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[17368] 【マブラヴ習作】Muv-Luv ALTERNATIVE ~Anderes Raummal~ 【オリ主、オリキャラ、オリ設定有】
Name: シヴ◆1d05be52 E-MAIL ID:330c435d
Date: 2010/04/29 21:40
はじめまして、シヴと申します。
 
昨年、初めてマブラヴシリーズをPlayして、はまってしまった者です。
処女作品なため、感想、指摘などを頂けたら幸いです。

【注意点】
・登場キャラクターは、オリジナルキャラが多いです。原作キャラも要所要所に登場する予定ですが、白銀武などはしばらく登場しませんのでご了承ください。

・オリジナル設定や戦術機なども登場しますが、基本は原作準拠です。世界の大枠を少しずつ変えていき、最終的な結末を変えることを目的にしています。

・恋愛やギャグが苦手なので、やたら硬い印象を受けるかもしれません。

・マブラヴの知識は、本編とメカ本のみです。


以上です。たぶん、進んでいくうちにこれら以上の注意点が出てくると思いますが、ご了承ください。

3/19
・感想掲示板からタイトルについてのご指摘があったため、タイトルを変更しました。

4/24
・原作に登場したキャラクターの中で、名字のみのキャラクターには、勝手に名前をつけています。(安倍艦長や七瀬大尉など)気に入らない方は、ご了承ください。

4/29
・第2話を大幅に改編しました。

【お願い】
・練習作のため、おもしろいかつまらないかだけでも結構ですので、感想等をお書きいただけるとありがたいです。



[17368] プロローグ in2002
Name: シヴ◆1d05be52 E-MAIL ID:330c435d
Date: 2010/03/18 13:19
プロローグ

西暦2002年12月20日。日本帝国帝都東京は、先日から続く寒波の影響で、寒空が続いていた。

―もう1年になるのか…。

 帝国軍所属の白水修吾少佐は、帝国情報省の一室から平穏に包まれる人々の往来に目を細めていた。
 12・5事件を皮切りに、甲21号作戦、横浜基地防衛戦、桜花作戦。日本史史上稀にみる動乱に包まれた1ヶ月からすでに1年が過ぎようとしていた。
 桜花作戦の成功により、人類は明日への希望を手にした。そして、この1年の間、大規模なBETAの侵攻はほとんど見られず、定期的な間引き作戦以外の大規模な軍事行動はなりを潜めたままであった。
 
「束の間の平穏」と表現するにはちょうどよい1年であったと言える。年を明ければ、甲26号、20号攻略作戦が絶え間なく行われる予定である。オリジナルハイヴ攻略によって得たデータをもってしても簡単に進むはずのない作戦。
 それでも、オリジナルハイヴに散った衛士・将兵の挺身を無駄にすることは絶対にできない。そう思いつつも、自らの職務がそれに貢献できるのか。そう考えると、忸怩たる思いが強くなる。

 桜花作戦の生還率を耳にしたものの多くは、今、こうして生きているだけで後ろめたさを感じていた。
 しかし、時とともに人々の記憶からは風化していく。そして、愚かなことを始めるのもまた、人間の性なのかもしれない。

 短くなったたばこの火を消すと、それを待っていたかのようにドアをたたく音が響いた。

「白水少佐。お連れしました」

「入ってくれ」

 当直士官に連れられた一人の女性。
 年齢は二十代後半、人を馬鹿にしたような目つきが印象的な美貌と人類の大半を手玉に取ることも可能な天才的な頭脳の持ち主であり、現在は国連軍に所属し、かの桜花作戦を成功に導いた部隊を直属にしている実力者でもある。

「ご機嫌はいかがですかな?香月博士」

「いいわけがないわ。あんたみたいな俗物の相手をしているほど暇じゃないんだしね。頼まれたものを渡すのに、わざわざ出向いてやったんだから、相応のお返しを貰わなきゃやってられないわ」

 予想通りの嫌みをつぶやくと、すぐさま質問を切り返してきた。もちろん、組織としての必要な情報はすでに聴取済みである。そもそも、個人的には彼女を拘束すること自体意味があるとは思っていない。

「私ごときが、あなたにお返しできるものなどありませんよ。まあ、ここにいらしたついでに聞きたいこともありますのでね」

 もちろん、国連軍の人間を一方的に呼び出して、尋問をする権限が一介の将校にあるはずもない。ただし、彼女は現在人類反逆罪の容疑がかけられ、各国諜報機関が注目する存在でもある。
 そう言ったところで、相手の天才には何の感銘も与えなかったようである。「それで?」と声には出さずに表情で伝えてきている。

「単刀直入に聞きます。白銀武は、何処に消えたのです?」

 それを聞くと、かすかに眉をひそめる。00ユニットによってもたらされたというリーディングデータ。桜花作戦の詳細な情報の詰まったヴァルキリーズデータ。そして、プラチナコード。XM3。これらのデータを詳細に探っていく際、必ず登場してくる正体不明の男。
 1998年のBETAによる日本進攻の際に死亡したものと思われたが、いつの間にか国連軍白陵基地に現れ、忽然と歴史の表舞台から消え去っていった。もちろん、人々の記憶からも…。

「パウル・ラダビノッド、イリーナ・ピアティフ、涼宮茜、宗像美冴、風間祷子、京塚志津江。そして、月詠真那、神代巽、巴雪乃、戎美凪、この者達との接触は明らかだ。特に、月詠以下の帝国軍の面々は城内省のデータベースからかの者の素性を調べている。そして、最初の接触から程なく彼の死亡事実が抹消されている」

 そして、名をあげた者たちが誰一人として白銀の記憶を持ってはいなかったと言うことも確認していた。

「おかしいこともありますね。地獄の横浜基地防衛戦を戦い抜いた戦友のことを、誰一人として覚えていない。私も短い期間ながら、前線での勤務経験がありますのでにわかに信じがたいことです」

「ふうん。それじゃ、その男のことを私が知っているとでも思っているの?」

 表情がはっきりと変わり、面白い遊び道具を見つけたような表情を浮かべる。つまりは笑っているのだが、なれない人間にとっては嫌悪感を抱くだけであろう。

「先日、あなたは自分の口でおっしゃいましたね?ちっぽけな英雄にこの世界は救われたと」

 しかし、その質問には答えず香月は相変わらずおもしろげな表情(事実、面白がっているに決まっているが)を浮かべたまま口を開く。

「聞いて答えが返ってくるとでも思っているの?衛士としても諜報員としても有能な男が随分甘い考えね」

「私は自分に正直に生きようとしているだけですよ。そして、白銀という男の存在に興味を持った。ただ、それだけです。そして、興味を持ったことはとことん追求しないと落ち着かない性分でしてね」

 もっとも、そんな性分を持った覚えはない。ただし、興味を持ったことは事実である。

「少佐殿も随分面白い男ねえ。そんなことを、べらべらしゃべって大丈夫なの?」

 そう言われると、懐からボタン状の物体をいくつか転がす。いずれもこの部屋とその周囲に仕掛けられていたものである。

「ま、等価交換のついでの戯言だと思っていただいてかまいませんよ」

 ふうん、と声に出さずに頷く香月。そして、首にかけたペンダントを手に取ると、それを差し出してきた。

「約束のものに色を付けて置いたわ。まあ、面倒なことから解放してくれたお礼。と思ってくれていいわ」

 ここから出てもほかの所に呼ばれるでしょけどねと、表情を崩さずに言いながらも、目つきは少しずつ鋭くなっていく。

「ま、せいぜい長生きすることね。知る必要もないことに首を突っ込んで、生きていられるやつはそう多くはないわよ」

 そういうと、おもむろに立ち上がる。勝手に調べて勝手に想像しろと言うことであろう。

 桜花作戦を成功に導いた天才学者は、人類反逆罪の容疑がかけられている。情報部の権限で何度か聴取を行ってきたが、自分たち以外にも意味のあることを聞き出せた者はいない。
 結局は、証拠不十分による釈放であるが、メンツをつぶされた某国が躍起になって証拠を探し、見つかったことになるのは目に見えている。今後、某国の世界戦略に間違いなく障害となるであろう人間の一人でもあるのだ。
 結果として、彼女が自由に過ごせる機関は短いだろうし、生命が続く保証はない。人類の未来を切り開いた頭脳を自らの手で失う愚かさから目を背けているわけではないだろう。

 それでも、彼女と多くの将兵の挺身によって得たデータだけでも人類は持ちこたえられるだろう。というのが、世界各国首脳の共通の見解だった。
 そして、そのことを批判する権利もなければ、義務もない。なぜならば、自分の生命もそう長くはない。だからこそ、先ほどの問いは、個人的な疑問の解消を狙っただけだ。

 それから数日ののち、政威大将軍の元に届けられた一通の書類が発端となり、軍部や官僚、さらには各企業の重役に至る数千人が一挙に更迭・左遷された。
 12・5事件の際に下野した仙台臨時政府の陰に隠れ、細々と私腹を肥やし続けた小物や、権威が失墜した米国や国連内部のオルタネイティヴ五推進勢力に対し、懲りもせずに情報や金を流し続けた売国奴たちが一掃されたのである。
 
 情報省でも彼らを全力を挙げて追っていた。だが、何人かの大物を追ううちに自分は職務を解かれ、尋問という名の虐め役を押し付けられたのだったが、それこそが奇貨となった。
 何しろ、尋問の相手は極東屈指の頭脳の持ち主であり、「横浜の女狐」と忌み嫌われる人物である。そして、自分にとって害になる者を取り除くことにを躊躇したり、他人任せにするほど甘い女でもなかった。

 テレビ画面に国会や大本営から追いやられた政治家や軍人たちが、唇を震わせながら報道陣の波をかき分けていく姿が映し出される。
その姿を見ていると、自分の職務は終わったということが実感できた。後は、おまけを堪能するだけである。
 香月から譲り受けたデータチップには、すでに情報省が入手している機密データよりもはるかに膨大であった。白銀武という存在とそれに関する因果律量子論のデータ。そして、XM3や各国の戦術機の概要、00ユニット、A―01部隊に関する情報までインプットされている。
 国家機密に匹敵する内容とはいえ、解読に一週間しかかけなかったことは合格であろう。

「それにしても、随分無駄なこともやっているのだな」

 12・5事件の裏側にあった陰謀。鎧衣課長を通じてある程度は把握していたが、防ぐことのできた問題を意図的に見逃している。
多くのものが背負うべき責任を一個人に背負わせることは決して正しいとはいえないだろう。しかし、それを知りながら、米軍と帝国軍の一流の衛士を失う結果を生み出している。
 横浜事件でも同様だ。基地襲撃に利用するBETAの補獲。精鋭部隊に無駄な犠牲を出させたうえに、多くの古参衛士達を失っている。死亡した当人たちの慢心が原因でもあるが、不必要に命を散らすことに対する言い訳にはならない。
 例えどれほど重い責任や覚悟を持ったところで、許されるものでもないだろう。

「だからこそ、忌み嫌われているのであろうがな」

 つまらぬ陰謀に必ず付きまとう無意味な犠牲。結果として、それが自分たちの首を絞めることになるのは、諜報機関に属する以上身にしみている。

「そして、10代の少女たちを地獄の底に放り込んだわけか」

 桜花作戦。1人の人間に責任を負わせることはできないし、戦である以上、犠牲になるものの年齢、性別を気にすることほど愚かなことはあるまい。それでも、先ほどの人間たちが生きていればとつまらぬ想像を働かせてしまう自分が少々情けない。

「若者が、大人のつまらぬ謀に振り回されるのも歴史の必然か…」

 そう呟くと、データは彼のパソコンからは消去された。時を同じくして、荒々しく執務室の扉が開けられる。
 軍服姿の男女が数名。皆、銃口を自分に向けていた。

「ふむ、ずいぶん遅かったじゃないか…、贈り物はどうだった?素晴らしいものだったろう?」

 押し殺した笑いが、部屋に響きわたり、訪問者たちの顔に赤みが差す。


 色素の薄い水色の瞳が完全に光を失うのは、それから数分ののちのことであった。そして、光がまさに失われようとしているその時、彼の眼に映った最後の映像。

 暗く閉ざされた牢獄の中で、自責の念を浮かべる一人の少年と必死に少年を助け出そうともがき苦しむ一人の少女の姿だった。



[17368] 第1話 
Name: シヴ◆1d05be52 E-MAIL ID:b1cc4556
Date: 2010/03/19 19:44
 冷たく固まり始めた体に、再び血がめぐり始める感覚。下がり続けていた体温も上がり始め、指先にも感覚が戻り始めている。
 ゆっくりと開かれる瞼から、光が漏れ始めてきた。しかし、その視線の先に移る空間はひどくぼやけている。

「ふむ、助かるはずはないのだがな…」

 額をさする掌に感じる銃創の感触。体中に打ち込まれた銃弾はさすがに残っていないようだが、至る所に銃創があるのだろう。
 奇跡的に助かっていたとしても、わずか4日で立ち上がることなどまずできはしない。そう思いながら、窓辺に立つ。外には、多摩川の流れに朝日が反射し、冬独特のどこか澄んだ空気を感じさせてくれる。

 そして、明らかに異なる景色。東京と神奈川の境から見える景色は、破壊の限りが尽くされた廃墟ばかりであったはずである。しかし、眼前に広がるのは巨大なビル群と住宅街であった。

「予感はあったが、まさか本当になるはな。しかし、なぜ私が?」

 白銀武がループしたのは、本来のあの世界いた白銀武が死亡してからおよそ2年後のことであったという。となれば、この世界で自分はすでに死亡しているのかもしれない。

「さてどうしたものか…。ここを離れるべきか…」

 とりあえず、軍服を身につける。階級章は少佐のものではさずがにまずいので、紛失したことにすればいい。始末書ぐらいで済む。
 後は、パソコンは持っていかなくてはならないだろう。過去に戻ってしまったとすれば、この時代のパソコンではチップの閲覧は不可能だ。
 小型のノートタイプであることが幸いしたと言える。
 額の銃創は、合成皮膚で何とか隠せるだろう。何しろ、額のド真ん中を打ち抜かれているのだ。この傷は目立ちすぎる。
 外に出ると見覚えのある通りだった。ご丁寧に自らの住まいがそのまま転移してきたようだ。

「そう言えば、この頃もこのあたりに住んでいたんだったな。前の住人がだれかは知らんが、どうなってしまったんだろうな?」

「中尉!」

 ふと、背中にかけられる大きな声。
 振り向くと、見覚えのない女性が立っている。一応、軍服に身を包んでいるということは帝国軍の人間には違いないだろう。

「ん?君は?」

「本土防衛軍、第212警備小隊所属芹沢朱音少尉であります。白水中尉、病院から姿が消えたという通報があり、捜索中でありました。御同行願えますか?」

―病院?となると、この時代は…。

 そう思いながら、頷くと少尉は安堵の表情を浮かべた後、歩き出す。女性にしては、随分背が高い(自分とほとんど同じ)が、身体はやや細身のためさほど威圧感は与えない。
 そんなことを考えていると、少尉が声を掛けてきた。

「中尉、お身体はよろしいのですか?再起できるかが怪しいほどの重症であったと聞いておりましたが?」

「まあ、医者と言うものはやや大げさに症状を伝えるものさ。怪我だったら怪我をした時とほぼ同じ状態に戻ってほしいと考えるからな」

 実際、怪我などでは医者の言う期間よりも早く体は回復していることが多い。多めに言うのは、完治したばかりでは身体がもろくなっているためだとか。無理が利かないためだとか。いろいろな話を聞いたことがある。

「姿を消す直前に、生命反応が消えたとも伺いましたが?」

「そんなことまで知らんよ」

 だから、自分がここにいるんだとはいえない。恐らく、本来生きるはずであったこの世界の自分がイレギュラで死んでしまったため、同じような状態になった(他人に殺害された)自分が呼び出されたのかもしれない。
 病院で退院の手続きを済ませると、(もちろんに検査はした)芹沢少尉に連れられて、国防省東部支局庁舎へと赴くこととなった。簡易報告の際に、出頭させるよう命令を受けたのだという。

「こちらです」

 芹沢少尉に案内された先は、『帝国陸軍技術廠・東部第二課』であった。記憶を手繰ると、情報部に移る前に在籍していた部署である。
 となると、今は、1990年前後になるだろう。
 中に入ると、戦術機の簡易模型や大量の設計図を片手に走り回る技術士官や研究者でにぎわっていた。
 その中を奥へと進むと、見覚えのある顔がこちらに気づき、声をかけてくる。

「白水中尉、久しぶりだな。身体は大丈夫か?」

 軍服に付けられた名札には、三崎智仁とある。当時の上司であった技術士官で階級は中佐である。情報部に移った後は、彼が退役したとき以外なかったのだから、本当に久しぶりであった。
肩をたたく手は最後にに会った時よりも力強かった。

「…?怪我をしていた割には、以前よりもたくましくなったか?」

「まさか、身体はこの通りですよ」

 そう言って、左目の義眼をはずす。
 中佐は、その姿を見て、申し訳なさそうに口を開く。

「そうか。すまんな、私たちの未熟さが君たちを…」

「事故は、われわれの未熟さの結果起こったことであります。それよりも中佐、お呼び出しの件とは?」

「おう、そうだったな。芹沢少尉、案内ご苦労だったな。君は、任務に戻りたまえ」

 そう言われて、芹沢少尉は完璧な動作で敬礼をすると、無駄のない動きで去って行った。身長が高いせいか、若い割に随分堂々としているように見える。
 芹沢少尉が下がると、三崎中佐は手で奥に来るよう合図し、そのまま奥へと向かった。そこにあるのは、会議室と東部技術長室である。
 東部技術長、西本聡技術大佐は、戦術機開発メーカーの光菱重工からの出向技術士官で、陽炎の改修などで実績をあげた人物である。すでに壮年期の後半で、戦術機に人生をかけている。と言っても過言ではない。
 技術長室には、部屋の主の他に、若い士官がいた。随分整った容姿、特に鋭い切れ長の目が特徴の青年である。

