鳥頭紀行


「私が『意味オンチだと思われ』ている理由とやらはジポネット掲示板での発言なの?ネオ優生学会なの?どっちよ?
行き当たりばったりの中傷してんじゃねーぞ、この鳥頭。」

と私が指摘したその日の9時7分、某掲示板に書かれたレスを紹介しよう。

>投稿 : もちろんです。 by 鳥山仁 on 2002/07/11(Thu) 09:07
>Eメール :
>URL :
>
>JOWAYさん>
>上記の解釈で間違いありません。
>繰り返しになりますが、私が執行氏を事あるごとに叩いているのは、
>
>1)執行明というハンドルネームでジポネットのスレッドに書き込みを行っていること。
>2)同名の人物が『ネオ優生学会』という、選民思想とルサンチマンがごっちゃになった、とんでもないサイトを運営していること。
>
>の2点であって、彼が別名で書き込むかサイトを閉鎖、もしくは移転(移転してどうする?)さえすれば、きちんとした対応をする事に何の疑問も感じません。
>
>彼及びにそのシンパにきつい条件を押しつけているのは、
>ひとえに彼が選民思想を振り回しているからです。
>自分で「衆愚を笑う」と喧伝しているのだから、
>最低でも議論参加者の誰よりも知識があってしかるべきで、
>それが無いというのは見かけ倒しも良いトコロでしょ?

これでも辻褄を合わせたつもりらしい。
「場所」だけ辻褄合わせしてもらってもね、「理由」の部分が以前と全然違っちゃってるよ。
きつい条件?最低限の知識じゃなかったの? 私としては楽勝で「最低限の知識」で納得してたんだけどねえ・・・
もし鳥山氏があれを本気で「きつい条件」だと思っているのだとしたら、それは鳥山氏自身に本当はろくな知識がないという事実の反映でしかないだろう。 既にバレているという説もあるが。
ちなみにROSFサイトの日記から「6月12日 執行明氏から単語のミスを指摘されたので、修正を行いました」という文言がこっそり削除されていた。
やることが姑息やねん、効果はないくせに。

さて、鳥山氏は新しいコンテンツ「ポルノは性犯罪を助長するか?(1) (セルビデオユーザーへのアンケート調査で見る、ポルノと性犯罪の関連性)」において、「本物問題」「視覚重視」「生産主義」に続く第4の四字熟語を開発した。その名も『摸倣問題』である。
これがもし「本物問題」「視覚重視」「生産主義」のように使えないものだったら、鳥山仁の役立たない四字熟語四天王と呼んであげることにしよう。

彼は次のように話を始める。

> ポルノ規制運動、並びにそれらの運動に対する反対運動の最大の問題点は、賛成か反対かというスタンスを問わず、参加者の大部分がポルノを含めた性的な知識に乏しいという点にある。

同意しないでもない。が、つい先日ジポネットの掲示板でペドフェリアという語を児童性愛者の意味に誤用してたのはどなたでしたっけ?
(-philiaという語尾は愛好癖それ自体を指す言葉であって、「〜愛好者」のことは-phileと言う。ペドフェリア=児童性愛、ペドフィル=児童性愛者なのだ。ポルノグラフィティといい、鳥山氏はよほど英語に疎いらしい。)

そしてそのような性的知識の不足が原因となって述べられる意見のうち「最も危険なのが、「ポルノが性犯罪の抑止力になっている」という主張である。何故にこの主張が危険なのかと言えば、たいていの場合その理論的な背景には、「男性(雄)が女性(牝)を求めるのは本能、あるいは動物的な現象である」という、性差別丸出しの価値観が隠されているからだ。

>仮にこうした主張を鵜呑みにしてしまうと、思いつくだけでも、
>1)女性には能動的な性欲がない(から能動的に男性を求めるのは異常である。貞淑に生きましょう!)。
>2)同性愛者は本能が壊れている(から特別な存在として扱われても仕方がない)。
>3)女性に対して本能的な衝動を抱かない男性は異常である(男はマッチョでなくっちゃ!)。
> という偏見を容認する道を開いてしまう。

この鳥山氏の主張には、ネオ衆愚の花園で取り上げてきた彼の幾つかの論法と共通点がある。
いわく「漫画はすばらしいと主張することは、漫画に影響力があることを肯定するので漫画の悪影響をも肯定することになる」。いわく「科学的根拠を重視することは、反社会的な人格を「科学的に処理すべきである」という考えを賞賛することになる」などの主張である。

