2009-11-09 23:39:03
【反日】 WiLL 「 小沢一郎と”ヒトラー”稲盛 」 と"のりピー"こと酒井法子
テーマ:反日の実態
KDDIの件が気になっていたのですが、ブログが見つかったのでURLを貼っておきます。
面白いのでぜひご覧になるといいと思います。
「キムチの恩人」と呼ばれる禹という朝鮮人の四女が京セラ・第二電電(現・KDDI)創業者"稲盛 和夫"の奥様だそうです。
私はこの記事を読むまで知りませんでした。
しかも、アイドル、酒井法子の出生の話につながります。
■選挙権が欲しいなら日本国籍を取得すべし 「やすらぎ治療日記」さんより以下該当箇所のみ転載です。
http://ameblo.jp/miura-hari/entry-10382674150.html
<引用>
民主党応援団の今田氏、小沢一郎、稲盛和夫の関係
テーマ:のり塩事件 ( 平成20年08月28日 )
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0808/080828-12.html
今田氏が、稲盛を心底信奉し ( その旨、目安箱に投稿済み )、今田氏がいう稲盛が民主党を応援するのが、何故なのか、不思議に思っていたが、その全貌が、次の記事で明らかにされた。
それは、月刊誌WiLL10月号 タイトル 「 小沢一郎と”ヒトラー”稲盛 」 筆者 ( 尾方真人 ) の記事である。
同記事の表現によれば、稲盛は 「 政商 」 だ。
以下に、記事内容から一部を列挙。
1.本年2月5日夜、都内の料亭に小沢、鳩山由紀夫、菅直人、興石東四人を呼び集めた。 そこで四人の一致団結を呼びかけている。
「 どんなことがあってもこのメンバーだけは仲良く、けんかしないで政権交代を目指してくれ 」
なぜそこまで小沢に肩入れするのか。 稲盛の狙いは何なのか。 ( 記事の後の方で詳しく書いている )
2.稲盛の信奉者の勉強会 「 盛和塾 」 などでは何度もヒトラーを絶賛しているという。 超能力や占星術などの神秘主義から、当然のようにヒトラー信奉の思想も芽生えてくる。
3.五月号にも書いたが、、八九年、小沢が自民党の幹事長の要職にあったとき、米モトローラ社など自動車 ・ 携帯電話への参入を求めた日米通信市場交渉がピークを迎えていた。
その時、米モトローラ社と ( 稲盛の ) 京セラに便宜を図ったのが小沢で、それ以後、この小沢と稲盛の関係は一段と深まった。
4.稲盛の資金管理会社 「 ケイアイ興産 (株) 」 の監査役を務めていたのが、橋口収。
大蔵省主計局長、公正取引委員会委員長などを歴任した橋口は田中角栄の ”子分” で、田中派の秘蔵っ子だった小沢一郎とも親しい。
この橋口が小沢と稲盛の ”仲人” だったと言われる。
この橋口の娘婿が武藤元日銀副総裁だ。
それだけに今年四月、民主党の反対で武藤の日銀総裁就任が不首尾に終わった時、小沢はどれだけくやしい思いをしたかということだ。 稲盛としてもその思いは同じだろう。
その時の失敗に懲りた小沢、稲盛は、必死になって民主党内部の主導権を握ろうとしてきた。
5.一般的にいって現在の民主党代表の小沢一郎の評判は極めて悪い。(中略)
いまの民主党を実質、誰が支配しているのか、九月の代表戦を実質、仕切ったのは誰かということが、はっきりと表面化するのは・・・・・。
以上 1~5 が、記事の要点である。 ( 文章は、そのまま引用 )
<ニコさんのブログから>
http://www.kagoshima-kigyouka.com/syoukai/keiai/index.html
稲盛 和夫(いなもり かずお、1932年1月21日 - (戸籍上は1月30日))は、日本の実業家。
京セラ・第二電電(現・KDDI)創業者。
<来歴・人物>
鹿児島県生まれ。
鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校を経て、1955年鹿児島大学工学部を卒業、がいしメーカーの松風(しょうふう)工業を経て、1959年、社員8人で京都セラミツク(現・京セラ)を設立し、10年後、株式上場。ファインセラミックスの技術で世界的な企業に成長させた。
1984年には第二電電(DDI、現・KDDI)を設立した。
グループ全体で売上高が1兆2000億円と成長を遂げた。
1984年、財団法人稲盛財団を設立し、京都賞を創設した。
また、若手経営者向けの経営塾「盛和塾」を非営利にて主宰し、若手経営者の育成も行っている。
独特な経営管理手法「アメーバ経営」が有名である。
1997年には臨済宗妙心寺派円福寺で得度を受けた。
また民主党代表小沢一郎と旧知の仲であり、大企業の実業家ながらも熱心な民主党支持者として知られている。
とりわけ京都市を地盤とする前原誠司の有力な後援者である。
小沢一郎が2008年9月21日に民主党代表として再選された際には来賓として挨拶も行っている。
2005年、立命館小学校こども顧問委員に就任。
親族
朝子夫人は、「韓国農業の父」として知られる禹長春の四女である。
実弟の稲盛実氏は、鹿児島県で「餃子の王将」の名で展開する鹿児島王将株式会社の常務取締役である、1973年に京都王将の社長に掛け合って鹿児島に、王将の店舗を運営することが出来た。
禹長春
禹長春(ウ・ジャンチュン、、日本名:須永 長春(すなが ながはる)、1898年4月8日 - 1959年8月10日)は、農学者(農学博士)、育種学者。
韓国農業の父と呼ばれる。
生涯
父は乙未事変(朝鮮国王王妃閔妃暗殺事件)に加担した軍人・禹範善(ウ・ボムソン、)。
範善が日本に亡命し日本人女性・酒井ナカと結婚、日本で生まれたのが禹長春である。
出生地については東京説と広島説がある。育ったのは広島県呉市だが、範善は日本に協力して王妃暗殺に関与したため朝鮮人の中でも裏切り者とされ1903年、禹が6歳の時にかつて閔妃に仕えていた高永根に呉で暗殺された。
その後 、禹の韓国滞在は9年間であったが韓国農業は禹の弟子達によってその後発展した。
現在、在日韓国人でも学者以外はこの禹を知る人はほとんどいないが、韓国では道徳の教科書に載っており韓国国民で禹博士を知らない人はいない。
「韓国近代農業の父」あるいは「キムチの恩人」として有名だが、種無しスイカの発明者と言われることもある。
しかし種無しスイカは日本の遺伝学者・木原均博士が発明したもので、禹が育種学とは何かを分かってもらおうと種無しスイカを作り、人々の前でスイカを切ったところ、種の無いスイカに人々は仰天し "禹先生が種無しスイカを作った" → "発明した" と一人歩きして今日に至るという逸話が残っている。
韓国放送公社(KBS)とNHKの共同制作で、その生涯がテレビドキュメンタリー化され両国で放送された。
日本では1991年2月にNHKスペシャル「ある日本人・禹長春」というタイトルで放送されている。 近年は舞台化もされている。
日本で差別を受けたが[要出典]禹は生涯それを口に出すことは無く、日本で高い教育を受けられたことの感謝をよく話したという。
禹には6人の子供がおり、うち四女・朝子は京セラ創業者・稲盛和夫に嫁いでいる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%B9%E9%95%B7%E6%98%A5
崇仁協議会は京都市が指定した崇仁同和地区のうち、京都市下京区 の小稲荷町、下之町、西之町、郷之町、上之町、川端町、東之町、 屋形町の8町の区域住民(総人口2700名、うち1763名)で構成されています。
http://www.suzin.com/
京都市下京区と言えば「崇仁協議会」
http://antikimchi.seesaa.net/article/32081569.html
