衆議院を解散し、「奇妙な安定状況」を打破せよ(その2)=御厨 貴中央公論5月12日(水) 14時 8分配信 / 国内 - 政治だがそれは、見事に裏切られた。実際にやったのは、小泉政治同様、既存のシステムや「暗黙知」をただひたすらに壊すことであった。むしろ、破壊を加速させることさえした。今、民主党が支持のつなぎ止めに最も期待するのが第二次「事業仕分け」であることは、そうした本質を象徴して余りある。 よしんば「仕分け」の結果、民主党が皮算用するような多額の「埋蔵金」が見つかったとしよう(その可能性は低いと思われるが)。ではその金を、民主党はいったいどこに優先的に振り向けようというのだろうか? そこのところが、われわれにはさっぱり見えないのである。 「理念なき若返り」に走ろうとする自民党もそうであり、結果的に小泉手法を真似る民主党もしかり。みんながみんな政治のつくり方のノウハウを忘却した状況に堕しているのが、日本の政治の現実なのだ。 それにしても、森内閣を最後に、いったんは命脈が尽きようとしていた自民党を徒花のように復活させ、さらには「変質」させたうえに、政権交代を果たした民主党にまで自らの“壊しの遺伝子”を引き継がせた小泉氏の「力量」は、あらためて息を呑むすさまじさだ。私には、「してやったり」という、彼の高笑いが聞こえるような気がして仕方ない。雄弁な小泉氏が、この間の局面において黙して語らないのは、事が自分の思い描いたとおりに進んでいることの裏返しではないかとさえ感じる。 日本の政治をここまで劣化させたのは、まぎれもなく小泉政治である。政界で今や蔓延しつつあるニヒリズムも、元をただせばそこから始まった。この点については、より一層の考察が必要だと考える。 小沢氏は同日選を望む? 話を、今後に移そう。 「奇妙な安定」状態にあるとはいえ、普天間問題をはじめとする鳩山首相の指導力不足が誰の目にも明らかとなった今、急転直下、参院選前の首相辞任といった事態も可能性がないわけではない。その場合には「衆参同日選挙」がありうるといった声も、ちらほら聞こえてきた。 そうなれば、民主党にとっては、せっかく手にした衆議院の議席激減が必至である。政権交代から一年もたたずしての総選挙は避けたいのが本音だろう。だが、もしかすると今、まんざら悪い選択ではないと考えをめぐらせているかもしれない人物が一人いる。それは小沢幹事長その人である。 彼には苦い経験がある。一九九四年、“ポスト細川”に羽田孜氏を担いで連立内閣をつくった後、内閣不信任決議案に対抗して解散・総選挙に打って出るか否かの決断を迫られた。結局は自発的な総辞職を選び、自民党を離党した海部俊樹氏へのバトンタッチを狙ったが失敗し、村山富市氏を首班とする自民・社会・さきがけ連立政権の誕生を許してしまった。そこでわずか一〇ヵ月で野党の立場に追われたのだ。 当時、衆議院の中選挙区制を小選挙区比例代表並立制に改める改正公職選挙法が成立しており、もし総選挙となれば「最後の中選挙区制」で行われることになり、それでは理が通らないという意見もあった。だが、今回は打って出るべしと見ている可能性がある。 確かに、黙ってすわっていれば、民主党は衆議院で圧倒的優位を保ったままだ。しかし、解散の機を逃して大敗北を喫した自民党政権から、小沢氏なら学んでいるはずだ。時間を費やした結果、致命的な痛手を負うくらいなら、多少の出血は覚悟で今勝負に出たほうが得策だと考えて、何ら不思議はないのである。 民主党も苦しいが、野党にも同日戦を十分に戦える態勢は整っていない。大きく勝てなかったとしても、政権を取って代われるような勢力が一気に進出する可能性も、現実的には低いと言わざるをえない。 考えてみれば、民主党が第一党を占めたうえで、いくつかの党が並び立つような政界再編がらみの政治状況が出現すれば、それは小沢氏が最も得意とする状況でもある。情勢が流動的であればあるほど、そして党の数が増えるほど、その“懐”に手を突っ込みやすくなるからだ。 民主党内にも、内心は一日も早く小沢氏に幹事長ポストを辞してもらいたいと願う人間がいる半面、危機だからこそその豪腕に期待する人たちも少なくはないはずだ。もう一枚の「看板」である鳩山首相が追い詰められつつある一方で、情勢は急速に“小沢的状況”に向かって流れはじめているのかもしれない。 小沢氏は米国側から要請のあった大型連休中の訪米を中止した。米国側の都合による「延期」とも伝えられているが、彼がこの時期の訪米に興味を失った結果と、とれないこともない。普天間問題は先延ばししてもいい、そのために鳩山首相が卒然と倒れても仕方ないと考えはじめているというのは、うがちすぎだろうか。 