ここから本文エリア 信楽高原鉄道事故から19年2010年05月15日
【遺族「傷は癒えない」/宝塚脱線事故遺族も参列】 「かなうものなら、もう一度会いたい」「何年たっても傷は癒えない」。信楽高原鉄道(SKR)事故から19年たった14日、甲賀市信楽町黄瀬の事故現場近くで営まれた法要で、遺族は変わらぬ悲痛な思いを訴えた。JR宝塚線脱線事故の遺族らも出席。参列者はそれぞれの思いを込め、慰霊碑の前で手を合わせた。(高橋玲央、加藤藍子) 午前10時20分から始まった法要では、遺族らを中心に設立した「鉄道安全推進会議」(TASK)の会長を務める吉崎俊三さん(76)が、遺族を代表してあいさつした。 「事故当日の朝、『行ってきます』と手を振って駅の改札口に消えていった妻の最後の姿を思い出す。なぜ死ななければならなかったのか」 2008年、国土交通省に運輸安全委員会が設置された背景には、悲惨な事故を繰り返すまいとTASKが長年活動を重ねてきた経緯がある。しかし昨年、JR宝塚線脱線事故をめぐり、調査報告書の漏洩(ろう・えい)問題が発覚。「JR西日本と国の関係は19年前と変わっていなかった。検察審査会の判断でトップ3人が強制起訴されたことは、企業体質を変える意味で当然のこと」と話した。 JR宝塚線脱線事故の遺族、藤崎光子さん(70)もJR西への不信感を口にした。「信楽の事故が起きた時に社として責任を認め、本当に安全への取り組みを進めていれば、宝塚線の事故は起きなかったはず」。法要に参列するのは今年で4回目。「安全を願うもの同士、思いは同じです」と語り、静かに手を合わせた。 姉の信子さん(当時26)を信楽の事故で亡くした京都市の臼井慈華子(し・げ・こ)さん(39)は「安全の確立のためには、鉄道会社だけでなく、行政も変わらなければならない。つらい思いは19年前と変わらないが、これからも事故と向き合い続けます」と話した。 法要後、JR西の佐々木隆之社長は「(事故の背景に)安全と責任という課題を、心の底から認識していなかった部分があったのかもしれない」と話した。漏洩問題については「調べる側と調べられる側の関係について、一線を引かねばならないという認識が足りなかった」と、小さな声で語った。
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