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【学力考 いわての危機・上】社員に「引き算」研修
小学3年生用の計算ドリルや高学年用の漢字ドリル。これらの教材を、携帯電話などの関連部品を作る沿岸部のある企業では、新人研修で使っている。もう10年になる。「かけ算九九さえ満足にできない若者がいる」との悲鳴が以前から現場で上がっていたからだ。
「102―69=941」、「107―48=152」。研修の場で、小学校レベルの引き算ができない高卒の新入社員を見て、社長(63)は、あぜんとした。
研修では、できない社員に対し、上司が付きっきりでマスターするまで指導している。この社長は「学校は何をしていたのか。そう思わずにいられない」と、深いため息をつく。
「ゆとり教育」導入以後、全国的な問題となった子どもの学力低下。だが、本県の現状はとりわけ厳しい。
文部科学省が昨年4月に全国の中学生に実施した学力テストで、中3は、数学Aが全国ワースト3、Bが同4位となるなど国数2教科4科目中、国語A以外で全国平均を下回った。数学Aは2007年の全国学力テスト復活後、3年連続でワースト3に低迷する。
高校生はさらに深刻だ。
17日、花巻市内で県内小中高の教諭らが集まって開かれた県教育研究発表会で、昨春実施の大学入試センター試験の平均点が主要13科目中9科目で最下位かワースト2という結果が示された。
加えて、同じ場で、県教委の佐々木修一教育次長は、昨春卒業した東北6県の高校生の高校3年間の全国模試について、英数国3教科合計の平均偏差値がどう推移したか、民間業者が作った県別のデータを紹介した。
1年生の7月時点で、本県は47・1で最下位。5位の県とは1・7ポイントの開きがある。その後一時回復するが2年生の2月から下降し始め、卒業近い3年生の11月時点では45・5。
東北トップの県でも49・3で平均を下回っているが、トップから5位(48・1)まで1・2ポイント差でひしめき合っているのに、5位と本県との差は2・6ポイントもあった。
偏差値は、1ポイント違うと合格が見込める大学の難易度が一段違ってくるとも言われている。2・6ポイントの開きは、あまりにも大きい。
東北の残る5県からも引き離されている岩手の高校生の学力について、ある高校教諭は「『みちのく一人旅』だ」と自嘲(じちょう)気味に話す。
他方、小6は、昨年4月の全国学力テストで、算数、国語の2教科4科目とも全国平均を上回り、国語Aが全国12位、Bが同9位といずれも上位だ。本県の学力低迷は、中学から始まっている。
佐々木次長は「基礎学力は進学だけでなく、生きていくのに必要なもの。まず、中学の学力を何とかしないといけない」と、焦燥感をあらわにする。
◇
岩手の子どもの学力が危機的な状況になっている。現状と課題を問う。
(2010年2月20日 読売新聞)
続く記事はこれ。
【学力考 いわての危機 中】数学の理解 中3最低
54・4%――。
アンケートで県内の中学3年生が「数学の授業を理解している」と答えた割合だ。昨年4月の全国学力テストの一環で実施され、全国平均は64・9%だった。開きは10ポイントを超す。2007年の全国学力テスト復活以来、本県の中学生は、数学の授業が「わかる」あるいは「どちらかというとわかる」と肯定的に回答した割合が3年連続で全国最低だった。中学3年生のほぼ半分が、よくわからないまま数学の授業に臨んでいる。
このデータは、現場の数学教諭にも衝撃的だった。盛岡市立上田中の佃拓生教諭(40)は、07年秋、全国学力テストの結果が出るのを心待ちにしていた。手応えを感じていたからだ。だが、数学A、Bとも最下位クラスという順位に加え、理解度を尋ねるアンケートも最下位。佃教諭はがく然とした。
全国学力テストの結果を分析すると、正答率が低いグループと高いグループで、四則計算や文字式など小学校や中学1年で学習する基礎、基本を問う問題の正答率に大きな開きがあることがわかった。
そこで、佃教諭は、授業で、分数の割り算なら正解の出し方だけでなく、分数の仕組みも丁寧に説明するようにした。50分の授業中、10分は基礎の確認に充てる。そうすると今度は、授業時間が足りない。佃教諭は、「数学の授業時間は10年前より年に35時間減った。中学でやるべき数学の授業をなかなか進められない」ともどかしそうに話す。
