最終更新日2006年7月1日
■ Biography

執筆途中

 1979年3月15日の午後5時過ぎに,香川県高松市内の病院で生まれる. 実家の目の前が小児科・産婦人科の病院であったが, 両親の最初の子供が死産であったため市内の別の病院で生まれる.

 両親と祖母,兄の5人家族. 祖母は日本舞踊や三味線の先生で,実家に生徒さんが習いに来ていた. 狭いながらも踊りのための部屋があった. 自分が幼少の時には祖母も元気で,時々踊りの発表会に出かけていたようだった.

 父親はサラリーマンの電気工事士で, 左官仕事や大工仕事もこなし,家の大抵のことは自分でやっていた. 保育園か幼稚園の頃だったと思うが,小学館の雑誌を買いそびれて 欲しかった付録を手に入れそこなったことがあった. 自分がそれを嘆いていたら, 父親が前号に載っていた写真を見て厚紙で作ってくれた. これは今でも記憶に残っており, ものづくり,自分で作るということの発端はこの辺にあると思っている.

 相愛保育園・相愛幼稚園を経て,高松市立仏生山小学校に入学する. 兄のために購入された本やプラモデルに影響を受けながら育つ. 基本的にいじめられっ子であった.

 確か幼稚園の頃からだったと思うが,硬筆を習いに行っていた. 小学校に入って何年かしてから,硬筆に加えて毛筆を習い始める. また,小学校の1年生・2年生と,剣道を習う. 仏生山剣友会というところで,時々学年別の大会があった. 最初のうちは型だけを競うもので, 学内の大会で2回ほど優勝できた(学年別). しかし対戦するようになると,女子に負けるぐらい弱かった. あと,そろばん(珠算)を小学3年生から習い始める.

 昔からおっちょこちょいで, 窓からコンクリートの地面に頭から落下したり, 道路に飛び出して車に足を踏まれたりする. 前者は保育園,後者は小学校低学年だったと思う. 前者は記憶にない.写真には痛々しい程写っているが….

 地元の本村地区では,獅子舞をやっていた. この地方の獅子舞は鐘と太鼓に合わせてダイナミックに獅子頭を動かすことが特徴である. また前半・後半があって,通常の家々を周るときは前半のみしかやらなかった. 土曜日の夜に勝神社(ちきり・じんじゃ)で奉納の獅子舞する時と, 日曜日にお下がりといって,各地区の獅子が通りを歩きながら 獅子舞するときだけ,前半・後半を通してやった. 自分が子供の頃は人数が多く,小学6年生しか鐘を打てなかった. 6年生になった時はかなり気合が入っていて, 当時は譜面を渡されなかった後半の部分も, テープに録音して譜面を起こしたりして研究していた.

 仏生山小学校を卒業後,高松市立龍雲中学校に進学. やはりいじめられっ子であり,先生や両親に心配をかけた. 部活はハンドボール部に所属. 松やに持ちやオフィシャル(記録係)として過ごす.

 中学3年生では不登校児を登校させるための選抜クラスに所属. 担任の先生が工学部出身の技術の先生で,いろいろと影響を受ける. 何かと居心地の良いクラスであった. 高専や看護科に進む同級生が多い,変わったクラスでもあった.

 中学2年生の冬に兄が進学した時の資料を見て高専の存在を知り, 志すようになる.中学3年生の秋には高松高専の体験入学に行く. このとき初めてロボットコンテストの存在を知る.

 高松工業高等専門学校機械工学科に入学. ロボット研究同好会に所属しつつ,ロボットコンテストに打ち込む. プログラミング言語は2年生からFORTRANを習ったが, ポケットコンピュータで1年生でBASIC,2年生でC言語を習得する. しかしプログラミングの才能はなかったようである.

 ロボットコンテストでは…

 豊橋技術科学大学に進学 一人暮らしを始める. 最初はロボコンをやるつもりはなかったが, 1999年8月1日からロボコン同好会に入部し,世界を垣間見る. 他にも大学祭の実行委員をやったり総部会の会計をやったり, 研究室や卒業終了後の実務訓練を通して多くの貴重な経験をする. 豊橋での3年間のうち,毎年夏にサークルリーダーズ合宿研修に参加した. その度立場は違ったが,3年目は総部会会計として世話役をやる. 大変だったが非常に良い経験であった. この時議長には向いてないことがはっきりした.

 かろうじて豊橋技術科学大学を卒業. 卒業論文の執筆は4月1日の早朝までかかる. 4月1日からしばらく無職になるが, 4月下旬に香川大学大学院工学研究科知能機械システム工学専攻に入学し, さかのぼって4月1日から大学院生ということになっている.

 香川大学大学院の2年間では両親が祖母を介護していて, 時々その手伝いをしていた. 家族・親族関係の用事が多かったように思う. 学生ベンチャーの立ち上げに関わったり, ABUロボコンの取材・レポート記事の執筆をしたり, TAをたくさんやったりといろいろな経験を積む. 研究やら何やらで博士課程への進学を決意する. なおM2の4月になった頃,研究室全体のゼミで教授から突然 「僕6月から東工大に移ることになったんで.」と言われる. しばらく進路でごたごたするが, 結局教授に付いて行って進学することになる.

 東京工業大学大学院博士後期課程に進学. 環境の変化に戸惑う.偏頭痛に悩まされる.

 続く…

■ 両親の影響と祖父母の血

執筆予定