池田信夫 blog

Part 2

先日の孫正義×佐々木俊尚対談は5時間半もあって見る気がしないので、孫氏のプレゼンテーションを読んでみた。

お断りしておくが、私は彼を事業家としては尊敬しているし、日本で数少ないベンチャーの成功例として、起業家の希望になっていると思う。しかし通信業界での彼の評判はよくない。NTTや電力系だけではなく、ISPでもソフトバンクを批判する人は多い。その一つの原因は「自社の利益を国益と称して規制強化を求める」性癖だ。残念ながら、今回の案もその一例に見える。

まずわからないのは、孫氏がFTTHの根拠として「無線通信量の劇的増加」をあげている点だ(p.12)。無線の帯域が足りないのなら、電波の開放を求めるのが普通だと思うが、p.13では「帯域試算」として、ホワイトスペースが開放されても3倍、LTEで速度が上がっても3倍で、「わずか10倍」にしかならないので、「自宅の無線は光回線をバックボーンに」するとしている(p.14)。

femto

ソフトバンクモバイルの松本副社長も認めるように、この構想はおかしい。マイクロセルとFTTHはトポロジーが違うからだ。携帯の基地局は、たとえば渋谷には各社の基地局が密集しているように家庭の配置とはまったく違い、渋谷でつながりにくい問題をFTTHで解消することはできない。宅内機器だけにフェムトセルをつけても、かつてのPHSの「自宅モード」のような屋外で役に立たないものになってしまう。マイクロセル化は必要だが、セルをつなぐ中継系の光ファイバーは通信事業者が敷設でき、アクセス系のFTTHとは関係ない。

したがって「無線帯域の確保のためにFTTHにする」というコンセプトが間違っており、第一義的には周波数を増やすのがもっとも有効である。ところが「試算」として450MHzが「ホワイトスペースで3倍になる」というのは、どういう計算なのだろうか。ホワイトスペースは、携帯の帯域としては想定されていない。今のところ可能性があるのは700MHz帯だが、テレビ局を500MHz帯から下に移動すれば300MHzぐらい空く。これでも「わずか1.7倍」だが、マイクロセルを何万局も置くよりはるかに安い。

百歩譲ってFTTHに意味があるとしても、そのインフラ整備コストの試算はかなり怪しい。「メタル保全費」が10年で3.9兆円(p.26)と書いてあるのに、「アクセス回線維持費」の中のメタルが7600億円(p.28)となっているのは、どっちが正しいのだろうか。そのうち最大の施設保全費(p.30)も、まるですべて銅線の保守費用のように書いてあるが、銅線の費用と交換機の費用の内訳がわからない。NTTもやろうとしているオールIP化だけでも、保全費の半分以上は節約できると思われる。交換機は10年以内に撤去する必要があるが、銅線の寿命はそれより長いというのがNTTの見解である。

一括工事にすれば、12万円/世帯の工事費が3万円になるという計算(p.38)の根拠もわからないし、「月額1400円」の算出根拠も示されていない。電力系の事業者も指摘するように、「5年で3600万世帯を工事するための工事力をどう確保するのか」「ユーザーの立ち会いが必要な工事を、計画的に一括で進められるか」「既存の設備やサービスが繋がっているメタルの撤去と光の引き込みを、同時に工事できるか」など疑問が多い。

したがって、こうした疑わしい前提にもとづいたアクセス回線会社の収支計算(p.40)も、「国から1円ももらわないで利益を出せる」という孫氏の約束も信用できない。もし構造分離によってNTTの株主価値(連結)が上がるという計算(p.41)が本当なら、規制の必要はなく、ソフトバンクがNTTのコンサルティングをやれば、NTTは喜んで構造分離するだろう。それをしないのは、次のどちらかしか考えられない:
  1. NTTの経営陣がバカで、構造分離によって株主価値が上がり国益にもなることを理解できない
  2. ソフトバンクの試算が間違っている
1の可能性も捨てきれないが、これはNTT自身に反論してもらうしかない。私を含めて、多くの通信関係者は2だと考えている。かりにソフトバンクの試算が正しいとしても、FTTHによって無線のボトルネックを解消することはできない。孫氏が明治維新に相当する電波の大変革ができる2011年7月のチャンスを見送ってFTTHの話ばかりしているのは、江戸城をめざすべきときに京都御所を攻めているような印象を受ける。そこには、もう実質的な中心はないのである。

追記:携帯のトラフィックのうち、室内の分をフェムトでカバーすれば基地局の負荷を減らす効果はあるが、その程度ならDSLのモデムと一体のフェムトセルを配ればいいだけで、こんな大げさな規制は必要ない。

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コメント一覧

  1. 1.