これらの論法で鳥山氏が使っているのは、

・主張Aはαという前提を持っている。(持っていないこともあるが接点をムリヤリ見つけ出す)
・そして(好ましくない)主張Bもまた前提αを共有している。 (同上)
・よってAを主張することはBを支持することになるので、使ってはならない。

という理屈である。
だが、鳥山氏が主張しているケースにおいては論理Aを自粛したところで前提αは消滅するどころか1%もその支持を減らさず、論理Bに至っては何の影響も受けないであろうということはたいへん問題だ。
考えてもみろ。ポルノ規制反対派が科学的態度を避けたら、それで科学に対する社会の信頼が揺らぐのだろうか? 性犯罪者の科学的断種や治療その他の処置を主張する人が減るのだろうか?
漫画は素晴らしいと言うのを止めれば、規制推進派が漫画の悪影響を唱えなくなるとでも言うのだろうか?
そしてポルノの性犯罪抑止力について言及しなければ、女性には能動的性欲がないだとか同性愛者への差別は正しいとか性欲の少ない男性は異常だとかいう偏見が無くなるのだろうか?
そんな筈がない。ちびくろさんぼやジャングル黒べえを絶版にして黒人差別をなくそうと言うようなものだ。
だが鳥山氏は臆面もなく、一枚のベニヤ板で黄河を堰き止めようと主張するのである。

>規制反対を唱えている人間が、まるで規制推進派と見まごうような行動に出る場合もしばしば存在する。 (鳥山仁)

このような例は実在するようだ。誰とは言わないが。

もう一つの問題は、この構造を鳥山氏自身の主張に適用すれば、彼をいくらでも追い込むことができるということだ。
鳥山氏は科学的態度を主張することが、反社会的人格に対する科学的処置というアイデアを肯定すると述べる。だったら科学を重視すべきでないと主張することは、「ポルノの性犯罪助長説を否定する科学的根拠を規制派が無視すること」を賞賛することになる、ということが同等の説得力を持って言えてしまうではないか!
「性差別を容認しかねないから、それ自体性差別を主張しているわけでもない主張をやめろ」と言い立てることは、ポルノが性差別を助長しかねないからポルノを規制しろという主張を容認する道を拓くことになる。
また鳥山氏は他人を攻撃する際に「キリスト教的」人格だとか「母親と軋轢があった」などという憶測を不用意に述べることが多いが、このような直感的な壟断を語っていては、規制派が同じく直感的な壟断によって<オタク>や<ロリコン>や<ポルノ愛好者>について語るのを批判することが出来なくなってしまう。
さらにROSFが推進している『漫画リットン調査団』なる活動についてはどうだろうか?この活動は、あらゆる漫画に「この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません」「この作品は犯罪を教唆するものではありません。まねをしないでください」という表記をつけろと出版社に訴える運動である(まあなんて素晴らしい戦術。天カルなみの実効性だわ(爆)。鳥山氏は「そうした取り組みをせずに、作品中で裸体や性行為を描写しているのであれば、「漫画は性犯罪を助長している」という批判をされても仕方がないでしょう」と言っている。漫画が性犯罪を助長するのを防ぐ取り組みを始めることは、漫画が性犯罪を助長していると自ら認めることになり、規制への道を拓くのではないのか? (ちなみに、NHKの討論番組で“有害”番組の「真似をしないでください」というテロップに言及していたのを見たことがある。これに対する規制派側の言い分は次のようなものだった。「テロップは『言い訳すれば何をやってもよい』というメッセージを青少年に伝える効果がある」

これらは「科学を重視することがペドファイルに対する科学的処置を賞賛することになる」などの鳥山氏の妄言より遥かに関連性が強い。
なぜなら、鳥山氏の主張する前提と主張の関係は論理的なものではなく、おぼろげなつながりに過ぎないが、私が提示した上の4例は論理的に繋がっているからである。自分が科学を無視しながら他人の非科学的態度を責めるのは矛盾である。性差別を助長する主張(主張もまた表現である)をやめろと言いつつ性差別を助長する表現を容認しろというのは矛盾である。気に食わない者への偏見を平気で語りながら、自分達への偏見を否定するのは矛盾である。漫画が犯罪を助長するのを止めさせろと言いながら助長説を否定するのは矛盾である。
しかし、科学的な根拠を重要視しながら、科学的手段による強制的な人格改造に反対するのは別に矛盾ではない。反対理由は科学があてになるか否かとは別のところにあるからだ。漫画は素晴らしい、面白いといいながら犯罪の助長説を否定するのも矛盾ではない。犯罪を増やすかどうかと、楽しみや感動を与えるかどうかは別の問題だからだ。ポルノが性犯罪を抑制するという説には疑問符が付くが、女性差別を意味するわけではない。

