Case File11、ROSF(Rights Of Sex Fantasies)

知っての通り、私はいわゆる表現規制というやつを侮蔑している。
そういうものを推進したり支持したりする連中に侮辱と嘲笑のプレゼントを惜しまないし、このサイトでも『天使たちのカルテ』という破壊活動を行なっている。また反対派の人々とも意見交換をしている。 そして表現規制の反対派と賛成派では、平均を取れば反対派のほうが知能が高く、道徳的にもましな人物がやはり多いと思われる。私みたいなテロリストは例外だ。
大衆的な表現規制支持は、ワイドショーや低俗週刊誌の記事の稚拙な論理(たとえば“激増する少年犯罪”)に強く影響を受けている。これが既に彼らの頭の程度を示す証拠なのだ。こんな低級な報道さえ吟味する知性を持たない連中の主張する「有害情報」「健全育成」に何の意味があるのだろうか。彼らの意見の愚かさについては、旧優生学会の衆愚の花園Case file1file3file4を読んで納得してもらいたい。
一方、規制を推進しようとする政治家たちについてはどうだろう。素朴な愚民たちと違って、彼らならば見識をもって規制を進め、児童虐待の防止や青少年の健全育成に役立ててくれるのだろうか。
もし彼らが大衆の中の特に低質な連中と同じ信念を信じているなら、彼らも同レベルの愚か者だということになる。そうでないなら? それなら彼らは愚民を票稼ぎなり、(規制のための団体という)天下り組織作りなりに利用しようとしている利己主義者だということになる。
バカや利己主義者に他人の表現を禁止する権限を与えるよりは、同じようなバカに好き勝手にエロ漫画やAVや暴力番組を作らせておくことの方が、比較にならないほど安全なことなのだ。

だが、全ての規制反対派の発言がまともなわけではないということもまた事実である。
反対の声にだって凡言もあるし、愚かな行動が目立つこともあるのだ。例えばある有名な児童ポルノ法改正反対サイトには「漫画『ドラえもん』からは3年前の児ポ法成立以後、しずかちゃんのお風呂シーンがカットされているそうです」などと書いてある。誰が吹き込んだのか知らないが、そのような事実は全くない。てんとう虫コミックスには現在の版でもちゃんとしずかの風呂シーンは載っている。
そことは別だが、今回は反対派のなかでもかなり有名なサイト「ROSF(Rights Of Sex Fantasies)」について語ることにしよう。

正直、反対派を衆愚の花園に書くのに気がひける面もないではない。
しかし、規制派にはじめて指摘されてパニクるよりは、私が今ここで指摘する方がよっぽどマシではないだろうか。
というかこんなトンデモさんが反対運動において、どうでもいいだけならともかく明らかにおかしい自説を得意げに語り、ある種の権威的な地位を占めてしまっているという事態は見過ごせないものがある。
・・・などと、私みたいなテロリストの愉快犯がマジメぶってみても仕方が無いか。

もちろん、誰だって間違えることはある。
私も日記などに間違ったことを書いたことがある。(「ドラえもん のび太と宇宙刑事シリーズ」でバード星の初出時期を確認し忘れていたのは悔しいミスであった。バードマンの旧称がスーパーマンだと知ってはいたのだが・・・) 少数の細かい間違いは、それだけでは大したことではない。

だが、これ↓はちょっとどうか。

>ポルノグラフィティを所有している男性の10%チョイが

>この2名はラディカル・フェミニズムと呼ばれるフェミニズム団体の中でも、ポルノグラフィティを検閲しろと主張する

>たとえ自己の性癖とは相反する嗜好の持ち主であっても、ポルノグラフィティに関わる全ての人間を擁護する必要が

>反対する人々は、規制推進派をしばしば「ポルノグラフィティの破壊者」として誤認してしまうのですが

>「ポルノグラフィティを描くという行為は、社会的な妥当性があるのか?」と追求されているにも関わらず

>ポルノグラフィティを職業とする以上、あらゆる性癖に通じておきたい

ポルノグラフィティ弾圧の危機。
音楽を愛する皆さんは抵抗の声を。

しかし、あらゆる性癖に通じる前に、少なくともポルノを略さず言うと何なのかくらいには通じておくべきではないだろうか(笑
向こうの6月12日の日記に書いてある「執行明氏から単語のミスを指摘されたので、修正を行いました」とはこのことなのだ。
問題は、ポルノグラフィをポルノグラフィティと書き間違えたこと自体ではない(これはこれで相当恥ずかしいが)。それは単に笑えるだけだ。真の問題はこの間違いが、サイト開設から私が指摘するまで5ヶ月近くも放置されていたということのほうなのだ。そのあいだ訂正を受けたことがなかったということになるからだ。後述する、批判されるとすぐさまキレる鳥山氏の性格によって、イエスマン以外は彼の周囲から離れてしまっているのではないか。そして、仲間割れを恐れる反対運動の内部事情によって彼への批判が自粛されているのではないか。この懸念が、私がROSF批判を書くことにした理由の一つでもある。

