さて、本日はそもそも神田橋先生の企画を花風社に持ってきてくださった愛甲修子さん(臨床心理士・言語聴覚士・スクールカウンセラー・千葉県教育委員会特別支援教育専門家チーム委員)によるあとがきを公開いたします。
始まりはこの方でした。今となってみれば私にとっては大恩人です。
一昨日、大地君がそらパパさんあてに手紙を書いてきました。
いきなりでびっくりしたのですが、とてもいい内容なのでタイミングを見計らって公開します。
それに先立って愛甲さんにも大地君の手紙を見ていただいていたのでした。
私が印象に残った大地君の手紙をごくごく一部だけ公開します。
「僕の本に文句や意見があるなら僕に言ってください。僕が全部聞きます。質問も答えます。勝手に予想して、大人同士でこそこそ悪口はやめてください。僕は男なので、弱い人を守れる人になりたいです」
本当に神田橋先生の本に関しても「勝手に予想して、大人同士でこそこそ悪口」がとても多いですね。
本が出ればすべてわかることなのに。
私がそらパパさんに「これ以上やると訴訟を起こす」と宣言したことに対する反発も多いようですが、何度も言うように「本の批判」に対して訴訟を起こすわけではありませんよ。
未確認のことを「勝手に予想して」「真実のように言いふらす」ことは企業として放っておけない。
そして、不当な攻撃をしてくる話の通じなそうな相手に対して、直接の話し合いを避け、プロに頼んで法的措置を取るのは法治国家の国民に与えられた権利です。弾圧でもなんでもありません。
逆に言うと、言論活動する以上はそういうリスクは覚悟の上でやらないといけないでしょうね。
これが名誉毀損だと思うのなら、そらパパさんが私を訴えてくればいい。ちゃんと受けて立ちます。私はそれくらいの腹をくくってやっていますよ。私は言論のプロですから。
大地君だってそうです。実を言うと、そらパパさんへの手紙はペンネームではなく本名で送ってくれと言われています。これはこれからご両親の意向を確かめなければいけませんが。
これは大地君なりの覚悟の表明です。
それと、一言法律ミニ知識を。
そらパパさんが「自分の言っていることには裏づけがある」と証明しなければいけない相手はついったーのお友だちやなんかじゃありませんよ。その人たちが納得しても、裁判所が納得しなければ。だからきちんと司法の判断に耐えうる証拠を用意しておかないとね。
それと、私は一応出版社の経営者ではありますが、私への人格攻撃は「違法性を欠く旨の被告の主張は採用の余地がない」という判決が昨年東京地裁で出されていますよ。私は公人ではなく、あくまで民間企業の経営者です。嘘だと思うなら、東京地裁に行って判決文を見てみてください。
さてさて話がずれましたが、愛甲さんのあとがきです。
=====
執筆・対談を終えて
発達障害者養生のバイブル 愛甲修子
私は臨床心理士です。臨床心理士にはたいていS.V(スーパーヴァイザー)がいます。私のS.Vが神田橋條治先生です。
二〇〇九年七月六日、私は神田橋先生のスーパーヴィジョンを受けるため鹿児島に来ていました。
スーパーヴィジョンの席で、神田橋先生に「明日、佐世保高専で岩永竜一郎先生という方とお会いしてきます」とお話したところ、「これを岩永先生にお渡ししてください」と広瀬先生との対談集(療育技法マニュアル 第18集 「発達障害とのかかわり」 小児療育相談センター発行)を私に託されました。
私は岩永先生を「続 自閉っ子、こういう風にできてます」で知ってはいましたが、まさか神田橋先生がご存知だったとは驚きでした。
七月七日、佐世保高専で岩永先生と初めてお会いし、神田橋先生から託された本をお渡ししました。
七月八日、岩永先生からいただいた名刺を神田橋先生に差し上げましたところ、「僕は岩永先生と会ってお話ししたいなあ」としみじみおっしゃって、そのお姿が私の脳裏に焼きつきました。
東京に帰ってしばらく経ってから、全く面識のない花風社さんに私は突然お電話を入れました。
最初はものすごく警戒されて、「きっと断られるだろうな」といった対応が続きました。
あちらからすると、それはごく当たり前の対応だったと思います。どこの馬の骨かわからない赤の他人が「あのう、神田橋先生と岩永先生の対談本を作りませんか」と突然電話してきたわけですから。
でも、でも、不思議な流れが起こり始めました。
私は突然花風社の浅見さんとお会いすることになったのです。
私が初めて花風社さんを訪問したのは、七月二十七日の夕でした。お会いした時、浅見さんの体全体から真っ黒の炎が燃えたぎっていました。
今考えるとそれはひょっとしたら医療者やカウンセラーに対する怒りだったのかもしれません(悲しみの怒りのように感じられました)。
