きょうのコラム「時鐘」 2010年5月12日

 青木新門さんの連載「いのちの旅」に、「目には青葉山ほととぎす初鰹(はつがつお)」の句と、その句を受けた川柳が紹介されていた。「目と耳はただだが口は銭がいり」

確かに、山へ行くだけで青葉もホトトギスの声も楽しめる。カツオを味わうには金が要る。が、タダでごちそうにありつく話が、落語の世界にはある。ケチな男は、隣の家から漂うウナギのにおいでご飯を食べる

ところが、隣家の住人もケチで、ウナギのにおいのかぎ賃を請求する。「分かった」と返事した男は財布の小銭を取り出し、手の中でチャラチャラ音を立てる。においのかぎ賃は、銭の音だけで十分。「さあ、聞いておけ」

ケチ同士のばかばかしい話が、何だか身につまされる。普天間問題で、「月内決着」というせりふがチャラチャラ音を立て続けている。いつまでたっても、手の内は見えない。どうやら、音を聞かせるのが魂胆なのではあるまいか。これなら落語の住人と五十歩百歩である

青葉のころは、五月晴れの日ばかりではない。この様子では、五月雨(さみだれ)に降り込められ、五月(さつき)闇(やみ)に迷い込む月末の姿しか見えそうにない。