五・一五事件から78年か。
首相官邸を占拠して放送局や警視庁・変電所などを制圧しようと試みた国家改造運動だった。
首相官邸を急襲した主導者だったのが三上卓・海軍中尉。
子供の頃、父親に連れられて練馬の自宅によく遊びに行ったものだった。
父親とは同郷だったこともあり、親しい間柄だったらしい。
二人でどんな話をしていたのか、私には分かるはずもなかったが、家で飼っていた白い犬を相手に時間をつぶしていた記憶があるくらいで、
小学生の私としては、三上卓本人についてはそれほど強い印象を持っていなかった。
昭和7年2月に首相に就任した犬養毅が軍縮に積極的だったという事であったが、当時の経済的に疲弊し状況においては、
政権を倒すことが目的であり、犬養でなくてもよかった訳だ。
「まあ、話せばわかる」「問答無用。撃て」で、銃撃した訳であるが、これが民主主義・政党政治を崩壊させたと言われている。
コッチは殺害する事を目的に行っているのであるから、今更話すことなんかある訳がない。
私だって鳩山を殺しに行ったなら官邸の食堂で出くわそうと、今更お話しなんかする事はないだろう。
話したいことがあれば、今の内に面会に応じておれば良いわけで、下らん命乞いに付き合うつもりはない。
判決では懲役15年だったが、4〜5年で社会復帰を果たしていたと思う。
当時の社会情勢に鑑みて多くの嘆願書が提出された。世の中が彼らの行動に対して好意的だった。
これをして、4年後の二・二六事件では決起将校等が事態を軽く考えていたという事もあるだろうか。
私の父の葬儀では三上さんの奥さんも参列してくれていたが、従姉妹である私の母は彼女の事をあまり良く思っていない。
「よくもあんな人を私に押し付けて」、と生涯浪人の父を紹介して仲人したことを恨んでいる。
が、三上卓夫妻がいたから、現在此処に私が存在していることは間違いのない事実らしい。