「技術長。白水修吾中尉をお連れしました」

「御苦労、ちょうどいい時に来てくれた。こちらは蒼木柊一少佐だ。欧州派遣部隊で生き残った大エースだぞ。なにしろ、三年間で五十回以上出撃したうえ、傷一つ負わなかったのだからな」

 記憶を探ると、ちょうど該当する部隊があった。
欧州派遣部隊。長大な防衛線を抱え、兵力の不足する欧州戦線に対し、帝国陸軍は一個師団規模の戦術機甲連隊を約三年に渡って派遣した。
 来るべきBETAの東進に備え、実戦経験を積んだ衛士の錬成を目的としたものであったが、初陣の衛士が通る巨大な壁「死の八分」を超えられた衛士は少なかった。

「蒼木です。西本大佐のご紹介はやや大げさではありますが、私たちが持ち帰ったデータが役立ってくれれば幸いです。もっとも、私が為したなどわずかですが…」

 蒼木少佐は、やや遠慮がちに口を開くが、渡された資料にあるその戦果は巨大なものだ。ポルトガル領ロカ、イシュピシェル岬。フランス領ブルターニュ半島西部並びを奪還したという。
 イベリア半島の橋頭保は、前の世界でも何とか確保していたが、ブルターニュ半島は、全く手つかずであったはずだ。

「派遣部隊の持ち帰ったデータ、それに先月の試作品の機動データ。この二つを基にすれば、次世代機の開発は更なる進展が望めるはずだ。ふふふ、腕が鳴るわい」

「では、私の次なる職務は…?」

「今のところは、先日の機動テストのデータ作成だ。テストパイロットも続けてもらうと思うが、あれほどの重症だったのでな。すぐに任務については手配する予定だ」

「しかし、私の眼は…」

「疑似生体ではないのだろう?その新しい義眼でも網膜投影がうまくいくかもためしたいからな」

 やや遠い眼をしている西本技術大佐に代わり、苦笑いを浮かべた三崎技術中佐が答える。

―相変わらずだな…。

 記憶の中にわずかに残る技術職人の記憶。同時に、自分が持つデータの活用する機会は、思いのほか早く来るのかもしれない。

 技術廠を後にしようとすると、蒼木少佐と一緒になった。先ほどは、顔合わせ程度であったが、今後は戦術機のテストや教導で一緒に行動することになっている。

「中尉はここが長いのか?」

「いえ、着任は半年前であります。それまでは、本土防衛中央軍に席を置いておりました」

 記憶を何とか引っ張り出す。大まかな話で十分であろう。

「ほう、それでは実戦経験はないのか?」

「はい」

「ふむ…」

 そう言うと、品定めをしているかのような視線を向けられる。

「義眼である以上、目つきはどうしても悪く見えるが…。貴様は、何者だ?」

「は?」

「それだ。とぼけているように見えるが、貴様の身から発せられる殺気は、衛士の持つもじゃない。もっと暗く、淀んだ世界を生きている人間だけが持つどす黒いものだ」

 相手が百戦錬磨のエースであるため、知らず知らずのうちに身構えていたのであろうか?記憶の中にわずかしか存在していないため、軍の中枢に食い込むことなく戦死したのであろうが、その目つきや居ずまいに隙は全くなかった。
 出まかせの通じる相手ではない以上、覚悟を決めるしかない。どうせ一度は死んだ身だ。それに、転移の原因がわからない以上自分が果たすべき責務など今のところ存在しない。

「どうした?質問に答えてくれるのか?」

「いいでしょう。ですが、この場では少し…」

「よかろう。ついてこい」

 蒼木は、顎をしゃくるようにして行き先を促す。官舎とは反対方向であるが、今は致し方ない。

 それから、15分ほど歩いた先の路地裏に入っていく。目的地は、小さな居酒屋のようであるが…。
 中に入ると、店先からだいぶ奥まった部屋に案内された。しかも、1対1の話では済まなくなりそうである。
 蒼木が先立って、先客にあいさつをする。

「閣下、教授。お待たせをいたしました。それと、一名余分な男がおりますが、ご了承いただけますか?」

「ほう?珍しいな。貴様が余人を連れて現れるとは…」

 見覚えのあるその男は、帝国斯衛軍総司令紅蓮醍三郎大将であった。全身からみなぎるその威容は、まるで巨大な山脈である。
 対して、テーブルをはさんで座る男は、初老のややくたびれた印象の男で、外見だけをみると紅蓮の前に立つだけで座り込んでしまいそうなほど弱弱しく感じられる。
 しかし、そういった印象を与えながらも身体が警告を鳴らしている。わかり安すぎる力強さよりも、この手の不気味さのほうがよっぽど相手にするには分が悪い。

「紅蓮閣下は説明の必要はないだろう?もうひと方は、帝国大学教授の霧山秀樹博士だ」

 記憶の中からその名を探り出す。あの香月夕呼の師に当たる人物が、そういった名前であったような気がする。

「帝国陸軍東部技術廠所属、白水修吾中尉であります」

 短く挨拶と敬礼をする。紅蓮大将は頷き、霧山教授は興味深そうな視線をこちらに向けている。

「ふむ、柊一。本日の要件は、こ奴を我らに引き合わせることか?」

「いえ、一先ずは帰還のご挨拶をと思いまして。ただ、次の任務にかかわるにあたって、面白そうな男でしたので、伴わせていただいたわけです」

「そうか、貴様が言うことならば、そういうことか?」

 紅蓮大将の物言いは、普段の豪放磊落様子を知る者からすれば、想像もできないほど冷淡であった。

「中尉。単刀直入に聞く。君は何度目だね?」

「は?」

 唐突に、教授が口を開く。しかし、何度目と言われても見当が…、つく…。とはいえ、いきなりこのような話をしても信じてもらえるのであろうか?いや、信じさせるしかないであろうし、大方の予想は付いているのであろう。

「わかりやすくしようか?1990年12月25日を経験して何度目なのだね?」

「2度目です」
 
 短くそう答えると、教授は満足げに頷き、紅蓮大将は眉をピクリと動かすとやがてうなり声をあげながらうつむく。

「ふうむ。少佐、よかったのう。仲間ができて」

「そうかもしれませんな」

「っ!どう言うことですか?」

「ふむ。元は、情報省の飼い犬と言ったところか…」

 静かな詰問に、蒼木少佐は、意に介さぬ様子で返答する。感情の制御はしたつもりであったが、態度であっさり見抜かれたようである。

「言った通りじゃよ。白水中尉。この蒼木少佐も君と同じ、又は似たような世界からやってきたのじゃ」

「ちなみに、これが五度目だ」

「五度目だと?ますます、訳がわからん」

「それは、わしの台詞だ」

 紅蓮大将が呆れたように口を開く。

「柊一よ、貴様は我が一族の娘を娶る身じゃ。それゆえに、そのような荒唐無稽な話に耳を傾けてやっとるのじゃ。もっと、わかりやすく話せ」

「まあ、大将。それはこの男の話を聞いてからでもよいでしょう。少佐の武勇伝でもよかったが、こちらのほうが興味をひかれるわい」

 霧山教授は、さきほどのくたびれた様子がうそのように生き生きとしている。もっとも、あの香月夕呼の師なのである。下手なことをして、解剖されでもすれば意味がない。もっとも、データの活用可能な機会が向こうからやってきたのだ。警戒していても仕方がない。

「話すより、見ていただくほうが早いでしょう」

 右目をはずすと中からデータチップを取り出す。義眼であることは、皆気づいていたようだが、データチップを仕込んでいたことは、蒼木でも驚いたようだ。

「これには、私が元いた世界の機密データが入っています。確認をしたわけではありませんので、中身が無事かどうかは分かりませんがね」

「ふーむ、まあ、確かめてみないことにはどうにもならんね。とりあえず、歴史のデータはあるかね?」

 パソコンを立ち上げ、データが投影される。一〇年間のスペックの差に教授は興味を紅蓮大将は不信感を露わにする。外見を裏切らず、こう言った物の扱いは苦手のようだ。

「いや、貴様の世界は興味深いな。私が経験した世界は、すべてBETAに敗れ去っているのだ。正直、勝てぬ戦いを繰り返さねばならないのはつらかったのだが…」

 画面を見やりながら、蒼木がつぶやく。記憶を持っていても、世界を変えようがなかったのだろう。それは、個人の力量ではどうにもならないことなのかも知れない。

「私としては、何が原因でこの世界にやってきたのか…。それすらもわかりかねますがね」

「死の直前に、何かなかったかね?」

 霧山教授が、画面を操作しながら口を開く。

「なにも…、と、言いたいところですが…。一つ、訳のわからない夢のようなものを見ました」

「ほう、それは?」

「牢獄か何かに囚われた少年とその少年を、必死に助け出そうとしている少女の姿です。少年は俯いたままで、少女は何かを叫んでいましたね」

「その少女と言うのは、煌武院悠陽様に似た少女だったか?」

「いや、違います」

「では、眼鏡をかけた真面目そうな少女か?それとも、背が高く髪のやや長い少女か?」

「いや、その二人でもないです」

「それじゃあ、変わった髪型をした小柄な少女か?それとも、一見少年のような印象を持つ少女でもなかったか?」

「どちらでもないです。長い髪に、黄色い大きなリボンを付けた少女でしたよ」

「ほう、また新しいな。私も、死を経験するたびに似たようなものを見るのだ」

「少年はどう言った印象だったかね?」

 画面を見ていた霧山教授が顔をあげる。どうやら、ロックが掛ったページを見ようとしたが、ロックの解除は失敗したようだ。

「俯いていましたので…、体つきを見る限り軍人のようでしたが…」

「私が見たのも似たような姿でしたね。その五人の少女もそうでしょう」

「まあ、なんにせよ。研究材料に事欠かなくても済みそうじゃな。どうだね、白水君。蒼木君と同様に、君も昇進するかね?」

「は?そんな簡単に…」

 霧山教授の突然に提案に困惑するが、前の世界のことを思い出すと納得がいった。自分の最後の仕事となった異分子の掃討の際、香月とその背後に居る人間からの情報も相当なものであったのだ。

「まあ、考えて置きたまえ。それに、君がこの世界の君でないことはわかった。それだけでもよしとしようじゃないかね?」

「ふう~む。それでは、本来の話に戻してもよいか?」

 それまで黙って聞いていた紅蓮大将が口を開く。教授の職権乱用ともとれる発言を堅物かつ高潔とも言われる男が咎めなかったのだ。相当な実力者であるのは間違いないだろう。

「かまいませんぞ。私が必要とするデータは、後でいくらも見れそうですからな」

 霧山教授は、含み笑いを浮かべたままこちらに目を向ける。それでも、信用してもよい人物のようであるし、香月や結局暴くことのできなかった大物とも接近できるかもしれないのだ。近づいておくにこしたことはない。

「柊一、この前の話なのだが…。やはり、斯衛、紫禁両軍では反対の声が大きい。編成中の海外派遣軍、本土防衛軍でも同様だろう」

「やはりそうですか…。しかし、衛士の錬成は実践がすべてです。それは早ければ早いほうがいい。記憶の中の世界、そして欧州で戦って改めてそう実感できます」

「しかしな、来年度生はいわくつきの年だ。五摂家出身者が一人。縁者が五人。紫禁軍からも相当な実力者の近親者がいるようだし、近年まれに見る多さだ。この者たちを貴公の提案する教導課程に送り込むのは納得できぬものばかりぞ」

「それは、わかります。ですが、五摂家出身者でもっとも衛士の実力に優れる斑鳩御兄弟が、今だ佐官にすらなっていないのは、結局は前線に出るのが遅すぎるからです。それに、欧州から生きて帰還した者は、全員が訓練校の出身者です。この事実をどうとらえるのです?」

 蒼木が、先ほどまでの静かな口調がうそのようにまくし立てる。斯衛の最高司令官に対するものいいとは思えないほどである。

「よろしいですか?」

 恐る恐る、尋ねる。さすがに、一方的に口はさむわけにはいかない。

「かまわん、なんだ?」

「お二人の話が、教導に関することとは、理解できますが、紫禁軍とは?私の記憶の中にはないのですが…」

 斯衛は、当然のように知っている。将軍をはじめとする五摂家を守護するために組織された精鋭軍団である。

「んん?貴様がいた世界にはないのか?紫禁軍は、帝をはじめとする帝室を守護する者たちだ。斯衛と性格はほとんど変わらん。護衛の対象が異なるのみだ」

「私の経験した世界では、近衛軍が両方を務めていた。もっとも、本来私がいた世界では、政威大将軍すらなかったのだからな」

 本来いた世界。と言う、蒼木の言葉が気になったものの今は二人の話を邪魔したところで仕方がない。教授は教授で、データの解読に夢中である。

「ふん、それが出まかせに過ぎなければいいのだがな。話を続けるぞ」

 細かい内容としては、士官学校や陸、海軍大学出身の上級士官の戦死率の高さが、実戦経験の不足に尽きるという事実があるということ。
 また、参謀本部詰めの参謀たちが、戦術機の特性や利点を全く理解していないことを危惧した結果、士官候補生たちも通常の衛士訓練校出身者と同様に、実戦に送り込むべきだと主張しているのだと言う。
 帝国軍内での反発は大きい。そして、これを斯衛や紫禁軍の士官候補生も同様に行うと言う主張に今度は斯衛、紫禁両軍からも反発が起こっているのだと言う。
 一介の佐官。それも、最近まで欧州に居た男の主張で軍内部が荒れることは考えにくい以上、紅蓮以外にも懇意にしている者が蒼木にはついているのだろう。
 記憶を持っていれば、人脈づくりの大事さは痛感しているはずだ。

「今回の派遣軍も、士官学校出の指揮官が率いる部隊の損耗が高かった。彼らの能力の問題と言うよりは、経験が少な過ぎるのですよ。それで、現場たたき上げの衛士を指揮するのだから、ある程度の力量ではどうにもなりません。力量も才能もある者は、陸大に行ってしまいましたからね」

「しかしな、伝統いうものがある。陸海大を廃止したのは、時間的余裕を考えれば理解もできよう。任官後の研修期間の確保ができればいいのだからな。だが、士官学校のカリキュラムの変更は、それまでの卒業生たちの反発を買うぞ」

「既卒者たちは、今まで通りで構いません。BETAの東進が本格化しようとしている今、すでにある程度の教育を終えた者たちを再教育している時間はありません。それに、実戦に投入されたほうが武勲をあげる機会が多くなるのだから、昇進速度も上がります」

「それだ。そこが気に食わんのだ。反対している者たちは」

「愚問です。後方で、のうのうと指示だけしている者が、前線で血を流す者たちよりも昇進していく。そして、現場には無理な命令を下す。恥と思わんのですか?」

「柊一。貴様、斯衛を侮辱するか?」

 紅蓮大将の声色が変わる。国内最強とも言える男がはっきりと怒りを見せている。後方でと言う言葉は、暗に斯衛のあり方を批判しているようにもとれる。いや、その意味も十分にあるだろう。
 とはいえ、BETA戦を経験している蒼木少佐には、それほどの恐怖を与えることはできない。人間離れした力をもってしても、BETAへの恐怖を超えることなど不可能だ。

「事実を言ったまでです。それに、斯衛、紫禁両軍が賛成をしてくれれば帝国軍の上層部は受け入れるとも思います。将軍や帝の守護こそが、至上命題と言う堅物どもが賛成したとなればね」

「しかし、貴様の主張では、半年に満たぬ教導で戦場へ送り込むとしているぞ。賛成せよと言われても、簡単に頷くわけにはいかぬ」

「別に、全員にそうしろと言っているわけではありません。しかし、民の先頭に立つことこそ本来の斯衛のあり様なのではありませぬか?」

「それはそうだがな…、柊一。貴様の本心は、弟の栄達ではないのか?確か、次年度であろう?」

 紅蓮大将の表情が一層険しくなる。蒼木少佐の提案は、合理的であろう。いずれ、経験豊富な衛士が必要になるのだ。
 しかし、紅蓮大将も斯衛、特に伝統を重んじる保守派の代弁者であるのだ。頭では理解していたも気持ちが許さないのであろう。

「それは、ないわけではありません。結果として、弟に栄達の機会を作ってやることにはなりますが、這い上がってくるからはやつの力量次第です」

「ふん、正直な男だ。だがな、斯衛の中枢に居る者たちが、飲むと思うか?BETAの東進が目前に迫っているとはいえ、本土が攻撃を受けたわけではない。説得の材料としては乏しすぎるのだ…」

 話は、このままでは平行線である。特に、最後の言葉は本人の気持ちでもあるのだろう。この世界でBETAが日本に上陸しないという可能性がないわけではない。
 だが、歴史は証明している。自分が経験してきた歴史であるとはいえ、誤差の少ない世界ならば、似たようなことは高確率で起こりうるだろう。
 いや、自分。そして、蒼木と言うイレギュラーが前の世界とは異なるのだ。現に、イベリア半島とブリュターニュ半島に橋頭保を完全に確保している現状を考えれば、歴史はすでに動き始めている。

「攻撃を受けてからでは遅いのです。閣下」

「「白水?」」

「歴史はわれわれの出現により、わずかではありますが、動き始めております。しかし、大きすぎる変化は起こらないでしょう。先ほどご覧になられたように一度BETAが日本に上陸すればわずか一週間の間に3600万人の人間がこの地上から永久に失われます」
 3人は、黙ったまま次の言葉を待っている。自分でも不思議なぐらい舌が回っているような気がする。

「そして、千年の都、京都は灰燼に帰すのです。あの、屈辱の敗戦すらも潜り抜けた都がです」

「それが、信じられぬというのだ。貴様らが実際に見てきたと言ったところでどうやってそれを証明する?このようなデータ一つでは、説得の足しにもならんぞ」

 常人の倍ああろうかと思われる拳がテーブルに巨大な穴をあける。どうやら、相当頭にきているようだ。たしかに、自分や蒼木のような若造に好き勝手言われれば当然と言えるが。