県教委も、中学1年生でのつまずきをなくそうと、08年度、小学6年生と中学1年生向けに「中学校数学準備問題」という問題集を作った。昨年4月末時点の調査では、76%の小中学校が利用し、今後使いたいという回答は9割近かった。
また、小学校から、子どもたちに自分で知る喜びを知ってもらうため、積極的に辞書を活用し始めたところもある。陸前高田市立長部小は、昨年4月から、全児童95人に国語辞典を配り、全教科の授業中、わからない言葉を調べてもらうようにした。同校は読書も呼びかける。
授業内容の理解が進まない原因を県教委は、どうみているのか。佐々木修一教育次長は、「前回習ったことと、その日学んだことの確認は基本中の基本。だが、恥ずかしながら、できていない場合が多い」と授業の進め方に問題があると率直に認める。
(2010年2月23日 読売新聞)
その次がこれ。
【学力考 いわての危機】〈下〉家では「ながら勉強」
大船渡市に住む中学1年生のタカシ君(12)(仮名)は、学校が休みの土曜夜、自宅の勉強部屋にあるこたつでノートを広げた。兄(15)の勉強机もあるが、テレビが目の前のこたつが指定席だ。
テレビからは、お笑いタレントの大きな声が響き、机の上には読みかけの漫画本。視線はテレビとノートを行ったり来たりする。1日約30分勉強するというタカシ君は「いつもこんな感じ」と屈託ない。家族からとがめられることもあまりないという。
「ながら勉強」が、ごく普通になっている。昨年8月に全国学力テストに併せて実施された学習状況のアンケートで裏付けられた。「テレビを見ながら家庭学習をしていた」と答えたのは、「ときどき」も含め、県内の小学6年生で76・9%に上る。高校受験を控えた中学3年生でさえ、半数を超す57・4%だった。
家庭学習の時間も短い。中学3年生の1日あたりの家庭学習時間(平日)は、「1時間未満」の合計が、ほぼ2人に1人の46・9%で、全国平均の34・6%を大きく上回る。県内の小学6年生が34・3%にとどまるということは、中学に入ると家庭学習がおろそかになる子どもが100人のうち12人も増える計算だ。
では、質はどうか。
「自主ノート」や「自学ノート」と呼ばれる手法が、家庭学習で中心的な役割を果たしてきた。教諭は「2ページ分」などと分量を指示する程度で、科目や内容は原則自由だ。自主的な勉強習慣を身につけさせようと20年ほど前から広がり始め、教科担任が課題を指定する宿題に取って代わった。
ところが、県南部の中学校の数学教諭(45)は「自主ノートで数学をやってくる生徒は、ほとんどいません」と明かす。ノートに同じ漢字の書き取りを繰り返すだけ、という生徒も少なくないという。
実際、県立総合教育センターが昨年11月に実施した調査では、県内中学の教科担任の63・6%が、自主ノートの学習効果に疑問を感じていた。
こうした現状から、県教委は、宿題に再び目を向け始めている。北上市立和賀東中では09年度から各教科できめ細かに宿題を出し、生徒の取り組みを4段階で評価している。すると、授業で積極的に質問する生徒が増えてきたという。
8年前に全国で本格導入された「ゆとり教育」の目的の一つも、自主性を育むことだった。しかし、学習塾「M進」盛岡本校の高橋栄一講師(35)は、「最近の生徒は、自分から学ぶ姿勢に乏しい」と分析する。
「自主」や「ゆとり」という言葉は耳には心地良く響く。でも、その裏側で、見落としてきたものはなかったか。基礎学力の低迷という厳しい現実は、学校と家庭に自らを見つめ直すよう迫っている。
(この連載は、中島幸平、吉田拓矢、工藤武人が担当しました)
(2010年2月24日 読売新聞)
一部の進学校を除いて、学校、特に小・中・高が何をしてきたかは、はっきりしている。成績に関する「粉飾決算」をしていたの一言に尽きる。学習内容がマスターできていない生徒を進級させ卒業させて続けてきた。何も岩手に限った話ではない。
