飯塚事件

 

飯塚事件に関する質問主意書と答弁

 

東の「足利(事件)」 西の「飯塚(事件)

 

 

 中井洽(ひろし)国家公安委員長は09年11月5日、久間三千年元死刑囚=当時(70)=の刑が08年10月に執行されたことに絡み、再審で事件が見直された可能性もあったとの考えを示し、執行を「残念」と述べた。国家公安委員長が執行された死刑に疑念を呈するのは異例。同日の国家公安委員会終了後の記者会見で、久間元死刑囚の遺族が「有罪証拠とされたDNA鑑定は誤り」として再審請求したことについて考えを聞かれ、答えた。「捜査や裁判の経緯を尋ねてみたい」とも話した。中井氏は、久間元死刑囚への執行が過去には避けられていた国会開会中だったと指摘。開会中の執行を回避していれば「(足利事件で無罪が確実になった)菅家(利和)さんの事件のような可能性もあったんじゃないか」と述べた(09年11月05日付『産経新聞』)

 

 久間三千年・元死刑囚(執行時70歳)の妻(62)が09年10月28日、福岡地裁に再審請求した。再審公判が始まった「足利事件」(90年)と同時期に同じ方法で捜査段階に実施されたDNA型や血液型の鑑定について、「結果に誤りがある」などとする鑑定書を新証拠として提出した。元死刑囚の再審弁護団が同日、記者会見して明らかにした。鑑定書は足利事件のDNA型再鑑定にもかかわった本田克也・筑波大教授(法医学)が作成。飯塚事件では再鑑定できるだけの試料が捜査時に使われて既に無いため、当時の鑑定結果を検証し、再評価した。再審請求書では、DNA型鑑定(警察庁科学警察研究所のMCT118型鑑定)を、型判定の精度が悪い▽警察庁指針に反した方法をとった−−と批判した上で、「犯人の型と、元死刑囚の型は違う」と主張している。また、犯人の血液型は「AB型」で、久間元死刑囚の「B型」ではないとしている。被害女児はそれぞれA型とO型。事件時、O型女児の身体に付着した混合血液からはABOすべての反応が出た。捜査側は反応の強弱から犯人は「B型」と判断したが、弁護団は「O型女児に付着した混合血液から、先に被害にあったA型女児のDNA型が検出されていない」と指摘。その上で、混合血液のうちO型は被害女児の血液で「犯人はAB型」と結論付けている(09年10月28日付『毎日新聞』)。 

 

民主党は09年6月18日午前、法務部門会議を開き、92年に福岡県飯塚市の小学1年の女児2人を殺害したとして、08年、久間三千年元死刑囚(当時70歳)が死刑を執行された「飯塚事件」の弁護団の岩田務弁護士から、事件の審理の経緯についてヒアリングを行った。同事件の捜査では、被害女児の遺体周辺から採取された血痕のDNA鑑定結果が証拠の一つとされたが、鑑定の際には、90年に栃木県足利市で女児が殺害された「足利事件」と同じ鑑定法「MCT118型検査法」が使われていた。岩田弁護士は「この事件では再鑑定に必要な資料が入手できない状態。再鑑定が保証できないものを証拠と認めるべきではない」などと訴えた(09年06月18日付『読売新聞』)

 

 

 足利事件発生から約2年後の1992(平成4)年2月20日の朝、福岡県飯塚市の市立潤野(うるの)小学校1年生の(共に当時7歳)の2人が登校途中で行方不明になった。飯塚署員や学校の教師らがため池や山林など付近一帯を捜索。立て看板やポスター、チラシを使い市民に情報提供を呼びかけるなどしたが、手がかりは得られなかったが、翌21日の夕方、福岡県甘木市(現・朝倉市)野鳥の国道322号(通称八丁峠)第5カーブわきの山林で2人は遺体で発見された。首を絞められ、顔には殴打された跡もあり付近には血痕が残されていた。卑劣な幼児殺人事件である。

 

