アール闘争が本格始動 アール闘争(1)
家具デザイン販売会社D社の未払い賃金問題が解決したことは、前にお知らせしました。その一部門から発足して、独立したアールプロジェクト(さらに4月からアールインベストメントアンドデザインと名称変更)という会社で、昨年から業務上疾病の企業責任居直りの休業補償打ち切りと解雇に対する南部労組横山さんの闘いが始まっています。その報告を掲載します。なお、アール闘争については、独立したホームページも近々開設する予定ですので、そちらもご覧ください。皆さんの暖かいご支援を願いします。
すさまじい過重労働で倒れる
横山さんは、2002年2月に家具デザイン・販売会社=イデーの一部門に入社しました。世田谷ものづくり学校(廃校になった学校の雰囲気をこわさずに、地域に開かれたアトリエや工房として再活用)等の企画を実現しました。しかし、会社には就業規則もなく、彼女に一人でのこれらの業務遂行が押しつけられ、月の残業時間が175~290時間にも及ぶ長時間労働、ときには10日の間に徹夜が8日間というすさまじい過重労働のなかで、横山さんは倒れました。
彼女は、会社に「業務上の疾病であることを認め、休業補償と療養補償をおこなう」よう要求し、ワンマン黒崎社長も謝罪して、この要求に応じました。
あいつぐ排除攻撃
ところが、イデーが黒崎の放漫経営で危機を迎えると、05年初頭から、永井好明がイデーと同社の子会社となったアールプロジェクトの新社長に就任、永井は、就任するなり「合理的な治癒期間を過ぎているのではないか」等の文書を濫発し、横山さんを職場から排除しようとしてきました。イデーにおける整理解雇の恐れと膨大な残業代未払い等に対し、若い労働者たちが南部労組に加入、彼女がその中心にいたことを嫌っての攻撃でした。永井はイデーの未払い賃金の支払いも拒み、黒崎時代の「復職環境を整えてのリハビリ復帰」の約束を反故にして、この年の12月14日、横山さんがまだ就労するのは無理なのを百も承知のうえで、突然、「復職命令を出す。06年1月6日から復職せよ。命令に従わなければ、制裁措置をとる。これで争議になろうが、会社が潰れようがかまわない」と宣言し、以降の団交も拒否してきました。
組合は、労働委員会に不当労働行為救済申し立てを行い、4回の調査を経て、「会社は、復職命令を撤回して謝罪する。労使は、復職に向けた話し合いを行なう」との前提で、都労委立ち会い団交が開催されました。
補償打ち切りと解雇
第1回立ち会い団で組合は、社長永井による一連の攻撃により当該は心身を傷つけられ、復職を阻害されてきたと指摘し、会社のこれまでの対応を批判。会社は「復職に向けた具体的な提案をしてほしい」と述べ、次回立ち会い団交で、復職に向けた組合提案を示すこととなりました。
ところが第2回立ち会い団交で、組合提案を聞いた会社が取り出したのは、なんと復職拒否回答と補償打ち切り通告でした。立ち会い団交の前提そのものを踏みにじる不当労働行為が、都労委の場で行なわれたのです。
さらにその直後、会社は、当該に対し解雇を強行。組合は、解雇と補償打ち切りを撤回し、団交を開催することを求める不当労働行為救済申し立てを改めて起こし、前の申し立てと併合となりました。
現場闘争開始
11月から、現場闘争も開始、朝、昼、夕とあらゆる時間帯に会社を包囲した。当初、社前の私たちに体当たりなどしていた会社側も、たちまちのうちに、役員は誰ひとり出退社できず、ひたすら閉塞する状態に落ち込みました。
労働委員会でも徹底追及
労働委員会では、組合側証人の証言が終了。
会社による不当労働行為を明確に証し立てた国分証人に対し、会社側代理人は、「あなたたちは、自ら労働委員会に申し立てていながら、補佐人が腕章を着用するなど労働委員会のルールを守らないのか」などと場違いの質問をするばかりで、肝腎の不当労働行為に関する尋問はまったくできず。駒澤、横山証人に対する反対尋問は輪をかけたひどさ。駒澤証人に対しては、「こんな仕打ちをした会社(と口を滑らせた挙げ句)に、普通の親だったら復職させたくないのではないか」。当該には、「あなたは復職したいと言うが、復職される会社の気持ちを考えたことがあるのか」と呆れかえった尋問。戻ってこないでほしいという会社の悲鳴が聞こえるようでした。
都労委終了後、永井社長自宅周辺ビラ入れも行ない、争議対象を拡大させました。
ついに社屋移転
本年4月、会社は社名を「アールインベストメントアンドデザイン株式会社」と変更、7月には現場闘争から逃れようと、突如、三番町から赤坂ツインタワー本館16階へと社屋を移転しました。しかし、私たちが社前に登場するかぎり、社長ら役員が姿を現すことができない状態は変わっていません。
他方、私たちは、3月には「アール闘争を支える会」を結成、争議団連絡会議にも参加、全都の仲間と手をつなぎあって会社を追いつめていく態勢を整えつつあります。9月にはついに当該の現場登場を実現しました。
イデー闘争からアール闘争へ
永井がイデーの経営から撤退してアールに逃げ込んだ後、06年6月にイデーは新経営陣が永井社長時代の不誠実対応を謝罪し、横山さんを含む全員への総額4千万円の未払い賃金を支払って決着しました(会社はその後、株式会社良品計画に買収された)。 なおも居直り続けるアールに対する闘いは、イデー闘争を引き継いで闘われています。
歩き始めたばかりのアール闘争ですが、解雇撤回=リハビリ就労の獲得を目指す闘いへの連帯を、心よりお願いする次第です。
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