【コラム】「ソウルが故郷」という心理の裏側(下)

 それから30年が経過した今、韓国の一人当たりの国民所得は2万ドルに迫りつつあるが、見知らぬ都会で暮らす人は今でもあふれている。統計庁の調査によると、故郷を離れて暮らす人の比率は人口全体の40%を超える。「ソウルを故郷だと考える」という回答が必ずしも良い意味だと言いきれないのは、そうした理由からだ。積極的に異郷暮らしをする意欲的な面が読み取れる一方で、故郷の現実が一生を過ごすには物足りないことを示す反証でもある。

 2008年夏、全羅北道任実郡で38年にわたる小学校教諭生活を終えようとしていた詩人の金竜沢(キム・ヨンテク)さんをインタビューした際にも、同じような話を聞いた。金さんは、空洞化が深刻化している農村を心配した。「人々は最近、わたしを『蟾津江の詩人』と呼び、20年前に書いた連作『蟾津江』を川辺で吟じたロマンチックな詩だと勘違いしているが、過分な言葉だ」と舌打ちした。連作『蟾津江』に農村の苦境をつづっていた時代の教え子は、大きくなると都市へと旅立って行った。金さんは「自分の教師生活で最もつらかったのは、都会に旅立った教え子が故郷に残した子供を教えなければならなかったことだ」と振り返った。その心境は「今夜は学芸会だった。だけど、おばあさんもお父さんも来なかった。先生の胸に顔をうずめて泣き、涙をふいて先生を見上げると、先生も泣いていた」という詩(『先生も泣いた』)に表れている。

 ソウルが本当に良い土地となるためには、故郷の子どもたちや祖父母、先生の目に涙が浮かぶことがあってはならない。そして、その涙を記録し、慰めるのは文学だけの役割ではないはずだ。

金泰勲(キム・テフン)文化部次長待遇

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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