「信じていただくほかありません。本土防衛線では神野大将をはじめとする、多くの優秀な人材を失いました。皆、果敢に戦いました。斯衛も本土防衛軍も、それでも旧態依然の組織が円滑に機能していたかは疑問です」

「神野がか…」

 この世界では分からないが、神野志虞真大将は、紅蓮の親友であり、ともに生きる伝説として軍に中枢にあった。

「この世界が、同じ結末を迎えると言う保証はどこにもない。現に蒼木少佐と私が経験した世界では、結末が異なっておりますし、諸制度もやや異なる点が見受けられます」

一端、言葉を切る。紅蓮大将は、腕組みをしたままこちらに鋭い眼光を向けている。

「わずかな変化がもたらす変化は、当然のように小さなものです。しかし、一つの変化が、一人の人間を救い、その一人の人間が世界を救うかもしれません」

 実際に、一人の人間のもたらした変化が、世界を変えたことを自分は知っている。

「新しく任官する者たちが、軍が生まれ変わる端緒になるかもしれません。今はともかく、あと10年もすればこの国は限界を迎えます。資源と言うよりも、国家、国民としての限界をです」

 桜花作戦の陰で個人の欲望を満たすことに終始していた馬鹿は、軍の中枢にもいくらでもいたのだ。
 腕組みをしながら、聞いていた紅蓮大将は、その後も黙ったまま天井を見あげている。経験した世界の話をしたところで、紅蓮大将はこの世界に生きる人間である。実感の湧かない話であるだろう。
 特殊任務に身を置いていた立場からすれば、このような機密をべらべらしゃべる自分のような男を信用できるとは思えない。だが、このクラスの人間にかかれば、話の嘘実を見抜くことなどたやすいはずだ。
 だからこそ、蒼木少佐が身内になることも了承したのであろう。おそらく、手際良くたらしこんだのであろうが…。

「分かった、できる限りのことはしよう」

 身体の奥底から絞り出すかのような声には、苦渋の決断であることがはっきりとわかった。

「出すぎた話をしてしまい、申し訳ありませんでした。私は、これで失礼をさせていただきます」

 頭を下げ、パソコンのほうに目を向けると霧山教授は今だに画面を注視している。

「教授。私はこれで失礼をさせていただきますのでパソコンを渡していただけませんか?」

「白水よ、一方的に君たちの要求を飲ませて置いて、それまでと言うのはひどいんじゃないかね?」

 それまで、黙ってパソコンを睨んでいる霧山教授が、顔をあげる。画面には、第3世代戦術機のデータが現れていた。

「い、いつの間に解除を…」

「そんなことはどうでもよい。それより、このデータを対価としてくれてやってもよいのではないか?」

 画面には、武御雷のF型が映し出されている。現時点で原型ができているかは不明だが、研究は進められているはずだ。

「ぬう!き、貴様このデータはどこから」

 案の定、画面を覗き込んだ紅蓮大将に睨みつけられる。

「話した通りですよ」

「では、これほどの機体が実現できるということか…。よかろう、このデータを技術廠にまわせ。貴様等の要求は飲んでやる」

「し、しかし。不知火と吹雪以外の第三世代機は、現在の技術では作成不能です。それに、私がデータを持ち込んだところでどうにかなる問題では…」

「水臭いことを言うな。それに、ここまで精密なデータがあれば、西本のことだ。すぐに作ってしまうよ」

「し、しかし…」

 今、データを渡したことで戦術機の開発は進むであろう。しかし、それで世界の動向にどう言った影響を与えるかわかったものではない。

「貴様の懸念はわかるつもりだ。しかし、私と貴様が現れたことで歴史は動いている。私が経験した世界でも、敗北と言う結末は変わらなかったが、勝利の直前までいった世界もあるのだ」

「些細な変化には目をつぶれと言うことでしょうか?」

 蒼木の言うこともわかる。確かに第三世代機の出現が、多少早まるだけであり、高性能機が十分に行きわたれば衛士の被害も減少するだろう。何より、自分の持つデータが十分に役に立つ機会が来ているのだ。

「分かりました。ですが、この武御雷は、生産性や整備性ははっきり言って兵器としては失格レベルです。そのことは考慮しておいてください」

「うむ、それくらいは分かっておる」

「当然ですが、データの提供先は遠田技研にしてください。彼らの努力を無下にするわけにはいきません」

「遠田には、知り合いがいるから私がうまくやっておこう。その他のデータもゆっくり見せてもらうとするぞ。ふふふ、楽しみだわい」

―これでよかったのか?

 満足げにうなずく、霧山教授と紅蓮大将を見ながら思う。まだまだ見せていないものはいくらもあるのだが…。

―結局は、俺は無能ということか…。

 感情に身を任せて肝心のデータロックを解除される。どんなに実績を上げたところで、情報部としては、必要ない人材ということかもしれない。

―まあいい。栄達が目的ではない。不要となって消されることを嘆くほど、この世に未練などない。

 1990年12月25日。人類の反撃の端緒となる戦いまであと11年の歳月を残し、運命の歯車は確実に狂い始めていた。



[17368] 第2話
Name: シヴ◆1d05be52 E-MAIL ID:b1cc4556
Date: 2010/04/29 21:39
 1991年1月29日 帝国陸軍技術廠・東部第二課

 小雪の舞う寒空に抗うかのように、ハンガー内は熱気に満ちていた。

「どうだね。新主力機の乗り心地は?」

 声を掛けてきたのは、東部の主である西本技術大佐である。その眼には、『早く感想を聞かせろ』と言う、声にならない言葉が感じられた。

「機動については文句無しですね。前年に事故を起こした試作機の改修版とは思えません」

「それはそうだろ。霧山教授から送られたデータ。初めは目を疑ったが、実際に試作して見ると、当初思い描いた通りの動きだ」

 愛おしそうに試作機を見あげる男の顔は、愛娘の成長に満足する父親のそれである。最も、本物の娘は放任教育だそうだが。

「戦闘に関しては、現時点では確認しようがないですね。早いとこ二番機でも作ってください」

「わかっとるわ!これほどの高性能機、世界でも並ぶものはあるまいよ。がはははは。……時に蒼木少佐」

「はい?」

 力強くうなずき、気分よく笑っていた西本の表情が、突然変わった。

「今回のデータの出所…。お前さんと白水だと聞いたが、事実か?」

「は?霧山教授からの提供ではないのですか?」

「ごまかすな。わしが何年戦術機にさわっとると思う?そのわしでも気付かんかった難点を、ずぶの素人が提供してきたデータが解決したのだぞ。それも、お前さんと白水と顔を合わせたという日の数日後だ。どんなに鈍い人間でも疑うわい!」

「教授の研究室には、とんでもない天才がいるそうですよ。そこから出てきたんじゃないですか?」

「ごまかすなと言っとろうが!自惚れるわけではないが、わし以外の人間が今回のデータを参考にしたところで、年内の完成は不可能だったはずだ!だが、わしがいたからわずか一月で試作機を完成までこぎつけたのだぞ!実弾演習を経れば、量産にも入れるはずだ。この機体なら、撃震は当然として、陽炎にも瑞鶴にも楽に勝てるはずだ!そうなれば、年内にも…、うっ、げほげほ!」

「だ、大丈夫ですか?」

 顔を真っ赤にしてまくし立てる西本だったが、興奮しすぎたのか、咳き込んでいる。

「はあ……はあ……、ともかくだ!あれほどのデータが、他にもあるならばわしに寄こせい!!無理でも、無茶でも何とかしてやるわ。いいか!柊一。人類が戦うすべを考えれば、戦術機以上の武器は無いんだぞ!それを出し惜しみしてどうなるんじゃ!なんでもいいから、教えんかい!!」

 先ほどからの、大声に整備兵や技術士官たちが集まってきている。会話の内容を聞けば、内心穏やかではいられないだろう。

「わ、分かりました。とりあえず、話せることは話しますから落ち着いてください」

「おう、そうか!よし、さっそく、データ、うぐごっ!?」

 首筋に、きれいに決まる手刀。そして、床に伸びる男を見下ろす色素の薄い瞳。

「機密と言うことを知らんのか?このオヤジは……」

 いつの間にか、大佐の背後に立つ白水修吾中尉が、無表情のまま呟く。それを隣で見ていた三崎技術中佐は目を丸くしている。

「おいおい、大佐はもう年なんだから無茶をするな」

「白水!貴様、なんてことを」

 三崎技術中佐が、顔を青くしながら問い詰めるが、当人はどこ吹く風だ。

「中佐。機密漏洩を防ぐための最善の処置であります」

「何を馬鹿なことを言っとるんだ!さっさと医務室へ運べ!」

「はっ!白水。行くぞ」

 大佐の気絶原因に気づいたのは、まじかに居た自分達だけである。成り行きを見守っていた技術士官や整備兵たちは、興奮のしすぎで倒れたようにしか見えないだろう。

「しかし、かなりの迫力でしたな」

「戦術機に関しては、譲れんものがあるんだろうよ」

 脇の下と足を二人で抱えながら壮年の男が運ばれて行く様は、技術廠中の注目の的であったが、戦術機談義で興奮し過ぎたという噂があっという間に広まったのか、驚きの表情は、どんどんあたたかい笑みへと変わって行く。
 そうよくあることではないのだろうが、大佐の戦術機への思い入れを知る者からすれば納得のいく話なのかの知れない。
 

 大佐を医務室へ送り届け、機動テストのデータ書類の作成に取り掛かる。主機への負担は許容値以内であり、各部の消耗もほとんどない。
 
 自分が乗ってそうでなければ、今まで、第一、第二世代機に搭乗していた者やいきなり不知火に搭乗予定の新任達がまともに戦えるとは思えない。
戦いのさなかに機体を消耗しつくして、オーバーホウルばかりしていたのでは、圧倒的な物量を誇るBETAと戦うことなど不可能だった。
 その点、現在の試作品の出来は十分満足できる。だが、これで満足してもらうわけにはいかなかった。
 
 今後、戦線に投入されるに従い、不満は山のように出てくるのだ。そして、最終的にアメリカ企業との合作が求められることになるが、自分は其の真価を見ることはなかった。

 白水の話とデータを見る限りでは、当時最強の戦術機であったF―22すらも凌ぐと言う評価も得ていた。だが、現行の技術力では実現は不可能であろう。それに、未来を知る我々が、他人の功績を横取りするわけにはいかないのだ。

「失礼します」

「入るぞ」

「た、大佐…、御用でしたら、自分が出向きましたのに…」

「そんなことはいい。それよりも、先ほどの話だ。データを寄こせ!」

 大佐は今にも掴みかかってきそうな勢いである。遥かに階級が下の者に殴られたと言うのにそれを咎めるようなそぶりは全く見せようとしなかった。

「そこで、相談なのですが…」

その様子を黙って見ていた白水が、控えめに口を開く。

「なんだ?」

「大佐は、祖国に為すべきことはいかようなものとお考えですか?」

「よりよい機体を送り出すことだ。国が滅べば、以下に忠義を尽くしても無駄だからな」

「では、大佐は現行の試作機で満足なされておりますか?」

「満足などしとらん。30年戦術機をいじり続けた中で、自信を持って送り出した機体はいくつもあった。しかし、米国のF‐4とF‐15には勝てなかったのだ。巌谷がトライアルで勝ってくれなかったらと思うとゾッとするわい」

 白水の問いかけに、大佐は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら口を開く。確かに、斯衛軍の伝説の衛士である巌谷栄二少佐(当時大尉)が、勝利を得ていなければ、国産機の開発すら立ち消えになっていた可能性すらあった。

「では、先ほどの言に偽りはないですね?」

「おい、白水。仮にも大佐は上官だぞ。言葉を選べ」

「んなことはどうでもよいわ!とにかく、データだ!データを寄こせ!!」

「では、大佐。その意志と技術を世界の為に使ってはみませんか?」

「なんだと…?」

「帝国軍だけではなく国連軍が運用可能な戦術機の開発を行っていただきたいのですよ」

「???どう言うことだ?」

「現実問題として、軍や富嶽、光菱、河崎などに、帝国軍以外の次世代機の開発を行う予定はありません。それに、城内省による『飛鳥計画』も本格化するはずです」

「まあ、当たり前だな。それに、新型に目処が立った以上、これからは量産に入ってもらわなきゃ困る」

 配備は早まったとはいえ、今後は不満点の改修や壱型から弐型への改修を求める声。さらに、後継機の開発も始まるのだ。それに、一国の軍隊が、他国の為に兵器を開発してやるなどと言う馬鹿な話があるはずがない。

「うむ。それに、世界への貢献とは?現在でも、他国との協調を非難する声は大きいのだぞ」

 他国と言うより、米国への協調に対する反感だろう。軍部には、敗戦の後も反米感情が色濃く残っている。

「それは分かっております。ですが、他国の利と同時に、我が国の利益にもなると思いますが?」

「………話してみろ。蒼木もいいな?」

「ええ」

 技術屋が本分とはいえ、立場は帝国軍人である。当然、国益になる話のほうが受け容れ易いのだろう。
 自分も、白水の案には興味がある。
 
 
 簡潔に言えば、東南アジア諸国に技術提供を行い、高性能機の開発と製造を行ってもらう。そこに、西本大佐が技術顧問として乗り込むと言うことだ。
 東南アジア諸国では、インドネシアのヌサンティア社が戦術機の開発を進めているとはいえ、今主流の第2世代機の水準に達する技術力はない。
 幸いにして、東南アジアの人的資源はそれほどダメージを受けていない以上、技術さえあれば生産力は格段に向上する。
 さらに、日本の影響下にある国が国力を高めれば国際的な発言力が増すことも視野に入っている。

「なるほどのう…」

「どうですか?興味はお有りのようですが」

「しかし、それは難しかろう。ただでさえ、親米派の議員や軍人が幅を利かせ取る時代だ。かの国の国益に反することなど許可はすまい」

「その辺りは、これから何とかするつもりです。今は、大佐のお考えを聞きたい」

「わしの考えか…。正直、一から戦術機を開発して見たいという気持ちはある。今回の試作機も元は陽炎を土台にしたものだ」

「組織である以上、余計なしがらみがあるでしょうね」

「うむ。わしは、戦術機をいじらせてくれて、飯が食えればそれでいいんじゃ」

 そう言うと、深くため息をつく。東部技術長と言う立場上、技術廠内や国防、建設省などとのしがらみも多くあるのだろう。

「それに、新型機を他国で開発したところで日本の国益にかなうのか?いや、戦術機の技術ならば相手は欲しがるだろう。しかし、我が国に対して十分な見返りがあるとは思えん」

 当然の反応であろう。特に政府筋から見れば、東南アジアは資源の貯蔵庫としての認識が強い。軍のリアリスト達も同様だ。
 それゆえに十分な見返りを望めなければ、技術の提供などまったく興味を示さないだろう。

 もっとも、彼らの十分な見返りが国益に直接結びつくとは考えにくいのだが…。

「東南アジア各国が壊滅すれば、我が国も長くは持ちません。国内の資源では限界があります」

「ふむ…。我が身かわいさから来る動機ならば説得はしやすいか…」

「とはいえ、我々が勝手に動くわけにはいきませんからね。今は、大佐がその気になってくれることが第一です」

 白水がそう締めくくると大佐は、深く頷く。本心を言えば、戦術機のことだけを考えていたいのであろうが、立場が立場である。

「大佐。今、白水が話したことはあくまでも白水中尉の案件と言うだけです。今後、軍上層部に対して提言をしていくつもりでありますが、大佐からも口添えをいただきたいのですよ。優れた戦術機は、世界中で求められているのですから」

 白水の言い方では、あたかも今後の外交方針のように聞こえるが、あくまでも一士官の考えを述べたにすぎない。士官とはいえ、士官クラスの提言が通ることは極めて稀である。

 それ故に、相応の地位の人間の口添えや代弁が必要になって来るのだ。

「まあいい、考えて置いてやる。それよりもデータはどうした?」

 どうやら当初の目的は忘れていなかったらしい…。

「全てと言うわけにはいきません。ですが、各国の第2世代機は今後も配備されていくでしょうからそれらのデータはお渡ししますよ。少佐。よろしいですね?」

 元々そのつもりであったのだから、問題はない。第3世代機のデータ提供も可能だが、万一流出した際に誤魔化しが効かなくなる。なにより、それによって、F‐22AやSu‐47などの開発が中止された場合のほうがリスクが大きい。

「ふむ、こいつは…、ソ連機か?それでこちらはホ―ネットだな」

「ええ。現在、ソ連において、開発が進められているSu‐27ジュラーブリクです。マイナートラブルが多いようですが、このあたりは改良の余地があるでしょう。また、ソ連製と言うだけあって、近接戦闘に優れています」

 細かいことはよくわからないが、専門の技術者から見れば十分参考になるはずである。その他の2・5世代機や第3世代機のデータも折を見て渡すことになるだろう。
 だが、今はまだ早い。今後の大佐の動きを見てからでも十分なはずだ。

「ふ~む、このあたりも貴様等の構想に入っているのか?」

「と、言いますと?」

「ベトナムを初めとする東側陣営では、ソ連機の導入も考えられていると聞いておる」

「いや、単純に近接戦を重視しただけのことですよ、ホ―ネットは、海軍機も後々必要となると考えているからです」

 

「それで?他のデータ解析は進んだのか?」
 
 戦術機データを提供したのはいいが、その後、延々と戦術機の魅力やら優位性などを聞かされる羽目になった。
 当の本人からすれば、新たなデータや知識はありがたいのだろうが、上機嫌になり過ぎるのも考えものである。
 ようやく気が済んだのか、軽い足取りで執務室から出て行った。

「いえ…。霧山教授とも取り組んでみたのですが…」

「そうか…。しかし、前の世界では解読できたんだろう?それが、今になってなぜ?」

「転移してきたことが原因としか、考えようがないですね…」

「ふむ…、その場合、各国の戦術機や歴史のデータはどうなる?」

「それについては、教授と仮説を立ててみましたが…」

 白水の言葉に頷くと、霧山教授と彼の教え子で、今年から帝国大学への編入が認められた学生の論文をもとにしたものだと言う。

 まず、歴史のデータ。これは、持ち主である白水自身が経験してきたことであり、彼は情報部に属していた以上、他のもの以上に世界の裏事情などに精通している。

 次に戦術機のデータは、白水が自分と出会った時に西本、三崎の二名とも再会している。特に、西本は帝国軍への引き渡しまで三年の月日を必要とする不知火を完成させてしまうほどの技術者であり、データ自体を実現可能な人間であった。

