実効支配
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実効支配(じっこうしはい、英: effective control)は、ある政権が領域を実態の上で統治していることを指す。
[編集] 概説
たとえば、支配権を主張する現地に実際に軍隊などを駐留させている場合などに、実効支配がなされているとされる。一般に実効支配という言葉が用いられる事例は、外国政府による領有または政権そのものの国家の承認が伴っていないケースである。承認がなされない理由は、当該地域に関する他国との領有権問題や政権の正統性に対する懐疑などである。承認を受けていない政権で国家の一部の領域を実効支配するものは、「ゲリラ」「反政府組織」などの名称で呼ばれる。全土を実効支配する政権が承認を受けないことは稀だが、当初のソビエト連邦(ソ連)のように新政権のあり方に他の既存国家が難色を示している場合に起こりうる事例である。
[編集] 実効支配の具体例
- 北キプロス・トルコ共和国(キプロス島北部)- 国家承認しているのはトルコだけである。
- タリバン(イスラム原理主義者の結社)- アフガニスタンの国土の9割を統治していながら、国家承認したのはパキスタン・サウジアラビア・アラブ首長国連邦のみで、国際連合の代表権は北部辺境に脱出したラッバーニー政権(北部同盟)に付与されたままだった。2001年10月アメリカのアフガニスタン侵攻によって事実上消滅。
- カシミール(元イギリス領)- 南部をジャンムー・カシミール州としてインドが、北部をアザド・カシミールとしてパキスタンが、北東部のアクサイチン地方は中華人民共和国が実効支配している。
- 西サハラ(元スペイン領)- 長らく独立運動が継続しており、独立派はサハラ・アラブ民主共和国を宣言し、アフリカ・南アメリカを中心にかなりの数の国の承認を受けているが、ほとんどの地域をモロッコが実効支配している。モロッコはこの地域の領有権を主張しているが、多数の国から認められていない。
- ソマリランド(ソマリア北部、元イギリス領ソマリランド)- ソマリアのアデン湾に面する北部地域が、ソマリ国民運動により1991年に「ソマリランド共和国」として一方的に独立を宣言。
- 朝鮮半島 - 大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国ともに朝鮮半島全域を領有していることになっているが、北緯38度線に沿った軍事境界線を境とした地域のみを実効支配している。
- 台湾 - 中華民国政府が実効支配しているが、中華人民共和国政府は自国の領土の一部と主張している。一方で中華民国政府も台湾だけでなく現在中華人民共和国政府が実効支配する領域も自国の領土であるとしている。世界の多数の国が建前上は中華人民共和国政府を唯一の政府として国家承認し、その主張を支持しているが、実際上は両政府と実務関係を持っている国も多い。
- 千島列島 - 第二次世界大戦後、ソ連は日本の領土であった南樺太及び千島列島に侵攻し、現在に至るまでソ連及びそれを継承したロシア連邦が実効支配を継続している。日本にはロシアによる支配がソ連の不法な侵略に由来するものとし、全千島の返還を求める意見もあるが、現在の日本政府は南千島のみの返還を求めており、周辺の排他的経済水域が重要視されている。北方領土問題の項目も参照。
- 中・北千島、南樺太 - ロシア連邦が実効支配している。サンフランシスコ講和条約により日本が放棄し、現在日本政府は国際法上所属未定地域であるとの見方を示している。ただし、この地域を所属未定地としているのは日本だけというのが実情である。
- 竹島(韓国名・独島(ドクト))- 1905年1月28日に日本が竹島を島根県へ編入したが、1954年7月に独島義勇守備隊がこの島を不法占拠して以来、レーダー施設を設置するなど様々な対処をとる形で、大韓民国が現在も不法占拠を続けている。
- フォークランド諸島(スペイン名:マルビナス諸島)- 植民地時代にスペインへの帰属が確定し、植民地の独立後主権もアルゼンチンに受け継がれていたと考えられ、1820年にリオ・デ・ラ・プラタ諸州連合に編入されたが、1833年にイギリス軍の攻撃により占領され、以降イギリスが現在に至るまで実効支配を続けている。
- エルサレム - 1947年、国際連合によって東西に分割され、国際管理地域とされたが、1948年西部をイスラエルが、東部をヨルダンが占領。1967年イスラエルが全域を占領した。国連安保理は、1980年3月1日に出された「アラブ占領地におけるイスラエル入植地に関する国連安全保障理事会決議465」でエルサレム及び1967年以降に占領した地域の支配権を無効としたが、イスラエルは一部(※東エルサレム含む)をパレスチナ自治区とした他は実効支配を続けている。なお、イスラエルは国家成立から今日まで(法定上の)首都としているが、上記の理由で未だ国際的に首都として認められていない。
- マクマホンライン南部地域 - 本来はチベットの一部。後に当時、独立を目指そうとしていたチベットが、隣接する当時のインドを支配していたイギリスと組みシムラ会議を開催、マクマホンライン(チベットとインドの東部国境線)を設定するも中華人民共和国の承認を得られることなく終了。以後、インド独立後も現在に至るまでこの国境線を中国が認めることは無かった。なお、この国境線がきっかけで中印国境紛争(1959年-不明)が勃発した。
[編集] 関連項目
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最終更新 2010年4月14日 (水) 01:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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