2010年4月27日16時4分
雲南省の山奥に住む阿雲彩さん(右から2人目)とその家族を訪ね、日本行きについて質問する田中政一さん(右端)=雲南省馬鞍山郷、西村写す
日本へ出国する前に行われる合宿研修で、迷彩服を着て日本のお辞儀の練習をする研修生たち=雲南省大理、西村写す
留学のため、日本に向かう翁丹チエさん(左)と金少華さん(右)。翁さんの母親(中央)が付き添いで同行した=上海の浦東国際空港、相場郁朗撮影
農業や製造業などの研修生として日本へ行く人は、発展する中国沿海部で減る一方、貧しい農村が多い内陸部では増えている。供給源は西へ向かう。一方、沿海部からは、就職難の若者たちが「日本にでも行くか」と飛び立っている。
中国南西部・雲南省大理から車で1時間以上走った山間部にある馬鞍山郷。少数民族のイ族が住む地域で、険しい山が果てしなく続き、山肌にへばりつくように民家が並ぶ。急な山道を上ると、集落にたどり着く。
徳島県上板町で農業を営む田中政一さん(61)は昨秋、ここに住む阿雲彩(アー・ユンツァイ)さん(19)の実家を訪れた。研修生を求め、大理の労働者派遣会社で面接した約20人の女性のなかで、最も好感を持ったからだ。
――娘さんが1人で日本に行って不安はないですか。
「日本は発展した安全な国。心配していません」
――日本人と結婚するかも知れませんよ。
「賛成です。娘は3人いますし……」
田中さんの質問に、両親はとつとつと答えた。
「山奥で暮らしていれば足腰は強い。畑のほかに家畜も多く、両親はまじめにやっている。こういう親なら娘もしっかりしている」。田中さんは採用を決めた。
両親と娘3人の家族だ。年間1万元(14万円弱)前後の農業収入があるが、医療費や学費はまかなえず、金融機関や親類に3万8千元の借金がある。
阿さんは昨年、専門学校を卒業し、実家の農業を手伝っていたが、叔父の勧めで研修生募集に応募した。採用されたため、さらに借金し、各種手続き代など計4万元を派遣会社に支払った。「地元で就職しても月800元(1万円強)ほど。日本ならもっと稼げるし、先進的な知識も得られる。生活費以外は全部実家に送るつもり」と話す。
一方、田中さんは夫婦でコメやニンジンなどを栽培していたが、農作業が体にこたえ始めた。昨春、知人の勧めで雲南省の女性2人を受け入れたところ、一生懸命働く姿に感心し、農作業を任せるようになった。さらに2人増やし、農地も広げるつもりだ。田中さんは「日本の若者は農業に寄りつかない。孫のような若者が一緒に働き、成長するのを見ると張り合いが出ます」と笑う。
日本の入国管理局によると、農業や製造業などで働く研修生の2008年の新規入国者数は約10万2千人。中国人はその7割近い約6万9千人を占め、00年の約2万8千人から2.5倍に増えた。
■派遣前に軍隊式合宿
「右向け、右!」
「敬礼!」
大理の体育施設。人民解放軍から派遣された教官の命令で、迷彩服の男女15人がぴっと姿勢を整えた。日本に向かう研修生たちだ。徳島県の農業法人に行く予定の女性(31)は「体力だけでなく、自己を厳しく律するために訓練が必要です。2人の子どもがいますが、親が見るから安心です」と話した。
地元の労働者派遣会社、大理州国際経済技術合作公司は、出国前に3〜4カ月の合宿を行っている。朝6時半に起きて走る。いかなる理由でも休暇は認めない。布団のたたみ方、コップや靴下を置く場所まで軍隊式に決まっている。日本語などの授業の合間に軍事教練もする。「日本に行けば、どんなにつらくてもやめられない。雇い主に服従する労働者の本分をしっかり理解させる」と和建偉(ホー・チエンウェイ)社長は強調した。
同社は03年の開業以来、約300人の研修生を静岡や千葉などに派遣してきた。韓国や中東などにも出すが、日本の待遇が一番良いという。研修生になる可能性がある人材は、人口約4500万人の雲南省で200万人にのぼる、と同社はみる。
労働者を海外派遣すると、国、省、地元の大理白族自治州政府から1人あたり計900元(約1万2千円)が派遣会社に支給される。出国手続きや審査は04年から大幅に緩和した。労働力輸出は貴重な収入源だからだ。和社長は「雲南省の労働者派遣は始まったばかり。日本への研修生派遣はあと10〜20年は続くだろう」と意気込む。
■沿海部の大卒就職難 親から資金
4月上旬のある朝、上海浦東国際空港。中国の20歳の男女2人が小松空港(石川県)行きのフライトを待っていた。「ちょっと興奮しています」。男性の金少華(チン・シャオホワ)さんはぼそっと答えた。語学学校で知り合った2人は福井県で1〜2年ほど日本語を学び、日本の大学に進学したいと思っている。
2人が日本留学を志したのには訳がある。江蘇省蘇州出身の金さんは08年、第1志望の蘇州大学に入れず、南京郵電大学に進学した。ここでも、希望した経済学科に行くには点数が足りず、違う学科に割り振られた。授業に身が入らなかった。
そんな時、日本へ留学していた友人がパソコンのチャットで「東京は便利だし、きれいだぞ」と話した。父の口癖も「若いうちに海外へ行け」。大学でやりたい勉強もできず、将来も見えない……。それなら、日本へ行ってみるか、という気分になった。学費と生活費に年200万円近くかかるが、中小企業を営む父が「全部出してやる」。
一緒に留学する翁丹チエ(ウォン・タンチエ、チエは女へんに捷のつくり)さんも職業学校の看護学科をめざしたが、かなわなかった。母は江蘇省にいるが、父は福井県に住む日本人で、中国との間を仕事で行き来する。父の家に身を寄せ、学校に通うことにした。母は「日本の大学に入れば、帰国後の就職にも有利」と期待する。だが、金さんは複雑な気持ちだ。「志望校に受かっていたら、日本へは行かなかったと思う」
上海で日本語学校を運営する魏海波(ウェイ・ハイポー)さんは「中国の志望大学に入れない、いい就職先が見つからない、との理由で留学を考える人が増えている」と話す。日本にでも行ってみるか、という感覚の生徒が同校で3〜4割いるという。
今年、中国の大学を卒業するのは600万人強。デンマークの人口より多い。そのうえ、企業は即戦力になる経験者を優遇し、新卒者の就職は厳しい。たとえ就職できても平均的な月給は2千元(約2万7千円)前後。携帯電話の中位機種1台の金額だ。満足できる仕事が見つからず、安アパートで共同生活する大卒者たち「蟻(あり)族」が各地の大都市に漂い、社会問題になっている。留学で学歴や能力を高めたい若者は無数にいる。
そんななか、お金を出せる親も増えてきた。
80〜90年代にも上海から日本への留学ブームがあったが、当時は、親類などからお金を集めての一世一代の渡航だった。今では、「多くの一般家庭にとって、日本留学は受け入れられない金額ではない」。日本学生支援機構によると、09年の中国人留学生は約7万9千人。出身国別の留学生数は中国がトップで、全体の6割を占めた。
魏さんはこんな見方も示した。「中国は大半が一人っ子だ。親が甘すぎて苦労を知らない。日本で厳しいアルバイトをしながら勉強するのは、人生のいい経験になる」(雲南省大理=西村大輔、上海=奥寺淳)