http://www.dpj.or.jp/news/?num=18175
小沢一郎幹事長は13日午後、広島市内で会見し、次期参院選挙広島選挙区の公認予定候補として、広島在住で乳癌患者友の会「きらら」世話人代表で「NPO法人 広島がんサポート」前理事長の中川圭さんを擁立すると発表した。
小沢幹事長は「本日県連の常任幹事会で決定し、できるだけ早い機会に本部においても公認の決定をすることになる」と前置き。そのうで中川さんについて「乳癌患者友の会『きらら』世話人代表をつとめ、同じ悩みをもつ皆様への支援活動を行っている」と紹介した。
また、「私も以前、癌にかかったがたまたま早期に発見できたので今も元気である」と経験を語り、「国民、そして全世界の人々にとって、癌の克服は非常に大きな問題。従って政府としても真剣に癌の克服のための施策を講じていかなくてはならないと思っている」と指摘。昨年の総選挙においてもがん対策はマニフェストの重点施策のひとつとして取り上げたことにふれ、「ちょうど参院選マニフェストの作成中だ」が、「中川さんがわれわれの仲間として国政に参加するご決断をいただいたこの機会に、癌の問題に対する施策をマニフェストでも強く打ち出していきたい」と語った。
続いて挨拶に立った中川さんは、「女性を癌から守り、女性の健康をサポートする活動を続けてきた」と、これまでの経験を明かし、立候補への広島県連からの呼びかけには驚き、最初は固辞したが、「これから取り組んでいきたい思う活動を話すなかで、癌の経験、またこれまで取り組んできた活動と体験を、政治の場で活かせるではないかと考えるようになった」と立候補への経緯を述べた。
「いのちを守りたい。一人ひとりの大切ないのち、そのいのちを大切にしたい」とする民主党と新政権が大きく掲げる理念と、自らの「一人ひとりの命を大切にする」活動の思いとが一致するものがあったとも強調。「一人ひとりの市民の健康をサポートする活動を、とりわけがん患者さんの、身体・心・経済的な痛みすべてを和らげるための取り組みを国政の場でさせていただこうと考え、立候補の決意をした」と表明した。
中川さんはまた、記者の質問に答え、「お金もないし、しっかりとした基盤があるわけでもないがただ、こういうチャンスを与えていただいたのだから、皆さんの声を集めて、私が大きな声を上げていく」と訴えた。「私は癌患者で、それも再発患者だが、お陰さまで元気にさせてもらっている。しかし、これまで何人もの大切な人を亡くした。そうした方々のなかには救える命もあった。そうした救える命を救うことに繋がる活動が、私が立候補することによってできるのではないかと思っている」と、政治への熱い思いを示した。
さらに選挙戦について問われ、「厳しいことは素人でも想像がつく。そして、民主党の支持率が低迷していることは存じ上げているが、私の民主党のイメージは、最初にも申し上げた通り、『いのちを守る』『いのちを大切にする』という私の活動と繋がっている。何よりも、そうした思いの一番元となるのは、お亡くなりになった山本孝史先生。私は山本先生から頂いたバトンをもって一生懸命走らせていただきたい」とも決意を表明した。
同席し、自身が立候補の説得をした三谷光男県連代表は、「民主党らしい候補者を選びたいとこれまでも申し上げてきた。まさに一番民主党らしい候補者を選ぶことができた。本当によかった」とした。なお、会見の司会は中原県連幹事長がつとめた。
■中川 圭(なかがわ けい)
1958年5月11日 福岡県博多市生まれ、4歳のとき、両親の出身地・広島へ。
大学卒業後、大阪のインテリアメーカーへ就職したが、縁あって教職に就き、大阪市内公立中学校教諭となる。
1991年3月 結婚
1996年8月 父の看護のため、夫婦で広島へ。
2000年8月 乳がんの告知を受け、9月の手術を機に「きらら」の前身「癌友の会」を設立。
2002年1月 癌の転移が発覚。
2003年1月 自らの治療の傍ら、正式に「乳癌患者友の会 きらら」を発足。
2004年 広島で初めて開催された「ブレストケア・ピンクリボンキャンペーン2004」に実行委員として参加。
翌年から、年2回の「ピンクリボンフォーラム」を「きらら」主催で開催。
2008年 すべてのがん種を対象とした「NPO法人 広島がんサポート」を設立。
患者企画の医療ビル「ピンクリボン39」を設立。
広島大学大学院総合科学研究科非常勤講師に就任。
2009年 国際ソロプチミストアメリカ日本西リジョン「女性のための変化をもたらす賞」受賞。
日本乳癌学会 患者向けガイドライン作成小委員会に就任。
 にほんブログ村・まだまだ癌治療は、高額です。三割負担で20万30万が普通です。1割負担にして下さい。
