2010-05-03 さらにナナメ上に加速しそうで心配な花風社
さらにナナメ上に加速しそうで心配な花風社
主にネット上の素行の悪さと発達障害を「治す」ことにこだわって非難が集中している花風社の浅見社長が、さらにナナメ上の方向に加速している模様。
自閉症が治る、という報道に反応する人たちがいる。とくにネット上では。
自閉症は治らない、という事実に安堵感を見出しているんだろうな、というのが私なりの推測。
一方でリアルで知り合いになる人の中には「治療法が見つかったらどんなに大金がかかっても治したい」
「必要なら実家の田畑を売りはらってっでも費用を工面する」という人たちもいる。
お子さんに愛情を持ち、障害を受け入れている人たちだ。
精一杯の療育をして、それでも「治る方法があるのなら治したい」という人はいる。
どっちの意見もわからなくない。
で、どっちの意見を採用するかは、それぞれのおうちの自由だと思う。他人がとやかく言うべきことではない。
だってご自分のお子さんの将来なんて、他人に言われて決めることじゃないでしょ?
大事なお子さんの将来を、誰だかよくわからない人が展開するネット上の意見で決められますか?
そんなことしたらかわいそうなのはそのお子さんだ。
情報を集めるのは大事。でも最終的な決断は、家族が自分でするべきなのはあたりまえ。
少なくともどっちかの意見の人が、同じ意見にならないからと言って、片方を非難することは無益だと私は見ていて思う。
そんな時間とエネルギーは、もっと別のことに使ったほうがいいんじゃないかしら。
高いローンを組んで治療や療育の費用を工面したとしても、よそのおうちが自己責任でやっていること。
連帯保証人とかを頼まれない限り、自分が迷惑するわけではない。
もしかしたら、大金をムダにするかもしれない。でもそれは他人の大金だ。
実家の田畑を売り払うかもしれない。でもそれは自分のうちの田畑ではない。
大金をムダにする人なんてたくさんいる。多くの人が倒産し、そして立ち直る。
大金をムダに失うことは、この世の終わりではない。
そもそもよそんちの懐具合を勘案するなんて、さもしいことだと私は感じるね。
「みんな違ってみんないい」って言いながら、よそんちの療育方針に口出したり、よその出版社の編集方針勝手に決めて悲憤慷慨したり、ずいぶん隣組的メンタリティの人がいるのね。
※強調は引用者による。
「自閉症は治らない」という現実を認識する親を、「自閉症は治らない、という事実に安堵感を見出しているんだろうな」と歪曲して解釈する浅見社長。そして「治す」ために財産をつぎ込む親を「お子さんに愛情を持ち、障害を受け入れている人たち」と高く評価する浅見社長。そして最後の決めゼリフは「自己責任」。
まぁ最悪、親は自己責任で構いませんよ。自分の財産をどう使おうが勝手ですから。でも、根拠のない治療法を自分の意志とは無関係に受けさせられて、そのリスクを引き受けるのは当事者である子どもであることをすっかりお忘れのようです。そして、根拠のない治療法のために無駄に使われるリソースは、子どもにより確からしい療育法を受けさせるためのリソースを奪っていきます。
私が親を批判するのは、こうした子どもを無視した身勝手さが目立つケースや、根拠のない風説を広めて被害を拡大させようとする時です。もっとも親を批判することはあまりなくて、一番許し難いのは、そのような親の気持ちを利用して根拠のない治療法を受けさせて金儲けをしようとする業者です。もちろん出版社や編集者もそのような業者の一つとなることはあるでしょう。浅見社長がジェニー・マッカーシーの代替療法礼賛本に好意的な「あとがき」を寄せていることは一部では有名な話です。
でも、花風社ファンは残念ながら、そのようなことはお構いなしのようです。
中でも意外と多くてびっくりしたのが、昨今の「大大大博士祭り」「一部サイトでの花風社批判」に対する応援のお声です。
「ネット上でごちゃごちゃ言う人がいるみたいですが、気にしないでください。応援しています」
「他社の批判をする前に、目の前のお子さんに向き合えばいいのにと思います」
「どんなに知識を持っていても、目の前の子どもに適用できなければないのと一緒」
「本の内容を目の前の子どもに応用するのが下手な人が御社を批判するのでしょう」
「よくなったという事実。これ以上私たち親にとって強いエビデンスはありません」
「療育方針はそれぞれなのに、ネガティブな賢者気取りの親は本当に迷惑です。徹底抗戦する浅見さんに感動です」
「ブログ読んでいます。出版社として方針をしっかり示してくれたことに感謝します。これからも応援しています」
「うちの子も大地君と同じ方針で育てています。白くま母さんの姿勢に共感しています」
そうなんですよね。私は今、はっきりと方針を示しています。このブログで。そして出版物で。
これからの花風社の姿勢は、次の大大大博士の言葉が一言で表しています。
「障害があるからといって、何もせんでもいいというのは差別だ」
人間はみんな、修行が必要。楽しく修行するのは、障害がある人の当然の権利です。
この主張が気に食わない人は、気に食わないでいいです。花風社の方針を嫌う自由があります。
でも療育方針は、それぞれのおうちで決めるべきです。そしてうちの方針は、うちで決めます。ネットの片隅で編集会議勝手にやっていても、無駄です。
こういうメールもありました。
「インターネットは少数派の情報収集に便利だけどそれだけ。それ以上じゃない。自己満足は迷惑のない範囲でというのを我が身にも教訓にします」
締めは白くま母さんの一言で。
「情報発信者が『頭でっかち』なのか・・・実際に療育して子供に寄り添っているのか、ここを見極める目や耳がアタシたち親には必要ですね。」
なんだかなぁ。花風社はこのままナナメ上に加速してトンデモない方向に突っ走ってしまうのでしょうか?ちょっと心配、いや、かなり心配です。
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