「知能が高い生物ほど命の価値が重い」という論理こそ傲慢だ
クジラ、マグロ保護を叫ぶ欧米人の独善
(SAPIO 2010年5月12日掲載) 2010年5月17日(月)配信
そもそもこのモラトリアムは商業捕鯨のみを対象としていた。アラスカの先住民やカナダのイヌイットなど、極北地域で鯨肉を食べて生きている先住民については「生存捕鯨」が認められている。つまり、鯨肉や鯨油を売って利益を得るのは許されないが、生きるために食料として消費することは許される、という理屈だ。しかし、先住民らは昔から鯨肉を物々交換の「財」として利用してきたし、一方で日本の捕鯨も地域経済の発展と生活維持のためのものであり、「生存捕鯨」との線引きは極めてあいまいだ。乱獲はよくないが、商業捕鯨そのものが悪いわけではない。
捕鯨反対のアメリカは、かつて鯨油目当てで乱獲を行ない、コククジラ、ホッキョククジラ、セミクジラなどを激減させた。そのアメリカが自国の先住民には捕鯨を認め、日本には認めない。それを区別する論理として生存捕鯨、商業捕鯨という不可思議な概念を持ち出したのだ。IWCはこの「生存対商業」という枠組みから抜け出せずにいる。
事態をよりややこしくしているのが調査捕鯨である。調査捕鯨は国際捕鯨取締条約によって認められており、クジラの生態、個体数の調査のために一定の枠が設けられている。しかし捕鯨反対派はそれも許せない。日本は調査捕鯨を隠れ蓑に事実上の商業捕鯨をしている、という批判もある。そうした国際世論は真摯に聞くべきだろう。しかし、調査捕鯨で獲っているのは増えすぎたミンククジラである。少なくとも乱獲ではない。
ただ、調査捕鯨については反対派から「調査捕鯨に意味があるのか」「殺さなくても調査できるのではないか」といった批判が上がっているので、きちんとした科学的データ、成果を提示していくべきだ。
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