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小沢一郎幹事長は13日午後、広島市内で会見し、次期参院選挙広島選挙区の公認予定候補として、広島在住で乳癌患者友の会「きらら」世話人代表で「NPO法人 広島がんサポート」前理事長の中川圭さんを擁立すると発表した。
小沢幹事長は「本日県連の常任幹事会で決定し、できるだけ早い機会に本部においても公認の決定をすることになる」と前置き。そのうで中川さんについて「乳癌患者友の会『きらら』世話人代表をつとめ、同じ悩みをもつ皆様への支援活動を行っている」と紹介した。
また、「私も以前、癌にかかったがたまたま早期に発見できたので今も元気である」と経験を語り、「国民、そして全世界の人々にとって、癌の克服は非常に大きな問題。従って政府としても真剣に癌の克服のための施策を講じていかなくてはならないと思っている」と指摘。昨年の総選挙においてもがん対策はマニフェストの重点施策のひとつとして取り上げたことにふれ、「ちょうど参院選マニフェストの作成中だ」が、「中川さんがわれわれの仲間として国政に参加するご決断をいただいたこの機会に、癌の問題に対する施策をマニフェストでも強く打ち出していきたい」と語った。
続いて挨拶に立った中川さんは、「女性を癌から守り、女性の健康をサポートする活動を続けてきた」と、これまでの経験を明かし、立候補への広島県連からの呼びかけには驚き、最初は固辞したが、「これから取り組んでいきたい思う活動を話すなかで、癌の経験、またこれまで取り組んできた活動と体験を、政治の場で活かせるではないかと考えるようになった」と立候補への経緯を述べた。
「いのちを守りたい。一人ひとりの大切ないのち、そのいのちを大切にしたい」とする民主党と新政権が大きく掲げる理念と、自らの「一人ひとりの命を大切にする」活動の思いとが一致するものがあったとも強調。「一人ひとりの市民の健康をサポートする活動を、とりわけがん患者さんの、身体・心・経済的な痛みすべてを和らげるための取り組みを国政の場でさせていただこうと考え、立候補の決意をした」と表明した。
中川さんはまた、記者の質問に答え、「お金もないし、しっかりとした基盤があるわけでもないがただ、こういうチャンスを与えていただいたのだから、皆さんの声を集めて、私が大きな声を上げていく」と訴えた。「私は癌患者で、それも再発患者だが、お陰さまで元気にさせてもらっている。しかし、これまで何人もの大切な人を亡くした。そうした方々のなかには救える命もあった。そうした救える命を救うことに繋がる活動が、私が立候補することによってできるのではないかと思っている」と、政治への熱い思いを示した。
さらに選挙戦について問われ、「厳しいことは素人でも想像がつく。そして、民主党の支持率が低迷していることは存じ上げているが、私の民主党のイメージは、最初にも申し上げた通り、『いのちを守る』『いのちを大切にする』という私の活動と繋がっている。何よりも、そうした思いの一番元となるのは、お亡くなりになった山本孝史先生。私は山本先生から頂いたバトンをもって一生懸命走らせていただきたい」とも決意を表明した。
同席し、自身が立候補の説得をした三谷光男県連代表は、「民主党らしい候補者を選びたいとこれまでも申し上げてきた。まさに一番民主党らしい候補者を選ぶことができた。本当によかった」とした。なお、会見の司会は中原県連幹事長がつとめた。
■中川 圭(なかがわ けい)
1958年5月11日 福岡県博多市生まれ、4歳のとき、両親の出身地・広島へ。
大学卒業後、大阪のインテリアメーカーへ就職したが、縁あって教職に就き、大阪市内公立中学校教諭となる。
1991年3月 結婚
1996年8月 父の看護のため、夫婦で広島へ。
2000年8月 乳がんの告知を受け、9月の手術を機に「きらら」の前身「癌友の会」を設立。
2002年1月 癌の転移が発覚。
2003年1月 自らの治療の傍ら、正式に「乳癌患者友の会 きらら」を発足。
2004年 広島で初めて開催された「ブレストケア・ピンクリボンキャンペーン2004」に実行委員として参加。
翌年から、年2回の「ピンクリボンフォーラム」を「きらら」主催で開催。
2008年 すべてのがん種を対象とした「NPO法人 広島がんサポート」を設立。
患者企画の医療ビル「ピンクリボン39」を設立。
広島大学大学院総合科学研究科非常勤講師に就任。
2009年 国際ソロプチミストアメリカ日本西リジョン「女性のための変化をもたらす賞」受賞。
日本乳癌学会 患者向けガイドライン作成小委員会に就任。