は、留学先で教育を受けています。
日本の小中高校では、論理的な文章を書くことを、全くと言ってよいほど教えていません。作文の授業はありますが、視点や表現を中心とした指導で、論理的な文章の指導ではありません。むしろ、現場の教師は、いかに多くの文章量を書かせるかに、努力の大半をつぎ込んでいます。
また、日本の大学でも、論理的な文章を書くための講義はほとんどありません。多くの大学が、学生に卒業論文を課しているにもかかわらず、どう論文を書くかは指導していないのです。たまに、表現技法のような講義を設けている大学もありますが、専門外の講師がボランティア的に指導しているにすぎません。日本実業出版社 [著] 倉島 保美ASIN:4534036922 /単行本/214頁発売日:2003-12-18ランキング&評価:---位 3.67価格:¥ 1,365 [2006-06-15 Amache]5 - 論理的な文章だと自動的に読める!5 - 類書にないわかりやすさ&論理性1 - ネタばれですよ
実は、論理的でわかりやすい文章を作成する能力は、文章中の段落(パラグラフ)を展開するルール(パターン)を学ぶことで、誰にでも身に付くのである(私自身ができているかどうかは別・・・)。パラグラフ展開パターンは、いくつかあるが、その一例を引用する。
・どんなテーマでも、「型」を守って書く
ホンモノの文章力 樋口 裕一 (著)
(前略)
賛成する場合
[?.問題提起]
会話中心の英語教育にすべきか。
[?.意見提示]
確かに、会話を勉強するだけでは、深く言語を理解することはできない。だが、会話ができないのでは、外国語を学ぶ意味がない。
[?.展開]
生きた言語を学んで意見交換するのが言語を学ぶ意味だ。会話によってこそ、深く交流できる。今、人々が使っている言語で生身の人間と交流してこそ、意味がある。
[?.結論]
したがって、会話中心の英語教育が望ましい。
反対する場合
[?.問題提起]
会話中心の英語教育にすべきか。
[?.意見提示]
確かに、会話も大事だ。しかし、会話偏重にすべきではない。
[?.展開]
外国語教育の本質は表面的な会話ができることが目的ではなく、外国語を知ることによって、外国の文化を深く知ることである。
[?.結論]
したがって、正確な文法を知って、文章を読解することのほうを重視すべきだ。
(後略)
それぞれの主張の正当性は別として、このようなパターンを知った上で文章を書く訓練をすれば日本人も論理的でわかりやすい文章を書くことができる。
日本語や英語などの言語の違いにおける論理性の優劣はなく、妄想であった。まともな国語教育を受けたかった。嘆いても仕方がないので、書籍から学ぶしかない。ちなみにテクニカルライティングにおいて著名な篠田教授の書籍が私には向いていた。
「英語がもっとできたら」と国民の8割が思っているようだが、その理由は、何なのだろうか?
・英語第二公用語論に
祖国とは国語 藤原 正彦 (著)
(省略)
某新聞社の世論調査によると、国民の8割は「英語がもっとできたら」と思っているが、「いつそう思うか」と尋ねると、多いほうから海外旅行時、外人に道を尋ねられた時、映画やテレビを見る時と続くそうである。仕事の上で必要という人は全体のたった18%である。一生に国民一人で数十日の海外旅行や、一生にほんの数回だけ外人に道を聞かれる時のために、英語修得という膨大な労力を全国民に強要するわけにはいかない。
(後略)
所詮、英語の必要性は、この程度である。小学校から英語教育をしようとすると、変わりに何らかの時間を削る必要がある。国語、算数、理科、社会などの教育時間を削ることは、日本人として教養や魅力が減る。その上、英語能力においては、ネイティブのホームレスにも遠く及ばない。国家として利益にならない薄っぺらな人間を育てる「小学校から英語教育」には、反対である。
以上、英語教育よりも国語教育の方が多くの国民にとって重要であることを述べてきた。藤原正彦教授によれば、この国語教育において、「読む」「書く」「話す」「聞く」は、平等ではなく、あえて重みを付ければ、20対5対1対1くらいとのこと。これによれば、前回の記事の多読の薦めの方が、わかりやすい文章を書く教育の4倍も重要といえる。
読むことが重要な理由は、論理の正当性を支える根拠を得ることに留まらず、論理の出発点を創造する情緒を豊かにするからであろう。しかし、この国語教育にも教育の優先度、漢字制限、読み物の削除など、様々な問題があるようだ。
教育の優先度の問題とは、「読む」「書く」に重点がおかれていた評価基準が、平成14年からの指導要綱改定により、「話す」「聞く」に移っていることだ。重要度が「読む」に比べて20分の1に過ぎない「話す」「聞く」に時間を割くことは愚行である。
※図は石井式国語教育研究会さんより
漢字制限の問題とは、次のようなことである。
・自主検閲をしくまれた日本 江藤
断固「NO」と言える日本
(前略)
もう一つ影響が今日に及んでいるのは、言葉に対する占領権力の行使です。これは通常、「国語改革」といわれているもので、当用漢字新仮名の強制から始まりました。そこに検閲をするため、なるべく日本語を簡便にしたいというアメリカの意図が作用していたことは否定できないと思います。占領が終わって2年後の昭和29年(1954)から見直しに着手して、歴代の国語審議会がこの問題に取り組んできましたが、いまだに抜本的な改正はできていません。高校以上は原則的に自由だと言っても、義務教育段階で新仮名と制限漢字を強制されるから、事実上国民の国語能力がそれまでにコントロールされてしまいます。その結果、現在の若い人たちは旧漢字旧仮名で書かれた戦前の文献が読めなくなっている。岩波文庫にはいっている夏目漱石の作品さえ、原文を書き替えているというのが現状です。
(後略)〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・光文社 [著] 石原 慎太郎, [著] 江藤 淳ASIN:4334051847 /新書/199頁発売日:1991-05ランキング&評価:---位 4価格:¥ --- [2006-06-15 Amache]4 - 失われた90年代とは
また、藤原正彦教授も次のように憤慨している。
・(六)これからの国語
祖国とは国語 藤原 正彦 (著)
GHQは、漢字は難しすぎるとかタイプライターにのらない、などの取るに足らぬ理由をつけたが、真の理由はもちろん、「日本が二度と立ち上がってアメリカに歯向かうことのないようにする」という大方針のため、文化の中核を破壊してしまおうとしたのである。その後、1981年に常用漢字となったが、漢字数は5%しか増えなかった。このおかげで新聞などは、ら致、破綻、残がい、などと書くようになった。漢字文化圏にある我が国の豊富な言語文化を自らの手で毀損(きそん)したのである。当用漢字も常用漢字も、読める漢字と書ける漢字を一致させる、という不思議な了解の下で作られている。通常、読める漢字は書ける漢字の数倍はある。それでよい。とりわけ情報機器の発達した今日、書ける漢字より読める漢字を大量に増やすことが必要になってきている。漢字制限を根本から考え直す時期にきている。漢字もルビさえ打てば問題ないし、一昔前と違い印刷上の困難もない。
日本には、至宝ともいえる文学遺産がある。(中略)これだけ豊かなものを小中学校の教科書に導入できない理由は、第一に漢字制限である。小学校では学年別漢字配当表というものがある。目、耳、口は一年生だが鼻は三年生、夕は一年生で朝は二年生などと決められている。上級学年で習うべき漢字は原則として出せないからである。字画が多いほど難しい、という原則により配当されているが、この原則は石井式漢字教育で名高い故石井勲氏によりすでに反証されている。幼児にとっては、九より鳥、鳥より鳩が覚えやすい、ということを実証したのである。なのに配当表は未だそのままである。そのうえ、中学校でも常用漢字以外は出せない。このおかげで、少しでも古い名作は教科書に登場しにくくなり、鷗外や漱石は一掃されたのである。元来、子供はわからない言葉に囲まれて生きている。単語の意味がわからなくても文脈で推測できる。正確で深い意味は後になってわかればよい。教科書も新聞も、ルビをどしどし入れることで本来の豊かな漢字文化を取り戻すべきと思う。
(後略)
※図は石井式国語教育研究会さんより
読み物の削除問題とは、日本人の情緒を育てるすばらしい読み物が教科書から削除されていることである。漢字制限や国語教育の時間削減にともなって、現在の教科書の内容量は、1980年以前のもの半分となっているようだ。
これらの問題は、「ゆとり教育」と「GHQの日本解体政策」によって引き起こされたものである。この悪影響は、既に東大の学生にも及んでいる。
・東大のバカ学生
バカの壁 養老 孟司 (著)
一番印象に残っている醜い例は、東京大学での口述試験での体験。頭の骨を二個。机の上に置いて、学生に「この二つの骨の違いを言いなさい」と聞いたことがある。すると、ある学生が、一分ぐらい黙った挙句に、答えは「先生、こっちのほうが大きいです」。「おまえ、幼稚園の入園試験でリンゴの大きさを比べているんじゃないぞ」と思わず言ってしまったのですが、そういう学生が実際にいる。愕然、呆然でした。
彼には他の差は目に入っていなかったというか、無理やり出した差がそれだけだったということになる。実物から物を考える習慣がゼロだったということがよくわかった。
ここでの答えは何でもいいわけです。聞いているのは、彼の者の見方なのだから。数学の正解のようなものは存在しない。その点でいえば、「こっちが大きい」も不正解ではない。しかし、目の前に実際にある物を観察しての回答としてはお粗末としかいいようがない。
例えば、「状態から見て、こちらの方が古い」でも「こちらは若い男性で、ことらは女性だと思います」でも何でもいい。(中略)それが「大きいです」でおしまい。「こっちのほうが大きいです」と幼稚園児なみです。
これでは、教師をやる気がなくなってしまう。そんな学生が東大を出て何年かしたら偉いお医者さんだ、ということになるのだとすれば、責任が持てない。
(後略)新潮社 [著] 養老 孟司ASIN:4106100037 /新書/204頁発売日:2003-04-10ランキング&評価:---位 2.68価格:¥ 714 [2006-06-15 Amache]5 - 批判は多いが…。3 - 好き嫌いがあると思います4 - 結構いいこと言ってる。3 - 少し言い過ぎな部分も1 - 一番のバカは私
国語教育を早急に改善する必要がある。これを皮肉めいていうと、冒頭の「小学校から英語を教えることは、日本を滅ぼす最も確実な方法です。」となる。
【H21.3.22追記】
石井式の石井勲先生に関する記事を見つけたので、引用する。
・子どもを伸ばす漢字教育
国際派日本人養成講座 H15.11.23
■1.2歳の幼児が漢字を読んだ!■
きっかけは偶然だった。小学校教師の石井勲氏が炬燵(こたつ)に入って「国語教育論」という本を読んでいた。そこに2歳の長男がよちよち歩いてきて、石井氏の膝の上に上がり込んできたので、氏は炬燵の上に本を伏せて置いた。
その時、この2歳の幼児が「国語教育論」の「教」という漢字を指して「きょう」と言ったのである。びっくりして、どうしてこんな難しい字が読めたんだろう、と考えていると、今度は隣の「育」の漢字を指して「いく」と言った。
石井氏が驚いて、奥さんに「この字を教えたのか?」と尋ねると、教えた覚えはないという。教えてもいないものが読めるわけはない、と思っていると、奥さんが「アッ! そう言えば一度だけ読んでやったことがある」と思い出した。奥さんは音楽の教師をしており、「教育音楽」という雑誌を定期購読していた。ある時、息子が雑誌のタイトルを指で押さえて、「これなあに?」と聞くので、一度だけ読んでやったような記憶がある、というのである。
そんなこともあるのか、と半信半疑ながら、ひょっとしたら、幼児にとって漢字はやさしいのかもしれない、と石井氏は思いついた。ひらがなは易しく漢字は難しい、幼児に教えるものではない、と思いこんでいたが、実はそうではないのかもしれない。これが石井式漢字教育の始まりだった。
■2.漢字学習で幼稚園児の知能が伸びた!■
それから石井氏は昭和28年から15年にもわたって、小学校で漢字教育を実践してみた。当初は学年が上がるにつれて、子どもの学習能力が高まると信じ込んでいたが、実際に漢字を教えてみると、学年が下がるほど漢字を覚える能力が高いことが分かった。
そこで今度は1年生に教える漢字を増やしてみようと思った。当時の1年生の漢字の習得目標は30字ほどだったが、これを300字ほどに増やしてみると、子供たちは喜んでいくらでも吸収してしまう。それが500字になり、とうとう700字と、小学校6年間で覚える漢字の8割かたを覚えてしまった。
ひっとしたら就学前の幼児は、もっと漢字を覚える力があるのかもしれない。そう思って昭和43年からは3年間かけて、幼稚園児に漢字を教えてみた。すると幼児の漢字学習能力はさらに高いということが分かってきた。同時に漢字学習を始めてからは幼児の知能指数が100から110になり、120になり、ついには130までになった。漢字には幼児の能力や知能を大きく伸ばす秘密の力があるのではないか、と石井氏は考えるようになった。
■3.複雑でも覚えやすい漢字■
どんな子どもでも3歳ぐらいで急速に母国語を身につけ、幼稚園では先生の話を理解し、自分の考えを伝えることができる。この時期に言葉と同時に漢字を学べば、海綿が水を吸収するように漢字を習得していく、というのが石井氏の発見だった。漢字は難しいから上級生にならなければ覚えられない、というのは、何の根拠もない迷信だったわけである。
同時に簡単なものほど覚えやすい、というのも、誤った思いこみであることが判明した。複雑でも覚える手がかりがある方が覚えやすい。たとえば「耳」は実際の耳の形を表したもので、そうと知れば、簡単に覚えられる。「みみ」とひらがなで書くと画数は少ないが、何のてがかりもないのでかえって覚えにくい。
石井氏はカルタ大の漢字カードで教える方法を考案した。「机」「椅子」「冷蔵庫」「花瓶」などと漢字でカードに書いて、実物に貼っておく。すると幼児は必ず「これ、なあに?」と聞いてくる。そこではじめて読み方を教える。ポイントは、遊び感覚で幼児の興味を引き出す形で行うこと、そして読み方のみを教え、書かせないことである。漢字をまず意味と音を持つ記号として一緒に覚えさせるのである。
■4.抽象化・概念化する能力を伸ばす■
動物や自然など、漢字カードを貼れないものは、絵本を使う。幼児絵本のかな書きの上に、漢字を書いた紙を貼ってしまう。そして「鳩」「鴉」「鶏」など、なるべく具体的なものから教えていく。すると、これらの字には「鳥」という共通部分があることに気づく。幼児は「羽があって、嘴(くちばし)があって、足が2本ある」のが、「鳥」なのだな、と理解する。ここで始めて「鳥」という「概念」が理解できる。
これが分かると「鶯」や「鷲」など、知らない漢字を見ても、「鳥」の仲間だな、と推理できるようになる。こうして物事を概念化・抽象化する能力が養われる。
またたとえば「右」、「左」など、抽象的な漢字は「ナ」が「手」、「口」は「くち」、「工」は「物差し」と教えてやれば、食べ物を口に入れる方の手が「右」、物差しを持つ方の手が「左」とすぐ覚えられる。そう言えば、筆者は小学校低学年の時、右と左の字がそっくりなので、どっちがどっちだか、なかなか覚えられなかった記憶があるが、こう教わっていたら瞬時に習得できていただろう。
■5.推理力と主体性を伸ばす■
また一方的に教え込むのではなく、遊び感覚で漢字の意味を類推させると良い。石井式を実践している幼稚園でこんな事があった。先生が黒板に「悪魔」と書いて、「誰かこれ読めるかな」と聞いた。当然、誰も読めないので、「じゃあ、教えてあげようね」と言ったら、子供たちは「先生、待って。自分たちで考えるから」。
子供たちは相談を始めて、「魔」の字の下の方には「鬼」があるから、これは鬼の仲間だ、、、こうしてだんだん詰めていって、とうとうこれは「あくま」じゃないか、と当ててしまった。
この逸話から窺われるのは、第一に、幼児にも立派な推理力がある、という事だ。こういう形で漢字の読みや意味を推理させるゲームで、子どもの論理的な思考能力はどんどん伸びていく。第二は、子どもには自分で考えたい、解決したい、という気持ちがあるということである。そういう気持ちを引き出すことで、子どもの主体的な学習意欲が高まる。そして自ら考えて理解できたことこそ、本当に自分自身のものになるのである。
■6.漢字から広がる世界■
石井式の漢字教育と比較してみると、従来のひらがなから教えていく方法がいかに非合理的か、よく見えてくる。たとえば、「しょうがっこう」などという表記は世の中に存在しない。校門には「○○小学校」などと漢字で書かれているのである。「小学校」という漢字熟語をそのまま覚えてしまえば、近くの「中学校」の側を通っても、おなじ「学校」の仲間であることがすぐに分かる。「小」と「中」の区別が分かれば、自分たちよりやや大きいお兄さん、お姉さんたちが行く学校だな、と分かる。
こうして子どもは、漢字をたくさん覚えることで、実際の社会の中で自分たちにも理解できる部分がどんどん広がっていくことを実感するだろう。石井氏の2歳の長男も、お父さんが読んでいる本の2つの文字だけでも自分が読みとれたのがとても嬉しかったはずだ。だから、僕も読めるよ、とお父さんに読んであげたのである。
このように漢字を学ぶことで外の世界に関する知識と興味とが増していく。本を読んだり、辞書を引けるようになれば、その世界はさらに大きく広がっていく。幼児の時から漢字を学ぶことで、抽象化・概念化する能力、推理力、主体性、読書力が一気に伸びていく。幼児の知能指数が漢字学習で100から130にも伸びたというのも当然であろう。
漢字学習を通じて、多くの言葉を知り、自己表現がスムーズに出来るようになると、情緒が安定し、感性や情操も豊かに育っていく。石井式を取り入れた幼稚園では、「漢字教育を始めて一ヶ月くらいしたら、園児たちの噛みつき癖がなくなりました。」という報告がしばしばもたらされるという。子供たちのうちに湧き上がった思いが表現できないと、フラストレーションが溜まって噛みつきという行為に出るが、それを言葉で表現できると、心が安定し、落ち着いてくるようだ。最近の「学級崩壊」、「切れやすさ」というのも、子どもの国語力が落ちて、自己表現ができなくなっている事が一因かもしれない。
■7.自閉症児が変わった■
NTTと電気通信大学の共同研究では、「かな」を読むときには我々は左脳しか使わないが、漢字を読むときには左右の両方を使っているということを発見した。左脳は言語脳と呼ばれ、人間の話す声の理解など、論理的知的な処理を受け持つ。右脳は音楽脳とも呼ばれ、パターン認識が得意である[a]。漢字は複雑な形状をしているので、右脳がパターンとして認識し、それを左脳が意味として解釈するらしい。
石井氏は自閉症や知的障害を持った子供にも漢字教育を施して、成果をあげている。これらの子どもは言語脳である左脳の働きが弱っているため、言葉が遅れがちであるが、漢字は右脳も使うので、受け入れられやすいのである。
石井氏が校長をしていた小学校にはS君という自閉症児がいた。授業中、机に座っていることができずに、廊下に出てはぐるぐると左回りを続けているという子どもだった。校長としてS君を引き取った石井氏は、彼が電車に関心を持っているのを見つけた。絵を描かせると、黄色い電車と新幹線を描く。「黄色いのは総武線で、東京に行くんでしょ。」と行って電車のそばに「東京」と書いてやった。新幹線にほうにも「新幹線」と書いてやると、S君は本当に嬉しそうに笑った。
翌日、また絵を描かせると、今度は電車の絵に「東京」「新幹線」という文字に似た模様を書き付けていた。これを生かさない手はない、と思った石井氏は、S君のお母さんを呼んで夏休みの間、毎日5分でいいから「漢字カード」で遊んでやってください、と頼んだ。
休みが終わると、お母さんが200枚もの漢字カードを持って、「あまりにS君の反応が良いので、どんどんやっていったら、こんなにできた」という。
夏休み明けのS君にクラスの友だちは驚いた。「S君が授業中ずっと椅子に座れるようになった」「体育の時間に皆と一緒に駆け足をやった」そしてついに「S君が教科書を開いた。」
S君は家でお父さんと一緒にお風呂に入っている時、「学校で勉強、頑張るからね」と言った。父親は思わずS君を抱きしめて「頑張れよ」と励ましたそうである。[2,p166]
■8.漢字かな交じり文の効率性■
漢字が優れた表記法であることは、いろいろな科学的実験で検証されている。日本道路公団が、かつてどういう地名の標識を使ったら、ドライバーが早く正確に認識できるか、という実験を行った。「TOKYO」「とうきょう」「東京」の3種類の標識を作って、読み取るのにどれだけの時間がかかるかを測定したところ、「TOKYO」は1.5秒だったのに対し、「とうきょう」は約半分の0.7秒、そして「東京」はさらにその十分の一以下の0.06秒だった。
考えてみれば当然だ。ローマ字やひらがなは表音文字である。読んだ文字を音に変換し、さらに音から意味に変換する作業を脳の中でしなければならない。それに対し漢字は表意文字でそれ自体で意味を持つから、変換作業が少ないのである。
日本人はこの優れた、しかしまったく言語系統の異なる漢字を導入して、さらにそこから、ひらがな、カタカナという表意文字を発明した。その結果、数千の表意文字と2種類の表音文字を使うという、世界でも最も複雑な表記システムを発明した。たとえば、以下の3つの文章を比べてみよう。
朝聞道夕死可矣あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり朝に道を聞かば夕に死すとも可なり
漢字だけ、あるいは、ひらがなだけでは、いかにも平板で読みにくいが、漢字かな交じり文では名詞や動詞など重要な部分が漢字でくっきりと浮かび上がるので、文章の骨格が一目で分かる。漢字かな交じり文は書くのは大変だが、読むにはまことに効率的なシステムである。
情報化時代になって、書く方の苦労は、かな漢字変換などの技術的発達により、急速に軽減されつつあるが、読む方の効率化はそれほど進まないし、また情報の洪水で読み手の負担はますます増大しつつある。読む方では最高の効率を持つ漢字かな交じり文は情報化時代に適した表記システムであると言える。
■9.漢字教育で逞しい子どもを育てよう■
英国ケンブリッジ大学のリチャードソン博士が中心となって、日米英仏独の5カ国の学者が協力して、一つの共通知能テストを作り上げた。そのテストで5カ国の子ども知能を測定したところ、日本以外の4カ国の子どもは平均知能指数が100だったのに、日本の子どもは111だった。知能指数で11も差が出るのは大変なことだというので、イギリスの科学専門誌「ネイチャー」に発表された。
博士らがどうして日本の子どもは知能がずば抜けて高いのか、と考えた所、この5カ国のうち、日本だけが使っている漢字に行き着いたのである。この仮説は、石井式で知能指数が130にも伸びる、という結果と符合している。
戦後、占領軍の圧力や盲目的な欧米崇拝から漢字をやめてカタナカ書きやローマ字書きにしよう、あるいはせめて漢字の数を減らそうという「国語改革」が唱えられ、一部推進された。こうした科学的根拠のない「迷信」は事実に基づいた石井式漢字学習によって一掃されつつある。
国語力こそ子どもの心を大きく伸ばす基盤である。国語力の土壌の上に、思考力、表現力、知的興味、主体性などが花開いていく。そして国語を急速に習得する幼児期に、たくさんの漢字を覚えることで、子どもの国語力は豊かに造成されるのである。
石井式漢字学習によって、全国津々浦々の子供たちが楽しく漢字を学びつつ、明日を担う日本人としての逞しい知力と精神を育んでいくことを期待したい。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(240) 日本語が作る脳
虫の音や雨音などを日本人は左脳で受けとめ、西洋人は右脳で
聞く!?
b. JOG(221) 漢字と格闘した古代日本人
外来語を自在に取り込める開かれた国際派言語・日本語は漢字
との国際的格闘を通じて作られた。
■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 石井勲、「0歳児から始める脳内開発」★★★、蔵書房、H8
2. 石井勲、「石井式で漢字力・国語力が驚くほど伸びる」★★、
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Blogを執筆し、早1年。得たことは・・・。
何を体感できたかというと、記事を書くにあたって調べ物をしていたら、自然と読書能力が身に付いたことである。
ここでいう読書能力とは、読む早さや理解力ということではなく、数日以内に1冊の本(漫画ではない)を最後まで読みきる力のことである。
本を読みきるのに一ヶ月以上要していた従来は、断続的であるが故に、以前読んだ内容を片っ端から忘れていた。
このような一歩進んで二歩下がる的な読書スタイルでは、記憶に残らない上に読書自体が楽しく感じられなかった。
そのため、更に書籍と疎遠となる。このような負のスパイラルであった。
短い期間で本を読みきれるようになると、書籍の内容の全体像がある程度記憶に残る上に、楽しく読めるようになる。
読みきった書籍の余韻が消える前に、つい次の書籍に手がでる。
余韻が残っているせいか、意識しなくても前回の書籍と今回の書籍の類似点や相違に気付かされ、二つの点が線となる。
書籍の類似点や相違は、ジャンルがことなり関係ないと思っていた書籍間でも多々あった。
一を聞いて十を知るためコツは、もしかしたら雑多な知識を関連付けて知恵を導き出すこのような能力を磨くことかもしれない。
さて、日本の人口より10倍以上ある中国のGDPは、日本の3分の1と言われている。
・中国が抱える2つの内部矛盾
RIETI 経済産業研究所
現在、中国のGDPの大きさは日本の3分の1だ。人口は中国が日本の10倍以上ある。だから中国の1人当たりGDPは日本の30分の1しかない。実際、中国の1人当たりGDPは1200ドル、これに対して日本は3万5000ドルある(いずれも2004年)。
中国のGDPが、伸び悩む理由の一つは、様々な知恵をモノとして実現する力が足りないからである。
知恵の源泉は、実体験や書籍を通して得た知識である。しかし、中国人は、書籍を通して知識を得にくい環境にある。
本を買うお金がないことや、文字が読めない(非識字率13.0%)ことに加えて、書籍の内容にも問題がある。
言論の自由がない中国での書籍に制限がつくことは知られているが、内容に信用がおけない書籍が多いことはあまり知られていない。
・不信社会が生んだ学問のための「辨偽学」
驕れる中国 悪夢の履歴書
そもそも中国の「学」は、自分が学ぼうとしている内容自体が偽者か本物かという弁別を必要とする。中国学で最初に勉強するべきなのは「辨偽学(べんぎがく)」である。この、いかにして偽者を区別するかという学問からスタートしなければ、「学」の入り口にすらたどり着けない。人間不信の「学」を学んではじめて中国がわかるのである。
(省略)
このような状況において、中国の書籍から何をどの程度学べるのだろうか?
「魏志倭人伝」に書かれた内容から、当時の日本の様相をつかもうとしている活動を例として考える。
そもそも「魏志倭人伝」から学ぼうとすること自体が間違いではあるまいか。
大切な情報と不要な情報の価値の違いを区別できる見識がないと、間違った結論に至ってしまうので不安である。
当面は、下記ような高い見識をもった研究者がいるようなので安心であるが・・・。
この分野に限らず、日本のヲシテ文献など信頼性の高い書物から紐解くことが、一番の近道に違いない。
・魏志倭人伝
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(省略)
一方で岡田英弘など魏志倭人伝の史料としての価値に疑念を投げかける研究者もいる。彼らは位置関係や里程にずれが大きく信頼性に欠ける点を根拠としてあげている。
中国と比較し我が国では、本を買うお金があることや、文字を読めることに加えて、書籍の内容も良質である。
この差がGDPの差に結びついていると考える。従って、読書に励むことが、将来の豊かさに結びつく。日本の恵まれた環境を徹底的に活用しない手はない。
書籍を最期まで読みきる読書能力を上げるためには、Blogを書くことではなく、興味のあるジャンルの本(200ページ程度)を短い期間で読みきることを数冊繰り返すことで十分であろう。ぜひ、読書が苦手な方にも試して頂きたい。
以上が、1年を通して得た技能(?)である。ちなみに、記事の作成と読書には、今でも時間がかかる。
読み書きの物理的な時間の削減は、継続することで実現できるかわからない。もう少し、継続して効果を確認してみたい。
【参考書籍】
← 『ポチッ』と頂けると次も頑張れます!
世界で一番高いビルを作り上げたコリア
マキャベリは、1469年5月3日、フィレンツェ(イタリア)の都心で生まれた。当時のイタリアは、ヨーロッパの他の国々を中世と呼ぶのと区別して、ルネサンスと呼ばれるようである。ルネサンスのイタリアは、芸術においてもヨーロッパの中心地であった。
芸術に自身がない私も、マキアヴェッリが書記官(外交官)として勤めたフィレンツェの政庁(パラッツォ・ヴェッキオ)を見ただけで、その凄さを感じずにはいられない。
・Palazzo Vecchio Signoria広場より・・・パラッツォ・ヴェッキオ
このような芸術を支えたのが職人である。職人が勤める工房は、伝統に従い、都心では4、5階になるのが普通の建物の1階にあった。また、高名な親方の率いる工房は、しばしば中庭まで広がることもあった。そこでの仕事ぶりや、出来上がった作品は、道行く人は誰でも容易に眼にすることができたようだ。
このような人目に晒される周囲の環境も、職人が腕を磨く良い材料となったに違いない。また、職人は、腕だけではなく、根性までもが磨き上げられたのだろうか。
ここで、フィレンツェ芸術に寄与したブルネレスキのエピソードを引用する。
・目をあけて生まれてきた男
わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡
フィレンツェ第一の協会であるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の円屋根を、ブルネレスキの考えたプロジェクトに沿って建設することには決まったのだが、あまりにもブルネレスキの案が建設技術上革命的なために、スポンサーであった毛織物組合としては恐ろしくなってしまった。それで、建設作業の共同監督として、ブルネレスキの大胆さのブレーキ役としてが本音だったのだが、高名な彫刻家であり建築家でもあったギベルティと、その他にもう一人を、ブルネレスキにつけることに決めたのである。
それが、ブルネレスキには気に入らない。共同監督など、望みも要請もしなかったのだ。さて、一大事業として鳴りもの入りで作業が開始されたのだが、ブルネレスキは、病気と称して出てこない。二人の共同監督たちは困ってしまったが、ブルネレスキ不在のまま日が重なるだけだった。
二人の共同監督は、二人ではこの仕事は進めることは不可能だと、毛織物組合に伝える。組合の幹部としては、ブルネレスキの案を廃して別のプロジェクトでクーポラ建設を進めるか、それとも、ブルネレスキの好きなようにやらせるかの、選択を迫られたことになった。長時間の話し合いの末ついに、組合の代表がブルネレスキの家に行き、建設作業を指揮する監督は、彼一人とすると伝えたのである。翌朝、何事も起こらなかったのようなすました顔をしたブルネレスキが、建設現場に姿をあらわしたのは言うまでもない。
ブルネレスキが死んだのは、マキアヴェッリの生まれる23年前である。
こうして出来上がったのが、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の円屋根である。
・サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
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このような芸術的価値のあるものに対して、ヨーロッパでは、戦争においても気を使うようである。
・目をあけて生まれてきた男
わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡
第二次大戦当時のイタリアは、シチリアに上陸した連合軍と後退を続けるドイツ軍が、イタリア半島を南から北に戦線を移動していったのは、ロッセリーニ監督の映画「戦火のかなた」に描写されているとおりだが、フィレンツェも一時、アルノ河の北と南に分かれて戦火を交えた時期があった。ドイツ軍は、ポンテ・ヴェッキオ以外のすべての橋を爆破したが、両軍とも、アルノ河一帯の建物のうち、史的芸術的価値があまり高くないとした建物の破壊には、さして神経を払わなかったようである。反対に、ピッティ宮はもちろんのこと、マキアヴェッリの家から5、60歩の距離にあるグイッチャルディーニの家も、無傷で残った。
ちなみに、ドイツ軍からの爆破を逃れた唯一の橋であるポンテ・ヴェッキオが、これ。街の景色が鏡のように映るように、人工的に河の流れを穏やかにさせていることも特徴の一つらしい。
・★ ポンテ・ヴェッキオ(2005年7月)★
港の見える街から
世界でも最も有名な橋のひとつが、このポンテ・ヴェッキオです。
イタリア語でPonteは橋、Vecchioは古いという意味。
その名の通り、1345年に完成したフィレンツェで最も古い橋です。
特徴は、なんといっても「家付き橋」であること。
かつてヨーロッパにはこのような橋が多かったそうですが、
いまではこのように大規模なものは、
ほかにはエアフルト(ドイツ)のクレーマー橋くらいです。
一方、日本はどうであろうか?日本国の象徴である天皇陛下でも五月と十月に田圃に入って見せられるように、国民も、労働を厭わなかった。
そのおかげで、フィレンツェで最古の橋であったポンテ・ヴェッキオが完成した翌年の1346年に、姫路城が築城できたのであろう。
・姫路城
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
姫路城(ひめじじょう)は、兵庫県姫路市(播磨国飾東郡姫路)にある城。白漆喰の城壁の美しさから白鷺城(しらさぎじょう、はくろじょう)とも呼ばれる、日本における近世城郭の代表的な遺構である。
築城以来廃城や戦火の危機を免れてきたことから天守をはじめ多くの建造物が現存し、うち大天守、小天守、渡櫓等8棟が国宝、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に指定されている。また1993年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録される。
三大国宝城の一つに数えられ、築城以来の姿をよく残していることもあって時に「天下の名城」あるいは「日本一の名城」とも言われる。
ただ、イタリアと異なり残念なことは、名古屋城などの文化遺産が、大東亜戦争におけるアメリカの空襲で無慈悲にも破壊されたことである。
この破壊に挫けないで、愚直に労働に励むのが日本のよさである。これが、昨日述べた日本の優れた技術力といった外交カードにつながる。外務省は、このことを素直に感謝し、有効に活用して頂きたい。
・日本の技術が世界に貢献する 石原
断固「NO」と言える日本
(前略)
日本の技術は工夫の積み重ねで、あたかもシングルヒットばかりのように見えながら、実は一本のホームランなどではとても及びもつかない所まで達しているのです。先に述べた半導体と同じように、他の先端技術の面でも着実にかつての技術先進国であるアメリカを追いつき追いこしつつある。
たとえば、アメリカ陸軍がNASA計画の中で月面のある地点までの距離を正確に測るために開発したレーザーによる測量の技術体系を活用して日本はトンネルを掘る精密機械を開発し、その機械と資金が今ドーバー海峡の海底トンネルを掘っています。また、それを高層建築の精密度の確保のためにも利用して、50階以上の100メートルを超す頂上での建築誤差は日本では僅か2、3ミリ、アメリカの場合では2、3メートルにもなりかねないという。
ところで、100メートルを超す頂上での建築誤差は日本では僅か2、3ミリという驚くべき技術力に対し、儒教を捻じ曲がって学んだ彼の国は、どうだったのだろうか?下記は、姫路城の築城年の1346年から、551年が過ぎた1897年頃のお話である。
・日韓併合前の朝鮮半島。
Bird が見たSeoul
都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に迷路のような道の「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ
牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて擦れ違える程度の幅しかない。おまけに、その幅は家々から出た糞、尿の汚物を受ける穴か溝で狭められている。酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと、疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、日向でまばたきしている。
儒教の教えにより労働を軽蔑するので技術の蓄積ができない韓国と、日本が、共同で高層ビルを建築すると、このようになる。
・世界で一番高いビルを作り上げたコリア
大日本焼肉文化研究所
NAME kashigure1 閲覧数 : 85
TITLE 日 : 日本と 韓国の合作ビル〜綺麗な夜景付〜作成時刻 : 2004.02.08 14:31:56
左 日本が建設
右 韓国が建設
★ペトロナス・ツインタワー韓国側(右)の特徴★
・手がけたのはサムソン建設。
・現地人労働者に対する労働条件・環境は最悪だった。
・やや傾いている。
(しかも倒れる時は日本が建てたビルにもたれ掛かって巻き添えにすると思われる。)
・天井の面積と床面積が微妙に違うらしい。
・日本の図面をそのままコピー(契約時の協力事項から)
・しかしながら、免震技術など図面に乗っていない部分はどのように作った分からない。
・日本が建てた側より少し高い。
(どうしても日本人に世界一のビルを建てさせたくなかったらしい)
・そのような状況で、日本より早く建築を完成させたらしい。
・当然、評判が悪く空室率が高い。
窓の明かりだけでどちらが日本かわかるのは何故だろうねw
傾きで倒れるのは勝手だけど、ここでも日本に迷惑掛けないでね
日本の図面をコピーしてもまともに作れないなんて 本当に劣化コピーしか出来ないんだねw
このビルの行く末について、歴史から物事を学ぶ見識高い皆さんには、もはや何も語る必要あるまい。
・パラオKBブリッジ@韓国製 半年で崩壊
★阿修羅♪
投稿者 ねこ 日時 2004 年 8 月 29 日 15:26:52
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パラオKBブリッジ@韓国製 崩壊
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崩壊
日本のODA無償援助で再建@日本製
http://gomushi.at.infoseek.co.jp/world/palau/003.html
パラオ本島とコロール島の間に約200メートルの橋が架かっています。これがKBブリッジです。実はこの橋は1996年に一度崩落しているのです。
KBブリッジは、「Koror-Babeldaob Bridge」 の名前のとおり首都コロール島と空港のあるバベルドアブ島を繋ぐ橋で、島国パラオの交通の要衝として1977年に開通しました。
建設するにあたり日本の鹿島建設も見積りを出したのですが、韓国の下請け会社が日本の半額で落札し、工事を行いました。ところがこれがひどい手抜き工事だったようです。コンクリートの固め方でさえでたらめだった。と言いますから恐ろしい限りです。その様子をつぶさに見ていた現地住民は当初からこの橋に不安を抱いて
いたようで、車で橋を渡るときは、もし海に落ちてもすぐ逃げられるようにと必ず窓を開けていたそうです。
また、竣工直後から橋の中央部がたわみはじめ、15tだった通過制限重量がすぐに10tにまで減らされました。このたわみはやがて、通過する時おかしな揺れを体感できるほどに大きくなり、崩落事故の起きる頃には、徐行運転で渡るほかないという状態に陥っていたのです。
崩落前のKBブリッジの写真
そして1996年9月28日、悪夢は現実となります。
KBブリッジは突如真っ二つに折れ海に突き刺さりました。
崩落したKBブリッジの写真1.2.3
たまたま通行車両の少ない時間帯だったのですが、1名死者も出てしまいました。
橋の内部には電線、水道、電話線が通されていたため、パラオのライフラインは分断され首都機能は麻痺。一時は国家非常事態宣言も出されました。この時、パラオと姉妹都市の三重県からはコンテナ空輸で飲料水が運ばれています。
パラオ政府は、すぐに橋を造った韓国の業者に賠償請求しようとしたのですが、この時すでにこの会社は解散していて、手がかりすらなかったそうです。これは一体どういうことなのでしょう?この建設会社は1994年にソウルで崩落した橋を施工した業者でもあったというのです。
ともかく途方に暮れるばかりのパラオ政府だったのですが、日本ではまず仮設橋の建設を援助し、日本のODA政府開発援助により約30億円の新たな橋を無償で架ける事になりました。施工にあたったのは因縁の鹿島建設です。工事中、現地の人達は「カシマ」という言葉を覚え、日本人を見掛けると「ありがとうカジマ」と声
をかける子供もいたそうです。
実に5年の年月をかけ、橋は完成しました。2002年1月11日、開通式典が開かれ、橋の新しい正式名称が発表されました。
その名も「Japan−Palau friendship bridge」
太平洋上を走るこの橋は、3000kmの距離を越えてパラオと日本に新たな時代の友情を結ぶ、「友好の橋」なのです。
【関連記事】
・(H17.07.21)没落する韓国経済の兆候
・(H17.07.22)没落する韓国経済の兆候(その2)
・(H18.05.03)拉致問題、上海領事自殺にみる外交の脆弱性
【参考書籍】
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拉致問題、上海領事自殺にみる外交の脆弱性
・横田さん面会「心強いこと」と首相
Lの風景 2006年04月29日(土)のニュース
北朝鮮による拉致被害者家族の横田さんと、アメリカのブッシュ大統領との面会を受け、小泉総理は、拉致問題の解決に向け国際世論に訴えていく考えを示しました。
「アメリカ政府もアメリカ国民も、この拉致問題大きな関心を持つという意味において、非常に力強いことだと思っております。出来るだけ世界の世論も喚起して、北朝鮮側がこの拉致問題の解決に更にしっかりとした対応、誠意ある対応をする様にですね、日本としてもねばり強く働きかけていかなきゃいけないと思っております」
小泉総理はこの様に述べて、横田さんとブッシュ大統領との面会を評価するとともに、今後も国際世論に訴えることで北朝鮮に圧力をかけ、拉致問題の解決につなげたいという考えを示しました。(29日09:41)
アメリカの圧力によって、横田さんの立場からみると約30年間も滞っていた問題に進展がみられるかもしれない。だが、アメリカ頼りの現状を手放しで喜べない。何故なら、本来、国民の生命と財産を守る責任を負っているはずの日本政府が、頼りにならないからである。また、そのような政府へ責任を追求すべき立場にあるマスコミも機能していない。外国に拉致された同胞の被害者に対する国民の関心も薄い。拉致問題の解決策を見いだす議論が、もう少し見受けられても良いはずなのに・・・。
拉致問題に無責任な政府、無関心な国民といった現状を恥ずかしがる人は、いったいどれくらい居るのだろうか。現状を恥じる心がなかれば、次の策を考えるきっかけが生じないので、せめて恥ということを知って頂たいものだ。
北朝鮮に対して毅然とした態度で主張する事ができない政府の腰が抜けた様をみていると、国益を競い合う外交の場でも悲観的な眼差しでしか見ざるを得ない。
お互いの国が、それぞれの立場で少しでも自国が有利になるように話を進める外交の場において、いざとなったら責任を請け負う政府が後ろにいるからこそ外交官は、自らの責務を十分に果たすことができる。しかしながら、後ろにいるのは、恫喝にあうと外交官のハシゴを外す頼りない政府である。その為、世界に誇れる日本の経済力や技術力といった優れた外交カードを外交官が十分に使いきらないでいるのが現状であろう。
外交官といえば、年末に報じられた、日本の領事館が中国から執拗に恫喝され、自殺に追い詰められた事件を思い出す。
・上海領事自殺で再び中国の嘘
『週刊新潮』 '06年1月19日号 日本ルネッサンス 第198回
年末に『週刊文春』が報じた上海総領事館の領事自殺事件は二つの問題を日本に突きつけている。日本国の外交が上層部に行けば行くほど日本の国益を全く顧みない体質に陥っていることと、中国政府の展開する凄まじい虚偽のキャンペーンに殆ど歯が立たないことである。
『文春』の報道は、日本の外交官が中国の公安当局に脅迫され、「国を売ることは出来ない」との遺書を残して04年5月6日に自殺したこと、その事件を外務省は官邸にも報告せず、中国政府の責任も追及せずに放置し、事実上事件の隠蔽をはかってきたことを詳報したものだ。
この報道がなければ、領事が命を賭して「国を売る」ことを避けようとした上の事件は闇に葬られていたはずだ。複数の外交情報筋は『文春』の報道を“概ね正しい”と認めたうえで、同誌の取材を認識し始めた2005年暮れまで、1年7か月以上、外務省がこの件を放置してきたことを確認した。
昨年12月19日に中国に出張した泉裕泰中国課長が中国政府に抗議したのも、同月27日に佐々江賢一郎アジア大洋州局長が電話で中国臨時代理大使に抗議したのも、『文春』の取材によって彼らが隠し、放置してきた領事自殺事件が明るみに出されることを予測してのことである。状況を知れば、慌ててとったアリバイ抗議と見られても仕方がない。
外務省チャイナスクールの“親中、媚中”の体質を十分に心得ている中国政府は、事件から十数日後の、北京大使館公使による口頭での抗議に対し、「中国政府は知らなかった。調べておく」と口頭で対応しただけで、これまた、事件を放置した。中国政府が調査結果を出さずとも、日本の外交官らがまともに日本の国益を主張し、事件の真相について説明を求めてくることなど金輪際ないとタカを括っていたのであろう。日本外交の惨状を突きつけられる思いだが、事件が発覚した昨年12月以来の日中両政府の応酬を見ると、中国政府の主張には以下のように多くの虚偽と歪曲がある。
(省略)
非は全面的に中国にあるので、日本政府は、二度と繰り返すことのないよう中国に強く抗議すべきである。それと、合わせて、恫喝から救ってあげれなかった我が国の落ち度を改善すべきである。領事が、国家機密情報を中国へ渡さない限り帰国できないが、そのような売国はできないとの苦悩に対して、我が国は無策であったからだ。
他国からの恫喝は、拉致や上海領事の自殺問題に留まらず、尖閣諸島のガス田、靖国、日米構造協議などの顕在化された問題や、まだ国民へあかされていない潜在的問題など様々な場面で起きているだろう。
これを放置し、事なかれ主義のごとく、現状維持のままでよいのだろうか?このままだと、国を代表する領事でさえ助けられないので、残念ながら一国民の拉致問題を解決する望みは更に薄いだろう。そして長い目でみると、利子を上乗せした計り知れない代償を、将来払うことになるだろう。
このようにならないようにする為の対策の一つは、自国の軍備の増強である。経済力や技術力のない北朝鮮等は、「東京を火の海にする」といったような武器に頼る強盗団まがいな手を使って我が国を恫喝する。武器を持たない銀行員が強盗団の気が向くままに指図されるのと同じように、反撃する軍備を持たない日本が、武装した北朝鮮に舐められるのは、当然である。これを防ぐ為には、北朝鮮までをも射程に収めたミサイルなどの軍備を持つことが重要となる。同様に、先の領事への恫喝などに対しては、軍隊による護衛が重要となる。
もちろん、国防や護衛は、自国の力で行う必要がある。外国の軍隊が駄目な理由は、歴史を紐解けば明らかであろう。久しぶりに、中世(1500年頃)のイタリアの思想家マキアヴェッリの言葉を借りることとする。その前に、少しだけ時代背景を補足する。
当時のイタリアは、下図のように様々な国に分かれていた。その中の一つの国として例えば水色の教皇領がある。教皇領のローマ教皇庁が、大航海時代におけるポルトガルとスペインが航海の途上で、到達したすべての陸地を、永久に領土とする許可を与えたといった以前の記事は、丁度、この頃である。
教皇領の左側にある赤色のフィレンツェ共和国が、マキアヴェッリの生まれた国であった。マキアヴェッリが、フィレンツェ政府の書記官(外交官)を勤めていた当時、政府は、周辺国との争いに強国であるフランスを利用しようとしたが、逆に、命令通り動かない傭兵を自国の費用負担で雇うように押し付けられてしまった。このようなもめごと等において、フィレンツェ政府の意思を交渉国へ直接伝える外交官として、頭を悩ませたのがマキアヴェッリであった。
・ルネサンス時代の常識・非常識
えかきのき
(省略)つぎの地図は1494年のイタリア。
(VE)ヴェネツィア共和国
(MA)マントヴァ公国
(FE)フェラーラ公国
(MI)ミラノ公国
(FI)フィレンツェ共和国
(SI)シエナ共和国
(St)教皇領(ローマ)
(LU)ルッカ公国
(MO)モデナ公国
(GE)ジェノヴァ共和国
(SA)サヴォワ公国
(NA)ナポリ王国
外交官として幾多の経験と、もともと歴史好きだったので歴史から学んだ知識を元にマキアヴェッリは、自国の軍隊を持つ理由を次のように述べている。
・君主篇 58
マキアヴェッリ語録
金銭で傭(やと)うことによって成り立つ傭兵制度が、なぜ役立たないか、の問題だが、その理由は、この種の兵士たちを掌握できる基盤が、支払われる給金以外にないというところにある。
これでは、彼らの忠誠を期待するには少なすぎる。彼らがその程度のことで、傭い主のために死までいとわないほど働くと期待するほうが、甘いのだ。
だから、指揮官に心酔し、その下で敵に勇敢に立ち向かうほどの戦闘精神は、自前の兵士にしか期待できない。
同じ権限を与えて派遣するにしても、二人の優れた人物を派遣するよりも、一人の凡人を派遣したほうが、あるかに有益である、と。
更に、次のようにも述べている。
・国家篇 47
マキアヴェッリ語録
わたしは、改めてくり返す。国家とは軍事力なしには存続不可能である、と。それどころか、最後を迎えざるを得なくなる、と。・・・
もしも、あなた方が、なぜわれわれに軍事力は必要なのか、フィレンツェはフランス王の保護下にあるではないか、ヴァレンティーノ公爵チェーザレ・ボルジアだって、攻撃してくる恐れもないではないか、と言われるのなら、わたしはそのような考えほど軽率なものはないと答えよう。
なぜならすべての国家にとっては、領国を侵略できると思う者が敵であると同時に、それを防衛できると思わない者も敵なのである。君主国であろうと共和国であろうと、どこの国が今までに、防衛を他人にまかせたままで、自国の安全が保たれると思ったであろうか。
以上のような話を考えると、果たしてアメリカは、どこまで頼れるのだろうか。従来からアメリカと同盟関係にあるが、竹島、尖閣諸島、北方領土の問題どれをとっても、足を引っ張ることはあるが、解決の役に立ったためしがないのは、マキアヴェッリの言葉通りではないのか。それなのに、拉致問題だけは、進展するのだろうか。
だが、アメリカばかりを責めてはいられない。国防を他国にまかせっきりの我が国の態度が、一番悪い。国防において、主は、あくまでも我が国であり、従がアメリカであるからだ。同様に、拉致問題の解決に努力すべき主が、我が国であり、従がアメリカであることを認識すべきである。
最後に、アメリカやフランスに関する次の事実を再認識し、そして、自国による国防の必要性をみなさんにもそれぞれ考えて頂きたく。国防の力があってこそ外交の力が生かされると思うので。
・アメリカに従属を強いられた日米安保 石原
それでも「NO」と言える日本
(省略)
『日本外交史27 サンフランシスコ平和条約』(西村熊雄著)によると苫米地さんは、「署名の土地を変えるとか、それができなければ署名日をずらすとかして、平和条約に基づいて日米両国が対等の交渉をして署名をしたいという形をとれば、どれほど日本人に受け入れやすかろうか。アメリカ人の政治的感覚の欠如が嘆かわしい」と感想をもらした。
これに関しては、サンフランシスコ条約に反対するソビエトの出方を警戒した吉田総理が、平和条約の締結と安保条約締結の間に時間的空白を置くことは危険だと判断し、即日署名になったという別の説もある。
吉田さんは、共産主義に対する強い危惧を抱いていて、冷戦ではすまない対立摩擦が日本に襲いかかってくるのではないか、と懸念し、UPIの記者に、「それができないとしても、日本に核兵器を持ち込まないなどということは愚かしい限りだ」と語ったとも伝えられています。私は、核兵器保有論を肯定しませんが、フランスのドゴールがなぜ独自の核保有に踏み切ったのかといった冷静な分析は必要で、その意味からも吉田さんの核保有の本音にはいたずらに反発することは無いと思います。ドゴールは、「フランスのごとき大国は他国の核戦略で運命を左右される屈辱に耐えられない」と、一見馬鹿々々しいとも思えるようなことを言いましたが、西洋人は案外とこうしたナショナリズムを理解し、無駄な支出をいとわない面があります。それはつまり、国際政治というパワーポリティックスの裏の構造をよく知っているということかもしれない。私たちを取り巻く世界の政治環境は実はそういうものだとの認識はしておかなけらばならないということです。
【関連記事】
・(H17.07.11)戦前に比べて外交能力が圧倒的に落ちた原因とは?
