年末になってやっぱり人はなんとなくその年を振り返りたくなる。 去年の今頃は、目を血走らせてリスク回避に走っていた事を考えるとほんのわずかの間にずいぶん雰囲気が変わったものだとおもうが、危機を予想できた人が少なかったのと同様、これからの展開も正確に言い当てることは難しく、いろいろ波乱は覚悟しておかなければならないのかもしれない。 2009年の市場を特徴つけるものはなんだったのか、一人の投資家の立場から感想を記録しておきたい。 1. リスクラリー 結果的に2009年は大規模な流動性供給の効果で様々なリスク資産が記録的な良好なパフォーマンスを残した年となった。たまたま1−2月ごろがボトムだったということもあって、暦年ベースでは日本はともかくとして先進国を含む株価、コモディティー、信用リスク(低格付け債券など)などが軒並み何十パーセントというリターンを示している。安全資産の債券も、流動性と安全志向の投資家が多いため、それほどひどい状況にはなっていない。 2010年はリスク資産のもつ「本源的価値」が注目されるのではないかとおもっている。つまり株価であれば個別企業の収益であり、コモディティーであれば本来の用途に根ざした「需給」だろう。信用リスクなら、企業の倒産確率と倒産時の回収率だ。もともと当たり前の話が、今年は過剰流動性の持つ魔力に若干行き過ぎた部分もあったし、その反省もあったとおもう。 金(きん)については、ワタクシは宗教みたいなものだと思っている。それこそ、むかしどこかの新興宗教でつぼやら印鑑を高価で売りつけていたようだが、信者にとってはそれはやはり大事なものなのだろうとおもうから。でもみんながその宗教を信じたら、持っている事が当たり前になっていく。金の持つ「本源的価値」が何であるか、今はその宗教論争の真っ最中というところだろう。 2. 規制・会計 これまでの流れに一定の変化が生まれた事は歓迎したい。ようやく、時価会計や規制強化などのもつプロシクリカリティーが共通認識とされるようになったことは前進だっただろう。そして、IFRSの見直しや自己資本規制の猶予期間に見られるように、そのインパクトを極力避けようとする冷静な動きが定着してきた事も、喜ばしい。一種の原理主義的な部分が人間の叡智によって克服されたというと大げさか。 規制や会計制度を考えるに当たり、ワタクシは人々がその利用の限界を充分に意識しなければならないと考えている。つまりそうしたものを使う事で「正義」とか「合理性」とかを追求できる範囲においては有効なのだが、えてして過去のひとつのおかしな事例のために包括的な規制や会計ルールをつくってしまって、社会全体の非効率を生み出そうとする力はまだ残っているように思える。 上から目線の人々(監督当局やルールメーカーなど)にとってみれば、制度を動かしてきれいに問題点をカバーする状態というのはきっと「美しい」し、業績としてもお墓に持っていけるぐらいの価値があるように思えて、ついついやってみたくなる気持ちもわからないわけではないが、場合によっては同じような事例が出る事を甘受して対症療法に徹するほうが全体のコストが安くなる事もあるのだ、という冷静な経済的比較衡量が求められている事をあらためて強調しておきたい。 3. 財政問題と金融政策 金融危機が国境をこえて世界中で猛威を振るったことで、先進国を中心に多くの国で財政が悪化している。つまり税収不足であり、景気対策費の支出であり、その結果としての国債の増発である。景気回復のための低金利政策や時間軸政策が各国で行われたことにこうした国債大量発行予想が組み合わさり、利回り曲線はあちこちでかなりスティープとなった。 ある程度教科書的だとはいえ、米国における2-10年スプレッドや日本における5-20年スプレッドなどを見ていると、市場の悲鳴が聞こえてきそうな気がする。これまではたしかになんとかごまかしてきたのだけれど、いくら国内で国債が消化できているからといっても、多くの人が貯蓄を取り崩している中で、今後の財政悪化分まで吸収し続けられるかはなはだ心もとないのであり、いずれは市場参加者として、政府が真面目に取り組んでくれないとへそを曲げちゃうぞ、という多少の脅しはかけておきたい。 日本について言えば、基軸通貨特権がないため、逆に言えば日本人が買わなくなったらおわりなのだが、政府には、日本の金融機関をはじめとする投資家がいつまでも買ってくれるとおもってもらっては困る。