「つまりは、貴様の持つデータも、それを生かしきることのできる人間に出会わなければ閲覧は不可能と言うことか?」

「あくまでも可能性ですが…」

 白水は控えめに言うが、今のところ説明のしようがないのかもしれない。

「それでは、霧山教授はどうなんだ?貴様にデータを提供した女の師でもあるのだろう?」

「実現したのは、香月夕呼であって教授ではありません。それも、白銀武と接触を持った香月夕呼でなければならず、それは2001年10月22日以降の話。という結論です」

 今から、10年以上先の話である。そして、自分が経験した世界では、彼女の研究は実を結ぶことはなかったのだ。

「研究が進んでいけば可能性はありますが…」

「待つしかないということか…。それならば、よい。今は、我々にできることをすればいいだけだ」

「そうですね。さしあたっては、教導計画ですか…。先ほどの件も進めていただきたいところですが…、誰かあてはないのですか?」

「おいおい、いくら私でも政治家との交流はないぞ」

「舅殿の尻を叩けばいくらでも可能ではありませんか?」

 正確には、舅ではないのだが…。それに、裏工作とは全く無縁の人である。とはいえ、世界的に名の通った武人であるため、人脈の太さは並みの政治家などと比べるまでもない。

「そうだな…。こういった話に乗ってくれそうな人間を探すのならば…」

 時間はあるようでない。すでに、自らの手で歴史を変えているのだ。今は、巨大な変化が見られないとしても、後々の変化は巨大になるだろう。
 そうなった時に為すべきことを誤るわけにはいかない。

 不知火の完成、教導計画の作成、人材探索、人脈づくり。やるべきことは多くある。自分のことを気にしていては、また同じことの繰り返しになってしまう。



◇     ◇     ◇     ◇     ◇      ◇


 そんなことを考えながら柊一は、胸元を撫でた。胸ポケットの中には、一枚の写真が収められている。そこに写る親子4人の笑顔。彼が、平和と人類の勝利を希求する最大の理由がそこにあった。
 失われた幸せな生活。新たな世界においても、同じ外見と性格を持つ女性を愛し、同じ外見と性格を持つ子どもたちとの生活を得ても、そこに写った姿は二度と取り戻すことはできないのかもしれない。

「平和」

 この二文字の本当の意味と姿を知る者が、この世界にどれだけいるのであろうか…。そして、あの世界にもどれだけいたのであろうか…。
 彼は、それを知る唯一の人間なのかもしれない。そして、彼の苦悩を理解できる唯一の人間の出現まで、多くの時を必要としていた。

 そして、彼らが出会えるかどうかは、誰にもわからない…。



[17368] 第3話
Name: シヴ◆1d05be52 E-MAIL ID:b1cc4556
Date: 2010/04/04 23:38
 第3話
 
 1991年2月10日 日本帝国呉市

 日本帝国最大の軍港を抱えるこの都市は、海軍御用達の繁華街が軒を連ねている。その中に、退役軍人が切り盛りする小さな居酒屋があった。
 
 店の名前は「佐渡」。由来はもちろん、日本海に浮かぶ島である。決して繁盛しているわけではないが、丁寧な作りの料理と味にこだわった酒の種類が豊富で、海軍の士官たちの一部に愛好されていた。

「ほう、それで小沢さんもついに提督かい?ようやく、国防省も認めたわけじゃな」

「親父さん…。私など、まだまだです。それに、提督と呼ばれる身となったとはいえ、艦隊を率いる身などでは…」

「ははは、謙遜するなよ。そんじゃ、今日はいろいろと色をつけておいてやるから楽しみにしていてくれよ!」

 小沢と呼ばれた少壮の男は、苦笑しながら店主に頭を下げる。
 
 彼は、日本帝国海軍少将、小沢治一郎提督である。

 現在の私服姿を海軍の制服に変えれば、年齢以上の貫禄を持ち合わせており、第二艦隊参謀時代、視察に訪れた国連事務総長が、彼を艦隊司令官と勘違いしたほどである。
 
 しかも、貫禄だけでなく艦隊指揮能力も十分に備えており、第二艦隊の欧州派遣において、見事な作戦立案。遂行能力を見せていた。

「しかし、提督。今回の転任は、陸軍の彩峰閣下の後任でもあります。あの方の後を務めることなど、提督以外にできるとは思えません」

 店主が去ると、小沢と比べまだ若く血気盛んな士官が口を開く。まだ、若いながら巡洋艦の艦長を務める安部伸之中佐である。
 先の欧州派遣においても、危険な任務を率先して担いながらも乗艦を無事に帰還させるなど見事な指揮能力を見せ、かつ海軍において否定されがちな戦術機の重要性を訴えるなど、若いながら将来を渇望される男である。

「はははは、安部君。そう持ち上げられては、小沢さんも余計重荷になるぞ」

 若く実直な安部をなだめるのは、小沢の副官を務める井口忠明中佐である。年齢は、小沢や安部よりも上であるが、海軍大学校を出ていないため、小艦艇の艦長などを務めあげてきた現場叩き上げの軍人である。

「は、申し訳ありません」

 安部などのように実直な士官たちは、現場叩き上げの彼に対し、階級を超えて敬意を表していた。

「安部君。今は、小沢さんの昇任祝いだ。少し肩の力を抜いたほうがいいぞ」

 そう言って、安部をたしなめるのは、彼と士官学校時代からの友人である田所丈治中佐である。
 安部のような派手さはないが、堅実な指揮とともすれば危険な任務に飛び込みがちな安部をうまくサポートするなど、軍の中枢からも期待を集める士官である。
 彼ら3人は、横浜白陵基地への転任が決まっていた。士官学校の併設移転に伴い、横浜港と隣接するこの基地は、第二帝都東京の防衛を担うべく大規模改修が進められていた。

 陸軍との合同施設である以上、余計な軋轢の発生が考えられるうえに、新たな防衛網の整備にも人材は必須である。そこで、目を付けられたのが、小沢を含む彼ら4人であった。

「陸は定員の二百名前後と聞いておりますが、我が海軍の候補生はいか程に?」

「今年度から、斯衛、紫禁の士官候補生も受け入れられる。海軍は、さらに定員を減らし、五十名前後だそうだ。最も、今後の主戦場は大陸であることと、上級士官の損耗率の高さを考えれば致し方がなかろう」

 政府では、BETAの東進の開始が秒読みであるとの見解と中・ソ連合軍の消耗を鑑み、大陸派遣軍の派兵が国会に提出されていた。陸軍のさらなる消耗が予想される以上、海軍の縮小は致し方がないと、ここに居る4人は納得していた。

 しかし、海軍の中枢や若手の中には、陸に偏った軍備増強に反発する声も大きく様々な派閥が大同団結して海軍の増強も主張していた。

 彼らは、そう言った派閥に属することなく、欧州や中東に派遣され、支援砲撃などの任務を確実にこなしてきたのである。そのため、政府や斯衛、紫禁、陸軍などの上層部には覚えが良く、逆に身内である海軍の上層部への覚えはそれほど良くなかった。

 小沢の士官学校校長への就任は、前線勤務を望む彼への体のいい嫌がらせであり、安部、田所、井口の三名も後方勤務で冷や飯を食わせる腹積もりなのである。

 もっとも、小沢は艦長時代から優秀な後任をしっかり備え、部下の将兵への人間教育にも力を入れている点からみても、士官学校校長への就任は不思議ではないし、安部、田所、井口の三名は、皆異なるタイプの優秀な指揮官である以上候補生や東京の防衛網作成にとってはマイナスではない。
 さらに、彼等の元から巣立った士官達が軍の中枢を占めるようになれば、自ずと彼の影響力は増す以上、不当な人事であるとはいえない。

 もっとも当の本人には、軍での栄達など本懐ではないのだが…。

「それで?厄介事を持って来てくれた英雄殿は、いかがですかな?」

「厄介事か…。当の本人の第一声がそれであったよ。『厄介事を押し付けて申し訳ない』とな。だが、衛士としての教育は自分がすべて責任を負うから私は、軍人の象徴としてあってくれとも言われたよ」

 皮肉をこめて「英雄」と言う、井口に小沢は苦笑いしながら答える。五軍(陸、海、航空宇宙、斯衛、紫禁)士官学校の統合案を起案し、斯衛軍司令の紅蓮醍三郎大将や参謀長の神野志虞摩大将などを説き伏せた男は、噂の欧州戦線の生き残りであった。

 1個師団規模の派遣部隊のうち、消耗率は七割を超えた中、生き残りの衛士は、欧州各国のエース達と肩を並べるほどの戦果をあげており、かの「英雄」殿もそのうちの1人である。

「紅蓮閣下の縁戚の娘と婚約し、今後の栄達も間違いない人材でしたな。まあ、紅蓮閣下が認めたほどの男だ。提督のお眼鏡にかなうのは間違いないでしょうな」

 田所の言葉もどこか皮肉めいているが、井口ほど毒がないのは、経験の差であろう。

「どう言った経緯で私が選ばれたのかは知らぬがな。それに、教導のことだけでなく、本土防衛に関することまで話して言ったな…」

「本土防衛?大陸派兵で揉めている現状にも関わらず。で、ありますか?」

「そうだ。安部君、大陸派兵を考えたところで我が海軍に出来ることなど、現時点では兵員の輸送と補給活動だけだ。もちろん、補給を軽視し、大東亜戦と同じ愚を繰り返すわけにはいかん」

「当然のことですな」

「だが、彼の言い分では、大陸で多くの衛士が血を流している間に、戦艦乗りたちが遊んでいてどうする。と言いたいようなのだ」

「む!遊んでいると?………確かに、戦っているわけではありませんな…。内陸となれば、海上からの攻撃も不可能です」

 遊んでいる。と言う言い分に腹も立ったであろうが、内陸の戦場に艦艇の活躍できる場などありはしない。

「参謀本部の試算では、大陸防衛は、どんなに甘く見積もっても10年が限界であろうと言うことだそうだ。つまり、楽観視して見ても10年後には、九州沿岸部にあの化け物どもが押し寄せてくるのだ…」

 小沢は、先日自分を訪ねてきた2人の若者の顔を思い出しながら言う。BETA大戦の勃発からおよそ20年。日本は、一部の軍人を除けば、後方での支援の身に力を注ぎ、大半の人間がBETAの恐ろしさを知らない。

 楽観的に見て10年ならば、90年代には、あの化け物どもが本土に上陸するとみて間違いはないだろう。

「ほう。あの石頭どもが、随分慎重な試算をしたものですな」

「どこでそのような情報をあの男が仕入れてきたのかはわからぬがな」

 井口が、口元を歪めながら皮肉めいた口調で言う。元々、参謀本部と言う言葉を信じてなどいない。恐らくは、自らの情報を基にした試算であろう。

 参謀本部は、相も変わらず無責任な精神論を振りかざす者が多い。これは、敗戦後に軍隊が復活した際のツートップから続く悪癖である。

 大東亜戦以降も旧態依然とした軍組織は残り、年功序列による人事も色濃く残っている。個人で責任をとりたがらない組織構造は是正されるどころか、経済の発展に伴い、民間へも広がりつつある。

 そんな中で、海軍の一軍人として為すべきことは何か?新たな武器や戦術の確立。そして、『人』である。
 優秀な人材の育成。これほど、重要かつ困難な仕事はないだろう。

「海に生きる者が、陸の人材を育てる。困難なことではあるだろうが、陸海の潜在的な対立を是正できる良い機会かもしれん」

「教導計画を見る限りでは、適性のある者は全員が衛士として育成され、大陸の戦場に投入される。そこで、戦果をあげれば否が応にも発言力は増しますな」

 中央で派閥争いにいそしむ者達が、死と隣り合わせの前線に立つとは到底思えない。

「それに気づかぬほどの馬鹿ばかりではない以上、数年のうちに取りつぶされる公算は高い。ならば、わずかな期間にどれだけの人材を育てることができるのか…。私がそれに選ばれた以上全力を尽くそうと思う」

 小沢の言葉に他の3人は頷く。元々、中央の栄達を求めて軍人になったのではない者達である。
 
 船を愛し、海を愛し、祖国日本を愛するからこそ、常に前線に立つことを誇りとして来たのだ。それは、どのような任務でも関係はなかった。

 4人が呉を発ったのは、それから3日後のことであった。


◇         ◇          ◇         ◇


 1991年2月20日 日本帝国横浜白陵基地

 真新しく塗装された2機の戦術機が、激しい近接戦闘を繰り拡げていた。
 近接長刀による鍔迫り合いから、一方が押し切れば、他方は反転跳躍で後退し、砲撃によって相手を威嚇する。ほぼ同一の動きが先ほどから何度となく繰り返されていた。

「すげえな…ありゃあ。どっちも譲らねえぞ」

「ああ。でも、いくらかぎこちないようにも見えるな…」

「新型機でも物足りないほどの腕ってか?まったく、すげえのがいるもんだ…」

 横浜基地に属する衛士達も呆れるほどの高速軌道であるが、それは当然である。彼らの乗っている機体は、第3世代機。国内配備の戦術機は、F―4J撃震が大半であり、F―15J陽炎ですら見たことのない人間は多かった。

――やはり、あの機動の実現は無理か…。

 片方の衛士、白水修吾中尉は、周りの声などどこ吹く風で記憶にある戦術機動を思い返していた。

 対光線属種との戦闘において、命取りにすらなりかねない噴射跳躍による回避機動や空中での変幻機動。1人の天才によってもたらされた奇跡のOS。其の真価をこの目で見ることは叶わなかったが、記録として存在している。

 しかし、ループとともに原因不明のロックが掛った以上、実現にまで10年近い歳月を待つことになった。

「どうした?これで終いか?」

 蒼木柊一少佐の駆る不知火が、突撃砲を構える。さすがに逃げ切ることは不可能だった。

「どうも、義眼の調子が良くないようです」

「ふ、負け惜しみか?じゃあ、落ちろ」

 操縦席を正確に打ち抜く射撃。当然のごとく大破判定が出され、模擬戦闘は終了した。

「模擬演習でも特に深刻な点は見つからんな。これなら、引き継ぎの連中に渡しても問題ないな」

 自分達は、士官候補生への教導計画策定に携わるため、テストパイロットとしての職務はこれが最後である。もっとも、後任達がやることなどほとんど残っていないであろうが。

「二人とも、ご苦労だったな」

 ハンガーにて三崎中佐が出迎えてくれた。西本大佐は、立場上技術廠から離れるわけにはいかないため、彼に代わって横浜基地へ出向しているのだ。

「二機とも、問題ないですかね?」

「ああ。お前さんが持ち込んだデータを基にしているんだ。問題が起こってもらっちゃ困るさ」

 整備兵に指示を出しながらも、入念に機体のチェックを行っていく。このあたりの手際はさすがである。

「よし。問題ないな。以上で、君達の任務は終了だ。基地内にて、次なる命令を待て」

「敬礼」

 蒼木少佐の声を合図に、3人だけの静かなあいさつを交わす。この世界の記憶ではないとはいえ、前の世界ではそこそこ長い付き合いだったのだ。

「完成品を楽しみにしていてくれよ」

 そう言って、三崎中佐は、搬入の指示を出すために階下へと降りて行った。その足取りは非常に軽い。

「なんだかんだで、あの人も技術者なんだな…」
 


 部屋で一息ついたのも束の間、すぐに司令室からの呼び出しがあった。途中で蒼木少佐と合流し、足早に司令室へと向かう。
 通路には、まだコンクリートの匂いが残っている。基地の人員が揃っていないため、人の気配も少ないものの、外では、改修工事が進められていた。
眼下に横浜港を望むこの基地は、陸海軍の統合基地としての機能が備えられる予定であり、昨年のうちから改修作業は進められていた。
 
 後年、国連軍に接収され、オルタネイティヴ4の拠点となるのだが、それはまだ先の話である。
 士官学校の移転先に決まったため必要になるであろう教育設備も、元から存在した衛士訓練校としての機能を拡張するだけなので、今のところ目立った工事の遅れも見られていない。

 陸海軍の統合基地という側面上、基地司令官の地位などをめぐり、陸海軍の間でひと悶着があったようである。そこに、士官学校の校長まで加わるとなれば、話は余計にこじれそうなものであるが、基地司令と校長の役割を3年ごとに入れ替えると言う妥協案で何とか落ち着いたようでもある。

「しかし、うまく海軍も納得してくれましたね」

「ああ、箔付けにもちょうどよかろう」

「しかし、基地司令の側は面白くないでしょうね」

 校長に内定したのは、遣欧派遣艦隊の功労者である小沢治一郎少将である。派遣艦隊旗艦の戦艦大和の艦長と艦隊参謀を経て、提督に上がった人物である。
 アメリカに留学経験を持ち、前大戦期の名将、小沢慶三郎大将の縁戚に当たるなどのエリート軍人であるが、本人は前線にあることを誇りとしていた節があり、今回の人事にもやや憮然としていたようである。

 対して、基地司令官の荒居貞行少将は、これまた陸軍大臣(当時)と文部大臣を務めた荒居貞夫大将を祖父に持つ人物で、軍人教育に熱心な人物である。

「士官候補生に国粋思想をやたらと植えつけられてはたまらんからな。そうでなくても、あの人は口が達者だ」

「そうですね。しかし、アメリカ憎しでソ連親派になるって言うところも、祖父にそっくりですね」

 伝統的に陸軍の仮想敵国はソ連であるため、教導隊などでは、露西亜迷彩を施された戦術機が採用されている。
 しかし、このカラーに難癖をつけ、アメリカ軍のダークグリーンの採用を画策した件は、ちょっとした笑い話として有名である。