・(H17.08.26)終戦日前後のソ連のどさくさの軍事行動を忘れてはいけない
・(H17.10.02)慢性的に食糧不足の北朝鮮の「国連の人道援助いらぬ」発言とは
・(H17.10.10)国防アレルギーを卒業し、そろそろ歴史から国防のあり方を学ぶべき
・(H18.01.14)大航海時代のキリスト教布教活動にみる日本への脅威
・(H18.02.13)秀吉の慧眼によって救われた大航海時代の危機
【参考書籍】
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感電の恐れのある中国産電気機器には輸入規制を!
・欧州委員会:中国を名指しで批判、EU内での危険玩具・電器が増加
欧州経済新聞ニュース 2006.3.10
要約すると次のような感じである。
2005年において、「一般的な製品安全性に関する指令」の12条(深刻な危険)に基いて行われた報告件数は701件で、前年(388件)の2倍近くに増加した。このうち、238件(34パーセント)が電器、171件(25パーセント)が玩具である。また、危険の性質については、感電(249件)、怪我(227件)、火災(114件)、窒息(96件)という順番。生産地別に見ると、中国(香港含む)からの輸入品が346件で、ほぼ半数を占めているとのこと。
危険なのは、舐めると子供に害のある玩具だけではなく、感電などの恐れのある電気機器もそうだったようだ。
※関西電力さんの図を借用
電気機器といえば、電気用品の安全確保について定められているとされる電気用品安全法(PSE法)が最近話題である。
電気用品安全法スレまとめ
・電気用品安全法@2chまとめ
今までの経緯
電気用品安全法という法律が2001年にできて既に施行済みだった。
↓
PSE基準以前の商品(中古、2000年以前に作られた新古品)も
範囲内と「政令」で2005年11月より拡大解釈
↓
5年経過したので、こいつが今年の4月から猶予切れとなる
↓
TV冷蔵庫等の家電だけでなく、中古の電気用品も対象になってる。
↓
昔のゲーム機やギターアンプとかオーディオも規制対象に!?
何とかしないとヤバイ!
↓
てか、新古中古の機械が売買修理が禁止となると
中小企業や零細企業、農家、商店は連続倒産!?
連続倒産した企業や農家がお金を借りてた銀行もやばくね?
↓
電気用品安全法(PSE)そのものが姉歯事件と同じ糞法じゃね?
「電化製品の安全基準が国から民へと変わりましたよ。
民間で検査して国に金払ってPSEマークをつけてくださいね。
安全かどうかを決めるのは経済産業省の出向機関の有料認定か
海外電化製品輸入業者か製造業者の自己申告でいいですよ。
そのかわり、事故が起きた時には国は責任取りませんからね。」 ←今ココ
国民への安全を真に願うのであれば、世界的に品質の高い国産よりも、中国などのような感電の恐れのある粗悪品を水際で防ぐような輸入規制を厳しくすべきである。そして、事故後の罰則も厳しくすれば、より効果的だろう。
しかしながら、規制を撤廃させたい諸外国などの圧力がきっかけで電気用品安全法ができたため、規制が大幅に緩和させられたようだ。
まるで犯罪率の高い韓国からの入国を水際で防いでいた観光ビザを免除した時と同じ構造のようだ。
・電気用品安全法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
電気用品安全法改正の骨子
上記電取法にかわり、平成13年より電安法が施行された。製造事業者や輸入事業者の手続きが緩和された一方、違反した場合の罰則が強化されたり、販売事業者に新たな義務が加えられたりしている。
改正がおこなわれた要因の一つとして、電取法に対する輸入業者や諸外国メーカーなどからの批判が挙げられる。電取法の手続きは煩雑で、特に海外では指定検査機関が非常に限られていたことから、事実上の非関税障壁と捉えられていたのである。この状況を緩和しつつ、製品の安全を水際で確保しようというのが電安法の狙いであったと思われる。
規制という言葉が諸悪の根源で、規制緩和や自由化という言葉がありがたいと、何故か無意識のうちに思い込むようになった。そう思うようにされてきたというのが正しい表現なのだろうか。
規制の役割を考えると、国家として国際競争力を伸ばしたい産業を諸外国から守るための防波堤として機能してきた。
敗戦直後の何も無い状態から、産業が発展し、80年代後半まで経済成長することができた効果からも、規制は、十分に役立ったと言える。逆に考えると、90年代以降の低迷の原因は、規制以外のところにありそうだ。
そのため、我々は「規制緩和、自由化、官から民へ」といったキャッチコピーのありがたみを考え直す必要がある。
時代にあわなくなった規制は改正すべきであるが、国益の為に先人たちが考えた思慮深い規制をキャッチコピーの勢いだけで改正すべきではない。
法改正に関わる方々には、その辺を踏まえて最善の法案を作成して頂きたい。
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そのうち経済の分野も述べたいが、今回は・・・
人間は、言葉を用いて思考すると言われている。
・言葉
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言葉による思考
意味を持った言葉の形成に伴い、人間は思考を言葉で行うようになったと考えられている。意志・感情を言葉で表現することによって複雑な心理を明確にする。このことによって自己理解が深まり、知能を発達させたと考えられている。
言葉と概念
(省略)全ての言葉は概念であると見なすことが出来る。
領域を示す概念
明確に特定できない領域・集合体を表す言葉
宇宙・世界・社会・国・国家・政府・会議・集落・世帯・上・下など
共通な特性で識別する概念
個々の違いを無視して共通性で表す言葉
人・手・足・動物・植物・火・道具・自転車・友達など
動きを表す概念
歩く、走る、跳ねる、止まる、起きる、寝るなど
関係を表す概念
貴方・私・上・下・右・左・東・西・南・北など
思考を表す概念
思う・考える・論じる・検討する・認識するなど
より深い思考をする為には、多くの言葉を学び、語彙を増やす必要があると考える。そのためには、幼い頃の英語教育ではなく、徹底した国語の教育をするべきである。教育時間が限られているので、その時間で日本語と同一概念の英単語(例えば、犬=dog)を学ぶことよりも、日本語に特化して他の言葉を学んだ方が語彙を増やせるからだ。
日本語では、平仮名と漢字が使われている。平仮名は、文字と発音が対応付いた表音文字である。簡単に習得できる反面、同音異義語の区別ができない。そのため、平仮名のみの文章では、意味を区別する必要があるので思考が断続的になりやすい。漢字は、文字に意味が対応付いた表意文字である。同音異義語も区別できるので、直感的な理解に役立つ。
漢字の造字および運用の原理を6種類に分類したものを六書と呼ぶようである。
・六書
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
六書の具体的な内容は『説文解字』の序に従うと、以下のようなものである。
象形 - 物の形をかたどって字形を作ること。日・月・木・耳など。
指事 - 位置や状態といった抽象概念を字形の組み合わせで表すこと。上・下・本・末など
形声 - 類型的な意味を表す意符と音を表す音符とを組み合わせて字を作ること。江・河など
会意 - 象形と指事によって作られたものを組み合わせて新しい意味を表す字を作ること。信・武・林・炎など
転注 - 用字法の一つとする説が有力であるが、定説はない。
仮借 - 他の同音・類字音の字を借用すること。「わたし」の意味に「我」、「そうだ」の意味に「然」、「くる」の意味に「来」など。
中国から輸入されてきた漢字は、中国人の概念が反映された字形であるが、「日・木・人」などの物の形をかたどった字形「象形」は、我々も受け入れやすい。
漢字の中には、漢字が輸入される前から日本に存在していた大和言葉の当て字もある。例えば、「タマシイ(ヰ)」という言葉。この言葉から、多くの人が連想するのは、恐らく次のような姿であろう。
※「ウサ袋」さんのサイトから勝手に借用
「タマシイ(ヰ)」の大和言葉と中国語の概念の違いは、次の記事に詳しい。
・水田を造った7代アマカミ「イサナギ」その2 改訂版
びーちぇの「ヲシテのクニ」
ちなみに、
アメミヲヤから発するエネルギーが万物を形成しているのですが、
「タマ」は太陽を通じて来る、ヲのエネルギー(ウルナミ)から出来るもの。
「シヰ」は月から来る、メのエネルギー(ヨルナミ)から出来るもの。
その2つを地球からのエネルギーで出来た「タマノヲ」で結ぶと「タマシヰ」となり、
それが、お腹の中のコダネに宿って初めて固有の命となり、
そのタマシヰが作用して、
そこから「ムワタ・内臓」が形成され、人となり誕生するのだそうです。
また、
死ぬと、このタマノヲは解かれ、
タマは太陽を通じて、シヰは月を通じて、
アメミヲヤのモトへと還って行くのです。
タマノヲや、残された身体もそれぞれ五元素に分解されて、
クニタマに還るのです。
ね?
なんとスッキリしていることでしょうか!
漢字で書く「魂」などというものは・・・
大陸からやって来た、
異質で、全く違った概念だと思いませんか。
白川静さんによると ‥‥‥ 『常用字解』 平凡社
「魂」とは、云と鬼から出来ている字である。
云は雲を表し、鬼とは人が死んだ時
「人鬼」となるものを言う。
人鬼は神とともに霊界に属している。
この「鬼」という字の甲骨文字は、
死人であることを表わすため、
頭を大きく書くのだそうです。
「鬼神」とはこの人鬼と自然神の2つをいう言葉。
「霊」も雨乞いをしている形を示す象形文字。
やはり呪(じゅ・まじない)で、
鬼神などをこの世に降ろすという語源をもっています。
こわっ!平凡社 [著] 白川 静ASIN:458212805X /単行本/750頁発売日:2003-12-20ランキング&評価:---位 4.5
価格:¥ 2,940 [2009-04-19 Amache]4 - 手ごろな価格で手に入る白川静氏の辞典5 - おすすめ。4 - 白川説字源に興味を持った方に入門書としてお勧めできる著書5 - 説文学者の怠慢を撃つ2 - 白川説による字解の本
漢字の当て字とともに、日本の心まで一緒に忘れてしまわないようにしたいものである。
ところで、漢字が伝わる前に、日本には文字が無かったとする奇妙な説がある。日本古来には、ヲシテ文字があったというのに。
・外国語の日本語表記
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
総論
日本語は元来文字を持たない言語であった。百済から漢字が伝わると表音的に用いられるようになり、漢字音を日本語および中国語以外の外国語にあて表記することが行われた。
この説は、福岡大学の朝鮮人教授の説(千字文)と合致するようだ。
・千字文 3号(1999/5/25)
福岡大学 人文学部 東アジア地域言語学科
研究室訪問(小川記者の李鍾徹教授研究室の訪問記)
小川:先生の専攻はどのような研究なのでしょうか。
李:朝鮮と日本の古典の研究です。詳しく言うと、歌の表記法の比較研究です。三国時代(高句麗・百済・新羅)と古代日本には漢字が伝わるまで固有の文字がありませんでした。言葉を表記するために漢字を借用したのです。
李教授の「百済から漢字が伝わる」発言は、言い過ぎである。実際には、日本で漢字習得教育に用いられることになる『千字文』を持った中国系百済人王仁が、訪日の過程で、百済を通過しただけのことであろう。
・日本に漢字が伝わったのはいつか?
雑識雑考[うんちくを騙る(語るにあらず)]
(省略)
と言うわけで、4世紀後半まで百済に漢字は無い。これ以前に百済から伝わる事はあり得ない。
さて、近肖古王の記述を見ると、26年(371年)に、攻平壌城。平壌城(旧楽浪郡朝鮮縣と言われている。)を攻めるとあるのでこのとき旧楽浪郡遺民を捕虜として連れて帰ったのであろう。
まとめてみる、
百済への漢字伝来年、371年。
王仁の渡来年。 405年。
他の資料では4世紀後半とする資料が多い。そうするとタイムラグはほとんど0?
やっぱり、朝鮮半島はただのストロー・・・。
漢字が伝わる前から日本には、文字があったにもかかわらず、無かったと捏造する朝鮮人は、自国の文字「ハングル」について、どのように理解しているのであろうか?
・言語
韓国文化院
ハングル
韓国人はハングルと言う独創的なアルファベットを開発し、現在でも韓国ではその言葉が使用されています。ハングルは世界で最も効率的なアルファベットの中の一つとして注目されていますが、その科学的なデザインと卓越した言語体系は言語専門家たちからも絶賛されています。
表音文字のハングルは、平仮名と同じ役割である。そのようなハングルを褒めちぎる姿勢が理解できない。ユネスコでは、ハングルをどのように評価しているのであろうか?
・見るな!真実を!偉大なるハングルの真実!
大日本焼肉文化研究所
日:驚愕の事実! ユネスコはハングルの歴史的価値を認めていなかった!作成時刻 : 2004.04.14 17:08:20
ユネスコはハングル文字なんて評価しないってよw
Pu
まず、私から事務局への問い合わせは下記の通りです。
---------------------------------------------
"** **"
2004/01/27 16:40
宛先 *******@*ext.go.jp
件名
ユネスコの記録遺産登録についてのお問い合わせ【20040127】
いつもお世話になっております。
ユネスコより、世界記録遺産として登録されている物件の登録対象について、
厳密な定義を確認させていただきたく存じます。
ご回答いただけますよう、お願いいたします。
確認事項は、下記の、訓民正音(Hunmin Chongum)という韓国国宝70号についての登録です。
なお、ユネスコの登録についてのページは下記の通りとなっております。
http://www.unesco.org/webworld/mdm/1997/eng/korea_hunmin/korea_hunminchongum.html
「Name of the Documentary Heritage: Hunmin Chongum」
として登録されていますが、これは「訓民正音という書物」を記録遺産として登録しているとの意図であると、一般的には認識されると思います。
しかしながら、韓国におけるメディア報道では、当該記録物件について、「ハングルという文字が記録遺産として登録された」とのニュアンスで紹介がなされております。
重ねて確認いたしますが、[Name of the Documentary Heritage] は、
「遺産として扱われる文書名」の事であると思われます。
万一、「文字」を意図している場合は[character]等が妥当であり、そうでない以上、この記録は、ハングル語(ハングル文字)ではなく、あくまで「訓民正音という書物」を対象としているものであると思われます。
しかしながら、訓民正音(Hunmin Chongum)は、過去においては、「ハングル語」、という意味(つまり、書物の題名ではなく、ハングルと言う文字そのもの)
という意味があり、これが韓国におけるメディア報道の混乱を助長させているものと考えれられます。
本来的な記録遺産登録は、どちらの定義によってなされているのでしょうか。
今回、お応えできない場合は、どちらにお問い合わせをすればよいのか、ご教示いただければ幸いです。
非常にご面倒なお問合せをしてしまいましたことにつきましては、大変恐縮ではございますが、ご返答をいただけましたら、幸いにございます。
よろしくお願いいたします。
※本件につきご返答いただけますようでしたら、このメールのご返信にてお願いいたします
--------------------------------------------
ユネスコから回答あり。
--------------------------------------------
From: *****@*ext.go.jp
To: "*****"
Subject: Re: ユネスコの記録遺産登録についてのお問い合わせ【20040127 】
X-Mailer: ****************July 23, 2003
Sender: ****@*ext.go.jp
Date: Thu, 29 Jan 2004 22:33:58 +0900
X-****rack: Serialize by Router on ******/MEXT
(Release 6.0.******** | December 2, 2003)
at2004/01/29 22:34:00,Serialize complete at 2004/01/29 22:34:00
********* ****様
ご質問につきまして以下のとおり回答いたします。
「MEMORY Of the WORLD」事業(MOW)は、
○世界的に重要な文書遺産の保存を、最もふさわしい技術を用いて促進し、
○重要な文書遺産に多くの人がアクセスできるようにし、
○文書遺産の存在及び重要性への認識を高めること、が目的とされた事業であり、ここで言う文書遺産とは、
○映像・音声等により成り立っているもの、
○保存可能なもの、
○複製可能なもの、等を含みます。(もちろん本も含まれます。)
ですから、一般的には「訓民正音という書物」が登録されているものと思われます。(もちろんその歴史的価値を含めて、ということですが。)
また、上記の「MEMORY Of the WORLD」事業(MOW)の定義には、
文字、言語というものは含まれません。
ただし、韓国国内委員会がどのような意図で発言したかは、当方ではなんとも申し上げられません。
さらに詳しくお知りになりたい場合は、韓国国内委員会に直接聞いていただく必要があります。
ご参考までに韓国国内委員会のHPアドレスを以下に記載いたします。
http://www.unesco.or.kr/eng/index.html
以上、よろしくお願い致します。
ユネスコ国内委員会事務局(文部科学省内)
TEL:03−****−41***(内線2**7)
FAX:03−****−3**9
---------------------------------------------
よって、ユネスコは、「ユネスコに登録されている訓民正音(Hunmin Chongum)」は、本のことであり、ハングルと言う文字ではない、との見解を示しています。
「訓民正音」には、「訓民正音」という名前の本であると同時に、「ハングル語、ハングル文字のことを意味する単語」でもあり、それが、「ハングル語がユネスコに登録された」という誤解を招いた原因であると思われます。
また、ユネスコ自体、私は歴史と言うものを評価したり、判断できるほどの組織ではないと思っています。
ユネスコ=学会ではありませんから、ユネスコのような援助に基づいて成り立っている団体が行っている評価に、過度に我々が反応する必要は無いでしょう。
しかしながら、「訓民正音」が、歴史的価値が非常に高い文書であることは、間違いありません。
韓国の方は、それを誇りに思って当然であり、今後も、「訓民正音」の原本資料を大切に保管していただければと、わずかな期間でも歴史を学んだ人間である
私も心から思います。
ただし、それは、「ユネスコが登録した」というような権威的な判断がもたらす誇りではなく、自分がまず、その資料を本当に理解した後で、誰の権威にも頼らず、心から誇れるようなものであれば、と思わずにはいられません。
これは、自分自身にも、常に自戒をし、反省をしなければならないことでもあります。
これで、ユネスコ論争は終了しましょう。では。
http://www.gokorea.jp/trans_bulletin/week_list_view.html?uid=345&fid=345&thread=1000000&idx=1&page=4&sort=&keyword=&tb=weekForum
上記の「MEMORY Of the WORLD」事業(MOW)の定義には、文字、言語というものは含まれません
ちなみにその「訓民正音」と言う本は漢字で書かれています(大爆笑!
訓民正音の意味は、馬鹿な者に表音文字を教えるという意味があります。
(爆笑
漢字を棄て、表音文字主体の韓国では、皮肉にも「訓民正音」という本の名前と、同音異義語の「ハングルのことを意味する単語」の区別ができなかったようである。そして、言葉を履き違えたことで、「ハングルがユネスコに登録された」という間違った結論に陥った。正しい結論を導くためには、正しい情報を正しく用いる必要がある。情報の誤解を減らすには、漢字の利用が重要であると、あらためて認識させられた。
言葉を用いた思考法として、例えば、演繹法が知られている。
・思考法-演繹法と帰納法
1.1.演繹法
演繹法は一般的原理から論理的推論により結論として個々の事象を導く方法です。代表的な手法に、大前提・小前提・結論による三段論法があります。
(例)
大前提(一般的原理)「人間は死ぬ」
小前提(事実など)「Aは人間である」
結論(個々の事象)「Aは死ぬ」
大前提が、誰もが知っている当たり前のことであれば、結論の良し悪しは明確にわかる。ただし、この大前提が、誰もが分からない場合、そこから導かれた結論は正しいと言い切れないので注意が必要である。
・「論理」だけでは世界が破綻する
国家の品格
?論理には出発点が必要
論理が破綻する三番目の理由は、「論理には出発点が必要」ということです。
論理というものを単純化して考えてみます。まずAがあって、AならばB、BならばC、CならばD……という形で、最終的に「Z」という結論にたどり着く。出発点がAで結論がZ。そして「Aならば」という場合の「ならば」が論理です。
(省略)
ところが、この出発点Aを考えて見ると、AからBに向かって論理と言う矢印がでていますが、Aに向かってくる矢印は一つもありません。即ち、このAは、論理的帰結ではなく常に仮説なのです。そして、この仮説を選ぶのは論理ではなく、主にそれを選ぶ人の情緒なのです。宗教的情緒をも含めた広い意味の情緒です。
例えば、次のような記事の論理(デフレ脱却→量的緩和解除&ゼロ金利継続→景気回復)は、単なる仮説なので懐疑的である。この件で、思うことは、長くなるので別途述べたい。
・参院予算委 小泉首相が量的緩和解除決定を評価
(毎日新聞) - 3月11日10時13分更新
小泉純一郎首相は10日の参院予算委員会の「税制・財政改革・金融市場調節」に関する集中審議で、日銀の量的緩和政策の解除について「今の状況がデフレ脱却に確実な歩みを始めたという認識だからこそ(日銀は)解除を決定した。日本経済はようやく活性化に向けて動き出した」と述べ、景気回復が定着したという認識を受けた決定として評価する考えを示した。
首相は解除決定前の6日の参院予算委員会で、「解除して失敗したからもとに戻すことがあってはならない」と発言するなど慎重な対応を求めていた。
一方、谷垣禎一財務相は「まだ現状は緩やかなデフレが続いている。(日銀が)今後引き続きゼロ金利を継続する姿勢を示しているのは非常にありがたい」と述べ、当面はゼロ金利政策を継続すべきだとの考えを示した。
また、首相は消費税率の引き上げ幅について「導入する前からいつ何%上げるかということを今、判断する状況にはない。今年9月に辞める私が後の首相の手足を縛ることはしたくない」と述べた。【須藤孝】
論理の欠点をもう少し補足する。この辺をわきまえると、きっと良い思考ができるのであろう。
・「論理」だけでは世界が破綻する
国家の品格
?論理は長くなりえない
論理だけでは破綻する四番目の理由は、「論理は長くなりえない」ということです。
数学の場合、「AならばB」と言った時には、「完全に正しい」か「完全にウソ」の二種類しかないからです。(省略)「確率1で正しい」と言います。まったく嘘の場合は、「確率0で正しい」。
確率というのは、0から1までの数字です。絶対的に正しいときは1で、絶対的な嘘が0。半分正しいときには、「確率0.5で正しい」となります。
ところが、数学の証明において使われる論理というのは、各ステップとも全部「1」です。AからBも1、BからCも1、CからDも1。ここで大切なのは、AからZまでの論理系としての信憑性は、各ステップでの確率を全部かけ合わせたものにより計られるということです。
そうすると、数学の場合は各ステップが全部1ですから、百万回かけてもその積は1のままです。ところが、恐ろしいことに、どこか一箇所にでも間違いがあると、数学ではそこが0になってしまう。そうすると、仮に1が999999個あっても、途中に0が1個あっただけで、全部を掛け合わせると0になり、ゴミ屑と同じになってしまいます。
(省略)
「風が吹けば桶屋が儲かる」という諺がありますが、(省略)。数学的に考えてみるとどうでしょうか。風が吹くと埃が舞い上がる。これが九〇%正しい、すなわち〇・九とする。ところがその次に、埃が目に入って目を患う確率は一〇%、すなわち〇・一くらい。その中から目が見えなくなる人となると、〇・〇〇一ぐらい。その次の三味線弾きになるとまた〇・〇〇一。各ステップを全部かけていくと、おそらく確率は一兆分の一以下になるでしょう。要するに、現実には風が吹いても桶屋は儲からない。
(省略)
「長い論理は危うい」ということを、人々は本能的に分かっている。長い論理は使えない。だから、現実において論理のリーチは極端に短い。ワンステップしかないような論理が幅を利かせている。
例えば、なぜ小学校で英語を教えるなどということになったのでしょうか。「国際人」がらみです。ここで国際人とは、海外でも人間として敬意を受けるような人間、ということにいたします。こんな論理です。「小学校で英語を教える→英語がうまく話せるようになる→国際人になる」。たったツーステップです。凄くわかりやすい。(省略)。同じツーステップでも、「小中学校で国語を強化し読書を奨励する→人間の内容が充実する→国際人になる」の方がはるかに信頼性が高い。
演繹法以外の代表的な思考法として帰納法がある。こちらは、実験や観察結果に基づいた方法である。自然科学の分野では、一般的にこちらのアプローチがとられている。
・思考法-演繹法と帰納法
1.2.帰納法
帰納法は個々の事象から、事象間の本質的な結合関係(因果関係)を推論し、結論として一般的原理を導く方法です。
(例)
事例収集(個々の事象)「人間Aは死んだ。人間Bも死んだ。人間Cも死んだ」
因果関係(本質的結合関係):「人間だから死んだ」
結論(一般的原理):「人間は死ぬ」
(省略)1.3.演繹法と帰納法の関連性
このように、演繹法と帰納法は相互の到達点が相互の出発点となり、到達点として獲得した論理を相互検証することで、より確実な真理に近づくことができます。両者は対立するものではなく、状況により選択する手段であり、適した方を使い分けてこそ真価を発揮します。1.4.演繹法と帰納法の欠点
それぞれの方法にはそれぞれの欠点があります。
演繹法の欠点は、正しくない、あるいは使用するのが適切ではない前提を用いてしまうことがあることです。先入観や偏見に基づいた間違った前提を適用してしまう場合や、ある限定された範囲でのみ正しい前提を全体に適用してしまうような場合などがそれにあたります。
帰納法の欠点は、全事例を網羅するか、それと同等の論理証明をしない限り、帰納した結論(帰結)は必ずしも確実な真理ではなく、ある程度の確率を持ったものに過ぎないことです。(故に帰納法は帰納的推理ともいいます)
事例の集合が不完全である限り、いくら事例をあげても、それは正しい確率が高いものにしかなりません。全知全能ではない人間の認識の限界が帰納法の欠点となります。
このような欠点をしっかり認識しておかないと間違った証明をしてしまう可能性が高くなります。
それぞれ一長一短あるので、利用する場面に応じて適切な方を利用すると良いようである。
経済学の分野において、実証実験無しで、演繹法のみで述べる人(日銀等)が多いようである。しかも、その結論は、アメリカの思惑通り。皆様も、注意深く観察して頂きたい。
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儒教の教えが中華思想となる中国、武士道となる日本
例えばモーゼの十戒のように「騙す勿(なか)れ」といった人間の行動基準を規定するような宗教心が少ないことは、両国とも共通していると思えるが、日本ではそれを補うかのように「人様に迷惑をかけるな」「ウソつきは泥棒の始まり」等といったような道徳的な教育が行われる。
一方、中国では、嘘が蔓延した社会で生きる術として、次のような騙されないようにする教育が行われる。
・家庭教育は「人に騙されるな!」から始まる
驕れる中国 悪夢の履歴書
身内すら信用しない中国人の発想のコアは家庭教育で育まれる。中国の家庭教育は日本と対象的である。一般家庭では、祖父母や両親が子供を躾けるという点では同じである。しかし、日本人が子供に「ウソつきは泥棒の始まり」というふうに教えるところが、中国では逆なのである。
中国の一般家庭で子供に一番大事なこととして教えるのは、「人に騙されるな」「偽物を買ってくるな」ということである。要するに人を信用するな、という教育が行われる。小さな頃から、それこそ赤ん坊のときから教えられる。そのまま大人になるまで、人を疑うように教育され続けるのが中国なのである。
中国人にしてみれば、日本人の「誠実」とか「正直」という教えは、子供に「カモになれ」と教えているのと等しい。中国には「一人で廟に入るな、二人で井戸を覗くな」と言うことわざがある。これは試験にしか出ないようなものではなく、ごく一般的なことわざだ。
「一人で廟に入るな」というのは、一人でお寺(廟)に入ると、悪いお坊さんに殺されたりするかもしれないからである。坊主には悪い人間が多いから、一人で寺に入ると金品を奪われたり、殺される。(省略)
「二人で井戸を覗くな」というのは、もう一人に落とされるかもしれないから、一緒に「どのぐらい深いのかな」と覗くというのはダメなのである。だから一人で安全なときに見るぶんには問題ないが、二人ではダメだという発想なのだ。
このような教育方法の違いからも、中国と日本は、かなり違った社会となることが想像できる。
社会が異なると価値観が変わるせいか、同じ思想や歴史的な事実も異なって解釈されることが多い。ここで、中国で約2700年前に発祥した儒教の解釈方法の違いを例に、比較してみたい。
日本では、儒教が江戸時代に日本化され、武士道の理論化、体系化に用いられた。そして、例えば徳目の一つである「義」を、武士道では、「正義の道理」即ち「義理」と解釈した。
・「正義の道理」こそ無条件の絶対命令
武士道 新渡戸稲造(著), 奈良本 辰也 (翻訳)
(省略)
「義理」は、本来義務以外のことを意味していない。
例えば、親に対する行為においては愛情が唯一の動機である。だが万一、愛情をもてなくなったときは、親に対して孝養を命ずるか何か別の権威が必要である。そのような事実から義理は生まれたものだと思う。そして人々はこの権威を「義理」の中に定式化した。そしてこの「義理」を形あるものに作り上げた。
なぜなら、もし愛情がうるわしい徳行に結び付かないならば、頼りになるものは人の理性である。そして人の理性は、その人に正しく行動することの必要性をすばやく悟らせるに違いない。
同様なことは他の道徳上の義務についてもいえる。義務がわずらわしく感じられたときには「正義の道理」が私たちの怠惰を防ぐために乗り込んでくる。このように理解された「義理」は、手に鞭をもって怠け者にそのなすべき事を遂行させる厳しい親方となる。
(省略)
もし「武士道」が鋭敏で正当な勇気の感性、果敢と忍耐の感性をもっていなかったとすれば、義理はたやすく臆病の巣に成り下がっていたにちがいない。
なお、武士道が儒教の教えのお蔭だけで出来上がったという訳ではなく、その700年前から基盤が築かれていたことも合わせて記憶に留めておきたい。
・武士とは、武士道とは
日本の心●外国人
世界にもユニークな日本の武士の特徴を考えると、まず源氏が清和天皇を、平氏が桓武天皇を祖とするように、由緒ある武士は、皇室を祖先にもっています。皇室から分かれた貴族が、京の都を離れて地方の役職をもらい、そこで専門戦士として働くようになったのが、武士の由来です。それゆえ、源平の時代から徳川慶喜まで、武士は天皇に権威を感じ、それを侵すことなく、逆に自分の権力の拠り所として仰いできました。本来、皇室から分かれた貴族の出身であるところに、武士の第一の特徴があります。
第二の特徴は、戦闘のプロフェッショナルであることです。武士は古くは「もののふ」といわれました。「もの」とは武器を意味します。「兵(つわもの)」「弓矢取る者」とも呼ばれました。弓矢や刀など武器を扱う軍事の専門家が、武士でした。「侍(さむらい)」という名も、主君のそばで警護に当たる「さぶらふ」という言葉から来ています。戦闘者としての自覚は、長く平和の続いた江戸時代においても、武士の精神から失われることがありませんでした。
第三の特徴は、土地に密着した為政者であることです。平安時代後期、辺境の防衛に当たった武士たちは、年月を経るうちに、その土地に定着し、自ら土地を開墾して、私営の田畑を営むようになりました。こうして開墾領主となった武士は、「一所懸命」に領地を守り、広げ、受け継ぎ、競合しながら、巨大な集団へと成長していきました。やがて、武士は、土地と領民を所有する為政者となりました。そして、皇室の伝統と、儒教の政治道徳に学んで、領地・領国の経営に努めたのです。
これら三つの特徴ーー皇室から分かれた貴族の出身、戦闘のプロフェッショナル、土地に密着した為政者―――は、それぞれ尊皇・尚武・仁政という徳目に対応します。
こうした特徴と徳目をもつ武士たちは、平安後期から鎌倉・室町・戦国の時代を通じて、独自の倫理と美意識を生み出しました。江戸時代に入って、それが一層、自覚的に表現されることになりました。これが、今日いうところの武士道です。
一方、中国での「義」とは、『建前として「義」を唱え、本音としては「利」』、即ち、「利」を意味する。
いつ出し抜かれるか分からない騙し合いの社会で生きる中国人にとって儒教は、公のために奉仕するというような道徳感としては身につかず、個人の利を優先させるような思想として都合の良いように解釈された。
この点だけを比較しても、日本人が利他主義であるということに対して、中国人は建前でグダグダいいながら本音は利己主義であることが垣間見れる。
驚いたことは、儒教の「礼」という徳目に対する利己主義な中国人の解釈結果である。以下のように、これから、自国を美化し、他国を野蛮な国(夷狄)として扱う中華思想が生まれたとのこと。
・日清戦争前夜 清と中華思想
『日本・世界の再生』・歴史に学ぶ
「礼」は文化的な進歩人が節度を守り、それを野蛮な四夷(東夷、西戎、南蛮、北狄)に教えていき、世界の順列を守っていくのが人間の道であると説く。
周が滅んでいき、異民族が漢民族の中になだれ込んでくると、それを「礼」によって教化し、取り込んでさらに大きな「中華」をつくりあげていく。
結局、都合の良いように解釈される儒教は、中国人にとって「豚に真珠」であった。
・ユダヤ人と日本人
よむ地球きる世界
「豚に真珠」ということわざがある。何となく日本的な感じがするが(真珠が日本特産のイメージだから)、実はれっきとした聖書の一節であって、キリスト教徒なら知らない者はないほど有名なフレーズだ。
豚に真珠は似合わないとか、おしゃれしてもムダだよという意味ではない。本当の意味は、餌をあさっている豚に真珠を投げてやっても、その価値が分からないから足で踏みにじり、食べるのを邪魔されたのを怒って噛みついてくるぞ、というような説諭だそうだ。この部分の一節は犬と豚を同列に扱っている(マタイ7章6節)。
このようにして中華思想が約2700年前に誕生したことによって、他国を侵略する建前ができ、現在も、その思想が続いている。
更に性質が悪いことは、そもそも自国民をも奴隷扱いする利己的な中国人が、残虐な性格を帯びた共産主義という武器を持ってしまったことである。
ここで、共産主義が、残虐な性格を帯びやすい理由を以下に記す。
・共産主義とは?
依存症の独り言
共産主義(マルクス主義)とは、労働者が主人公の社会を目指す思想である。搾取も抑圧もない、真に自由で平等な社会。人間が、もっとも人間らしく生きることのできる社会。
「一人は万人のために、万人は一人のために」生きる社会。「人は、能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」。
なんとも素晴らしいイデオロギーではないか?
マルクスは、資本主義の最終的段階が社会主義であり、その次に共産主義社会が到来すると考えた。
(省略)
人類の理想を目指したイデオロギーが、なぜ「悪魔の思想」に堕してしまったのか?