まともな学力試験を課す大学に進学する人達は勉強する機会があるから学力を向上させるチャンスがあるのだろうけど(それでも大学全入とAO入試の横行で危なくなっている)、粉飾決算成績判定&受験勉強の機会無し、なら、学力がどうなるかは誰にだって想像がつく。四則演算の補修を会社でしたくないというのなら、受験勉強を通過した大学生を雇うしかない。あるいは、高卒の入社試験に小学生レベルの算数の問題を課して選別するか、どちらかだろう。会社で無理にフォローしようとせず、出来の悪いのは試験で落として突っ返す方針でいった方が、教育現場に対して「何が問題か」をきっちり突きつけることができるはずである。小学校で学ぶべき事は小学校が責任を持って、習得するまでやらせなくちゃいけない。習得してない人を卒業させた結果、その次の学校が尻ぬぐいする羽目になるとうというのは間違っている。中学、高校についても同様。
また、数学が出来なきゃ就職できない、というメッセージを伝えることも大事なんじゃないかなぁ。数学は社会では役立たない、といった間違った偏見をただすためにも。
posted at 2010/02/27 01:21:55
lastupdate at 2010/02/27 01:30:18
>成績に関する「粉飾決算」をしていたの一言に尽きる。
これが、引き算の原因であり結果でしょう。
今や、学校は「コース別とかAO入試」、企業は「リストラ」、行政は「無駄の削減」をやっていて、これらの発想の基本が「引き算」です。
大体、合理化は全部引き算なのだけど、なぜ引き算が整理するのか?と考える、「減らす前を知っているから」ですから、合理化には合理化以前を了解していること必要になる。
わたしの専門であるCAD/CAM業界では、職人技のコンピュータ化を進めてきたわけてすが、職人がいなくなった何も出来なくなりそうです。
(現実には、機械の能力向上などで、不合理な加工を短時間で実施できたりしています)
リストラなんてのは、派遣に切り替えることが出来たから、何とかなっているけど、版権社員のソースは誰が作るのか?ということについて、御手洗経団連は意図的に無視し続け来たのです。
「その時点では無駄」と判断したから、未来永劫に不要だ、としているのが「二次方程式などいらない」と行った話になっているわけで、「わたしは使わない」が「世界中でいらない」にはならない。
「無駄の効用」といった言葉があるのに、無視している。
これを学校に適用すると、そりゃ入試は楽になる。
恐ろしいのは「これだけやれば良いのだ」と思いこんでいる大学受験生が沢山いることです。
要するに「教養は無駄」なんですね。
学校がそういう風に仕向けています。
それじゃ、人生面白くないでしょう。
もう、彼らは今しか考えていない。本当に明日事は考えない。というかそういう「無駄」をしないように条件付けされている。
だから、その一方で文科省が「大学にキャリア教育を義務づける」とか言い出すわけでしょう。
高校・大学の入試科目を大幅増やすしかないでしょう。
>二次方程式などいらない
私は独身なので子供がいないので知らなかったのですが、ひどい。放物線との関係もあるのに。
>合理化以前を了解
本来そうあるべきですが、そこまで理解している経営者は少ないのではないでしょうか。
>御手洗経団連は意図的に無視し
「意図的に無視」するとしたら短期の成果を出すためでしょう。企業の将来を考えたら無視できませんけどね。
無視したってことは、
>彼らは今しか考えていない。本当に明日事は考えない。
に繋がってと思います。
経営者の思考と受験生の思考の方向性が同じじゃないですか。唖然としました。
>「わたしは使わない」が「世界中でいらない」にはならない。
生きていると「なにが起きるか分からない」と実感しますよ。それで、「なにか起きたとき持ってる道具や使える道具が多い方が良い!」ってのは正しいと感じてます。
「今は使わなくても、使い方を練習しとけば命が助かることだってあるんだ!」と思ってます。
我田引水し過ぎで気分を害されたなら、ごめんなさい。
現状,就職状況が厳しくなってきたこともあって,最前線で使える「ネタ」が増えたのは教員としてはありがたいですね。個人的な経験則では手間暇かければ若年層ほど立ち直りは早いと感じてますので,こういう記事が増えて,もっと世間的な追い風が出てくれば将来はそんなに暗くないと楽観してます。もちろん,自分も出来る範囲でがんばらなきゃいけません。
コメントしましたがまだ反映していない。
この「役に立ってますか?」と聞くことが正義だというところが間違えですよ。
「役に立つか?」 → 「不要」 → 「リストラ」 ← 「正義」
という構図ですから、「役に立たないことにも意味がある」とか言いだしたら「非国民!!」になるのが今の人の風潮です。
