PJ: 大谷 憲史
【宮崎口蹄疫】小丸ラインを死守せよ!=宮崎県高鍋町
2010年05月15日 06:08 JST
高鍋の大楠よ、このような状況はいつまで続くのだ(舞鶴神社・宮崎県児湯郡高鍋町 5月14日 撮影:大谷憲史) 
【PJニュース 2010年5月15日】5月14日、農水省は口蹄疫の87例目〜91例目の疑似患畜を確認した。宮崎県児湯(こゆ)郡川南町の肉用牛繁殖農家5件で合計109頭。殺処分の対象は8万366頭となった。このようななか、少しだけ明るい話題が。
川南町と高鍋(たかなべ)町とを分けるように小丸川が流れている。小丸川の上流には、九州最大規模の小丸川発電所がある。純揚水式発電で、最大出力120万kWを誇る。
この小丸川を口蹄疫ウイルスが越えないようと、消毒ポイントでは連日防疫作業が続いている。高鍋町には、「宮崎牛」のブランドを支えている種牛がいるからである。
高鍋町の宮崎県家畜改良事業団で飼育している種牛は55頭。そのうちの「福之国「勝平正」「忠富士」「秀菊安」「美穂国」「安重守」の6頭が13日、口蹄疫の被害から逃れるために、西都市の仮設牛舎に移された。移動制限区域内ではあったが、農水省との協議の結果、特例で移動が認められたことで、関係者は、これで宮崎牛のブランドを維持できると安堵した様子。
高鍋町は、古く奈良時代に城が築かれ、江戸時代には秋月家3万石の城下町として栄え、明治以降は児湯地方の中心都市であった。また、第7代高鍋藩主秋月種茂公によって創設された藩校「明倫堂」から多くの人材を輩出し、教育の町としても知られている。高鍋で生まれ育った方々は、歴史と文教の町に生まれて良かったと誇りを持っている。
そのような風土のなか、県家畜改良事業団のみなさんは種牛55頭すべてを移動したかったことだろう。しかし、苦渋の判断のなか、農水省との協議で6頭の種牛を守ったことは、県内の和牛農家からも評価を受けている。
しかし、見えない口蹄疫ウイルスは、今後、小丸川を渡って南下するかもしれない。ここが突破されたら、宮崎市佐土原町にも拡大しかねない。
高鍋藩の城があった舞鶴公園内の舞鶴神社には、樹齢500年ともいわれる「高鍋の大楠」がある。樹高16m、幹の回り10.3mの堂々としたクスノキである。この高鍋の守り神といってもよいだろう。舞鶴神社で、「これ以上、口蹄疫の被害が拡大することがないように」と祈って、高鍋を後にした。
いつ終わるとも分からない作業は、これからも続く。【了】
■関連情報
【関連サイト】
○宮崎県「口蹄疫被害に対する義援金を募集します」
○宮崎県「ふるさと宮崎応援サイト」
○農林水産省「口蹄疫に関する情報」
○宮崎県「口蹄疫に関する情報提供」
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