それは、ユダヤ教やキリスト教の「唯一神」信仰に原因の一端がある。ユダヤ教の影響を強く受けたマルクス主義においては、「正か邪か」「白か黒か」と云う思考に陥ってしまうのである。
また、「共産主義社会」を、人類社会の歴史的発展段階の究極であり、科学で証明された「法則」であるとしたマルクスの後継者たちの罪も大きい。
マルクス主義が絶対であり、「共産主義社会」に至ることが、科学で証明された「法則」であれば、それに反する者は、「反動」であり「反革命」であり「反人類」であると云うことになってしまう。
「唯一神」信仰は、それ以外の「真理」を認めない。
だから、アイツは「反動だ」「反革命だ」・・・「敵だ!」「敵は抹殺しろ!」と云う短絡な思考に支配されてしまうのである。
さて、この共産主義の短絡的な思考を持った国の行く末が、どうなるかは、ソ連や中国の歴史を学べば知る事ができる。
・20世紀の共産主義国家
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
これらの「共産主義を目指した国家」はいずれも、資本主義における市場経済や生産手段の成熟を待つことなく、共産主義建設の前提・暫定措置としてソ連型社会主義に移行したまま、そこに留まってしまった。共産主義社会はおろか、社会主義の実現にも成功したとは言えず、その中で、生産手段の私有の廃止・労働機会の官有による権力の集中は当初の目的をはずれ、単に資本家に代わって、その国で共産党を名乗る政党が生産手段を独占するだけに終わった。
また政治的にも、これらの国々は議会制度が十分に成熟・機能していない状態からただちに共産主義を目指したため、共産党(を名乗る政党)による一党独裁制に陥った。
特に、ソ連のスターリンや中国共産党の毛沢東にいたっては、自分の政策に反対する政治・思想階級を、物理的にまたは政治的に抹殺するに止まらず、政策に反発する民衆階層までをも大量虐殺し、あるいは失政により大量に餓死させるなど、歴史にも類を見ない恐怖政治を断行した。
1991年にソ連の崩壊によって、社会主義の失敗が証明された。しかし、中国では、ソ連の失敗は意に介さないようである。
恐らく、中国では、嘘が蔓延した社会への嫌気が相まって、国民への負担増大には興味がなく、自身(共産党)の利権維持だけの力学が働いているのだろう。
・「人類解放」は社会主義中国の中華思想から
驕れる中国 悪夢の履歴書
毛沢東は、中国の農民革命、あるいは社会主義革命の最大の目標を「8割の農民解放」としてスタートしたが、では具体的に何をどう解放するのか。理論的には社会を支配している地主からの解放である。当時の中国はもちろん資本化を果たしていないので、倒すべき支配階級は地主が中心となり、「黒五類」と総称された。地主や資本家などが反革命的階級とされたのである。そして、革命を担うのが「紅五類」であった。
中国においては、具体的には「地主からの解放闘争」というのが革命の最大目標の一つであり、国共内戦で人民解放軍が勝利を得たから、これは実際に成功したわけである。だから、次のステップとして世界の革命、すべての人類の解放だというのだ。
(省略)
中国がすでに「解放」された選民だというのは、実際的には、中華思想の延長である。中華と夷狄(いてき)の見方は、時代によって多少異なるが、唐・宋の時代になってようやく中華以外の人々も「半人半獣」と認められてきた。
(省略)
このような人種差別的なものの見方が、中華思想の中の「華夷思想」である。
儒教の「義を利としたこと」あるいは、「礼を他国差別の中華思想としたこと」と同様に、「共産主義(平等、解放)」を「中華思想」に結び付けて都合よく解釈するのは、中国ならではのようだ。
物事を自分の都合の良いように解釈し、本音と建前を巧みに使い分ける中国人にかかったら、何も知らない日本人は、簡単に騙されてしまう。
・農耕民族と騎馬民族 〜 日中相互理解の難しさ
国際派日本人養成講座 H16.4.25
(省略)
日本のビジネスマンが中国企業と提携しようと、初めて中国を訪れると、「よくいらっしゃいました。熱烈歓迎です」と、抱きついたり、握手したりと、オーバーに迎えてくれる。その晩から、連日連夜、盛大な歓迎祝宴である。席上でも偉い人が料理を大皿からとってくれたり、入れ替わり立ち替わり、いろいろな人が近寄ってきては、「乾杯(カンペイ)、乾杯」と、杯を干す一気飲みを求められる。そして自分たちがいかに日本企業のために役に立つ存在であるかを滔々と話す。
こうなると初めて中国に来て、不安を抱いている日本人の方は、たちまち警戒心を解いて、相手を無条件に信用してしまう。農耕民族である日本人は、新しく出会った「よそ者」に警戒心を抱くので、どうしても初対面の人には、ぎこちない。そこの所を騎馬民族流の「熱烈歓迎」で突破されてしまう。
しかし、そのあとは中国の騎馬民族的ビジネスのペースにはめられて、「中国人が愛想のよいのは最初だけ。すぐに冷たくなる」という不満を持つ日本人ビジネスマンは多い。日中国交正常化交渉でも、中国を訪問した田中首相一行がこの「熱烈歓迎」戦法でとりこにされ、その後、ずっと巨額のODAをむしり取られるはめに陥ったのである。[b]
■リンク■
b. JOG(312) 「日中国交正常化」〜 幻想から幻滅へ
そもそものボタンの掛け違えは、田中角栄の「日中国交正常化」での「異常」な交渉にあった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog312.html
本音をヒタ隠し、利益を得るために巧みに攻めてくる中国に、日本が負けないように頑張って頂きたいものである。
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・(H18.01.15)仕掛けられた中国の工作…何度繰り返せば学習できるのだろうか
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秀吉の慧眼によって救われた大航海時代の危機
日本に鉄砲が伝わったのは、それから約20年後のことであった。
・安土桃山時代
ますます日本!
鉄砲伝来 [1543年/於・大隅国種子島]
寧波へ向かう予定であったメンデス= ピントー率いる船は、嵐によって種子島に漂着した。南浦文之[なんぽぶんし]が著した『鉄炮記』によると、船員のゼイモトの放った火縄銃の威力に驚いた当主種子島時堯は、莫大な財を彼らに与えてこれを2丁購入したようである。鉄砲は元来刀鍛冶の技術があった日本では爆発的に広まり、堺・根来・国友などには専門的に鉄砲を製造する鉄砲鍛冶が出現した。
刀鍛冶の技術があった日本では、専門的に鉄砲を製造する鉄砲鍛冶が出現し、鉄砲が爆発的に増えた。ここで、鉄砲普及の基盤となった刀鍛冶の当時の位置づけについて引用させて頂く。
・「刀」−なぜ武士の魂なのか
武士道 新渡戸稲造(著), 奈良本 辰也 (翻訳)
刀は忠誠と名誉の象徴
(省略)
日本の社寺や名家では、刀を崇拝の対象にして収蔵している。ごくありふれた短刀に対してでさえ、それに応じた敬意が払われた。すなわち刀に対するいかなる無礼もその持ち主に対する侮辱とみなされた。床に置かれた刀を不注意にまたぐ者に禍あれ!
このように貴ばれる品物は、いつまでも工芸家の関心や技巧、あるいは所有者の虚栄心から逃れることはできない。刀が司祭の笏杖(しゃくじょう)や、王の笏のような役目しかもたない泰平の時代には、特にそうであった。鮫皮の柄、最上質の絹巻き、金や銀の鍔(つば)、さまざまな色の漆塗りの鞘(さや)などは、この凶器からその恐怖の半分をとり去ってしまった。だがこれらの装飾の数々は、刀身そのものとくらべると玩具にすぎない。
鍛冶は重要な宗教的行為だった
刀匠は単なる鍛冶屋ではなく、神の思し召しを受ける工芸家であった。その仕事場は聖なる場所ですらあった。彼は毎日、神仏に祈りを捧げ、みそぎをしてから仕事をはじめる。あるいは、いわゆる「彼はその心魂気迫を打って錬鉄鍛冶した」のである。大槌を振り、水につけ、砥石で研ぐ、これらすべてがたいへん重要な宗教的行為であった。日本の刀剣が人を畏怖させるほどの魔力をもつのは、この刀鍛冶たちの気迫によるのだろうか。あるいは彼が加護を祈った神仏の霊気によるものだろうか。
(省略)
余りにも急速に鉄砲が普及されたため、次のような説もあるようだ。
・火縄銃
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(省略)
注:ただし、日本での鉄砲普及のスピードからして1543年の種子島以前にすでに鉄砲伝来はなされていたのではないかという説、同時期に複数箇所に渡来したと言う説があり、近年ではこの説のほうが有力になりつつある。
鍛冶屋の能力が高すぎたのか、上記説が正しいのかはともあれ、鉄砲は、普及した。
・平和と環境保全のモデル社会-江戸
国際派日本人養成講座 平成10年2月14日
■3.ヨーロッパより進んでいた技術革新■
近代世界システムとの最初の遭遇の時から、日本人は驚くべき適応能力を示した。1543年に種子島に最初の鉄砲が伝えられてから一年とたたぬうちに、日本人はその製造技術を修得し、十年もすると日本中の鉄砲鍛冶が大量に生産を始めた。
銃の改良自体もヨーロッパ以上のスピードで進み、螺旋状の主導バネと引き金調整装置を発達させ、銃身の破壊を防ぐ鉄鋼の製造にも成功している。鉄砲を使った戦法も世界一で、1573年、織田信長が武田の騎馬武者を駆逐した長篠の戦いで見せた3000人の鉄砲隊を三分隊に分けて、一斉射撃を繰り返す戦法は、基本的には第一次大戦まで通用するものだったという。[2,p52]
その12年後、フランスのアンリ4世が勝利を収めたクトラの戦いで25名の鉄砲隊を各槍隊の間に配置した程度に過ぎなかった事も見ても、鉄砲使用の規模と質において、当時の日本がいかに進んでいたかが分かる。ポルトガル、スペインも、日本の軍事力を見て侵略を諦めざるをえなかった。
[参考]
2.「鉄砲を捨てた日本人」、ノエル・ペリン、川勝平太訳、
中公文庫、1991
そして、この頃に第一次大戦まで通用すると言われる鉄砲を使った一斉射撃の戦法が考えられていた。そのため、日本の軍事力を見てポルトガルやスペインは、侵略を諦めざるをえなかったと言われている。まさに、鉄砲伝来と鉄砲製造技術よって圧倒的な軍事力を有していたことが侵略の危機を防いだのである。
しかし、したたかなスペインは、シナを侵略するのに日本の軍事力を活用しようと考え、キリストの教えを巧みに利用して大名を唆す戦法をとってきたのである。
・キリシタン宣教師の野望
国際派日本人養成講座 H12.09.03
■1.日本布教は最も重要な事業のひとつ■
イエズス会東インド巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ
は日本に3年近く滞在した後、1582年12月14日付けでマカ
オからフィリッピン総督フランシスコ・デ・サンデに次のよう
な手紙を出した。
私は閣下に対し、霊魂の改宗に関しては、日本布教は、
神の教会の中で最も重要な事業のひとつである旨、断言す
ることができる。何故なら、国民は非常に高貴且つ有能に
して、理性によく従うからである。
尤も、日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不
向きである。何故なら、日本は、私がこれまで見てきた中
で、最も国土が不毛且つ貧しい故に、求めるべきものは何
もなく、また国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練
を積んでいるので、征服が可能な国土ではないからである。
しかしながら、シナにおいて陛下が行いたいと思ってい
ることのために、日本は時とともに、非常に益することに
なるだろう。それ故日本の地を極めて重視する必要がある。
[1,p83]
「シナにおいて陛下が行いたいと思っていること」とは、スペイン国王によるシナの植民地化である。日本は豊かでなく、強すぎるので征服の対象としては不向きだが、その武力はシナ征服に使えるから、キリスト教の日本布教を重視する必要がある、というのである。
■2.シナ征服の6つの利益■
スペインの勢力はアメリカ大陸を経て、16世紀半ばには太平洋を横断してフィリピンに達し、そこを足場にしてシナを始めとする極東各地に対し、積極的な貿易と布教を行っていた。
宣教師達はその後もスペイン国王にシナ征服の献策を続ける。1570年から81年まで、10年以上も日本に留まってイエズス会日本布教長を努めたフランシスコ・カブラルは、1584年6月27日付けで、スペイン国王あてに、シナ征服には次の6つの利益があると説いている。
第1に、シナ人全体をキリスト教徒に改宗させる事は、主への大きな奉仕であり、第2にそれによって全世界的に陛下の名誉が高揚される。第3に、シナとの自由な貿易により王国に多額の利益がもたらされ、第4にその関税により王室への莫大な収入をあげることができる。第5に、シナの厖大な財宝を手に入れる事ができ、第6にそれを用いて、すべての敵をうち破り短期間で世界の帝王となることができよう、と。
このようにスペイン帝国主義と、イエズス会の布教活動とは、車の両輪として聖俗両面での世界征服をめざしていた。
■3.日本人キリスト教徒の「ご奉公」■
さらにカブラルはシナ人が逸楽にふけり、臆病であるので征服は容易であると述べ、その例証に、13人の日本人がマカオに渡来した時に、2〜3千人のシナ人に包囲されたが、その囲みを破り、シナ人の船を奪って脱出した事件があり、その際に多数のシナ人が殺されたが、日本人は一人も殺されなかった事件をあげている。
私の考えでは、この政府事業を行うのに、最初は7千乃
至8千、多くても1万人の軍勢と適当な規模の艦隊で十分
であろう。・・・日本に駐在しているイエズス会のパード
レ(神父)達が容易に2〜3千人の日本人キリスト教徒を
送ることができるだろう。彼等は打ち続く戦争に従軍して
いるので、陸、海の戦闘に大変勇敢な兵隊であり、月に1
エスクード半または2エスクードの給料で、゚澆箸靴討ウ
の征服事業に馳せ参じ、陛下にご奉公するであろう。
[1,p95]
日本に10年以上も滞在したイエズス会日本布教長は、日本人を傭兵の如くに見ていたのである。
■4.人類の救済者■
宣教師は教会のほか、学校や病院、孤児院を立てた。地
球が球形であることを伝え、一夫一妻制を守りるよう説い
た。これらにより、キリスト教の信者が西日本を中心に増
えた。この当時、キリスト教とその信者をキリシタンとい
った。[2,p117]
中学歴史教科書の一節である。同じページにはザビエルの肖像画があり、そこに記されたIHSという文字について、「イエズス会の標識で『耶蘇、人類の救済者』の略字」と説明される。キリシタン宣教師達は、まさに未開の民に科学と道徳を教え、社会事業を進める「救済者」として描かれている。
数ページ後には家康によるキリシタン弾圧が次のように描かれている。
家康は貿易のために、はじめキリシタンを黙認していたが、やがて禁教の方針をとった。信者に信仰を捨てるように命じ、従わない者は死刑にした。[1,p130]
さらに家光が、「キリシタンを密告した者に賞金を出すなどして、キリシタンを完全になくさせようとした」事を述べ、厳しいキリシタン取り締まりに島原・天草で約4万人の農民が一揆を起こして、「全滅」した事を述べている。
この教科書を読んだ中学生は、「救済者」達に対するなんと野蛮な宗教弾圧かと思うであろう。しかし、なぜ家康は黙認から禁教へと方針を変えたのか、については一言も説明がない。秀吉も同様に、初めのうちはキリシタンを奨励していたのに、急に宣教師追放令を出している。いずれもキリシタン勢力から国の独立を守ろうとする秀吉や家康の防衛政策なのである。
■5.日本準管区長コエリョの秀吉への申し出■
キリシタン宣教師の中で、イエズス会日本準管区長ガスパル・コエリョは、最も行動的であった。当時の日本は準管区であったので、コエリョはイエズス会の日本での活動の最高責任者にあたる。
天正13(1585)年、コエリョは当時キリシタンに好意的であった豊臣秀吉に会い、九州平定を勧めた。その際に、大友宗麟、有馬晴信などのキリシタン大名を全員結束させて、秀吉に味方させようと約束した。さらに秀吉が「日本を平定した後は、シナに渡るつもりだ」と述べると、その時には2艘の船を提供しよう、と申し出た。当時、日本には外航用の大艦を作る技術はなかったのである。
秀吉は、表面はコエリョの申し出に満足したように見せかけながらも、イエズス会がそれほどの力を持っているなら、メキシコやフィリピンのように、我が国を侵略する野望を持っているのではないかと疑い始めた。
■6.コエリョの画策とバテレン追放令■
翌々年、天正15年(1587)に秀吉が九州平定のために博多に下ると、コエリョは自ら作らせた平底の軍艦に乗って、大提督のような格好をして出迎えた。日本にはまったくない軍艦なので、秀吉の軍をおおいに驚かせたという。
その前に秀吉は九州を一巡し、キリシタン大名によって無数の神社やお寺が焼かれているのを見て激怒していた。秀吉は軍事力を誇示するコエリョに、キリシタンの野望が事実であると確信し、その日のうちに宣教師追放令を出した。
コエリョはただちに、有馬晴信のもとに走り、キリシタン大名達を結集して秀吉に敵対するよう働きかけた。そして自分は金と武器弾薬を提供すると約束し、軍需品を準備した。しかし、この企ては有馬晴信が応じずに実現されなかった。
コエリョは次の策として、2,3百人のスペイン兵の派兵があれば、要塞を築いて、秀吉の武力から教界を守れるとフィリピンに要請したが、その能力がないと断られた。コエリョの集めた武器弾薬は秘密裏に売却され、これらの企ては秀吉に知られずに済んだ。[1,p109-114]
■7.秀吉のキリシタンとの対決■
秀吉の朝鮮出兵の動機については諸説あるが、最近では、スペインやポルトガルのシナ征服への対抗策であったという説が出されている。スペインがメキシコやフィリピンのように明を征服したら、その武力と大陸の経済力が結びついて、次は元寇の時を上回る強力な大艦隊で日本を侵略してくるだろう。
そこで、はじめはコエリョの提案のように、スペインに船を出させ、共同で明を征服して機先を制しよう、と考えた。しかし、コエリョが逆に秀吉を恫喝するような態度に出たので、独力での大陸征服に乗り出した。その際、シナ海を一気に渡る大船がないので、朝鮮半島経由で行かざるをえなかったのである。
文禄3(1593)年、朝鮮出兵中の秀吉は、マニラ総督府あてに手紙を送り、日本軍が「シナに至ればルソンはすぐ近く予の指下にある」と脅している。[3,p372]
慶長2(1597)年、秀吉は追放令に従わずに京都で布教活動を行っていたフランシスコ会の宣教師と日本人信徒26名をわざわざ長崎に連れて行って処刑した。これはキリシタン勢力に対するデモンストレーションであった。一方、イエズス会とマニラ総督府も、すかさずこの26人を聖人にする、という対抗手段をとった。丁々発止の外交戦である。
■8.天草をスペイン艦隊の基地に■
全国統一をほぼ完成した秀吉との対立が決定的になると、キリシタン勢力の中では、布教を成功させるためには軍事力に頼るべきだという意見が強く訴えられるようになった。1590年から1605年頃まで、15年間も日本にいたペドロ・デ・ラ・クルスは、1599年2月25日付けで次のような手紙を、イエズス会総会長に出している。要点のみを記すと、
日本人は海軍力が弱く、兵器が不足している。そこでも
しも国王陛下が決意されるなら、わが軍は大挙してこの国
を襲うことが出来よう。この地は島国なので、主としてそ
の内の一島、即ち下(JOG注:九州のこと)又は四国を包
囲することは容易であろう。そして敵対する者に対して海
上を制して行動の自由を奪い、さらに塩田その他日本人の
生存を不可能にするようなものを奪うことも出来るであろ
う。・・・
このような軍隊を送る以前に、誰かキリスト教の領主と
協定を結び、その領海内の港を艦隊の基地に使用出来るよ
うにする。このためには、天草島、即ち志岐が非常に適し
ている。なぜならその島は小さく、軽快な船でそこを取り
囲んで守るのが容易であり、また艦隊の航海にとって格好
な位置にある。・・・
(日本国内に防備を固めたスペイン人の都市を建設する
ことの利点について)日本人は、教俗(教会と政治と)共
にキリスト教的な統治を経験することになる。・・・多く
の日本の貴人はスペイン人と生活を共にし、子弟をスペイ
ン人の間で育てることになるだろう。・・・
スペイン人はその征服事業、殊に機会あり次第敢行すべ
きシナ征服のために、非常にそれに向いた兵隊を安価に日
本から調達することが出来る。[1,p147-150]
キリシタン勢力が武力をもって、アジアの港を手に入れ、そこを拠点にして、通商と布教、そしてさらなる征服を進める、というのは、すでにポルトガルがゴア、マラッカ、マカオで進めてきた常套手段であった。
また大村純忠は軍資金調達のために、長崎の領地をイエズス会に寄進しており、ここにスペインの艦隊が入るだけでクルスの計画は実現する。秀吉はこの前年に亡くなっており、キリシタンとの戦いは、徳川家康に引き継がれた。
■9.国家の独立を守る戦い■
家康が何よりも恐れていたのは、秀吉の遺児秀頼が大のキリシタンびいきで、大阪城にこもって、スペインの支援を受けて徳川と戦うという事態であった。当時の大阪城内には、宣教師までいた。大阪攻めに先立って、家康はキリシタン禁令を出し、キリシタン大名の中心人物の高山右近をフィリピンに追放している。
1624年には江戸幕府はスペイン人の渡航を禁じ、さらに1637〜38年のキリシタン勢力による島原の乱をようやく平定した翌39年に、ポルトガル人の渡航を禁じた。これは鎖国と言うより、朝鮮やオランダとの通商はその後も続けられたので、正確にはキリシタン勢力との絶縁と言うべきである。[4]
キリシタン宣教師達にとっては、学校や病院、孤児院を立てることと、日本やシナを軍事征服し、神社仏閣を破壊して唯一絶対のキリスト教を広めることは、ともに「人類の救済者」としての疑いのない「善行」であった。その独善性を見破った秀吉や家康の反キリシタン政策は、国家の独立を守る戦いだった。これが成功したからこそ、我が国はメキシコやフィリピンのように、スペインの植民地とならずに済んだのである。
■リンク〜近代世界システムと日本■
a. JOG(003) 悲しいメキシコ人
メキシコ人は固有の文化・文明そのものをスペイン人に破壊されてしまった。日本人も戦国時代に同じ運命に陥る危険があった。
b. JOG(090) 戦争の海の近代世界システム
海洋アジアの物産にあこがれて、ヨーロッパと日本に近代文明が勃興した。
c. JOG(024) 平和と環境保全のモデル社会:江戸
鉄砲を捨てた日本人は鎖国の中で高度のリサイクル社会の建設に乗り出した。
■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 「キリシタン時代の研究」★、高瀬弘一郎、岩波書店、S52.9
2. 「中学社会 歴史分野」、日本書籍、H9.1
3. 「国民の歴史」★★★、西尾幹二、産経新聞社、H11.11
4. 「歴史に学ぶ」★★★、村松剛、「日本への回帰 第17集」
国民文化研究会編、S57.3
このような秀吉像を歴史教科書では、どのように扱っているのであろうか?
・朝鮮出兵
全「歴史教科書」を徹底検証する
朝鮮出兵に関して、「世界の歴史を背景に理解させ」ているか
(省略)
十五世紀末に始まったスペインとポルトガルによる大航海時代の波は、その後数世紀にもわたる欧米植民地支配の起点となった。スペイン・ポルトガルは、まず武力をもって侵入し、直ちに神の恵みを説くカトリック宣教師をして純真な現地人を洗脳する。キリスト教布教と征服事業は初めから両輪だった。彼らによって絶滅させられた南米のインディオや、容易に植民地にされてしまったフィリピンの悲劇は、それをよく物語っている。日本にやってきた彼らもあわよくば日本を征服しようと考えていたようである(これについては、高瀬弘一郎『キリシタン時代の研究』に詳しい)。
ところが、軍事的情勢から征服の方は諦めざるを得なかった日本の場合は、稀有の例外となったのである。何故かこうした事実を都合よく忘れ、日本ではキリシタンを弾圧・迫害したことばかりが針小棒大に取り上げられる歴史観がいまだに存在することは、残念なことである。
本来は、キリスト教布教が間接侵略であることにいち早く気付き、断固たる処置を下した(バテレン追放令)秀吉の慧眼は、もっと注目されてしかるべきなのである。そうでなければ秀吉は一方的な宗教弾圧をしたひどい人物としての印象しか強調されず、魅力ある人間性に富んだ本来の秀吉の人物像は浮かび上がってこないのではないか。
さて、このような世界情勢を東南アジア各地に張り巡らせた情報網から了知していた秀吉が、スペインの明征服の動きを事前に察知し、その前に自ら明を征服することを企てたとしても、何の不思議もないのである。当時、明征服を考えていたのはスペインと秀吉の他にも女真族がおり、実際には明は半世紀後、異民族たる女真族に征服されて清王朝が建てられたことは周知の通りである。秀吉の朝鮮出兵は、このような世界情勢の中で起こったことであり、今日の価値観からそれを「侵略」と糾弾することは、何の意味もないと言えよう。
朝鮮出兵を現在の価値観で裁断していないか
【東京書籍】朝鮮侵略(1ページ)
【大阪書籍】秀吉の朝鮮への侵略(1ページ)
【教育出版】秀吉の外交と朝鮮侵略(13行)
【日本書籍新社】秀吉が朝鮮を侵略する(1ページ)
【帝国書院】秀吉による朝鮮侵略(14行)「秀吉による朝鮮侵略」というキャプションの地図あり
【清水書院】秀吉の対外政策(コラム「秀吉の朝鮮侵略」)(1ページ)(省略)
※カッコ内は、朝鮮出兵に割いている分量
ちなみに、16世紀末頃の明及び女真族の後金の勢力は以下の通りである。
・16世紀のアジアと建州女真
世界史地図理解
(省略)
東アジアでは中国が混乱期を迎えていたのである。中国東北地方で農牧・狩猟生活を営む女真族は、毛皮や人参の交易で利益を得ていたが、16世紀末、明の支配から自立し、建州女真のヌルハチのもとで他の女真諸部族を従え、1616年建国し国号を「アイシン(満州語で金の意)」とした(後金)。
『全「歴史教科書」を徹底検証する』によれば、中核派率いる親の会や韓国によって普及を妨げられている「新しい歴史教科書」の扶桑社よりも、むしろ自国を侵略国扱いにする東京書籍、大阪書籍、教育出版、日本書籍新社、帝国書院清水書院の記述内容について危惧しているもよう。もう少し、祖国を愛せるような教科書を作っていただきたいものである。
また、日本の教科書に難癖をつける国定教科書の韓国では、次のような捏造が行われている。
・韓国歴史教育の捏造シリーズ(3)!秀吉の朝鮮征伐!
木村研究所
(加藤清正公)
韓国国定中学校国史教科書
○国内統一に成功した豊臣秀吉は部下の将軍たちの関心を海外へ向けることで国内の不平勢力をなだめ、あわせて自身の大陸に対する侵略的野心をとげようとわが国を侵略した。これが壬辰倭乱である。
○海戦でつづけて勝利をあげているとき、陸地でも戦況がかわってきた。全国各地で儒生、農民、僧侶などが義兵を組織し、いたるところで倭軍をうち破り、苦しめた。
1)豊臣秀吉は中国(明)を征服しようとしたのである。朝鮮半島などただの通過点。戦ったのも主に明を相手に戦った。朝鮮はほとんど関係がない。
2)したがって、「日本の大明征伐」あるいは「朝鮮征伐」が正しい表現であり、「壬辰倭乱」という表現は事実を表していない。
3)「倭」というのは古代の呼び名。古代以降は国号を「日本」としており、「倭」と呼ぶのは偏狭な優越意識に凝り固まった韓国人の我が儘であり、正確な表現ではない。
また、日本が撤退したのは
・補給が続かなかったこと。
・豊臣秀吉の死亡。
であり、義兵の活躍は関係がない。
そもそも、日本軍はほとんどが無事に生還しており、少数の犠牲者も病死および餓死であり、戦闘の犠牲はほとんど無い。
戦闘で唯一日本軍を苦しめたのは朝鮮側に降った降倭と呼ばれる日本人だった。
ここで、口直しに「新しい歴史教科書」の秀吉像を以下に記す。
・秀吉の政治
新しい歴史教科書
太閤検地と刀狩
全国統一が近づいた1582(天正10)年から、豊臣秀吉は、
各地の米の収穫高を土地ごとに調べさせ、土地の等級と石高を示す検地帳を作成した。(注1)
これを、太閤検地という。
検地によって、それまで公家や寺社など
荘園領主がもっていた田畑へのさまざまな権利は否定され、農民は土地の所有権を認められた。
そして、農民はその土地を治める大名などに、年貢を納めることになった。
秀吉はまた、1588(天正16)年、刀狩令を発して、
農民や寺院から刀や弓、槍、鉄砲などの武器を没収した。
この結果、社会の安全を保つのは大名をはじめ武士の役割とされ、
農民は耕作に専念することになった(兵農分離)。
こうして身分の区別が確定し、安定した社会秩序がつくられていった。
注1、土地の等級は、上田、中田、下田、下々田などであらわされた。
石高は、耕地一反(10アール)あたりの米のとれ高に耕地面積をかけて計算した。
畑や屋敷のある土地も、米のとれ高に換算された。
キリスト教の禁止
南蛮貿易を重視し、キリスト教の布教を認めていた秀吉は、
1587(天正15)年、突如としてバテレン追放令を発し、キリスト教を禁止する政策に転換した。(注2)
秀吉は、高山右近などの
キリシタン大名が信仰によって結束し、
統一のさまたげになるのをおそれたといわれている。
また、そのころ、フィリピンを拠点にしていた宣教師たちのあいだには、
キリスト教を広めるため、南アメリカで行ったりと同じように、中国や日本を武力で征服する計画があった。
秀吉のキリスト教への疑いにはそれなりの根拠があったのである。
ただし、秀吉は、貿易による利益を重視し、
南蛮商人の来航は引き続き認めたので、キリスト教の禁止は徹底しなかった。
注2、バテレンとはキリスト教の神父のこと。
ポルトガル語のバードレー(神父)からきた言葉。
朝鮮への出兵
約100年ぶりに全国統一を果たし、秀吉の意気はさかんだった。
秀吉は、中国の明を征服し、天皇とともに大陸に移り住んで、
東アジアからインドまでも支配しようという巨大な夢をもつにいたった。
1592(文禄元)年、秀吉は15万あまりの大軍を朝鮮に送った。
加藤清正や小西行長などの武将に率いられた秀吉の軍勢は、
たちまち首都の漢城(現在のソウル)を落とし、朝鮮北部にまで進んだ。
しかし、朝鮮の李舜臣が率いる
水軍の活躍、民衆の抵抗、明の朝鮮への援軍などで、
不利な戦いとなり、明との和平交渉のために兵を引いた(文禄の役)。
しかし、明との交渉はととのわず、
1597(慶長2)年、秀吉はふたたび14万の大軍を派遣した。
ところが、
今度は朝鮮南部から先に進むことができず、
翌年、秀吉が死去し、兵を引きあげた(慶長の役)。
2度にわたって行われた出兵により、朝鮮の国土や人々の生活は著しく荒廃した。
この出兵に、莫大な費用と兵力をついやした豊臣家の支配はゆらいだ。
どこが問題かよくわからないが、あえて注文するなら、「朝鮮の李舜臣が率いる水軍の活躍」との文言の削除である。
何故なら、世界一貧困な国である朝鮮にて、兵糧を現地調達しようとした秀吉の戦術が、自身を苦しめたのであって、李舜臣の水軍の活躍とは言いすぎと考えるからである。
・李舜臣は実はあまり活躍してなかったのでは無いか?
雑識雑考[うんちくを騙る(語るにあらず)]
慶長・文禄の役、李舜臣の活躍に阻まれ日本軍は苦戦したとあるが、李舜臣が得意なのは輸送船の不意打ちだけの様です。彼が守っていたのは朝鮮南海(東シナ海)周辺であり、釜山からソウルへの海上ルートを分断することで精一杯でした。李舜臣の主力とされる亀船は外洋ではまったく役立たずなので、朱印船などで使われていた外洋船を利用すれば無意味でした(しかし、不思議なことに日本がそのようなものを投入した形跡は無い。)
さらに日本から朝鮮半島への制海権はまったく握っていないのです。日本軍は釜山−対馬ルートは完全に掌握していました。李舜臣の活躍を見ても、日本からの兵の補充や秀吉の使者の行き来も捕虜の輸送も戦争中これらを妨害したと言う話は一切有りません。自分の管轄を守備するので手一杯なのです。
秀吉の元には情報が逐次送られ、命令も逐次送られていました。つまりまったく妨げになっていなかったと言う事です。
日本が一番苦しんだのは焦土戦術による兵糧の確保(秀吉の戦術の常として兵糧を現地で貨幣調達することが多い。しかし貨幣経済が無くとろくな農業生産技術が無い国から兵糧を得るのは無理です。これは秀吉側の調査不足です。)。そして明軍との衝突でしょね。しかし、予備兵力として名護屋城にいたと言われる約10万の兵はまったく送り込んでいません。
(省略)
以上、秀吉の時代をざっとまとめてみる。
(1)大航海時代、日本は、鉄砲が普及することで、日本を侵略しようとしたヨーロッパ勢よりも軍事力が圧倒し、結果、侵略の抑止力となり平和を勝ち取った。
(2)キリスト教との両輪で日本やシナを侵略しようとしたことに秀吉はいち早く気付き、バテレン追放令などの措置をとった。
(3)太閤検地により農民は土地所有権を認め、土地を所有する大名へ年貢を納める仕組みを構築した。
(4)刀狩により、農民などから武器を没収し、治安維持は大名や武士の役割とする体制にしたことで、農民は耕作に専念することになり、安定した社会秩序がつくられた。
(5)朝鮮出兵は、最貧困国の半島が欲しかったのではなく、秀吉が、スペインの明征服の動きを事前に察知し、その前に自ら明を征服することを企てたとする説あり。
その後、約260年もの間平和となった江戸時代は、徳川の功績だけではなく、上述したような秀吉による基礎があったからこそ可能となったと言えると考える。この平和も、またもや外国勢力(ペリーによる黒船来航など)によって脅かされることとなる。この黒船来航に関しては、別途述べたい。
ここで、秀吉が征服しようとした明が中国史ではどのように位置づけられているのかを追記させて頂く。歴史を紐解くと、シナ大陸を支配した民族が、漢民族だった今の中国や明王朝のような時代と、例えばモンゴル族や女真族(満州族)などの異民族だった「元」や「清」のような時代があった。
今の中国を見れば納得できるかもしれないが、奇妙なことにシナ大陸では、漢民族が支配すると暗黒時代となり、逆に異民族によって支配された方が幸せな時代を送れるようである。明の暗黒時代は、その最たるものであった。
・歴代の征服王朝が教える中国人の制御法
驕れる中国 悪夢の履歴書
(省略)
漢民族がいちばん幸せだったのは、じつは清の時代であろう。いちばん不幸な時代は、明の時代である。
明朝は実際は「大明」と称していたが、なぜ「大」をつけたかというと、モンゴル人が中国を支配した時代に「大元」といっていたのを真似したのである。大元以前に「大」のつく王朝はない。どの王朝もそのような抽象的な言葉は使わず、皇帝より賜った地方の名前を使うのが普通である。唐も漢も、もとはといえば地域政権の名前をつけたものである。元になってから、古典などから素晴らしい言葉を引いてきて国号に当てるようになり「元」や「明」が登場したのだ。
いずれにせよ、中国史上最悪の暗黒時代が明である。官廷内では廷臣たち、文武百官にいたるまでが、言葉遣いを誤るなどして皇帝の逆鱗に触れただけで杖刑。棒で肉体を打つこの刑罰で死んでしまう者はかなりの数に上った。この暗黒時代を支配した王朝が「大明」を自称したというのも皮肉な話である。
そのあと清の時代になると、中国は歴代王朝のなかでも、もっとも幸せな時代になった。康熙、雍正、乾隆帝の約140年間で人口が10倍以上に増えた。そしてはじめて人頭税が減免になった。税金をとらず、経済、政治面で汚職なども少なくなって、社会も安定した。
(省略)
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【参考書籍】
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日本の優れた文化・伝統を自身の手で破壊する愚行
現在、日本が貿易黒字を維持できる理由の一つとして、西欧文化圏と異なる次のような勤勉性があげられる。
・古代から発明の連続だった日本社会
それでも「NO」と言える日本
(省略)日本では、高天原へ最初に降臨された皇室の祖神、女神の天照大神は機(はた)を一生懸命に織っていらっしゃる。そのほかの神様も田圃で働く。現在でも日本国の象徴である天皇陛下でも五月と十月に田圃に入って見せられますが、こんな働く神のイメージは他の文化圏のキングやエンペラーにはありません。
だから日本では労働は罰ではない。聖書にあるようにアダムとイブは労働のない楽園から追放される。その時に神がアダムに、お前はけしからん男だ、と言って与えられた罰が労働です。(省略)
私たちが、神様も働く、と言っても西洋人にはジョークとしてしか受け取れないわけです。彼らの基本的イメージでは、労働は罰でしかないのです。日本人は生命の営みの中に自然な形で労働が組み込まれています。
また、勤勉性を土壌として構築された優れた文化・インフラもある。次の「問屋制度」は、その一例である。
・問屋制度は日本人の知恵
それでも「NO」と言える日本
(省略)
アメリカは今、日本文化の貴重な知恵の所産であるシステムにまで文句をつけています。中でも流通問題で私の気にかかっているのは「問屋制度」です。これは大店法の問題とは違います。問屋制度の根幹を揺るがせるようなアメリカの注文には断固として「NO」を連発すべきでしょう。
問屋制度は、まさしく日本人の発明したシステムの中でも最高の知恵の一つと言えます。外国にない独自のシステムで、この制度の歴史はアメリカの歴史よりも古いのです。問屋制度のおかげで旧幕以来日本の商業は発展し、現在の日本企業の活力をも支えています。問屋を経由しなければその分コストが下がると考えては短絡過ぎるのです。私の記憶では、大手スーパーのある社長はかつて問屋制度廃止論者でしたが、やってみると結局うまくいかなかった。生産企業から直接仕入れると、売れなかった時のリスクがあまりにも大きいからです。
問屋を経由している場合だと、売れ残りそうだという情報を問屋に伝えると問屋は他の地域でその商品を欲しがっている店舗を探し出し、商品の返品を受け付け、そちらへ商品を回すというきめ細かなサービスもしてくれるわけです。問屋は単なる商品経由箇所でもなく、単なる大量販売店でもなくて情報産業という一面も持ち合わせていて新製品開発の企画から販売戦略までこなしており、いわば商業経済の頭脳の役目を果たしているのです。それは近代的形では商社にも発展しました。(省略)
製造業がボロボロのアメリカからグローバルスタンダードという名の下に押し付けられるアメリカンローカルを有難く受け入れるだけではなく、優れた日本の文化や伝統を見つめ直し、それを大切にする心や、その心を子供たちにも教育し続けることによって、勤勉で質の高い労働力の源ができ、将来においても、世界をリードする基盤が確立できると考える。
しかし、昨今のようなホリエモンや皇室典範改正問題などから分かる通り、目先の利害関係を優先することばかりで、お金で買えない文化や伝統を大切にする心が失われかけているのが現実である。
・天才の出る風土…第2条件「跪く心」
国家の品格
(省略)
イギリスからはノーベル賞受賞者が今でもたくさん出ています。彼らは何に跪(ひざまず)いているのか。伝統に跪いています。最初に述べましたケンブリッジ大学のディナーはその例です。350年前と同じ部屋で同じ黒マントを着て暗いロウソクのもとで食べるのです。伝統は何より大切なのです。1500年以上も続いた天皇の万世一系を、男女平等などという理屈で捨てようとする軽挙は、イギリス人には想像もできないのです。
ちなみに、「平等」とは欧米が捻り出した耳当たりの良い美辞で、実際には、以下のような問題がある。
・自由と平等は両立しない
国家の品格
(省略)
自由と自由は正面衝突します。言論の自由はプライバシーを守る自由と衝突します。私の自由と他人の自由は常に衝突です。私が、好きな女性に接近する自由を行使すると、その女性は必ず私から遠ざかる自由を行使する、というのが私のこれまででした。自由と自由が衝突しなかったら、私は夢のような人生を送れたはずだったのです。
平等と平等も衝突です。平等な条件で競争すると弱肉強食となり、貧富の差が大きくなり、不平等となります。結果の平等ではなく機会の平等だ、という論が流行していますが、噴飯物です。全大学生の親の中で、東大生の親の所得が最も多いことが証拠です。貧者の子弟は良質の教育を受ける経済力に欠けるため、東大入学の機会が小さくなります。すなわち、平等な競争が貧富の差という結果を生み、それが機会の不平等を生んでいるのです。平等が不平等を生むということです。(省略)
欧米の良い部分もあるが、例えば「自由」や「平等」などの思想を盲目的に取り入れ、日本の良い文化や伝統を棄てた結果、公への迷惑を考えないで、個人の自由ばかりを主張する謙虚さがないさもしい社会となったことからも分かる通り、安直な文化や伝統の切捨てはすべきではない。
さて、日本の代用的な文化として、天皇制がある。西村眞悟代議士は、以下の通り、ご自身でも述べられているように忠誠の対象を天皇陛下としている議員とのこと。
・二十八日と二十九日・・・東京の同志に比例区の渡辺義彦を紹介し、東京選挙区から立候補している拉致被害者の弟である増元君を激励した
眞悟の時事通信 平成16年6月30日
私は、と言うより、日本の真の保守派は、
今どこにいるのだろうか。
真の保守とは、祖国の歴史と伝統のなかに、生き方の核心を見出し、忠誠の対象を内にもち、至誠一貫生き抜こうとすることであろうか。
衆議院議員としての私の忠誠の対象は、
天皇陛下である。
忠誠の対象とは、結局、
そのために死ねるということである。
だから、私は、靖国神社に参拝する。その死が、忠誠の対象つまり天皇という公と一体となった英霊が祀られているからである。
(省略)
また、日本人なら、天皇という至高の存在から目を逸らしてはならないのだ。誰がなんと言おうと、天皇は日本という国の歴史とともにある。万世一系である。
さらに、憲法を守るというなら、憲法第一条「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であり・・・」をよく守るべきである。
(省略)
このような西村代議士の目線で財務省や宮内庁に感じたことは、次のようなもの。
・旧正田邸を保存すべきだ
眞悟の時事通信 平成15年1月18日
旧正田邸を何が何でも解体撤去しようとする日本官僚組織の、非人間的で矮小で卑劣な形式的法適用の強要は、まさに法匪であり、これは戦前からの伝統であったようだ。
文化にも、伝統にも、歴史にも無関心
法隆寺が破産したとする。日光東照宮でもよい。未払いの税金を五重塔や東照宮で国に物納したとする。
その時、財務省の役人は、五重塔や東照宮を解体撤去して、更地にして地面を高く売ることを考える。そして、何処のレベルで決めたかは一切秘匿しながら、「顔のない組織」として、解体撤去に動物のように進む。
こんな馬鹿なことがあるか。
しかし、旧正田邸に関しては、現実にこのことが起こっているのだ。
旧正田邸は、皇后陛下のご生家であり、近代日本建築史においても「特に貴重な建築」(1985年、日本建築学会)とされている建物である。
この建物を財務省は、解体撤去すれば更地価格が上昇して有利に売却できると、まるでバブルの時の「地上げ屋」のようなことを言って解体しようとしている。
しかも、日本人の解体業者は辞退して受けないので、外国人(朝鮮半島)の解体業者に解体を任せている。
皇后陛下のご生家を日本人が辞退するので、外国人に解体させるとは何事か!しかも、天皇陛下の手術の時に!