その結果「ある時点で必要な事が、無くなっているのに気づいて呆然とする」のが今になってあらわれつつあるのでしょう。
それが「引き算のできない新入社員」としてあらわれるわけです。
ここでは何度か出ていますが、学校の総数の適正化を問題にするべきです。
小学校を減らして、大学を増やすというのはひどすぎると思うね。
小学校は、30人学級にするべきだし、そもそも学校の事務処理能力を含めて、教員以外の人手を増やす方向にするしかないでしょう。
その一方で、大学や大学院は「総量削減」で良い思う。
>>二次方程式などいらない
>私は独身なので子供がいないので知らなかったのですが、ひどい。放物線との関係もあるのに。
これは、ここにある曾野綾子がやった有名な話しです。
» link here «
>中学教科書において必修とされていた二次方程式の解の公式を、
>作家である自分が「二次方程式を解かなくても生きてこられた」
>「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので、
>このようなものは追放すべきだ」と言った
>(この後、夫の三浦朱門(後の文化庁長官)が教育課程審議会で削除を主張し、
>現行中学課程で「二次方程式の解の公式」は必修の事項ではなくなった)。
これに対して、主に数学教育者から反論があったのですが、その後の少子化を見つつ、進学率を向上させようとする学校業界の思惑が一致して、教育の質を低下させる方向に向き、さらにゆとり教育と称して、週5日制度を定着させた。
寄ってたかって、どうやって手を抜くか、とやったのだから今の結果になって当然なのです。
apj さんのよう、根っからの学校好き(?)勉強好きで研究者というのでは全く無いわたしが、学校に行ってそれなり話が出来るわけですよ。
間違えなく、今の子どもたちは本来持って居る豊かさを小中学校の間に削って、薄っぺらな若者として社会に入ってきています。
文科省の責任は極めて大きいと思っていますが、これも「教育供給業」を独占している関係で、どうにもならないところがあります。
国際評価などを重視せざるを得ないでしょう。
私は、大学進学で理学部物理学科に進みました。教養教育が終われば、専門一色の勉強が待っている状態になったわけですが、下宿するときの荷物の中には、高校で使った参考書「古文研究法」「チャート式漢文」あと、漢和字典と古語辞典と古典文法まとめの冊子を入れてました。世界史、日本史の年表やまとめも持ってたかなぁ……。高校3年で理系を選んだので、古文漢文の授業が文系選択の人達よりも減ったわけで、私の成績もぱっとしなかったのですが、「全部忘れました何も知りません」はまずいだろうと思ったからです。この先わからないことに出くわしたら戻って調べる場所、ということで、自分の専門分野以外の高校の参考書を手元に置く、ということにしました。
現代文は本読みまくりで自信があったから特に用意せず、専門の方はup to dateな専門書を読むことになるから高校の本にはこだわらなくてもいいや、と思ってました。
今でもごく希にですが、調べ物で役立つことがあります>古文漢文。社会科の方は、法学を勉強しはじめたときに、うろ覚えでも知っていたことが思いっきり役立ちました。
>「意図的に無視」するとしたら短期の成果を出すためでしょう。企業の将来を考えたら無視できませんけどね。
これは、短期の業績を出して株主にどれだけ還元したかで経営者が評価される、という、アメリカのやり方を導入したからではないでしょうか。会社の経営だけでも弊害があるのに、学校までそうなってしまい、社会までぐだぐだになった。
酔うぞさん、
あとの方のコメントもまとめてのお返事になりますが……。
>高校・大学の入試科目を大幅増やすしかないでしょう。
これなんですが、大学を減らさない限りできないですね。科目を増やしたら受験生が来なくなって、試験による選別が機能しなくなると、大学側がぴりぴりしている現状ですから。
受験科目を増やした大学に対して補助金の額を上げて、授業料を安くするといった仕組みを導入するとインセンティブになるかもしれません。
T.Kouyaさん、
>格闘には手間も時間もテクニックも必要
その通りだと思います。また、習熟度別のクラス編成をすると、教員の負担は減るかもしれません。
酔うぞさん、