人権擁護系の法案の実質的黒幕的存在。
稲盛と小沢との付き合いは、自民党田中派の全盛時代に端を発している。
東証一部上場企業「京セラ」の発行済み株式数の1.8%を保有する「ケイアイ興産(株)」という会社がある。
稲盛の資産管理会社で、稲盛の妻、稲盛朝子、妹の稲盛豊美の両名が代表取締役を務め、弟の実および稲盛の娘三人が共に取締役として名を連ねている典型的な“ファミリー”企業だ。
この「ケイアイ興産(株)」の監査役を務めていたのが橋口収という人物(平成17年死去)。
大蔵省主計局長、公正取引委員会委員長、広島銀行頭取などを歴任した橋口は、鹿児島県出身で稲盛と同郷。
大蔵省出身者としては珍しく角福戦争でも福田赳夫に組みせず、田中角栄の“子分”として筋を通した剛の者だ。
数少ない田中派の大蔵高級官僚として知られていた橋口は、当然、田中派の秘蔵っ子だった小沢一郎とも親しい。
この橋口が小沢と稲盛の“仲人”だったといわれる。余談だが、この橋口の娘婿が武藤敏郎元日銀副総裁だ。
それだけに今年四月、民主党の反対で武藤の日銀総裁就任が不首尾に終わった時、小沢はどれだけくやしい思いをしたことかということだ。
稲盛としてもその思いは同じだろう。
2009-08-26 01:41:28
閔妃暗殺の実行犯「禹範善」の末裔、のりp
テーマ:のり塩事件
酒井法子は、閔妃暗殺の実行犯の「禹範善」の奥様で、「キムチの恩人」の母の酒井サカの末裔。
その「キムチの恩人」こと禹長春さんの4女が京セラの稲盛和夫会長のところに嫁いであられるわけです。
稲盛朝子夫人と酒井法子は遠い親戚。
稲盛和夫さんと小沢一郎さんがツーカー。
反日勢力がこの韓国軍人集団による暗殺事件の実行犯が「日本人」だとのデマを流して反日感情を煽る。
反日工作のシンボルが、酒井法子。
---------------
民主党応援団の今田氏、小沢一郎、稲盛和夫の関係 ( 平成20年08月28日 )
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0808/080828-12.html
面白いのでぜひご覧になるといいと思います。
「キムチの恩人」と呼ばれる禹という朝鮮人の四女が京セラ・第二電電(現・KDDI)創業者"稲盛 和夫"の奥様だそうです。
私はこの記事を読むまで知りませんでした。
しかも、アイドル、酒井法子の出生の話につながります。
■選挙権が欲しいなら日本国籍を取得すべし 「やすらぎ治療日記」さんより以下該当箇所のみ転載です。
http://ameblo.jp/miura-hari/entry-10382674150.html
<引用>
民主党応援団の今田氏、小沢一郎、稲盛和夫の関係
テーマ:のり塩事件 ( 平成20年08月28日 )
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0808/080828-12.html
今田氏が、稲盛を心底信奉し ( その旨、目安箱に投稿済み )、今田氏がいう稲盛が民主党を応援するのが、何故なのか、不思議に思っていたが、その全貌が、次の記事で明らかにされた。
それは、月刊誌WiLL10月号 タイトル 「 小沢一郎と”ヒトラー”稲盛 」 筆者 ( 尾方真人 ) の記事である。
同記事の表現によれば、稲盛は 「 政商 」 だ。
以下に、記事内容から一部を列挙。
1.本年2月5日夜、都内の料亭に小沢、鳩山由紀夫、菅直人、興石東四人を呼び集めた。 そこで四人の一致団結を呼びかけている。
「 どんなことがあってもこのメンバーだけは仲良く、けんかしないで政権交代を目指してくれ 」
なぜそこまで小沢に肩入れするのか。 稲盛の狙いは何なのか。 ( 記事の後の方で詳しく書いている )
2.稲盛の信奉者の勉強会 「 盛和塾 」 などでは何度もヒトラーを絶賛しているという。 超能力や占星術などの神秘主義から、当然のようにヒトラー信奉の思想も芽生えてくる。