この事件から4年前の1988(昭和63)年12月4日午前7時30分頃、飯塚市明星寺の小学校1年生の愛子ちゃん(当時7歳)が、町内の廃品回収作業の手伝いを終えて公園で友達と遊んだ後行方不明となる事件が発生していた。警察は、すでに午前10時頃に久間の自宅で遊んでいるのを近所の人が目撃したとの証言から、1人の男を注目していた。それが、久間三千年(くまみちとし)であった(しかし、この事件に関しては、決定的な証拠を得ることができず事件は迷宮入りとなった)

 

小学校1年生の女児であること、その他の類似点から、久間が捜査線上に浮上した。警察は、当時、久間が乗っていた紺色のワンボックスカー(ワゴン車)と同じ、「紺色のワンボックスカーを遺体遺棄現場で見た」との目撃情報を得たのである。

 

備考1.

久間は、93年9月29日、飯塚市明星寺の路上で、捜査員2人にせんてい用の刈り込みバサミで切りつけ、2人の手に5〜10日間のけがをさせたとして、傷害、暴行の疑いで飯塚署に緊急逮捕された。捜査本部は女児殺害事件とは切り離して捜査。同容疑者は同年10月10日に釈放され、罰金10万円の略式命令を受けた。

 

足利事件で菅家さんが足利署に逮捕(91年12月2日)されてから約3年半後の1994年9月23日(事件から2年7カ月後)、菅家さんと同じように1年間にわたり刑事に尾行されていた久間(当時54歳)が、死体遺棄容疑で逮捕、同年10月14日には殺人容疑で再逮捕された。

 

すなわち、被害者の遺体に付いた血液と元死刑囚のDNA型が一致したとされ、確定判決の根拠の一つとなった足利事件とほぼ同時期に、同じ「MCT118」という検査法で、DNA型鑑定が実施されたわけである。

 

捜査本部は、(1)死体遺棄現場付近に残された体液と、久間容疑者の毛髪を警察庁科学警察研究所などでDNA鑑定(MCT118法)した結果、ほぼ一致した(2)女児の着衣に付いていた繊維と、同容疑者のワンボックスカーのシートの繊維が鑑定で一致した(3)ワゴン車内から被害者と同じ型の微量の血液が女児の血液型と一致した(4)遺棄現場付近で目撃された不審なワンボックスカーは、久間容疑者が事件当時所有していた車と同じ紺色で、後輪が同じダブルタイヤだった、などが判明したことから、重要参考人とみて、マークしていたと発表した。

 

備考2.

MCT118= DNA型鑑定の方法の一つ。89年に国内で初めてDNA型鑑定を導入した警察庁科学警察研究所が当初、採用していた。髪の毛根や皮膚など人間の細胞の中に必ず含まれるDNAの一部に着目。塩基という成分の並び方の繰り返しパターンを調べて、435通りの型のどれにあてはまるかなどを識別する。現在主流の方法に比べ、多くの試料が必要で、精度の低さが問題視されていた。

 

備考3.

久間が92年9月ごろ、ワンボックスカーを北九州市内の中古車ディーラーに売った際、車内を念入りに清掃していたことなどから警察は、容疑者が女児2人を乗せたことを隠す目的だったのではないかとみて追及している。捜査本部はその後、ディーラーから車を押収、解体して車内をくまなく捜索したが、ごみ類はほとんどなく、毛髪なども発見されなかった。久間は93年10月、新聞社の取材に対し、「車内に被害者の毛髪でも置かれて(警察に)工作されるのを防ぐために、強力な掃除機で掃除した」と話していた。

備考4.

容疑者は、福岡県山田市生まれで、地元の県立高校定時制を中退後の57年6月に山田市職員に採用された。市役所では、おもに運転手などの現業部門を担当。73年にの事務吏員となる。勤続20年で年金が付いたのを区切りに77年に依願退職。その後、定職にはついていない。90年4月から1年間、約500世帯ある団地の町内会長も務めたこともあり、街灯設置など地域の防犯活動にも積極的に取り組んでいた。逮捕当時、母親も含めた4人暮らしであった。

 

久間容疑者は、9月23日に面会した福岡県弁護士会の当番弁護士に「私は何もしていないのでこの事件に関係はない」と話しが、捜査本部は、事件後に久間容疑者が庭を掘り返していたとの情報があったことから逮捕した23日に引き続き、24日も午前9時から、捜査員約30人がつるはしやスコップで庭を掘り返すなどの捜索を続けた。
 

備考5.