>小学校は、30人学級にするべきだし、そもそも学校の事務処理能力を含めて、教員以外の人手を増やす方向にするしかないでしょう。
>その一方で、大学や大学院は「総量削減」で良い思う。
私も全く同意見です。大学で高校の補習が必要な状況というのは、どう考えても異常です。総量削減して、きちんと勉強して学力を身に付けた人が引き続き勉強する場に変えていくべきだと思います。
>国際評価などを重視せざるを得ないでしょう。
小・中だと就職に直結してないのでなかなかそういう評価が出てこないかもしれませんが……。
アメリカあたりだと、ディプロマ・ミルというのが問題になっているわけです。学位販売業といって、大学としての実体がないのに金を払うと学位を出してくれる組織で、学士から博士号まであるのですが、当然、そういう学位は、州の職員になるとか、大学に就職するといった場合には通用しません。
日本の場合は、大学の実体はあるのに、充分な学力のない学生を入学させて、学位のレベルに達しない学生を大量に卒業させるという方向に行っているのではないかと危惧しています。例えば文系で新聞程度の日本語が読めないとか講義中に私語ばっかりとか、どう考えても4年である水準に達する学力を身に付けるのは無理でしょう。微分方程式をまったく理解していない工学部学生がいて卒研やってるという話もきいたことがあります。
国公立大学はまだ何とかなってますが、一部の私立大学は、既に、官製ディプロマ・ミルと化しつつあるのではないでしょうか。そのうち、海外から、「日本の○○大学の学位は××国で公的な職に就く場合には学歴としては利用できない」という一覧表が作られるのではないかと危惧しています。
親は家庭教育をしない、出来ない。家庭の持ち方にたいして非常におおらかな団塊世代以降は、「しつけの基準がない」「子供に甘い」とされてきた世代です。しかも、何より家庭にいません。「共働きせよ」、という国家政策に沿って働きに出るのに、誰が家庭になど居られるでしょうか。
今の親世代は、みな子育てを外注しています。つけは教師に回っているのです。
文科省は最近、やたらと教師に文書を作らせます。授業していない時間は、ほとんど文書作りに持って行かれています。教育計画・実績報告が新しい試みとともに教師を飲み込んでいます。そんな文書は私・オレが作ればいいと、校長・教頭で引き受けている学校など、マレです。熱心な教師ほど損をするような仕組みになっています。
親がするべき子育てと、事務屋がするべき文書仕事を押しつけられた教師が、いったいいつ学科教育など出来るでしょうか?
その件で、静岡県立大の小島氏が危惧してますよね。
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中国が日本の後追いをして(?)いるってのは些か奇異な感じなのですが、中国では論文代行とか剽窃・パクリの横行で官製ディプロマミルばかり(!)になっているのだとか。
もっとも中国の現状がこうだとしたら、日本は選考を厳しくして質の高い学生を確保できるという利点もあるかも知れませんが、同じことは欧米も考えているだろうからなぁ・・・
>成績に関する「粉飾決算」をしていたの一言に尽きる。
とのことですが、とても残念です。とても一言では言えませんので、ちょっと長いですがご容赦ください。
未履修問題はまさに粉飾決算でした。
しかし、少なくとも義務教育段階では、できない子どもにはちゃんと1をつけています。できない児童に3をつけて進級させたのであれば粉飾決算と言われてもしょうがないと思いますが、成績に関しては、適正につけられているはずです(そうでない教師もいますから一般論として)。
そして義務教育は年齢主義なので、成績が低くても、出席日数が足りなくても進級・卒業させるしかありません。以前、神戸で保護者が長期欠席から留年させてほしいと裁判を起こしましたが、神戸地裁も進級させることが適正であると判断しています(年齢主義で検索すると出るかと思います)。
なぜ小学校で身に付けさせていないのか、と言われることもあります。
しかし、文部科学省の学力テストの結果では、平成20年度に3桁の繰り下がりのある減法の問題の正答率は93%です。単純な計算ミスもあると思いますし、クラスに軽度発達障害の子どももいることを考えると、これは充分に評価できる結果だと思います。