(省略)
宮内庁幹部は懲戒免職ものだ
自分が生まれ、そして幸せに育ち、今は無き両親との思い出がいっぱいの家。
その家の解体撤去を望む人が何処にいると思う。
であるのに、宮内庁幹部は、皇后陛下のお立場を無視して、
「皇后陛下は、解体を望まれている」と発表したのだ。
法匪が皇后陛下を利用したのだ。
旧正田邸は、国有財産であり、皇后陛下が行政の決めた結論以外のコメントを発表するお立場ではないことを承知の上で宮内庁は重大な越権を行った。幹部は全て懲戒され解雇されなければならない。
法匪の国では、懲戒解雇は全て下級官僚に行われ、高級官僚は如何に卑劣でも退職金をもらって天下りして恥じない。
この厚顔無恥な宮内庁幹部のなかで、保存運動をしている住さんの自宅に電話をかけて、皇后陛下のご意向を得意げに語り、保存運動をやめろと高圧的に強要した者は、嘗て「ノーパンしゃぶしゃぶ」の接待を受けた破廉恥漢の生き残りである。
汚らわしい。
行政が決めた結論以外のコメントを発表できない皇后陛下のお立場を利用する宮内庁の「ノーパンしゃぶしゃぶ」幹部には呆れ返ってしまう。宮内庁では流行っているのだろうか?
・宮内庁も腐っております。
nikaidou.com 【H17/08/15(月)7:30】
<中川三郎さんより>
羽毛田宮内庁長官と風岡次長は、投稿のあった国土交通省のグータラ役人同様、かつて「ノーパンしゃぶしゃぶ桜蘭」の常連であった。こんな猥褻コンビが宮内庁のNo.1,No.2であったことは恐れ多くも宮内庁の歴史上ないはずである。詳しくは、
http://www.rondan.co.jp/html/news/roran
を見れば二人の名前を他の猥褻官僚の名前と共に見ることができる。高級官僚のモラルも地に堕ちたものである。ちなみに、このリストに載っている奴ほど各省庁で出世しているのである。霞が関は狂っている。
しかも、本年4月に週刊現代が報じたように、風岡宮内庁次長はせんべい学会員であるし、かつ、半島系らしい。羽毛田もその出自にはとかくの噂(なかでも童話出身との噂が根強い)のある人物であるし、一体陛下の役所はどうなってしまったのか。しかも、このような連中が臣民(の中でも低級倫理の輩)の分際で、恐れ多くも陛下や皇族方のご意向も伺わず、皇位継承という国体に関わる最重要問題を取り仕切っているのである。このような宮内庁幹部人事をそもそも考えたのは、一体どのような勢力なのか。右翼の正統派はこのような事態をなぜおとなしく看過しているのであろうか。
また、風岡次長は、建設省の局長、課長時代に半島系の建設業者と癒着するとともに、アメリカのべクテルをはじめとする外国建設業者に特段の便宜を図ってきた売国官僚である。彼のために、本邦建設業者はどれだけ泣かされてきたことか。この点については、追加情報が手に入り次第またお知らせしたい。
→飯島が警察庁に命じて右翼の締め付けをかなり厳しくしているようですからきついのではないでしょうか。ただ、右翼側ももうすこしインテリに振舞うべきですね。中にはインテリの人もいるのですが、なかなか表に出てこない。どうしても見た目の怖い街宣車で見た目の怖い人が怒鳴るものですから、嫌悪感しか沸きません。霞を食って生きられないのはわかるので、シノギのとき以外のちゃんとした運動は、見た目も発言もスマートにうまくやりましょう。
【投稿情報/nikaidou.com】
そして、文化よりもお金が大切という価値観での最終結果が、こちら。自らの手で、文化を破壊するのが情けない限りである。
・旧正田邸解体レポート
tpnの法則【別館】 街角コラム
旧正田邸前 右側より
旧正田邸全景
この時期でも客足が絶えることは有りません。
内部その? 右側あとは地面のみでしょうか。
このような宮内庁に関して、何年経っても忘れられない記事が、こちら。宮内庁のことは、あまり報道されないので、皇族の為に活躍されているお役所かと勘違いしていたが、実は闇の部分も多いようである。
・宮内庁のこと
眞悟の時事通信 平成16年5月28日
皇太子殿下のご発言を契機として、宮内庁のことに関心が集まり始めた。
宮内庁は、「殿下のご発言の真意を確かめる」、と言っているが、その前に、宮内庁とは何だ、どういう組織か、ということに関して、小職の経験した出来事を述べておきたい。
そして、その上で、これからあるだろう宮内庁の記者会見における発言の意味を判断していただきたい。
私の体験した宮内庁との出来事
1、皇太子殿下は、日本山岳会会員で山の自然を愛されている。私も、同じ日本山岳会会員。そして、皇太子殿下もご出席の日本山岳会のパーティーの時、雑談の時間になったので私は席を離れて、皇太子殿下のテーブル(橋本元総理も座る)の近くを通ろうとした。
そうすると、殿下を先導してきた男が、汚らわしいものを払うようなしぐさをして、「きりがないので、近づいていただいては困る」と言った。人に屈辱感を与える技術とマインドをもった人たちであった。
山を愛する者達とは全く場違いな役人が傲然と殿下を取り囲んでいた。
2、大阪国体に天皇陛下と皇后陛下が来られた際、ロイヤルホテルで各都道府県の国体参加者が出席してパーティーが開かれた。参加者は、ほとんどトレーニングパンツにシャツのいでたちで、ビールやウイスキーを飲んでざわついていた。
そこに、天皇皇后両陛下が入ってこられた。
参加者の多くは、アルコールが入っていて1メートルくらいの至近距離で両陛下をパチパチとカメラで写してお迎えしていた。
なんと無礼なことだと思ってしばらくいると、今度は場内マイクで、両陛下が各テーブルを回られますのでよろしくお願いしますとの放送があった。
ここにいたって私は、衆議院の委員会で、各地方を回られる天皇陛下を酒席を回るタレント並みに扱っているこの現状に義憤を感じて問題を提起しようと決めたのだ。
そして、宮内庁に質問通告をすると、早速職員数名が部屋にやってきて、「そのような、天皇陛下に各テーブルを回っていただくようなことは絶対にやっていません」と粘り強く繰り返し始めた。
「いや、君達は大阪に行っていないではないか。僕はまさに大阪で天皇陛下がテーブルを回られるのを見たのだ」と言っても、
「そんなことは、ありません。どうか、質問しないでください」の一点張りであった。
翌日の質問日当日は朝から5名ほどの宮内庁職員が私を取り囲み、自室から質問する委員会室まで,国会の廊下で団子になってついて来て
「そんなことはありません。そんなことはありえません。陛下の随行者は県警本部長出身です。彼を信じてください。質問しないでください」と繰り返すのである。
この目で見たという私の言うことを、その場にいない者が、ひたすら否定する。平気で、白を黒と言い換える異様な人間の集団だと思った。
3、一昨年の秋、皇后陛下が北朝鮮による日本人拉致問題に関して、「なぜ、この人たちの不在に長年気付かなかったのか」との痛切な思いを語られ、無念といわれた。
私は、天皇陛下も皇后と同じといわれる、その思いを、この時事通信で「おおみごころ」と述べた。
数日後、宮内庁高官が私の事務所に現れ、
「『おおみごころ』とは天皇陛下について言う言葉であり、皇后陛下の発言について言う言葉ではない。
議員が、そのように皇后陛下の発言を引用するのは、政治家による皇室の政治利用につながるから、以後なさらぬように」と言いにきた。
私は、これが宮内庁の官僚というものかとあきれて彼の顔を眺めていた。
4、昨年初め、物納されて国有財産(財務省管理)になった皇后陛下のご生家であるあの懐かしい正田邸が取り壊されることになった。
付近住民は、正田邸の保存運動を起こし、数日で10万を超える保存を願う国民の署名を集めながら、解体業者の正田邸侵入を阻止してマスコミでも大きく取り上げられた。
そのとき、保存運動のリーダーであった正田邸の近所の人に、宮内庁高官(私に、「おおみごころ」という言葉を使うなと言いにきた男)が電話をかけてきて、
「皇后陛下は、保存を望まれていないから保存運動をやめろ」と高圧的に言い放った。
この宮内庁高官の、電話は、皇后陛下の名を語って国有財産処分という政治的措置(国会での審議事項)に影響を与えようとする行為であり、それこそまさしく皇后陛下の政治利用である。
私は、宮内庁に抗議した。
「皇后陛下のご意向を国有財産を解体する根拠にすれば、そのご意向が果たして本当かどうか、衆議院予算委員会に皇后陛下を参考人としてお呼びするということに行き着いてしまう。
皇后陛下の名を出して正田邸を解体の正当理由にするとは何事か、二度とするな、皇室の政治利用であり責任の重大さを自覚しろ」
これに対し、宮内庁は、電話をしたのは認めたが、まず高圧的に電話したのではない、やさしく言ったと弁解し、
「皇后陛下が正田邸の保存を望んでおられないという『事実』を伝えただけであり、決して皇室の政治利用ではない」という詭弁を弄してきたのだ。
「馬鹿言え、そのような理屈なら、例えば皇后陛下は小泉総理は内閣総理大臣にふさわしくないと思っておられるという『事実』も選挙前に宮内庁が公表できることになるではないか」と反論しても、彼等は全く聞く耳を持たず、自分の理屈が一番正しいとカルトのように妄信していた。
以上が、小職が体験した宮内庁。普通に生活する人が想像もできない特殊なマインドである(もっとも、宮内庁だけに限られないかもしれないが)。
あの宮内庁の世界では、もっとも慇懃な者がもっとも無礼なのだ。ご皇室に対する国民の崇敬の念に胡坐をかいて、やんごとなき優越的な立場にいるかのように錯覚している者がいる。きわめて特殊な「空気」といえる。
したがって、このことを頭に入れて、今後発表される宮内庁の見解なるものを解釈していただきたい。
そもそも、皇太子殿下も妃殿下も、聡明な方なのだ。
その皇太子殿下ご自身が、妃殿下の人格が「否定されることがあった」とおっしゃった以上、
まさに、それが、あったのだ。
それを、宮内庁ではご帰国を待って真意を確かめるという、
何たる傲慢か。
ご皇室を禁治産者扱いしているのではないだろうかと怒りたくなるほどの傲慢さだ。
彼等は、皇太子殿下がなんと言われようと、
「いえ、そんなことはありません、そんなことはありえません」と執拗に抵抗すれば、それが「真実」になる、つまり、白が黒になると確信しているのか。
宮内庁は、あらためて、皇太子殿下のご発言を契機に、
宮内庁存在の根本に還れ。
普通ではない者を罷免し、人心を一新しろ。
そうでなければ、従来の、宮内庁に取り囲まれているご皇室ご一家がお気の毒でならない。そしてまさに、国家のあり方に影響がでかねない。
我々国民は、
ご皇室の幸せとご繁栄を願い、
皇太子殿下と妃殿下ご一家の幸せを切に念じたい。
この宮内庁の体質は、今も変わらないであろう。何故ならば、旧正田邸解体時に、皇后陛下のお立場を無視して、「皇后陛下は、解体を望まれている」と発表した宮内庁幹部と同様に、皇室典範改正に天皇陛下が賛成と嘘を流布すると噂される官邸サイドの発言が目に付くからだ。
・寛仁親王殿下が改正案を批判:天皇陛下が賛成というのは嘘
宮内庁や官邸だけではなく、歴史教科書の出版社の多くが、皇室への記載内容が無礼であるし、また、例えば以下の記事のような勢力もある。報道規制などであまり情報が流れてこないが、注意深く監視し続ける必要を感じた次第である。
・小和田恒条約局長(雅子妃の父君)は、A級戦犯は『戦争犯罪人』であると断言した女系天皇の仕掛け人?
株式日記と経済展望
国会議事録における小和田政府委員とは皇太子の后である雅子様の父君の事ですが、元外務省の条約局長であり土井たか子議員の質問に答えて、極東軍事裁判を日本政府は受諾したと何回も答弁し、A級戦犯を戦争犯罪人であると答弁している。小和田氏がどの程度の英語力なのかは分かりませんが「judgements」が「裁判」と訳すか「判決」と訳すかで大きく東京裁判の日本政府の受け止め方が違ってくるのですが、これは外務省の明らかな誤訳だ。
さらに小和田氏は土井たか子議員の質問に答えて戦争犯罪人に相当すると答えているが、これは昭和28年の国会決議で赦免されており、昭和60年でも東京裁判を受諾した戦争犯罪人との解釈を政府自身が持ち続けていたことを示している。しかし小和田政府委員の答弁はこのことには触れていないが、いくら北朝鮮の工作員であった土井たか子議員の質問であっても、現在の国内法では戦争犯罪人はいないことになっているのだ。
確かに日中戦争に限定すれば侵略戦争の定義が当てはめられるかもしれないが、大東亜戦争全体から見れば侵略戦争ではなく自衛の戦争であったと何度か書いてきた。戦後60年経って世界の各国でも公文書が公開されてきて大東亜戦争の実態が明らかになってきていますが、このような公文書を見なければ最終的な判断は下せるものではなく、日本政府は重要な公文書は公開していない。
アメリカ政府ですら公開された公文書でも黒塗りされて分からない部分がかなりあり、外交交渉の実態の解明にはまだまだ謎が多い。本当に大東亜戦争の実態を明らかにしようとするならば関係者の証言や公文書の公開や分析などを十分に進めて後世の歴史学者による判断に待つしかないかと思う。
元国会議員で衆議院議長までやった土井たか子の正体も今になって明らかになってきましたが、北朝鮮の拉致事件に対する消極的な態度も、北朝鮮に実の息子がいるという状態ではおよその状況が分かるだろう。だから土井たか子は秘密工作員どころではなくて、明らかな北朝鮮の代理人となった政治家だったのだ。
だから国会における質疑においてもまさに北朝鮮か中国の代表が日本の国会内で活動しているようなものであり、社会党はまさに北朝鮮や中国の政党といってもいいくらいの活動をしている。さすがに北朝鮮の拉致問題が明らかになってからは旧社会党は選挙でも壊滅的な打撃を受けて消滅しましたが、そのような状態が昭和60年ごろも続いていたのだ。
小和田氏の質疑での答弁は日本政府の見解としてのものですが、外務省の体質をよく物語っている。太平洋戦争が始まる前の外務省の行動もおかしなものがありますが、大切な条約文を意図的に誤訳したり隠蔽したりする体質は、最近の在中国の日本大使館員の自殺も長い間隠蔽されてきた事にも現れている。中国を慮っての事なのでしょうが、日本の国益よりも相手国の利益を慮るところがある。
直接関係があるか分かりませんが皇室典範の改正の黒幕は小和田恒氏ではないのだろうか。もし女系天皇が認められれば小和田王朝が出来上がることになり、もしその小和田氏が外国勢力の代理人だったとしたらどういうことになるか、天皇制の崩壊につながるだろう。雅子妃の健康状態も気になるところですが、皇位継承をめぐる他の皇室との軋轢が大きな原因になっているのだ。小泉首相は経った1年の審議で強引に皇室典範を改正して女系天皇を誕生させる野心があるようだ。
シナ大陸で王朝が変わる都度、元・明・清などと変わってきたのと同様に、万世一系の天皇制が崩壊し大和田王朝が成立すると日本ではなくなってしまう。改革という美辞に踊らされ、気付いたら良い文化を棄て、やり直すことができなくなっていたということがないよう注意したい。
また、大企業は、諸外国との競争力を高めるためには、国内の優秀な労働力を積極的に採用すべきだが、国内の工場を閉鎖し、海外進出してきた。中国の色仕掛け工作にはまったトヨタの経団連会長に先導されて何か良いことでもあるのだろうか?国内の自殺者3万人削減にも寄与せず、単なるノウハウ流出にしかならない。
官民共に目先の利益ばかりを追う事が、自らの首を絞める結果につながっていることに、早く気付き、将来を見据えた行動をして頂きたいものである。
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朝鮮総督府
AYLI 〜As You Like It - 日本が寄生虫に…
朝鮮総督府
総督府はどのような政治を半島に行ったのか こんてんつ
本当は書く必要は無いような気がします。前章「日韓併合前夜」を読んで頂いた方には、総督府がどのような非人道的な政治をしようとも、いくらなんでも李朝末期よりはひどくならないだろう。…いえ、全くその通りで、あれより酷い社会は…今の北朝鮮以外に想像できる方はメール下さい。もし、朝鮮人に「日帝36年を謝罪しろ!!」と言われたら「李朝より酷い政治だったの?」で返せば万事オッケーな気もします*1。いっそこのまま終わってもいいのですが、ボリューム的にあまりにも寂しいので朝鮮総督府が行った政策を書いていきますね。謝罪・抗議どころか、朝鮮人には最上級の感謝を頂いても遠慮はしないぜっ!て思われる、真実の日帝36年を皆様にお届けします。
日韓併合(1910)から朝鮮総督府*3による統治が始まりました。この章ではこの総督府が行った政策を定量的に示すと共に、どのようなお金の流れがあったのかを説明することにします。朝鮮から責められている点で、この時代に行われたと言われる、「創氏改名」「朝鮮語禁止」「飢餓輸出」についても無罪を主張します。「強制連行」「従軍慰安婦」の嘘っぱちは大東亜(太平洋)戦争に関わるので、次章で扱います。
*1実際、日韓併合によって被害を被ったのは、それまで特権階級にいた両班勢力ですね。これは北朝鮮の金正日体制が崩壊するのを現在の特権階級が嫌がるのと同じです。現在、全ての朝鮮人が両班の子孫を自称しているから(笑)、特権を奪われた両班として日本人に抗議しているのかしら?少なくとも在日のほとんどは両班ではないはずだけど(笑)
かの国の特権階級と言われている両班でさえこの姿
↓総督府の政策はあまりに数が多すぎて全部網羅するのは無理かもしれませんが、調べて分かる範囲で書いていこうと思います。追加・訂正は大歓迎。
朝鮮総督府政策一覧
項目
併合時(1910)
終戦時(1945)
教育の普及 わからんが土民状態だったと思う 小学校5,213校、生徒数2,389,135人、就学率61%(1944) 耕地面積 246万町歩 449万町歩 水田面積 84万町歩 162万町歩(1928) 石高(米の生産量) 約1千万石 2千万石(1930) 日本への米輸出 11万石 760万石(1928) 鉄道 日韓暫定合同条款に基づいた日本の鉄道敷設権取得(1894)を機に増え始めた 3,827km 人口 1313万人 2512万人(1944) 植林 禿山 30年間で5億9千万本 李朝時代には統計を取るなんてコト自体、朝鮮人の思考にありませんから、どうしても併合時の数字が分からないものが多い。就学率どころか文盲率が90%くらいだったんじゃないか?マジで。さておき、これが朝鮮人のいう史上最悪の植民地支配の正体*1である。彼らは一体どこの世界・どこの歴史の植民地政策と比べて「史上最悪」という結論を導き出したのであろう?
同時期のフィリピン(アメリカ領)の就学率が35%だから比較すれば一目瞭然だろう。それに日本は朝鮮にも台湾にもナンバースクール(帝国大学:今の国立一期校)*2を作っている。イギリスがインドにケンブリッジの姉妹校を作るようなものである。土民に帝国大学は厳しすぎたって批判なのか?それとも、朝鮮人の今の学歴社会の原型を作ったと責められているのか?(笑)
植林、河川・砂防工事、ダム建設を通して水利事業を行った土地は反当たり収量は0.49石から1.49石へと3倍に増え、これだけでも202万石の増収。
人口推移の推移(単位万人)を辿ると…
西暦 1910 1915 1920 1925 1930 1935 1940 1944 人口 1313 1596 1962 1854 1969 2125 2295 2512 まぁ、李朝期には全く増えない人口が併合するといきなり倍になってる。この数字を見るだけで人口増加を養える食料の増産はもちろん、医療、衛生面の進歩が著しいことは容易に想像できる。実際、乳幼児死亡率も激減している。朝鮮人を増やしたことで世界中の人にお詫びをするならまだしも、朝鮮人に謝罪する謂れはない。
こんな資料は、別に捏造もしていないし、いっぱいある。資料なんぞなくても開国時の外国人の見聞録と終戦時の様子を比べるだけで一目瞭然だろう。総督府時代に何があったのか。搾取・収奪を行って人口が倍に増えるかってんだい。
さて、お金の話です。日本は朝鮮に対してどれくらい金を突っ込んで、どれくらい儲けたのか。結論から言えば、color=#ff0000>大赤字でした。
黄文雄「歪められた朝鮮総督府」光文社 宇垣総督時代の総督府予算は昭和5年で、約2億円の規模であった。それに対し、朝鮮内部の税収は5千万円程度。日本の政府予算(すなわち日本国民の税金)から、毎年千数百万円から2千万円の規模の補填がなされた。この予算獲得のため、総督府の関係者が帝国議会や大蔵省の説得に奔走したというから、官僚の世界は今も昔 も変わりない。それでも足りない分は、日本の金融市場から集めた公債によってまかなわれた。p142
ちなみに大英帝国支配下のインドでは、その予算の1/3を国防費の名目で、イギリスに納めていた。それにも関わらず、第2次大戦で徴集した264万人のインド兵の費用は、イギリス人将校の給料も含めて、インド自身に負担させていたという。p179
台湾は1895年に日本統治が始まって1905年以降、台日本政府からの補助金を受けずに財政的に独立することができてたから、たったの10年だわなぁ。
朝鮮は補填なしの年が1回あって…それ以外はずっと本土におんぶ抱っこ状態。当然この補填は内地の日本人の血税だわ。つまり、搾取されていたのは日本人の血税なんだわな。これが。世界の植民地を見渡しても、宗主国がここまで植民地につぎ込む例はない。一体何を解釈したら史上最悪な植民地支配という…以下略。単純に2千万が10年で2億−日清戦争の戦費だわ。36年あったら朝鮮への補填だけで日清戦争が3回やれる。はぁ、すげー負担だわ。戦艦大和が何隻建造できるんだ?朝鮮がなかったら、大東亜戦争ももう少し楽だったのに。
ちなみに朝鮮の他力本願・おんぶだっこ・借金体質は戦後も変わっていない。南は借金して輸出する拡大型自転車操業*3&日本の経済援助・技術援助だのみだし、北は米くれ金くれ重油くれ…くれなきゃミサイル撃つぞ、核持つぞ、麻薬持ち込むぞって、論外な国だしな。
翻って台湾は中国との絡みでまともな国として認めてもらえないから国交が制限されたりしながら(当然韓国のように日本の援助なんかもらえない)も、着実に付加価値のある製品を作り出し、黒字を稼いで外貨準備高で世界3位。
うむ、やはりヘタレ国家とは違う。日本統治時代を見てるだけで、戦後の動きが納得できるよ。それに台湾ならあげようって言っても援助なんか断るね。日本人のプライドがあるから。
*1朝鮮がどうしても植民地でいたいなら仕方ないけど、一応、併合なんで植民地ではありません。
*2昔は一高、二高…と数字が付いていたためナンバースクールと呼ばれた。ちなみに一高は現在の東大。
*3借金して生産し、輸出して借金を返す。この体制はいいときは成長も早いが、何かあると破綻する。実際、最近韓国は国家破産し、IMF統治下におかれ、9割以上日本の金を含む世界からの援助でやっています。
さて、アノ国からのイチャモンのコーナーです。反論しても聞く耳持たないで喚くだけのヤツ相手に頭使うのも勿体無いんですが、人間の証明ってことで頭使ってみました。
創氏改名を強制することによって朝鮮人から名前を奪った! 答:在日はなんで通名を使っているの? これだけで十分です。通名とは現在の在日が使う「日本風な名前」です。現実に自発的に日本名を使ってる朝鮮人がたくさんいるのに強制とはちょっと信じられませんな(笑)
まじめに反論すると、日本に朝鮮が編入された時点で戸籍を作る必要に迫られましたが、朝鮮の姓は結婚しても変わらない。一家の中に金さん朴さん季さんが同居している状態でした。戸籍管理上これでは面倒なので、一家に一つの「氏」を創ってもらうことにしました。これが創氏です。自分で新たに届けてもいいし、届けなかった場合は家長の姓がそのまま氏になりました。しかし、戸籍には従来の姓も併記してあり、なんの心配もありません。それはともかく、朝鮮人の半数は奴婢階級で姓がなかったのですが…姓もなかったのに文句垂れてる朝鮮人が半分いるってコトですね(笑)
改名は任意*1であって強制されたというのは嘘っぱち。今でいう通名と同じです。今、誰も強制していない日本名を自ら使っている朝鮮人を見て、まだこの嘘に騙される人はいないと思いますが、騙されていた人は反省して謝罪してください。賠償はしなくていいです。
朝鮮人は旧宗主国である中国人にバカにされていました。まぁ仕方ないんですが。今や中国に戦争で勝った日本人の一員になったというのに、名前で朝鮮人だとばれてしまいます。朝鮮人たちは日本風の名前を使いたくて総督府にお願いしていたのです。そこでやさしい日本人は「日本名名乗ってもいいよん♪」って言っちゃったんですね。これが。内地では反対論もありました。現実問題として朝鮮人は犯罪率が高く、朝鮮人に日本名を名乗られると治安の維持という点からかなりの問題が予想されるからです。結果は予想通りでした。現在もそう*2ですね。あと、支那方面でも俺らは帝国臣民だ!と喚きことでだいぶ暴れたみたいです。現在でも外国で日本人の振りする朝鮮人がいます。悪いことしたら日本人のフリをしろ!朝鮮人特性が垣間見えるほほえましい行動ですね。
さらに言うなら、なんで今の朝鮮人の名前は「金」とか「季」とか中国風の姓なの?古代朝鮮では違ったような気がするんだけど…中国にも名前を奪われたのですか?中国には文句は言わないんですか?事実は、事大主義ですから中国に阿って自ら中国風の名前に変えたんですね。一時、モンゴル風の名前になっていた時期もありました(笑)日本風の名前を使うに至った経緯は歴史上の事実から推して知るべしでしょう。
ハングルを禁止して、日本語教育を強制した。言葉を奪った!! 答:ハングルを広めたのは総督府です。学校の課程が日本語のみになった時期が終戦前に少しほどありましたが、別にハングルを禁止してはいません。 朝鮮は事大主義でしたので漢字を使っていました。歴史は中国の歴史、文学も漢詩とかを習います。これでわかりますね?あれだけ日本に文化を伝えたと威張るくせに、自前の歴史書・文学が圧倒的に少ない事実を。言葉も文化も徹底的に中国に事大してたからなんですね(笑)
とにかく、1443年に世宗王が「漢字はむつかしいさかい、アホや女子供でも使えるように簡単なヤツ作ったるわ」と作ったのが「訓民正音」です。しかし、そこは中華思想・儒教・事大に凝り固まる朝鮮、これを「諺文(おんもん)*3」と馬鹿にして呼び、排斥、軽蔑したまま500年近く経ってしまいました。ハングルと呼ばれるようになったのは19世紀。日本に併合されて、総督府がこの「ハングル」を掘り起こし、学校で教えるようになったのです。奪うも何もテメーらがほったらかしにしてたんじゃん。
朝鮮人は、自分に固有のハングル文字を軽蔑して、中国文字である漢字のみをただひたすら尊重するおかしな国民である。政府の公文書はもちろん、普通の手紙にも、会話の間にも努めて中国文を模倣して使用し国粋というべき語学上もっとも発達したハングルは婦人と子供と、下層階級が使用するものときめ込んでいる。「朝鮮とその隣邦」 イザベラ・ビショップ 1897年 ハングルが全国民に教えられるようになったのは、日帝時代になってからのことである。韓日併合の翌年の1911(明治44)年から、総督府によって朝鮮教育令が施行され、初、中、高等学校で朝鮮人、日本人の生徒の区別なく、ハングルを必修科目とすることに決められた。もちろん、朝鮮教育令は朝鮮人を、忠良な日本国民に仕立てることを目的としていた。私が日帝時代に小学校へ通っていた時は、朝鮮語がよくできる日本人教師は、月2円の加俸があった。当時の1円は今日の日本円の数万円に相当しただろう。もっとも、昭和10年代に入ってから「皇民化教育」が強められると、日本語が強調されて、ハングルが教えられなくなった。だがハングルをはじめて韓国民に教えた総督府の功績も、忘れてはならない。「韓国 堕落の2000年史」 崔基鎬 平成13年 詳伝社
つまり、もともとハングルなんか使っていない朝鮮からハングルを奪うことはできませんし、国民のほとんどが読み書きができなかった(そもそも庶民には学校がなかった)李朝時代を考えたら言葉を奪おうにも…自国の歴史をちゃんと認識していますか?と聞きたい。
日本は朝鮮の米を大量日本に持っていき飢餓輸出を行った。 答:だーかーらー、飢餓だと人口は増えないの。飢餓輸出は共産国の登録商標です。ソビエトでも2〜3千万人ほど餓死してるでしょ? あ、輸出もしていないのに飢餓に陥ってるところを知ってる。おまえらの祖国の北側半分だよ。飢餓輸出ならまだしも金が残るが…そうそう、日本はあれだけの戦争を欧米相手にしながらも、朝鮮も台湾も本土も今の北朝鮮のような状態にはしていません。OK?
国際大会などでJapanより後にくるように、日帝時代に朝鮮の英語表記をCoreaからKoreaに強制的に変えた。 答:頭平気?日本の一地方と化した朝鮮の、しかも英語表記まで…日本はそこまで暇じゃありません。 例えて言えば、北海道(Hokkaido)が日本(Japan)より先にくるから名前を変えさせるようなものです。ありえねぇ。それに北海道民が国際大会に出たらJapanを名乗るように、この時代に朝鮮人がもし出場してもJapanです。朝鮮の英語表記を変える必要は全くありません。少なくとも「朝鮮」として出場したことがある国際大会を挙げてもらいましょう(笑)
それよか気になるのは、もしホントならなんで戦後すぐに元にもどさなかったの?なんで今頃いうの?
もともと高麗(コリョ)から来ている表記で、英語だとKですがフランス語ではCだったりします。条約を結ぶ相手とかによって表記は変わってました。なんなら国際言語を英語からフランス語に変えさせればいいんじゃ?(笑)
どうしても気になるんだったら、国名をCoreaに戻すなり、AAAって国名に変えるなり勝手にしろよ。なんなら_Koreaとかスペースを頭につけとかすれば一番だぞ?とにかく日本を巻き込むんじゃねぇ。
ここには「儒教」の悪い側面が出ています。序列・順序を異常に気にするのです。大概の日本人は国際大会の入場行進がアルファベット順として、その順番を気にする人はいないでしょう。ところが朝鮮人は気にするのです。このメンタリティは李朝末期の国書受け取り拒否問題と同じです。今度は征韓論じゃなくて、朝鮮消滅をスローガンにするよ?マジで。
最近(去年の12月末)北朝鮮がこれを言い出して、南北で正しい表記に戻す会を作ろうみたいな呼びかけをしていて笑ったことがあります。
正直言ってうんざりです。たとえここまでのイチャモンいいがかりがすべて事実としても、この程度のことで史上最悪の植民地呼ばわりするなら、それをアフリカやアジアの本当に欧米に植民地支配されていた国々に言ってこい!鼻で笑われるからさ。
*1朝鮮名のまま出世した人もいることからも改名が任意であったのは明らかでしょう。陸軍中将の洪思翊と衆議院議員の朴春琴は有名。貴族院議員には1932年朴泳孝が任命されたのを始め、数人。公爵・伯爵・陸軍中将・国会議員を輩出している朝鮮人が奴隷状態?
*2現在は在日が犯罪を犯しても通名で報道されることが多いため、日本人は朝鮮人の犯罪にあまり気付かないようなシステムになっています。眉をひそめるような残虐な犯罪はほとんど彼らなんですが…金とか徳とか入ってる名前は特に注意してね!!
*3漢字漢文を真文と呼ぶのに対して、差別的な意味で諺文と呼ばれた。民族的な意識の高まりから「ハングル(偉大な)」と呼ばれるようになる。しかし元を辿れば…まぁ日本でいうカナみたいなものであまりバカにはしませんが…ちなみに北朝鮮ではチョソンクルと呼ばれるそうです。
参考リンク:ぢぢ様 玉稿集 大日本史 番外編 朝鮮の巻 資料 植民地統治の検証
まとめましょう。
李朝時代は旱魃、水害が繰り返し発生し、飢饉が日常化していた。統監府以前の朝鮮社会は、司法行政の綱紀が乱れ、教育、衛生はほとんど顧みられず、河川、林野が荒廃し、道路、橋梁もなく、港湾も船も車もほとんどなかった時代であった。それから20年後の昭和初期に朝鮮を訪れたアメリカの碩学(せきがく)ブルンナー博士は、朝鮮農村の実状を視察して、地方の古老にも接して今昔を比較し、天と地ほどの差が見られることに驚嘆した。朝鮮総督府は人さらい、草賊(盗賊)暗躍、飢民あふれる李朝末期の社会に、産業をおこし、治安を回復し、近代社会をつくったのであった。「歪められた朝鮮総督府」 黄文雄 1998年 光文社 「自分は昨夜来東洋における一つの驚異を発見した。それは、今回の長い旅行における大きい収穫であつた。同時に、自分の今日までの研究不足をしみじみと愧(は)ぢている。何であるかといへば、朝鮮に対する全般的な認識の相違である。吾々は、朝鮮といふ所は、地理的には大体満州の延長であるから、相変らず匪賊(盗賊)が横行し、産業も振るはず、赭土(あかつち)色の禿山の下で、民衆は懶惰(らんだ)の生活を送つてゐるものとばかり思つてゐた。然るに列車が一度鴨緑江の鉄橋を越ゆるや車窓に隠見する事々物々、皆吾々の予想に反し、見渡す山河は青々として繁茂し、農民は水田に出て、孜々(しし)として耕作に従事し平壌その他工業地帯の煙突は活発に煙を吐き、駅頭に散見する民衆は皆さつぽりした衣服を纏(まと)い、治安はよく維持せられていて何ら不安はなく、民衆は極めて秩序正しく行動し、且つその顔に憂色がなく、満州に比べて実に隔世の観がしたのである。これはとりもなほさず、貴国の植民政策が妥当であつて、歴代の総督が熱心に徳政を施された結果であることを卒直にお歓びすると同時に、今後における吾々の朝鮮観を根本より改めるであらう」昭和七年国際連盟のリットン調査団一行の一員、アメリカ代表マッコイ少将が宇垣総督に語った言葉
植民地経営ではないんだが…朝鮮人もそれを望んでいるようだから植民地でもいいんだけどさ。治安の確保や、産業、耕作地、人口を増やしたのは「より大きい利益を挙げるためだ」と牽強付会できないコトはないが、植民地の現地人と宗主国の人間が同じ学校の同じクラスに通うなんてのはありえない。まして、現地の言葉(ハングル)を母国人(日本人)も含めて必修科目にするなどは植民地経営には破天荒に変すぎる。もちろん、いい方に変なのだ。
戦争がなければ、ハングルも日本語も話せる朝鮮系日本人になっていたことは疑い得ない。
選挙権は当時、内地にだけあった。つまり、朝鮮人でも内地にいれば選挙権があり、朝鮮にいた場合は日本人と言えど選挙権はなかった。この選挙権の問題をもって差別だと言うのは簡単であろう。しかし、新しい領土にいきなり国政に関わる選挙権を渡すわけには行かない。土民も顔負けの生活水準で、毎年餓死の危険があり、文字も書けない人間になんの選挙権だ?日本の統治よろしく、民度も知性も十分に上がった暁には選挙権も与える予定であった。実際、終戦間近には朝鮮半島に普通選挙権が付与*2された。選挙自体は終戦もあって行われなかったが、日本は拡大過程において常にこのようにしてきた。北海道しかり、沖縄しかりである。
また、「権利がなかった」と大声で叫ぶが、それに対応して義務も免除していたのである。朝鮮の所得税が内地の所得税に比して低率*3に置かれていたこともそうだし、徴兵もそうだ。日本統治が始まっても徴兵は長期間行われず、大東亜戦争になって初めて行われた*4。選挙権の付与はこれに対応するものであったと思われる。帝国臣民としての資格を醸成する間は義務も免除するが権利も制限する。ただそれだけの話である。
ここまで読まれてなお、残虐な日帝支配を訴えられるなら、それはもはや何かの宗教としか思えません。
*1上にも書いたが、内地(日本)では朝鮮人にも選挙権・被選挙権共にあったので、朴春琴は東京で2回も衆議院議員に当選している。
*2 1945年には選挙法が改正になり、次の選挙には朝鮮にも18人の定員が割り当てられたが、終戦で実現に至らなかった。
*3個人所得税が朝鮮に導入されたのは統治が始まってから24年後の1934年から。税率は内地の半分だった。これは段階的に引き上げられて内地との差は縮まったが、終戦まで内地より低率のままであった。その他、酒税等も内地より低率に設定されていた。しかし、日帝36年に搾取されたと言いながら所得税は11年くらいしか払っていなかったのか…初めて知った。所得税が少ないことが差別だというのなら謝ろう。
*4次の章で詳述することになると思うが、1938年から始まり、1943年まで年を追って増えているが、ここでは簡単に総計だけ。募集合計17664人(たったのこれだけ?)で志願者は802227人で倍率にして実に45倍の狭き門であった。日本が徴兵をしないから憧れの帝国軍人になれなかったじゃないか!と怒ってらっしゃるのならごめんなさい。
関連リンク:日本人への「差別」
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仕掛けられた中国の工作…何度繰り返せば学習できるのだろうか
・賄賂をもらえない人間は尊敬されない
驕れる中国 悪夢の履歴書
中国では、人間には「賄賂をもらえる階級」と「賄賂をもらえない階級」がある。そして、賄賂をもらえない人間は尊敬されない。賄賂をもらえるのはある程度の社会的地位、権限、階級などを備えている者だと認識されている。賄賂の受け手と送り手の関係は、支配する階級と支配される階級になっているわけである。一般的な中国の日常生活のなかでも、隣近所から賄賂をもらえるのは、ある程度の社会的地位にあって、影響力もある人間に限られる。他方、もらえない人間というのは「人間のクズ」だと見なされ、軽蔑される。これは中国の伝統文化だといえる。先にも触れたが、古来からある儒教式の階級分析によれば、人間は「君子」と「小人」に分類される。日本ではもっぱら「君子」は有徳の人格者、「小人」は徳も器量もない人間というふうに理解されているようだが、中国本来の「君子」「小人」は社会階級の意味合いが強い。賄賂を貰えるのが当然「君子」であり、「小人」は絶対に貰えない階層なのである。このあたり日本人の感覚と逆なので、注意が必要だろう。
それゆえ、中国人にとって賄賂とは、罪意識とも恥意識ともまったく関係ないのである。それどころか、歴史的に見れば、中国人にとって賄賂とは、支配者が下々から受け取る「朝貢」として見るのが常識なのだ。それが誇りであり、優越意識なのである。
また、中国人は権力者にも弱く、理不尽なことも受け入れる性質がある。
・ああ人治国家(?)
中華的生活「多少銭?」
さて、私の友人に、とある有力者の息子(お金持ち)がいる。彼とは仕事関係で付き合いがある。
先日彼が会社にやってきて、仕事の話をした後に食事に行くことになったのだが、、、、
ちょうどその日は、うちのワンコが風邪を引いていて病院に連れて行かないといけなかった。
彼にそれを伝えると一緒に行ってやる!という。
(省略)
動物病院は結構混んでいて、獣医が忙しく動き回っている。
そこに到着するやいなや彼は
「まずこっちから看ろ!」
私があわてて「いいって、ゆっくり待つから」というと
「もうお昼だから、ご飯を食べに行くだろ?急いで看て貰わなきゃ!!」
それうちらの都合じゃん!!
関係ないし、獣医には!!
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
ちなみに彼は大柄で巨漢。着ている服などがさり気なくブランドもので、育ちのよさが顔に出ている。
いかにも、
ざ・おかねもち
という風体。
彼を見て獣医が態度を変える。
うちの子をすぐに看てくれる
他のワンコはほったらかし(苦笑)
解りやっす〜!!