余談になるが、実のところ音楽も規制を受けるのが、例えばアメリカでは常識であったりする。
歌詞が不道徳であるなどという非難は序の口であり、日本ではほぼ漫画・アニメ・ゲーム限定で言われている「少年犯罪を助長する」という意見も根強いのだ。特にヘビメタ等は規制が強く、年齢制限もかかっている。
ひどいのになるとジューダス・プリーストの曲のサブリミナル効果がマジで裁判で扱われたこともあるのだ。
もちろん一朝一夕で日本が同じ状況になることはないだろうが、将来的に規制がエスカレートすれば、ポルノグラフィティのCDが規制される日が来ることだって、有り得なくはないのかもしれない。が、反対運動を起こすには少々早すぎる(笑。
 
さて、ROSFのサイトでは、まず漫画関係者に対する罵倒が述べられている。
ROSFの主幹であり、現在までのところサイトの全ての文章を書いているらしい鳥山氏によれば、AMI(児童ポルノ法改正に反対する、主要メンバーが漫画家で構成されている組織)の改善を促すためにあえて罵倒したらしい。なんでも、横浜会議(2001年12月に開催された、児童ポルノ問題に関するイベント)の後で、AMIに対して内部批判が起こり、オタク系の人達の若干名(誰かは分からない)がAMIの改善を促すため、AMIを批判する憎まれ役をやってくれと鳥山氏に「遠まわしに」依頼した――というのが鳥山氏自身の主張である。
鳥山氏はそれを承諾し、その際のルールとして「1.AMIを潰さない。なぜなら漫画の擁護は漫画愛好者がやるべきだと思うから」「2.AMIを完全論破しない。その論拠やデータを規制派に使われてしまうから。」「3.ROSF独自の理論を構築しない。なぜならAMIに宮台真司や東浩紀が作り、彼らのつくる理論や戦略とROSFの理論が対立した場合、競争になって1や2の行動に出なければならなくなるから」というのを事前に決めていた、と言っている。

これは完全な自己申告である。かつ最初からアップされていた文章ではない。この主張にどの程度の後づけが含まれ、あるいは含まれないのか?
まず、ROSFに依頼するならともかく、ROSFを起ちあげる前の鳥山氏、つまりただの人(は、言い過ぎか)に「オタク系の人達の若干名」とやらが一体何を期待して「憎まれ役」を依頼したのか? ROSF結成とたまたまバッティングしたと書いているのを見ると、事前に結成を知っていたわけでもなさそうだ。「遠まわしに」とわざわざ書いてあるあたりも逃げの香りがしなくもない。妄想の香りもするけど。
そしてAMIは横浜会議にどう失敗していたのか? 私は直接行ったわけではないが、APPという規制推進団体のスタッフが言うには「会場は大入り」であったそうだし、そいつ自身の気分も非常に嫌されていた(嫌してどうするという考えもあるが)。AMIはエクパット関西という組織と共催で(エクパット関西が主催)漫画規制に反対するワークショップ(内容)を行なったのだが、ワークショップなどというイベントの何が成功で何が失敗なのか客観的に判断するのは困難であろう。随分と曖昧で反証不能なことを鳥山氏は理由にしているわけだ。

「ルール」の方を検討してみよう。
1は妥当だ。だが2以降に疑念を禁じ得ない。AMIの論拠を向上させたければ、シミュレーションバトルとしての論破はむしろやるべきことだと思える。論破したら規制派に同じ論法を使われてしまうというが、別にROSFがAMIを論破しなくても、同じ論法を規制派が独自に編み出さないという保障はどこにもない。むしろ完全論破をされかねないような論法を鳥山氏が思い付いたというなら、AMI側はその論法を事前に知って対策を練っておきたいところだろう。少なくとも私がAMI関係者だったならそう思う。そもそも規制派に知られるのが嫌なら、その部分だけ非公開にしてメールでも送ってやれば良いではないか。
3に至ってはお前は意見の違う人とは全面戦争しか選べんのかとか、それ以前に現に独自の(いかれてはいるが)論理展開書いてるだろというツッコミが入らざるを得ない。煽られ耐性の無い性格に自覚があったのならいいかもしれないのだが(なさそうだな・・・)。
>ROSFが独自の論理展開を開陳し、それが東氏や宮台氏の論理とバッティングをした場合、両者の関係が論理的な優劣を競うという意味で抜き差しならなくなってしまうからです。
>そうなると、ROSFとしても引っ込みがつかなくなるので、必然的に(1)や(2)の行動に打ってでなくてはならなくなります
ROSFの論理展開が東浩紀や宮台真司と対立したら・・・さっさと降参するのが最善の道だと思うぞ、鳥山氏。あんたの敵う相手じゃないって。ちなみに、掲示板などにおける最近の鳥山氏の書き込みを見る限り、どうも鳥山氏の方がAMI側の軍門に降っているように思えるのだが。ROSFサイトの初期のコラムには「フィクションだからOKなんて通用しない」と息巻いていた鳥山氏だが、私が某掲示板で、反対派にロリエロ漫画家がいることが外部の心証を悪くする可能性について言及した時には、フィクションだ!内心の自由の侵害だ!とキレてきたのだ(別に私はロリ系エロ漫画を描くのをやめろとも漫画家を運動から切り離せとも言ってないし、その意志もない)。

どうも鳥山氏は、単にAMIにケンカ売ったけど勝てなくて誤魔化しているように見えて仕方が無いのだ。1、2はAMIに勝てなかった言い訳、3は「お前は何もせずに批判してるだけ(当時)だろうが」という非難への言い訳と考えればしっくり来る・・・が、これ以上の推測は無理であろう。