久間容疑者は、93年5月、「公開の場で潔白を証明し、家族の人権と名誉回復のために、戦う事が出来る日が一日でも早く来ることを願っている」として、マスコミ向けに「犯人を仕立てるのが警察か」などと捜査当局に対し、刑事の尾行など捜査手法」を批判する内容の小冊子(B5判12ページ)を作成、身の潔白を訴え、マスコミ各社とのインタビューにも自ら望んで応じた。それは、捜査員が、久間容疑者が事件当時所有していたワンボックスカーと同種の写真を見せて聞き込みをするなど、地域で同容疑者に「不審」の目が向けられ、周囲の人たちも「犯人はKさん」などと公然と言い始めていたころだった。

 

福岡地検は、94年11月5日、同年10月14日に死体遺棄罪で起訴していた久間容疑者(56)を、容疑否認のまま、「92年2月20日午前8時半ごろ、飯塚市潤野の小学校通学路で、登校中の女児2人を自分のワンボックスカーに誘い込み、同11時ごろまでの間に、同市内かその近郊に車を止め、車内で首を絞めて殺害、約30キロ離れた福岡県甘木市の山中に2人の遺体を捨てたと」して、殺人と略取誘拐罪で福岡地裁に起訴し、冒頭陳述で、動機について触れ、「かねてから小学校の女児に興味を抱き、妻を勤務先に送り届けた後、通学路に駐車して遅刻して来る小学生の様子をうかがい、機会をみていた」と計画性を指摘、「久間被告は、2女児を見かけて望んでいた機会を得たと思った」、さらに、久間被告と特定した経緯について、「(1)女児の遺体など五カ所にあった血痕の血液型、DNA(デオキシリボ核酸)が同被告と一致した(2)女児の着衣に付着した繊維でワゴン車を絞り込んだところ、血液型、DNA鑑定とともに一致する所有者は久間被告しかいなかった」などと述べた。

 

また、95年5月30日、「まれにみる凶悪な犯行で、被害者の無念さは計り知れない。遺族の処罰感情も強い」として、死刑を求刑した。

 

初公判は、95年2月20日、午前10時から、福岡地裁刑事2部(陶山博生裁判長)で開かれ、久間被告は罪状認否で「私は絶対していない。全く身に覚えはない」と述べ、全面否認、弁護側は意見陳述で、両鑑定や、遺棄現場付近で被告を見たとする目撃証言などの状況証拠の証拠価値や信用性を問うとしたうえで、捜査手法についても「著しい予断捜査だった」として正面から争い、この日の検察側の証拠申請に対しても、鑑定関係を中心に不同意とし、さらに、「起訴状では、犯行の動機や目的が全く不明で、結論もあいまいだ。捜査はゴールに未到達のままで終わっている」などと検察を批判した。

 

備考6.

福岡県警捜査1課と飯塚署は、事件から6年後の95年2月9日午前10時すぎから、捜査員約80人を動員して、6年ぶりに自宅近くの山林の再捜索を始め、捜査開始から25分後に、自宅から南西に約1キロ離れた雑木林の林道わきの林道から約10メートル入った斜面のごみの投棄場所(一帯は、車でごみを捨てにくる人が時々おり、「ここにごみを捨てるべからず」と書かれた板が木にくくりつけられている)の雑草の間から、愛子ちゃんの赤い色のジャンパーと赤いしま模様のトレーナーを見つけた。だが、。愛子ちゃんの自宅近くの山林から、ごく短時間での発見に「うまく行き当たった」と県警はいうが、あまりの手際よさに、捜索に加わった地元の消防団員からはいぶかる声も出たほどであった。また、作業員らは「なぜ、今までここを捜してないのか」と不思議がった。愛子ちゃんの衣服はジャンパーとトレーナーは数メートル離れて見つかり、あまり傷んでいなかった。林道は車が1台やっと通るくらいの道幅。あまり人が通らず、小学1年生の女児が、足を踏み入れるような場所ではなかった。周辺の山林では愛子ちゃんが行方不明になった時に何度も大がかりな捜索が続けられた。