九九も小学校の2年で必死に覚えさせます。歌にしたり、いろいろと工夫したりもされています。九九の学習で一番大変なのは覚えたかどうかの確認です。一人一人教師が確認していたのでは、時間がありません。そこで最近では保護者にも手伝ってもらっています。こうして、かなりの子どもが九九に関しては暗唱できるようになっているんです。
文部科学省の学力テストでは、3桁×1桁の計算の正答率が85%、2桁×2桁は86%です。
それでも、高校で九九ができない生徒がいます。
ちなみに、みなさんはなぜ九九を覚えているのでしょうか。実は必死に覚えたからではなく、その後使ってきたからです。何度も何度も九九を使う機会があったから覚えているのです。受験で覚えたはずので英単語もその後使わなければ忘れていませんか。
文部科学省が理科の調査で同じ問題を小学校と中学校でやらせたところ、小学校の方が高い成績でした。これは、決して中学校の世代が低学力というわけではありません。左巻先生が以前指摘されていましたが、小学校では習ったばかりなので覚えていただけなのです。時間が経つにつれて忘れてしまったということです。
そのように小学校で身に付けたことも、その後、学習をしなくなり、使わなくなり、そして忘れてしまったということが多くあると思います(特に受験勉強をしない場合)。
また、こうした学力低下には、学校だけでなく家庭の問題も大きく関わっています。
ながら勉強もそうですが、貧困などの家庭環境の影響もあります。
ちょっと衝撃的でしたが「ドキュメント 高校中退」という本があります。書評が、ここで紹介されています。
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いろいろな教育系の学会にいきましても、学力と貧困問題を負の連鎖としてとらえる報告が多くなっています。
学力の問題は、いろいろな問題が重なっており、どれが原因かは言えない状況です。記事のような高校卒業生がいたから、すぐに義務教育に責任をもってこられても困るということもあります。
これは言い訳ではありません。こうした学校教育への誤解が、教育を変な方向にもっていくことを懸念しているのです。
本当に義務教育に問題があるのかどうかを正当に評価しないで、印象だけで進むことを懸念しています。
ゆとり教育の結果として、明確に学力が低下したという報告はありません。上がっているという報告もあります。
PISAでは低下の傾向も見られますが、もともとここで問われたような学習はしてきていません。ですからゆとり教育とは関係ないのです。
今回みたいな記事で、印象だけでもっと学校で計算練習しろ、なんて風潮になるのも困るのです。
そうした点をご理解いただければとてもうれしいです。
詳しい説明をありがとうございます。義務教育についてはよくわかりました。
議論は2つに分けるべきですよね。
(1)義務教育が年齢主義であることに対する異議申し立て
年齢主義であるということは、その人に合わせたスピードで学べないということも意味しており、義務教育の「義務」を形式的なものにしてしまっているのではないかという疑問があるので、これは主張しても良いのではないか。
(2)高校については「粉飾決算問題」として扱う。
単に計算練習しろ、ということではなくて、高校卒業の資格試験を課すなどして再学習の機会を意識的に設けないとまずいのではないかと思うんですよ。中学についても年齢主義を止めれば卒業資格試験を課せるようになるわけで、再学習をするきっかけになるんじゃないかと。
> ちなみに、みなさんはなぜ九九を覚えているのでしょうか。実は必死に覚えたからではなく、その後使ってきたからです。何度も何度も九九を使う機会があったから覚えているのです。受験で覚えたはずので英単語もその後使わなければ忘れていませんか。
他のいろいろな場所でも指摘されていると思いますが、これが現行のカリキュラムの最大の問題点なのです。岩手の新聞記事のような事が起こるのも当然です。
次の指導要領では少し改善されるようですが。。。
あと、元の新聞記事での問題点を挙げるなら、宿題の出し方です。ドラゴンさんの指摘のような家庭の問題を小さくするには、自主学習という形の宿題のだし方は最悪で、むしろ家庭の問題が拡大するのは目に見えています。現場がそれに気づかないのか、気づいているが上からの圧力でそうしているのかは、分かりませんが。。。
