ろうそくデモ2年:悪夢にうなされる警察官(下)

 その日からハさんは、「夢に出てくる“顔”のせいで、明け方近くになると突然、眠りから覚めることがある」という。慶尚南道金海の電子製品組立工場で働くハさんは、「今でも、テレビに2008年のろうそくデモの場面が出てくると、冷や汗が出る。当時のことを忘れようと努力している」と語った。

 その日、同じ中隊に勤務していたイ一警(21)は、デモ隊が振り回す鉄パイプで首や腰を強く殴られて気を失い、警察病院に運ばれた。イさんは、「ろうそくという言葉さえも思い出したくない」と語った。「わたしの人生から完全に消し去ってしまいたい瞬間だ。(暴行について)責任を取った人もおらず…。除隊した今、デモ隊を恨んで何になるだろう。すべて過去のこと」

 当時、第306中隊の隊員80人余りを率いて太平路に出動したパク・ヨンチョル警査(巡査部長に相当)=35=は、デモ隊が投げた物体が目に当たり、眼窩(がんか)骨折の重傷を負った。パク警査は、「制服を着ていたのでこらえたが、民間人の身分だったら、個人的に仕返ししてやりたい、という気持ちだった」と語った。

 1999年に警察に入隊し、10年間にわたり警備業務一筋に従事してきたパク警査は、「傍若無人に暴力を振るい、通りを走り回っていたデモ隊の中核が何者なのか、はっきりと分かった」と語った。「2002年に起こった申孝順(シン・ヒョスン)、沈美善(シム・ミソン)事件(2002年6月、女子中学生2人が米軍装甲車にはねられて死亡した事件)での反米集会、平沢汎対委(平沢米軍基地拡張阻止汎国民対策委員会)、韓米自由貿易協定(FTA)阻止汎国民運動本部、そして対策会議…。暴力を行使する者たちは、名前を変えただけで、つながっていた」

 パク警査は、「大韓民国を無法地帯にさらす勢力の前で我慢したくはないが、こみ上げる怒りをこらえている」と語った。

 警察庁によると、106日間続いた「ろうそくデモ」当時、警備・鎮圧に動員された警察部隊は7606個中隊、人員は延べ68万4504人で、負傷者は501人(重傷100人、軽傷401人)に上った。

チェ・ソンジン記者

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朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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