【教えてくん】コミュニティーなのです。

なんかニュースとかあったらここに書こうかと思ってますよ。とりあえず、おいらのブログ

 

夢の中のGoogle : メカAG

メカAG ([info]メカAG) 投稿者,
@ 2009-02-28 11:27:00


Previous Entry  Add to memories!  Tell a Friend!  Track this entry  Next Entry


夢の中のGoogle
最近わかったこと。夢の中ではGoogleが使えない(笑)。もしくは使えても結果を自分は見れない。たぶんトイレにいきたくても見つからないのと同じ原理なのだろう。そりゃそうだ。俺の夢なんだから俺が知ってることしか出力できないわけで。夢の中はオフライン状態。

いやいや、心理学者のユングによれば人の精神は集合的無意識でつながっているはずだから、いわばオルタネイティブなインターネットでつながっているはず。そのアカウントさえ手に入れれば…w(どうでもいいけどフロイトやユングは大学でまじめに講義すべき「学問」じゃないと思うのだが。血液型とか占星術は目の敵にして叩くのに、なんでこういうものは批判しないのかねぇ。やっぱ権威に弱いのか)

テストを前にして「ああ、全然わからない、こんなことなら事前にもっとテスト勉強しておけばよかった」という悪夢の基本は、以前はよく見た。むしろ学生時代よりも社会人になってから見たような気もする。

同様に「ああ、プログラムが全然できてないのに、客先にプレゼンテーションしなければならない。どうやってごまかそうか」と悩みながら客先に向かっている夢とか。これはホント嫌だ(苦笑)。

   *   *   *

どうしてもプログラムのバグがとれない夢というのも、もちろん見る。この種の夢を見るたびに、現実のバグは理論的に追いかければ最終的には絶対に見つかるから「マシだな」と思ってしまう。夢よりも現実の方がマシ!笑える。もっとも再現性のないバグがなかなかとれないのは、ある意味悪夢と同じだが。

現実でずっと探していたものやほしがっていたものが、夢の中で「なんだ、こんなところにあったんだ」と見つかる夢はあるけれど、現実でなかなかとれないバグが夢の中でいつの間にかとれている、という夢はあまり見たことがないな。

うまいアルゴリズムが見つからなくて悩んでいる時に、夢の中で思いついたというのはあるが。しかし目が覚めてから考えると全然解決になっていないw。現実でも通用するものだったら、「これは夢の中で思いついたんですよ」と美談になるのだけれど(苦笑)。

   *   *   *

トイレが見つからない夢というのは、トイレが見つかって"してしまう"とリアルでは大変なことになるから、無意識にそれを防いでいるのだ、と説明されることがある。しかしこれってホントなのだろうか。

トイレに行きたくなるとトイレを探す夢を見るという傾向は確かにある気がするけれど、見つかって夢の中でしてしまっても、必ずしもリアル世界のおねしょにはつながらない気がするのだが。俺は自分の記憶している限りおねしょをしたことはないが、夢の中でトイレを利用したことは何度もある。

思うに現実でもトイレに行きたい時はトイレを探し回る行動をすることが多いから、その記憶が夢の中でもトイレを探し回るというストーリーに結びつくだけではなかろうか。

   *   *   *

現実の自分が知らない情報は夢の中でも知ることができないというのは確かにある。しかしそのほかの回避パターンもあるように思う。すなわち目が覚めてから思い出すとデタラメな情報だけど、夢の中ではなぜか納得できてしまう情報が示されるパターンや、実際には情報の中身を見ていないのに見たことになってストーリーが強制進行するパターン(笑)。

これらは夢の中のニセ情報では納得できず「おい、ちょっと待て」と能動的に考え始めると、そのまま夢から覚めてしまうパターンもある。これは脳の活動が活発になるから覚めるのだろうから何となく理解できる。

   *   *   *

しかしなぜ夢の中では上記のようにしばしば、あたかも夢を見ている自分をごまかして自動的につじつまを合わせるような方向にストーリーが進行するのだろう。

リアルでも同様の思考をしているからだろうか。確かに「○○の問題が解決したならば」とか「もし自分が○○の情報をしっていたならば」という仮定でその先を考えることは日常的に行うことだ。その中では生じてくる不都合や矛盾は意図的に「考えない」ようにしたり、「解決済み」に扱って思考を先に進める。

仮定を前提とした思考と夢の中の思考というのは同質のものなのだろうか。まあ「お金があればあれを買って、これを買い換えて」という想像は「夢」みたいなものではある(笑)。

一方で夢の中で大金持ちになっても、想像力がついて行かず、あくまで現実の「ちょっとした贅沢」の域を出ない夢もある。つまり「仮定」で考えられる範囲でしか、眠っている時の夢も、覚めているときの想像力も、働かないということなのだろう。


関連記事:
2009年の初夢
花子さんの声