さすが中国!と感じるのは、ここで周囲の客(?)が一切文句を言わないところだ。
友人が「偉い人」だと思ったのだろう、誰も我々が後から来て先に看てもらうことに文句を言わない。
むしろニコニコして、うちのワンコを褒めたり友人に話しかけたり。
(省略)
正義よりも権力者の主張を受け入れる土壌ができあがっている中国では、実力者が、先の賄賂を支配者が下々から受け取る朝貢と見なす価値観のもとで、あらゆる手段で弱者から富を奪い取る。
・「警察の小遣い稼ぎ」で検挙率が低下する国
驕れる中国 悪夢の履歴書
(省略)
中国人の計算高さはよく知られているが、そのもっとも代表的な存在が、本来不正を取り締まるべき公安警察である。公安警察にも汚職はつきもので、「公安は全てに対して不正を働き、税務は全てに対して汚職を働く」と諧謔(かいぎゃく)に言われる。
公安には、武装警察、交通警察、塩警察、インターネット警察などの部署のほか、征服を着ない辺防隊、保安隊などがある。
例えば、武装警察は憲兵に相当する。憲兵は兵士を取り締まる警察であるが、中国ではこの定義は当てはまらない。武装警察はいわば匪賊に近い存在になっており、賭博、妓娼を保護し、チャイニーズマフィアと結んでその手先になっているのも少なくない。タクシーに乗っても料金を払わない、逆にタバコや売上金を奪っていく。店で買い物をしても金を払わない、抗議すれば店を壊されたり殺されたりしかねない。その場合、犯人は絶対捕まらないから、被害を被っても誰もが泣き寝入りをするという、野放し状態である。また、非制服組は調査、審問、逮捕、拘留といった警察権を平気で乱用するので恐れられている。
中国の警察がこのように粗暴であるのは、給料が安いのが理由の一つである。だから、賄賂がないと何があっても動かない。「通報手数料」がないと対処してくれないのだ。また、企業が偽者の取締りを要請してきても、逆に時給を要求する始末である。具体的な取り締まり費用は、一人につき時給10〜50元で、企業側には大きな出費となる。
(省略)
車やバイクに乗っていて交通警察に止められたら、ともかく50元を警察に握らせることが賢いやり方だ。さもないと、まるで身に覚えのない濡れ衣を着せられるのがオチである。
(省略)
このような鬱憤(うっぷん)がたまる社会構造だから暴動が多発するのだろう。しかも、中国人は、一度弱みを見せたら、更につけ込んでくるので性質が悪い。
・柔らかい土を掘る、寸を得て、尺を進む人たち
驕れる中国 悪夢の履歴書
(省略)
力がものを言うことを表現した中国のことわざで、「柔らかい土ならば深く掘る、寸を得て、尺を進む」というのがある。中国では一般的な処世の常識だから、これは台湾でも使われる。
柔らかい土は、掘られてしまうから硬い土でしか自分自身を守れない。つまり、強い人間でしか自分を守れないという意味だ。
(省略)
日本には「軒を貸して母屋を取られる」ということわざがあるけれども、台湾では、軒を貸したとしたら「乞食が廟公(寺の管理人)を追い出す」ということになる。つまり、外来のものを保護してやると地元のものより強くなって、恩人を追い出してしまう。これは中国ではよくあることなのだ。だから、中国では譲歩するのはタブーである。ひとたび譲歩したら「寸を得て進む」きっかけを与えることになる。
これは交渉のテクニックというより処世の常識の一つで、中国人は当然のようにつけ込んでくるから、注意しなければならない。中国人に勝つには、簡単に言えばヤクザとの交渉をイメージするといい。弱みを見せたら思うツボであり、確実にやられてしまうと肝に銘じて折衝に臨むことである。
このように、中国人は我々と感覚が異なるので、日本を代表する立場の方々は特に注意しなければならない。
・橋本首相 ODA26億円と中国女性
國民新聞(平成10年5月)
橋本龍太郎首相との不倫関係とスパイ問題が取り沙汰される中国人女性Aが昨年12月3日、東京地裁で証言、彼女自身の口から「公安当局にいた」ことが暴露された。
しかもその術中にはまって橋本首相は26億円もの無償援助を中共に対して行うハメになるというを一女性の“色仕掛け”で国益を損ねていたという過去が次々と明るみにされている。もはや一国の首相の権限はなく“嗤わらい者”として晒されている。
東京地裁での裁判自体は永田町周辺に出回った怪文書が発端となっている。怪文書はAとその前夫との離婚の原因となったのが橋本氏との不倫関係だったと暴露し、しかも橋本氏がAと現在の夫となっている日本人の結婚を取り持ったとする内容。
怪文書にAと現在の夫が激怒、怪文書に前夫が関わっていると週刊誌上で発言し、これに今度は前夫が激怒して週刊誌の発言が名誉毀損に当たると起訴した。
一方、Aが「公安にいた」と証言したことについて自由党の西村眞悟代議士は1月20日の衆院予算委員会で、橋本首相を質すと首相は「衛生部通訳」と言い張るだけ。しかも「人妻のプライバシーに配慮して欲しい」などと言い出す始末。
また、月刊誌「諸君!」6月号は「橋本首相『中国人女性』とODA26億円の闇」と題するレポートを発表した。
同レポートは大宅賞作家のジャーナリスト加藤昭氏が2カ月に亙る北京・長春現地取材を通じて橋本首相と中国人女性との関係を克明に暴いている。
レポートは、橋本首相が単なる通訳とする中国人女性Aは中日間で合意された無償援助プロジェクトの項目(実務)責任者で、北京市の中日友好病院と長春市の白求恩医科大学付属病院の2つの病院に対して日本からの無償援助を引き出すため、橋本に接近、2つのプロジェクトの折衝と接待係の役割を演じたという。
しかも加藤氏は取材過程で白求恩医大病院のパンフレットに88年8月13日に病院建設計画の実状調査のため訪れた橋本を囲んでの写真を入手している。この時の橋本は自民党幹事長代理。臨時国会会期中だったがわざわざ国会に「請暇書」を提出し衆院議長の許可を得て訪中。
当時、駐日中共大使館に在籍していたはずのAも同行、病院のパンフレットの写真に橋本と一緒に収まっていたのだ。
西村代議士は4月30日の衆院本会議でこの問題を追及。
「衛生部と公安部、いずれにしてもその人物は中国の公務員であったことは事実。中国政府高官も雑誌に実名で『彼女に与えられた最大の使命は中日間の巨大プロジェクトであるべチューン(白求恩)病院の建設を成功に導くこと。
そのために彼女は表面上衛生部通訳として橋本先生を担当したのです』述べている」とした上で、首相とAとの交際実態について弁明を求めた。
これに対して橋本首相は「通訳として彼女が知り得たことは別として政治家としてあるいは閣僚として国益を損なうような話をしたことはない」としらを切った。
外交評論家の田久保忠衛氏は「相手が公安部の女性となれば、親密な交際があったという話が出た時点で道義的な責任を負うのが筋」と語っている。
注意を怠ると、橋本元首相のように国家に損害をもたらすこととなる。次の記事も、似たような色仕掛けでつけ込まれたものである。
・中共経営の売春クラブで写真を撮られたバカ経済人。
nikaidou.com【12/29(木)12:30】
中国の日本大使館から、車で数分だろうか。そこには「中国共産党経営の、共産党幹部や外国要人接待用のクラブ」がある。クラブといっても、実態は売春クラブなのであるが・・・
ここには、一般人は100%入れない。そして、看板も一切出ていない。ただ、建物の前には機関銃を持った兵士が立っていて、中国共産党が特別に許可した人物のみが入れる仕組みとなっている。ボディチェックを受けると2階に通される。そこには大広間があり、100人以上の美女が、胸に番号をつけて立っているのだという。なんでも、整形をしていない、本物の美女だそうだ。その秘密クラブで接待させるだけのために、美男美女を集めて子供を産ませている”美女の産地”があるというから、偉大な私利私欲の国、中国は驚くことばかりだ。
話がそれた。その秘密クラブの2階から女の子を横目に1階に降りると、個室がたくさんある。カラオケクラブになっているのだ。ここには当然、世界各国の歌が歌えるようになっている。ここで、2階にいた美女の誰を呼ぶか、選択することが出来る。
話によれば、10月下旬にある日本人の経済人のトップ、くるまやのオヤジが秘密クラブに来たそうだ。というのも、そのオヤジは当日、クラブに来る前に別の場所で会食をしていたのだが、会食上で横に着いた女の子(ただの給仕)を”それ系の女”と勘違いして、膝を触ったりとエロオヤジ度満開モードに突入してしまったため、予定を繰り上げてその売春クラブに早く来たそうだ。
また話がずれた。売春クラブの1階で女を選んだ車屋の親父は、すぐに女を選んで、3階に上がっていったという。3階はベッドがある本当の個室だ。ただし、
「カメラもマイクもついてるよ」
というのは中国公安関係者。要するに、シナに土下座礼賛して乗り込んだ車屋のバカオヤジが、接待されて中国共産党の女をヤってビデオに撮られてしまったという話だ。橋本龍太郎が中国スパイを愛人にしていたことは有名なはずだが、車屋のオヤジはたぶん新聞を読まないのだろう。
この中国共産党経営の売春クラブにいる女は、「半分は中のみで遊ぶ女、半分はお持ち帰り可能な女」であり、どちらの女かは胸についている番号札の大きさで判断できるらしい。ちなみに、「病気は完全管理しているから本当に安心(前出:関係者)」だという。本サイトは、逆に、中国でそんなバカなことをしている経済界関係者は、病気にでもかかって死んでしまったほうが日本国のためにいいだろうと思っている。それなりの地位の人間が、他国で女を抱けばビデオに撮られるということくらいは知っているべきだろう。次に中国に行った際は、二度と帰ってこないよう祈るばかりだ。
本サイトの記事とは関係ないが、本サイトは奥田というトヨタ自動車会長という隠れ蓑で売国をする人間が嫌いである。さらに別な話だが、次の経団連会長のキャノン御手洗は、上記の秘密売春クラブに行かず、さらに、キャノン関係を引き上げる方針でいるという。非常に懸命な措置である。
【nikaidou.com】
国売りたもうことなかれ。次の上海領事館の自殺の記事も同様に色仕掛けでやられたものである。
・中国当局が脅迫か…上海総領事館員の首吊り自殺
ホステス使い色仕掛け / ZAKZAK
上海日本総領事館の領事(46)=当時=が中国当局が用意した色仕掛けにハメられ、昨年5月に自殺していたことが分かった。27日発売の週刊文春によると、亡くなった領事は外務省と領事館の暗号通信を担当。領事の自殺は暗号解読をねらった中国当局の執拗(しつよう)な恫喝(どうかつ)が原因だったとみられ、中国政府の外交官に対する非道な工作活動に波紋が広がるのは必至だ。
週刊文春によると、領事は昨年5月6日午前4時ごろ、上海総領事館の宿直室で首をつって自殺した。領事は旧国鉄出身で、分割民営化後に外務省に入省した。米・アラスカのアンカレジやロシアに勤務した後、平成14年3月に上海総領事館に単身赴任した。
赴任後、領事は同僚に連れられ、外国企業が多く集まる虹橋地区にあるカラオケクラブに足を踏み入れる。そして、1人のホステスに魅せられ、足しげく出入りするようになった。
クラブは事実上、個室で、ホステスが“接待”してくれる。そのうち、ホステスは中国当局に摘発され、取り調べで上客だった日本人の名を供述するよう強要された。
供述の中に領事の名前があることに目を付けた当局は、15年6月、このホステスを利用して情報機関に所属する工作員の男に領事を接触させた。
当初、工作員は機密レベルの低い情報提供を要求。領事は昨年4月に外務省へ転属願を提出し、ロシアの総領事館に転勤が決まったが、工作員の男は、ホステスとの関係を「領事館だけでなく、本国にバラす」「(女性との)関係はわが国の犯罪に該当する」と何度も脅迫した。同年5月に入り、工作員の脅迫はエスカレートし、転勤先のロシアの情報も提供するよう迫られた。
きまじめだった領事は工作員と深い付き合いとなってしまったことに責任を感じ、総領事や妻、同僚に計5通の遺書を残して自殺。総領事あての遺書には「自分はどうしても国を売ることはできない」などと記されていたという。
領事は外務省と総領事館の衛星通信や情報伝達を担当する「電信官」で、総領事しか知らない国家機密も把握。特に衛星通信に使われる極めて複雑な暗号の解読方法を熟知していた。
中国当局はこの暗号に強い関心を示し、領事が転勤と決まるや何とかして暗号の解読を引き出そうと、強い圧力をかけたものとみられる。
冷戦さながらの色仕掛けによる諜報(ちょうほう)戦。外務省は、国を守ろうと“殉職”した職員について事実関係を一切、公表していない。
ZAKZAK 2005/12/27
脇が甘いと言われればそれまでかもしれないが、多々あるということは、自国(個人の資質)だけを責めるのではなく、そもそも中国の主体的な工作活動の存在にも目を向ける必要がある。中国人は、自ら相手の欠点を作り出してまでも、強請りたかりたい朝貢精神を有している。そのため、例え相手を自殺に追いやったとしても反省することもないので、今後、強請りたかりが無くなることはない。従って、一見個人の資質の問題と思われがちなことが、実は、中国発の主体的な工作活動によって、個人の資質に関係なく誰しも起こりうる構造的な問題と言えよう。
色仕掛けに負けた事を恥あるいは運が悪かったなどという言葉で切って棄てずに、事実をあかし、このような不幸が二度と繰り返さないように対処方法を真剣に検討して頂きたい。もちろん、色仕掛けは、いくつかの手段のうちの一つに過ぎない。処理費用が22兆円もする昨今の言われ無き「旧日本軍の毒ガス」問題の二の舞いも避けるよう深みのある検討を希望する。
以前、事大主義のかの国に対しては脅かすのが一番と述べたが、同様に、中国も圧力をかけて脅かすのが一番リーズナブルなのだろう。先に引用したワンコの件だけではなく、元の時代などの歴史も証明しているからである。この辺に対策の糸口があるような気がした次第である。
丁度、私の直感的な対策の糸口をより具体的な方法として述べられていた記事を見つけたので以下にご紹介させて頂く。
・差別と批判の違い 〜日韓の「上下関係」を考える〜
週刊アカシックレコード
(省略)
もちろん日韓関係を改善する方法はあります。
但し、それは、02年W杯サッカー本大会の「誤審」のような韓国の悪事を見逃してやることではありません。見逃したからといって、韓国人は感謝などしません。かえって図に乗って威張り散らすだけです。それは、あの試合(のあとの韓国国民の熱狂)を見ていた「戦後世代」の日本人をあきれさせる結果しかもたらしませんでした。
方法は簡単です。
韓国をたたけばいいのです。差別や偏見ではなく、正当で合理的な批判を、韓国の悪事と弱点に集中して浴びせ、心理的にたたきのめし、永遠に日本には追い付けないと自覚させてしまえばいいのです。
そして、韓国人が悲鳴をあげて「これ以上批判しないでくれ」と泣き付いて来たときに初めてほめてやればいいのです。そうすれば彼らは深く感謝し、初めて日韓関係は良好になり、安定します。
実は、これは米国が日本に対して使った手なのです。この作戦が奏効し「上下関係」が確定したから、戦後世代の日本人は「米国に勝とう」などという身のほど知らずな妄想はまったく抱かなくなり、多くの日本国民は米国からの評価や配慮に感謝し、日米関係は磐石になったのです。
すくなくとも戦後60年間、日本が何度韓国に謝罪しても日韓関係が安定したことがほとんどないのは事実であり、それは韓国側の謝罪要求がそもそも「侵略された被害への恨み」に起因するものではなく、分不相応に(形式上)日本と対等な独立国となった(のに、いつまで経っても日本の国力に追い付けない)ことから生じる不安と劣等感をその都度処理するための手段にすぎないから、にほかなりますまい。
韓国側の根強い対日劣等感を解決する方法は1つしかありません。それは、日本が韓国より上であることをはっきり示し、韓国を「日本に追い付くべきだし追い付けるはずだ」という妄想から解放してやることです。ヘタに謝罪などして日本が何度も「下手」に出るものだから、戦後60年間、韓国側は何度も「上下関係」の不安に陥り、かえって劣等感を増幅されて来たのです。その責任はすべて、あなた様のような「戦前世代」の日本人にあります。
(省略)
【関連記事】
・(H17.06.05)事大主義のかの国に対しては、脅かすことが一番リーズナブル
・(H17.08.29)旧日本軍の毒ガス…靖国問題同等レベルへの発展の危機
・(H17.11.18)日本人が温厚に育った背景…中国人とは水と油
・(H17.11.20)汚職が文化となり民度が低い中国…原因は儒教か?
・(H17.12.18)事大主義の悲劇
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炎上中の掲示板を隠すロッテ…フィギュア不正選考を隠したいのか?
さて、企業にとってイメージキャラクターは売り上げに直結するので、国民から忘れ去られた人ではなく愛され続けると思われる人を選定することが重要である。例えば、ロッテでは、トリノオリンピック出場の期待がかかった安藤、荒川、村主選手を選定し、去年の9月1日よりCMがオンエアーされた。
疑い深い私は、この時点で代表選手と同一人物が選定されている様を見ると、ロッテと国際スケート連盟が結託し、選手の人気が持続できるように、代表選手が既に内定していたのではと勘ぐりたくなる。
・安藤美姫、荒川静香、村主章枝、ロッテガーナチョコレートCM
トリノオリンピックニュース
【ロッテ】トリノオリンピック期待のフィギュアースケート安藤美姫、荒川静香、村主章枝の競演で話題を呼んでいる、ロッテガーナチョコレートのCMが9月1日よりオンエアー。
(省略)
そんな中、ロッテのイメージキャラクター戦略を震撼させる出来事がおきた。ニキビを気にしてなのだろうか、「チョコレートを食べない」と噂される浅田真央選手の頭角である。
・フィギュア:15歳浅田、五輪出場へ87日足りない…
毎日新聞
来年2月のトリノ五輪のフィギュアスケート日本代表選考会を兼ねる国際大会グランプリ(GP)ファイナルが16日夕、東京・代々木で始まる。11月のGPシリーズ第4戦フランス杯で優勝した浅田真央選手(15)も出場するが、トリノ五輪は年齢制限の壁に阻まれている。【野口美恵】
浅田選手は04年ジュニアGPファイナルで世界大会初優勝。今年に入って、世界ジュニア選手権優勝、シニアの国際大会デビューとなったGPシリーズ中国杯で荒川静香選手を抑えて2位。3回転の3連続ジャンプは世界(女子)唯一の技だ。
だが、トリノ五輪候補ではない。国際スケート連盟は五輪と世界選手権の出場資格について「開催の前年7月1日の前日までに15歳に達していること」と規定している。9月25日生まれの浅田選手は87日足りない。
同連盟のピットゲタツ広報部長は「医学的な見地から96年に現在の年齢制限を決めた。若い選手への過度な精神的重圧と、成長を妨げる無理なトレーニングを避けるため」と説明する。GPシリーズは精神的重圧が比較的少ないとの理由で14歳から出場できる。
過去には12歳で冬季五輪に出場した日本人女子フィギュアスケート選手がいた。1936年のガルミッシュパルテンキルヘン大会(ドイツ)で26人中10位と健闘した稲田悦子さん(03年に79歳で死去)だ。当時の身長は127センチ。稲田さんの夫正雄さん(85)は「実力があったから五輪に出たんです。4年後の札幌五輪ではメダル確実と評判でした」と語る。しかし、第二次大戦で札幌五輪は中止。日本が冬季五輪参加を認められた時、稲田さんは28歳。既に引退していた。
現在の年齢制限下でも、世界ジュニア選手権で3位以内に入れば五輪に出場できる特例があったが、00年に廃止された。金メダル獲得後、プロに低年齢で転向することへの懸念も特例廃止の背景にあったといわれる。98年の長野五輪で五輪最年少記録の15歳8カ月で優勝したタラ・リピンスキー選手(米国)も、特例で97年世界選手権に14歳で出場して優勝。長野五輪直後にプロに転向した。
一方、米ABCテレビは今月1日、浅田選手がトリノ五輪に出場できないことを疑問視する内容の番組を放映。その中でリピンスキー選手は「(浅田選手を)トリノ五輪に出してあげたらいい。次の五輪までの4年は長い」と語った。
(省略)
過去にある条件を満たせば年齢制限下であっても、特例があったが、そのルールも変わり、後の日本代表選考会も兼ねる国際大会グランプリ(GP)ファイナルにて優勝しても、浅田選手は、残念ながらオリンピックの日本代表として選ばれることはなかった。
米ABCテレビだけではなく、トリノ冬季五輪を開催するイタリアで最多の発行部数を誇る全国紙も以下のように疑問視している。
・イタリアの新聞がロッテの所為で日本はフィギュアスケートのメダルを失うと報道
雑識雑考[うんちくを騙る(語るにあらず)]
「浅田真央、出場すればメダル確実」伊有力紙が特集記事2月にトリノ冬季五輪を開催するイタリアで最多の発行部数を誇る全国紙コリエレ・デラ・セラが、4日付で年齢制限のため同五輪への出場資格がないフィギュアスケート女子の浅田真央(グランプリ東海ク)の特集記事を掲載した。
「マオはフェノメノ(並外れた逸材)だがトリノで勝つには年齢が足りない」との見出しで、出場資格がないことを紹介。女子で史上初めてトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を一つのプログラムで2度成功させたことなどから「五輪に出場すればメダルは確実」とした。同紙は、日本スケート連盟が出場資格の規則変更を国際スケート連盟に対して強く求めない背景には、スポンサーとの関係があると伝えている。
記事では「スポンサーであるチョコレート会社にとって、自社が契約している選手たちを差し置いてマオ(浅田)がメダルを手にすれば、間違った選手に宣伝させていたことになる。まるでハラキリ(切腹)だ」としている。(共同)
スポンサーであるチョコレート会社 = ロッテ
ロッテは責任取れ。ロッテの製品は永遠に買わん。買わせないようにさせる。
国内でも、次のような痛いニュースをしばしば見かける。
・ロッテガーナチョコの安藤美姫、荒川静香、村主章枝がフィギュア五輪代表
痛いニュース(ノ∀`)
1 名前:ライムミント花粉ガムφ ★[] 投稿日:2005/12/26(月) 01:34:44 ID:???0
フィギュアスケートのトリノ五輪代表に女子は
安藤美姫(18=愛知・中京大中京高)
荒川静香(23=プリンスホテル)
村主章枝(24=avex)、
男子は高橋大輔(19=関大)が選出された。
日本スケート連盟が25日、全日本選手権終了後に発表した。
487 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2005/12/26(月) 02:31:29 ID:sPNSjjvf0
【日本代表】浅田・中野・織田
【ガーナ代表】安藤・荒川・村主
ロッテの掲示板は、さらに痛い。
・ストア専用掲示板 みなさんからの声
【楽天市場】お口の恋人ロッテ
時刻 : 2006/01/11 11:09
名前 : 匿名
題 : Re: どこの国の代表?
> 質問なんですが、安藤、村主、荒川選手は、どこの国の代表に決まったんですか?
>
> (1)ガーナ共和国
> (2)韓国
> (3)日本
>
> スケートの事、よく分からないので、ぜひ教えてください。
>
日本の総意は浅田出場だから(3)とはいいたくないよね。
一応日本代表も含むから(2)も違う。
でも(1)も違うよ。
私はガーナにいったことがありますが、ガーナ人はガーナチョコレートなんて
誰もしらなかったですよ。
日本人がよく”ガーナチョコレート”を食べているといったら驚いていたよ。
そんなチョコ、俺たちは知らないって。
ガーナ人が知らないから、(1)もバツ。
ガーナの方に失礼だ。
ロッテ代表だろうね。
炎上していたロッテの掲示板は、ホームページのトップ(中段の左端「ストア専用掲示板」)からついに姿を消した。
・ホームページのトップ
【楽天市場】お口の恋人ロッテ
削除前
削除後
※中段の左端にあった「ストア専用掲示板」がない
過去3回のオリンピック優勝者は16歳・16歳・15歳であり、それからみると浅田真央選手は4年後ではなく今がピークとのこと。トリノへ出してあげたかった・・・。
ロッテは、国民の期待ではなく、企業の利益を優先させたと思わせるような行動を取っているが、事実と異なるのであれば、掲示板の入り口を削除するのではなくきちんと説明すべきではなかろうか。
やはり、今までしてきた嘘の上塗で、骨折話が矛盾だらけになり、痛すぎて身動きが取れないのだろうか。
・フィギュア代表不正選考のロッテ隠蔽工作中
雑識雑考[うんちくを騙る(語るにあらず)]
831 名前:名無しさん@恐縮です 投稿日:2006/01/10(火) 19:53:14 ID:PSruPeYn0
良く分からないので時系列純に並べてみた。増々意味不明というか、
12月*******
3日 【NHK杯 4位】
★ここら辺で骨折していたらしい。 でも肉離れと報道
6日 本人のサイトで本人の書込み
「どうして"肉離れ"なんて流れちゃったんだろ?
ぜんぜん大丈夫なんですよー!!!(^0^)!!!」
17日 【GPF 3回転倒 4位】
24日 【全日本 6位】
(肉離れ&足骨折中に)原宿に買物。 トリノ代表決定
(肉離れ&足骨折中に)エキジビション 4回転モドキでガッツポーズ
25日 「選ばれたのは私なんでぇ〜、次頑張ってってかんじですぅ。 デヘヘ」(TBS)
27日 zakzakに渡部絵美登場
28日 報ステ、キャンセル V6コンサート
biglobeアンケートでフィギュアの選考結果に納得出来ないが9割超えるも、アンケート消滅
1月*******
1日 フリーの曲を「はじめて聞いた時、涙が出たと選んだナンバー」
はノリが悪いから「蝶々夫人」へ変更と発表
2日 タイムズにスケ連の陰謀記事
2日 コーエン、浅田について「年齢制限は残念なこと」と発言
2日 (肉離れ&足骨折中)エヘヘブヒー浮かれまくり(報ステ)
4日 伊紙、スケ連の八百指摘ハラキリ記事
4日 (肉離れ&足骨折中)4回転、練習で成功 (サンスポ)
8日 トリノより帰国 (厳戒体制)
8日 「実は肉離れしていて、スケートのエッジが足の甲に刺さっていた」
と「イイワケしたくなかったんでぇ〜」とイイワケ(テロ朝)
10日 「12月のGPF前に足の小指骨折していた。だから今はジャンプの練習が出来ない」
とさらに矛盾だらけのイイワケ(日刊スポーツ)
かの国の企業も、信用ならないようだ。
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そして併合へ…
AYLI 〜As You Like It - 日本が寄生虫に…
そして併合へ…
ここまでの朝鮮半島の様子を理解した上で、日韓併合への道を理解しましょう
日韓併合までには紆余曲折があります。実際、当時の朝鮮を併合して帝国臣民に組み入れると、朝鮮人を日本人と同じ経済レベルにまで引き上げなければならない義務が生じます。予想される負担の大きさを考えると、当時の日本にとってもかなりの重荷であり少なくとも積極的に半島を併合したいと考えていた人間は日本側の高官としては少なかったのです。
現在の例を挙げると、西側経済で3位の実力を誇る西ドイツが東側でも優等生と称される東ドイツと統合しただけでも、西ドイツの外貨は吹っ飛び、経済不振にあえぐようになってしまうのです。当時、列強に仲間入りしたばかりの経済力しか持たない日本が、世界の最貧国とも言えるような朝鮮を併合したのですからその負担の大きさは…
簡単に言えば、戦後最大の負債と不良債権を抱えて今にも倒産しそうな左前の会社(朝鮮)と現在業績が赤丸付き急上昇中の新進気鋭の成長株な優良会社(大日本帝国)があると考えてください。この不良債権会社が倒産すると、優良会社が連鎖的に経営危機に見舞われてしまうような関係だったのです。優良会社はあれこれ手を尽くして倒産しないように支えてみるのですが、どうにも不良債権会社の幹部は経営を知らないようです。倒産の日は刻一刻と近づいてきます。
ここで、あんなヤツらに経営させておくとこっちも危険だから、いっそのこと合併しちゃったらどうか?という意見が出るのも当然で、もちろんここでは優良会社が一方的に負担を強いられるのですから対等の合併はありえません。また、不良債権会社は今までのルール(経営方針と言った方がいいかな?)は使えなくなり、優良会社のルールを受け入れることになります。なぜなら、不良債権会社のルールで業績が悪化しているのですから、経営の上手な会社のルールを受け入れるのは理の当然でしょう。
実際は優良会社の方では社員も幹部も反対意見が多かったのです。不良債権会社なんか抱えると、当時の優良会社の負担はあまりにも大きすぎたためです。それでも、なんの抵抗もなく吸収合併に至ったのは、不良債権会社の中に、吸収を強く望む勢力がいたからなのです。
併合を強く望む勢力とは一進会を中心とした憂国団体でした。彼らは今日では朝鮮半島で売国奴扱いされていますが、自らの国の現状を冷静に判断し、そして朝鮮にとって最善と思われる選択をした人たちです。
日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。丁未条約を締結することになったのも、やはりハーグ事件をおこした我々に責任がある。伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにごされたことは忘れられない。にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、今後いかなる危険が到来するのかわからない。これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。(中略)それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつくって世界の1等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らしてみよう。
1909年 12月4日 一進会(百万の朝鮮人会員)朝鮮時代、全権大使としてアメリカに渡った李成玉が各民族に接してみると、朝鮮人は米国人に軽蔑されているインディアンより劣り、その他メキシコ、インドなどの民族より劣っていることを知り、衝撃を受け、次のように述べている。「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことはできない。亡国は必死である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ。」
朝鮮全権大使 李成玉 「李完用侯の心事と日韓和合」「数千年にわたる過去の朝鮮史、ことに李朝五百年史だけをとりあげてみても、完全な独立の道などは一場の夢に過ぎないことはわが朝鮮自身の常識である。いわんや最近五十年の国際状況、特に日増しに険悪の度を増すこれからの世界史相を展望するとき、朝鮮が微弱なままに一度自立してみようというのは最初から問題にならないのである。してみると、今我々に残された唯一の道は、肉体的にも精神的にも内地人と同族になって、一切の権利と義務を同一に享受しようとする皇国臣民の道である。」
金文輯 「朝鮮民族の発展的解消論序説」ちなみに「ハーグ事件」とは1907年6月にオランダのハーグで開かれた第3回万国平和会議に、朝鮮皇帝・高宗(コジョン)が各国の支援をとりつけようと3人の密使を派遣した事件です。しかし、外交権がない中、会議出席さえかなわず、要するに世界から完全に無視されました。当たり前である。国と国との約束を軽々しく反故にする(現在の北朝鮮・中国・韓国の順にこの傾向が見られる)ような輩を世界は相手にしない。しかし、このことがきっかけで「第3次日韓協約」=丁未(チョンミ)条約を調印することになってしまいます。
当時も現在もそうであるが、全く対等に結ばれる条約などあり得ない。どんなに理想的な条約でも双方共に不満はあるがお互い妥協して条約を締結する。実際、日本も欧米列強各国から不平等条約を押しつけられていたが、その条約を世界一遵守した。力を示し、法治国家であり、議会制民主主義国家であることを示し、約束の守れる、信頼の置ける、頼りになる国家に成長することによって条約改正を達成していったのである。しかるに、中華思想に染まる中国・朝鮮には「約束を遵守する」と言う考え方がなかったの(対等の国交という概念がないのだから、その理由も分かるだろう)だ。ややもすれば現在もそうである。韓国は戦後結ばれた日韓基本条約(1965)が「韓国の窮状につけ込んで結ばれたから無効である」とか言い出している。朝鮮半島全体の個人補償が韓国の要求により韓国という国家に一括して支払われ、日韓請求権協定(1965)により「日韓両政府間では請求権の問題は完全かつ最終的に解決された」と条文にあるにもかかわらず、個人補償の訴訟が後を絶たない。現在ですらこうであるから、政治機能を喪失していた当時の朝鮮は推して知るべしであろう。
ともあれ、現在の半島では売国奴扱いされる一進会ですが、現状把握と状況分析と政策判断に於いて、当時の朝鮮国内で随一の能力を持っていたであろうことが分かります。
まとめとると、貧困極まる朝鮮、国力(軍事力)の無さは言語に絶し、日本でなくとも清の属国のままか、ロシアの植民地となり民族浄化の憂き目に遭ったのは疑い得ない。ただ、一部の賢明なる朝鮮人が「どうせ独立は保てない。それなら清・露より日がいい!!」と喝破したことである。それは、(先取りする形になるが)総督府の善政として結実し、彼らの先見の明が証明されることになる。日本にとってはいい迷惑なのですが…
1910年、日本が韓国を併合したのは(韓国の)新皇帝が「請願」したからであった。パールハーバー以前は、日韓関係について語る歴史家は、日本が欧米列強から教わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、といってほめるのだ。トリート教授によれば、日本は「一つ一つの手続きを外交的に正しく積み上げていた。そして、・・・宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成したのである。」
事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」手段を踏んでいなかった。
アメリカの鏡・日本ー ヘレン・ミアーズ何はともあれ、日韓併合は合法であった事実も併せて記憶しておいて下さい。これも無効だといいだす朝鮮人がいるのも閉口します。
朝鮮人は、朝鮮語を忘れてしまわなければならない。朝鮮人が日本語でものを考えたときこそ、朝鮮人が最も幸福になった時である。学校で朝鮮語を教える必要は全くない。朝鮮人を不幸にしようとするならば、朝鮮語を永続させて、朝鮮的な低級な文化を与え、それ以上の発達を阻止することである。
玄永燮 「朝鮮人の進むべき道」この考え方は、漢字以外に見向きもせず、ハングルが長い間忘れ去られた話を思い出す発言ですね。日本に事大しようとしているのは分かるのですが、余りにも行き過ぎです。ちなみに朝鮮総督府時代にも朝鮮語を禁止しようと朝鮮人から申し入れがあり、総督府はそれを退けています。
こうして併合に至ったわけですが、現在の朝鮮人があれほど怒る割には、併合時、全くといっていいほど抵抗がなかったのです。歴史的に俯瞰すれば、抵抗によって死んだ人は閔妃くらいじゃないかな?(要調査)まぁ、ほぼ0に等しい。例え、一進会という親日団体の存在を勘案しても情けなすぎる。
日本に編入されたのは台湾の方が朝鮮より15年ばかり早いですが、敗戦まで日本の領土でしたからこの2者は比較しやすいのです。しかし、現在の状況を見れば、朝鮮が徹底的な反日であるのに対して、台湾は親日国です。朝鮮が日本は悪いことしかしなかったと責めるのに対して、台湾は日本の統治の功を認めています。なぜ2者の間にはこのような差ができるのでしょうか?
日清戦争により割譲(1895)されることになった当時の台湾は、「化外(中華文明の及ばない)の地」「瘴癘(しょうれい、風土病)の地」と呼ばれ清国政府も余り関心がありません。台湾売却論まで出る始末でしたが、せっかく獲得した遼東半島を三国干渉によって放棄させられ、この上、台湾までなくなってしまうと、弱肉強食の世界で日本の防衛は危殆に瀕します。結局領土に編入することにしました。
当時、国家でもなく、単なる島に過ぎない台湾にはまともな武器もあろうはずもなく、清をも打ち破った日本に敵わない事は自明でした。しかし、敢然と日本の進駐に抵抗したのです。抵抗は烈しく、台南入城まで5ヶ月を要し、日本は帝国陸軍総数の3分の1にあたる5万人の兵、海軍は連合艦隊の大半を動員してやっと平定にこぎ着けました。日本側の死者は267人、台湾は1万4千人の死者を出しました。山岳地帯などでの武力抵抗が完全になくなるまで実に1902年までかかっています。
…うーん、抵抗のまるでなかった朝鮮とは較べものにならないくらい、台湾はもすごく犠牲者出してるんですけど。当時の日本に罪があったかどうかはともかく、領土編入の過程を見る限りに於いては、朝鮮より台湾に恨まれた方がまだ納得がいく。でも実際は逆。なんででしょうね?
正気の歌で有名な南宋の文天祥は、元に国が滅ぼされるとき敢然と抵抗し、滅びた後もレジスタンスとして活躍し、逮捕されます。しかし、フビライにその才を愛され、帰順の要請を受けますが、頑として肯んじえません。フビライは、あの手この手を使って説得を試みますが無駄でした。3年の土牢生活の後、最後の帰順勧告も受けず、ただ死を請うのみでした。フビライも仕方なく死刑にします。こうして文天祥は南宋の滅亡に殉じました。(フビライは彼を「真男子」と讃えています)
国が滅亡するときに殉じる人の質と量でその国の価値が分かるものです。もちろん南宋滅亡時には文天祥だけでなく多数の殉国者を出しています。作家の陳舜臣は「一人の文天祥がいるのといないのとでは、南宋という国家の輝きが大きく違ってくる(思い出しながら書いているからちょっと違うかも)」と言っています。
少なくとも、台湾は島とは言え、大日本帝国に正面切って闘いを挑み、編入当時300万人の人口のうち、1万4千人が殉じるほどの価値があったのでしょう。それにひきかえ1000万内外の人口を持つ朝鮮には…。
決して国のために死ぬことを強制しているわけでも賛美しているわけでもありません。しかし、まともな抵抗もせず国を亡くした朝鮮人と、勝てないと知りながらも戦った台湾人。両者の間に人間としての価値がやはり違うような気がしてなりません。そして、戦後の発言・態度を見ていてもそれはにじみ出ているような気がします。
この後にも朝鮮と台湾を比較することがあると思います。注意しておいてください。
Copyright (C) 2003 AYLI
【こんてんつ】
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2つの戦争 |
そして併合へ… |
朝鮮総督府 |
【関連記事】
・(H17.9.16)コリアV.S.大日本帝国
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大航海時代のキリスト教布教活動にみる日本への脅威
年末に、刀狩を終えて約250年もの間、平和となった江戸時代と日韓併合前夜のつなぎの記事を書きたいと思う気持ちが湧いてきた。何故なら、当時、日本に脅威を与えた欧米勢力の時代背景の説明に抜けがあるので、混迷した日本の様相が伝わり難いと思ったからである。
歴史教科書を読み返してもみたが、話が断片的なのでリアル感に欠ける。その理由は、”全「歴史教科書」を徹底検証する”で述べられていたような、豊臣秀吉の朝鮮出兵やキリシタン弾圧を感情的かつ針小棒大に非難する材料とでしか扱われず、逆に、ポルトガルやスペインのキリスト教布教と征服事業が両輪であったことにいち早く気付き然るべき処置を行った慧眼の持ち主である秀吉の功績を伏せていることに尽きると思う。
そこで、今回は、時代が前後して申し訳ないが、スペイン、ポルトガルによるキリスト教布教などの大航海時代をテーマとしたい。歴史や宗教にはあまり詳しくないので大きな間違いがあればご指摘頂ければ幸いである。
まず、スペイン、ポルトガルが位置するヨーロッパの周辺から説明させて頂くと、8世紀以降、地中海がほぼ全域にわたってキリスト教に敵対するイスラム勢力におさえられていた。
13世紀になると元が中国に加え地中海付近まで勢力を伸ばしてきた。陸路の治安が向上したことと、商人が通過するたびに税を取っていた無数の関所もなくなったことから、アジアとの物流が活発になった。ヨーロッパ勢もこれにあやかりたかったのであろう。
・モンゴル帝国の版図
世界史ミニ事典(付)・図表とコラム
しかし、13世紀末になると、地中海周辺にオスマン・トルコ帝国が成立し、ヨーロッパのキリスト教徒は、この地域を通過することができなかった。何故なら、この当時、イスラム勢力の方が、軍事(学問、芸術も)でヨーロッパ勢を圧倒していたからである。
次に、ヨーロッパについて説明させて頂く。14世紀は、ペスト菌の大流行によって人口の1/3が失われるほどの暗い時代であった。
ポルトガルとスペインが、やっとの思い出イスラム勢力を追い出し、国土を統一したのが15世紀頃である。肉食が増えていたが、肉の保存と味付けのためにアジアの香辛料が欠かせなかった。この香辛料はヨーロッパでは産出せず、同じ重さの金と交換されるほど貴重であった。
しかし、ポルトガルやスペインには、アジアで売れるものがない、人口激減の影響が続いて労働力もない、金もないといった状態で、アジアと真っ当には取引できる状況ではなかった。
・16世紀後半のアフリカ(大航海時代)
世界史地図理解
このような背景のもと、ルネサンスのイタリアにて天文学や地理学の知識が増し、帆船や羅針盤が発達し遠洋航海が可能となり、大航海時代が到来した。これが、種子島への鉄砲伝来やイエズス会のキリスト教布教といったかたちで、後々の日本に影響を及ぼすこととなる。
ちなみに、航海の途上で、到達したすべての陸地を、永久に領土とする許可が、以下のようにカトリックの本山であるローマ教皇庁から与えられている。
・ポルトガルとスペインによる地球分割計画
新しい歴史教科書
ポルトガル国王は、アフリカの南端をまわって東回りでインドにいたる航海の途上で、到達したすべての陸地を、永久に領土とする許可を、カトリックの本山であるローマ教皇庁からあたえられた。いっぽう、スペイン国王も、コロンブスが北アメリカへの探検で功績をあげると、領有の承認をローマ教皇に求めた。
1494年、大西洋を東西に分ける一本の線が引かれた。この線から東方で発見されるものはすべてポルトガル王に属し、西方で発見されるものはすべてスペイン王に属するという取り決めが両国のあいだで結ばれた(注2)。
さらに、16世紀に入ると、東半球でも両国間の領土分割線が定められた。当時のヨーロッパ人は、まるでまんじゅうを二つに割るように地球を分割し、それを自分たちが進出する領土とみなしたのだった。
注2、これをトルデシリャス条約という。
それでは、キリスト教布教と征服事業の両輪具合をご紹介させて頂く。
・悲しいメキシコ人
国際派日本人養成講座 平成9年9月20日
■2.自らの文化を失ったメキシコ人■
メキシコ人はアメリカに土地を奪われ、今は経済的に従属しているが、さらにかわいそうなのは、固有の文化・文明そのものをスペイン人に破壊されてしまったという点である。彼らの話すスペイン語は、その文化・文明を滅ぼした侵略者の言葉である。彼らの固有の神話、文学、宗教もすべて失われ、文化的には二流のスペイン人となってしまっている。
1521年まで、メキシコにはアステカ文明が栄えていたのだが、スペイン人コルテスの侵略に屈した後は、鉱山開発で過酷な労働を強いられ、天然痘などの流行もあって人口が激減した。さらにキリスト教宣教師が固有の宗教を破壊し、経済的にも教会が国の資産と土地の3分の1を占有した。人種の混合政策がとられ、スペイン人の血の濃さに従って、複雑な階層に分化した。こうした過程で、アステカ文明は根絶やしにされたのである。
また明治大学の入江隆則教授は次のように述べている。
・平和と環境保全のモデル社会-江戸
国際派日本人養成講座 平成10年2月14日
はやい話がスペイン人が現れる前には、中央アメリカの推定人口は7千万人から9千万人はいたとされているが、私がすでに書いたようにスペイン人の侵入のわずか一世紀後には、350万人に激減している。またこれも推定であるが、3千万人から6千万人に及ぶ黒人奴隷がアフリカからアメリカ大陸に連れ去られ、その三分の二が航海途上で死亡して、大西洋に捨てられたといわれている。こんなことは「近代世界システム」が始まる以前の、どんな時代にも起こってはいない。[1,p243]
(省略)
[参考]
1.「太平洋世界の復活(第10回) 鉄砲伝来とペリー来航」、入江隆則、VOICE 1995, 10月
ヒト、モノ、カネがない上に売れるものがないヨーロッパ勢が、高価な香辛料を得るための手段は、上述のように、キリスト教布教の名の元に他国を侵略し、先住民族の奴隷売買や、銀山での労働力などとしての活用であった。このように当時は、力(暴力)が正義の時代であった。
このような世界情勢を無視し、秀吉の朝鮮出兵を侵略と一方的に糾弾する自虐的な自国の教科書が学校教育で利用されることが残念でならない。
・朝鮮出兵を現在の価値観で裁断していないか
全「歴史教科書」を徹底検証する
【東京書籍】朝鮮侵略(1ページ)
【大阪書籍】秀吉の朝鮮への侵略(1ページ)
【教育出版】秀吉の外交と朝鮮侵略(13行)
【日本書籍新社】秀吉が朝鮮を侵略する(1ページ)
【帝国書院】秀吉による朝鮮侵略(14行)「秀吉による朝鮮侵略」というキャプションの地図あり
【清水書院】秀吉の対外政策(コラム「秀吉の朝鮮侵略」)(1ページ)(省略)
※カッコ内は、朝鮮出兵に割いている分量
さて、1521年からスペインによってフィリピンの植民地化が進み、この魔の手が、いよいよ日本にも及ぶようになってきた。この続きは、また後日述べたい。最後に、これまでの簡易年表を以下に記す(クリックにて拡大)。
【関連記事】
・(H17.12.17)日韓併合前夜
・(H17.12.25)偉大なコリア教授のお話を聞け!