 司令室には、部屋の主である荒居少将とともに、小沢提督を初めとする海軍の士官達が揃っていた。

「来たか…。ふむ、3分…。まあ、よかろう」

「は、如何なるご用件でしょうか?」

「君の下に就く衛士達と教官たちが到着した。別室で待たせてあるから顔を会わせておきなさい」

 荒居少将は、そう言うと手で追い払うかのようなしぐさを見せる。

「昇任手続き等は、こちらで進めてよろしいのでしょうか?」

「すでに行わせているから、気にしなくていい。後日、全員を伴って国防省へ出頭したまえ。君たちへの辞令もその時に正式に交付される」

「はっ!了解しました」

「二人ともしっかり頼むぞ」

「はい!」

 小沢提督の声を受け、司令室を後にすると、安部、田所の両中佐も退出して来た。

「お二人はよろしいのですか?」

「うむ。我々も、海軍の士官候補生達への座学指導を補助するのでな。教導の際には、蒼木少佐の下に入るからそのつもりでいてくれ」

「な、しかし、それでは…」

「蒼木少佐。貴官の活躍はいろいろと聞いているよ。軍規違反はお手の物だろう?」

 田所中佐の言い分に蒼木が困惑しているところに、安部中佐が微笑を浮かべながら口を開く。およそ、真面目が服を着て歩いている人物だと言う評判であったが、この程度の軽口は叩く人物の世である。


 控室に入ると、十数名の男女が一斉に敬礼を返してくる。皆、今後は蒼木少佐の下で、教導を行うものや実践の際の指揮下に入る衛士達である。今後は自分も同じ立場となる以上、隅に控えることにする。

「お待たせしました。今後、当横浜訓練校及び、帝国軍統合士官学校の教導責任者を務める蒼木柊一少佐です。すでに聞き及んでいるとは思うが、士官学校の来年度入学生の教導は、訓練校と同じく即時実戦投入を視野に入れた教導を行うことになっている。その際、衛士の諸君は、候補生を部下として率いてもらうことになる。当然、他の部隊よりも苦しい戦いになると思うが、覚悟してもらいたい」

 蒼木は、そう言うと、教官や衛士達を見回す。皆、一様に頷いているが、ややぎこちないものも多い。

「それでは、私の指揮下に入る者から自己紹介を頼む。ああ、それとこちらの3人は、右から安部伸之中佐、田所丈治中佐、白水修吾中尉だ。制服を見てわかるとおり、中佐お2人は、海軍士官候補生への座学指導に任務の合間を縫って携わっていただくことになっている。海軍の教官は、失礼の内容にな。それから、この目つきの悪い男は、私の副官のようなものだが、階級は諸君らと変わらんから気にせず接してくれ」

 蒼木の言葉に、まわりからの視線が集中するが、自分と目を合わせた者は、皆、一様に目を背ける。まあ、これが普通の反応なのであろうが…。


 ようやく、入口に立ったようなものであるが、これからが本当の勝負である。今回のことで、やや強引な手を使いすぎた感もある以上、反対勢力の妨害も予想される。
 とはいえ、蒼木との巡り合わせがなければ、再び情報部の飼い犬に収まるしかなかったかもしれないのだ。

――陽のあたる道を歩ける以上、やれることをやるだけだな…。



 1991年2月20日。

 この日、オリジナルハイヴより、溢れ出たBETA群は、大挙して中ソ連合軍に襲いかかった。ゴビ砂漠を中心に果敢に抵抗を続けた中ソ連合軍も善戦及ばず戦線は瓦解。多くの避難民もろとも戦術核による焦土作戦に移行するも、BETA群の侵攻はとどまることなく続いた。

BETAの東進がついに開始されたのである。




[17368] 第4話
Name: シヴ◆1d05be52 E-MAIL ID:b1cc4556
Date: 2010/04/17 20:09
1991年2月25日

――これが縁と言うものなのであろうか?

 時期外れの異動辞令。そして、赴任先で待っていたのは、先の任務で出会った男だった。元々、国内の治安維持が第一目的である以上、要人護衛や不明者の捜索に駆り出されることは多い。その男とて、任務対象の1人に過ぎなかったはずだった。
 しかし、あれから3月と経たぬうちに士官候補生への教導官と言うとして、そして、自分の上官として再び目の前に現れたのだった。

「芹沢中尉!何を呆けている?」

 静かな、それでいてよく通る声に驚くと、画面にその男の顔が映る。顔立ち自体はどこにでもいる普通の男であるが、顔全体に薄く残る傷や強化装備の被膜越しに見える銃創の跡が、相応の経験を物語っている。
 何より、常人を畏怖させるのはその色素の薄い色をした眼であろう。白に近い水色と言う、見たこともないその眼は、元々が切れ長の鋭い目であるせいか、余計に眼光の鋭さを際立たせている。

「どうかしたのか?君には、候補生達を指揮してもらわなければならんのだ。模擬戦闘のBETAごときに呆けられてはかなわんぞ」

 白陵基地に配備された最新型のシミュレーターである。模擬戦闘の他にも、実際の戦場のデータを再現可能なのだ。
 他の基地に属する衛士が聞いたら、良い顔はされないであろう。旧式のシミュレーターであは、今だBETAとの単純な模擬戦闘が可能なだけなのだ。
 それだけ、今回の士官候補生達に掛けられる期待の大きさを物語っている。なにしろ、斯衛の赤だけでなく、青を身につける者もいるのだ。

「も、申し訳ありません。仮想部隊の動きに戸惑ってしまって…」

「そうか…。だが、BETAは待ってはくれんぞ。部下を死なせるか死なせないかは、指揮官の力量がすべてだ。少なくとも、模擬戦の指揮ぐらいは完璧にするんだ」

「はっ!」

「わざわざ敬礼せんで言い。続けるぞ」

 白水中尉は、敬礼をする自分を見ながら苦笑いを浮かべている。物腰は丁寧であるが、この笑いはいつまでも慣れない。
 そう思いながらも戦術機を駆る。過去に搭乗経験のある撃震と比べて信じられないほど機動性が高く、操作性も高い。だが、その分繊細な操作が要求される。正直、はじめて搭乗した際には、転倒するかと思ったほどだ。
 しかし、機体名は明かされておらず、その外見も見たことのない機体であった。

「交戦中のBETA群を殲滅。二時方向に要撃級25、戦車級多数を確認」

 同じ中隊のC小隊を率いる成富美奈中尉からの通信が入る。彼女とは、訓練校からの知り合い同士である。

「全機、近接兵装。匍匐飛行で続け」

「了解」

 シミュレーターによる単調な返事が返ってくる。
 どう言った構造化は分からないが、実際の欧州派遣部隊のデータが反映されているため指示に対する即応性は非常に高い。しかし、連携の乱れが目立っている。

「02より07。上がり過ぎだ。もっと高度を…」

 言いかけた矢先の警報。轟音とともに、07のマーカーが消滅する。

「くっ!」

 確認する間もなく、機体を強引に降下させる。一瞬の絶息。司会が黒く染まるが、着地の衝撃は目を覚ますには十分なほどだ。

「止まるな!遮蔽物を利用し、BETA群に近付け。奴らの習性を利用しろ」

 回避機動の経過時間の間に、BETA群は眼前にまで迫っている。嫌悪感を誘う皺くちゃの顔(のように見える器官)が眼前に迫っていた。
 抜き身と同時に空中へと飛ばす。きれいな弧を描いて飛んでいる。
 左右を囲まれるが、顔と顔の隙間と潜り抜け切り伏せる。両腕の攻撃は脅威であるが、戦術機の機動でよけられないものではない。
 混戦では、よほど高く跳びあがらない限り危険は少ないのだ。
 人類最大の敵種、光線属種。彼奴らは同士討ちは絶対にしない。敵、味方問わずに撃ちまくるのであれば対処のしようはあるのだが、その辺りは人間よりもはるかに優れている。何しろ、自分の命可愛さに味方事戦術核で吹き飛ばす馬鹿も大勢いるのだ。
 しかし、同士討ちをしないと言う習性は、近接戦闘の際、それも大型種との戦闘に利用できるぐらいであろう。
 しかし、跳躍をするとわずかの間だが、機体が硬直する。せっかく背後をとったとしても優れた旋回能力を持つ要撃級の前には、完全な優位を保てるものではない。
 斯衛軍や紫禁軍のようなある意味人間の限界を追い求める武人集団が集まるところでは、この硬直時間の短縮を狙う操作法が研究され続けているが、それを可能にしているのは紅蓮大将のように完全に人間を超えている者だけだろう。そんなことが自分にできようはずもない。
 
「ふう……」

 結局、要撃級や戦車級との近接戦は何とか制したが、その後現れた要塞級との交戦中にわずかに射線に出たところを狙撃された。
 その後も何度か繰り返し、結局10時間ほどの搭乗時間だった。大陸に派遣されたときは、半日以上戦い続けたこともあったが、それに匹敵する時間を訓練に費やしたことになる。

「どうした?疲れたか?」

 タオルで汗をぬぐいながら白水中尉がタオルを投げてくる。当然疲れもあるが、考えていたことはそれだけではない。

「いえ、そういうわけでは…」

「中尉。朱音は、先ほど撃墜されたことを気にしているんですよ」

「み、美奈…。別にそういうわけじゃ…」

 美奈が、水筒を片手に話に割り込んでくる。たしかに、自分のミスであっさり小隊は壊滅してしまい、残りの2小隊も隊長機を除いてそれほど時間がかからず墜された。

「2人は、たしか中東に派遣されていたな」

「え?そ、そうですが」

 昨年陥落したアラビア半島の攻防戦は、石油資源を中東に求める帝国としても重要な分岐点であった。
 それ故、欧州派遣部隊に次ぐ海外派兵となったのだが、結果は無残なものであった。
 BETA以前に砂漠と言う気象条件の前に多くの衛士が戸惑いを見せ、本来主力を担う戦術機甲部隊よりも、戦車部隊を初めとする支援部隊が活躍したのだった。
 自分は、半年ほどで負傷したため帰国を余儀なくされたが、美奈や他の同僚達は相応の戦果をあげて、先日帰国したばかりであった。

「2人の回避機動は、遮蔽物が無い場所での特徴的なものだったからな。私にはできない動きだよ」

 白水中尉は、苦笑いを浮かべながら口を開く。砂漠での戦闘では、遮蔽物などはほとんどない。なにより、噴射跳躍を多用するため、推進剤の補給が命取りになることも多い。 
 それゆえ、飛行中の照射に対しては噴射を停止することで、墜落に近い降下を行うことで回避して来た。当然、機体や人体への極端な負荷がかかるが、照射をまともに受けて蒸発するよりははるかにましだ。
 自分達の荒い動きに比べ、中尉の機動は洗練されたものであるが、良く言えば教科書通り、悪く言えば柔軟性に欠ける動きだ。
 それでも、撃墜されずに最後まで残ったのは、瞬時の判断力の差であろう。開発衛士を務めるほどの人間なのだから教科書通りな動きも頷ける。

「それで墜とされないのだからさすがですよ」

「そうか…。それで、本当に墜とされたことを気にしていたのか?」

「いえ、そういうわけでは…」

「随分深刻な顔をしていたがな…」

「ええと、気にしていないわけではなく…、機動性に関する点で気になることがいくつかあったので」

 特に、先ほどの硬直。結果的に硬直時間の積み重ねによって、要塞級の接近を許したのだ。

「硬直時間のことか?」

「中尉も気にしておりましたか?」

「まあ、それなりにはな。しかし、現在のOSではあれが限界だろうな」

「そうですね。今回のシミュレーションも新型機の機動だったわけですよね?巡航機動も戦闘機動も撃震とは雲泥の差ですし」

 美奈が、顎に手を当てながら口を開く。
 新型機だからこそ、あそこまで粘れたと言う事実。そして、さらなる発展が期待できるからこその疑問だった。

「まあ、開発衛士ではなくなったが、かつての上司に会う機会はいくらでもある。貴様等の意見も伝えておこう。それより、七瀬はどうした?」

 中尉の言葉に周囲を見回すと、ベンチによりかかってぐったりしている青年の姿が目に入る。
 七瀬友哉少尉。幼年校から訓練校に進学したため、エリートコースからは外れたが、戦術機適性の高さは傑出したものである。
 彼と同じ訓練部隊の者達も各基地から抽出され、蒼木少佐の麾下へと集まっていた。実戦経験はまだないが、戦術機適性に関しては、自分よりもはるかに優れている者ばかであった。

「七瀬少尉。大丈夫か?」

 声をかけると、億劫そうに顔を上げる。顔には疲労が色濃く表れていた。

「せ、芹沢中尉…、も、申し訳ありません」

「あ、無理して立たなくていいわよ。そんなにきつかった?」

 七瀬は、再び首を傾けるとわずかに縦に振る。疲労困憊。としか表現できないものだった。

「まあ、無理もなかろう。更衣室まで運んでやれ」

「わかりました。ほら、肩につかまって。美奈は右をお願い」

「芹沢中尉。七瀬を運んだら、ブリーフィングルームに来てくれ。急がんでいいからな」

「はっ!」

 七瀬を更衣室まで運び、自分達も着替えて冷水のシャワーを浴びる。こればかりは、階級に関係なく浴びることのできる衛士の特権だった。


「失礼します!」

 小隊用のブリーフィングルームは6畳ほどの広さで、基地人員が少ない今では、白水中尉や蒼木少佐が勝手に執務室代わりに使っている。
 しかし、呼び出した当人は現在留守のようである。入口には、使用中のランプが点灯しているため、トイレにでも行っているのだろう。

「珍しいな。何処に行ったのだろう」

 ここに来てまだ5日であるが、執務の際に自分を待たせたことなどなく、整然と整えられている書類なども散らかっていることなどまずなかった。

「随分散乱しているな…」

 床に落ちた書類を拾い上げる。どうやら、中隊に属する衛士の資料のようだ。指揮官たる蒼木少佐の副官と言う立場上、隊員の把握は必要事項だろう。

「えっ!?」

 しかし、書類に刻まれた二文字に目が奪われる。

――戦死?

『1998年7月九州防人ラインで軍団規模のBETA群と交戦。キルスコアは300超。奮戦むなしく重光線級の照射を受け、戦死』

 書類に書き込まれた略歴の最下段には、そう書き込まれていた。
 そして、そこに写る写真と名前。

――芹沢朱音!?

 同姓同名の人間は居るだろう。背格好や顔が似ている人間も。しかし、双方が重なることは?何よりも1998年と言う日付は何と説明するべきなのか?
 
 背中に冷たい何かが突き付けられたような気がする。

――これは、自分が知るべきことではない。

 そう判断して、書類を整えると深く息を吐く。

「そうだ。それが、懸命だ…」

 背後から響く冷たい声。声の主は、分かっている。そのまま振り向くと色素の薄い両眼がいつも以上に冷たい光を放っているように感じた。
 そして、もう一人。眼光鋭くこちらを見つめている。欧州派遣部隊の英雄にして、自分達の上官であった。

「芹沢中尉。善意でやろうとしたこととはいえ、書類を覗き込むのは感心できんな」

 蛇に睨まれた蛙とは、今の自分を指すのであろうか?身体が動かない。多少混乱したとはいえ、妄想の類で片づけられるような内容であったはずだ。

「早く忘れることだな。将来の大エースをくだらぬ好奇心のために失うわけにはいかないからな」

 その言葉に、身体の中で何かがはじけた気がした。いや、先頃の任務の時から感じていた疑問が一本の線でつながったのかもしれない。

「お待ちください。その書類が何なのか、説明のほどをよろしくお願いいたします」

 2人の表情がわずかに動く。しかし、多少は予想していたのであろうか、すぐに先ほどの表情に戻る。

「なぜだ?」

「内容を考えれば、妄想や戯言の類とみても違いはないと思われます。しかし、お二人の反応を見るに、ただ事ではないでしょう。それに、以下に戯言であったとはいえ、戦死と言う言葉は度が過ぎています」

 本来ならば、このような発言が許されるはずはない。しかし、ここまま引き下がったところで後日口を滑らせないとは限らないし、任務にも支障が出るに決まっている。

「確かに、私のような立場の者が知るべきではないものだと推察します。しかし、そのような重要書類を衆目にさらした大尉の責任も大きいと考えます」

「そうだな。ならば、失敗は自分で片付けるとしよう」

 そう言うと、白水中尉は拳銃を構える。どこか、踏み込んではならない領域を持っている人たちだとは思っていたが、間違いではなかったようだ。

「待て、白水。……話してやれ」

「しかし、少佐…」

「先ほどの俺の言葉を忘れたのか?将来の大エースをくだらぬことで失うわけにはいかん」

「後ろの男にも…、ですか?」

「そうだ。そうでなきゃ芹沢中尉は守れん」

 鼓動が早まる。二人に気を取られていて気が付かなかったが、壁に寄りかかり不敵な笑みを浮かべながらこちらを見つめる男。

「おやおや、もう終いですかな?一人の女性に二人の男が迫る姿。ここの基地司令が見たらさぞお嘆きになる構図でしたのにな」

 男の口調は、姿形に違わず紳士的なものであった。しかし、その不敵な笑みと身のこなしに隙など欠片も見受けられない。

「ふん、随分余裕だな。もう少し部下の教育をうまくやったらどうだ」

 白水中尉が、拳銃を男に対して向ける。軽く引き金を引くだけで、寸分の狂いなく男の額を打ち抜くであろう。

「ふむ、聞いていたよりも短気なようだな。そうそう、君達が増やしてくれた仕事は後から来た者が処理をしておいたよ。専門の掃除業者に引き渡してね。そもそも
彼らは、港湾の荷役業務の請負業者から…」