それに、どうやら彼は書いた内容は本気であり、別に挑発のためのウソではなかったようだ。なぜなら、鳥山氏はこの文章をアップしたあとでも自説を撤回していないし、後に書かれた文章の中にも同様の鳥山日本語がしょっちゅう登場するし、何より批判されると速攻でブチキレるからである。
本気で書いているのなら遠慮なく批判できるわけだ。

さて、鳥山氏は漫画家および漫画ファンが精神的な歪みを持っていると主張し、3つの要素を挙げる。
その3つとは「本物問題」「生産主義」「視覚重視」である。
なにそれ、だって?
鳥山氏は新しい言葉を作りだして物事や社会を説明しようとするのが好きなのだ。しかし展開を読んでみると、月並みなことに意味ありげな名前を付けて、さも画期的なことを考えたような気分に浸っているだけであることに失望させられるのが常である。
私はかつてヒトシンカと名乗ってYahoo!掲示板を荒らしていた頃、同じようなタイプの人間を叩き潰したことがある。衆愚の花園Case file3、Tenngutakeだ。
では3つのキーワードを順番にみていこう。

1.『本物問題』

 たとえば彼はこのような例を挙げる。

>進行:(漫画家という人々は)どれぐらい駄目なんですか?
>鳥山仁:かなり。たとえばね、俺がつき合ったある絵描きなんかは、「本物を見ないと絵が描けない」って主張するんですよ。

>進行:まあ、まっとうな意見じゃないんですか?
>鳥山仁:でも、奴が参考資料として見てるのは写真なんですよ。

>進行:(腹を抱えて)ハハハハハ。
>鳥山仁:奴にとっては、写真が本物らしいんですよね。正直、「コイツ、頭の病院に行った方がイイよ」と思ったもん。

>進行:あー、うんちくを語った挙げ句に頭がおかしかったと。
(一部が赤字&フォントが大きいのはROSFサイトの表現を再現したものです)

私もこれは馬鹿な発言だと思う。まっとうと評されている「本物を見ないと絵が描けない」も含めて、だ。
だが、頭がおかしいというほどのものでもない。ただ凡庸に馬鹿なだけだ。この会話が雑談であるなら、この程度の不正確さは常識の範囲だろう。よりリアルなものを「本物」と表現することは別に頭の病院に行くべきことでも、漫画家特有のことでもない。少なくともドラマの主人公を脇役が「アイツは本物だ」とか言うよりは原義に近い使い方だと思う。

漫画家や漫画愛読者でなければ、「本物」なんて曖昧な抽象名詞を常に単一の意味で使っているとでも言うのだろうか?

さらに深読みすれば、漫画家は「本物を見ないと(良い)絵が描けないが実際には写真を多用せざるをえない」と嘆いていた可能性もある。それなら「本物」は全く適切な表現と言えるだろう(「絵が描けない」は不正確になるが)。いや、この人の論理の飛躍に付き合っていると、そこまで疑いたくなってくるのだ。

そして彼は同じような例をもうひとつ(その漫画家はヌーベル社のデッサン人形を資料に使うそうだ)挙げる。
その後でAMIの児ポ法改正反対の言説を、上の2例に「本物」という単語で強引に結びつけ、こう批判するのである。

>本人達は自覚があるんだか無いんだか分かんないですけど、漫画家や(漫画の)読者は「本物」の在り方をその場に合わせて変えているんですよね。そのルーズさが、漫画が好きな人達にとって居心地の良い空間を作ってるのは分かるんですよ。

「本物」という単語に鳥山氏個人がひどくこだわりを持っているだけとしか思えない。
そして、彼が気に食わなかった漫画家たちが、彼がこだわっている意味とは別の意味で「本物」という語を使ったのだろう。そこから鳥山氏が妄想した「漫画家に特有の歪んだこだわり」=『本物問題』ということなのであろう。

変えているもなにも、鳥山氏が例にあげた三者(写真を資料に使っている漫画家、デッサン人形を使う漫画家、AMI)は同一人物ではないではないか。そういうのは「変える」とは言わないのだ。「統一していない」と言うべきだ。で、普通はいちいち統一してないだろ「本物」なんて。雑談でまで言葉の正確さにこだわるのなら、自分も「変える」という語の意味くらいまともに使ってくれないだろうか。あと、ポルノグラフィティも。

最近、鳥山氏は5月27日付けの日記で「視覚が優位な人間」を批判して次のように言っている。
(視覚優位の人間は)場合によっては、複数の意味がある単語を、正確性を欠くという理由で劣ったものとして排斥さえしようとするのである。ほとんどの単語には、複数の意味が含まれるにも関わらずだ。
まったく同感だ。その言葉をぜひ自分にも当てはめてもらいたい。

ちなみにこの↓文章は意味が分からなかった。
>自分達のことを『選ばれた民』だとでも思ってるんですよね。売れる絵が描けるって言うのは、絵描きの世界じゃ一種のエリートだから。
(略)
>進行:それにウンザリしていると?
>鳥山仁:だね。それが一番に良く出ているのは、「漫画には読み方がある」って趣旨の主張かな? アレは酷い。

>進行:それが分からないと仲間に入れないぞってヤツですね。
>鳥山仁:うん。(漫画独自の文法が)無いとは思わないよ。でも、それを言い始めたらどうなるか、分かってんのかっていうのはあるね。