そんなこんなで、神田橋先生の研究会が東京で開かれた際、浅見さんが神田橋先生に会われました。
そして翌年一月九日、十日、神田橋先生、岩永先生、浅見さん、藤家さん、愛甲といったメンバーで長崎で対談が行われる運びになりました。
結論から申しますと、本書は神田橋先生と岩永先生の対談本の域を超えたものになりました。
発達障害養生のバイブルと呼ぶに値する名著になったと思います。
「発達障害者は発達する」という言葉は、発達障害者を確実に発達させてこられた神田橋先生だからこそ言えるお言葉なのでしょう。
神田橋先生のことを岩永先生は、理詰めの人と評されていますが、私もその意見には賛同致します。
お医者様のなかには、神田橋先生のOリングや整体や「邪気」という言葉などに疑問を覚える方もいらっしゃると聞きます。
神田橋先生は、経験値を積み上げられるなかで反省し検証しつつすぐれた技を修得されてこられているので、その技は決して「神業」などではないはずです。
「発達障害者を発達させる」技を修得するためには、治療者自らが謙虚に学ぶ姿勢を持ち続けること、そして発達障害者の生活世界を理解しようとする姿勢を持ち続けることが大切なのだと思います。
本書では発達障害当事者やご家族そして定型発達者がどうしたら生き生きとやっていけるようになるか多くの貴重なお話が語られています。
デジタルではなくアナログで、診断をつけるだけではなく治療をこころがけることこそが医療者には求められます。
そしてすべての専門家や家族は、発達障害当事者が未来を思い描き歩を進められるよう支援することを知らなければなりません。
また、発達障害当事者も自らが発達することで未来へと歩を進められるようになることを知っておく必要がありましょう。
神田橋先生が岩永先生のことを「正しい道を進んで行かれている方だ」と評される理由は、岩永先生がつねにその人の未来を思い描きながら治療をされていらっしゃる姿勢にあるのではないでしょうか。
本書を読むことで、読者ひとりひとりが自らの遺伝子を開花させていくことができれば、本書の目的は達成されることになります。
私は本書が世に出る最初のきっかけを作らせていただいたことを光栄にそして嬉しく思います。
まさか対談にも加わらせていただくことになろうとは夢にも思っていませんでした。
ひとりでも多くの方が本書を手に取ってくださって、それぞれの未来を思い描いていただきたい、そのように心より念じております。
始まりはこの方でした。今となってみれば私にとっては大恩人です。
一昨日、大地君がそらパパさんあてに手紙を書いてきました。
いきなりでびっくりしたのですが、とてもいい内容なのでタイミングを見計らって公開します。
それに先立って愛甲さんにも大地君の手紙を見ていただいていたのでした。
私が印象に残った大地君の手紙をごくごく一部だけ公開します。
「僕の本に文句や意見があるなら僕に言ってください。僕が全部聞きます。質問も答えます。勝手に予想して、大人同士でこそこそ悪口はやめてください。僕は男なので、弱い人を守れる人になりたいです」
本当に神田橋先生の本に関しても「勝手に予想して、大人同士でこそこそ悪口」がとても多いですね。
本が出ればすべてわかることなのに。
私がそらパパさんに「これ以上やると訴訟を起こす」と宣言したことに対する反発も多いようですが、何度も言うように「本の批判」に対して訴訟を起こすわけではありませんよ。
未確認のことを「勝手に予想して」「真実のように言いふらす」ことは企業として放っておけない。
そして、不当な攻撃をしてくる話の通じなそうな相手に対して、直接の話し合いを避け、プロに頼んで法的措置を取るのは法治国家の国民に与えられた権利です。弾圧でもなんでもありません。
逆に言うと、言論活動する以上はそういうリスクは覚悟の上でやらないといけないでしょうね。
これが名誉毀損だと思うのなら、そらパパさんが私を訴えてくればいい。ちゃんと受けて立ちます。私はそれくらいの腹をくくってやっていますよ。私は言論のプロですから。
大地君だってそうです。実を言うと、そらパパさんへの手紙はペンネームではなく本名で送ってくれと言われています。これはこれからご両親の意向を確かめなければいけませんが。
これは大地君なりの覚悟の表明です。
それと、一言法律ミニ知識を。
そらパパさんが「自分の言っていることには裏づけがある」と証明しなければいけない相手はついったーのお友だちやなんかじゃありませんよ。その人たちが納得しても、裁判所が納得しなければ。だからきちんと司法の判断に耐えうる証拠を用意しておかないとね。
それと、私は一応出版社の経営者ではありますが、私への人格攻撃は「違法性を欠く旨の被告の主張は採用の余地がない」という判決が昨年東京地裁で出されていますよ。私は公人ではなく、あくまで民間企業の経営者です。嘘だと思うなら、東京地裁に行って判決文を見てみてください。