3.五月号にも書いたが、、八九年、小沢が自民党の幹事長の要職にあったとき、米モトローラ社など自動車 ・ 携帯電話への参入を求めた日米通信市場交渉がピークを迎えていた。
その時、米モトローラ社と ( 稲盛の ) 京セラに便宜を図ったのが小沢で、それ以後、この小沢と稲盛の関係は一段と深まった。
4.稲盛の資金管理会社 「 ケイアイ興産 (株) 」 の監査役を務めていたのが、橋口収。
大蔵省主計局長、公正取引委員会委員長などを歴任した橋口は田中角栄の ”子分” で、田中派の秘蔵っ子だった小沢一郎とも親しい。
この橋口が小沢と稲盛の ”仲人” だったと言われる。
この橋口の娘婿が武藤元日銀副総裁だ。
それだけに今年四月、民主党の反対で武藤の日銀総裁就任が不首尾に終わった時、小沢はどれだけくやしい思いをしたかということだ。 稲盛としてもその思いは同じだろう。
その時の失敗に懲りた小沢、稲盛は、必死になって民主党内部の主導権を握ろうとしてきた。
5.一般的にいって現在の民主党代表の小沢一郎の評判は極めて悪い。(中略)
いまの民主党を実質、誰が支配しているのか、九月の代表戦を実質、仕切ったのは誰かということが、はっきりと表面化するのは・・・・・。
以上 1~5 が、記事の要点である。 ( 文章は、そのまま引用 )
<ニコさんのブログから>
http://www.kagoshima-kigyouka.com/syoukai/keiai/index.html
稲盛 和夫(いなもり かずお、1932年1月21日 - (戸籍上は1月30日))は、日本の実業家。
京セラ・第二電電(現・KDDI)創業者。
<来歴・人物>
鹿児島県生まれ。
鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校を経て、1955年鹿児島大学工学部を卒業、がいしメーカーの松風(しょうふう)工業を経て、1959年、社員8人で京都セラミツク(現・京セラ)を設立し、10年後、株式上場。ファインセラミックスの技術で世界的な企業に成長させた。
1984年には第二電電(DDI、現・KDDI)を設立した。
グループ全体で売上高が1兆2000億円と成長を遂げた。
1984年、財団法人稲盛財団を設立し、京都賞を創設した。
また、若手経営者向けの経営塾「盛和塾」を非営利にて主宰し、若手経営者の育成も行っている。
独特な経営管理手法「アメーバ経営」が有名である。
1997年には臨済宗妙心寺派円福寺で得度を受けた。
また民主党代表小沢一郎と旧知の仲であり、大企業の実業家ながらも熱心な民主党支持者として知られている。
とりわけ京都市を地盤とする前原誠司の有力な後援者である。
小沢一郎が2008年9月21日に民主党代表として再選された際には来賓として挨拶も行っている。
2005年、立命館小学校こども顧問委員に就任。
親族
朝子夫人は、「韓国農業の父」として知られる禹長春の四女である。
実弟の稲盛実氏は、鹿児島県で「餃子の王将」の名で展開する鹿児島王将株式会社の常務取締役である、1973年に京都王将の社長に掛け合って鹿児島に、王将の店舗を運営することが出来た。
禹長春
禹長春(ウ・ジャンチュン、、日本名:須永 長春(すなが ながはる)、1898年4月8日 - 1959年8月10日)は、農学者(農学博士)、育種学者。
韓国農業の父と呼ばれる。
生涯
父は乙未事変(朝鮮国王王妃閔妃暗殺事件)に加担した軍人・禹範善(ウ・ボムソン、)。
範善が日本に亡命し日本人女性・酒井ナカと結婚、日本で生まれたのが禹長春である。
出生地については東京説と広島説がある。育ったのは広島県呉市だが、範善は日本に協力して王妃暗殺に関与したため朝鮮人の中でも裏切り者とされ1903年、禹が6歳の時にかつて閔妃に仕えていた高永根に呉で暗殺された。
