イタリアのマスター・ヴァイオリン

このページでは、イタリアにおけるヴァイオリン製作の始祖(オールド)から近代(モダン)までのマスター・メーカーについて解説します。黎明期から近代まで、イタリアは傑出して多数の優れたマスター・メーカーを輩出しています。何故なら、ヴァイオリン製作発祥の地はイタリアのクレモナ(Cremona)とブレシア(Brescia)であり、常に製作技法で先んじていたからです。以下、イタリアのマスター・ヴァイオリン(およびヴィオラ、チェロ)を、製作年代ごとに下記のように分類し、ご説明致します。


モダン・イタリアン

Giuseppe Pedrazzini
Milano, 1924
このメーカー特有のパターン、師匠ロメオ・アントニアッツィの影響が現れているエッジやスクロールの仕上げ方など、典型的なペドラッツィーニ(ペドラツィーニ)。これ以上ない保存状態で、このメーカーの何たるかを知ることにも適した貴重な一挺。
Annibale Fagnola
Torino, 1924
深紅のニスが印象的なファニョーラ(ファニオラ)。この手のニスはトリノ・スクールによく見られ、このメーカーも割とよく用いた。御多分に漏れず、本人のラベルの下に、1827年のプレッセンダ(プレセンダ)の複製ラベルが貼られている。

20世紀の前半を中心に、主にイタリアで製作されたマスター・ヴァイオリン(およびヴィオラ、チェロ)のことを、一般にモダン・イタリアン(またはモダン・イタリー)と総称します。この呼称はあくまで慣習に過ぎず、明確な定義はありませんが、ここでは以下に該当するマスター・メーカーによる作品をモダン・イタリアンと考えます。

  • 国籍または主な修行地がイタリアである
  • 戦前に生まれ既に鬼籍に入っている
  • 製作活動を行った時期に20世紀を含む
  • G.F.Pressenda 以降をモダン・イタリアンとする定義もありますが、ここではそれらの楽器を含めないことにします。

モダン・イタリアンの核となる代表的なマスター・メーカーとそのスクールは、Stefano Scarampella (1843-1924)を代表とする Mantovaスクール、Leandro Bisiach (1864-1945)およびそれに協力した多数のマスター・メーカー達によって大成功を収めた Milanoスクール、Annibale Fagnola (1866-1939)を代表とする Torinoスクール、Augusto Pollastri (1877-1927)を代表とする Bolognaスクールなどが挙げられます。この時代になると、もはやギルドは完全に消滅し、かつてとはスクールの意味合いが異なると考えた方が良いかもしれませんが、やはり作風の共通性は読み取ることができます。

モダン・イタリアン全般の典型的な特徴としては、音量と表現力に優れていること、つまり実用性が高いことが挙げられます。コンサート・ホールの隅々まで浸透する音量と、高度な音楽表現の欲求に確実に応えるポテンシャルが、支持を受ける理由に他なりません。

この一端を示す事実として、モダン・イタリアンは20世紀の名演奏家達から製作注文を受け、愛用され、あるいはレコーディングに使用されていました。A.Fagnola の楽器は A.Grumiaux によって、Marco Dobretsovitch (1891-1957)の楽器は J.Kubelík、B.Huberman、J.Heifetz によって、Marino Capicchioni (1895-1977)の楽器は D.Oistrakh、Y.Menuhin によって愛用されていたことは、そのほんの一例です。彼らは例外なく名器の頂点にある A.Stradivari や Guarneri del Gesù も所有していましたから、それらと持ち替えても違和感なく演奏を行える性能が評価されたとも言えるでしょう。

モダン・イタリアンの中心的な価格帯は2008年現在300〜1500万円前後であり、メーカーの力量・人気により、相場価格は異なります。最も評価が高いのは S.ScarampellaA.Fagnola、および各スクールの筆頭となるメーカーなどです。