>進行:本物問題ですね。
>鳥山仁:そうです。

いや、なにが!?
AMIはじめ、規制反対の文脈に登場する「漫画には読み方がある」は、「漫画が読者にどのような受け取られ方をし、どのように影響を与えているかに関する正確な研究があまりにも進んでいない。特に規制派において」という意味にしか取り得ないと思うのだが。確かに、自分が好きな漫画作品を批判されて「お前らに何が分かる!」と怒る狭量なオタクは存在する。だがそれは規制反対の「漫画には読み方がある」とは別の話だ。
そこを勘違いしているのは分かるが、そうだったら何故「本物問題」に繋がるのか……ま、この人の文章に論理的整合性を求めるのは無理な話なのかもしれない。

2.『視覚重視』

鳥山氏は次のような現象を指摘し、漫画家および漫画オタクの「視覚重視」を示そうとする。

>鳥山仁:たとえば、こういう筆圧を強く直線的に描いた線を、彼らは「硬い線」って表現するんですよ。逆に、筆圧を弱くして撫でるように曲線を描くと「柔らかい線」って言い方になる。

>鳥山仁:硬いとか柔らかいって本来なら触覚の問題じゃない。肌触りの。それをわざわざ視覚として捉えるのね。

逆だろ。
筆で描いた線が本来視覚的なものであって、それを「硬い」「柔らかい」という触覚に関連する言葉で捉えてるんじゃないのか?
じゃあ「硬い音」といったら聴覚重視で、「やわらかい匂い」と表現したら嗅覚重視になるのだろうか?
これでは、どのように表現するかなど一切関係なく、ただ【何を表現するか】の時点で○覚重視が決まってしまうことになる。おかしいではないか。
まあ問題にしているのは漫画家であり、漫画家は線を手で描くわけだから、漫画の線を触覚的なものとしても問題がないのかもしれない。だが、それでも触覚的なものを硬い柔らかいという触覚的な言葉で素直に表現しているだけだ。視覚として捉えてなどいない。

さらに鳥山氏は続ける。

>こういうタイプの人と音楽談義しても面白いんだよ。音をイメージとして捉えようとするんですよ。その音を聞いてどんなイメージが浮かぶか、とか。

先ほどと基準が逆転している。
さっきの線の話では、線という視覚的なものを触覚的な言葉で表現することを「視覚重視」と呼んでいたはずだ。
それなのに今度は、音をイメージ的な言葉で表現することを「視覚重視」とみなしているのだ。だったら線を触覚的な言葉で表現することは「触覚重視」になるはずではないか!

私は鳥山氏のいる掲示板で、この「視覚重視」説に疑問を呈したことがある。
>114 名前: 執行明 投稿日: 2002/05/23(木) 03:41

>駄目だ。何度読んでもROSFの「視覚優位」説が納得できん。
>いや嫌悪感とかじゃなくて、数行に一回って頻度でハァ?って思っちゃうんだよ。

>例えば本物贋物だけど、反対運動で言う(←消し忘れです。レッツ脳内削除)例として出してる漫画家が反対運動家でもなんでもない(
>少なくともそうだとは書いてない)じゃない。こんな意味の広い一般名詞の使われ方が
>統一されてないって嘆くのも変な話だしさ。
>実物>写真>リアル系の絵>漫画絵というリアル(訳せば本物度か)さの序列があるのは
>ごく常識的な考え方でそれほど間違ってはいないわけで、雑談においてなら
>絵と比較して写真を「本物」と表現することがそれほど狂ってるとも思えないし。

>あと、硬い線と柔らかい線の話とかも。
>「硬い」「軟らかい」線というのは、筆で書かれた線という視覚的なものを触覚的に表現しているわけでしょ。
>これを視覚重視の根拠として出してくるのはおかしくない?
>「本来なら触覚の問題じゃない。肌触りの。それをわざわざ視覚として捉える」というが
>「硬い音」と言ったら聴覚重視で、「やわらかな匂い」と言ったら嗅覚重視になるのか?
>これだとどんな表現をしても、表現されるのが何かという時点で○○重視が決まることになる。
>仮にそれが正当だとしても、そうすると次で言ってる「音をイメージとして捉えようとする」
>という現象は表現法と表現されるものが逆になってしまう。
>じゃあ「やわらかい線」「硬い音」は触覚重視なのか?さっきまで逆だったじゃん?

>私から見ると鳥山氏の漫画オタク観は先入観でものを言っている、という印象が強い。
>マンガの擁護から批判に回らなきゃいけないという点については同意だけどね。

素敵なスピードで帰って来たのは次のような返答であった。
>115 名前: 鳥山仁 投稿日: 2002/05/23(木) 04:10

>執行明さん>
>だから、本物って何?
>何も答えてないだろ?
>先入観をひけらかしてるのは貴方の方で、
>批判にも何にもなってないよ。
>まじめに考えろ。

光の速さでキレないでくれ。
鳥山氏、あなたは2月10日付の日記で「彼ら(読者を含む漫画関係者)以外のポルノに関わる人間が、『そんな理屈は通じないよ』と忠告しても、彼らは聞く耳を持たないどころか『お前の言い方が不愉快だ』とか『お前には漫画は分からない』と逆ギレを起こす始末」と批判していたのではなかったのか?
それなのに自分の発言を批判されたらキレるのか? いや、キレるのが早すぎるぞ、いくらなんでも。
鳥山氏がこのページを読むことがあったら、今度こそ冷静さを保って批判に対処してもらいたい。
(ちなみに鳥山氏はこのBBSの管理者の一人であったし、全てのレスを読むことがまったく困難でない規模&レス数の掲示板であったので、「騙り」という可能性はほぼ完全に排除される)