鳩山政権生き残りの条件 冒頭でも触れたように、政治状況は民主党への期待が充満していた半年前とは、大きく変わってしまった。ただ、あえて民主党の肩を持つとすれば、「まだ半年」なのである。 よく引き合いに出される明治維新にしろ戦後改革にしろ、初期には今以上の大きな揺れがあった。さまざまな試行錯誤を繰り返しながら、明治政府が最初の制度改革である廃藩置県を実行したのは、政権発足後四年目だった。半年で改革への歯車がすべて正常に回り出すというのは、そもそも無理な相談なのである。 ただし、明治維新でも戦後改革でも、政治の担い手には「こういう国をつくっていこう」というビジョンがあった。心配なのは、現代日本では、それがまだ見えないことだ。つくっているつもりで、実は壊すことに終始したのが、この半年だった。民主党は、早くその誤りに気づいて、本来の方向に舵を切るべきである。 鳩山政権が参院選の洗礼を受けてなお、本格政権として中長期にわたって力を発揮しつづけるとしたら、その条件は何か? すぐにやるべきことは、首相自らが率直に誤りを認め、国民に対して詫びることだと、私は思う。 例えば普天間問題については、「五月末の決着は無理だ」と認め、再度、一からやり直すしかあるまい。そうした姿勢を明確にしたうえで、「もう一度自分にチャンスをください」と、参院選の結果に進退をかける。 民主党内で、議論が浮上しては消える消費税の増税も同様だ。客観的に見て、増税は不可避である。鳩山首相の「四年間は議論しない」という持論も、選挙前に謝罪とともに撤回し、政権としての信を問う。そうした、“一歩退いて訴える”姿勢が、政治を動かすこともある。維新時の大久保利通も現実にあたっての“君子豹変”は当然であるとしていたのだから。 目の前の課題は、必ずしも「難しい」から解決できないのではない。米軍基地にしろ財政にしろ、問題ははっきりと見えている。民主党に見えていないのは、それを解決に向かわせるための手順である。 全盛期の自民党は、誰かが先鋭的な問題提起でアドバルーンを上げて、それへの反対意見が出ることで議論が活性化し、押したり引いたりしながら徐々に収斂させていく、というノウハウを持っていた。「こんなボールを投げたときには、どんな反応が返ってくるか」といったポイントをシミュレーションする能力があった。しかし、残念ながら、今の民主党にそれはない。 その結果、本来の責任者、まったくの部外者が入り乱れてそれぞれの意見を開陳したあげく、最終的には鳩山首相がその時々の考えに基づいて独自に「決断」する、ということになる。このやり方でことごとく失点を重ねてきた経緯を、早く総括しなければならないだろう。 鳩山政権が誕生したとき、四年間はやるべきだと誰もが思った。しかし、これまで繰り返し述べてきたように、半年前とは状況が一変した。民主党の衆議院三〇〇議席という現状と民意との間には、大きなズレが生じてしまっている。いつまでもこうした状態を続けるのは、好ましいことではない。ますます政治が膠着するだけである。 民主党政権は、ある時点で解散・総選挙を考えるべきだと思う。衆参同日選になるかどうかは微妙だが、仮に普天間問題や参院選の結果を受けて首相が交代したような場合、自民党が総選挙の洗礼を受けずにトップの挿げ替えを繰り返して国民の大きな批判を浴びた愚を繰り返すべきではない。 遠のく二大政党政治 政権交代により、長年にわたる自民党政治の澱が一掃されると同時に、日本もいよいよ二大政党制の幕開けを迎えたと期待した人も多かった。ところが、核になるはずだった民主も自民も選挙後「壊れ」つづけ、二大政党どころではない惨状を呈している。 政権党は、選挙民に約束したマニフェストを軸に誠実に政策を実行し、一方、野に下った党はじっくりと敗因を分析し、返り咲くために自らを変革する。二大政党制は、そういう政党に担保されるからこそ成り立つ制度なのだが、現状を見る限り、実現は遠のいたとみるべきだろう。 そもそも、二大政党制そのものに疑問を呈する意見も根強い。確かに、小選挙区制のもとでは吸収しきれない民意があるのも事実ではある。二大政党制の本家本元の英国で、常に政権から除外されていた自由民主党が勢力を伸ばしつつあることに注目したい。 いずれにせよ、戦後初の本格的な政権交代によっても、「日本にふさわしい政党政治システムとは何か?」の答えは出なかった。「二大政党」の未熟さも相まって、今の奇妙な安定が一挙に崩れると、政治はたちまち流動化する可能性を持っている。 (了) みくりやたかし=東京大学教授
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