・(H18.01.14)大航海時代のキリスト教布教活動にみる日本への脅威
・(H18.02.13)秀吉の慧眼によって救われた大航海時代の危機
【参考書籍】
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2つの戦争
AYLI 〜As You Like It - 日本が寄生虫に…
2つの戦争
極東のこの戦争(日清戦争・日露戦争)を取り巻く状況には注目すべきことが多い。中でもとりわけ目立つのは、ミカドの軍隊の勇気と戦いぶりである。我々は不本意ながら、日本のすべての人間の行動を支配し動かす精神力の存在を認めざるを得ない。この力はいったい何なのか。その存在を感じると、妬ましく、落ち着かず、腹立たしくさえある。勇気は西洋にとっても珍しいことではない。が、これは単なる勇気ではない。その背後にもっと違う何かがある。もし、西洋の軍隊がそれをもっていたら、西洋のすべての国の軍旗は絶対に汚されることはなかったであろう。そういう何かである。これは何か。これは何か。これは何か。・・・・・
1904年10月4日 ロンドンタイムズ紙朝鮮が中華思想と事大主義と儒教に取り付かれて国力を疲弊させている間にも国際社会は激動しています。列強と言われる国々は植民地を求めて動き回り、アフリカ・アジアの大部分は植民地と化しています。朝鮮半島を狙う勢力は清と帝政ロシアです。清は中華思想の原理そのままに「朝鮮は我が属国」と思っており、朝鮮の方でもそう思っているフシがありました。ロシアは不凍港を求めての南下政策が基本でしたから(この頃、ヨーロッパ方面でトルコ帝国とかはロシアにさんざんいじめられている)、アジア方面で目指すのは朝鮮だったのです。
よく言われる言葉ですが「日本にとって朝鮮半島は地政学上、咽元に突きつけられた匕首のようなものである」という言葉通り、帝国主義の華やかなりしこのご時世、日本にあまりに近い朝鮮半島に列強・帝国と呼ばれる勢力が入ってくると、日本にとっては死活問題になるのです(地図見て考えてね)。
日本の望みは朝鮮の真の独立でした。清の属国やロシアの属国が朝鮮半島に存在するのは困りますが、独立した朝鮮であればそれで全然大歓迎という立場だったのです。と、いうより、併合して朝鮮というお荷物を抱えたくないというのが真相だったかもしれません。先の江華島条約でも、独立をうたっていました。
日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度こそ、韓国を中国からの呪縛から解放しようとしているようだ。韓国国民に平和と繁栄と文明開化をもたらすことによって、力の弱い隣国韓国を安定した独立国にしようと考えている。こうした日本の動機は韓国知識層である官僚の多くが歓迎している。アメリカにも異存はないと思われる。
1894年7月29日 韓国駐在 アメリカ シル代表まず、清の属国と化している朝鮮の独立のため戦争が起こりました。color=#ff0000>日清戦争(1894〜)*1です。日本が朝鮮の独立を望んでいるのに、事大主義朝鮮は清への服属を望みます。格下日本への蔑視もあったでしょう。とにもかくにも清を追い払わないことには朝鮮の真の独立は達成できません。コトの詳細はさておき、日本の勝利に終わったことは皆様ご存知の通り。下関にて日清講和条約が結ばれます。
第一条 清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス因テ右独立自主ヲ損害スヘキ朝鮮国ヨリ清国ニ対スル貢献典礼等ハ将来全ク之ヲ廃止スヘシ 条約の第一条は最も重要な条文です。清国は「朝鮮が完全無欠なる自主独立の国であることを確認し、朝貢とかそういう主従関係を示す行事はこれから一切取りやめねっ!」と。これが一番言いたかったことなんです。日本が朝鮮の独立のため戦ったことがこれで分かるでしょう。
実際に朝鮮は1897年に、明の皇帝に認めて貰った国号・朝鮮を大韓帝国と改め、今まで中華の天子にしか許されていなかったcolor=#ff0000>皇帝を名乗れるようになるのです。形の上かもしれませんが、明らかに華夷秩序からの離脱を果たしています。
ここで問題なのは次の項。
第二条 清国ハ左記ノ土地ノ主権並ニ該地方ニ在ル城塁、兵器製造所及官有物ヲ永遠日本国ニ割与ス 第二条の一 左ノ経界内ニ在ル奉天省南部ノ地
鴨緑江口ヨリ該江ヲ溯リ安平河口ニ至リ該河口ヨリ鳳凰城、海城、営口ニ亘リ遼河口ニ至ル折線以南ノ地併セテ前記ノ各城市ヲ包含ス而シテ遼河ヲ以テ界トスル処ハ該河ノ中央ヲ以テ経界トスルコトト知ルヘシ
遼東湾東岸及黄海北岸ニ在テ奉天省ニ属スル諸島嶼所謂(いわゆる)、三国干渉と呼ばれるものが発生します。この条約によって日本は清から遼東半島を割譲されるはずでしたが、ロシア、フランス、ドイツの三国からの「やめろや、なぁ?」という脅しに屈した事件です。この時代の帝国主義は暴力団の抗争のようなものなのです。干渉する方もメンツがかかっており、干渉を無視されたら日本に「懲罰(武力行使)」して「勝つ」自信がないとできない行動です。このときの日本の実力ではこの三国の干渉を撥ね退ける力はありません。無体な要求を呑む屈辱は耐え難いものがありましたが、断腸の思いで泣く泣く遼東半島はあきらめました。これが「三国干渉」のあらすじです。この屈辱の事件以降、「臥薪嘗胆」をスローガンに日本の富国強兵はいっそう加速します。
日清戦争は日本からみれば、完全な成功だった。西洋列強は喝采し、日本における彼らの「特権」を相次いで放棄した*1。そして、日本を対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王は中国皇帝、日本天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。
アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ大韓帝国と名を変えても朝鮮は事大主義のままでした。これを見ていた朝鮮はこう思ったのです。「日本よりロシアの方が強いんだ…」と。その通りです。この時点では日本はロシアに勝てません。ここで事大主義(勢力の強い方になびく)の本領発揮です。(やっぱりというかなんというか)李氏朝鮮はロシア(が次の親分だーい)に擦り寄る姿勢を見せたではありませんか。だってロシアのほうが大な(強い)んだもーん。ロシアに事大されてしまっては、宗主国が清からロシアに変わるだけで「朝鮮の独立」という目的は達成されないことになってしまいます。
日清戦争は動員兵数24万人、戦傷者115419人、戦死者13309人、軍費2億円
次はロシアに事大しようとする朝鮮。朝鮮に対するロシアの干渉を排除するため、2つめの戦争が始まります。日露戦争(1904〜)*2です。この戦争が始まってすぐ、1904年2月には日韓議定書を結んで日本軍の半島往来の自由を確保しています。当たり前です、朝鮮防衛戦のようなものですから。そして同年8月には第一次日韓協約(日韓保護条約)を結び、親清・親露と揺れ動く韓国にムカついて外交権を接収、保護国とし、首都漢城(ソウル)に統監府をおいて、伊藤博文が初代統監となりました。
「日清戦争後間もなく、ロシアが手を韓国にのばすや、韓国はそれをとがめぬばかりか、韓国独立のために謀る日本を嫌厭した。韓国は自国の独立の為には、不利なことは判りながらロシアに追従したではないか。日清の役から日露の役に至る十年間、韓国は奮って、独立の要素を滋養しなければならなかった時期であったにもかかわらず、これを顧みず、或いは右に傾き、或いは左に傾いて、その為ついに、日本が韓国のためにロシアと戦わねばならなくした。故に今日、日本が韓国の外交権を掌中に収めたのは、当然のことである。何故ならば、これを依然として、韓国人の手中に収めて置くとするならば韓国は何時までも、列強の競争場となり、日本のために極めて危険だからである。然るに韓国人は、今日にいたっても尚、外交権を回復するだけの実力を養う努力をしようとせず、しきりに、他国の援助によって、これを日本から取り去ろうとしているようである。けれども、どんな国にせよ、他国のために自国の財力と国民の生命を供するものではない。およそ、国家は、自ら独立する要素なくて、単に、他国に寄りかかっているだけで、立っていけるものではない。今日のままで進むとすれば、韓国を亡ぼすものは、他国ではなく、韓国自身ではなかろうか。故に諸君は反転表裏なく、専心一意、韓国のために謀らなければならない。日本は諸君を助けて、韓国を独立させるよう多力しつつある。然るに韓国人は日露戦争のような大激戦を目撃しながら、尚、覚醒しないのは何事であろうか。そうだ。韓国を亡ぼすのは日本人ではなくて、内外の形成を察せず、無謀軽挙を事とする韓国人である。自分は韓国の改革に絶望した事もしばしばである。然しながら、韓国の形勢に顧みて、忍耐して従来の方針を改めないる国は自ら立たなくてはならない。今日のように進むならば、韓国はもはや、自滅の外ない。」
伊藤博文公が韓国の官僚たちに与えた訓示実力を養おうとせず、他国の援助によって物事を達成しようとするのは典型的な事大主義です。ともあれ、この戦争は知っての通り、ギリギリで日本が勝ちます。
朝鮮の独立をめぐっての戦争のはずだったのに世界史に意外な効果をもたらしました。アジア・アフリカの植民地化が始まって以降、「白人に有色人種は敵わない」のが絶対の法則として世界の常識でした。しかし、極東のイエローモンキーが白人国家に勝ってしまったことにより「黄色人種(白人以外の人種)でも、白人に勝てるんだ!」。この世界の常識を破った衝撃は列強(=白人国家)に植民地支配されていたアフリカ・アジア・その他の民族に大きな勇気を与えたのです。日露戦争の勝利以来、日本は有色人種の旗手として認められたのです。あ、ついでに列強の仲間入りをしました。例えばトルコ、在米黒人、ベルサイユ条約における日本の提案…等
日露戦争後、アメリカは「事実の論理」を認め、韓国から代表を引き上げた。韓国皇帝はセオドア・ルーズベルト大統領に訴えたが、大統領は「韓国は自主統治にも自衛にもまったく無能力であることがはっきりした」として、介入を拒否した。日本によって「その後三年の間に、現地情勢に詳しい外国人たちの賞賛を勝ち得るような改善が多く実現された」と書いたアメリカの歴史家もいるのだ。 この「朝鮮は無能力」というレッテル・評価はつきまとい、戦後もそれは悲劇を呼びます。しかし、今、半島を見ていると…それはレッテルではなく、正当な評価のように思えてなりません。
日露戦争は動員兵数109万人、戦傷者381313人、戦死者81455人、軍費18億円
初代統監・伊藤博文公は一貫して「韓国併合に反対」する立場の人でした。朝鮮を真の自主独立の邦として立ち行かせるのを目的として、日本国内の征韓論者を抑えていました。ところが伊藤博文はハルビン駅で暗殺(1909)されます。犯人は朝鮮人の安重根(アンジュングン)。この後、強力な反対者を失った征韓論は勢い付き、程なく日韓併合(1910)に至るのです。現在、安重根は反日国家・韓国では英雄です。しかし、2つほど気になる点がある。いくら取り繕おうとも安重根は一介のテロリストであって、テロリストを英雄視するのはいかがなものかと。2つめは安重根の伊藤公暗殺の動機である。「今ヲ去ル四十二年前現日本皇帝ノ御父君ニ当ラセラルル御方ヲ伊東サンガ失ヒマシタ其ノ事ハ皆韓国民ガ知ツテ居リマス」つまり「伊藤博文は孝明天皇(明治天皇の父)を殺害した。そのことは韓国民は良く知っている」と言っているのである。安重根は皇室に不敬のあった、あるいは天皇陛下の意に反した(と、彼は考えていた)伊藤を殺害に及んだのであって、「伊藤が韓国を併合しようとしていた」と誤解して、それに反対して暗殺したのではないという…反日韓国的にはマズくないかい?
ちなみに伊藤博文公暗殺に関して各国は以下の通り。
「伊藤公暗殺」に対するロシア人の論調
<思えば思うほど情けない限りである。最後の大戦争(日露戦争)以前に伊藤公爵が言われたことを、もし、ロシアが聞いていたら、あの悲惨な戦争も、ロシアの敗戦という不名誉もなかったのである。伊藤公爵のハルピン来訪目的は、わが大蔵大臣との外交上の空しい儀礼的なものでなかったことは、誰もが知っていた。伊藤公は「ロシアは満州から去れ」などという、一点張りの主張をする人ではない。尊敬すべき老大偉人の逝去は、日本の損失ばかりでなく、わがロシアの損失であり、韓国が大損失をこうむることは必至である。>
東清鉄道長官 ホルワット少将 「ハルピン・ウェストニツク紙」「伊藤公暗殺」に対してのイギリス人の論調
<公を泰西の政治家と比較するに、公はビスマルクの如く武断派ではなく、平和的であったことはむしろ、グラッドストーンに類するところである。
財政の知識が豊富であったことはビールにも比すべく、策略を行うに機敏かつ大胆であったことは、ビーコンスフィールドに似ている。公はすべての大政治家の特徴を抜粋して一身に集めた観がある。殊に公は驚くべき先見の明を有し/要するに四十余年の永きにわたって終始一貫、国家の指導者たる地位を占めたのは、実に千古の偉観というべきである。>
「伊藤公の性格」ブリンクリー主筆 イギリス紙「ジャパーン・メール」「伊藤公暗殺」に対する韓国皇帝の論調
<伊藤を失ったことで、東洋の人傑がいなくなった。公はわが国に忠実正義をもって望み、骨を長白山に埋めて、韓国の文明発達に多くすと揚言していた。日本に政治家多しといえども、伊藤のように世界の大勢を見て、東洋の平和を念じた者はいない。実に伊藤はわが国の慈父である。その慈父に危害を加える者があるとすれば、物事の理事を解さない流浪人であろう。>
十月二十七日 太皇帝(高宗)
<伊藤を失ったことは、わが国といわず、日本のみならず、東洋の不幸である。その凶漢が韓国人とあっては、赤面のほかない。>
十月二十八日 太皇帝(高宗)ともあれ、伊藤博文の政治は海外からこのような評価を受けています。
私の見るところをもってすれば、伊藤侯の統治は最大なる賞賛に値するべきものであり、大変満足しております。韓国国民は今やようやく、彼をもって自分達の友人であると知って、これを事実の上に現し始めました。過去三年の間における韓国の進歩の大きいことは、実に私をして統監政治の最も熱心な支持者であることを告白せしめます。私は伊藤侯の必ず成功すべきことを信じて疑わないものであり、また、すべての宣教師及びその他の韓国における文明開発の義務を知る者は、等しく伊藤侯の統治を支持しなければならないと思います。
宣教師 ハリス博士伊藤博文公は世界周知の如く日本の最も偉大かつ、有名な政治家である。彼の韓国赴任は、たいへんな自己犠牲であった。伊藤公が、その韓国改善のプランを打ち明けたとき、私の心は躍った。そこには改革、公正、斡旋があった。(李朝朝鮮)が犯したあらゆる誤りがそこでは救済されるはずであった。「私は、自分が韓国国民と日本国民との間に立って、両者の間に正義がおこなわれるようにすべき立場に立っていると思う」と公はそう言明したのである。
カナダ人ジャーナリスト フレデリック・アーサー・マッケンジー 1906年 ロンドン・ディリーメール紙韓国は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。高い政治道徳を重んずる進歩的であり、円滑である伊藤総監によって、韓国人は暗黒時代から光明世界に導かれ、未開時代から文明時代に進むべく手を取られて進みつつあり、旧来の久しい悪政から免れ、彼らの生命財産は確実に保護されつつあって、あらゆる面において、三年間に三倍の進歩を遂げた。
韓国在住 宣教師ラッド博士朝鮮の王室と政府は腐敗堕落しきっており、頑迷な朋党は、人民の財を略奪している。その上、人民はあまりにも愚昧である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地になるだろう。伊藤博文総監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。
アメリカ人の朝鮮外交顧問 ドーハム・スティーブンソン戦後の日本はヘタレと言われるが、それでも小泉首相が韓国人に暗殺されたとしよう。おそらくかなりの騒動になるね。もし、仮に天皇陛下が…考えるのもイヤだけど、もしそうなったらすぐに憲法改正の後(やんなくてもいいけど)、核装備、速やかに朝鮮半島消滅くらいの行動は取るね。少なくとも俺はやる。安重根がやったことは日本のタカ派を刺激しただけだったという…現在、天皇陛下が半島を訪問しない理由はここにある。未だにテロリストを賛美するような国で、陛下のご訪問時にもしものことが起こったら、日本を戦前・戦中以上のイケイケ軍事国家にしてしまう危険性があるのだ。また、高円宮殿下が半島を訪問してすぐに薨去(こうきょ)されたことは、あの国のあの法則を補完するものとして、しっかり心に刻み付けます。
Copyright (C) 2003 AYLI
【こんてんつ】
日韓併合前夜 |
事大主義の悲劇 |
李朝末期 |
2つの戦争 |
そして併合へ… |
朝鮮総督府 |
ついでに、「あの国のあの法則」の内容と、その事例を以下に記す。
・あの国のあの法則
魔の法則
檀君の呪い
《絶対法則》
第一法則
国家間から企業、個人に至るまで、あの国由来の想念と同調する者に災いが訪れる。
第二法則
第一法則において、あの国が抜け駆けをするとあの国のみが災いにみまわれる。
第三法則
第一法則において、あの国から嫌われると法則を回避できる。
この時、嫌われる度合いと回避できる割合は正の相関関係にある。
第四法則
第一法則において、あの国と縁を切った場合、法則を無効化出来る。
第五法則
第一法則において、一方的にあの国と商売を行い利益を得る場合、 法則は発動しない。
第六法則
(法則の逆発動)
第3・第4則において、あの国と縁を切る、あの国の面子を損なうなどの行為を行い
あの国由来の嫌悪の念を受けた場合、 「法則の逆発動」にて運気や業績その他、
全ての面に置いて運勢の急激な回復、若しくは上昇傾向が期待出来る。
・7【ソニー関連発動】 05/05/12 12:31
あの国のあの法則
既に失敗が決定的となったPSP、韓国で今月2日に発売
それにより追加発動・・
ついに任天堂にTKOパンチをブチかまされ、
死刑宣告を下されてしまう・・
786 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2005/05/09(月) 17:55:23 ID:Uc1qiJnj
こっちにも張っとくか
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20050509/ninten.htm
・販売店など全国1000箇所にDSのアクセスポイントを設置する
・自宅からでもWiFi対応のルータから接続可能
・任天堂ソフトのサービスは一切無料
・サードパーティーのソフトによっては月額課金もありえる
787 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2005/05/09(月) 17:56:14 ID:terw11Hr
> 無線LANスポット開設、ユーザーのAPも使用可能!!
> 任天堂、岩田社長よりWiFiを利用した
> 無線通信サービスに関するコメントを独占掲載!!
>;ttp://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20050509/ninten.htm
PSPゲームシェアリングに死刑宣告キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!
SCEK、韓国発売のPSPにブラウザソフト同梱。公衆無線LANとの連携も
http://bb.watch.impress.co.jp/cda/news/9289.html
Sony Computer Entertainment Korea(SCEK)は、韓国で5月2日に発売するPSP(プレイステーション・ポータブル)にブラウザソフトを同梱することを明らかにした。専用サイトにアクセスし、コンテンツのストリーミング視聴などが可能になる。
韓国で発売されるPSPは、日本国内で販売されているPSP バリュー・パック(PSP-1000K)にクリーニングクロスや映画「スパイダーマン2」のUMDビデオ、ブラウザや動画/音楽プレーヤー機能などを搭載したネットワークユーティリティディスクのUMDが同梱する。標準価格は328,000ウォン(約34,800円)。
韓国の通信事業者KTとも提携しており、KTの公衆無線LAN接続サービス「NESPOT」のPSP向けプラン「Nespot Service for PSP」も用意される。ネットワークユーティリティディスクを使用してNESPOTにアクセスした場合、SCEKの専用サイト「PSP Club」とNESPOTの専用サイトが利用可能。SCEKのサイトではゲーム情報やトレイラー、ゲーム音楽といったコンテンツが、NESPOTではストリーミング形式で視聴できるVODコンテンツなどが用意されるという。
Nespot Service for PSPは5月2日から7月31日までは無料で利用できるほか、PSP NESPOTを契約したユーザーにはKTの無線LANルータに加えてPSP用レースゲーム「Glorace」が10万本限定で提供される。Gloraceは無線LANを介したオンライン対戦も可能だという。Nespot Service for PSPの月額料金は5,000ウォン(約530円)。
ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCEI)は今回のNESPOT対応について「無線LANのインフラが整っている韓国ならではのサービス」と説明。日本での公衆無線LANサービス対応は現在のところ未定だという。
【関連記事】
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偉大なコリア教授のお話を聞け!
・産経黒田氏による、黄教授論文捏造事件の分析
mumurブログ
産経新聞
韓国、過剰な「愛国」暗転
【ソウル=黒田勝弘】韓国での世界初の研究成果は“偽造”だった−。内外を騒がせていた黄禹錫ソウル大教授の“ES細胞培養成功”をめぐる疑惑に対しソウル大調査委員会はクロと判定した。最終調査にはまだ時間がかかるというが、黄教授が研究成果として公式発表した米科学雑誌掲載の論文は「データ捏造による虚偽」と断定された。
この結果、黄教授はもちろん、国を挙げて彼をもてはやしてきた韓国は「生命工学の最先端国」から一転して「ニセモノ科学の国」になってしまった。今回の捏造疑惑追及が外国からの指摘ではなく、国内の研究者やマスコミによる一種の“内部告発”によるものだったことは救いだが、韓国の国家イメージ失墜は避けられない。
世界まであざむく結果となった“黄教授騒動”の背景については(1)韓国でよく見られる成果や業績を急ぐあまりの拙速(2)国際的な配慮や慎重さを欠いた視野の狭い「やっちゃえ」主義(3)政権の業績にしたい政府の過剰な期待と支援(4)「やった、やった!」あるいは「ウリナラ(わが国)最高!」的な世論の愛国主義−などが複合的に重なった結果といわれる。
韓国ではこれまで、黄教授を世界に誇る最高の科学者として国を挙げて英雄視し「ノーベル賞確実」などともてはやしてきた。とくに問題の「ES細胞」は人間の臓器を自由につくる可能性を開く「夢の万能細胞」といわれる。将来の医療ビジネスの最高の“商品”として米英など先進各国が研究、開発に血眼になってきた分野だ。
このため、韓国では「黄教授の研究成果によって人類が難病から救われる」などとして、早速、国際的な“ES細胞銀行”を目指しソウル大に「世界ES細胞ハブ」が設置された。政府は黄教授に今年度だけで約三百億ウォン(三十五億円)の支援をしている。韓国は今後、生命工学を含む世界の先端医療の中心(ハブ)になるということだった。
この結果、ES細胞の話がマスコミに登場しない日はないほど黄教授は国民的な人気者になった。国民すべてがまるで生命工学の専門家になったようにES細胞や黄教授のことを話題にするといった社会的熱狂が続いた。黄教授の疑惑を最初に提起したMBCテレビは“国家的裏切り者”あるいは“非国民”として世論の非難を浴び、愛国デモに押しかけられたり広告拒否や番組中断に追い込まれた。
国際的に競争が激しい先端科学では、学術論文や研究成果の捏造は先進国を含め各国でままある。しかし韓国ではそれが愛国主義に結びついた。世論が一色となって異論、異見を許さない雰囲気になるのだ。“反日”のような外交、政治問題はもちろんとして、今回は冷静な学問的判断が求められる科学分野にまでそれが広がった。事件の反省点として「過剰な愛国主義」も挙げられている。
さすが、産経の黒田さん。
問題点をビシッと的確に指摘してます。
今回の事件の面白さは、二つに大別できます。
・科学者が捏造を行った
・捏造の指摘に対する国民の反応
このうち、前者は世界中どこでもありうること。
一方、後者は韓国に特有の問題。コリアウォッチャーとしては、ここが見所。
更に黒田氏は、韓国人の過剰な愛国心を反日とも結び付けている。
彼らが歴史捏造を繰り返すのは、その過剰な愛国心故なのである。
本日は、コリア教授つながりということで、再度「稲」の話題に触れてみたい。
ヲシテ文献によると種籾の発見と栽培法を考案されたのが「ウケモチ」さんとされている。一方、旧来の学説では、中国の雲南地方からインドのアッサム地方が発祥の地で、そこから朝鮮半島経由で日本に渡ってきたとされる説が強かったようだ。
・偉大なるコリア!
大日本焼肉文化研究所
Q1 日本に住む私たちの主食である米は、いつどのようにしてつくられるようになったのですか? 米の栽培種の発祥の地は、中国の雲南地方からインドのアッサム地方にかけての地と考えられています。そしてその米がどのような道を通って日本列島へやってきたかは様々な説がありますが、有力な道は中国を経て紀元前の5世紀頃(今から2500年ほど前)に朝鮮半島から日本列島へ伝えられたとする説が有力です。
実はジャポニカ米は日本で品種改良され、大日本帝国が朝鮮、満州に伝えた。
だから現在ジャポニカ米を食べるのは満州、朝鮮、日本だけである。
日本より寒い朝鮮から稲作が伝わるなどちゃんちゃらおかしいw
しかし、この学説の考え方も、変わってきたようである。中国の長江下流の河姆渡(かぼと)地方で朝鮮半島の稲に存在しないDNAをもったより古い稲が見つかったからである。
・稲のたどってきた道
at home こだわりアカデミー
身近な存在にも関わらず、意外と謎の多い植物「稲」
―― 先生のご著書『DNAが語る稲作文明』を、大変興味深く読ませていただき、これまで私達が学校で教わってきた日本の稲作の起源や縄文文化の通説を次々と覆していらっしゃる内容に驚きました。今日は、日本の稲作の起源を中心にお話を伺いたいと思います。
ところで先生は、やはり遺伝学の見地から稲の研究を始められたのですか?
佐藤 育種学(※)から稲の研究に入り、今でこそDNAを使って研究をしていますが、もともとはフィールドワークが中心で、これまで日本に限らずアジア各国で調査研究をしてきました。
―― 先生が研究を始められた頃、稲作の起源については、どのように考えられていたのでしょうか?
佐藤 インドのアッサムや中国の雲南が起源だというのが通説でした。この説は、1977年に発表されたもので、建物の煉瓦に含まれているモミの長さなどを元に推測したものだったのです。
それまで稲の起源については、議論はされていても、科学的な根拠などが乏しかったので、この説は当時としては非常に説得力のあるものでした。
―― 「でした」ということは・・・。
佐藤 実は「アッサム−雲南説」が発表される4年前に、中国の長江下流の河姆渡(かぼと)という地で、今から7000年前の遺跡が発見され、そこから炭化米や稲作に使われていたと思われる道具などが出土したんです。しかし残念なことに、当時は、それがあまり重要ととらえられず、大した調査もされなかった・・・。
―― それほどまでに、「アッサム−雲南説」が強かったともいえますね。
佐藤 はい。しかしここ数年の調査で、河姆渡からは栽培稲だけでなく、栽培稲の先祖に当る野生稲の痕跡が発見され、さらに野生稲から栽培稲へと変っていった痕跡も発見されています。以前は7000年前という年代の真偽が問われたこともありましたが、現在、最も信頼できる手法を用いて出土したモミを測定したところ、確かにその時代のものだと証明されています。それで私は、稲作の起源は長江流域にあるのではと思うようになりました。
※育種学・・・作物の選抜や交配により、有用な品種を作り出すことを育種という。有用な遺伝的変異の発見と作出、遺伝的変異の選抜と固定、有用品種の増殖と普及を主なテーマとした、育種技術に関する総合的な学問
水田栽培だけが稲作ではない!?高度な技術は不要?
―― 7000年前の稲作というのは、どのようなものだったのか、興味が湧きますね。
佐藤 その前に、稲は、大きく分けるとインディカとジャポニカの2種類あります。さらにジャポニカというのは、温帯ジャポニカといって一般に水稲と呼ばれている水田栽培向きの品種と、熱帯ジャポニカという一般に陸稲と呼ばれている畑作向きの品種の2種類に分れます。
―― インディカというのは、私達にはあまり馴染みのないものですね。
佐藤 そうですね。私達に馴染み深いのは、やはりジャポニカです。実は私は、この長江流域を起源とする品種もジャポニカだと思っているんです。またその栽培方法は、ただ地面にモミを播くだけという雑駁(ざっぱく)農耕だったのではないかと考えています。
というのも長江流域というのは湿地帯ですから稲の栽培に向いている。モミを播くだけで稲が育つんです。現にアジア各国をまわってみると分るのですが、水田で稲作をしているのは半分くらい、あとの半分は今でも雑駁農耕が行なわれています。
佐藤 実は「アッサム−雲南説」が発表される4年前に、中国の長江下流の河姆渡(かぼと)という地で、今から7000年前の遺跡が発見され、そこから炭化米や稲作に使われていたと思われる道具などが出土したんです。しかし残念なことに、当時は、それがあまり重要ととらえられず、大した調査もされなかった・・・。
―― 稲作というと水田と思いがちですが・・・
佐藤 ところが、稲作は水田でなくてもできるのです。現在の日本の稲作は水田栽培が中心で、縄文時代晩期に渡来人達によって持ち込まれたとされていますが、じゃあ水田栽培以外の稲作は、日本では行なわれていなかったのだろうか、ということになります。
―― 何か発見があったのですか?
佐藤 はい。実は縄文時代の地層から、稲のプラントオパールが続々と検出されるようになりました。プラントオパールとは、植物の細胞にたまる0.05・程のガラス状のケイ酸の塊が地中に残ったもののことで、このプラントオパールにより過去の植生や栽培植物の種を判別することができます。最も古いプラントオパールというと、岡山の朝寝鼻貝塚の土の中から、6000年前のものが検出されています。
それで1990年代に入って、ようやく縄文時代にも稲作があったということが考古学界でも認められるようになりました。
(省略)
朝鮮半島には存在しない、中国固有の水稲が出土!
(省略)
佐藤 これだけじゃないんですよ。実は、大阪の池上曽根遺跡や奈良の唐古・鍵遺跡から出土した2200年以上前の弥生米のDNA分析を行なったところ、朝鮮半島には存在しない中国固有の水稲の品種が混ざっていることが分ったんです。
(省略)
これにより、稲のDNAが朝鮮半島のと異なることに加え、そもそも寒い朝鮮半島を経由して稲が日本に伝わることに対する疑問とから、稲が直接中国から日本に伝わったという説が認められてきたようだ。
・稲の道
日本人はるかな旅展
稲は、中国の長江中・下流域で、約1万1000年前に栽培が始まったといわれます。その後、稲作は、この地域から北上して黄河流域まで一部伝わり、さらに東進して朝鮮半島には約4000年前ころに伝わりました。日本には、約2500年前に稲作の技術を身につけた人々が朝鮮半島から渡来して水田稲作が始まったとする考えが、土器や石器あるいは人骨の研究から有力です。ただし、最近では、稲のDNAの研究によって、中国中南部から直接渡来したという考えが提唱されています。なお、縄文時代にすでに陸稲の稲作が一部にあったとする説が定着しつつあります。温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカの混合により耐寒性のある早生ジャポニカの品種が誕生したと考えられています。
しかしながら、根強く朝鮮半島経由で稲を日本に伝えてあげたと主張するコリア教授のような人達がいるのも事実である。
・偉大なコリア教授のお話を聞け!
大日本焼肉文化研究所
2001年8月24日(金) 読売新聞朝刊
NIE特集 もっと知りたい隣の国 日・韓・北朝鮮 日朝密接2400年 李進煕・和光大名誉教授に聞く 日本列島と朝鮮半島とは、長い交流の歴史があります。日本での生活が50年以上になる韓国人、李進煕(リジンヒ)和光大学名誉教授(72)=考古学、写真=に交流の歴史についてうかがいました。
稲作技術 伝来
朝鮮と日本の交流は、縄文時代に始まっていたと考えられます。紀元前4世紀ごろ、稲作技術が、朝鮮半島から九州北部に石包丁などの道具とともに伝わりました。
凡人
おや?朝鮮民族が白米を食べるようになったのは朝鮮総督府時代からでは?
そもそも、なぜ南コリアでは縄文土器が出土するのですか?
なぜ曲玉などが出土するのですか?
ちなみに稲作は中国から日本に伝わった。
そもそも、朝鮮から日本に稲作は伝わらない。
だいたい今でも北朝鮮で稲作なんかしているのか?pu
あんな寒い地区でw
朝鮮から稲作が伝わったのなら、シベリア、北方領土からも稲作が伝わった可能性があります!
大変だ!
歴史が変わる!
なぜ朝鮮からだとわかるかというと、食べているコメの種類と石包丁が同じだからです。ジャポニカ種というコメを食べているのは朝鮮、日本に限られた地域だからです。紀元前1世紀には鉄器や青銅器が入ってきます。
凡人
そりゃ日本から朝鮮に伝わったのだから似ていて当然だろ
南コリアでは倭人が稲作をしていました。
だから縄文土器や、曲玉、前方後円墳が出土しますが、破壊に忙しいそうですpu
南朝鮮では前方後円墳が出ると破壊して、証拠を隠滅しています。
なぜなら、日本が南朝鮮を支配していた証拠になるからです。
いわゆる任那日本府です。
(大爆笑紀元5、6世紀になると、様々な技術を持った多くの人が日本に渡って来ました。
凡人
ただの難民だろ?
そのころ朝鮮半島は内乱状態で、これを逃れてきた、いわゆるボートピープルです。安定した食料であるコメを得たうえ、彼らが伝えたかんがいや堤防の技術により農業が発達、その後の日本社会に大きな影響(えいきょう)を与えました。
凡人
で、なんで日本には朝鮮の影響を受けた物がほとんど無いのに、なぜ朝鮮語の7割以上が日本語なのですか?鎖国下も特別な関係
室町時代の両国の交流について、教科書ではあまり触れていませんが、なんと言っても木綿(もめん)が挙げられます。朝鮮で生産された木綿がたくさん日本に輸入されます。麻や絹しか知らなかった日本人にとって画期的なことでした。この「もめん」という言葉は、韓国語の「モンメン」から来ているのです。
凡人
モメンという呼び方は朝鮮総督府が教えたのでは?
昔は別の呼び方をしていたはずだが。
木綿を教えたですか?
絹を作る高度な民族に、ぼろの木綿を教えるとはw
飛行機に乗っている人に、自転車の乗り方を教えてやる!
と自慢しているのと同じですね。
爆笑その後、朝鮮との関係は豊臣秀吉による二度の朝鮮侵略(しんりゃく)で悪化しましたが、徳川家康は関係回復を図り、条約を結び、将軍の代がわりごとに朝鮮通信使が計12回来日しています。一行は500人ぐらいで、船で瀬戸内海を通って大阪に入り京都を経て江戸へ上ります。寄港地や街道の宿舎では様々な交流がありました。また、韓国の釜山には、長崎の出島を上回る規模の領事館ともいうべき「草梁倭館(そうりょうわかん)」が作られ、経済交流も盛んに行われました。江戸時代は外交上、「鎖国の世」と言われますが、朝鮮とは特別な関係にあったのです。
凡人
詳しくは当方の偉大なり!朝鮮通信士をご覧くださいw日本の植民地支配も
明治時代以降、二度の戦争があり、朝鮮半島は一時期、日本の植民地として支配されました。この問題では、現在もしばしば両国間で摩擦を引き起こしています。しかし、これまでも隣の国として共に生きてきました。これからも、共に生きていかなければなりません。そのためにはきちんと話し合って、仲良くしていくことが大切です。
凡人
何時朝鮮が大国日本、中国、ロシアと対等になったことがある?
アホか?