すでに状況は「乾いた薪」みたいなもので、ちょっと油を注いで誰かが火をつけたら、一気に燃え上がる可能性は(たとえボヤで消し止められたとしても)高いのである。あきらかに海外の一部の人々は、いつ火をつけようかとてぐすね引いているのだが。 4. その他(政治とか・・・) かつてはその名を世界にとどろかせた企業が、時代の変化に飲み込まれていっている。GMは破綻したし、日本でもJALが法的破綻も視野に入ったとの報道が出ている。おごれるもの久しからず。いずれもレガシーコストが大きな問題となった点で共通している。 日本の国民がドラスティックな変化を望んで民主党に政権を預けたことも、今年の大きな出来事だった。自民党が自滅したというべきかもしれないが、当然といえば当然ながら、経済などにおいて劇的に状況が良くなるわけもなく、むしろわけのわからない政治家が脱官僚を推し進めようとする結果、ますます政策が混迷の度を深めた。今のところはまだ発足して間もないから厳しい批判は控えられては居るが、公平に見て我々に従来以上の不安感を植え付けただけにいまのところなってしまった。 ワタクシから見て最大の問題は現政権の多くの人々が「アンチ小泉改革」をベースに行動している事である。小泉元首相のやった事については意見は大きく分かれるであろうが、確かな事は、彼が提示した改革案をいったんは国民が強く支持したこと、その支持がそういった改革を通じて得られる「未来への希望」を背景としていた事、そしてそれへの道筋は「痛みを伴う」ことをその時点で国民も(漠然と)理解していた事である。小泉氏の改革も結構いい加減な部分が多くて、全体像としてはなかなか評価しづらいが、それが貫徹できなかった理由のひとつは、その厳しさに国民が耐え切れなかったということである。自民党そのものがその流れを作り、民主党がそれを正面から訴えてチェンジを獲得したのだが、小泉改革のアンチテーゼとはなにか?それは「希望の持てない現状維持」ということに他ならないように感じる。もっといえば外科手術やエクササイズによって体質を変えて長生きするよりも、じっと座ってテレビを見ながら飽食を続けて成人病による死を待つ、ということである。ワタクシは日本国民がそういうつもりでチェンジをしたわけではないと思うのだが、いまやろうとしている政策はどうもそういう風にしか見えないのである。 現在の政権が大きく変えようとしているのが外交の枠組みだと思えるのだが、これもなかなか厄介な代物だ。中国やアジア諸国と仲良く付きあうことは当然重要なのだが、防衛や経済における米国の存在についての配慮を欠きすぎているうえ、理念ばかりが先走ってしまっていてこれぞ素人という感じである。外交面での不安が極めて強いだけに、2010年がその方面からの波乱を(金融市場においても)招く可能性は充分にあるだろう。宮澤首相時代にはクリントン大統領との関係がこじれて大幅な円高を招いたというのはほぼ定説だろう。いまはたまたま大幅な円高に行きづらいポジションになっている(たとえば機関投資家の外貨ロングが極めて少ないとか、貿易黒字が結構減っているとか)から為替ではそういうことが起こりづらいのだろうが、先ほども書いたように色々と市場的な弱点を抱えている日本だけに、注意は必要だろう。 以上かってな雑感でした。 |
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今年もいろいろありました
1年間のご愛顧、たいへんありがとうございました。皆様、よいお年をお迎え下さい♪ ***♪NOW AND THEN 〜失われた時を求めて〜♪ ...続きを見る |
歌は世につれ世は歌につれ・・・みたいな。 2009/12/31 01:00 |
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「資本を、メンドくさい投資へ回すのではなく、毎日お菓子を食べて寝て過ごすために使おう」ですかね。塩蔵死蔵が金銭人材ともに得意、いやワンパターンしか知らぬ、国らしい選択だ。冬が来たら備蓄食糧で寝て過ごすべ、まさにそういう、冗談抜きに。 |
某 2010/01/01 11:38 |
某さん、コメントありがとうございます。現状打破のために、限られた資源をどのように使うか、ここが問題ですね。 |
厭債害債 2010/01/02 14:09 |
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