この「自主学習」ですが、小学校6年の時に、担任が自主学習方式を採用していました。「自由帳」なるものを作り、どの科目をどうやってもいいからノートに勉強し、毎日提出し、その量で点数を付けて競わせるというものでした。
普通のクラスだと、熱心な人が数人いて、大部分はそれなりで、サボりまくりが数人いる、という状態になるのですが、私が居たクラスはたまたま競争心ばかりやたら強いのが集まってまして、二、三人を除いて、ほぼ全員が点数競争に。睡眠時間を削って家で学習ノートを作ったものだから、逆に学校での学習効率が落ち、他のクラスにくらべて復習まとめノートの量は圧倒的に多いのに、一学期を終わる頃には、テストの平均点は他のクラスより下という結果になりました。
私は、たまたま6年生でソフトボールのクラブに居たのですが、朝練と夕方の練習があるので、朝練の前に起きて自主学習、夕方の練習後帰宅して深夜まで自主学習、というのを続け、夏になって授業で水泳が始まったあたりで体力を使い果たし、1学期が終わったころにはすっかり体をこわしました。頻繁に動悸・息切れを起こして動けなくなり、夏休み中ずっと微熱が続くという状態で、クラブもやめ、何もできない状態になりました。熱は何とか下がったのですが、何かあると動悸息切れを起こして動けなくなるという癖だけは、20代後半まで続きました。何かもう大ダメージもいいところです。
#そこまでしなくても、ほとんどのテストで9割以上はとれてたわけで。
家庭の問題による格差もあったかもしれませんが、それ以外の問題を引き起こすこともあるという例です。決まり切った宿題を出されて、ちょくちょくさぼる位がちょうどよさそうな気もします。
ご理解いただけたようで幸いです。
議論の1番ですが、正論かどうかより、社会のコンセンサスをどれだけ得られるかが必要だと思います。たとえ正論であっても、感情論に負けることもあるでしょう。そこが難しいところです。
法的にも(教育法規はまったく苦手ですが)学校教育教育法施行規則第57条で課程主義にとも言えるようですが、教育基本法第6条2項にある「教育を受ける者の心身の発達に応じて、」が年齢主義の根拠ともなっているようです(そう聞きました)。そうした矛盾があるので、法整備も必要でしょう。
再学習の機会を設けることは必要ですね。ただ、社会のコンセンサスの問題もあると思うので、中学の年齢主義を止めるのではなく、高校の入学段階のハードルを適切に設定するのがよいと思います。もちろん大学段階もです。
いろものさんの近所さん、こんにちは。
この記事を前提として議論するのは止めた方がよいでしょう。
いろものさんの近所さんが、違う根拠でこの記事が議論の前提となるとお考えでしたら示していただければ、うれしいです。
記事の冒頭でも「もう10年になる。」とあり、記事の最後に「ゆとり」で結んでいますが、10年前に高校を卒業した生徒は「ゆとり教育」のカリキュラムではありません。10年前に問題意識をもったということは、それ以前から問題があったということでしょう。
この記事は、全体的にいろいろな意味で前提が間違っているとも思っています。
いろものさんの近所さんもタイトルで「ゆとり教育の弊害」とされているので同じように考えられているのでしょうか。その前の指導要領でも内容は減らされていますが、一般に「ゆとり教育」といえば、現行の学習指導要領を指します。
最初のご指摘は、今回の学習指導要領で重視されたところでですね。スパイラルな教育課程を組むことと示されました。ただ、算数・数学教育では、ずっと以前から言われ続けていたことですが、徹底がなされていなかったので、さらに強調したと言う側面もあります。
ただ、だから岩手の新聞記事のようなことが起きるのも当然とするのは、どうでしょうか。
まず、記事の事例が、一般化できるような事例なのか、それとも特殊な事例なのか、これでは分かりません。
こうした記事の書き方は新聞の特色でもあります。少年犯罪の大事件を取り上げて、最近の少年は……という論調もよくありますが、実際の統計をみると少年犯罪が減少の傾向にあったりもします。一人の起こした事件で同世代全体の傾向が決めつけられるということがよくあります。
ですから、これが一般化できるような事例で、その原因がカリキュラムにあると認められるというところの根拠が私には分かりません。