 しかし、男は白水中尉を一瞥すると目を閉じながら、突拍子もない話を始めた。二人に目を向けると、明らかに苛立っている。

「おい……」

「最近では、数少ない娯楽業の裏方に…、なんですか?蒼木少佐。人の話は最後まで聞くものですぞ…」

「知るか。そもそも、俺は貴様に名を名乗った覚えなどないぞ」

「はっはっはっは。紅蓮大将の養女を妻とし、梅原参謀総長が子飼いとする男を知らぬはずがないでしょう」

「すでに調べは付いているわけか。それで…?何をしに来た」

「そうですな…、では沖縄に生息するヤンバルクイナは…」

 男の声と同時に響く銃声が言葉を遮る。両肩をわずかに掠め、両足の先にきれいに穴があいている。
 男は苦笑いを浮かべながら、両手を前に突き出している。

「はははは、白水大尉。短気は損気と言いますぞ」

「今度は額に行くか…」

「しかし、気になりますなあ……。数年後に死ぬことになる衛士の情報。そして、直属部隊に集められた新任達。書類を見れば、数年後には皆エースになっている者ばかりだ」

 白水中尉の静かな恫喝に男は、姿勢を正して口を開く。先ほどの、書類を男はすでに見ているということだ。

「妄想…、はたまた願望と言うところで落ち着きますかな……?」

「そうだろうな…。このデータを持ち帰ったところで情報省のお偉方が満足するはずがない」

「ふむ、しかし、自分の息子。いや、息子のような娘だったか。それによく似た者が戦死すると言うものは、たとえ妄想であったとしても気分の良いものではないですな」

「っ!」

 思わず床を蹴る。この男は危険だ…。話から察するに情報省の犬であろうが、大尉達の立場が危うくなるのは間違いない。相当な手だれであるのは間違いないが、この距離ならば可能性はある。
 しかし、短刀に手応えはなかった。本来なら頸動脈を抉っているはずのナイフは、空しく止まっていた。

「ふむ、お嬢さん。自己紹介がまだだったね。私は、帝国情報省外部二課の鎧衣左近だ」

 右手首を掴みながら、鎧衣と名乗った男は空いた手で名刺を差し出してくる。力を込めているそぶりはないが、全く動かない。

「では、また来ます。今度はもっと穏便に済ませたいものですな。はっはっはっは」

 鎧衣は、押さえていた手で帽子を軽くとると、部屋から出て行く。抑えられていた手は、赤くなっている。

 沈黙……。

「塩でも撒いておくか?」

 ようやく声を絞り出した蒼木少佐は、ひどく疲れた様子であった。当然、自分も似たようなものだが…。

「無駄ですよ…。それよりも、本当に話してしまってよろしいのですか?」

 白水中尉は、首を振りながらこちらに視線を向けてくる。目つきの鋭さは相変わらずだが、こちらを処断しようとする意図は感じられなかった。

「中途半端なことを知っているより、全てを知っていたほうがいい。万一の時は、全てはくまで消されんからな」

「相手が鎧衣や斯衛だったら分かりませんよ?」

 白水中尉は、入口に目を向けながら言う。確かに、鎧衣やそれ以上の人間がやってきたら、無事で済む自信はない。

「駒は多いほうがよかろう?中尉は馬鹿ではないしな」

 喜んでいいのかよくわからない評価であるが、すぐに消される心配はほとんど無くなった様である。正直、鎧衣に救われたというのは癪であるが。

「先ほども言ったように、妄想の類で片付けられる話だがな…」

 手近の椅子に腰かけながら口を開く中尉の表情はどこか物憂げだった。しかし、自ら踏み込んでしまった結果だ。殺されたところで文句は言えないのだ。

――初めからこうなるようにできていたのかもしれないな。

 話を聞くうちに自分の因果をそう嘆きたくなってきた。しかし、もう後戻りはできない。
 困難な道であったとしても、自らのなすべきことを為すだけだった。


◇         ◇          ◇          ◇    

同日 帝国軍横浜白陵基地付近

 風が後ろで結ばれた髪を撫でるように吹いている。
 小高い丘から見下ろす街並みとその先に広がる海。日が沈んだ今となっては、暗く闇に閉ざされているが、京の都にはない大きさを景色全体に与えている。
遥か彼方にぼんやりと輝く明りの出所は、恐らく横須賀であろう。

――忌々しい。

 その明りを見やりながら、そう思った。
 先の大戦の勝者として、いまだに国土に居座り続ける者どもの巣窟。自由と民主主義を至上の価値とし、自らの正義を信じて疑わない共和主義者どもの作りだした人造国家。
 そして、それに敗れ去り、いまだに属国の誹りに甘んじ続けている政治家どもやいまだに出世争いを続ける陸海の軍人たちに対する苛立ちなのかもしれない。

「殿下。鎧衣が戻りましたぞ」

 背後からの力強い声。辺りが静まり返っているため、声自体は抑えられたものであるが、本質的な力強さは隠しようがない。

「御苦労。して、首尾は?」

「はっ、それは…」

「紅蓮閣下。言いづらければ私の口からお話しいたしましょう」

 闇の中からゆったりとした足取りで現れる男。よく見ると、両肩に焦げたような跡が付いている。

「鎧衣…、貴様らしくないな」

「ふむ、まったくですな。今ではこのスーツの生地は貴重であると言うのに…」

 したり顔のまま、左肩をなでる。この男の立ちふるまいに慣れるまで、随分と忍耐を要したものである。

「殿下のお気に召す者。とは言えませぬが…、祖国に仇なす心配はないと考えます」

「ほう…。貴様の部下がだいぶ減っているようであるが…」

「ふむ。この程度の任務で死ぬような者など、たいして役になど立ちませんな。それでも、わずかに時間を稼いではくれましたが…」

「ふむ…。では、紅蓮の申す事も戯言ではないと言うことか?」

 ここ最近の紅蓮の献策は、多くが受け入れがたいものではあったが、合理的なものもまた多い。そして、その発案者の出自もまた奇怪なものではあった。

「ええ。城内省を初めとする技術部に提供された戦術機の資料…。データベース上は間違いなく、帝国技術廠に納められていたものであります」

「そうか…。では、真に…」

 信じがたいことではある。しかし、我が帝国。いや、人類が迎えるであろう未来を知る者の存在…。
 帝国にとって利になるのであれば、受け入れない手はないのだ。

「紅蓮が世迷いごとを申すとは思えなかったが…、面白くなってきたではないか…」

 人類の破滅。それが、事実なのかは今のところ関係がない。しかし、帝室や五摂家の復権に新たな力は必要なのだ。
 忌々しい共和主義者どもの楔から脱することも…。

「ところで殿下、娘様はご壮健ですかな?」

「?悠陽がどうかしたのか…?」

「閣下もそろそろお弟子をおとりになる頃合いでしょうな…」

「むっ…?」

 鎧衣は、そう言ったきり口を開くことなく夜の闇の中へと消えていく。つくづく自分本位で動く男である。

「奴は、何が言いたいのだ?」

「分かりませぬ…。悠陽様のご指導は、神野が務めるはずでありますが…」

「そうだな…。ならば…」

 そう言ったまま口を閉ざす。
 御剣雷電の下で育つ今一人の娘…。忌児として、影として生きることを宿命づけられた娘。
 なぜ、鎧衣がそのことに触れようとしたのかは分からない。しかし、自分にかの娘を思う資格などありはしない。
 自らの体に流れる血が、本来であればともに王道を歩むべき姉妹を引き裂いている事実。そして、帝と将軍の血を最も色濃く受け継ぐかの者達の歩むべき道。
 因習に従い、帝室と煌武院と言う家を守ることを至上とした自分にそのことを嘆くことなど許されるはずがなかったのだ。

「貴蝶様……」

「よい、戻るぞ紅蓮。かの者に会う機会などいくらでもあろう。貴様が見込んだ男であればな…」

 木々を揺らす冷たい風も今の自分には、苦にならなかった。
 なぜこれほどまで動揺するのか…、それは、血がなせるものなのであろうか…。今の自分に分かるとは思えなかった。



[17368] 第5話
Name: シヴ◆1d05be52 E-MAIL ID:b1cc4556
Date: 2010/04/25 23:51
 1991年2月28日 日本帝国帝都 京都

 千年の都京都。桓武帝の遷都以来続く繁栄と同時に、悠久の時を刻むかの如き街並み。それは、秩序と停滞を象徴する姿であった。
 
 そして、異なる世界においてその営みは永遠に帰らぬものとなった。人が己が手で作り上げたものは、年月とともに消えゆくことがあっても再興することはできる。しかし、人と長き歳月が作り出したものは、一度失われれば二度と帰ってはこない。
 
 姿形の似たものはいくらでも生み出すことはできる。それはあくまでも模倣であって、そこにある形なき何かに触れることなどできはしない。


――生きて再び京の繁栄を見ることができるとはな。

 列車の車窓から見た街並みは、記憶に残るままだ。
 かつて、自分が生きた世界において永遠に失われた都。数多の命、数多の夢、数多の希望と共に…。
 
 圧倒的な戦力で迫りくるBETA群の攻撃の前に、一介の情報部員の為せることなど多くはない。
 この歴史では自分は何ができるのか…。情報と記憶と経験はある。身体も傷痕以外は当時のものだ。
 それで何ができるのか…。衛士としての腕前も、目の前を歩く男を初めとする各国の英雄達には及ぶべくもない。自分が持ち込んだ情報も当事者がいなければ役に立たない。ヴァルキーズデータ、プラチナコード、リーディングデータ、XM3。これらのうち、どれか一つでも解除できれば…。
 
 そう思ったところでどうにもならない現実。たしかに、不知火の配備は2年近く早まった。武御雷の配備も京都防衛戦に間に合うはずである。

――歴史は確実に変わっているのだ。

 それでも、どこかに焦りがある。白銀武は、わずか2月で世界を変え、未来を残して行った。あの世界がどのような結末を迎えたのか…、今となってはもう確かめる術もない。

「白水、考え込むのは貴様のくせか?」

 眼前の男が振り返る。先ほどから黙りこくっていたのだ。気にもなるだろう。

「そう言うわけではありませんよ」

「随分深刻そうな顔をしていましたよ…」

 適当に流そうかとも考えたが、隣に立つ神田智輝少尉が心配そうに口を開く。厳つい顔つきのいかにも軍人然とした男だが、見た目に反して視野もなかなか広い。10年後には、七瀬と共に精鋭『鋼の槍』部隊の中核を担う男だった。

 神田の他に、蒼木少佐はもちろんのこと、芹沢朱音中尉以下、成富美奈中尉、脇坂圭志、新田姫都美の先任少尉達が今回の上京に同行している。
今回、京へやって来たのは昇進辞令と政威大将軍及び日本帝国皇帝への教導課程案の上奏である。

 すでに移転が決まり、校長や教官の配置も決まっているのだが、認可が出るまで入学生への通知は出すことができない。合格者の名簿も五軍の責任者から提出されるはずであった。
 
 そして、士官学校校長である小沢提督と教導責任者の蒼木少佐も教育総監とともに出席する運びになっている。
それに伴い、今回定期昇進を控えた者達も時期を繰り上げて昇進することになったのだが、肝心の辞令を届ける連絡将校の手違いで直接国防省へ出向くこととなったのだ。
 
 本当のところは、基地司令の荒居少将が、厄介払いに手をまわしたのだが…。

「先ほどは、懐かしげな顔をしていましたが…、中尉は京都の出身ですか?」

 新田少尉の問いに他の面々も気になりだしたようである。もっとも、事情がなんとなく分かっている蒼木少佐と芹沢中尉は、前者が普段通りに、後者が他の4人に輪をかけて悲しそうな視線を向けている。

「いや、私は東北の出身だ…。まあ、京には、ちょっとした思い出があってな」

 適当にはぐらかしたつもりだが、少尉達はたがいに目を合わせて頷きあってい
る。どうせ、くだらん勘繰りであろうから放っておくに限る。

「これはあれか?」

「だろう?あれだけ有能な人だし」

「そうよね…。浮いた話の一つくらい」

「中尉の場合、真面目な話より浮いた話だったほうが意外だけどね」

 と、神田、脇坂、新田、成富が次々に口を開く。皆、年相応の反応だった。話の方向をそらすことには成功したようだが、なんとも勝手な想像を膨らませているようだ。

――随分丸くなったものだな…。
 
 苦笑しながらそう思う。たった2ヶ月の間に情報部員の頃よりも感情が表に出やすくなっているように感じる。やはり、身体と同様に精神状態も当時のものに近いのかもしれない。
 主観では、10年以上前のことでも、当時の自分ならばこの手の話に気分を害したりはしなかった。
 
 自分のことながら、随分不思議なものだった…。



 宿舎に着くと、皆足早に荷物を部屋へと運んで行く。軍の施設である以上、一般の施設のようなサービスは当然のようにない。数年前までは、国防省の新任士官が休日返上で待機し、掃除や荷物の運搬を行っていたが、一種の新任いびりの背景もあったためそう言った慣習は取り払われた。

 さすがに掃除などは民間の業者に委託するが、基本は寝泊まり専用の施設であり、食事なども外へ行かなければならない。

「白水中尉。少し、お時間を頂けますでしょうか?」

 部屋でくつろいでいた時、芹沢中尉が扉越しに声を掛けてくる。今日は、休暇を返上しての移動のため、以後は自由となっている。

「かまわんぞ。何か用か」

「なんだ?二人で密談か?」

「密談…かも知れません」

 部屋から顔を出すと、たまたま居合わせた蒼木少佐の軽口に芹沢中尉は、いたって真面目に答える。

「そ、そうか、ところで白水。夜は空けてあるな?」

「ええ。ぬかりなく…」

 互いに頷くと少佐は、手をあげてその場を後にする。今回の上京の真の目的でもあるのだ。忘れるはずはない。

「また、某かのたくらみですか?」

 部屋に入ると、芹沢中尉は口を開く。先日の一件以来彼女にはある程度の情報を開示してある。この国の水面下で動いていることなどはある程度予想できるだろう。

「まあ、そんなところだ。それで?中尉は何の用だ?」

 備え付けのお茶を淹れながら表情を窺う。少し、疲労の色が濃い。

「頂きます………。ふう…、いいお茶ですね」

「まあ、特産品みたいだからな…」

 さすがに御当地と言うだけあって、備え付けの茶葉は宇治である。

「候補生達の教導に関してなのですが、練習機はどうなるのでしょうか?我々の機体自体も未だに搬入されていない現状ですし…」

「そのことか…、とりあえず来月中には都合を付ける予定だ。促成の連中以外は、旧型の練習機に搭乗してもらうが、その連中は半年以上かかるだろうからな。それと、我々の機体だが、現在シミュレーターで乗っている機体が、来週にも配備される予定だ」

「では、新型機に?」

「ああ。元々、試験運用の為にある程度生産されていたからな。後は、実際に我々が搭乗して難点を改修していくしかない」

 それを聞いて、芹沢中尉の表情はやや厳しくなる。

「どうした?品質は保証するぞ?」

「いえ、シミュレーターでの動きを見ても十分すぎるほどの機体です。しかし、本当にあれほどの機動が実現可能なのでしょうか?」

「まあ、腕前にもよるが…。少なくとも、現時点では世界最高の性能は間違いなく持っているだろうよ」

「そうですか…」

 歴戦の猛者は、新型を嫌うことは有名であるが、彼女の場合はそう言ったアレルギー的な反応ではない。

「不満なようだな。何か気になるのか?」

「いえ、それほどの性能を誇る戦術機を擁していながら、何故、本土の蹂躙を許したのですか?私も、スエズ戦線でBETAの恐ろしさは身にしみております。ですが、国土の大半をかの化け物の蹂躙を許したことを信じることはできません」

 当然の反応だろう。実際に経験した自分自身、京都が灰燼に帰すことなど想像もしなかった。

「信じる必要はないさ。前の世界で起きたことがこの世界で起こる保証はない。だが、今のままでは、まず同じ結果だろうな」

 旧態依然とした組織。特に、大東亜戦争の終盤戦で有能な将帥を失った軍の機構は、戦後見違えるほど脆くなった。

 頂点に立った者が、範を示さなかったこともあるだろう。その最たるものが、責任の所在を狂わせたことだ。

 前線部隊の指揮官は、一度の失敗で二度と日の目を見ることはない。どれほど、無茶な作戦であったとしてもだ。しかし、それを立案した参謀本部は、何の咎めもない。

 「すべては、指揮官の実力不足であり、作戦立案に誤りなどない」これが、参謀本部の言い分だった。そして、短期間の左遷を経て中央に復帰をしてくる。

 そのような人間達に指揮されながらも前線の将兵は果敢に戦い続けた。京都防衛戦での斯衛や帝都防衛軍の雄姿は永久に語り継がれるだろう。

 しかし、前線の将兵の努力も無に帰す者達も多くいた。BETAが目前に迫っている中で、自分たちの愚かさにも気付かず、皇帝陛下と政威大将軍の『聖断』によって京都の放棄と馬鹿どもの排除がなされるまでそれは続いていたのだ。

 神野大将を初めとする優秀な将帥、衛士、下士官を失った中、唯一の光明は、かの老害どもを排除できたことだった。

「それを避けるために、動いているのですか?」

「ああ。だが、結局は同じ結末を迎えるのかもしれん」

 実際、自分の持ち込んだデータによって、不知火の配備は2年。武御雷は、おそらく5年近く早まるはずだ。

 しかし、あの時以上の戦果が期待できるかどうかは正直疑問だ。

 被害を減らす自信はある。大陸や本土防衛線でどれだけの衛士や民間人を生き残らせることができるのか…。

 戦局に影響を与えるほどの逸材が眠っているかどうかは、正直、運任せなのだ。あの白銀武とて、香月夕呼と出会っていなければ一介の衛士として戦没していた可能性もある。

「それ故に、今回の改編ですか?」

「ああ。特に、この二年間の候補生達は、傑物の片鱗を見せた者が多くいた。だが、上層部の受けは悪くてな…。派閥抗争で、謀殺された者もいるくらいだ」

 候補生の中でも、特に有望とみている人間は、皆派閥抗争の餌食となっているのだ。馬鹿な老害どもの野望に若き逸材が食いつぶされた馬鹿馬鹿しい実例だ。

 香月夕呼を『横浜の女狐』などと忌み嫌っていた者達の中にこそ、本当に侮蔑するべき者達は居たのだ。

「先日、閲覧をさせていただいたものの中に、売国奴達の証拠データもありました。それを活用なさるべきではありませんか?」

「いや、あれは正直役に立たん。東京遷都後のデータばかりだからな」

 実際に自分が調べ上げたものも、香月が掴んでいたものも横浜基地の稼働後のものだ。現在暗躍している者達を切り崩すことは正直難しい。

「しかし、為すべき力を持つものがそれを為さないことは罪ですらあるのではありませんか?」

「中尉…、君は私に何を期待しているのだ?」

 視線が鋭く交わされるが、芹沢中尉の表情はさして変わらない。自らの力量に反した情報を得た結果、暴走する人間もいる。万一、野心を抱けば消さねばなるまい。

「私は、国土の蹂躙と言う未来がさほど遠くない時に起こると言うことは信じたくありません。ですが、この未曽有の危機の中でも、自らの欲望を優先し、国を乱す輩の存在も看過できません」

「止めておけ…」

「私には、沙霧大尉を初めとする者達の気持がよくわかります。そして、彼らが立たねばならなかった国の」

「やめろ!!」

 思わず声が、大きくなる。それでも、彼女にこれ以上しゃべらせるわけにはいかなかった。
 国を思う気持ちは理解できる。だが、彼らと同じことをしたところで国家は救えないのだ。

「中尉。君は、未来を知った。だが、それはあくまでも私が経験した未来であって、この世界の未来ではない。当時の売国奴が、今もまた売国奴になり下がっているとは限らん」

「ですが………、申し訳ありません。どうしても気持ちが抑えられなくて…」

「それは分かる。だがな、自分の立場を考えてくれ。私のミスとはいえ、君が関わっていることも情報省にかぎつけられている。下手なことをすれば、長生きはできんぞ」

「……。分かりました」

 芹沢中尉は、頷くと足取り重く退出して言った。

 正直、申し訳ないことをしたと思う。機密をのぞかれるなど、無能の極致だ。しかも、情報省の手の者にまで知られてしまったのだ。
 鎧衣左近は、味方となれば非常に頼もしい男であるが、敵対者には容赦のない男だ。12・5事件での沙霧達への対処など、あの男にすれば赤ん坊を愛でるかの如き対応だったのである。

 自らまいた種とはいえ、背中が肌寒い感覚を背負い続けるのは久しぶりのことであった。
 
――結局は、俺の無能さゆえか…。

 苦しむ必要のない部下に重きを背をわせている現実。責任を放棄した者たちを何の違いがあるというのだろうか?