再掲。
>規制反対を唱えている人間が、まるで規制推進派と見まごうような行動に出る場合もしばしば存在する。 (鳥山仁)

このような例が確かに実在するようだ。え?いや、誰とは言わないってば。

まあ、助長説に対する鳥山氏の反論でも見てみようか。
> たとえば、実写のポルノにはAV男優と呼ばれる性的技巧に長けた男性が登場し、高度なテクニックをカメラの前で実演してくれる作品が多数存在する。もしも、ポルノが強い影響力を視聴者に及ぼすのであれば、こうした作品を見た男性はセックスが上手くなってしかるべきである。
>
> ところが、離婚問題を扱う『東京家族ラボ』の池内ひろ美氏の説によると、現実の日本人男性の約80%には女性を性的に満足させる能力がなく、離婚の大きな原因となっているそうなのだ。この数値の是非は置いておくとしても、私の個人的な経験から推察するに、日本人男性には性的に劣位な存在が多いのは、ほぼ間違いのない事実だと思われる。
>
> 仮に日本がポルノ生産大国で、かつポルノが社会に強い影響を及ぼすのであるとすれば、こんな調査結果が出るわけがない。この一事をもってしても、ポルノが社会に及ぼす影響力の程度はうかがい知れるのだが、どうやらポルノが社会に過大な影響力を及ぼすと信じている人達にとって、こうした指摘はどうでも良いことらしい。
そらどうでもええわい。関係ないもん。
鳥山氏にとって、ポルノは影響があるか、さもなければ影響がないかであり、どのような影響がありどのような影響が無いのかという視点はどうでも良いことらしい。規制派に向かってはあまり言って欲しくない。
そもそもこんな理屈では、単なるセックスの技巧に対するポルノの影響さえも否定することができない。
鳥山氏は、(根拠と比較対象は分からないものの)日本人男性はセックスが下手だ、しかし日本はポルノ大国だ、よってポルノの影響は否定できるとしている。だが、ポルノが無ければもっと下手だったかもしれない。鳥山氏の論理には、統制群という考えが欠落しているのだ。統制群とは簡単に言うと「他の条件は同じで、影響を調べたい条件だけが違っている」調査対象のことだ。鳥山氏が想定している(どこだか分からない)外国は、もちろん統制群としては不適切である。なぜなら彼は「ポルノの影響など小さいものだ」と言い、かつ「日本人男性はセックスが下手だ」と主張することで、ポルノと無関係なセックス技術の国際格差が存在することを既に認めてしまっているからだ。バスケ部員にワールドカップのビデオを見せた→しかし彼らのサッカー技術はやはりサッカー部員には及ばなかった→以上の結果から、ビデオによるスポーツ教育の効果を否定することに成功した……だろうか?

ていうか君、「現実の性のあり方は多様であり、抽象化された単純な公式では割り切れない」って言ってなかったか?

ちなみに統計的には、国際比較上も時代比較上も、また国内の青少年条例の厳しい地方と甘い地方の犯罪率を比較した結果においても、ポルノの規制が性犯罪を減らすという説は否定されている。では増やすのかと言うと、北欧の例などそのように疑われる統計は存在するものの決定打には至っていない。(注:以上はポルノと性犯罪についての関連であり、暴力表現など、いわゆる有害情報全般の問題はまた事情が異なってくる)
ポルノと性犯罪の相関について語りたければ、このようなデータを使えば良いのであって、セックスのテクニックなど持ち出しても馬鹿扱いされるだけだ。

> 性的な技巧の優劣よりも、性と道徳の関連性や性と犯罪の関連性が興味の対象になるのは、彼ら自身が性的に劣位な存在である事の間接的な証拠である。同時に、それはポルノが彼らにほとんど影響を与えていない証拠でもある。

こういう認識の鳥山氏が、「合法的なアダルトビデオユーザーを対象とした調査結果を基に、「ポルノは性犯罪を助長しうるのか?」、あるいは「ポルノは性犯罪の抑止力たり得るのか?」という疑問を統計学的に明らかにしていく」そうなのだ。
ものすごく心配だ!!