ちなみに高句麗はツングース族ですので、朝鮮人とは関係ありません。作成日: 2001年08月29日
最上部へ ホームへ Copyright (C)1997-2001 Yomiuri Junior Press 記事を読んだ感想を聞かせてください! メールアドレス:
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ここではいかにコリア人を論破するのが容易いかを実験しています。
こんなのでも教授になれるんだったら、俺は学長になれるよpu
陸稲から現在のような水稲にかわるにつれて、労力も増す。人口増加に伴い必要な水田の量も増すが、それに必要とされる労働力も増すので簡単に収穫量が増えなかったのが、当時の背景だったのであろう。では、先人達は、どのように克服してきたのであろうか?サンプルを以下に記す。
・墾田永年私財法
ウィキペディア
墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)とは、奈良時代中期の743年(天平15)5月27日に発布された勅(天皇による命令)であり、墾田の永年私財化を認める画期的な法令である。 古くは、墾田永世私有法と呼称した。これが発展し、荘園が作られるようになった。
(省略)
法の効果
765年(天平神護1)3月6日には、「墾田が加熱し過ぎてきたので、墾田を禁止する」旨の太政官符が発布され、772年(宝亀3)10月14日には、「やっぱ開墾を認めます(ただし百姓が苦しまないように!)」という太政官符が発布されている。
(省略)
2つ目は、江戸時代前半での農具の改良(下記)及び新田の大規模開発である。新しい歴史教科書によると、豊臣秀吉による刀狩を経て、平和となった江戸幕府が開かれてから100年の間に全国の田畑の面積はおよそ2倍近く増加したようである。
・農具
地球旅行研究所
【近世における農具の改良】(省略) 井原西鶴が『日本永代蔵』で〈古代は二人して穂先を扱けるに〉というのはこれである。扱箸がこのように改良されたが,何といってもセンセーショナルなのは「千歯扱き」である。千歯扱きは日本で発明されたもので,初めは竹の歯で麦を扱いていた(1681年ごろの『百姓伝記』)。1688年(元禄1)に前述の『日本永代蔵』に〈尖竹(とがりたけ)を並べ,これを後家倒しと名付く〉とあり,竹の歯である。竹の歯が鉄に変わり,稲を扱くようになったのは元禄年間で,和泉高石村の大工の発明といわれている(『日本輿地通志』畿内部)。千歯扱きの能率は当初は扱箸の2〜3倍であったが,その後の改良によって5倍にも達し,従来の扱箸作業に従事した婦女子の職場を奪ったことから西鶴が指摘しているように“後家倒し”の異名をもって呼ばれた。
以上のような万全を期した努力をしたとしても、想像を超えるような大規模な自然災害(収穫量の半減)には太刀打ちできず、餓死者が続出したようである。
・寛永の大飢饉
歴史の館Mizoe
三代将軍家光の治下、寛永19年(1642)と翌年20年にかけて、大飢饉が起こった。近世前期最大規模の飢饉といわれた。寛永18年の夏頃から、その兆候が見られた。五幾内、中国、四国で日照りが続き、豊後の臼杵では夏の大旱魃の後、8月に大洪水が起こって、引き金を引いた。
この異常気象は全国に広がった。秋田では8月だというのに霜がおり、会津では大雨と雹(ひょう)が降り、加賀でも長雨と冷風で酷かった。さらに備後は大水が出た。秋になると全国的な不作、凶作が明らかになった。肥後でも害虫が大量発生した。寛永19年に入ると、年頭には作柄は例年より良いと言っていたが、7月から8月にかけて全国的な旱魃(かんばつ)と冷害に見舞われ、前年の天候不順に輪をかけた異常気象となった。9月に入ると、北の津軽藩から南の薩摩藩まで2年続きの不作・凶作が明確になった。
飢饉が全国的に広がった。山形藩を例に上げれば、寛永15年に7万8千715石あったものが、寛永18年に3万6千496石、寛永19年に3万1千279石と激滅している。だから、寛永19年の正月から百姓の手元にさえ食料がなくなり、田だけでなく、畑も大不作だから、雑穀、野菜も手に入らなくなった。
都市部で米麦、大豆等の値段が高騰し、全国各地で餓死者が出るようになった。18年−19年の凶作は20年にも皺寄せが来た。家光はこの未曾有の大飢饉に対処する為、寛永19年諸国への巡見使派遣をやめ、参勤交代を免除して帰国させた。旗本・譜代大名にも交代で知行地・領地への出張を命じ、飢饉への仕置きと撫育をさせた。『諸国在々所々田畑あれざるやうに、精を入れ耕作すべし。若し立毛損亡なきの所申し掠め、年貢を難渋せしめるの族これあるにおいては、曲事てるべきものなり』と言う高礼を書かせて、街角に建たせた。
さらに家光は詳細な飢饉対策に関する触書を全国の大名に発布し、大名と領主が率先して倹約に務め、煙草の田畑作付けを禁止した。9月になると大名達が不作で疲弊した百姓を育み、百姓に対して非議のないよう命じ、酒造を半分に減らし、五穀の費えになるうどん、そうめん、蕎麦切り、饅頭の製造の禁止、食物を粗末にしないように指示している。それでも、19年末から20年にかけて餓死者が続出した。
我々も大規模災害を想定して日頃より食糧などを備蓄するよう心がけたいものである。
一方、朝鮮半島では、1871年〜1872年に、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲い、国土は荒廃したようである。これは、儒教思想による身分制度の絶対性からくる、「民への慈悲の欠如」による人災である。今の北朝鮮の慢性的な飢餓状態と同類であり、日本の天災による飢饉とは意味が異なる。このような我が国の努力の歴史的背景を無視し、かつ、そもそも日韓併合前から飢餓状態であったにもかかわらず、その責任を全て併合した我が国になすりつける主張には、騙されないようにして頂きたい。
捏造の例として朝鮮が飢餓輸出させられたとの話がある。
・1920年代の経済政策
NALGAE FUJINAGA Takeshi's Home Page
(1)産米増殖計画
a)背景:米騒動(1918)→外米輸入から植民地米輸入へ
食糧の安定的供給(→自給率を高める)、国際収支の改善(外米が圧迫)
計画着手(1920) 朝鮮米の増産めざす
b)目的
・朝鮮内の需要増加に備える
・朝鮮農家経済の安定
・日本国内の食糧問題解決
c)方法=日本の「近代的」稲作技術の導入
┌土地改良:灌漑施設、地目変更(畑→水田)、開墾・干拓
└農事改良:品種改良、肥料の増施、耕作法の改良(正条植え)
米中心のモノカルチャー(単作型農業)へ。農業基盤の弱化(干害への抵抗力弱まる)
d)目標 1920から30年間、80万町歩の土地改良(1町歩は約1ha=100m四方)
第1期(1920〜35):42万7500町歩。約900万石増収、半数を日本へ→しかし1925まで、目標の約6割しか達成できず
*投資額の40%に民間資本導入期待→実際には土地改良(自作農)より高率小作料のため、土地所有(地主)の収益が上回り、土地購入に民間資本が流れる
更新計画(1926修正)
│
↓
世界恐慌で米価暴落→朝鮮米輸入反対運動で中断(1934)。第2次目標の47%のみ土地改良達成
e)結果
増産量を上回る対日輸出=飢餓輸出(朝鮮人の消費量減少、満州から粟・こうりゃん輸入)
土地の兼併促進:日本人大地主の進出、朝鮮農民の没落
今の朝鮮人の意思による北朝鮮の飢餓輸出を見れば結論が、わかるはずである。だが、少しだけ上記内容を補足したい。
まず、米騒動の背景として、慢性的な飢餓状態だった李氏朝鮮(/大韓帝国)を1910年に併合した後に、以下のような動乱の世界情勢となり、朝鮮への投資が重荷になってきたということが考えられる。
・米騒動
ウィキペディア
経緯
1914年からはじまった第一次世界大戦中、東南アジアを支配するフランスやイギリスが米の輸出を制限しており、大戦景気で米価は高騰する。これが心理的に微妙な影響を与えた。ロシア革命に対する干渉出兵であるシベリア出兵に際し、1918年7月23日富山県東水橋(魚津町)の住民らが、米問屋が港から県外に米を運び出すところを目撃する。すぐさま、米の搬出を阻止する暴動に発展した。この事件が、越中女一揆の見出しで新聞に掲載された。
1918年8月2日寺内正毅首相のシベリア出兵宣言で需要増大を見込んだ商社や米問屋らがさらに米の買占め、売り惜しみに走ったため米価が急騰する。一升11銭だった米価が30〜33銭程度にまで上昇した。
そこで、我が国が朝鮮半島の開発に乗り出した。成果は、以下の記事の通りである。
・忘れられた国土開発
国際派日本人養成講座(56)
■1.李朝朝鮮の飢餓地獄■
本誌55号では、北朝鮮の悲惨な食糧事情により、年間数十万人規模の餓死者が出ているという推計を紹介した。しかし朝鮮半島での飢餓地獄は今に始まった事ではなく、19世紀の李朝時代も同様だった。
たとえばフランス人宣教師シャルル・ダレの遺した「朝鮮事情」には、次のような記述がある。
1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲い、国土は荒廃した。あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に一人当たり米一升で売るものもいた。北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し、「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。[1,p64]
まさに現在の金正日政権とそっくりだ。こういう次第であったから、李朝時代の朝鮮では人口はほとんど増加しなかった。1753年の730万人が、百年後の1850年でも、750万人になったに過ぎない。これが当時の農業生産で養える上限だったのであろう。
■2.20年間で倍増の人口爆発■
朝鮮半島が急激な人口増加を迎えるのは、20世紀に入ってからである。1906年(明治39年)からの20年間で、980万人から、1,866万人と倍増した。さらに1938年には、2,400万人となった。日韓併合時代である。[1,p29]
この人口増加の原因としては、いくつかの要因がある。一つは第6代宇垣一成総督による「農産漁村振興運動」などの民生向上活動である。30年で内地(日本)の生活水準に追いつく事を目標に、農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発による食料の増産が図られた。併合当初米の生産量が約1千万石であったのが、20年後の昭和に入ると、2千万石へと倍増した。[1,p80]
もう一つは医療制度の確立、特に伝染病の予防である。1910年から徹底的な検疫を実施し、コレラ、天然痘、ペストなどは、1918年から20年の大流行を最後に押さえ込まれ、乳児死亡率が激減した。
さらにインド、中国から朝鮮にかけて猛威を振るっていたハンセン病退治のための救ライ事業として、世界的規模と質を誇る小鹿島更正園を作って、6千人以上もの患者を収容している。[1,p85-86]
農村振興は、終戦後も朴正熙大統領のセマウル運動として続けられる。宇垣総督の秘書役であった鎌田澤一郎氏が、その経験を買われて何度も朴大統領に呼ばれ、アドバイスをしている。[2,p44]
北朝鮮が現政権から解放された暁には、日本も援助をして、このような農村振興をもう一度やり直さねばならないだろう。日韓併合時代にどのような国土開発事業を行って、朝鮮半島の民生向上に成功したのか、今のうちに研究しておく必要がある。
■3.植林、河川・砂防工事、ダム建設、、、■
李朝時代の飢餓の一因は、現在の北朝鮮と同様、森林破壊にあった。定住しない焼き畑農民は、山林を焼き払い、一定期間耕作すると、他へ移ってしまう。さらに、冬季の薪需要のための乱伐。そこに豪雨が来れば、表土は流出し、禿げ山となってしまう。
1885年にソウルから北朝鮮を徒歩で踏破した旅行者は次のような旅行記を残している。
どこまでいっても禿げ山と赤土ばかりで、草も全て燃料のために刈り取られている。山地が痩せていて、昨年も沢山の餓死者が出た。ここは退屈極まりない土地で、山は禿げ山、植生はほとんど見られない。
森林は緑のダムである。森林がなくなれば、降れば洪水、降らねば干ばつとなって、農業生産は崩壊する。治水の前に治山が必要というのが、寺内初代総督の方針であった。朝鮮総督府は1911年からの30年間で、5億9千万本の植林を行った。朝鮮全人口の一人あたり約25本という膨大な数である。[1,p114]
内村鑑三の日記には、ある朝鮮人から日本人が毎年沢山の有用樹木の苗木を植えていることを感謝する手紙をもらって非常にうれしかったと書いている。[2,p39]
植林事業と平行して、洪水予防と灌漑のための全国的な河川事業、日本国内にもなかった17万キロワット級のいくつもの巨大水力発電所建設、15万ヘクタール以上もの砂防工事等々、大規模かつ総合的な国土開発事業が展開された。
これらの結果、水田開発が進み、明治43年の84万町歩が、昭和3年ごろには162万町歩と倍増した。[1,p108]
■4.きめこまかな農民保護政策■
こうした大規模な国土開発とともに、きめこまかな民生安定化の施策がとられた。宇垣総督時代には、当時8割を占めた小作農の生活を安定させるため、朝鮮農地令を実施して小作権を確立し、税制を整理して、負担を軽くした。さらに低利資金を融通して高利債務を返還させ、多角農業主義により綿花栽培や山羊飼育を奨励した。[3,p414]
また従来、朝鮮農民が見捨てていたような不毛の地に入植して、開墾する日系移民も約3,800戸あった。これらの移住農民が、米の改良品種、新農法を持ち込み、養豚、養鶏、養蚕などの多角経営を図り、また厳冬にも家族ぐるみで副業に励む姿を見せた。日系農家の自力更正が、朝鮮農民の意識改革に大きな役割を果たしたのである。[1,p153]
興味深い事に、米作保護のために、現在の日本と同様の逆ざや価格政策がとられた。昭和18年の生産者の手取り価格は生産奨励金なども含めると一石62円50銭、消費者価格は43円、この逆ざやは政府が負担していた。
農業生産が軌道に乗ると、日本への輸出が急成長した。併合当時わずか11万石だったのが、昭和3年には760万石までになった。これは日本の農家を圧迫し、日本政府は朝鮮米の輸入制限を図ろうとするが、総督府は徹底的にこれに反対して、朝鮮農民を守った。[3,p414]
朝鮮経済の保護育成政策は、関税制度にも明らかである。朝鮮から日本に輸出されるものは免税だが、輸入は移入税を課した。後進国が自国の産業育成を図るときに、輸入関税で保護するというのは、常套手段だが、日本は朝鮮経済に対して、これを適用したのである。
ちなみに当時の日本人の土地所有は1割程度なので、総督府の農業保護の恩恵の9割は、朝鮮農民が受けたと言える。また治山治水事業での労働に対しては、作業者に日当が支払われている。これは李朝時代には無かった事である。
■5.開発をささえた資金源は■
こうした膨大な開発投資、産業保護を可能にした資本はどこから出てきたのだろうか。
宇垣総督時代の総督府予算は昭和5年で、約2億円の規模であった。それに対し、朝鮮内部の税収は5千万円程度。日本の政府予算(すなわち日本国民の税金)から、毎年千数百万円から2千万円の規模の補填がなされた。この予算獲得のため、総督府の関係者が帝国議会や大蔵省の説得に奔走したというから、官僚の世界は今も昔も変わりない。それでも足りない分は、日本の金融市場から集めた公債によってまかなわれた。[1,p142]
ちなみに大英帝国支配下のインドでは、その予算の1/3を国防費の名目で、イギリスに納めていた。それにも関わらず、第2次大戦で徴集した264万人のインド兵の費用は、イギリス人将校の給料も含めて、インド自身に負担させていたという。[1,p179]
朝鮮総督府の事業は、その他にも教育の普及、工業発展など多くの面にわたる。その投資は、結果的に見れば、すべて日本からの持ち出しで、我が国の経済に大きな負担となった。
しかし戦後の韓国は、このインフラを踏み台に、自由民主主義国として発展した。外交面での摩擦は続いているが、台湾とともに、ある程度豊かな自由民主主義国家が近隣にあるということは、我が国の現在の国益からみても、計り知れない価値を持つ。
■6.食料危機対応のモデルケース■
北朝鮮が金日成政権から解放されたら、飢餓地獄から北朝鮮国民を救うべく、朝鮮総督府が行った国土開発事業をもう一度、始めからやり直さねばならないだろう。費用の問題は別として、そのモデルは、朝鮮総督府によって示されたと言って良いであろう。
実はこの国土開発の方法は、朝鮮総督府の独創ではなく、我が国江戸時代に、上杉鷹山公(米沢藩藩主)、恩田木工(信州松代藩)、二宮尊徳などが行った農村振興を発展させたものだ。それは西洋的な自然征服ではなく、治山治水を通じて、自然と共生しつつ、農業生産の向上を図るという、優れたエコロジー的発想なのである。
環境破壊による食糧危機は、北朝鮮だけではない。中国の最近の洪水被害も国土破壊の結果であり、いよいよ食料自給が困難になってきている。中国が食料輸入国に転落すれば、現在の国際食料価格が急騰し、アジア、アフリカ、南米などにも飢餓が広まろう。そうした視点から見れば、朝鮮総督府による国土開発事業の世界史的な成功は、貴重なモデルケースとなるはずである。
[参考]
1. 歪められた朝鮮総督府、黄文雄、光文社、H10
2. 「韓国併合」とは何だったのか、中村粲、日本政策研究センター,H8
3. 日韓2000年の真実、名越二荒之助、国際企画、H9
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李朝末期
AYLI 〜As You Like It - 日本が寄生虫に…
李朝末期北朝鮮を彷彿とさせる事実
朝鮮を一番最初に開国させたのは日本で、前章でも書いた江華島条約(1876年2月締結)によるものです。この条約を見てみましょう。
第1条 朝鮮ハ自主ノ国デアリ、日本卜平等ノ権利ヲモツ。
コレカラ両国ハ和親ノ誠意ヲ表スルタメ、互二同等ナ礼儀デ対シ、少シモ侵略ノ野欲ヲ抱イテハナラナイ。先ズ従前ノ国交阻害ノ禍根デアル諸法規ヲ廃止シ、極力公明正大ナ法規ヲ広ク規定シ、双方ノ永遠ノ安寧ヲ期スルコトいきなり、「朝鮮は独立国です」から始まる辺りが、清の属国であった事実を伺わせますね。後にも触れますが、日本としては朝鮮に独立してほしかったことが分かります。礼儀云々は事大主義・儒教信奉の朝鮮に対しての嫌味でしょうか(笑)
ちなみにこれは不平等条約でありました。その点についての議論はしません。今の時代の価値観で語られても困りますから。ただ、治外法権だけは今の価値観でも首肯できます。当時の朝鮮で裁かれるのは絶対イヤだな。と思わせる事例(拷問等)がこの後、いろいろ出てきます。
同様の条約を諸外国と結んで、朝鮮もとうとう開国します。あ、同様の条約と言っても西欧列強は朝鮮を清の属国と見なしており、朝鮮を独立国家として扱ったのは日本だけだという事実も付記しておきます。
李朝とは1392年に朝鮮半島に立てられた王朝、李氏(りし)朝鮮です。日韓併合まで、一応この王朝が続きます。開国したばかりの朝鮮を訪れる外国人から見た、李朝末期の朝鮮のありのままの姿を紹介します。日本の資料もたくさんあるのですが、これを使うと半島の方々からの「日帝の捏造だ!!」と言われるのは目に見えているから…(笑)
首都近辺の様子
「北京を見るまで私はソウルこそこの世で一番不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだと考えていた。都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。礼節上2階建ての家は建てられず…」 「彼らはいつも借金で首が回らず、何かちょっとした官職の一つでも回ってこないかと首を長くしており、それを得るためにあらゆる卑劣な行為をつくし、それでもなお望みがかなえられない場合には飢えて死んでしまう」 「読者は朝鮮人の無気力、怠惰、居候根性、貧しさをつぶさに観察されたことになるが、このため朝鮮の独立はきわめて困難で、将来を望むことが難しい。朝鮮の事々物々はことごとく低級である。貧弱である。劣等である。」イギリス旅行家イザベラ・ルーシー・ビショップ 「三十年前の朝鮮」
「貴方はみすぼらしい茅屋というものを見たことがあるでしょう。では貴方の知っている最も貧しい茅屋を、その美しさと強固さの程度を更に落として想像してみてください。するとそれがみすぼらしい朝鮮の住まいについての、殆ど正確な姿となるでしょう。」 「2階建ての家は探しても無駄です。そのようなものを朝鮮人は知らないのです」シャルル・ダレ、住居の項にて:289頁
「朝鮮人は一般に頑固で、気難しく、怒りっぽく、執念深い。それは彼らがいまだ浸っている未開性のせいである。」ダブリュイ主教「朝鮮事情」
…えらい言われ様である。が、しかし、これが「外国人から見た」李朝末期の正味の姿なのです。その他の外国人、韓国誌(ロシア大蔵省の資料)にも同様あるいはもっと詳しいことが書かれています。これらを「開国したばかりの朝鮮を訪れる外国人を日帝が買収して事実を捏造している」とかいうふざけた反論はお控えくださいませ。あと、「世界中の国が朝鮮に対して民族差別をしていたんだ」とかいう情けない反論もやめてください。
正直、これまではこんな事を書いても「いくらなんでも」と信用されない恐れがありました。また、朝鮮人たちの反発も予想されたものです。しかし、今なら誰もが信じるでしょう。もう私たちはあの北朝鮮の現状を知っているのですから…。
政治
「朝鮮の両班は、まるで支配者か、暴君のごとくふるまっている。両班は、金がなくなると、使者を送って商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行され投獄され、食物も与えられず、両班が要求する額を支払うまでムチ打たれる。両班の中で最も正直な者たちも、多かれ少なかれ、自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつて、ないからである。彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合支払いなしで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止する守令は一人もいない。」マリ・ニコル・アントン・ダブリィ主教「朝鮮事情」
李氏朝鮮の残酷な死刑や拷問に対して「こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間存在そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうということだ」 スウェーデン人 アーソン・グレブスト 「悲劇の朝鮮」
「韓国は古くから中国の属国だった。国を統治する王家はあったが、彼らは中国朝廷に朝貢し、外交政策は中国に指導を仰いでいた。」アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ
1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲い、国土は荒廃した。あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で売るものもいた。北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し、「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。」フランス人宣教師 シャルル・ダレ(朝鮮事情・平凡社東洋文庫)
政治は無いも同然でした。事大主義の影響で政治力が無いのはもちろんですが、これはなんとでもなります。それよりも、身分・序列を厳しく守る儒教信奉の呪縛は支配者層に「民を大切にしよう…」という気持ちを失わせてしまったのでしょう。身分が低い階層を徹底的に弾圧する両班の姿も、餓死していく国民を放置しておく国王の姿も、それを如実に物語っています。
この事態を招いた最大の原因が、儒教思想による身分制度の絶対性からくる、「民への慈悲の欠如」であったことは間違いありません。この気持ちがあれば、制度や政策なぞ、なんとでもなりますから。
身分制度
両班とは朝鮮における貴族階級のことです(文系の両班と武系の武班があった)。その他、良人と白丁(奴隷階級)がありました。儒教のせいでしょうね、身分差別は激烈で、日本の江戸時代に士農工商とは比べものにならないくらい酷いものでした。今でもその残滓は見受けられます。韓国人に出自を聞けばほぼ100%の人が先祖は両班だったと答えるでしょうから、そのメンタリティも知れようというものです。一番下の階層は白丁(ぺくちょん)と呼ばれ、彼らへの差別はすさまじく、これに耐えかね新天地を目指して日本に移住・密入国した白丁が戦後の在日を構成しています。半島へ帰れない理由はこの辺にもあったのですね。
他にも地域差別もありました。これは現在の韓国大統領選でも現れます。選挙そのものが地域対立の観を呈してくるのです。
要するに李朝末期の朝鮮の状態は(両班を除く)民衆にとっては最悪だったということです。「人間存在そのものへの挑戦」とまで言われる拷問。儒教では君子は何もしないで本を読んでいるのが理想とされていましたから、職人は軽蔑される存在でした。これによって技術は全然発達せず技術者の養成も全く可能性がありませんでした。君子たるべき両班は働かないどころか「両班はキセル(タバコを吸う道具)ですら、自分で持つことをせず、徹底して何もしないのが習わしであった。」のです。この階級が人口の48%にまで増大した季朝末期の民衆の苦難は想像に余りあるでしょう。国の半分の人が何もしないで食っているのですから…また、人口1000万近くの内、軍人はわずか2千人に過ぎず(武班より両班の方が序列では上なので…)、軍事的には、宗主国である清に依存する体質でした。
上の文献にもあるように、48%を占める両班の横暴によって民衆の勤労意欲は減退の一途を辿ります。カナダ人ジャーナリストのマッケンジーは「朝鮮の悲劇」でこう書いています。「私は、十分に耕せそうな土地をほったらかしにしていながらも、飢えに苦しむ農民のさまが理解できなかった。『どうしてそれらの土地を耕さないのか?』と聞いたところ、『耕せば耕すほど、税をとられるだけのことだ』という返事があった。」と。
そして、首都であるソウルが夢の島状態。世界でトップクラスの汚さと評価されています。実際、伊藤博文もその話を聞いてまさか、と思いました「やせてもかれても王城の地(一国の首都)だ。そんなはずはない…」と言ったそうですが、実際に見て、即座に日本人公官専用の街を作りましたとさ。
また、無秩序に燃料の薪を切り出すから禿山ばかり、治水もしていないため、洪水が頻発。自然の雨に任せる農法のため、生産高は上がらず、李朝期を通じて朝鮮の人口は全く増加しませんでした。また、朝鮮農民の間には、古来から「春窮、麦嶺越え難し」という古諺があります。農民は収穫の5割以上が年貢として取り立てられてしまい、収穫した米も翌年3月の初めごろには全部、食いつくしてしまいます。そこで、じやがいもや麦のできる6月までの3ヵ月は、春窮期といわれ、この期間には定期的に餓死者が出るという社会でした。
何はともあれ、李朝末期の半島は、今の日本人が想像もつかないレベルの荒廃したヒドイ国家だったのです…書いてて泣きそうになった。しかし、これは今の北朝鮮を見れば分かるでしょう。人口の1割2割が死んでも平気なのが朝鮮人の為政者の特性です。ちなみに日本では…なんちゃらの大飢饉の時でも1割2割も飢え死にしていないと思う。(要調査)
まとめ
政治は乱れ、庶民は困窮を極め、軍事的には無力で、身分差別や地域差別がすさまじく、不潔で汚い首都、それから連想すれば病気も蔓延していただろう事も容易に想像のつく、とんでもない社会だったのです。 また、経済は疲弊どころかまともに機能してなかったのも実情でした。
現在の北朝鮮はどうでしょうか?51もの出身成分による差別。食料は党と軍に配分され、一般の人々が百万人単位で死んでいく現実。しかし、為政者は自分の権力と、メンツだけを守るために、なすべきコトをしていません。病院の点滴がビール瓶で行われている現実は、時代こそ違え、全く同じと言えます。
彼らは歴史に学ばなかったのでしょうか?いいえ、違います。栄光に満ちた朝鮮史の捏造過程で、悲惨な李朝末期の歴史は飛ばされてしまったため、彼らが作り出したヒデヨシ・ニッテイ以外に朝鮮には悲惨な歴史はありません。なくなってしまった悲惨な歴史には何も学べません。そして今、同じ間違いを繰り返しているのです。
参考リンク:4人の外国人が見た韓国併合前の朝鮮
おまけ
ちなみにこれより前に日本を訪れた外国人は日本をどのように思ったのでしょうか。
「人々はみな清潔で、食料も十分にあり、幸福そうであった。これまでにみたどの国にもまさる簡素さと正直さの黄金時代をみる思いであった。」
幕末に来日したアメリカの総領事「我々ヨーロッパ人は、互いの間では賢く写るが、日本人に比べるとはなはだ、野蛮であると思う。私は毎日、日本人から教えられることを告白しなければならない。私は世界の中で、これほどまで天から才能を与えられた民族はないと思う。」 「京都は、ヨーロッパならローマにあたるが、科学、見識、文明はローマよりはるかに高尚である。信仰さえ別にすれば、我々は日本人よりもあきらかに劣っている。」16世紀 イエズス会本部への報告書より宣教師 ニエッキ・ソルド・オルガンティーノ
「日本人は何よりも名誉を重んじ、彼らの大多数は貧しいが、貧困は貴族にとっても武士にとっても平民にとっても、決して恥ずかしいことでも、不名誉なことでもない。彼らは『正直さ』のほうを選ぶ。未信心者のなかで、日本人より優れている民族はいないと思われる。」 宣教師 フランシスコ・ザビエル
にゃあん…こそばゆいです。日本人に生まれたことを本当に心から誇りに思える。他にも文献はいっぱいあるが、これくらいにしておこう。だって、誰かさん達があまりにも可哀想だから…。
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【こんてんつ】
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【追記 H21.6.19】
当時の風景を説明する資料を以下に示す。
・朝鮮の夜明け前 p22
朝鮮軍司令部 1904‐1945
朝鮮王国の宮廷が所在する首都は漢陽である。しかしこの名前で呼ばれることはほとんどなく、普通ソウルと呼ばれているが、この言葉は大都市とか首都を意味している。ソウルは山並みに囲まれており、漢江の流れに沿って位置し、高くて厚い城壁に囲まれた町であるが建物には見るべきものはない。いくつかの道路(巾約16メートル)を除けば曲がりくねり、背負子人夫の往来も窮屈な路地ばかりである。足にひっかかるものといえばゴミ。瓦屋根は宮殿といくつかの役所だけで民家はすべて背の低い草葺の家である。屋根が風で飛ばされないように縄をかけた小屋がほとんどで、二階建ては全土に存在しなかった。これは王を上から見るのを禁ずるためとも、冬季の暖房であるオンドルを二階に工事するのが困難だったからだとも言われている。周囲の城壁は太祖(李成桂・在位1392-98)によって造られたが、四代世宗(在位1419-50)によってさらに新しい城壁が積み上げられた。
周囲は歩幅で9975歩あり高さは約10メートルである。大門4つと小門4つの8つの門があった。大門はきわめて美しく、その上に中国式の楼閣が載っている。夜が訪れ、役人が鐘を鳴らすと城門はぴたりと閉ざされて、いかなる高官といえども開門はできなかった。そして城内の男は謀反・陰謀防止のため屋外に出歩くことを禁止された。(省略)
昔の市街は非常に汚かった。犬が非常に多く、どんな家庭も食用として飼っていたが、病犬の多いのには閉口した。びろうな話で今頃の朝鮮人諸君は驚くかもしれないが赤ん坊の用便は全て犬が掃除してくれるという、不潔きわまる有様であった。犬肉のスープはポシンタンといって人々の大好物だった。国書刊行会 [著] 古野 直也ASIN:4336031940 /−/280頁発売日:1990-12ランキング&評価:---位 5.0価格:¥ --- [2009-06-19 Amache]5 - 朝鮮人気質を考える重要な参考書2005年12月17日 (土)事大主義の悲劇
・事大主義の悲劇
AYLI 〜As You Like It - 日本が寄生虫に…事大主義の悲劇 朝鮮を縛るもの(1/23 更新)
事大主義の悲劇とタイトルをつけましたが、歴史的に見て朝鮮半島を縛っているものは大きく「中華思想」「事大主義」「華夷秩序」の3つがあります。「儒教」も入れて4つですが。現在の朝鮮半島にもたらされる大きな問題は、原因の淵源が全てこの4つに集約されると言っても過言ではありません。この中で、日韓併合(1910)に最も大きな影響を及ぼした事大主義をタイトルにしました。
ここではこの3つの用語を説明しつつ、朝鮮半島の歴史を眺めたいと思います。と、いうよりこの用語を知らずして朝鮮半島は語れません。なお、韓国の国定教科書のような記述は致しませんのでご了承のほどを。
中華思想とは、簡単に言ってしまえば、中国が文明の中心地であるという思想です。正確な表現をするなら、中原(周があった辺り。時代によって少し変わる)を文明の中心として、そこから離れるに従ってどんどん野蛮になっていくという考え方です。小室直樹氏の説明を借りれば、中原を100%中華とすると、そこから離れるに従って90%中華、80%中華…と文明度が低下して行き、遠方の0%中華なんてもう野蛮人の巣窟となります。
イギリスが中国(清)に国交を求めた頃(19世紀)、清はイギリス女王のことを「野蛮人の女酋長」と呼んでいたくらいです。今でこそ笑い話ですが、これが中国が蝕まれる大きな原因になったことは疑い得ません。誰だって野蛮人扱いされるならその国を嫌いになれます。中華思想の悲劇と呼んでおきましょう。
この田舎者たちを方角によって区別する言い方があります。東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき)で、夷・戎・蛮・狄は全て「えびす(文明度の低い民族・土地)」と読めます。ためしに「えびす」で日本語変換してみてください。まともなIMEなら全ての文字が変換できるでしょう(ATOKは蛮が出てきませんでした。IME2000なら全て出てきます)。例えば中国から見て東にある田舎者の日本の話は「後漢書東夷伝」に登場すると言った具合です。南蛮は今の日本でも使いますね。
秦(B.C.771〜)の統一中国以降は、大規模な内乱の時期を除いて中国はアジアで最も強力な国として君臨します。それゆえ、中華思想は現実の力関係にも支えられて浸透していきました。
華夷秩序とは、中華思想を源泉に組み立てられた秩序です。中国を中華とし、その他の地域(夷:えびす)を厳然と区別します。この秩序では対等な国交という概念がありません。というより、他の国の存在を認めません。中国だけが国であり、後は野蛮人のすむ地域に過ぎない、とするのです。
例えば日本が中国と貿易したいと思ったとします。しかし、中国は対等な国交など認めません。形式としては、はるばる遠い辺境から中華皇帝の徳を慕って子分にしてくれと、けなげにも日本(東方の島)の土民が貢物を携えてきたということになります。そして、貢物の数倍に及ぶ物品を下賜(かし:上から下にご褒美をあげる)します。これを朝貢と呼びます。また、中華の子分になるならという条件で土民の酋長を王と認めてくれます。これを冊封(さくほう)といいます。もちろん皇帝よりランクの低い王に封ずるのです。冊封は王の代替わりごとに受けなければなりません。
匈奴に単于(皇帝の意味)という位を与えたりすることもありますが、それでも中国とは対等ではありませんので違う字を用い「皇」は使わせません。念のため。
中国が強大である、という理由以外に、朝貢貿易(中国は貿易と考えていない。恵んであげているだけ)はむちゃくちゃ儲かるし、冊封を受けたら自分の権威が上がるので、実質はともかく、形式的には中国の傘下に入ったのです。こうして古代東アジア全域にこの華夷秩序が浸透しました。もちろん、日本も例外ではありません。
しかし、聖徳太子が隋の煬帝に有名な国書を出して(600or607)以来、この華夷秩序からの離脱を宣言します。「日出づる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致(いた)す、恙無(つつがな)きや、云々(うんぬん)」で始まる国書は、お互いに天子(皇帝の意:華夷秩序の中では中国以外使えません)と呼称しています。さらに言うと、方角的に東の日本が「日出づる処」で西の隋を「日没する処」と呼んでいるのですから、対等どころか日本のが上だったりします。以後、日本は天皇号を使用し、独自の元号を定め、かなを駆使し、物語が作られ、国風文化の花が開きます。
年代が2つあるのは、隋書倭国伝には600年に来たと書かれていて、日本書紀には607年とあるからです。
本来なら、華夷秩序の中ではこれほど恐ろしいこともありません。なぜなら中華に従わない(まつろわぬ:中華皇帝でもないのに天子と呼称することが該当)「えびす」に天子は膺懲*1(ようちょう:こらしめること)と称して征伐を行うことができるのです。中華秩序は悪い言い方をすれば暴力団のTopの組織と一緒で、下部組織や他の組に「ナメられたら終わり」です。従うやつ可愛がったるけど、逆らうやつには容赦せん!ってことです。しかし、このときの煬帝は「不愉快だから二度とこんなもん見せんな」といっただけで終わりました。当時の煬帝自身の事情もあるのでしょう(隋はこの後、すぐ滅びます)。
先頃の中越(越はベトナムのこと)戦争(1979)でも中国はしきりにベトナムを膺懲すると言っていましたね。
膺懲されない一般的な理由としては、やはり海が挙げられるでしょう。陸続きの周辺国には比較的簡単に軍隊を派遣できますが、海を渡って数十万の軍を運ぶのは難しい。日本はラッキーなことに島国ですから膺懲も思うに任せない。実際、日本が侵略を受けたのは鎌倉時代になってから、あの世界最大の帝国を作ったモンゴルによるもので、しかも2度に渡って失敗、敗退しています。
「刀伊の入寇(1019)」というのがあるが、中国の王朝じゃないので無視しています。
日本は島国である利点を生かして、早々に中華秩序から抜け出ています。
さて、朝鮮の方に話を戻しましょう。陸続きの朝鮮は島国日本みたいなわけにはいきません。ざっとですが2000年間に中国から1000回の侵略を受けています。2年に1度ですからW杯の倍くらいの頻度です。たまに抵抗も試みることもあるのですが。力の差は如何ともし難く、敗戦とかいうレベルではなく、全て完膚無きまでに叩き潰されます。こういう歴史の中で朝鮮では事大主義が根を張っていきます。
三韓(百済・高句麗・新羅)時代はまだマシでした。三国に分裂している分だけ国力は弱い(新羅は日本に朝貢していた事実がある)のですが、中華と直接国境のない国(百済とか)では独自の文化ができる可能性もあったのです。仏教国で、日本に仏教を伝えたりしていたのですが、三韓の中で最弱の新羅が唐に力を借りて朝鮮半島を統一して以降はもうダメでした。唐もタダで力を貸すわけではないのですから。目的は朝鮮半島の国土編入です。これはなんとか凌ぐのですが…
韓国知識人の主張によれば、有史以来、千回も侵略を受けたが、すべて撃退したという。しかし、前述のように嘘である。ほとんどの場合、徹底的に叩かれ、連行を免れた者は属国の従順な民となって、宗主国に阿諛迎合したのである。唐軍も、モンゴル軍も満州軍の侵入のときも、その負け方は、たいてい似たり寄ったりである。それは新羅史、高麗史、李氏朝鮮史と諸史の原典記録を一読すれば細かく記述されている。中国諸史だけでなく、朝鮮半島の歴史も大同小異である。韓国知識人の多くは、なぜ歴史を直視する勇気がないのであろうか。 朝鮮半島の歴代王朝の国防政策は、たいてい専守防衛だから、兵数が少ない。李朝末期は数千人の単位程度で、ほとんど宗主国の防衛に頼りっぱなしだから北方から異民族が侵入してくると、たいていは城を棄てて逃げ惑い、農民はわめき、哭くばかりであった。たいがい敵が侵入してくると、各地方の軍隊は総崩れとなり、地方の長官は競って土地を献上し、帰順するか、逆に敵軍に従軍し、火事場泥棒を働く者も少なくなかった。宗主国をかさに、高麗や朝鮮国王にゆすりたかりを働き、一族の利益を図るのが、朝鮮半島の鉄則のようなものだ。千余年来、たいてい同じようなことを繰り返したのであった。だから千年進入され、千回とも敵を撃退したのではなく、属国になると誓ってから宗主国が兵を引いたという歴史事実が繰り返されている。ではなぜ戦後になると韓国知識人の歴史歪曲が、日を追ってますます神話まがいのものまでに変化していったかというと、それはどの民族も自存自衛のために欠かせない民族の自尊心にある。
韓国は壬辰倭乱(豊臣秀吉公の朝鮮征伐のこと)で焦土と化した。だから三百年もへても立ち直れなかった。いやがうえにも倭乱のひどさを強調したいという気持ちはわからないでもない。しかし、考えてもみると、一回の大乱だけで三百年も立ち直れない民族は、世界中のどこにいるのか。もしあるとすれば、もっと恥を知るべきであろう。戦後、焦土化した日本は半世紀もたたずに再び経済大国になったではないか。千回も侵略され、すべての侵略者を撃退したという自慢話と、三百年も立ち直れないでいるという論理を矛盾することもなく主張することに自己撞着はないのであろうか。
韓国知識人はつねにこのような歴史歪曲で「反日」を正当化する。韓国人の反日台湾人の親日 黄文雄 光文社
事大とは「大に事(つか)うる」という意味で、1000回も侵略された朝鮮は中華という大に事えることを受け入れざるを得ませんでした。事大主義を取った以上、中国を宗主国とし、華夷秩序の枠にキッチリはめこまれ、大(中華)の文化をそっくり受け入れ、中華思想を信奉し、あの序列や礼にやかましい儒教を本国の中国より厳しく守る様になりました。むしろ進んで受け入れた側面もあります。儒教を国教にしたため、仏教は弾圧を受けます。自国の仏寺は自らの手でほとんど破壊してしまいました。こうして朝鮮は華夷秩序の中で最上の優等生となります。
この時代の様式の仏寺はむしろ日本の方に残っています。他にも日本には発明した土地ではとっくになくなってしまったものが数多く残っているのです。この点を指摘して陳舜臣は「日本人は保存の天才」と呼んでいます。
事大主義には利点と欠点があります。通常の状態であれば「大」に依存していればいいのですからすこぶる楽です。軍隊なんか装備しなくても朝鮮が攻められたら親分(宗主国)が守ってくれます。国内のシステムも自ら作る必要がありません。どうせそっくり中国の真似をするしかないのですから。国号(国の名前)は中国に決めてもらいます。自分で決めてはいけません(「朝鮮」も中国(明)にお伺いを立てて決めてもらった国号)。元号(日本では昭和とか平成とか)は中国の元号をそのまま使います。独自の元号は作ってはいけません。漢字が至上です。漢字以外の文字は見向きもしません。文学と言えば漢文・漢詩です。服も中国風にしました。名前も中国風に変えてしまいました。元の頃は服も名前もモンゴル風でした。チマチョゴリはモンゴル服からと言われています。強いものにはヘイコラするんですが、相手が弱いと分かると徹底的に痛めつけるという民族性が事大主義の中で培われていきました。ある意味利点ですが、この卑屈な精神の浸透と、固有の文化を育めなかった事実は悲劇としか言い様がありません。
動物がひどく苦しがっていることが判ときでさえ、一般の朝鮮人はまったく、関心を示さない。道路に病気になった猫や犬や、けがをした鳥などがいると、子供も大人も老人も手に手に棒や石を持って、この哀れな動物をいじめ殺してしまう。 アメリカ人 メソディスト派宣教師 ホーマー・B・ハルバート また、事大は大が強大で1つしかなければ楽ですが、中国での王朝交替期の様に、大が変わるときはどちらに事えるか間違えば大変なことになります。また、大が複数になったときにも困ります。日韓併合前夜は清・露・日という3つの大がありました。朝鮮は伝統と強弱しか目に入らず、本当の友邦を見つけられませんでした…。
華夷秩序の優等生、朝鮮ではこれらの思想をミックスした結果、こういう理屈が成立します。
- 中華思想により、偉さの順が中国・朝鮮・日本の順と認識している。
→今でも中国は父、朝鮮は兄、日本は弟と言っている。日本蔑視観の形成。
- 儒教の信奉により、なんでも序列をつけたがり、それが全てになってしまう。
→中国・朝鮮・日本の順が今でも崩せない。日本と対等などとんでもない!
- 事大主義の反作用で、弱いもの、下のもの、負けたものにやたらに強圧的である。
→日和見で、弱い方には徹底的に弾圧しようとします。例えば、明治維新(1868)で新政府となった日本は改めて朝鮮に国交を求め、国書を届けます。が、受け取ってもらえません。何故でしょう?
国書の文字に問題があったのです。新政府になった日本では、国書の中で君主である天皇を「皇上」と呼び、「登極(即位)」した。その国書を「勅」と呼んで持ってきたわけです。華夷秩序にどっぷり浸かっている(要するに中国の属国)朝鮮には大問題。「皇」の字も「登極」「勅」も使えるのは中華の天子(皇帝)だけであり、もし、この「勅」を受け取ってしまうと、形の上で朝鮮は格下日本の属国となってしまうのです。日本が朝鮮より格下なのはあの中華思想を基にしています。儒教信奉によって序列を異様に気にする朝鮮としては、格下日本に属国扱いされるのは耐えられません。そんな訳で国書は受け取れなかったのです。嘘みたいな笑い話ですね。…バカみたい。
国書受け取りを拒否された日本はこんな理由を聞いても納得できません。そりゃ当然でしょう。こんな考えは事大主義の優等生・朝鮮にしか涌いてこない発想ですから。日本は聖徳太子以来、華夷秩序の枠外にあったからその考えが理解できない。「国書の文字が気に入らない」と国書受け取り拒絶を聞かされた大多数の日本国民は「単なる言い逃れ」あるいは「馬鹿にされている」と感じたのです。いや、ホントにバカにされてるんだけど。そして朝野(ちょうや:政府も民間も)で「朝鮮、討つべし!」との世論が形成されてしまいました。
…結果的に軍事力で開国させられてしまいました。江華島条約(1876)です。
このお話は、朝鮮と日本のどちらが悪いとか言うような問題ではありません。事大主義朝鮮の悲劇です。そして、あえてこの時代で善悪を付けるなら、朝鮮が弱かったことが罪だったのです。
列強の帝国主義がはびこる弱肉強食のこの時代、弱いことは罪でした。この少し前にペリーが日本に来て黒船外交を行い日本を開国させました(1853:日米和親条約)。そしてハリスは不平等条約(1858:日米修好通商条約)を押し付けました。アメリカが悪いのか?違いますね。アメリカは当時の世界で常識的な行動を取ったまでです。相手より強い軍事力を持っていれば相手より有利な立場に立つのは理の当然で、当時、この時点で日本が弱いことが罪だったのです。
国際情勢や彼我(ひが)の実力も省みず、また、ことの真贋も見極められず、華夷秩序・儒教信奉・事大主義の王国の中で教条主義に凝り固まって突っ走っていくその姿勢は結局この後も改まらず、朝鮮にさまざまな悲劇をもたらしていくのです。
参考文献:小室直樹「韓国の呪い」光文社
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※引用文中の画像は、私が勝手に挿入
【こんてんつ】
日韓併合前夜 事大主義の悲劇 李朝末期 2つの戦争 そして併合へ… 朝鮮総督府
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2005年12月17日 (土)日韓併合前夜
最近歴史の事柄をインターネットや書籍の情報を元に照らし合わせる作業が増えてきた。いつの日か、誰かが関心を持った時の調査の手がかりとなりうるためには、整理しておくことが重要であるが、地道な作業で時間を要する。
インターネットを閲覧しているとリンク切れサイトに出くわすことがしばしばある。運がよければGoogleのキャッシュに残っており、それを閲覧できる。これらの中には、貴重な情報なのにプロバイダの圧力で削除されたのではと思わされるサイトもある。
記事作成の大変さを体験しているので、貴重な情報が瞬時になくなるのは、残念を通り越して悔しく感じる。そこで、今回は、最近見つけた、らすかるさんのサイト「日本が寄生虫に…」を勝手ながら復活させることとした。
記事の分類に新たに「日本が寄生虫に…」を設け、今後、順次追加していく予定である。
・このページについて
AYLI 〜As You Like It - 日本が寄生虫に…このページについて
【はじめに】
朝鮮半島からのイチャモンを蹴っ飛ばせ!…という目的で作っているサイトです。
基本的には朝鮮半島の歴史なんですが、間違って覚えている日本の歴史とかも書いてみたいなぁ…などと大風呂敷を広げてみたり(^_^;)
覚えこまされた「間違った」歴史観の払拭、中朝韓3国の現状認識、そして、この3国の荒唐無稽なイチャモンの数々を撃退するだけの知識を流布すること…を最終目的にしています。
できるだけ全ての話にソース(情報源:新聞記事や資料等)を明らかにし、正しい論理展開をすることにより、「決して思い込みや勘違いでない情報と知識」を届けたいと思います。基本的にソース至上主義
疑問等ありましたらお寄せください。また、管理人も人間ゆえ間違いもあるやにしれませんので、ソースを明示、あるいは正確な論旨での突っ込みもお待ちしています。(ただし、思い込みを叫ぶだけとか、お経を唱えたりするのはご勘弁ください)
ウチのHP自体は、リンクも日記リンクもフリーです。特に断る必要はありません。
ただ、ウチのHPの性格上、敵が多いです。よって、よほどの強者と見込んだ場合や特にお断りする場合を除いて、こちらから勝手に日記リンクは貼りません(晒し者リンクの可能性はあるw)。
上記を覚悟の上で、日記リンクして欲しい方は「ウチもリンクしろや、(#゚Д゚)ゴルァ!!」と、その旨お伝え下さい。
また、転載・引用についても特に制限は設けませんが、引用(転載)元の明記(リンク貼る&URL明示)はお願いします。また、転載・引用いずれの場合もお知らせ頂けると嬉しいです(^_^)
#「お知らせ」については強制ではありません。リンクの場合はお知らせは必要ありません。お手数をお掛けしますがよろしくお願いします。
簡単な日記の感想等は掲示板にしていただいて構いません。が、議論になると予想される場合はtarget=_blank>らすかる雑談板の方でお願いします。理由として、楽天の掲示板は制限が多い(字数、ログの保持など)ため。
- 同一の話題でのやりとりが数回以上続く
- (楽天掲示板で)1回の投稿を複数に分割しなければならない長文になる
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基本的に反対意見、指摘等が議論になると予想されますw
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2003.9.27
らすかる
・はじめに
AYLI 〜As You Like It - 日本が寄生虫に…はじめに
日本人は歴史を知らない!
これは韓国・北朝鮮、あるいは朝鮮・韓国人と在日(以後、特に断らない限り、前者は「朝鮮」、後者は「朝鮮人」と呼びます)に、日本人がよく言われるセリフです。
確かに日本人は朝鮮についての歴史を知らないのは事実です。これはある意味で仕方のないことと言えるでしょう。現在の日本にとって最も重要な関係国は良かれ悪しかれ、アメリカ合衆国であることは衆目の一致するところですが、その最大の関係国であるアメリカの歴史をあなたはどれほど知っているのと聞かれると…せいぜいワシントンが初代大統領で、リンカーンが南北戦争したり…って程度で、正確に詳細に時系列を追えるのは米文学等を専攻している人や特別に興味がある人くらいです。
最大の関係国ですらこの状態ですから、朝鮮について知らなくても無理はありません。朝鮮に関わりのある商売をしている等、特別な事情のない限り、日本にとって大して重要でない国の歴史を知っている方がcolor=#ff0000>本来異常とも言えます。数十万人の在日韓国・朝鮮人(以後、特に断らない限り「在日」と呼びます)とストーカー朝鮮半島がイチャモンを付けてこなければ、左翼政治家・言論人・進歩的文化人らがそれに呼応して騒ぎ、また、マスコミがあれほど熱心に取り上げなければ、一般の日本人にとって興味も無い、本来どうでもいいことなのです。
しかし、日本人が朝鮮半島の歴史を知らないのをいいことに、
彼らは、あらゆる隠蔽・歪曲・捏造を施した朝鮮に都合のいい歴史を作り出し、流布しました。左翼勢力には日教組と呼ばれる教職員集団も含まれますから、子供たちの教育にまでこの歴史を浸透させます。かくいう私も浸透させられた一人でした。しかし、彼らが一般の日本人に知って欲しいのは歴史ではなく、彼らにとって都合のいい物語なのです。例えば、
「日韓併合(1910)は極悪非道な軍事主義国家・日本が、平和に暮らしていた朝鮮に理由もなく突然襲いかかり併合してしまった。そして史上最悪・悪辣な植民地支配を行った…」
これが事実だと思い込んだ日本人はどう考えるでしょうか?よほどの冷血漢でもない限り「悪いことしたなぁ」「すまんなぁ」…こう思い込むことによって、朝鮮と朝鮮人は立場が強くなり、相対的に(絶対的にも)日本は弱くなります。それが朝鮮人にとって都合のいいのは言うまでもありませんが、革命を目指す(あるいは目指していた)左翼政治家・言論人・進歩的文化人にとっても現日本の弱体化は都合がいいのです(ちょっと語弊があるから後に詳述する予定)。
これまではこの左翼勢力がマスコミ・教育界の支配的な勢力でしたが、時も経ち、世界の共産・社会主義国家は次々と崩壊し、北朝鮮が拉致を認めるに及んで北朝鮮の内部の様子が詳細に報道されるようになると、さすがに何かおかしい…と思い始める人が増えてきました。
しかし、まだまだトンデモないことを言う人はいます。「拉致された5人はもう一度北朝鮮に帰すべきだ」はその最たるものです(こんなもんに賛成するまともな日本人がいるとは思えない)が、「北朝鮮に食料援助を初めあらゆる援助を行うべきだ」「米朝戦争回避のために日本はアメリカを抑えよう」…等々、いったい彼らは何が目的でこのような主張をするのでしょうか?
