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沖縄県の米海兵隊普天間飛行場の移設問題で、鳩山由紀夫首相が内外に約束した「5月末決着」の期限まで残り半月余りとなった。
米国政府、沖縄、移設先の地元のいずれの理解も得た形で決着する。首相はそう繰り返してきたが、もはや絶望的なことは誰の目にも明らかだ。
こうなっては、いったん仕切り直すしかないのではないか。
首相としては、沖縄や米国と6月以降も調整を続けることを前提に、現時点での政府方針をとりまとめ、なお体裁を整えようとしているようだ。
代替滑走路は桟橋方式を念頭に名護市辺野古沿岸に建設し、訓練は鹿児島県徳之島のほか全国の自衛隊基地などに分散することが柱になりそうだ。
責任の追及から逃れようともがき、短時日のうちに誰からも歓迎されないつじつま合わせの案をまとめても、合意形成も案の実現もかえって遠のこう。問題を基地の押し付け合いにしてしまったのは本末転倒である。
「最低でも県外」「5月末決着」という二つの公約を果たせない政治責任を、首相は認めなければならない。
ここに至った経緯を丁寧に説明し、沖縄県民をはじめとする有権者に率直におわびするべきである。
■首脳外交が機能不全
折しもあす、沖縄は本土に復帰して38年になる。
沖縄の人々はこれまで、米軍基地を「県外に移せ」と公然と言うことはなかった。自らの痛みを他人に背負わせるのは忍びないとの思いからだろう。
しかし今回の朝日新聞の世論調査では、県民の53%が県外移設に賛成と答えた。昨年は38%にとどまっていたから、民意は大きく変化した。
県内への基地集中と過重な負担が、政権交代でやっと改善されるのではと期待したのに、裏切られようとしている。その失望と怒りが、最近は「沖縄差別」という言葉となって噴き出してもいる。
基地を提供する地元の理解なしに、日米同盟を安定的に維持していくことができるはずはない。その意味で県民を逆なでする結果を招いた首相の取り運びのまずさは何とも罪深い。
この間、日米間の首脳外交の機能不全も目を覆うばかりであった。
首相はオバマ米大統領との会談で、なぜ日米合意の辺野古移設案を見直そうとしたのかを率直に語り、理解を求めるべきだった。
その後、普天間問題で両首脳間に円滑な意思疎通がなされた形跡はない。これでは、日本国内に対して対米外交の進捗(しんちょく)状況を説明しようがないし、新たな負担を求めることになる移設先の説得などはもとよりおぼつかない。
首脳同士の対話ができない状況で、安全保障関係のような高度に政治的な懸案を解決することは到底できない。そのことへの理解不足も、首相の深刻な落ち度だったと言わざるを得ない。
首相みずから、政治レベルで対米協議ができない現状を打開すべきだ。
■安保の根本の議論を
首相は今後、この問題に取り組む態勢を早急に立て直し、総合的な戦略を練り上げなければならない。安保とその負担のあり方を大局的な見地から議論し直すべきである。
日米両国にとって、この地域での脅威は何なのか。それにどう対処すべきか。そのなかで、米海兵隊はどのような機能を果たすのか。
東アジアの安定装置として日米同盟の機能は大きい。在日米軍の存在は必要だ。だが海兵隊はずっと沖縄にいなければその機能を発揮できないのか。
そうした日米安保の根本を見据えた議論を日米政府間で、また日本全体を巻き込んで起こすことが不可欠ではないか。それ抜きに、安保の負担の分かち合いという困難な方程式の解にたどりつくことはできないだろう。
県外移設を模索しようとした方向性は間違っていなかった。もともと日米合意案も容易に進んだとは思えない。だが、「県外」を本気でやろうとすれば大変な政治力と時間がいる。
時間軸を長く取り、外交で地域の安全保障環境を変えていくことも、この問題の出口を見いだす上で大切だ。
朝鮮半島情勢の転換や東アジア全体の安保環境の変化があれば、海兵隊の配置も変わってくるだろう。
仕切り直しで、普天間返還が日米合意の2014年より遅くなる事態もありうる。そのことにぎりぎり県民の理解を得るには、将来的な県外・国外移設への展望を示すことが欠かせない。
日米合意にある海兵隊8千人のグアム移転をどう実現していくかも、今後の作業のポイントだ。
安保の負担の問題を政争の具にしてはならない。与野党を超えて知恵を絞ってもらいたい。
■米国も一層の理解を
米国にも一層の理解を求めたい。
米国がグローバルパワーたりえているのは、太平洋からインド洋までをカバーする在日米軍基地があってのことだ。オバマ大統領が日米関係を米国の「要石」と語った通りだ。
日米安保の安定的な運用には、米国にも責任がある。米国政府も柔軟な発想で、日本政府とともに真剣に沖縄の負担軽減を探ってほしい。
そうした環境をつくるためにも、深く傷ついた政権の信頼をまず回復させるところから始めなければならない。