この掲示板では、 鳥山氏がいきなりブチキレたので何とか機嫌を損ねまいとしたのだろうか、周囲の人がなんとかまとめようとしていた。「実物>写真>リアル系の絵>漫画絵」という序列は視覚的なリアリティの差なので、そういう序列を持ち出すこと自体が視覚重視の証拠になる、というのだ。鳥山氏は「こ、これだけ巧くまとまるとは思ってもいなかった・・・」などと喜んでいた。どうやら、リアル度の視覚的な差を認識すると視覚重視になってしまうらしい。

・・・いや、その前にちょっと待ってくれみんな。
執行明の視覚重視なんか示してどーするんですか?
別に鳥山氏は、ROSFサイトで私のことを話してたわけじゃないだろ?

さらにその前に、私は鳥山氏の言うような漫画マニアの例として適切な人物なのだろうか?
私が好きな漫画は黄金期の少年ジャンプなどのバトル系とシュールギャグに偏っていて、「萌え」には鈍感な方だと思うんだけど・・・。
つまり、私が視覚重視の実例であったとしたら、それは下手をすると視覚重視が漫画家や漫画マニアのみに偏った現象でないという事実の実例になってしまうのではないか?(そもそも、私は混乱を避けるために感覚を視覚に統一しただけなのだが。たとえば、音が鮮明で映像が劣化したビデオと、映像が鮮明で音が劣化したビデオを比較してどっちがよりリアルかを言い切るのは難しいからだ)。
この事実は、実は大抵の人間は視覚重視なのだという、心理学では言い古された問題の反映なのである。
映画館で画面を見ていると、映画の中の登場人物の口が映っている部分から声が聞こえてくるような気がする。ところが、何かの拍子に画面から目を離すとちゃんとスピーカーの方から台詞が聞こえてくるのだ。画面の効果によって錯覚を起こしてしまうのだ。また、普通の部屋をデザインはそのままで全て同じ角度で傾けたような部屋に人間が入ると、視覚と三半規管からの情報が混乱してバランスを取るのに非常に苦労してしまう。
では、なぜ人間にとって視覚がこれほど影響力を持つのか? それは、光が秒速30万kmという生物の行動範囲からすれば無限に等しいスピードと、優れた直進性を持っているために、他の感覚より圧倒的に迅速で汎用性の高い情報収集手段だからなのだ。
「視覚重視」は漫画マニアの歪みという狭い世界の現象ではない。生物進化の結果なのである。
 
また、同じスレッドで鳥山氏は「硬い線」「柔らかい線」の誤りの指摘に対して次のようにも反論してきた。

>だーかーらー、
>a.視覚で得たデータを触覚に置き換える(線の話)
>b.聴覚で得たデータを視覚に置き換える(音楽の話)
>ができるようにするためには、何が必要なんですか?
>置き換えが可能だと言うことは、
>視覚=聴覚=触覚ということでしょ?

視覚で得たデータを触覚の言葉に置き換え、聴覚で得たデータを視覚の用語に置き換えるのには何が必要か、だって?
そりゃ比喩表現の能力に決まっているじゃないか。それをどうひねくれば「視覚重視」が出てくるのだろう?
この理屈から視覚重視を出すとしたら、聴覚重視や触覚重視まで 同時に 出てきてしまうではないか。

「視覚重視」説はその後も改善されてはいないらしい。
もう一度5月27日付けの日記を引用するが、「想像と思考は違う。」という言葉で始まるこの日記ではさらにエスカレートしている。
この日記によれば、想像は「像」を「想」うことだから視覚的なものである。
対して思考は言語的なものであり、視覚の及ばないことを処理することが出来る。
それをもって彼は一足飛びに、視覚が優位な人は思考力がないと主張するのだ!
でも、これって想像力豊かな人は思考力が弱いはずだという理屈じゃないのか?

鳥山氏に聞きたい。
水泳が得意な人間は陸上競技が苦手なのだろうか?
筋力が強い人は知能が低いのだろうか?
もちろん、水泳と陸上の両方が得意な人だって沢山いるし、力持ちだったら頭が悪いなんてこともない。
「Aが優れていればBが劣っているはずだ」というのは、AとBに何を放りこんでも成り立つものではないのだ。
鳥山氏は忘れているのだろうか・・・・・漫画には台詞と擬音とストーリーがあるのだということを。
>こんな基礎的な話をしなければならないほど、一連の反対運動に荷担しようと名乗りを上げる人間の、脳みその程度は駄目駄目だと思うと、自分のやってることは無駄で無意味だとしか思えんね。
>お寒い限りだよ。
でも、下には下がいるもんですよね鳥山先生。(キユ)

もっとも、漫画は基本的に視覚芸術なのだから「漫画のプロやマニアに視覚的なセンスなり何なりが突出した人が多くなる」ということ自体は、ある程度は当然のことだろう。
しかし、だからといって、そこに至るまでの論理がぐちゃぐちゃで、さらに導かれる展望がトンデモであることが放置される理由にはならない。
それが規制反対運動に影響を持ってしまっていたりするなら尚更だ。

