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天声人語

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2010年5月10日(月)付

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 立夏を過ぎ、風は「光る」から「薫る」になった。風の名にも色々あるが、「二十四番花信風(にじゅうしばんかしんふう)」をご存じだろうか。年明けから晩春の折々に咲く、二十四種の花のたよりを乗せて吹く風を言う。中国伝来の風雅な呼び名である▼その風はまず、梅の香をもたらす。次には椿(つばき)や水仙、沈丁花(じんちょうげ)。立春のころには辛夷(こぶし)、さらには梨花(りか)などと続く。そして春の終わりには牡丹(ぼたん)の知らせを運んでくる。その牡丹前線は、桜を追って東北あたりに入ったらしい。今年は遅れ気味ですと、風ならぬ読者の女性からたよりを頂いた▼東京はしばらく前が盛りで、名所の寺で眼福にあずかった。ほぐれかけた蕾(つぼみ)も、盛りをすぎてゆらりと崩れた大輪も趣がある。だが、何と言っても咲き極まった艶美(えんび)にはほれぼれする。気品と富貴を備えた姿は「花の王」の名にふさわしい▼〈牡丹花(か)は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ〉。木下利玄の一首は、絶頂にぴたりと静止した美を見事にとらえている。白も紅もいいが、紫黒(しこく)の花には神秘が匂(にお)う。底の知れぬ深みをたたえて、陽光をはじいていた▼花と言えば牡丹をさした中国では、唐の都の長安で大流行したそうだ。名所はどこも大勢が繰り出した。にぎわう光景を、大詩人の白居易は〈花開き花落つ二十日(にじゅうにち) 一城の人皆狂えるがごとし〉と歌っている▼唐の皇帝玄宗は、その咲き姿を、寵愛(ちょうあい)した楊貴妃にたとえたと伝えられる。傾国の花と言うべきか。〈散りてのちおもかげに立つ牡丹かな〉蕪村。この牡丹とは花か。それとも人だろうか。

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