その後 、禹の韓国滞在は9年間であったが韓国農業は禹の弟子達によってその後発展した。
現在、在日韓国人でも学者以外はこの禹を知る人はほとんどいないが、韓国では道徳の教科書に載っており韓国国民で禹博士を知らない人はいない。
「韓国近代農業の父」あるいは「キムチの恩人」として有名だが、種無しスイカの発明者と言われることもある。
しかし種無しスイカは日本の遺伝学者・木原均博士が発明したもので、禹が育種学とは何かを分かってもらおうと種無しスイカを作り、人々の前でスイカを切ったところ、種の無いスイカに人々は仰天し "禹先生が種無しスイカを作った" → "発明した" と一人歩きして今日に至るという逸話が残っている。
韓国放送公社(KBS)とNHKの共同制作で、その生涯がテレビドキュメンタリー化され両国で放送された。
日本では1991年2月にNHKスペシャル「ある日本人・禹長春」というタイトルで放送されている。 近年は舞台化もされている。
日本で差別を受けたが[要出典]禹は生涯それを口に出すことは無く、日本で高い教育を受けられたことの感謝をよく話したという。
禹には6人の子供がおり、うち四女・朝子は京セラ創業者・稲盛和夫に嫁いでいる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%B9%E9%95%B7%E6%98%A5
崇仁協議会は京都市が指定した崇仁同和地区のうち、京都市下京区 の小稲荷町、下之町、西之町、郷之町、上之町、川端町、東之町、 屋形町の8町の区域住民(総人口2700名、うち1763名)で構成されています。
http://www.suzin.com/
京都市下京区と言えば「崇仁協議会」
http://antikimchi.seesaa.net/article/32081569.html
人権擁護系の法案の実質的黒幕的存在。
稲盛と小沢との付き合いは、自民党田中派の全盛時代に端を発している。
東証一部上場企業「京セラ」の発行済み株式数の1.8%を保有する「ケイアイ興産(株)」という会社がある。
稲盛の資産管理会社で、稲盛の妻、稲盛朝子、妹の稲盛豊美の両名が代表取締役を務め、弟の実および稲盛の娘三人が共に取締役として名を連ねている典型的な“ファミリー”企業だ。
この「ケイアイ興産(株)」の監査役を務めていたのが橋口収という人物(平成17年死去)。
大蔵省主計局長、公正取引委員会委員長、広島銀行頭取などを歴任した橋口は、鹿児島県出身で稲盛と同郷。
大蔵省出身者としては珍しく角福戦争でも福田赳夫に組みせず、田中角栄の“子分”として筋を通した剛の者だ。
数少ない田中派の大蔵高級官僚として知られていた橋口は、当然、田中派の秘蔵っ子だった小沢一郎とも親しい。
この橋口が小沢と稲盛の“仲人”だったといわれる。余談だが、この橋口の娘婿が武藤敏郎元日銀副総裁だ。
それだけに今年四月、民主党の反対で武藤の日銀総裁就任が不首尾に終わった時、小沢はどれだけくやしい思いをしたことかということだ。
稲盛としてもその思いは同じだろう。
2009-08-26 01:41:28
閔妃暗殺の実行犯「禹範善」の末裔、のりp
テーマ:のり塩事件
酒井法子は、閔妃暗殺の実行犯の「禹範善」の奥様で、「キムチの恩人」の母の酒井サカの末裔。
その「キムチの恩人」こと禹長春さんの4女が京セラの稲盛和夫会長のところに嫁いであられるわけです。
稲盛朝子夫人と酒井法子は遠い親戚。
稲盛和夫さんと小沢一郎さんがツーカー。
反日勢力がこの韓国軍人集団による暗殺事件の実行犯が「日本人」だとのデマを流して反日感情を煽る。
反日工作のシンボルが、酒井法子。
---------------
民主党応援団の今田氏、小沢一郎、稲盛和夫の関係 ( 平成20年08月28日 )
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0808/080828-12.html