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「岡ちゃんと呼んだやつは外す」

2010年05月11日
スポーツ

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【岡田STYLE!(2)】日本代表が1998年フランスW杯への出場を決めたことで「岡ちゃん」フィーバーが起きた。当時の岡田監督のイメージは絶体絶命の苦境から日本を史上初のW杯に導いた熱血漢。ヒーローとして日本中から注目される存在となった。おかげで大人から子供まで親しみを込めて「岡ちゃん」と呼んだが、実は岡田監督には不本意だった。

 岡田監督の愛称は幼少時代から「オッカン」か「オッカア」。現役時代には歌手のさだまさし(58)に似ているということで「サダ」と呼ばれることもあった。
 それが「岡ちゃん」に変わったのは95年に当時の日本代表・加茂周監督(70)の要請で代表コーチに就任してからだ。加茂監督が腹心の岡田コーチを「ちゃん」付けで呼び、これが日本中に浸透していった。
 ただ岡田監督はこれを歓迎しなかった。「加茂サン以外でオレのことをそう呼ぶ人は誰もいない」とぶぜんとした表情で話している。つまり「岡ちゃん」と呼ぶ資格があるのは加茂監督だけだったのだ。おかげで代表監督経験後にできた知人から「岡ちゃん」と呼び掛けられても立ち止まることはなかった。2007年12月に2度目の代表監督に就任した際も「岡ちゃんと呼ばれること? それは報道陣を含め、周りが言っていること。僕自身はまったく気にしていない。ただ日本代表でそう呼ぶ選手はいないでしょうけど…」と言いつつも不快感を示していた。

 この気持ちは97年に加茂監督更迭後、岡田コーチが監督に昇格した時から変わっていない。監督就任後初めてのミーティングで岡田監督は「これからはオレのことを監督と呼んでもらいたい」と代表選手に“岡ちゃん禁止”を出したほどだ。
 そんな中で当時のエースFW三浦知良(43=横浜FC)は親しみを込めて「岡ちゃん」と呼び続けた。それが原因でフランスW杯の最終メンバーから落選した…とも言われている。
 岡田監督は03年に横浜M監督に就任した際にはなんと「オレのことを岡ちゃんと呼んだやつは外す」と選手に要求していた。岡田監督の“岡ちゃん嫌い”は筋金入りだ。
(連載「岡田STYLE!孤独な指揮官の真実」=毎週火曜掲載)

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