そしていよいよ『摸倣問題』の登場である。ぱちぱちぱち。
>「ポルノは性犯罪を助長しうるのか?」、あるいは「ポルノは性犯罪の抑止力たり得るのか?」という疑問を吟味する際に、絶対に忘れてならないのが模倣問題である。それというのも、上記2つの問いかけはどちらも模倣行為を自明にしているからだ。
>
> 前者は犯罪的な内容のポルノ作品が模倣行為を誘発するのではないかという懸念の表明であり、後者は犯罪行為を模倣したポルノ作品が実際の犯罪を抑止する効果があるのではないかという期待の表明である。

早くも、忘れても何の不都合も生じないような気がひしひしとしてきたが。

>ところが、これらの懸念、または期待の大部分には、「それでは、何故に犯罪的なポルノを模倣するのか?」、または「何故に犯罪行為が模倣されてポルノたり得るのか?」という、もう一歩踏み込んだ問いかけが欠損してしまっている。

……そうだろうか?
ポルノの性犯罪助長説の背景となる仮説には、性的刺激、攻撃行動の学習、レイプ神話を含む女性差別的信念の伝播などの意見がある。
また抑制説の方にも、カタルシス効果、拮抗情動反応などが言われている。
むろん心理学的には疑問視されている説、学界の多数に否定されている説も多いわけではあるが、「問いかけが欠損して」いるなどということはない。
それでも鳥山氏にとってこんなものは問い掛けたうちに入らないのだろう。では、鳥山氏はどのような問い掛けをしているのか。

> 模倣行為が発生している以上、そこには模倣対象に「価値がある」と信じている人間が必ず存在する。たとえば、レイプを扱ったポルノ作品を観て、実際にレイプ行為に及んでしまった男性がいたとしたら、彼自身はレイプという行為に「価値がある」と信じていた、あるいは少なくともレイプ行為に「価値がない」とは思っていなかった事の間接的な証明となる。
>
> 同様に、レイプ行為を可能な限りリアルに再現しようというアダルトビデオ監督、またはプロデューサーがいたとしたら、その人物はレイプという行為に「価値がある」と信じている、あるいは少なくともレイプ行為に「価値がない」とは思っていないという間接的な証明となる。

知のパラリンピックやめい。
この文章は、通常の意味で「価値がある」「価値がない」という語を使っているとすれば間違っているし、そうでない特殊な意味なのであれば彼は「レイプをしたりレイプを真似た作品を作る心理を『レイプに価値があると信じている』と言い換えよう」とほざいているに過ぎない。「なぜ」という問いかけが欠損しているのはどっちだ?
この理屈だと、戦争の悲惨さを訴えようとリアル系戦争映画を作った映画監督は、戦争に価値があると信じていたことになるのだが。

> 要するに、模倣行為を自明としたポルノ性犯罪助長説やポルノ性犯罪抑止説は、「犯罪的な性行為に価値がある」という前提なしでは成立し得ないのである。同時にそれは、上記2説を唱える人間が、性犯罪に価値があると信じている、あるいはそれらの行為に嫌悪感を感じない人間のメンタリティを容認していることを意味している。

主体が変わっとるがな。性犯罪をした→ポルノを摸倣した→性犯罪に価値があると信じてる?のは犯人だろうが
なんで助長説や抑止説を唱えた人がレイプに価値を認めなければならないのか。

そして突然、鳥山氏は「摸倣問題」に過激派フェミニスト、アンドレア・ドウォーキンの名前を出す。
ドウォーキンはレイプ被害の実態を詳細に記述した。(一部の)ポルノも同じ事をしている。だからそれはポルノの摸倣だというのである!
ドウォーキンの批判は結構だが、悪口を言えばいいというものではない。

> その反対に、規制反対を唱えている人間が、まるで規制推進派と見まごうような行動に出る場合もしばしば存在する。
>
> 最近では、『ネオ優生学会』というふざけた名前のホームページ上で、児童ポルノ禁止法案に反対しているはずの執行明という人物が、『天使たちのカルテ』というタイトルで、医学書等に掲載されている実在児童の裸体画像を集めようという、スレッドを設立した事例が挙げられる。

先の鳥山氏の論理に従うと、鳥山氏はネオ優生学会の存在を前提にしているのでネオ優生学会に価値があると認めていることになるのだが。
それはともかく、何故に天使たちのカルテが規制推進派と見まごうのか?