午後5時50分過ぎ、飯塚署で記者会見した永留慶造署長は「当時は事件に巻き込まれたのかどうか分からなかった。自宅周辺のため池や側溝などは徹底的に調べたが、少し捜索が足りなかったかもしれない」と語った。さらに、同月18日、同署長は「やるべきことは十分手を尽くしたが、手掛かりは見つからなかった。新たな情報がない限り、捜索再開はない」と話した。

 

97年3月5日の第27回公判で、女児の遺体などに付いていた体液を鑑定したDNA鑑定の専門家、帝京大医学部の石山いく夫教授(66)が検察側、弁護側双方の申請で証人として出廷し、検察側が有罪立証の有力証拠としている2種類の方法でDNA鑑定を行い、「いずれも複数試料のDNA型が久間被告と一致した」という内容警察庁科学警察研究所(東京、科警研)の鑑定結果について、科警研と異なる2つの方法で行った同教授の「被告と一致するDNA型は検出されなかった」との鑑定結果から、科警研鑑定について「同じ試料で、一方の方法では被告と同じDNA型が検出されているが、もう一つの方法では出ているとはいえない」とし、「結果に整合性がない」と指摘したうえで、被告と同じDNA型が出た方の鑑定方法についても、写真などから「技術的なレベルが低く、正確な型の判定は難しい」「疑問視せざるを得ない」と証言し、信用性に疑問を投げ掛けた。科警研の鑑定は(科警研と石山鑑定はともに公判で証拠採用されている)

99年6月30日、第50回公判で弁護側が、科警研のDNA型鑑定について、「当時は技術の水準が低く精度も低かった」などとして信用性を否定するとして無罪の最終弁論をして、1.初公判から4年4カ月ぶりに結審、最終弁論で、久間被告は「私は事件に関係なく無罪だ」と述べ、弁護側も全面的に無罪を主張した。

 

犯行を裏付ける直接証拠がなく、一貫して無罪を主張していた久間被告に対して、99年9月29日、1審・福岡地裁(陶山博生裁判長)は、「被告人と犯行との結びつきを証明する直接証拠は存在しない」「やや証明力が弱い」と指摘したうえで、「鑑定の信用性」を認定、女児の服に付いていた繊維が被告の車のシートの繊維と一致したなどの状況証拠などを総合的に判断すれば、被告が犯人であることは合理的な疑いを超えて認定できる」「極めて冷酷残忍な犯行で、遺族が極刑を望むのも当然だ」と述べ、久間三千年被告(当時61)に求刑通り死刑の判決を下した。

 

備考7.

判決要旨
1.認定事実

久間被告は92年2月20日午前8時半から同50分までの間に、飯塚市潤野の通学路で、登校中の7歳の女児2人を自分のワゴン車に誘い込み、同市内かその近郊で同9時までに2人の首を手で絞めて殺害したうえで、同日午前11時ごろ、2人の遺体を福岡県甘木市野鳥の国道沿いの山中に捨てた。

2.鑑定の信用性

「被告のDNA型と一致するとみることができるが、犯人が一人だとまではいえず、やや証明力が弱いと言わざるをえない」と述べうえで、検察側の女児の体などから採取された血痕のDNA型が久間被告と一致するとした2種類の科警研鑑定を立証の柱としたうち1種類について「基本的原理が科学的に妥当であり、証拠能力は肯定できる」とした。「被告と一致するDNA型は検出されなかった」とした帝京大鑑定については、「科警研の鑑定で資料を使い尽くし、犯人のDNAが存在していなかった可能性もある」などとして退けた。

3.状況証拠を総合評価

「本件の状況証拠は、どれを検討しても単独では被告を犯人と断定することはできないが、すべてを総合評価する必要がある」との立場から、さまざまな状況証拠を検討した結果、「(1)女児2人の失跡場所や遺体発見現場などで目撃されたワゴン車と類似した車を被告が使っていた(2)女児の衣服に付着していた繊維片は被告の車のシートの繊維である可能性が高い(3)被告のワゴン車内で採取された血痕の血液型が女児の一人と一致する(4)被告にはアリバイが成立しない」などと指摘したうえで、「被告が犯人だ」と認定。
 