>鳥山仁:でも、俺みたいなのが漫画を読むっていうのは、癒しの効果を求めているのと違うわけです。現実逃避って意味では一緒だけど、別に漫画に癒されたいわけじゃない。

>鳥山仁:他人事っていうか、「こりゃ嘘だ」って大前提があるんですよね。そっから外れない。でも、コアな連中は違うんですよ。漫画にリアリティを求めたりするんですよ。

>鳥山仁:漫画に出てくるような目が口よりデカイ女が登場してきた瞬間に、俺だったら「こりゃ嘘だ」って思いますよ。もう、「ファンタジーの始まり始まり」って捉え方しかしないわけですよ。あくまで嘘として愉しむわけ。だから、リアリティーの部分は読んでいる間は保留をかけちゃいます。

>鳥山仁:だけど、彼ら(コアな漫画オタを指す)はそういう(目が口よりも大きい)女性にリアリティがあることを、多かれ少なかれ望んでるんですよね。それが、現実の代償の役割をしている部分があるから。それで、リアリティ論争になったりするわけです。

>進行:矛盾してますね。
>鳥山仁:してますね。凝り方が凄いと凄いだけ、矛盾が浮き彫りになってきます。着てる服とか、喋り方とか、現実の女の子を真似すればするだけ「で、何で目が口よりデカイの?」って事になってくる。

「お前には漫画は分からない」とも言われるわ。

リアリティというのは面白さをもたらすための方法の一種であり、リアルでない作品との変化付けでもあるのだ、という当たり前の考えがこの人には欠けている。
登場する女性キャラクターに変化をつける方法は沢山ある。天使の翼をつけてもいいし、耳や尻尾を生やしてもいい。ガンダムみたいな体に女の子の顔を乗っけてみるのも変化だろうし、セリフを極端に丁寧にするのもよくある手法だ。
だったら携帯を持たせたりルーズソックスを履かせてみようと考える作家が現れることの何が不思議なのだろうか?
彼にはこのことが分からない。漫画は現実逃避だ癒しだ、(漫画によくあるようなデフォルメをされた女性像以外の)女性のリアルな部分は漫画オタクは嫌いなはずだと思い込んでいて訂正がきかないのだ。だから「ファンタジーである漫画が現実から題材を取るのはオカシイ」という奇妙な考えに固執し、実際にそういうものが出てくると「何か特別な理由があるに違いない」と考え込むことになる。そして、その理由を無理矢理にでもこじつけようとするのだ。
こんなバカなことを言ってるから漫画家と喧嘩になったのか、漫画家と喧嘩になったからこんなことを考え始めたのか、おそらく当人にも本当のところは分からないだろう。

というか鳥山氏、あんたにとって漫画が嘘でファンタジーだと思うのは目が口よりデカイ女が登場してきた瞬間なのか?
ふつう読者ってのは、漫画である時点で「ファンタジーの始まり始まり」って捉えるもんだぞ? もしかして鳥山氏自身が「単にアニメ絵に偏見があるだけの視覚重視の人」なんじゃないのか?(笑

>鳥山仁:うーん………。一度、現実から嫌いな部分をスポイルしてから、敢えてワンポイントだけ(嫌いな部分を)戻したりするんですよ。それをキャラのフックにするんですね。

>進行:???
>鳥山仁:あー、やっぱ伝わらないか。そうですね、たとえば小学生ぐらいの女の子をワザと描いておいて、実は80歳のおばあさんでした、とか。

「見た目幼女の長寿キャラ」なんて、フリーザの最強形態がチビで細いのと何が違うんだか
 
3.『生産主義』

>児童ポルノ法改正反対運動に関して、私が憤りを抱いている価値観は以下の2点に集約されます。

>1:漫画やアニメの制作者や愛好者が、自分達の価値観を他者にも通じる(または通じない人間は愚か者だ)という視点でしか論理構築を行っていない。
>2:漫画やアニメの擁護者は、それらの制作、つまり生産主義を自明にしているために、論理的な袋小路に陥っている。

> 2月9日付の大激怒・sideAで叩いたのは(1)の方でした。しかし、本当に深刻なのは実は2番目の問題点

だそうである。
生産主義とは「『作ることは良いこと』だ、『作れる能力のある人間は優れた人だ』という価値観」、要するに「クリエイターマンセー」のことのようだ。まぁ芸術家なんてそんなものといえばそんなものなのだろうが、鳥山氏によれば、これは漫画好きの病的な一面である。
 
なぜこれが深刻な問題なのか?

