高木マニア堂

何となく思いついたこと、目についたことをツラツラと…。

156:クロサワの悲劇

ノンセクション2010年05月13日 08:30 | フォルダ : 

関連キーワード :プロレスおバカ中西学

<2008年8月=東スポ・プロレス格闘技サイト「プロレスマニア堂」より>  

 北京五輪が盛り上がる中、ついつい思い出してしまったことがある。

 あれは13年前の1995年。五輪開催を1年後に控え、アトランタで“プレ五輪”としてレスリング(フリースタイル)の世界選手権が開催され、私も取材に訪れた。

 アマチュアレスリングとプロレスは一見、主旨もルールも目的も全く違うようでいながら、それを実際に行っている選手レベルでは、深くリンクしていたりするから面白い。

 広い会場を見渡すと、観客席ではルー・テーズ夫妻が仲良く観戦。ロシアチームの応援席には、かつてレッドブル軍団のエースとして活躍したサルマン・ハシミコフがいた。またイラン選手団ではアイアン・シーク(コシロ・バジリ)がコーチとして采配を振るっており、挨拶に赴くとWWF(現WWE)時代に撮影されたシンディ・ローパーとのポートレートをサイン入りでプレゼントしてくれた。奇しくも元NWA、元IWGP、元WWFのヘビー級王者が会場に揃い踏みしていたことになる。

 この大会では日本のエース・和田貴広(62㌔級)が決勝戦でテデエフ(ウクライナ)を下し、7年ぶりの世界王者になった…はずだったが、ウクライナ陣営から物言いがつき、ビデオ判定により裁定が覆る。金メダルを剥奪された和田選手は2位に降格。日本チームがさらに抗議し、本部席が騒然する中、マット上では100㌔級の決勝戦が終わり、初優勝した米国代表のカート・アングルが星条旗を手に飛び跳ねていた

 日本チームにとっては悪夢の瞬間。だが、この時、同じく悲劇に見舞われたのが当時、アトランタのWCW(消滅)で「クロサワ」のリングネームで武者修行中だった中西学だ。

 当日、すぐ隣の体育館ではWCW興行が開催。その日はクロサワの試合が組まれていなかったこともあり、私は中西をWCW会場から誘い出し、レスリングの会場へと連れて行った。当時はまだ、バルセロナ五輪代表選手だった中西と同世代の選手も多く、中西は旧友やコーチ陣との再会に話を弾ませていた

 ところがその頃、隣のWCW会場では欠員が出たとかで、急きょクロサワの試合が組まれてしまったのだ。当のクロサワは会場から姿を消してしまっている。携帯電話も普及していない時代、WCWスタッフは大慌てでクロサワを探したものの見つからず結局、クロサワの試合は中止に…。

 翌日、クロサワは「職場放棄」の罪で、WCW首脳陣からたっぷりとお灸を据えられ、その後、しばらく試合を干されてしまったとか…。

 悲劇か喜劇かは分からないが、中西さん、あの時はごめんなさい!

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