    「光の道」プレゼン資料70ページのうち、実に9ページが「共通電子カルテ構想」に使われているのですが、これってFTTHと何の関係もないでしょう。ADSL12Mでも十分に共通電子カルテは作れます。患者のハイビジョン動画を見て診断するんじゃないんだから。
    オンラインの共通電子カルテを作れないのは、もっと込み入った理由があるのです。機会があれば述べますが。

  2. 2.
    • msms222
    • 2010年05月16日 00:03

    ADSLは基地局からの距離によって速度差がありすぎます。
    田舎の方では遠すぎてADSLなのにISDN以下の速度しかでない場所もありますよ。

    それから無線から無線ですが、802.11nでさえ100MのFTTHより遅いですよね?
    無線は増えれば増えるほど混戦や電波障害などありますし。
    仕事でWiFiのテストなどもしていましたが、台数が増えると確実に電波障害になりますし、電子レンジの影響も受けます。

    そもそもメタル線を撤去して全てFTTHにするとどんな問題があるのですか?

    現在自宅でFTTHを使っていますが、戸建ようははっきり言って高すぎます。

  3. 3.
    • base_ball_fan
    • 2010年05月16日 01:25

    地方で交換機からの距離が遠くなるところであれば無線の効率が逆に上がるのでLTEなどでブロードバンド化をすれば十分ではないのでしょうか。
    都市部は既にNTTの光がほとんど来ているので、銅線やめて光にしろというならそれでも構わないですが、自宅で携帯電話使う必要も無いでしょう。自宅に置いたフェムトセルが公衆基地局も兼ねるならそれでもいいですが、その必然性もむしろ都市部にあるはずです。

  4. 4.
    • rwest2112
    • 2010年05月16日 02:50

    NHK出身の池田さんには釈迦に説法と思いますが、対談映像配信は、議論ではなく印象付けゲームです。

    佐々木さんとの対談では、孫さんは大変"わかりやすく"印象的なプレゼン資料を大量に用意して、それをプレゼンタイム以外も長時間大写しにして、
    「視聴者が画面を見る=孫さんの主張の図解された印象付けられる」、という仕掛けになっていました。印象的なプレゼン資料はとても強力で、大写しの図解された主張の前で、より細かい事実を挙げて議論しても、取るに足らない瑣末な事という印象になってしまいます。画面に映る人は二人ですが、実際のところはもろに個人vs組織。

    もちろん孫さん自身の話術も大変優れており、話を鵜呑みにさせる力強さがあります。そのうえ、相手の主張の急所を的確に突いてくるだけでなく、ちゃんと落とし所に誘導して、気が付くと「反論者=抵抗勢力」という構図にはまっています。細かいところでは、佐々木さんのプレゼンタイムには何度も割り込んで話の腰を折って、佐々木さんプレゼン内容の印象を大きく減じさせる事までしていました。

    あとさらに大きいのは、「日本をよくしたい」「みんなが幸せになる」などのような、辛口の池田さんにはとても素直に口にできなそうな(笑)思いをストレートに熱く表現して、共感を呼ぶところでしょう。このトーンに乗せて、「光の道」によって日本がよくなる大きなストーリーを、図解資料の強い印象とトークによって印象付け、細かい議論を無力化し、「反論者=抵抗勢力」になるわけです。

    孫さんとの対談、楽しみにしています

  5. 5.
    • worldcomw
    • 2010年05月16日 06:29

    1.引き込みのみで済む地域(人口カバー率90%?)
     全世帯にFTTHを強制すれば、工事費3万・月額2000円以下くらいにはなりそう

    2.その他の人口希薄地(人口カバー率10%?)
     全くわからないが、平均すると工事費300万・月額1万くらい?