>漫画、アニメ擁護論者がそれらのメディアに価値があると主張する背景には、それらの作品で感動したり心を動かされたり、つまり何らかの心理的な影響を受けたという経験があります。つまり、彼らは「漫画やアニメには、他者の心理状態に影響を与えるだけの力がありますよ」と宣言しているわけです。

>この言説が正しいとすれば、ポルノ漫画やポルノアニメにも同様の効果があることになります。つまり、「ポルノとしての漫画やアニメには、他者の心理状態に影響を与えるだけの力がある」ということになり、それはすなわち「ポルノとしての漫画やアニメは読者に悪い影響を与える潜在的な力がある」ということも意味してしまうのです。

ちなみに上の文章の大部分はこんな字で強調されている。
鳥山氏はここで「この矛盾を解消する方法はただ一つ。生産主義を捨てることです」と言う。だが私は思うのだが、ポルノであろうとなかろうと、漫画であろうと実写であろうと、創作物が人間の心の影響を与えること自体を否定するなんて、どう足掻いたって不可能ではないだろうか。
規制反対派の目的は規制反対である。漫画やアニメが読者に影響を与えるという動かしがたい事実を受け容れても、それが「規制」に結びつくまでにはいくつもの条件が存在する。それらを断てば良い、というかそれ以外に方法は無い。
でも鳥山氏は「方法はただ一つ。生産主義を捨てること」なんだよな・・・出来ることか出来ないことか、よく考えてからしゃべってくれ。

さらに鳥山氏は、
> 『児童ポルノ禁止法案』に反対する人々は、規制推進派をしばしば「ポルノグラフィティの破壊者」として誤認してしまう
と述べる。そう、彼にとって規制推進派はポルノグラフィの破壊者ではないのだ。
これは、規制推進派はポルノグラフィの全てを破壊しようとしているのではなく、単にポルノ制作過程における児童の人権侵害を防ごうとしているに過ぎないのだ、と和解を勧めているのだろうか?

違う。鳥山氏の名誉のために言っておくが、彼はその誤りだけは犯していない。
もっとヘンな方向に走るのである。

鳥山氏はポルノ規制推進派に、宗教団体・フェミニズム団体・保守的な地方人などがいると述べ、彼らの主張がポルノ規制という点以外の部分では相反することがあるという(ま、当たり前だ)。
> それでは、どうして相容れないはずの思想の持ち主達が団結しているのかと言えば、『児童ポルノ禁止法案』を「作る」という共通の目標があるからです。ここにも、私が以前から主張している『生産主義』がその醜い顔をのぞかせています。

> 『生産主義』とは「作ることに価値がある」、「作る能力に価値がある」、「作られたものに価値がある」という誤った考え方です。この考え方に取り憑かれ、『児童ポルノ禁止法案』を「作る」という行為に、そして「作られた」『児童ポルノ禁止法案』そのものに価値を見いだした諸団体は、敢えて対立するグループの教義や理論には目をつむり、共同で法律の制作行為にいそしんでいるわけです。

素直に「『ポルノグラフィの破壊』そのものに価値を見いだした諸団体は、敢えて対立するグループの教義や理論には目をつむり、共同でポルノグラフィの破壊行為にいそしんでいる」と考えれば普通に済む話では。

氏の根拠は、前掲した文のすぐ前に書いてある。
ただ単にポルノグラフィティというジャンルを破壊したければ、何も法律を「作る」必要はない訳で、勉強会やアジテーションを通じて、ポルノの無価値性や危険性を流布してゆけば事足り」るからだというのだ!
それが無理だったから法律作ろうとしてるんだろ。
もし彼らの活動が勉強会やアジテーションだったら?そしたら鳥山氏は『宣伝主義』とかなんとか名前付けるかも(笑

>ROSFでは、規制推進派を「法律制作グループ」であると認識することを推奨します。

>そうした認識を持つことで、次の展開が見えてくるからです。

この日の日記はここで終わっている。この煽り文句。期待させるではないか。

「次の展開」とは何か?
 
鳥山氏は「生産物」である、すなわち生産主義に毒されている(生産主義の定義が変わってるぞ、鳥山氏!)ところの「近代法の特質」として「つくれる」、「変えられる」、「社会変革ができる」、「輸出できる(他国に真似させられるということ)」、「簡単に壊せない」、「人間を疎外する」という6つの点を列挙するのだ。

すいません。『近代法』に特徴的なのがひとつも無いってどうよ?
近代法の特質ってふつう三権分立とかそういうのを言いませんか?
なんでこんなのを近代法の特徴だ、と鳥山氏が言い出したのかは、文章を読めばすぐに分かる。鳥山氏はこれらの特徴を、はるか昔の「掟」や「しきたり」と対比させて特徴づけているのだ。そして「近代法の特質」として上記の6つ。
はいもう分かりましたね、鳥山氏が何を誤解しているのか。
×近代法→○成文法
近代法と成文法の区別も付かないウルトラドキュソが法律語るなよ・・・・(泣
成文法は古代社会にいくらでも存在するが、近代法は近代のものである。これを鳥山氏のように間違えると、ハムラビ法典とか十七条の憲法とかが近代法になってしまう。

ここで、別のジポネットという規制反対サイトの掲示板における彼の発言を紹介していきたい。

>64  鳥山仁  2002/07/04(Thu) 05:47

>執行さん>
>書き込みの削除や別サイトへの誘導は、科学的根拠に基づいて行うわけではない。
>xxxxx氏が既に書いているように、非合法的な行為に手を染めている人間とは共闘できないと言う、
>極めて法学的根拠からなされている事柄である。
>その法学的な根拠に基づけば、
>「ポルノ規制が性犯罪の増大に結びつく」
>という意見は社会に対する恫喝であり、許容されるべき発言ではないことが、
>理解できるようになるはずである。

>また、仮に執行氏がこの意見に基づく論破が快感だとするなら、
>それは「科学的な根拠に基づいて、社会を恫喝することは快感である」
>のと意味的に同義であり、そうした行為を推奨していると見なされても仕方がない。