 〈同日、夕刻〉

「ここだな…」

 すでに日は沈み、夜の闇に静かに溶け込みつつある街。
 
 その街並みの中央に位置する京都御所。そして、それに隣接する二条帝都城。元枢府と城内省をその内に抱えるその姿は、広大な敷地と相まってまさに荘厳であった。
 
 それらを遠望できる大文字山の山麓に位置し、鹿苑寺と三条皇帝陵に挟まれる形で建つ巨大な邸宅。赤を纏う斯衛の家系に連なり、財閥の一角を為す御剣家総帥、御剣雷電翁の邸宅である。

「来たか…、ん?その女性は?」

 斯衛軍総司令であり、第一連隊長紅蓮醍三郎大将が、その巨大な体躯を揺らしながら門前まで歩いてくる。
 屈強を体現するその姿も今は疲労の色が濃い。BETAの東進が開始されて以来、大陸派遣に関する論議は終日続いていたのだ。

「我々の同志と言えます。状況は、閣下と似たようなものであります」

 蒼木少佐の説明に頷くと、紅蓮大将は、芹沢中尉に視線を移す。中尉、一瞬身体をこわばらせるが、すぐに居住まいを正し、頭を下げる。

「ふむ…、ならば致し方ないな。だが、先方は事情を深く知らん。決して気取られるなよ?」

「はっ。心得ております」

「それと…、分かっているな?」

 静かなる問いかけに頷く。芹沢中尉には、話していないが、状況の判断は問題なくできる女だ。馬鹿な真似はしないだろう。

 紅蓮大将に続いて、屋敷内へと向かう。屋敷の中では、使用人達がせわしなく動き回っているが、警護に立つ者達の動作に隙はない。不測の事態となれば、当主はもとより、帝や将軍の守護の為に動く人間達である。使用人達の中にも、相当な精鋭が混ざっているだろう。

 肌がひしひしと引き締まるように感じる。


―単身でハイヴに突入するようなものだな。


 歩きながら、そんな考えが頭によぎる。ヴォールクよりはましかもしれないが、それでも危険な場所には違いない。特に、不測の事態となれば生きて帰ることなどできはしない場所なのだ。

「こちらへどうぞ」

 奥へと案内してくれた侍女が襖の前に立つ。妙齢の女性だが、清楚な立ち振舞いと切れ長の鋭い眼つきに隙はなく、その美貌もまた、氷の如き美しさである。

「月詠、雷電翁はすでにお待ちか?」

「はい。雷電様は、人を待たせることは決してなさいません。閣下も御存じのはずでありましょう?」

 月詠と呼ばれた女性は、静かに答えると襖を開く。室内は、薄暗いものの、電燈の作り出す人工的な明かりではなく、炎による柔らかな自然の明かりにともされていた。


 御剣家は、煌武院家の遠縁にあたり、その起源は、戦国時代にまでさかのぼる。当時、元々は、煌武院家の下級臣下一人に過ぎない家系であったと言われるが、当代の当主御剣雷光が天覧試合において、剣豪塚原卜伝に勝利したことがきっかけとなり煌武院家の兵法指南役兼武術指南役にまで上り詰めた。

 また、雷光はかの軍神上杉剣信に習い、武の極みを求めるべく生涯不犯であった。当主である煌武院家は、御剣の名が断絶することを惜しみ、第三子を養子として、御剣家を継がせたのである。

 この後も、臣下としてまた一門として戦国の動乱以降ともに生き抜いてきたのである。

 現在の当主御剣雷電もまた、歴代の当主に後れを取らぬ武人である。大東亜戦争における最終決戦、ルソン決戦において、アメリカ軍総司令官ロベルト・マッカーサー大将を討ち取ると言う大功を立て、敗戦を迎えた後も日本の復興に尽力し、現在の御剣財閥を一代で築き上げた政戦両道における傑物であった。

 今その傑物が、眼前にある。

 紅蓮醍三郎大将は、生粋の武人であり、巨大な山脈の如き威容は他を圧倒するが、非常にまっすぐなものである。

 だが、この眼前にある老人は、得体のしれない恐怖と言うものを他人に与える。戦だけでなく、政治や経済と言う日本という国の暗部生き抜いてきた人間、鎧衣左近などが持つものとも異なる異様なものであった。

「貴様が、蒼木柊一か…。紅蓮や梅原に色々と吹き込んでいるようだな…」

「はっ」

 型どおりのあいさつを済ませると、御剣は重々しく口を開く。

「ふん…。それで、わしには何を求める腹積もりなのだ?」

「恐れながら…」

 少佐はそう口を開くと、顎をしゃくって合図をしてくる。

「閣下。現在、世界は未曽有の危機を迎えております。BETAの地球侵攻から間もなく20年の月日が立つものの戦局の好転は未だ見えておりません」

 御剣は、眉一つ動かさずに聞いている。これほどの人物に対しては、腹芸などまるで通用しない。

「私達は、人類の剣となるべき人材の育成。そして、その人材を守る鎧となる戦術機を模索しております。ですが、国内の主要企業に新たなる戦術機を開発する余力はございません」

「その人材育成とやらが、例の教導課程か?」

「はっ、その通りであります」

「ふむ、それではわしに求むるは、戦術機のことか?」

 鋭い眼光が向けられる。ここまでは、企業間であれ、軍人や政府筋との会談でもある話であろう。向けられた眼に殺気は感じられなかった。

「はい。富嶽、光菱、河崎の3社は、先日完成した新型機と陽炎の生産で余力はありません。斯衛専用機の開発を続ける遠田技研も同様です」

「新型機が完成したことは聞いておる。それでも、新たなる力を求むるか?戦術機は一朝一夕で出来るものではあるまい?」

「その通りです…」

 御剣翁でなくても、同様の反応を示すだろう。世界初の第3世代機が、開発されたのだ。すぐに次世代機を必要とする議論が起こるとは思えない。

「世界は未曽有の危機にあると申したな。そのようなことは、国家の中枢にあるものは、皆承知しておる。それでもなお、各国は国益で動く。特に、米国の陰で世界を操り続けている世界資本は今も各国で暗躍を続けている」

 世界資本。情報部に身を置いていた際にわずかに見え隠れしていた組織であり、世界的な事件の陰に必ず暗躍している超国家的組織である。その実態はいまだ不明であり、世界各国の政治の中枢にあるというのが定説である。

 彼らは、自らの利益のみに動き、富のあるところに群がる。当然、愛国心や人類への奉仕など考えうるはずもない。

 現在、国連でのロビー活動を続けるG弾運用派の後ろ盾となっており、後に、香月夕呼の抹殺を図ったのも彼らであろう。

「貴様が言いたいことは、前線国家や国連に対する米・ソのやり方の不満と奴らになり替わる存在を求めるのであろう?貴様とて、見えもしない未来の覇権を求めておるのでないのか?」

 口調が変わったと思ったその時。目の前を横切る風。

 居合からの一閃は、額をわずかに切っただけであったが、そこから、あらわれて者の存在を御剣翁は予見していたようだ。

「その銃創。まぎれもなく本物であろう…。生身の人間が、生きていられるはすもないものであるな…」

 口元に浮かぶ微笑と鋭い眼光。体が震えているわけではないが、全ての筋肉が委縮してしまっているように思える。

「加えて、その眼…。とても、現在の技術で再現可能なものではない。貴様等は、何者だ?この世界に何を望む?」

 何者かを答えるわけにはいかない。だが、世界に望むことは答えられる。

「人類の勝利です」

「私も同じです」

「わ、私は、祖国日本の未来を救いたいです」

 自分に続いて、蒼木少佐と芹沢中尉が口を開く。

 御剣翁は、そのまま自分達を睨みつけているが、やがて剣を下し、深く息を吐く。

「なるほど…、嘘はないようだな。して、何が貴様等に力を求めさせる?先ほどのことは、許すがよい。そして、貴様等の正体などには興味はない。だが、何が貴様らを突き動かすのか…、それを知らずに協力はできぬな」

 先ほどまでより、いくらか態度を崩している。それでも、油断はできないだろう。

「詳しいことは話せませんが、人類は今のままですとあと十年。長くても20年もしないうちに滅亡します」

 少佐が静かに口を開く。『滅亡』という言葉に、御剣翁は多少眉をひそめるものの、表情は動かない。大した証拠示されずに、信じろと言う方が無理な話であろう。


「失礼いたします」

 沈黙に包まれた室内に、凛とした幼子の声が響き渡る。二人の少女が、盆に茶を持ってきたようだ。

「うむ、冥夜に真那か…。失礼のないようにな」

 御剣翁は、先ほどとは打って変って顔の剣がとれ、口調もやさしくなっている。真那と呼ばれたやや年長の少女が丁寧に茶を並べていく。その顔立ちは、先ほどの案内役の女性によく似ている。

 もっとも、自分と少佐はよく知る人物であるのだが…。

 もう一人の、冥夜と言う少女は、御剣翁と紅蓮大将に茶を勧めた後、翁に丁寧に頭を下げる。

「冥夜。挨拶をしなさい」

「はっ。皆さま、御剣冥夜と申します。以後、お見知りおきください」

 非常に丁寧な物腰は、素養の高さを感じられた。幼いながらに纏う気品もまた、常人ならざるものがある。だが、その姿には、どこかもの悲しげな印象を受けた。

 神話の時代より続く血の成せる技なのであろう。


「お孫さまですか?」

「うむ…、相手をしてやれる時間は少ないが、立派に成長してくれておる」

 二人が退出して言った後になって、少佐が口を開く。御剣翁は、嬉しさと悲しさの入り混じった様な表情を浮かべている。

「その反応を見る限り、貴様ら二人は知っているようだな…。芹沢は、知らぬようだがな」

 先ほど、入室してきた際に、芹沢中尉は明らかに動揺していたが、それも致し方がないだろう。

 次代政威大将軍への就任が決まっている、煌武院悠陽と瓜二つの顔なのだ。それが、発表されたのは、先代の将軍である煌武院悠永(ひさなが)が、病により将軍職を退いた際にであるため、2年ほど前になる。当時、まだ6歳であったはずだ。

 当然、記憶に残っており、家臣である御剣家に居れば、当然本人だと思うはずだ。だが、事情を知る人間ならば動揺することはまずない。

「本題に戻るとしよう。人類の滅亡…、それを回避するために戦術機と人か?」

「はい…。先ほどのご指摘の通り、我々も日本人である以上、BETA大戦後は、
日本にある程度の発言力を残したいと言う気持ちはあります。ですが、BETAの駆逐は、一国家がなすべきものではありません」

「ほう…、だが、国連は米国をはじめとする大国の言いなりではないかね?」

「その通りです。だからこそ、勢力図を変える必要がある。特定国家の支援のみでは、人類は救えません」

「それを、日本が行うと言うことかね?」

「はい。幸いにして、我が国は、BETAの脅威を直接は受けておりません。ですが、戦術機開発の技術蓄積はございます。これを使わない手はありません…」

「つまりは、技術提供か…。それを、政府が許すと思うかね?」

「難しいでしょう…。何より、米国がそう言った動きを許すはずがありません」

「そうだ。それでも、それをわしにやらせようと言うのかね?」

「御剣財閥の傘下にある、明峰、石川山に企業は、戦術機開発を進めながら未だに参入をしておりません。彼らを押しとどめておく理由は何なのでしょうか?」

 前の世界でも思っていた疑問である。最も、御剣財閥は表向きには、国内の一大企業に過ぎないのである。明峰と石川山の方が規模や知名度も大きいほどだ。

 だが、これは単なる想像の産物である。明峰や石川山の背後に御剣が存在していることなど、関係閣僚以外では、情報省の上層部だけである。

「そうか…、そこまで掴んでおるのか…」

 そう言うと、御剣翁は、手元にあるリモコンを操作する。部屋には、不釣り合いな機械音と共に、小型液晶画面がせり上がって来る。

「これを見たまえ」

 画面には、世界地図と共に、何かの名称がいくつか浮かび上がっている。もっとも、アジア・アフリカ圏限定であるが。

「インドネシアのヌサンティア、台湾のTAC、インドのHAL、エチオピアの  、南アフリカのマンディラ。これらは、戦術機の独自開発を行っている企業だ。だが、技術レベルでは第2世代機の開発も可能だろう。だが、コストや性能でF‐15やF‐16に並ぶべくもない」

 皆、各国の中枢にある企業である。皆、大東亜戦争後、安定した独立国家を営んでいる国々だ。

 御剣翁の言いたいことはなんとなくだがわかる。つまりは、自分の構想したこと以上の規模で進められているのだ。

 だが、それは実を結んではいない。各国ともに第1世代機が現在の主力であり、第2世代機の配備も90年代後半である。

「貴様の構想は、おおむねこれとは違っていまい?だが、我らにできることにも限
界があるのだ」

 確かにその通りである。だが、こちらも模倣だけを考えているわけではない。

「こちらをご覧ください…」

 先ごろ、西本大佐から預かった書類である。あくまで構想であるが、他国には存在していない、戦術機の設計図である。

「これは…?」

「東部技術長、西本聡技術大佐の設計を受けたオリジナルの戦術機です。性能は、F-15並み、コストと整備性ではF‐16に通じるものがあるとのことです」

「西本か…、たしかに奴なら可能かもしれんな」

 御剣翁は、書類に目を落としたまま、押し黙る。

「閣下、私も白水も軍人としての分を超えたことを為しているのは否定しませぬ。ですが、BETAに蹂躙される人類の現状を座して見過ごす訳にはまいりません。恐れ多きことながら、こ奴と同じ目的をお持ちならば、なにとぞ、ご検討のほどを」

 少佐が、声をあげ、頭を下げる。彼の経験した世界は、自分が経験した世界よりもはるかに過酷な結末なのである。それだけに、必死なのだ。

「今日はもう戻れ」

「「閣下!」」

「よせ、2人とも…。お耳を汚し、申し訳ございませんでした。本日はこれにて失礼させていただきます」


 正直、すぐにでも結論が欲しかったのだ。だが、無理強いをしたところで意味はないだろう。為すべきことは為したのだ…。

――必死になりすぎているな…。

 帰り道、夜風にあたりながらそう思った。本来の自分の力では、望むべくもないことに挑んでいるのだ。焦れば余計に自体は重くなる。

――身に過ぎた知識は仇にしかならんのかもしれんな…。


◇     ◇       ◇       ◇

「紅蓮。奴らは何者なのだ?」

 京の町の暗がりに消えつつある三つの背中を見下ろしながら、御剣雷電は口を開く。

「それは…」

「すまぬ。言えぬことであったな…。考え方も何もかもが甘いが、それでも、あの眼は、地獄を知るものの眼だろう…」

 そう呟くと、手元の書類に目を落とす。東部技術廠の西本が描いたものであるが、米国やソ連、EUなどの影響を受けている代物ではない。

「10年か…」

 自分達が、費やした年月の重みを改めて感じる。同じだけの月日が立った時、人類はこの地球に存在していないかもしれないのだ。

「若者の戯言に耳を傾けてみるのもよいかもしれんな…。ふっふっふっふっふ」

 知らずに笑い声をあげていた。だが、不愉快なものではない。

「月詠」

「はっ」

「明峰と石川山を呼び出せ、緊急で話があると伝えよ」

「はは!」

「雷電様、本当によろしいのですか?」

 事の成り行きを見ていた紅蓮は、わずかな驚きをもっているようだ。

「あの若さで、10年先を見ておるのだ。我らが、鼻を明かされるわけにはいかぬ」

 人類の未来、ひいては日本の未来を見据えなければならない。帝室や将軍家を守るためには、多少の屈辱を受け入れることなど雑作もないことであった。


◇    ◇      ◇      ◇       ◇

 1991年2月28日。

 東進を続けるBETA群は、さらに規模を拡大し中国西部の蹂躙を続けていた。


 人類の反撃には、まだ多くの時間を必要としていた…。



[17368] 第6話
Name: シヴ◆1d05be52 E-MAIL ID:b1cc4556
Date: 2010/05/16 14:34
1991年3月2日 日本帝国 吉野 熊野離城