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セミ・オールド・イタリアン

Vincenzo Postiglione
Napoli, 1874
ナポリ・スクールにおいては実はやや異色のメーカーで、ガリアーノ・コピーの名手であった一方で、クレモナ・スクールの名器にも傾倒し、それらのモデルも製作した。こちらはアンドレア・ガルネリの影響が感じられるヴィオラの傑作。
Giuseppe Antonio Rocca
Torino, 1840
現在の研究では、ロッカは1838年にメーカーとして独立したと考えられている。初期にはプレッセンダ(プレセンダ)・モデルが多く、この楽器も典型的な初期の傑作である。前述のファニョーラ(ファニオラ)のパターンと比較すると面白い。

ここでは、Giovanni Francesco Pressenda (1777-1854)以降、19世紀末までにイタリアで製作されたマスター・ヴァイオリン(およびヴィオラ、チェロ)をセミ・オールド・イタリアンとして分類します。

  • 前述の通り G.F.Pressenda 以降をモダン・イタリアンと分類する考え方もあります。歴史学上のモダン(近代)の区切りも、18世紀末〜19世紀初頭頃と考えるのが一般的です。一方、モダン・イタリアンという言葉からイメージするのは、もっと新しいヴァイオリンであるという意見も少なくないため、ここではオールドとモダンの中間に分類を設けました。

この時代における G.F.Pressenda に代表される Torinoスクールの楽器は、 A.Stradivari 以来と言えるほどの高い実用性を実現した点において、特筆すべき存在です。Cremona 黄金期の頂点を担った A.Stradivari と Guarneri del Gesù 以降のマスター・メーカー達は、各々が最良と信じる製作スタイルを貫きましたが、総合的な実力でこの2大名器を凌駕することは叶いませんでした。これに対し G.F.Pressenda は、2大名器の実力を再び見直し、それに負けない美しい音色と力強い音量をバランス良く発揮させる製作スタイルを確立しました。このことから、いずれ寿命を迎え失われていくであろうオールド・イタリアンに代わり、次世代の最高の名器の座に就くのは G.F.Pressenda であろうと言われています。同様の思想は Giuseppe Antonio Rocca (1807-1865)など、これに続くマスター・メーカー達に引き継がれ、モダン・イタリアンへと繋がる源流のひとつになります。

  • Torino は地理的にイタリアとフランスの交易の中継点となる地域です。この頃フランスでは、A.Stradivari を中心とする Cremona 黄金期の名器を高く評価する、今日に繋がる価値観が支配的となり、イタリアからそれらの名器が大量に持ち込まれました。当時の Torino のメーカー達は、こうした時代の流れを察知できる環境に恵まれていたという背景があります。

その他の代表的なスクールとしては、Enrico Ceruti (1808-1883)から Gaetano Antoniazzi (1825-1897)へと繋がり、その後の Milano での隆盛の原点となった Cremonaスクール、Gaglianoファミリーの子孫や Lorenzo Ventapane (w.1790-1843)らによる Napoliスクール、Raffaele Fiorini (1828-1898)が再興の祖となった Bolognaスクールなどがあります。 なお Torino では、 Antonio Guadagnini (1831-1881)や Francesco Guadagnini (1863-1948)など、Guadagniniファミリーの子孫も製作を行っていました。

この時代には、オールド・イタリアンの延長としての性格が強い楽器と、モダン・イタリアンの先駆けとしての性格が強い楽器が混在するのが特徴と言えます。前者は、メーカーの個性が存分に発揮された楽器で、メーカー独特の音色を追い求めて製作されています。Napoliスクールはその典型と言えるでしょう。後者の典型は Torinoスクールや Bolognaスクールで、バランス重視で実用性に軸足を置いているのが特徴です。特に Torinoスクールの楽器は、上質な音色でソロ用途にも申し分ない音量を備えているため、ソリストを含む多くのプロフェッショナル演奏家が、メインの楽器として使用するケースも多いです。

セミ・オールド・イタリアンの中心的な価格帯は、2008年現在600〜4500万円前後です。中でも特に G.F.PressendaG.A.Rocca を中心とする Torinoスクールの作品は特に高く評価されています。