>前から述べているように、この問題に取り組むのであれば、
>科学的な解析よりも意味的な解析の方が重要である。
>そうでなければ、反社会的な人格は「科学的に処理すべきである」という、
>一部の人間が有している危険なアイデアを賞賛することになってしまう。

お前は「法学」という語の意味自体分かっているのかと。
法学って言いたいだけちゃうんかと小一時間ほど突っ込みたいところである。
で、法学的根拠に基づくとなんだって?ポルノの性犯罪抑制説が社会に対する恫喝になる?というか恫喝罪なんて無いぞ。脅迫罪とか恐喝罪とか強要罪とかはあるけど。民法には強迫ってのもあったっけ。
願わくば鳥山氏が規制派と会談などやらかす際、「ポルノが性犯罪を助長しているだって!そんな意見は社会に対する恫喝だ!法律違反だ!」などと言い出さないことを祈るばかりである。神様オネガイシマス(;´Д`)
こんな人が「私は別に法学者になれと言っている訳じゃありません。最低限の知識を要求しているだけです」なんて言っているのだ。いや笑い事かこれ?大丈夫か反対運動。

さらに、科学的な解析を重視することが「反社会的な人格は「科学的に処理すべきである」という、一部の人間が有している危険なアイデアを賞賛することにな」るという発言。いい味を出している。科学しか共通点ないよ。
科学的な解析を重視しないからトンデモになるんだよ、鳥山さん。

また鳥山氏はROSFサイトで、どこで知ったのか天賦人権と国賦人権の概念を紹介した上で、青環法案の元凶は国賦人権説にあり、国賦人権説の支持者か天賦人権説の支持者かで敵味方が分かるのだ、という論を展開している。
で、この説を肯定的に紹介している規制反対者のページをたまたま発見して読んだことがあるのだが、なんとその人は「私が国賦人権説の持ち主であるということに気付きました」などと書いていた。気付かせてくれてありがとうと言いたいんだろうが・・・
気づけよ!あんた自身が鳥山の説の反例であることに。

話を戻そう。
鳥山氏は、鳥山的「近代法の特質」の中でも特に児童ポルノ法にとって重要なのが4番目の「輸出」だという。
児童ポルノ法は外圧によって作られたという面があり、またそれ故に無茶な論理が正当化されようとしているからだ、と(ちなみにこの点は正しい)。
さてここから導かれる次の展開とは・・・・え?終わり?

これだけ。
破壊者でいいよ(;´Д`)
 

・・・以上。
見てきたように、鳥山仁氏には十分な知識もなければ、最低限度の論理的思考力さえもない。
あるのは断片的な知識を妄想で繋げ、もっともらしく述べているだけのただの妄想特急である。その勢いにはほとほと感服するが。
M・ガードナーが名著『奇妙な論理』のなかでコージブスキーを評した言葉が、鳥山氏には見事に当てはまっているように思える。曰く「彼が正気である部分では彼は独創的ではなく、彼が独創的である部分では正気ではない」。
要するにトンデモさんだ。

だが、漫画オタクに偏見を持つ鳥山氏がトンデモであったからといって、多くの漫画ファンの、今までの弾圧に対する行動が正しかったことには決してならない。
ヒステリックな規制団体如きに好きな漫画のセリフを改竄させられたり、欠番にされたりして何もできずにいるというのは、他ジャンルのマニアとの比較はどうあれ、やっぱり情けないことなのだ。そう私は思う。
 

追記:
最後に、鳥山氏の執行明批判について触れておこう。ある個人掲示板の彼の書き込みから転載。
>それから、執行氏は別にガリレオじゃないですよ。
>彼は自分のサイトに表記しているように、ヒトラーごっこがしたいだけです。
>もっと踏み込んで述べるなら、彼はヒトラーを模倣することで、
>他人から承認されたいだけです。

>で、私が怒っているのは、彼のつっこみが鋭いからではなくて、
>彼がヒトラーごっこを止めない点にあります。
>優れた分析力と判断力を持っているなら、
>あんなサイトは絶対に公開しないと思いますよ。

>あのサイトさえ無ければ、彼が主要メンバーがほぼ全員から、
>電波認定を受けることは無かったと思います。
>少なくとも、私は彼を叩かなかったでしょうね。

私のことを馬鹿だとか意味オンチだとか攻撃してるのはあんた1人だろ?
結局、執行のつっこみは鋭くなんかない!あいつは分析力も判断力もないんだ!と批判者を攻撃しているわけである。
ちなみにジポネットの掲示板で、彼は私に対して次のような罵倒をしている。

>この程度の下調べもせず(鳥山氏の妄想)に、科学的な根拠を振りかざして、
>異説を唱えることそのものがおかしいんだ。
>だから貴方は周囲から馬鹿扱いされるし、意味オンチだと思われているんだよ。

私がジポネットの指導格幾人かの意見に対して異説を唱えたのはネオ優生学会においてではない。ジポネットの掲示板でのことだ。
私が「意味オンチだと思われ」ている理由とやらはジポネット掲示板での発言なの?ネオ優生学会なの? どっちよ?
 

行き当たりばったりの中傷してんじゃねーぞ、この鳥頭が。
 

さあ、続報『鳥頭紀行』に続く。