■倉重 まったく対等じゃないんじゃないですか。抑止力の認識が。アメリカと日本では。
■森本 だから、米国に守られているからいいではないかというということで、この問題を済ますのは、時代遅れというよりかは、むしろアメリカの相対的国力が落ちていて、日本がカバーしなければアメリカの機能とか戦力を補完することができない状態になりつつあるわけですから、そういう意味では冷戦後の日米協力というのは、もう少しフランクに実際にシミュレーションを一つづつ、どこまでやることが政治的に法的に軍事的に可能かということを突き詰めて、計画を作り、どこまでそれを国民に説明できるかということを考えないといけないんだろうと思います。
■倉重 森本さんにお聞きしたい。抑止力というのは、時代と戦略環境の変化で変わるものではないのですか。「ポスト冷戦」、また「ポスト・ポスト冷戦」によって変わりうるものということであれば、逆にその変化という部分がちょっと見えてこないんですがいかがでしょうか。
■森本 日本人の考える抑止というのは、同盟も含めて、非常に軍事的傾向の強い考え方だったんですけれども、今日、国家の安定とか国益を考えた場合の「抑止」というのは経済とか科学技術とかエネルギーというものを、トータルで考えないといけない時代になっているんです。だから例えば、軍事的な抑止力を考えて、フタを開けてみたら「日本は原油がない」「資源がない」「金融危機になる」。それでは、国家として戦力を発揮できないということになる。そんなのは、「抑止」にはならないんです。だからトータルで国益と領土を守り、国民の安全と経済繁栄を維持することができる総合的戦略がないと、本当は抑止戦略とはいわないんです。
2010年4月5日