> 執行の主たる目的は、児童ポルノ規制推進派に対する嫌がらせだそうなのだが、合法的な書籍、映像類から未成年者の裸体を発見しようという趣旨は、児童ポルノ規制推進派の主要な組織と見られている、『ECPAT/ストップ子ども買春の会』(俗称エクパット東京)が一九九六年七月に行った、「日本国内の書店、コンビニで販売されている『子どもポルノ』の実態調査」と何ら変わりがない

・・・からだそうだ。特殊な性欲の需要に応える情報を一般メディアから探すなんて、アブノーマルな性欲ではごくありふれた企画ではないか。
ちょっと探すだけでも、ほらこんなに。(ほんの一部。当然ながらまだまだいくらでもある)
嘔吐http://www1.odn.ne.jp/~cht21480/newpage7.htm
くすぐりhttp://www2.ask.ne.jp/~khrmts/ks-sk/media.html
小人http://www.bekkoame.ne.jp/~kobatan03/data.html
排泄
異性装http://bbs1.dk-style.jp/?id=nose&mode=
総合 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Hemingway/3972/

ロリコンものという嗜好に限ったとしても、今は亡きロリコン雑誌『アリスクラブ』(1988〜1999年)がやっていた企画だ。
では嬌風会のやった調査はアリスクラブの摸倣なのか?「摸倣問題」が発生しているのか?
嬌風会を肯定するつもりはないが、そんなことを言いたてても何の意味もない。規制派が一般メディアの中から気に食わない表現を探すという行為についても膨大な先例があるからだ。ポリティカリーコレクトネスを求める運動の人々は以前から、様々なメディアに差別や偏見の痕跡を見出してきたし、体系的な調査もしばしば行なった。特定の作品に抗議をし圧力を掛けることもよくある。ちびくろサンボ、ジャングル黒べえ、遊星より愛を込めて、狂鬼人間など、それによって問題化し改変・封印された作品も数多い。
要するに、それらの数限りない事例を漁り、ある一例より別の任意の一例のほうが先だなどと喚き散らしても何の意味も無いし、『摸倣問題』など存在していない。
言いがかりを付けるにしてもレベルが低すぎるぞ鳥頭

>この調査がエクパット東京とも深い関係を持つ、『日本キリスト教婦人矯風会』を中心に一九九五年の秋頃から開始されたものであるという情報を頭に入れておくと、彼の本質がキリスト教的な女性のそれと同質であることが理解できるようになる(これは推測でしかないが、執行は幼少期にキリスト教的価値観と接し、かつ母親またはそれに類する大人の女性と何らかの軋轢があったのだと思われる)。

マーリアさまのこーころー
それーは執行ー
わーたしたちを嫌すー
ひどーい執行ー

マーリアさまのこーころー
それーは執行ー
わーたしたちをろーん破ー
つよーい執行ー♪・・・・嫌じゃボケ!!

この国際化の時代にキリスト教的価値観と接しなかった日本人の若者なんてそうそういないし、どんな大人の女性ともいかなる軋轢もなかった人間というのも考えられない。要するに鳥山氏の意見は推測以前だ。「いつか日本で地震が起きます」というのに等しい。

>ドウォーキンと執行には、本人がその憎悪の対象とみられる存在を攻撃しているつもりでも、周囲からするとそれは憎悪対象の模倣でしかないし、実際に模倣以上でも以下でもないという共通点がある。

あんた、復讐殺人鬼に向かって「そいつを殺したらあなたも彼と同じよ!」とか叫ぶサスペンスドラマの年増ヒロインか?

「ポルノを摸倣して強姦罪を犯す」「性犯罪を摸倣した鬼畜系ポルノをつくる」「性犯罪の生々しい記録を残すことはポルノの摸倣」「天カルは児童ポルノの実態調査の摸倣」……摸倣という単語を無理に(しばしば誤って)使って種々の事象を混同しただけに見えるんだが。

まさか、単に私の悪口を言いたいだけのために「摸倣問題」とか言い出したんじゃないだろうな?

> 模倣問題の難しさ、及びにその危険性はこの二人に集約されていると私は考える。彼らのように無意味な状態に陥らないためには、繰り返しになるが、「ポルノは性犯罪を助長しうるのか?」、あるいは「ポルノは性犯罪の抑止力たり得るのか?」という疑問を吟味する際に、模倣問題をその主題として据える必要が生じてくる。

ホントに必要なのか摸倣問題。
データの方を早めに見たいんだけど。ま、期待しないで待ってますよ、鳥山さん。
ちなみに「レイプを摸倣したリアル系作品とそうでない作品のどっちが好きですかと聞いたらそうでないのが多かったから、ポルノは本物の性犯罪とは関係ない」とか言い出したらキレる。

(注:別に私はROSFの活動全てを否定しているわけじゃないよ。単に鳥山氏がアホだと言っているだけで。グリーントライアングルは評価する)