01年4月25日、この日判決が言い渡される予定だったが、弁論を再開、判決期日が延期された福岡高裁で開かれた。審理を担当していた古川竜一判事(24日付で辞職。福岡地検の次席検事;秘密漏洩・漏泄〔ろうえい・ろうせつ=秘密などがもれること〕事件が、妻の脅迫事件で前福岡地検次席検事から捜査情報を提供されたことが発覚したため、弁護側が弁論再開を申し立てていた。弁護側は意見陳述で、「一審判決は状況証拠だけの事実認定」と、無罪を主張した。

 

01年10月10日、福岡高裁小出じゅんいち裁判長は、DNA鑑定について、2つの方法のうち1つについて、「血痕と被告人の型が一致。絞り込みの識別方法として十分な意味がある」と認めたうえで、「証拠が被害者側から得られるだけでなく、被告の車からも被害者の痕跡が見いだされる。一つ一つが相当大きな確率で結びつき、被告が犯人である確率は幾何級数的に高まっている。被告は冷酷卑劣で反省の情もない。死刑もやむを得ない」として、控訴を棄却した。

 

備考8.

判決要旨

1.女児の1人の遺体に付着した血痕のDNA型が、警察庁科学警察研究所が実施した2種類のDNA鑑定のうち1種類で被告と符合。

2.遺留品発見現場付近で目撃された車は被告の車と同じ車種。

3.女児の1人の着衣に付いていた繊維は、被告の車の車種のシートと細部まで一致。

4.被告の車から検出された血痕は血液型とDNA型が女児の1人と一致し、車内から検出した尿とともに女児を運んだ際に付いたと説明できる。

 

06年9月8日、最高裁第2小法廷(滝井繁男裁判長)は、繊維の鑑定や不審車両の目撃供述などから、犯行に使用された車は久間被告のものと同車種で、飯塚市と周辺でこの車種を保有していたのは極めて少数の人間に限られるという事情も指摘したうえで、「DNA鑑定結果などから被告の犯行だと認定できる」「被告が犯人であることについては、合理的疑いを超えた高度の蓋然(がいぜん)性がある」「犯行は冷酷、非情かつ残忍で、極めて非人間的な行為によりまな娘を失った遺族らの被害感情も厳しい」「性的欲望を遂げようとした卑劣な犯行。抵抗する力の弱い女児の首を締め付けて窒息死させた態様も冷酷かつ非情」と述べて、1・2審の事実認定は正当として上告を棄却した。

 

死刑確定から2年後の08年10月28日、事件から約16年半、無実を叫ぶ久間に対して、麻生太郎内閣の森英介法相の命令により、福岡拘置所で死刑が執行された。享年70歳。

 

被害女児のうち1人の父親で、市立飯塚小教頭(50)は同校で報道陣の取材に応じ、「逮捕から死刑確定までが長かっただけに、執行が早かったように感じた」と少し驚いた様子を見せたうえで、「久間死刑囚からは、謝罪の言葉はついになかった」と無念そうな表情を浮かべ、「今回の死刑執行が、子供が犠牲になる事件の歯止めにならないといけない」と語った。

 

私は無罪だ」という久間死刑囚の言葉を信じて再審請求の準備を進めていた弁護士は、「寄せ集めの、あやふやな証拠で本当に死刑を執行していいのか」と執行に疑問を呈した。

 

なお、すべての死刑囚や懲役囚にDNA型鑑定を受ける権利を、鑑定で無罪を勝ち取った元死刑囚や市民団体の求めから、04年10月に成立した「イノセンス・プロテクション・アクト(無実を守る法律)」で認めたアメリカでは、精度の高い方法での再鑑定で、08年までに計238人(ニューヨークのNPOの統計)が再審無罪判決を受けている。に基づくものである。鑑定で犯行が裏付けられた場合は偽証罪に問われるものの、申し立ては相次いでいる。また、懲役刑の確定者が申し出れば鑑定を認める規定も盛り込まれ、再鑑定を不可能にしてしまう証拠資料の破壊(全量消費)をした場合は罰則もあり、原則的に冷凍保存している。

 

 

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