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オールド・イタリアン

Alessandro Gagliano
Napoli, 1734
ガリアーノ・ファミリーの頂点に相応しい最高傑作で、保存状態もほぼ完全な一挺。パターンは確かにアレッサンドロだが、通常より低めのミディアム・アーチと、潤沢に残るオリジナル・ニスがいずれも極めて美しく、クレモナ・スクールとの関連を想起したくなる。
Giuseppe Guarneri del Gesù "Camposelice"
Cremona, 1734
音質、保存状態、外観の迫力と、非の打ち所のないデル・ジェスの最高傑作のひとつ。真贋に疑いの余地のないデル・ジェスは希少だが、この一挺にその考慮はまったく不要である。Ruggiero Ricci、Cho-Liang Lin などに愛用された名器。

ヴァイオリン製作の始祖である Andrea Amati (1505-1578)に始まり、 Lorenzo Storioni (1751-1802)と Giovanni Battista Ceruti (1755-1817)の世代で一旦幕を閉じる、18世紀末頃までにイタリアで製作されたマスター・ヴァイオリン(およびヴィオラ、チェロ)のことをオールド・イタリアンと総称します。

Andrea Amati の孫 Nicolò Amati (1596-1684)が、Guarneriファミリーの始祖 Andrea Guarneri (1626-1698)や Antonio Stradivari (1644-1737)などを始めとして、素晴らしいマスター・メーカー達を多数育てたことにより、 Cremona におけるヴァイオリン製作は空前絶後の黄金期を迎えます。その後、各ファミリーや弟子達は独立して各地に移住し、それぞれの地に Cremona の製作技法を伝えます。やがて、地方ごとにスクール が形成され、オールド・イタリアンの多様性を彩るようになりました。

この時代の代表的なスクールは、N.Amati や A.Stradivari を筆頭とするCremonaスクール、ヴァイオリンのもうひとつの起源を担った Gasparo da Salò (1542-1609)を筆頭とする Bresciaスクール、GrancinoファミリーとTestoreファミリーを中心とする Milanoスクール、Gaglianoファミリーを中心とする Napoliスクール、Sancto Seraphin (1650-1728)、Matteo Goffriller (1670-1742)、Domenico Montagnana (1683-1760)というチェロの名工達が揃い踏みするVeneziaスクール、P.Guarneri di Mantova (1655-1720)を筆頭とする Mantovaスクールなどが挙げられます。

オールド・イタリアンの魅力は、その素晴らしい音色に尽きます。この時代のマスター・メーカー達にとっての基準は、N.Amati および A.Stradivari という完成し尽した楽器でしたから、メーカー自身の審美眼も自ずと厳しくなり、他と一線を画す質の高い音色はもちろん、外観も美しく製作されました。古さだけが価値を高めている訳ではないので、その他の名もなきただの古い楽器とは根本的な違いがあります。最良の楽器を求めると、誰もがほぼ例外なくオールド・イタリアンに行き着くことは、どうあっても否定できません。

オールド・イタリアンの価格帯は、2008年現在1000万円〜です。Carlo Bergonzi (1683-1747)や Giovanni Battista Guadagnini (1711-1786)など、特に音量のあるメーカーは高価で、最近ではオークションを通じた取り引きでさえ、1億円を超える場合があります。

  • 2005年のオークションで C.Bergonzi が 568,000ポンド(当時約1億1700万円)で落札されています。

そして皆様ご存知の通り、A.StradivariGuarneri del Gesù (チェロの場合は加えて S.Seraphin、M.Goffriller、D.Montagnana)は特別で、余程の問題がある個体を除けば最低で億単位からの取り引きとなります。これに限らず良質なオールド・イタリアンについては、市場に出回ることが少なくなる一方であり、売り手市場の傾向を強めています。

  • 2008年現在、オークションでの落札価格のワールド・レコードは2006年、1707年製 A.Stradivari "Hammer" の3,544,000ドル(当時約3億8870万円)です。
  • Guarneri del Gesù の現存数は少なく、A.Stradivari の600挺前後に対して100挺未満と考えられているため、需給原理でさらに高額になる傾向があります。
  • 1716年製 A.Stradivari "Messiah"、1743年製 Guarneri del Gesù "Canon" など、価格の付けようのない個体も多数あります。
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