さてさて話がずれましたが、愛甲さんのあとがきです。
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執筆・対談を終えて
発達障害者養生のバイブル 愛甲修子
私は臨床心理士です。臨床心理士にはたいていS.V(スーパーヴァイザー)がいます。私のS.Vが神田橋條治先生です。
二〇〇九年七月六日、私は神田橋先生のスーパーヴィジョンを受けるため鹿児島に来ていました。
スーパーヴィジョンの席で、神田橋先生に「明日、佐世保高専で岩永竜一郎先生という方とお会いしてきます」とお話したところ、「これを岩永先生にお渡ししてください」と広瀬先生との対談集(療育技法マニュアル 第18集 「発達障害とのかかわり」 小児療育相談センター発行)を私に託されました。
私は岩永先生を「続 自閉っ子、こういう風にできてます」で知ってはいましたが、まさか神田橋先生がご存知だったとは驚きでした。
七月七日、佐世保高専で岩永先生と初めてお会いし、神田橋先生から託された本をお渡ししました。
七月八日、岩永先生からいただいた名刺を神田橋先生に差し上げましたところ、「僕は岩永先生と会ってお話ししたいなあ」としみじみおっしゃって、そのお姿が私の脳裏に焼きつきました。
東京に帰ってしばらく経ってから、全く面識のない花風社さんに私は突然お電話を入れました。
最初はものすごく警戒されて、「きっと断られるだろうな」といった対応が続きました。
あちらからすると、それはごく当たり前の対応だったと思います。どこの馬の骨かわからない赤の他人が「あのう、神田橋先生と岩永先生の対談本を作りませんか」と突然電話してきたわけですから。
でも、でも、不思議な流れが起こり始めました。
私は突然花風社の浅見さんとお会いすることになったのです。
私が初めて花風社さんを訪問したのは、七月二十七日の夕でした。お会いした時、浅見さんの体全体から真っ黒の炎が燃えたぎっていました。
今考えるとそれはひょっとしたら医療者やカウンセラーに対する怒りだったのかもしれません(悲しみの怒りのように感じられました)。
そんなこんなで、神田橋先生の研究会が東京で開かれた際、浅見さんが神田橋先生に会われました。
そして翌年一月九日、十日、神田橋先生、岩永先生、浅見さん、藤家さん、愛甲といったメンバーで長崎で対談が行われる運びになりました。
結論から申しますと、本書は神田橋先生と岩永先生の対談本の域を超えたものになりました。
発達障害養生のバイブルと呼ぶに値する名著になったと思います。
「発達障害者は発達する」という言葉は、発達障害者を確実に発達させてこられた神田橋先生だからこそ言えるお言葉なのでしょう。
神田橋先生のことを岩永先生は、理詰めの人と評されていますが、私もその意見には賛同致します。
お医者様のなかには、神田橋先生のOリングや整体や「邪気」という言葉などに疑問を覚える方もいらっしゃると聞きます。
神田橋先生は、経験値を積み上げられるなかで反省し検証しつつすぐれた技を修得されてこられているので、その技は決して「神業」などではないはずです。
「発達障害者を発達させる」技を修得するためには、治療者自らが謙虚に学ぶ姿勢を持ち続けること、そして発達障害者の生活世界を理解しようとする姿勢を持ち続けることが大切なのだと思います。
本書では発達障害当事者やご家族そして定型発達者がどうしたら生き生きとやっていけるようになるか多くの貴重なお話が語られています。
デジタルではなくアナログで、診断をつけるだけではなく治療をこころがけることこそが医療者には求められます。
そしてすべての専門家や家族は、発達障害当事者が未来を思い描き歩を進められるよう支援することを知らなければなりません。
また、発達障害当事者も自らが発達することで未来へと歩を進められるようになることを知っておく必要がありましょう。
神田橋先生が岩永先生のことを「正しい道を進んで行かれている方だ」と評される理由は、岩永先生がつねにその人の未来を思い描きながら治療をされていらっしゃる姿勢にあるのではないでしょうか。
本書を読むことで、読者ひとりひとりが自らの遺伝子を開花させていくことができれば、本書の目的は達成されることになります。
私は本書が世に出る最初のきっかけを作らせていただいたことを光栄にそして嬉しく思います。
まさか対談にも加わらせていただくことになろうとは夢にも思っていませんでした。
ひとりでも多くの方が本書を手に取ってくださって、それぞれの未来を思い描いていただきたい、そのように心より念じております。