【社説】狂牛病騒動が過ぎ去った光化門で(下)

 集会の参加者たちは、「米国産牛肉をわずか1グラム口にするだけでも人間狂牛病に感染し、脳が溶けてしまう」というデマを信じ込んでいた。これらのデマは、テレビ局が厳粛な事実から目を背け、ニセの科学によって巧妙に真実を覆い隠したことによって広まった。また、道徳性や倫理観に欠ける多くのニセ知識人たちも、これらテレビ局の愚かな行為に一役買った。デマを信じて通りに飛び出したのは、これらニセ知識人たちの言葉を信じた善良な市民たちだった。ある左派系列の医師団体関係者は、「(米国産牛肉で作られた)コムタン(牛テールスープ)、ソルロンタン(牛肉・牛骨のスープ)、ハンバーガー、ソーセージ、ピザは、命懸けで食べなければならない」と扇動した。また、かつて農林水産食品部長官を務めた某大学の学長は、「米国では25万人から65万人の人間狂牛病患者がいるが、彼らは認知症と診断されたまま死んでいる」と主張したが、これこそまさに小説のような話だ。対策会議の事務局長と名乗る人物は、「大統領府に行こう」と叫んだ。MBCの時事番組『PD手帳』のシナリオライターだった女性は、知人に送った電子メールに「発足からわずか100日しかたっていない政権の生命を絶ち切った。これは、過去にどのマスコミも運動圏勢力もできなかったことだ。どれだけ必死になって仕事をしたか。大統領選挙直後、李明博(イ・ミョンバク)大統領に対する敵がい心は天にも届くほどだったため、あのようなことが可能だった」と興奮気味に書き綴っている。

 韓国では唯一、人間狂牛病に関する論文を発表したことのある大学教授の自宅には、多くの人々が押し寄せ、「狂牛病の危険性をもっと積極的に世間の人たちに知らせるべきだ」と叫び、家畜の糞尿をまき散らした。さらに、狂牛病デモが落ち着いた直後、英国政府が公開した5000ページの狂牛病白書や、200本以上の論文を引用し、「ピカソ」というハンドルネームでポステック(旧浦項工大)生物学研究情報センターのホームページに書き込みを行った開業医は、2008年9月に発行した著作の中で、「人間狂牛病が発生する確率は、非常に高く見積もったとしても、100年か200年に1人発症するかどうかだ」と主張した。ところがこの人物も、主要紙に広告を掲載した企業が、集会加担者らに脅迫されている状況を目の当たりにし、仮名を使って著書を発行せざるを得なかった。

 今振り返れば、この狂牛病問題は政府の拙速な交易交渉がきっかけとなって起こったことが分かる。政府は2008年4月、牛肉交渉に決着をつける際、「生後30カ月以上の牛肉に関しても輸入を認め、米国で狂牛病に感染した牛が新たに発見されたとしても、直ちに輸入を中断することはできない」という条項を認めた。だが、左派集団や権力を手にすることができなかった勢力は、このスキを逃さなかった。こうした勢力は、直後に「検疫主権を放棄した」「朝貢外交」などと主張し、牛肉問題を政治問題にすり替えるという手口で政府を追い込んだ。当時、政権の座に就いたばかりで、対応に不手際が目立った政府は、彼らの前になす術もなく押し切られた。ただし、ニセの専門家やイデオロギー集団、偏向したマスコミ、無責任なウェブサイトなどがどんなに必死にデマを広めようとしても、批判的な良心を持った中間層が断固とした対応をしていれば問題はなかったはずだ。しかし、そのように成熟して安定した市民が韓国社会に非常に少ないという事実は、この狂牛病問題を通じて改めて明らかになった。そして、この不安定な状況は今もさほど変わってはいない。

【ニュース特集】米国産牛肉輸入問題

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

このページのトップに戻る