そして、「日本人は歴史を知らない!」と文句を付けている、韓国・北朝鮮・日本の民族系学校が朝鮮人に教える朝鮮の歴史も酷いものです。都合の悪いところは意図的に隠蔽。ほとんどでっち上げに近い偉大で栄光あふれる朝鮮民族史しか教えないのですから、彼らの勘違いは止まるところを知りません。
そして、近年では半万年(5000年)の歴史でも大概誇大広告なのに7000年の歴史(最近は1万年とか言い出した…)にグレードアップし、古朝鮮は満州を含みベトナムにまで至る広大な版図をもつ帝国になり、万葉集は朝鮮語で読めて、武士の起源は朝鮮とか、果ては英語の起源は朝鮮とまで言い出す始末です。
…しかも、彼らは本気です!(笑)
つか、上記リンクの日記…まさかこれほどとは(^_^;)
英国人の先祖が韓国人だなんて…普通の脳みそでは思いつきません(笑)歴史を知らないのはどっちだ!!
たまに分かっている人もいます。それを言えない環境の中でそれを発言する人もたまにですがいます。
我が五千年の歴史はひと言でいって退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった。いつの時代に辺境を超え他を支配したことがあり、どこに海外の文物を広く求めて民族社会の改革を試みたことがあり、統一天下の威勢でもって民族国家の威勢を誇示したことがあり、特有の産業と文化で独自の自主性を発揮したことがあっただろうか。いつも強大国に押され、盲目的に外来文化に同化したり、原始的な産業のわくからただの一寸も出られなかった。
「われわれのもの」はハングルのほかにはっきりとしたものは何があるか。我々はただ座してわらを編んでいただけではなかったか。
自らを弱者とみなし、他を強大国視する卑怯で事大的な思想、この宿弊、この悪い遺産を拒否し抜本せずには自主や発展は期待することは出来ないであろう。
以上のように我が民族史を考察してみると情けないというほかない。全体的に顧みるとただ唖然とするだけで真っ暗になるばかりである。
このあらゆる悪の倉庫のような我が歴史はむしろ燃やして然るべきである。
「朴正熙選集」−我々は今何をいかになすべきか−
近代韓国の祖 韓国史上唯一の英雄・愛国者 朴正熙 韓国大統領韓国の大統領をしてここまで言わしめた朝鮮の歴史は、普段彼らが語る民族的栄光に満ちたものでないことは確かです。それとも朴正熙大統領は売国奴で嘘を吐いていたのでしょうか?(笑)
日本人が正しい歴史を知らないと、朝鮮人とその仲間たちの垂れ流す捏造歴史に反論できないまま濡れ衣を着せられてしまいます。「おかしいな…」と思っても何がおかしいかハッキリと分からない人のためにこのページを造ることにしました。これまで流布され、信じる人が多かった捏造の朝鮮史を返上し、真実の朝鮮史を明らかにしたいと思います。
・日韓併合前夜
AYLI 〜As You Like It - 日本が寄生虫に…日韓併合前夜
併合前の状態や経緯を知らずして、併合の罪科を問う…
そんなことしちゃダメ!
日韓併合(1910)は極悪非道な軍事主義国家・日本が、平和に暮らしていた朝鮮に理由もなく突然襲いかかり併合してしまった。そして史上最悪な植民地支配を行った…というのが、一般的な認識ではないでしょうか?
それが大間違い!
と、いう話も多少は耳にされていると思います。が、いきなり、強制連行も従軍慰安婦も嘘だ!と言ったところでなかなか信じてもらえないでしょう。
かの地を覆っている思想や考え方を歴史的に俯瞰しておかないと、今、懸案となっている諸問題もまともに理解できないどころか、左翼政治家・日教組・左翼マスコミに隠蔽・歪曲・捏造された歴史プロパガンタに騙される結果になります。
また、歴史的な事実の功罪は、その事実が起こった頃の価値観や思想・潮流を理解しないと判断できません。現在の価値観から過去を断罪することは、法の遡及適用にも似て、厳に戒められるべきことです。
ここでは、皆さんの理解の一助となるべく、朝鮮半島の簡単な歴史と思想を説明し、併合前の半島の状態と、併合に至る経緯を記したいと思います。
こんてんつ
日韓併合前夜 事大主義の悲劇 李朝末期 2つの戦争 そして併合へ… 朝鮮総督府 Copyright (C) 2003 AYLI
最終更新日 :
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・(H18.01.04)大航海時代のキリスト教布教活動にみる日本への脅威
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2005年12月10日 (土)偉大なる在日コリア人の秘密!
特定アジアの国々から、日本は「歴史を反省しない」と言われ続け、私自身も記事のコメント欄に「痛いな… 少し歴史の勉強してから言いましょう。 程度が知れますよw」と書かれる始末である。
このような便所の落書きのような良い方向に進むとは思えない非生産的なコメントが続くと、労力が無駄なのでコメント欄を閉鎖しようと考えさせられる次第である(メールがあるし)。
さて、今回は、在日朝鮮人の歴史を勉強し、在日朝鮮人との関係を再考してみたい。在日朝鮮人のルーツを辿るには、以下のご指摘通りにチェジュ島の歴史を紐解くのが良さそうである。
・在日Q&A
大日本焼肉文化研究所
Q1 在日コリアンとはどのような人々のことをいうのですか? かつて日本が朝鮮半島を植民地(しょくみんち)にしていたころ(1910年〜1945年)、仕事をもとめて、あるいは強制的(きょうせいてき)に、たくさんの朝鮮人が日本にやってきました。
日本語を話せないようなものをどうやって使うのですか?現在コリアからの不法入国者の仕事といえば泥棒、強盗、売春、日雇い労働ぐらいです。どんな職場で強制的に働かせるの?
そのころ朝鮮人は「日本人」とされていたので、パスポートをもたずに入国できたのです。1945年に戦争が終わったときには約200万人のコリアンが日本にいましたが、戦後140万人が帰国(きこく)し、60万人がそのまま日本にのこりました。このように、日本でくらすことになった人やその子孫が「在日コリアン」です。1980年ごろから結婚や仕事で日本に来たコリアン(新渡日者)も増えています。
あれ?在日の大半はチェジュ島から不法入国した人では?
(省略)
チェジュ島とは、朝鮮語読みであり、日本語読みでは、済州島(さいしゅうとう)と呼ぶようである。場所を以下に記す。
・済州島
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』済州島(チェジュとう)は、大韓民国 済州道に属する島。(省略)
歴史
3世紀の中国三国時代には、州胡として現れる。その後耽羅国になり、4世紀頃には、百済に服属していた。(省略)
済州島には、その昔、耽羅(たんら)という国が存在していた。この時代は、先日の古代朝鮮と同一時代である。耽羅と各国々との関係を結びつけながら歴史を学べば理解が更に深まると思い年表を再び更新してみた(クリックにて拡大)。
それでは、耽羅の歴史を以下に引用させて頂く。
・耽羅
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』耽羅(たんら, Tamna)は朝鮮の済州島に古代から中世にかけて存在した王国である。百済、統一新羅、高麗に内属し、15世紀始め李氏朝鮮に完全併合された。
(省略)
三国史記には耽羅が476年百済東城王に服属したと見え、以後百済に朝貢していた。しかし660年百済が唐軍に侵攻によって突如滅亡すると、耽羅は大混乱に陥った。日本書紀によると、このとき唐から帰国する日本の遣唐使船がたまたま耽羅に寄港し、唐軍の侵攻を恐れる耽羅はしばらく日本に朝貢を送り続けた。だが、新羅が半島を統一するとその勢力は耽羅にも及び、耽羅は統一新羅に服属することになった。
(省略)
935年に新羅が滅亡すると、耽羅はしばらく独立したが、938年には高麗に服属した。高麗は1105年に耽羅郡を設置し、1121年には済州と改称した(省略)。元は高麗を制圧すると、1274年に耽羅を直轄地にして牧場を置いた。(省略)
耽羅も他の朝鮮半島の国々と同様に朝貢文化であったようだ。朝貢によって、強い国に媚びていたが、この国も多分に漏れることなくマキアヴェッリの言葉「他者を強力にする原因をつくるものは、自滅する。これは、ただ一つの例外も存在しないと言ってよいほどの、普遍妥当性をもつ原則である。なぜか。(省略)」を否定する材料にはならなかったようである。
少し駆け足かもしれないが、引き続き、日本へ密入国するまでの歴史をご紹介させて頂く。
・偉大なる在日コリア人の秘密!
大日本焼肉文化研究所★在日済州島人の歴史SAMPLE。※引用文中のURLはリンク切れだったので類似すると思われる記事に変更した。
元々、耽羅国という独立国家。朝鮮民族ではない。
日本人によって建国されたという伝説がある。(高麗史57巻)。
↓
高麗に滅ぼされる。(しかし宗主国が元の時代は高麗とは別の国として管理されていた)
↓
戦前は出稼ぎで日本に来る。密入国も含まれる。
↓
戦後、帰国する。
↓
しかし酷い地域差別と1948年の済州島4.3事件(共産分子の粛清、数万人が死亡)から逃れ、再度日本に密入国。
東京の東上野、大阪の生野などに済州島人部落を形成する。
↓
韓国最南端の地域でありながら、韓国を憎んで日本では朝鮮総連(北)に所属。
↓
密入国を隠す為に「我々は日帝に強制連行されて来た!」と絶叫する。
↓
北朝鮮による日本人拉致が発覚。先祖の怨みも忘れて、コソコソと韓国民団に移籍。
↓
耽羅国の事は完全に忘却。済州島大虐殺事件&地域差別の怨みも殆ど忘却。
税優遇措置やパチンコマネーの為だけの「擬似的民族」を保持する集団に成り果てる。
しかし、その為に必要な「日本への怨念」だけは未来永劫、抱き続けるであろう・・・。
※上記のSAMPLEとかなり適合する例↓(済州島4.3事件を“米軍政下での弾圧・虐殺”と言い換える)
>両親は戦時中、いったん済州島へ帰ったが、1948年の米軍政下での弾圧・虐殺を逃れ、再び日本に・・・
>父は熱心な社会主義運動家だった。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)支部の幹部になり・・・
>もともと朝鮮籍だったのを韓国籍に変えたんでしたね。http://www.chaeil.net/HTML/Stories/2003/02/22/10459351688.html
http://be.asahi.com/100/b/20021207.html
※しかし、命の恩人である日本に対し、この言葉!↓
>新日本人になるためのいろんな儀式が非常に屈辱的に思えたので、とりあえず何人でもいいや、と。
なお、在日コリアン人は日本におじいさんの墓などないのに強制連行されたnida!
などという妄想をいいます。
当然大日本帝国に強制連行されたのならば、1945年時点で20歳、現在にして80歳ぐらいのコリア人がいても良いはずですが、なぜかほとんどいません。
じゃーしんだのかというと、当然墓もありません。
だいたい、日本語をまともに話せないようなコリア人なんぞ強制連行して働けるところなんかは日本でも当時からありません。
代わりの日本人は当然いっぱいいる。
現在でも不法入国のコリア人の仕事は?
泥棒、強盗、スリ、日雇い労働者、売春婦、風俗などです。
とうぜん大日本帝国時代は厳しいし、貧しいから上記のような職業に就くことも難しい。
墓は祖国にあるのだから一度ぐらい墓参りにいけばどうですか?
(在日コリア人の祖先の大半は白丁という元奴隷だから墓がないかもしれないが。白丁には名前も墓もなかったらしい。
よく可哀想な方が元々コリアでは皇族だったが、大日本帝国に財産を奪われ日本にきたというほら吹きが結構いますが、当然李氏朝鮮の皇族、大寒帝国の皇族は日本の皇族に次ぐ厚遇を受けた。
(大日本帝国は朝鮮の皇族を保護したが、1948年以降当然、弾圧して滅亡した。)
だいたい、そんな地位の高い人間が日本に出稼ぎに来るはずないだろ。
あほが常識でものを考えろ。
半万年、貧国から大国に出稼ぎに来るのは差別されていた貧乏人と相場が決まっている。
まあ、所詮コリア人だからそんなことをしないだろうけど。
もし強制連行されて日本にいるのならば、その先祖の墓が日本にあるだろう。
が、当然そんなものはない。
さすがに墓までねつ造はしないらしい。
なぜか在日コリア人の墓と80代以上のコリア人は少ない。
なぜなら日本にいるコリア人の大半は朝鮮戦争から逃亡した犯罪者の子孫だからである。(当然祖国でも犯罪者です。北コリアでは身分制度の中で最下位いになります。
まあ、敵前逃亡だから当たり前だけど。
なんでも敵前逃亡どころか、朝鮮総督府の職業でも身分が一生決まるらしい。
私も、上記SAMPLEと適合しそうな例(済州島4.3事件を“朝鮮戦争”と言い換える)を纏めてみた。
1910年、朝鮮が日本に併合される
↓
日本より1000年以上遅れた土人の国が近代化される
↓
日本が敗戦し、ポツダム宣言受諾により、外国人となった
↓
敗戦国ではなく在日朝鮮人をアメリカや中国同様に戦勝国として扱えと主張
(在日朝鮮人は敗戦国の日本国籍を維持したくない)
↓
日本への併合は暴力と脅迫による非合法だったので、そもそも日本国籍を保有していないと主張(朝鮮人は、一貫して、朝鮮・韓国籍だった)
↓
本当に日本が嫌いな在日朝鮮人は帰国
↓
1950年、朝鮮戦争が嫌で再密入国
↓しかし戦勝国扱いして欲しいがために自ら日本国籍を拒否したことを忘却し、この言葉!
「日本は敗戦の際に在日朝鮮人に朝鮮と日本の国籍を選択する権利を与えるべきだったのにそうしなかった、在日は日本国籍を剥奪されたのだ」
このようなことでは、在日朝鮮人が存在している間、「日本への怨念」だけは未来永劫、抱き続けるであろう・・・。
纏めるにあたって勉強させて頂いたのが、こちら。
・第40題 在日朝鮮人は外国人である
「歴史と国家」雑考止めても止まらぬ同化の流れ
(省略)
近頃在日たちが、公務員の就職のすべての門戸を開けとか、在日外国人にも参政権を与えよ、という運動を進めていることがマスコミに報道されるようになった。どう考えても彼らの運動は、徹底した日本志向あるいは限りなく日本人に近づく運動であり、帰化すればすべてが解決する問題である。そこまで主張するのなら、外国籍であることの意味は一体何なのであろうか。
しかし在日朝鮮人は外国人である
在日朝鮮人の国籍について、日本政府の立場からいうと次のようになる。1910年の日韓併合によって朝鮮が日本の植民地となったので、朝鮮人は対外的にはすべて日本国籍を有することになった。第二次世界大戦では日本はポツダム宣言を受諾して終戦となったが、その宣言のなかに朝鮮の独立が謳われており、日本は朝鮮の独立を認めた。朝鮮の独立により朝鮮に住む朝鮮人の国籍は日本国籍でなくなり、在日朝鮮人のそれについては一応外国人として扱った。戦後の日本は敗戦国として占領軍支配下にあったが、52年に講和条約を締結して独立国として世界に認められることにより、在日朝鮮人は正式に外国人となった。在日朝鮮人が外国人として扱われることについて、本国の韓国や北朝鮮政府だけでなく在日朝鮮人自身からも異議はなかった。
朝鮮の方の主張は次のようになる。1910年の日韓併合は暴力と脅迫により強制されたものであり、無効である。その後36年間にわたる植民地化は全くの不法不当である。従ってその時の朝鮮人は日本国籍を有していたと見てはならない。朝鮮人は一貫して朝鮮・韓国籍を有していたのだ。
対立点は、日韓併合・植民地化が合法正当だったのか、不法不当なものだったのか、ということである。すなわち日本は合法正当だから日本国籍を持っていた、朝鮮側は不法不当だから日本国籍は最初からない、となる。
65年の日韓条約締結までの日韓交渉で、最も対立し紛糾した一つがこの点(合法か不法か)であった。いま日本は北朝鮮と国交樹立に向けて交渉中ということになっているが、北朝鮮もこの点については韓国と同じ見解であるので、いずれ同じように対立することになろう。
植民地下とはいえ自分は日本国籍をもって生まれ育ってきた、日本国籍を放棄した覚えはないと主張する在日が70年以降現れた。これはさらに、日本は敗戦の際に在日朝鮮人に朝鮮と日本の国籍を選択する権利を与えるべきだったのにそうしなかった、在日は日本国籍を剥奪されたのだ、という主張に繋がっていく。そしてその考え方の前提は、植民地化が合法正当であったとする日本政府の立場と同じであることに注意が必要である。
またこの日本国籍剥奪論は、その考え方が正しいとしても今や遅きに失する。終戦直後の日本が連合軍の占領下にあった時に、在日朝鮮人が外国人であることは当事者自身が主張したのだ。正確に言うと、在日朝鮮人はアメリカやイギリス・中国と同様の戦勝国民(連合国民)として扱え、敗戦国民(被占領国民)である日本人と同じにするな、というものであった。つまり日本国籍を維持したいという意見は全くなかったのである。
在日朝鮮人が外国人であることは認めなければならない。そして外国人が内国民より不利な取り扱いを受けることは、世界のどの国でも行なわれていることで、従って不当なことではない。在日も外国人であるが故に、日本人よりも不利であることは当然のことである。問題があるとすれば、その不利なことが合理的なものかどうか、人間としての尊厳に触れるものかどうか、ということであろう。
いくつかの種類のSAMPLEの適合例より、大陸国家の人間は恩知らずで野蛮な行動をとるという地政学の思想が当たっていることがわかる。また、マキアヴェッリの「同じ地方に生まれた人々は、時代が変わろうとも、同じような気質を持ち続けるものである。」とのお言葉を考えながら歴史を振り返ると弥生時代の大陸からの帰化人(渡来人)も難民だったのではないかと勘ぐってしまう。教科書で習ったことを疑う理由は、当時の日本に水田による稲作が既にあったとされる説もあるにもかかわらず、大陸から稲作を学んだという一方の説のみを歴史教科書に載せる現状を考えると、大陸文化はありがたいということを刷り込ませたい意志が見え隠れするからである。
また、かつての恩を忘れ、反日活動家になる在日朝鮮人の話を読んでいたら、以前、ご紹介させて頂いた記事「在日医師による日本人殺人予告再考」を思い出してしまった。実際の戦時徴用は下記のように245人であり、それ以外は、全て自らの意思で日本に居る人間なので、言われなき恨みは本当に、勘弁して欲しい限りである。
・朝日新聞が認める「強制連行は無かった」
nikaidou.com【12/2(金)3:30】<YNさんより>
いつもnikaidou.comを応援しているものです。貴重な情報を御提供して頂いて有難うございます。
先日図書館で日本は朝鮮人を強制連行していないという朝日新聞の記事を発掘しました。このころの朝日はいくらかまともだったのでしょうか。 良識ある日本人は皆不逞鮮人にハラワタが煮え繰り返っております。nikaidou.comでこの記事を取り上げて頂けないでしょうか。これは、という記事また見つけたら送ります。
【昭和34年7月13日朝日新聞】
大半、自由意志で居住--外務省、在日朝鮮人で発表--戦時徴用は245人
在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきたもので、いまでは不要に なったため送還するのだ」との趣旨の中傷を行っているのに対し、外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」について発表した。
これによれば在日朝鮮人の総数は約六十一万人だが、そのうち戦時中に徴用労働者として日本に来た者は二百四十五人にすぎないとされている。主な内容は次の通り。
一、戦前(昭和14年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約百万人で、終戦直前(昭和二十年)には約二百万人となった。増加した百万人のうち七十万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。残りの三十万人は大部分工鉱業、土木事業の募集に応じてきた者で、戦時中の国民徴用令によるものはごく少数である。また、国民徴用令は日本内地では昭和十四年七月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ昭和十九年九月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年三月の下関--釜山間の運航が止るまでのわずか七ヶ月間であった。
一、終戦後、昭和二十年八月から翌年三月まで、希望者が政府の配給、個別引き上げで合計百四十万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和二十一年三月、連 合国の指令に基く北朝鮮引揚計画で三百五十人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者のうち七十五%が帰還している。戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。現在、登録されている在日朝鮮人は総計六十一万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労働者としてきた者は二百四十五人に過ぎず、現在日本に居住している者は、犯罪者を除き、自由意志によって残留した者である。
→上記新聞はクリックすると大きくなります。さて、朝日新聞が認めているとおり、「強制連行は無く、戦後残っている朝鮮人は「日本がいいと思って勝手に残って住み着いた」連中だ」ということが改めて証明されましたね。大体、日本は戦後朝鮮人を送り返しているのですから、今いる連中は勝手に残った連中なのは当たり前です。いやぁ、面白いですね朝日新聞。主張が今とは反対でめちゃくちゃです。YNさん、今後の投稿も期待しております。
では、なぜ、在日朝鮮人が帰国や帰化を拒み続けるかといえば、帰国すれば再び差別されることもさることながら、日本に居れば以下のような甘い蜜を吸えるからであろう。
・在日は3日やったらやめられない
nikaidou.com 【12/4(日)9:30】<がおさんより>
拾いました
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《 在日が帰国・帰化しない理由 「在日特権」 》
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/2487/
[地方税] 固定資産税の減免
[特別区] 民税・都民税の非課税
[特別区] 軽自動車税の減免
[年 金] 国民年金保険料の免除
心身障害者扶養年金掛金の減免
[都営住宅] 共益費の免除住宅
入居保証金の減免または徴収猶予
[水 道] 基本料金の免除
[下水道] 基本料金の免除
水洗便所設備助成金の交付
[放 送] 放送受信料の免除
[交 通] 都営交通無料乗車券の交付 JR通勤定期券の割引
[清 掃] ごみ容器の無料貸与
廃棄物処理手数料の免除
[衛 生] 保健所使用料・手数料の滅免
[教 育] 都立高等学校
高等専門学校の授業料の免除
[通名]なんと、公式書類にまで使える。(会社登記、免許証、健康保険証など)
民族系の金融機関に偽名で口座設立→犯罪、脱税し放題。
職業不定の在日タレントも無敵。
凶悪犯罪者の1/3は在日なのに実名では報道されない。
[生活保護] 家族の人数 × 4万円 + 家賃5万円 在日コリアンは、ほぼ無条件で貰えます。
日本人は孤児だろうと病気だろうと、絶対に貰えない。
予算枠の大半を、人口比率1%未満に過ぎない在日が独占。
ニートは問題になっても、この特例は問題視されない。
[住民票] 「外国人登録原票」は通常、一般人では閲覧できない。
( 日本人の場合、債権関係の係争で住民票を閲覧される )
「生活保護予算の大半は在日だけの特権保護費」
→在日は3日やったらやめられないですな。こんな連中のせいで、我々の血税が無駄に使われ、日本人の老後は脅かされ、災害があってもロクに復興すらしない。日本という国は、カネの使い道を間違っているのです。もはや戦争など関係ありません。それに、今日本にいる朝鮮人は”日本のほうが居心地がよくて勝手に居残った”連中ですから、それを優遇してやる必要なんてありません。差別は、あって当たり前。差別を無くすなら、全員東大を卒業させて財務省に入省、給料は年齢で皆同一。万事それで解決です。でもできないでしょう。差別はあって、あたりまえなんです。その上で人間として強くなる。大体、日本国は日本人のものです。
ここで、再びマキアヴェッリのお言葉をご紹介させて頂く。
・国家篇 41
マキアヴェッリ語録いくつかの民族は、なぜ自分たちの土地を捨てて他国に侵入し、そこで国を創るかの理由だが、これは戦争の一種と見るべきであろう。
この人々は、戦乱によるか飢餓のためかして、やむをえず家族ともども侵入してくるわけだが、この種の侵入は、領土欲に駆られてではない。とはいえ、先住民族を追い出したり殺したりすることにおいては、変わりないのである。だからこそ、通常の戦争よりも残酷な様相を呈する場合が多いのだ。
この、やむを得ずにしても新天地を求め侵入してきた民族がもしも非常に多数の人間からなっている場合は、必ずといってよいほど先住民族を追い出し、殺し、財産を奪った果てに新国家を建設するようになる。
そして建設の後は、モーゼがしたように、またローマ帝国のあちこちに侵入した各民族が行ったように、地名を変える現象が起こる。
(省略)例をあげていくときりがない。モーゼも、彼が征服したシリアの一部の地方を、ユダヤと呼ばせたのであった。
我が国に対して敵対的な行動をとる在日朝鮮人とは、マキアヴェッリが言われる戦争状態ではあるまいか。その在日朝鮮人に対して、優遇する措置は、先に述べたマキアヴェッリの言葉「他者を強力にする原因をつくるものは、自滅する。」に該当し、我が国が自滅に繋がるので、廃止して頂きたい。
最後に、在日朝鮮人や済州島に関するいくつかの記事をnikaidou.comさんより引用させて頂く。
・田原総一朗、右翼に狙われる
nikaidou.com 【11/29(火)7:00】椿さんより以下のような投稿をいただいた。
「いつもためのなる情報をありがとうございます。今回は、天皇家に対する在日の本音がはっきりと出ているところを見つけました。
http://www.janjan.jp/nigaoe/0511/0511130071/1.php
ここの一番下にですがこんな意見があります。
>神様!!皇室も早く民営化され、将来愛子ちゃんが在日コリアンと恋に堕ち結婚すしますよぅ〜〜〜に!!
ええ、あまりにもおふざけが過ぎています。よりにもよって在日が天皇家を乗っ取りを狙っているということですから。これで女帝容認論や皇位継承は長子優先というのがいかに間違っているかが良くわかります。このままでいけば間違いなく天皇家は朝鮮人や支那人に乗っ取られてしまうことが明白です。そしたら天皇家は天皇家でなくなってしまい、外国人による新王朝となってしまうでしょう。そうでないとしても、皇帝から国王に権威が落ちてしまい日本の国益に反します。それは間違いなく日本の危機です。二階堂様、女帝容認や皇位継承は長子優先という方針を固めた有識者会議のメンバーとその背後にいる天皇家潰しを狙っている国会議員達や官僚達をどうにかして潰してください。天皇家が落ちてしまったら日本はおしまいです。」
↑ここまでが投稿だ。悪徳害人は殲滅したほうがいいというのはいうまでも無いが、その前に、先日金曜日の朝まで生テレビで田原総一朗が
「天皇はね、タダメシ食ってるんですよ」
という発言をしたが、あれについて民族派の多くの団体が怒りをあらわにしているという。ヒモじゃあるまいし、タダメシ喰らい呼ばわりはないだろう。あーあ、トラの尾踏んじまったねぇ。
テレビ朝日の周りも騒がしくなりそうだ。
(田原の名前が間違ってまして一応直しましたが、あんなのの名前なんてどっちでもいい。日本人じゃないんだから(笑)。)
・タイ諜報部員より、逆輸入情報
nikaidou.com 【11/28(月)1:00】
<タイ諜報部員さんより>
(省略)
以上です。もうすぐ師走、日本はお寒いでしょう。ついこの間、梨本放送協会のライブ中継を聴いたばかりのような気がするのですが、早いものですね。あ、今年は年末何をされるのでしょうか、楽しみです。年末年始の日本のマスゴミ攻勢にウンザリしているネチズンは非常に多いと思います。二階堂さんのエンターテイナーとしての面目躍如、大いに期待しております。
長くなりました。どうぞ、お身体を大切に。また、投稿いたします。では皆様、お元気でご活躍くさいませ。
草々
→今年はまだ未定、というライブ中継は難しい感じですねぇ。さて外務省ですが宗男は全部やるようですよ。ところで西村真悟をハメたのは済州島出身者の母を持つ男でした。金持ってるんだよなぁ。竹下の裏金、まだスイス銀行にあるんですな。
・日本に生きろ。老後も日本で生きたければ。
nikaidou.com 【11/20(日)11:30】<KMさんより>
「KM様 日本の国は自分で守るというのが基本だと思います。そのため、他国からの信頼感を維持するために国連主義が必要です。定住外国人への地方参政権の付与は、疎外感を弱め、地域住民の連帯感を高める効果があると思います。 小沢一郎」
小沢はん… 国連が日本のために働いてくれる機関なら国連主義大賛成だし、何か無理に金出させられてる気がするからチャリティーって言葉にも胡散臭さを感じるんです。まだ日本国は敗戦国扱いでしたっけ。
在日外国人だって帰化して売国しないで真面目に働くならそれでOKっすよ。岩手と京都にはどんな朝鮮つながりがあるんでしょうか?疎外感って裁判所で怒鳴り散らす奴等なんか相手にしたくないですが、そうさせるヤクザもいるんでしょうね。
→小沢一郎の母親は済州島に墓があるんでしたっけ?出身でしたっけ。同じか。ところで小沢は東京ゼネラルの口利きはどうしたのでしょうか。そのほかインチキが多すぎますね。中国は小沢一郎に対してはゼッタイに強気に出ません。なぜなんでしょうね。そういうところをメディアは報じればいいものを、何も報じない。政治家のインチキも報じない。だからネットにおいていかれるんです。
在日朝鮮人に対する対応が無策のまま続くと将来が不安である。
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・(H17.09.16)コリアV.S.大日本帝国
・(H17.10.29)在日Q&A/【鳥取】人権条例反対ビラ配り10/30
・(H17.12.03)不毛な地を奪いあう古代朝鮮史から学ぶこと
【参考書籍】新潮社 [著] 塩野 七生ASIN:4101181063 /文庫/251頁発売日:1992-11ランキング&評価:---位 4.57価格:¥ 420 [2006-06-16 Amache]5 - 知恵の詰まった本5 - 鋭く胸に突き刺さる抜粋!5 - 現実と向き合った書5 - 入門書として良書5 - ビジネス本が不毛に感じる宝島社 [著] 野村 旗守, [著] 宮島 理, [著] 李策, etc.ASIN:4796653295 /単行本/144頁発売日:2006-05-23ランキング&評価:---位 4.5価格:¥ 900 [2006-07-29 Amache]5 - 人がいいだけでは駄目だということ5 - 真実の日本近代史を知ろう!5 - タブーとして秘匿されて続けていた「在日特権」5 - 公正、多角的に「在日問題」を分析した良書、日本人必読4 - 比較的公正さを持って書かれている本
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2005年12月03日 (土)不毛な地を奪いあう古代朝鮮史から学ぶこと
日本では大和時代と呼ばれる時期の朝鮮半島には、大和朝廷の支配下にあったとされる任那(みまな)のほかに、高句麗(こうくり)、新羅(しらぎ)、百済(くだら)の4国があったと思われる旨を先日の記事で述べた。任那は大和朝廷にとって、中国の文化を取り入れるための玄関として重要な役割を果たしていた。
地政学では、「隣接する国は互いに敵対する」との名言があるが、この時代も例外ではなく戦乱の時期であった。今回は、この頃の古代朝鮮をテーマに述べたい。先日、古代日本の記事を書いていた時には、地味そうで関心が薄かった古代朝鮮史に触れるとは思いもしなかったというのが本音である。しかし、この歴史から反面教師として学べることが多分にあると思うので、最後まで読んで頂ければ幸いである。
古代朝鮮史を語るに先立って、まず、他国を野蛮な国と見なし差別する中華思想の国(中国)との関係を知っておくことが理解を深めると考える。この関係を説明する用語として、「三跪九叩頭」、「冊封」、「朝貢」などがしばしば用いられるので、これらの意味をおさらいしてみたい。
・「日中友好2千年」という虚構
国際派日本人養成講座 H16.10.24■1.2千年の友好関係?■
余談ながら筆者は1997年に、中国の人民解放軍・国防大学を訪問し議論したが、その時、国防大学教官たちは、「日中関係は過去2000年間、友好関係にあったのに、日中戦争で日本人がこれを壊してしまった」と説明したので、筆者は「中国は4000年間にわたって外国人に朝貢関係しか認めず、必ず三跪九叩頭を強制してきたのに、これが平等な友好関係と言えますか」と反論すると、彼らは一様に気まずい顔をして沈黙してしまった。[1,p47]
三跪九叩頭(さんっきゅうこうとう)とは、中国の皇帝に対して、一度ひざまずいては三度頭を地につけ、これを三回繰返す礼式である。中国の歴代王朝は自らを文明の中心たる「中華」とし、周辺を東夷・西戎・南蛮・北狄などの野蛮国と見なした。
野蛮国のうち、中国に服属するものは、皇帝がその支配者を「王」と認めてやり(冊封、さくほう)、定期的に貢ぎ物(朝貢)をさせる。冊封された王が中国にやってきて、皇帝に拝謁する時の挨拶が、この三跪九叩頭なのである。
中華帝国を中心に周辺の野蛮国を服属させるという世界観が中華思想だが、現代の中国人もこの中華思想に染まっていると考えると、その外交政策を理解しやすくなる。
冒頭の「日中関係は過去2000年間、友好関係にあった」という国防大学教官たちは、おそらく、日本も中国の服属国であった、という冊封体制を前提としているのだろう。だからこそ日本の首相に対して靖国参拝を止めろと命ずるのも当たり前であり、ODAという朝貢をさせるのも当然の権利と考えているのである。
しかし、事実に即して日中関係の歴史を辿ってみれば、我々の先人は、この冊封体制自体を早くから否定し、そのために2千年の日中関係は「友好関係」というよりも、緊張と対峙の歴史であった、という事が分かるだろう。
(省略)
ちなみに、屈辱的なこの三跪九叩頭は、「韓国式のお辞儀」として今でも根付いているようである。
・「慰安婦発言で物議」 李栄薫教授がナヌムの家を謝罪訪問
朝鮮日報
(省略)李教授は、イ・オックムさんら7人の前で謝罪の意を明らかにし、クンジョル(地面に額をつける韓国式のお辞儀)をした。
李教授は「私の発言は日本が戦争犯罪を犯したという問題意識に基づいたものだった」とし、「日本に協力した多くの韓国人がおり、植民地解放以降も女性たちの性の搾取が国家権力によって行われてきたため、このようなことを総体的に反省してこそ韓国社会の道徳的な努力が高揚するという意味」と釈明した。(省略)
また、中国側が、日本のODAを朝貢と見なすことは勝ってであるが、日本のODAは、朝鮮の朝貢とは本質的に意味がことなる。この意味の違いを知る上で参考になるのが、次のマキアヴェッリのお言葉である。
・国家篇36
マキアヴェッリ語録一国の国力を測る方法の一つは、その国と近隣諸国の間に、どのような関係が成り立っているかを見ることである。
もしも、近隣の諸国が、友好関係を保ちたいがために貢納してくるようならば、その国は強国と言えよう。
反対に、弱体であるはずの近隣諸国であるのに、それらの国々に対し金銭をもって援助する関係である場合、その国家の国力は弱いと思うしかない。
(省略)
我々の祖国フィレンツェからはじめるとすると、フィレンツェ共和国が隆盛をきわめた昔でさえ、フィレンツェ国境を接するロマーニャの小国家群は、貢納どころか経費の負担を申し出たことは無かった。それどころか、われわれのほうが彼らに、経済援助を与えていたのだ。
もしも、フィレンツェに強力な軍事力が備わっていたとしたら、これとは反対の現象が生じていたであろう。つまり、友好関係を売りつけるのではなく、友好関係を買おうとしたに違いないのだ。
このようにだらしない状態は、一人フィレンツェに限らない。ベェネツィア共和国やフランス王国とて同様だ。フランス王に至っては、スイスやイギリスに貢納している始末である。
この原因は、一つに、自国の民の武装を怠り、他国民の傭兵に頼ったことにある。
このように近視眼的な国策は、ひとまずの現状打開には役立っても、終局的には国家の命取りにつながらざるをえないのである。
自国の民の武装を怠り国防を米国に頼る日本と中国の現在の関係は、「弱体であるはずの近隣諸国であるのに、それらの国々に対し金銭をもって援助する関係」に該当すると言えるようだ。
前置きが長くなったようなので、そろそろ本題の古代朝鮮史に触れてみたい。不慣れな国名が記された文章だけだと理解しにくかったので、簡易年表を作成してみた(クリックにて拡大)。
それでは、4ヶ国を最終的に統一した新羅が主役の記事を紹介させて頂く。
・新羅
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』※加羅/加耶を日本語読みの任那に修正
(省略)
528年に仏教を公認し、独自の元号を使用し始めた。560年代には高句麗を攻撃し北に領土を広げ、百済・日本の連合軍を退け、任那を併合した。また、564年に北斉に朝貢して翌年に冊封を受けた。その一方で、568年に南朝の陳にも朝貢した。こうやって中国の南北王朝との関係を深めたことは、半島北部の高句麗に大きな脅威を与えた。隋、唐に対しても建国後まもなく使者を派遣して冊封を受けた。
(省略)
武烈王の即位後、唐と結んだ新羅は唐の援軍と共に(省略)、百済に進軍。660年に百済を滅ぼし、663年に白村江にて日本を破り(白村江の戦い)、668年に高句麗を滅亡させた。この急成長を支えたのは任那にて倭人が開発した鉄生産技術の取得が背景にあった。
その後、百済滅亡以来、故地を占領していた唐と旧百済領の支配権をめぐって対立し、670年から争ったが、676年に唐軍を半島から追い出し、朝鮮半島をほぼ統一した。これ以後を日本では統一新羅時代と呼んでいるが、韓国では高句麗滅亡後、遺民が満州に建国した渤海を高句麗後継国家とみなし、新羅・渤海をあわせて南北国時代と読んでいる。
その後、唐に対しては謝罪外交を展開したが、関係は緊張し続けたので北境に長城を築くなどした。しかし、732年に唐と渤海との間に戦端が開かれると、唐の命を受けて渤海戦に出陣したため、その功により735年に鴨緑江以南の地の領有を唐から正式に認められた。
統一新羅の成立と共に官僚制度の改革がはかられた。降伏した百済・高句麗の王族、貴族を格下げした上で官位制度の中に組み入れ、律令制を取り入れ政治形態を変化させていった。(省略)
白村江で戦った日本との間は、天武天皇の即位から780年までは比較的良好であり、双方の間で遣新羅使、遣日本使が30回以上送られている。しかし、780年に渤海と新羅の間が緊張し、渤海が日本へ朝貢を始めると新羅と日本の間の国交は停滞した。国家レベルでの関係は緊張したが民間レベル(主に交易)での交流は続けられており、新羅商人が大宰府および九州に来て、唐、新羅の文物を日本へ、日本の文物を新羅、唐へと運んで交易に励んだ。そのため、三国の情報は比較的詳細に交換されていた。また、日本の遣唐使も帰国の際には、新羅船を利用することが多かった。
(省略)
780年に武烈王の王統が絶えると王位継承の争いが激しくなり、王位纂奪や王都内での反乱が頻繁に発生する様になった。また骨品制により、新羅王族のみが上位官僚を占めるようになり官僚制度は行き詰まりを見せていた。
(省略)
この時代をマクロな観点で見ると朝鮮半島内での争いに日本と中国が巻き込まれたと言えよう。弱小国家が、時勢に乗じてその時々の強い国である日本や中国に事大していく様相は、まるで近代のロシア、清、日本の情勢に応じて朝鮮が事大したことが発端で、日清戦争や日露戦争に発展したそれと酷似している。
新羅が朝鮮半島を統一する過程におけるミクロな観点で見ると、統一できた要因の一つは、地政学で言う「敵の敵は戦術的な味方である」的な考え方に則った朝貢文化が功を奏したと言えよう。
もう一つの要因としては、大和朝廷の支配下であった任那を滅亡させ、そこで鉄生産技術の取得したことを背景に、百済や高句麗を侵略していったことではないだろうか。
ただ、この事大主義の統一新羅は、李氏朝鮮時代と同様に長く続かなかったようである。そこで、この理由を考えてみることとする。このような時には、中世の思想家であるマキアヴェッリのお言葉が役に立つ。
・政略論42
マキアヴェッリ語録領土拡大の是非についてだが、この問題は、拡張したいと思う国の状況次第で、答えはイエスかノーかに分かれる問題である。
まず、戦いをするだけで国力の消耗を招くような国は、例え戦さでは勝ちを収めても、その結果としての領土拡張からは、なんの利益も得られない。
ベネツィアやフィレンツェが、良い例である。
ベネツィアが海上の覇権のみで満足し、フィレンツェが国境六マイルまでを領するだけで満足していた時代よりも、ベネツィアが北イタリアを領するようになり、フィレンツェがトスカーナ地方を領するになって以降の方が、両国とも弱体化したのであった。
何故なら、この二国とも、領土拡張意欲のみでそれを行ったのであって、拡張した領土の明確な活用を知ったうえで行ったわけではないからである。
新羅もこれに当てはまる。何故ならば、朝鮮半島は、日本よりも北に位置することから分かるように寒冷地であることや、山が多いことから、農作業に適さない不毛な地が多いので、領土拡張のメリットがないからだ。
過酷な地での農作業では、日本以上の労力が必要と想定されるが、新羅は戦争の道を選んだので、農作業に必要な人材も戦争に巻き込まれ、結果、今の北朝鮮のように土地が疲弊し、多くの人々を養えるほどの国力が統一新羅には無かったことも考えられる。
また、朝貢文化が、「他者を強力にする原因をつくるものは、自滅する。これは、ただ一つの例外も存在しないと言ってよいほどの、普遍妥当性をもつ原則である。なぜか。(省略)」との言葉に当てはまる事実もある。このようなことから、私は、お得意の内ゲバに加えて、上記要因が複合的に重なり合って、新羅が滅亡の道に突き進んだと考える。我が国も、この失敗点のいくつかを繰り返してきたように見受けられる。是非、改善して頂きたい。
さて、新羅が任那を滅亡させ、そこで得た鉄生産技術の活用が、後の朝鮮半島を統一に寄与したようであるが、この時代を韓国の教科書ではどのように記されているのであろうか?
まず、韓国の教科書は基本的に国定教科書であり全ての学校で利用されていることをご理解の上、次の引用文を読んで頂きたい。
・古代の日韓関係
中国・韓国の歴史教科書に書かれた日本朝鮮半島との文化交流
三国は大陸から中国文化を受け入れて独自の文化を作り上げ、発達した三国文化を日本へ伝えて日本の古代文化の発達に大きな影響を与えた。
(省略)
百済は日本と政治的に緊密な関係を維持したので、三国中、日本文化に一番大きな影響を与えた。近肖古王のとき、阿直岐と王仁は日本へ渡り、漢文・論語・千字分を伝えてあげ、武寧王の時には段陽爾と高安茂などが、漢字と儒教を教えてあげ、日本に政治思想と忠孝思想を普及させてあげた。続いて、聖王の時には仏教を伝えてあげ、そのほか天文・地理・暦法などの科学技術も伝えてあげた。
新羅の時代に公認した仏教も李氏朝鮮時代に仏教弾圧が起きたことや、漢字を捨て去ったことからも分かる通り、情勢と共に自ら文化を破壊する朝鮮が、「三国は大陸から中国文化を受け入れて独自の文化を作り上げ」とは、理解しがたい。
また、大和朝廷と中国の文化交流の玄関である「任那」の存在を教科書ではひた隠しにして「三国」と表記し、文化交流の単なる通り道であった朝鮮が、教えてくれたことになっているようである。その一方で、大和朝廷からの高い技術導入の存在を微塵も感じられないのが、韓国の教科書の特徴と言えよう。
このような国が日本の歴史教科書に口を挟んでくることに対して、毅然と断るべきである。また、日本の各教科書出版社が、任那の存在をひた隠しにする韓国の主張に同調していることに対して、もっと抗議するべきである。
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【参考書籍】新潮社 [著] 塩野 七生ASIN:4101181063 /文庫/251頁発売日:1992-11ランキング&評価:---位 4.57価格:¥ 420 [2006-06-16 Amache]5 - 知恵の詰まった本5 - 鋭く胸に突き刺さる抜粋!5 - 現実と向き合った書5 - 入門書として良書5 - ビジネス本が不毛に感じる
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