    『全世帯に100Mbps以上』に意味があるとすれば、前者にFTTHを強制するのは、まだ理解出来ます。
    では後者に100Mbpsを引く最も低コストな方法は何でしょう?という話に尽きますね。

    実際には意味自体が無く、10年後に住人が死に絶える寒村まで高速道路を引くようなイメージでしょうが・・・

  6. 6.
    • eco_and_sport
    • 2010年05月16日 10:58

    論点は優先順位

    SBM社とApple社間の独占販売権の価値最大化案としては、とても優れた提案で、光を優先したい理由(以下3つ)は理解できます。

    1.業績拡大と通信負荷の両立
    SBM社の高い業績はiPhoneが支えです。今後iPadによりその拡大が予想されます。iPhone、iPadはSBM社の独占販売でありデータ通信定額であるため、SBM社の通信負荷が更なる販売流通の課題になりそうです。そうした通信の負荷分散として、今回の提案はとても有効でしょう。iPadは屋内利用が中心の商品と考えられますし、iPhoneでも店舗などでの無線LANの利用手段を提供しています。

    2.無線と有線の顧客基盤獲得
    無線はiPhoneとiPadによるさらなる業績拡大が予想されます。有線はNTTのアクセス回線会社の分離により、iPhoneやiPadの利用者に対して、魅力的な乗り換え案を提示することが可能になるでしょう。

    3.次期サービスモデル
    SBM社の現在のサービスモデルはApple社のハードウェアに依存しています。ソフトウェアによるサービスプラットフォームの確立なくして将来の業績や顧客基盤の維持向上は難しいでしょう。地域と医療や教育へのサービス提供案は、道州制への流れやApple社の対象顧客層と合致します。

    提案ではADSLから光への移行(p.16,17)について述べていますが、料金はADSLより大きく下がる可能性は少ないことから、新たな利用者獲得が中心の提案ではないようです。

    真の目的がITを活用した「豊かな国民生活」(p.48)であるならば、ITの歴史が示す、利用者数を増やし利用機会を増やす取り組みが必要で、提案の「端末の数が増える」(p.11)という守りの視座では端末数は増えず、「端末の数を増やす」という攻めの視座が必要になるでしょう。したがって、優先すべきはモバイル利用促進のための事業や制度改革であり、利用者の負担や乗り換え機会を勘案して、まずはAVや車、つぎに家電、そして住宅という流れに沿って、優先して取り組むべきでしょう。

  7. 7.
    • mshino3523
    • 2010年05月16日 12:36

    光ファイバー設置でも、ヘビーユーザーが野放しになってる限りは大して変わらないと思う。

     総務省の試算では、昨年11月時点の国内ブロードバンド契約者のトラフィック総量
    は約800Gbpsで、3年で約2.5倍に急増した。ただ、全体の1%に過ぎないユーザーによる通信が、
    バックボーン帯域の約50%を占めているというデータもあり、常時起動しているP2Pファイル
    共有ソフトなどが原因とみられる。
    http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0805/23/news127.html

    それよりも「固定IPひとつにつき、連続接続時間は○○分」というふうに決めて、
    それ以上の接続時間だと自動的にダウンロード速度が激減するとかにすべき。
    またインターネットカフェなど固定IPひとつに複数のPCを接続する場合は、
    割増料金を払えば連続接続時間を延ばすことができるというふうにすればいい。

    これまでもパケット定額サービスをご利用の場合は、従量制でパケット通信をご利用の場合に比べ、
    ネットワークの混雑している場所・時間において通信速度が遅くなることがありましたが、
    この度、上記混雑の際、特にご利用の多いお客様の通信速度を抑えることにより、多くのお客様
    が快適にご利用いただけるよう変更させていただきます。
    http://www.nttdocomo.co.jp/info/notice/page/090127_01_m.html

  8. 8.

    >田舎の方では遠すぎてADSLなのにISDN以下の速度しかでない場所もありますよ。

    そこにFTTHを張るには、都市部よりもずっと多くの費用が必要になりますが、差額を都市住民が負担せよとおっしゃるのでしょうか?

    >それから無線から無線ですが、802.11nでさえ100MのFTTHより遅いですよね?

     人によって回線速度の要求水準は違いますので、一律に速い必要はありません。100Mbpsが必要な人は専用回線を張ればいい。一部の人の要求を満たすために、全員に課金する理由はない。

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