まだまだ「光の道」をめぐる論争は続き、「アゴラ」でも山田さんと松本さんの議論が続いていますが、FTTHなど特定のインフラにこだわらないでブロードバンドのあり方を考えたほうがいいと思います。そもそもブロードバンドを全世帯に普及させる必要があるのでしょうか?
水や電力のような基本的なインフラでさえ、無条件に全世帯には保証されていません。たとえば私が無人島に住んで「電気を使いたい」といっても、電力会社は応じてくれないでしょう。電話は、電電公社の時代には電力に近い普及率が求められていましたが、ブロードバンドは生活必需品ではありません。たとえばiPadがなくても、生活には困らない。現代のIT製品のほとんどは、贅沢品なのです。

今後、日本の産業で伸びる余地があるのはサービス業ですが、そのほとんどは生活に必要不可欠なものではありません。今後の成長部門だと言われている「環境」も「観光」も「コンテンツ」も必需品ではない。そういう贅沢な需要をどこまで満たせるかで、サービス業の成長は決まるのです。

だから前にも書いたように、全国一律料金という意味でのユニバーサル・サービスをブロードバンドに適用することは、必要もない地方のインフラのコストを都市住民に負担させるため、インフラの超過供給とサービスの過少利用をまねくおそれが強い。日本には移動の自由があるのだから、ブロードバンドを求める人は都市に住めばよい。全世帯に保証するのは、メタルのIP電話網のような最小限度の通信に限定すべきです。

必要なのは全世帯に光ファイバーを敷設することではなく、ブロードバンドの需給ギャップを解消し、必要なユーザーが通信インフラを安く使える条件を整備することです。需要が供給を大幅に超過しているサービスは料金が上がるので、需給ギャップがどこにあるかは、料金を見ればわかります。帯域が不足しているのは、明らかに固定回線ではなく無線です。

だから供給過剰に近い固定回線を全国一律に整備するのではなく、都市部の無線帯域を増やすべきです。そのもっとも簡単な方法は、テレビ局や業務用無線が浪費している周波数を返却させてモバイル通信に再配分することです。基地局を増やしてセルを小さくすれば多少はましになりますが、フェムトセルのために全世帯をFTTHにするなんて本末転倒です。中継系は、通信事業者が引けばよい。

「地方にも平等に**を」というのは政治家が好むキャッチフレーズですが、ポスト工業化時代には、誰もが一律にサービスを受けることは可能でも必要でもありません。むしろグローバルな競争にさらされている日本経済では、必要な部門に人的・物的資本を集中すべきです。「全世帯にブロードバンドを」などというバラマキの発想を克服し、不要な部分から撤退する戦略的な資源配分が政府にも企業にも求められているのです。