 静寂に包まれた山林に流れる川のせせらぎ、その穢れ無き流れは、水晶の如き輝きを放っていた。
 やがてそれは一点に集まり、小さな滝となって館へと流れ込む。
 その滝壷にたたずむ一糸纏わぬ女性。水に濡れた長い黒髪が肢体に絡むその姿は、一種の神々しさと共に、底知れぬ妖艶さをも纏っていた。
 瑞々しく張りの良い素肌やバランスのとれた美しい肢体に刻まれた無数の傷。そして、女性特有の丸みからわずかに外に浮き出る筋肉が、彼女が歴戦の戦士であることを物語っていた。 
 
 彼女の名は、煌武院貴蝶。帝国紫禁軍総帥にして、先の政威大将軍、煌武院悠永の正妻である。そして、日本帝国皇帝の皇女でもある。
 帝室にあって、非常に交戦的な性格と美貌は万人の知るところであり、幼年校では常に主席であり続けた。
 しかし、士官学校在学中に彼女に大きな転機が訪れる事となった。
 五摂家筆頭武家の若き当主にして、当代の政威大将軍、煌武院悠永への降嫁である。すでにBETAの地球侵攻は始まっており、国威高揚とさらなる国民の結束を狙ったものであった。
 
 女児を設けた後は病にて将軍職を退いた夫と別居し、軍籍に復帰。欧州、中東派遣軍に身を投じ、前線に立ち続けた。
 当然、政府首脳を初めとする多くの者の不興を買ったが、相手は皇帝を親に持ち、夫は、五摂家筆頭である。
 結局のところ、紫禁軍総帥の地位を皇帝から下賜される形で、前線から連れ戻されることとなった。若干24歳の時である。

 以来、国内に留まり鬱屈した日々を過ごしていた。

◇       ◇         ◇

 川の水はまだ冷たかった。
 しかし、その流れは身に刻まれた穢れを取り払うには十分な清廉さを持ち、荒んだ心も癒してくれる。
 数多の血を吸いし大地もいずれは浄化され、この水のように汚れなきものへと帰って行く。

「私には縁のない話であろうがな…」

 手ですくった水に目を落としながら、そう毒づく。今日は特に体の疼きがひどい。

「貴蝶様…、梅原閣下が御到着なされました」

 従者の声が、耳に届く。ちょうど自分がいる場所は死角になっているのだ。

「分かった…。すぐに参る」

 日本帝国軍参謀総長、梅原美治大将。先の大戦期に参謀総長を務め、後方にあって、事態の収拾や事後処理に力を発揮した梅原美治郎大将を祖父に持つ初老の男である。
 公正無私な男であり、派閥抗争に明け暮れる陸軍内部でも孤高を保ち続けている。
 就任以来、公の場以外で話すことは初めてであるが、切れる男である以上、ある程度の予測は付いているはずだ。
 最近、軍部をかき回している1人の男のことを…。

「梅原大将、このような山奥にまで足を運んでいただいたこと、真に恐悦至極」

「はっ………」

「さて、わざわざ離城にまで呼び出したのだ。そなたも察しておろう?」

「蒼木少佐のことですかな………」

 わずかに、眼をそらしながら口を開く。

「そうだ。ブルターニュやイベリアでの活躍は、耳に入っていた。それから帰国してからだったな…、その男が貴様の周りに現れるようになったのは」

「立場上、当然のことであります。有能な衛士をそばに置くことは別段不自然なことではありますまい?」

「どこの派閥にも属さず、孤高を保つ男がそれを言うか?」

 現在の軍部、特に陸軍は、激しい派閥抗争が繰り広げられている。
  戦術機甲総監の山縣昌朋大将を中心とする『皇道派』と教育総監の松永恭一大将が旗揚げした『大陸派』の対立が特に激しさを増している。
 特に、大陸派遣に関する論議は、時に胸倉の掴みあいに発展しかけるほどの騒ぎになることすらある。
 『皇道派』は、前大戦期にも存在したものとほぼ同じもので、皇帝親政を主張する一派であり、大陸派遣に関しても、独自の作戦行動を主張している。
 これに対し、『大陸派』は、現状の議会主義を優先し、大陸派遣に関しても東亜各国や国連との共同歩調を主張する。
 当然のことながら、今回の大陸派遣に関しては後者の主張が通ったため、『皇道派』は、やや後退を見せているが、いつ似たような現状になるかはわかったものではない。
 この他にも、『皇道派』の分家とも言える『摂政派』(政威大将軍を初めとする五摂家中心の政治を理想とする)や『国連派』(国連との連携を主張する親欧米派の隠れ蓑とも言える一派)などが存在している。
 梅原はこれらの派閥に縁がなく、派閥抗争の鎮静などを巧みに行っている。山縣や松永にとっては眼の上の瘤のような存在であるだろう。

「好きで1人でいるわけではありませぬ。若者達には好かれませぬゆえ」

「だが、蒼木柊一には肩入れしてやっているということか?今回の教導課程の件も紅蓮だけでなく貴様の口添えも大きく影響したぞ」

「馬鹿どもに肩入れしている暇はありませぬゆえ」

 梅原は表情を変えずに淡々と言う。

「それに、私もあと数年で予備役入りです。最後の奉公と思っておりますよ」

「貴様にそこまで言わせるほどか?その男は」

「ふむ………、確か、殿下も同年代でしたな…」

「何が言いたい?」

 梅原は表情をわずかにゆるめながら口を開く。なにが言いたいかは、見当がつく。

「いえ、私は戦術機畑ではありませぬゆえ実力のほどはうかがい知れません。ですが、この国、いえ人類全体の未来を憂いていることはよくわかります」

「人類全体だと………?ふん、笑わせる」

 最も、それらの情報はすでに入っている。未来からの転生者と言う、信じがたいものであるが、奴が見た未来と言うのはそれほどまでに悲惨なものであると言うのか。

「そうです。身の程を知らぬ戯言………と、片付けられる。私も初めは、後悔しましたよ。現実を知らぬ若者でしかないと」

「だが、話して行くうちに評価を変えたということか?」

「いえ、未熟な若者と言う評価は変えておりません。ですが、不思議と引きつけられる男でありましてな」

「ふむ………」

 梅原自身も野心を自覚したのであろうか?今までのように軍人としての分を外れることを嫌っていれば、蒼木など重用しようとはしない。一少佐の提言で五軍が全て巻き込まれることなどなかったのだ。
 最も、現実に軍部に蔓延る派閥抗争は、政治抗争の裏返しでもある。政治による軍部への介入もその逆も嫌うこの男が、今まで静観していたほうが不思議なのだ。

「斑鳩智文、斑鳩文之、九條頼長、蒼木柊一。この四名が、欧州にて上げた武勲は、他を圧倒しております。ですが、蒼木以外の三名は、斯衛軍、それも五摂家に名を連ねる者達です。私の関与できる範囲ではございますまい」

「斯衛である以上、政治に関与することもまだ先であろうからな。それに、文之以外の二人は、庶子であるしな」

 斑鳩智文の母親は、侍女であり、正妻を母に持つ弟、文之が後継者と目されている。九條頼長は、兄弟がいないものの、側室の子であり、父親はまだ少壮であるため正室に子ができないとも限られない。

「それに、我が軍の上層部は、私を初め、豊富な実戦経験を持った者が多くありません。それに、年功序列人事も一向に改まりません。これは私の責でもありますが」

「それでも、下士官や兵卒から成りあがることが可能となったのだ。大分ましであろう?」

 軍の組織を考えて、全面戦争を経験していない軍に下士官上がりの将官が出ただけでも大きな変化であろう。

「ですが、若い将官はまだまだ少ない。さすがに参謀総長を20代、30代の者にやらせるわけにはいきませんが、有能かつ地獄のような戦場を潜り抜けてきたものに大軍を率いさせてみたいと思っているのですよ」

「それでは、蒼木に士官学校の統合案を吹き込んだのは貴殿か?」

「いえいえ、私はあくまでもあの者の案に乗っかっただけです。人事権は、あくまでも参謀総長たる私にある。そう考えれば、初めから今回の動きをつぶすことにはなりませんからな」

 たしかに、伝統や規律にうるさい梅原が、若手の抜擢などを考えるとは思えなかった。年功序列、学歴尊重人事は、平時においては、安定を産むものだ。派閥抗争の悪癖を産む面もあるが、それは組織であれば必ず生まれるものだ。  
「私から蒼木に関する話は、もうありませんぞ。他にご用件はございますか?」

「まあ、待て。陸軍では、大陸派遣はどうなっとるんだ?」

 BETAの本格的な東進を受け、中国共産党は国連を初めとする各国軍の受け入れをすでに内外に表明している。

 最も、遅きに失している。奴らが余計な色気を出さなければ、ここまで人類に被害は出なかったかもしれないのだ。

「相変わらずですな。指揮権を巡って紛糾しておりますよ」

「ふむ………」

「現在のところ、タクラマカン砂漠において、焦土作戦を用いて戦線を維持しておりますが、長くは持ちますまい………」

「中国本土になだれ込んでくるのは時間の問題か………。となれば、今以上になりふり構わぬ攻撃を繰り返すだろうな」

「ええ、交戦中の部隊ごと核で焼き払うぐらいのことは平気でするでしょうな」

 現に東トルキスタンの住民、特にウイグル族を初めとするテュルク系民族は、民
族ごと消滅。現地の漢民族もほぼ全滅した。
 注目すべきは、中央ユーラシアの諸民族とは異なり、彼らの大半は、人類の手によって消滅させられたと言う事実である。

「他国を救うべく派遣した部隊が、他国の手によって壊滅するか………。美談にもならんな」

「万一、前線の将兵を兵器によって壊滅せしめしときは、即座に大陸より撤退する方針であります」

「当然だ。馬鹿どもにかまっている暇などありはしないのだからな。だが、それを考えると、皇道派の連中の主張も分からないでもないな」

 国連軍と言えども、かつての大国の意向が強く反映されることは間違いない。後方支援などは、あくまでも大陸諸国家に委ねられるのだ。
 派遣部隊は、時として後方の無能な味方とも戦わねばならなくなるのだ。

「まったく、そう言ったことを考えれば、中東や欧州は立派なものですな。あれだけ多くの国家が目立った混乱もなく戦い続けている」

「戦術機の開発をめぐって多少の混乱はあったがな。ところで、ブ半島攻防戦の行方はどう見る?」

 欧州派遣部隊が多大な犠牲を払って奪還に成功したブルターニュ半島は、現在欧州戦線最大の激戦地である。

「もって、年内でしょうな。すでに消耗戦の様相を呈しておりますが、無限の如き物量を持つBETA群に対し、欧州の補給線はあまりに惰弱です」

「そうか、それでは主戦場はドーバーに移るな」

 英国ケント州ドーバー基地群。バトル・オブ・ブリテンを戦い抜いた生きる伝説達が守る鉄壁の要塞群である。
 英国を中心とする、欧州連合軍と国連大西洋方面軍は、ここに主力を集中し、英本土へのBETAの上陸を何とか防いでいる。ブリュターニュ半島や、北欧戦線が何とか維持できているのは、この不沈空母とも言うべき島の存在は大きい。
 ブルターニュ半島での激戦により、イギリス海峡が重レーザー級の脅威からわずかに解放され、アフリカなどから送られる物資が、イギリス南部へと直接運び込まれていた。中部の工業地帯は、少しずつ北部やアイルランドへと移転を続けているが、未だここから産出される武器弾薬は貴重なものだ。
 だが、ブルターニュが再びBETAの手に落ちれば、イギリス海峡での艦船の航行は、ほぼ不可能となる。そうなれば、ドーバーなどへの補給線は当然英国内部の陸路を使うことになり、艦船に比べれば輸送量は格段に落ちる。

「北欧やイタリアも厳しいと聞く。欧州は長くは持たんか………」

 スウェーデンのキルナ、イエリヴァレの鉄鉱石は、欧州の生命線ともいえる。

「北欧戦線は、ロヴァニエミハイヴが、フェイズ5に到達する勢いで拡張を続けているそうです。北部の鉱物資源も長くは持たんでしょう」

「それでも、かなりの量が確保できたはずだ。………遠き欧州に散った者たちの挺身も無駄には成らなかったのだ」

 無駄死にではない。だが、帝国軍の被った損害は小さいものではなかった。蒼木、斑鳩、九條と言った若き英傑の出現は大いに歓迎すべきところだが、実戦経験を豊富に積んだ者の数は当初の予定を大きく下回っている。
 それは、中東派遣部隊でも同じであった。砂漠での戦闘経験は、さほど役に立つとは思えない以上、犠牲を増やしてしてしまった感は否めない。

「宗教があるとはいえ、独逸と英国が手を携えるとはな………。BETAの侵略が旧敵同士を結び付けるとはなんとも皮肉な話だ」

「敦煌、哈密(ハミ)、ウルムチのウイグル戦線が瓦壊すれば、広大なゴビ砂漠が広がっています。華北から蒙古にかけての広大な平原地帯は彼奴等の思うままでしょう。ですが、中国と我が国は決して相容れぬ仲。難しいものですな………」

 先の大戦の終了後、大陸の覇権を得た中国共産党は、我が国の罪業を盛んに世界に喧伝した。
 戦にあって起きた虐殺や略奪を決して否定はしない。だが、中国共産党が内戦に勝利するために我が国を泥沼の戦いに引き込んだことは事実である。

「我が国との関係を考えれば、遠慮なく核兵器を使うだろうな。BETAの東進を防ぐと言う大義名分もある。また、少数民族が犠牲になるか………」

「もともと、モンゴルとの係争地帯です。BETAに浸食されてしまえば、未練などありはしないでしょうしな」

 地下資源があるとはいえ、大半は不毛な砂漠地帯だ。膨大な数の住民を抱える中国だが、このあたりは比較的人口の少ない地域である。大軍が展開するには、もってこいの場所だ。
 古くは、遊牧民族と漢民族との壮絶な死闘が演じられた荒野であったはずだが、近年は砂漠化が進行している。作戦行動をとることに適した地とは思えない。
 国家関係でも、国共合作の際に現地住民の声を無視したため、台湾独立派が分裂を起こすなど他人の領土をむしり取って問題を起こす。はた迷惑な話だ。

「ここが抜かれれば、残るは黄土高原の防衛戦ですか………」

「そこまで攻め込まれれば、平野部は時間の問題だろうな」

「広大な大地に、様々な地形や環境がありますからな」

「柔軟な用兵が必要になるな………。誰に任せるつもりだ?」

 現在、陸軍の最上位(大将)は、24名。このうち、紫禁、斯衛は4人であるから、陸軍は20名である。さらに、陸軍次官、参謀総長、教育総監(陸軍三長官)、軍務局長、戦術機甲総監の五名が除かれるため、残りは、15人である。
 残念ながら、「柔軟」という言葉とは縁のない者がほとんどだ。

「総指揮を藤田、参謀に広岡を据え、乃村、木庭(こば)、杜(もり)、天野原、彩峰を付けるつもりです」

 数少ないながら、合格点を与えられる人物だった。ただし、藤田、広岡の両名とも機甲、砲兵の専科であり、戦術機の指揮に関しては疑問符がつく。

「戦術機甲の専門家が彩峰のみか………。それにしても、見事なまでに無色な者を選んだな」

 乃村、木庭(こば)の両名は、ともに下士官からの叩き上げであり、癖は強い者の叩き上げの人材を育てる名手。
 杜(もり)は、広岡の参謀を長く勤め上げ、豊富な戦力の運用に優れる。天野原は、国連との太いパイプを持ち、戦略的な視野の広さに定評がある。
 最後の彩峰は、高潔な人格者であるが、自ら戦術機を駆り、最前線に立つ猛将としての一面も持つ。普段は寡黙でなにを考えているのかよくわからない面もあるが、不言実行の行動力と高潔さを併せ持つため、階級を問わずに支持者が多い。

「これでは、山縣あたりが黙っていないのではないか?」

「そうは言っても山縣や奴の子飼いどもでは、被害が大きくなるだけです。攻撃のことしか考えていない者達ですからな」

 梅原は眼を閉じながら、首を振る。

「どの道、上級将校までえり好みするわけにはいきませんからな。少しでも、藤田の負担を減らしてやりたいところです」

 藤田元綱大将は、『極東の紳士』と渾名されるほどの物腰柔らかな男である。世界各国に知己も多く、軍の重鎮である伏見宮、川神の両元帥の信望も厚い。
 それ故、梅原と共に派閥間を取り持つ穏健派で通っており、冷徹で攻撃的な性格の広岡や不平の多い乃村すらも一目を置く苦労人である。
 しかし、皇道派からは、国家間の知己を『売国奴』と非難され、大陸派からは、調整役としての手腕を『弱腰』と罵られる始末である。これらの火種を抱えながらの戦いは、相当厳しいものになるはずだ。

「そうだな………。しかし、馬鹿どもを抱えながらの戦とはな」

 内憂外患。表立って見える部分はまだ少ないが、戦時になればいくらでも顕在化してくるのだ。
 それをどうにもできない自分の無力さに、無性に腹が立つ。
 BETAという人類史上最大の敵の存在があっても、身内同士でいがみ合い、足を引っ張り合うという現状。
 そこで流れる血が、当人たちのものとなるまでそれほど時間はかからないであろう。
 だが、そうなってから気づいたとしてもすべては終わってしまっているのだ………。

 
 外に目を向けると、先ほどのまでの柔らかな日の光は、暗雲によって隠されつつある。その吉野の空は、まるで祖国日本の将来を暗示しているかのように感じられた。


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