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東京の下町ってどこからどこまで? 下町のルーツを探る!

web R255月14日(金) 17時 5分配信 / エンターテインメント - エンタメ総合
東京の祭りの代表格、浅草の三社祭が今年は5月14日から3日間にわたって開催され、浅草寺などの歴史的な面影を残す浅草の町が、神輿や屋台で活気づく。そんな浅草のある台東区や、映画『男はつらいよ』の舞台の葛飾区などを一般的に下町というけど、そもそも東京の下町ってどこからどこまでをいうの? このナゾを解くべく『江戸・東京の歴史と地理』を上梓するなど、江戸をテーマに執筆・講演活動を行う、歴史学者の安藤優一郎さんに伺った。

「1590年に徳川家康が拠点とした江戸城の城下町、今の日本橋周辺が下町の元祖です。当時、城や武家屋敷は軍事上の優位性から高台に建てられました。一方、商工業を営む町人の居住区は海や川に近い低地だったので、城の下の町という意味と、土地の海抜の低さから下町と呼ばれました」

その後、1657年の明暦の大火により江戸の大半が焼失したが、再建事業により江戸の市域は隅田川を越え、深川など下町と呼ばれる地域が東へ拡大。やがて全国から商人や職人が江戸に集まり、1700年代初頭には人口が100万人を突破。町人の居住区がさらに広がり、現在の荒川区、墨田区、江東区の一部までが下町と呼ばれるように。そして今でこそ下町の代表とされる葛飾区が下町と呼ばれるようになるのは、東京23区が成立した戦後だとか。

「再建事業とは区画整理のようなもので、裕福でない町民は郊外に追いやられ、本来下町だった日本橋などは、住む町から商いの町へと変わっていきます。その後、町民文化の中心になったのが浅草。歌舞伎などの芝居小屋が集められ、大衆娯楽の町へと発展します。現代の下町は、江戸の城下に住んでいた町人の子孫が、区画整理後の東京東部に作ったコミュニティといえるでしょう」

区画整理は、火災や関東大震災などで東京が焼け野原になるたびに実施されたそう。「下町」という表現は変わらずとも、それを意味するエリアは時代と共に変化していたんだ。
(中山秀明/GRINGO&Co.)

(R25編集部)

※コラムの内容は、フリーマガジンR25およびweb R25から一部抜粋したものです
※一部のコラムを除き、web R25では図・表・写真付きのコラムを掲載しております

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  • 最終更新:5月14日(金) 17時 5分
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