私は、この記事のような事例や高校生で九九を覚えていないといったレベルは、特殊な事例に入ることだと思います。カリキュラムを改善しても、学習指導要領の内容を増やしても、授業時数を増やしても対応できない事例だと思います。
家庭に事情がある場合もあるでしょうし、軽度の発達障害がある場合もあります。そうした生徒には、特別な支援が必要になるのだと考えます。
家庭学習についてですが、私の問題意識は、ちょっと違います。
経済格差が学力に影響があるのは、周知のことですが、学習意欲や学習意識にも格差があるのです。例えば、家庭にほとんど本がなくて親も読書をしないのに読書を薦めてもなかなか読まないでしょう(前東大の苅谷さんも指摘されています)。文化格差とも言われていたかと思います。
そうしたことの影響が学力には大きいと思います。こうしたことは宿題で対応できる範囲ではないと思っております。
>「自主ノート」や「自学ノート」と呼ばれる手法が、家庭学習で中心的な役割を果たしてきた。
こうした宿題があるのはよく聞いております。この記者は何を根拠にこう書いたのでしょうか。県の教育センターでの調査結果も踏まえているようですから、岩手県の特色なんでしょうか。
ベネッセの第4回学習基本調査では、「計算や漢字などの反復練習」が宿題の主流です。
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また、長くなりました。ご容赦ください。
>教育基本法第6条2項にある「教育を受ける者の心身の発達に応じて、」
これが全員に対して「年齢主義」でいくための根拠だとすると「全ての人の心身の発達は年齢のみによって決まり、個人差はなく、同じである」という主張をするに等しいと思いますが、これって生き物としてあり得ないんじゃないですかね。これを信じることの方がむしろオカルトに近いような。
これは、私もよく理解しておりませんが、確かそういうふうに言われているようです。聞きかじりです。
ですから具体的な文献は知りません。
すみません。
ただ、それぞれの法的な根拠は、薄いようです。
だから整備の必要もあるように聞きました。
これも聞きかじりです。
>教育基本法第6条2項にある「教育を受ける者の心身の発達に応じて、」
これって、平成18年改正で新設した条文じゃないかな?
年齢主義で行く根拠に使えると言えば使えるけど、むしろ「飛び級」「留級」の根拠に使えそうですね。
年齢主義は法的根拠と言うよりも、問題回避の側面が大きいと思います。なんていうか「誰が、何を根拠に判断するか」みたいな話ですね。それはかなり重たい問題なので、避けたら年齢主義になったという所かな。
戦前の教育制度には「飛び級」とかが有ったんですよね。私は大学と大学院が違うんだけど、先生は同門で大学院の時の先生が大学の時の先生の先輩なのね。でも、年齢はおなじだったので、大学の時の先生に「とうして?」と聞いたら、「俺は普通に過ごした、あの人が早すぎるんだ」となんとなく不機嫌そうに答えてましたね(笑)。
ご指摘有り難うございます。
平成18年の改正で新設されたのであれば、根拠とはなりませんね。年齢主義はそれ以前からありましたから。
うろ覚えで書いてすみません。
適当に書くべきではないですね。
教育法規は苦手なので、反省します。
でも高校の時は理系のコースにいました。
物理・化学・数学は好きだったんで。が、成績はひどかったですねぇ。(遠い目)赤点すれすれ。
おまけに色弱なんで基本的に理系には進学は無理ではありました。
仕事のひとつで建物の台帳管理をしたことがあります。
1/400 だか1/500のスケールの地図台帳に新築の建物を記載していくんですが、元となる図面(建物の寸法入り)が適当な縮小コピー(用紙に合わせて縮小してあって、おまけに用紙サイズもバラバラ)だったりするので、それをコピー機の縮小・拡大機能を使ってほぼ台帳のスケールにコピーし直す作業は必須でした。
これは、小学校で習った
「a:b=c:dの時、 axd=bxc」
を使いました。
あと環境対策関連の仕事をしたときは、赤点すれすれだった化学の知識の断片が役にたちましたよ。
考え方みたいなところが。
あと、ゲーセンでUFOキャッチャーやるとき、理詰めでアームの位置決めとか考えたりしてるのは、理系の勉強の成果かな。
必ずしも景品がとれわけじゃないですけどね。