ブラジル日本移民100百周年史編纂委員会(森幸一委員長)から「常識が通らない人」と言われた執筆者の田中規子氏。原稿提出の期限を守らなかっただけではない。3月に農業編のコーディネーター(調整役)を解任されたとき、他の執筆者が田中氏に提出していた原稿をすべて同委員会に引き渡すよう指示された。田中氏は印刷された紙原稿を森委員長に渡したものの電子データは渡さなかった。通常、執筆者が手書き原稿の場合ならともかく、パソコンで原稿を打ち込み、電子データで提出しているのがほとんどだ。このため、同委員会事務局は再三にわたり電子データの引渡しを田中氏に依頼したが、未だに提出していないという▼田中氏は、「執筆者の原稿は私が預かったものだから」という趣旨の説明をし、引き渡しを拒否したというが、理由にならない。執筆者は同委員会の依頼を受けて原稿を執筆したのであって、田中氏はコーディネーターという役柄から窓口になっただけの話である。それが、コーディネーターの職を解かれたのであれば、当然、電子データも同委員会に戻すのが筋だろう。事務局では電子データがなければ、作業に支障をきたすため、田中氏が残した執筆者名簿を頼りに執筆者に直接連絡をした。ところが、不完全な名簿で連絡がなかなか取れなかった。これでは、コーディネーターが務まるわけがない▼そして、今月3日、自らの未提出分の原稿の約半分を同委員会にメールで届けた。本来の締切日を守らず、3日遅れの提出でしかも残りの原稿をいつ提出するのかも言わずにである。いくら辛抱強い森委員長でも堪忍袋の緒が切れて当たり前だろう。常識のある人なら、締切日前に原稿提出が遅れることや残りの原稿の入稿がいつごろになるのか、説明するだろう。依頼された原稿はよほどの遠隔地でない限り、電子データに印刷した原稿を添えて提出するのが、印刷物を制作する場合の決まりごとだ。それを知らない研究者も珍しい。さらに言えば、他の執筆者の原稿は印刷した原稿だけを同委員会に提出したのに、自らの原稿は電子データで渡しているのは、整合性がない。この食い違いをどのように説明するのか▼ご都合主義で、その場しのぎの対応に、同委員会の人たちだけでなく、誰もが首を傾げざるを得ない。(つづく、鈴)
2010年5月12日付
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