私が小島さんと出会ったのはもう四年以上前になる。ある日、携帯でネットを検索していたら、「大山倍達研究家」のM氏の開いたサイトが見つかった。かねてから極真空手や大山総裁のファンであった私は、そのサイトを覗いてみる事にした。
サイトには掲示板もあり、そこには小島さんと塚本さんの共著で、今度「大山倍達正伝」が出版される告知が書いてあった。
私は以前から小島さんの名は知っており、小島さんが過去出版した「最強格闘技論」や「新世紀格闘技論」、さらには編集長を務めた「月刊武道空手」まで購入していた。
そうした本を読んでいて、小島さんの「本当のことを堂々と書く」姿勢に共感できるものがあった反面、大道塾との関係や物事を断定的に書く面などについては大きな反発や疑問を持っていたのは事実である。
当時の私はあえて言うならば完全に「アンチ小島派」だったといえる。
そうした事から、日頃から抱いていた様々な小島さんへの疑問をM氏の掲示板に書き込んだのである。しばらくしてM氏を通じて小島さんから回答が掲示板に書き込んであった。
しかし、その回答は私は納得出来るものではなかった。M氏は小島さんからの回答の他、小島さんの「メールをして欲しい」というメッセージとメールアドレスも記していた。私は思い切ってメールしてみようと考えた。もちろん、躊躇いがなかったわけではない。しかし、「自分は間違ってはいない」と思い直し、小島さんにメールを送った。
返事はすぐに返ってきた。
小島さんは私の疑問に一つ一つ丁寧に、なおかつわかりやすく答えてくれた。
この事で、私は小島さんに対する印象が変化していった。この時から、私と小島さんとの間でメールのやり取りが習慣になるのだが、しばらくして小島さんから電話で話してみないか…とのメールが来た。この時も躊躇いはあったが、電話してみる事にした。
初めて話した小島さんは、気さくで人懐こい感じがした。そしてこの時も、私の疑問に対して丁寧に答えてくれた。私は「この人なら信用できる」そう確信した。
やがて、小島さんはブログを開設、コミュニケーションボックスから一撃会と繋がっていくわけだが、今はこの経緯は省略する。これについては、いつかあらためて書いてみたいと思う。
そうした事情を経て、私と小島さんの関係は現在に至っている訳だが、それでもこの五年間、けっして順調だったわけではない。あるトラブルで私は一撃会を脱退しようとした事がある。しかし、それをしなかったのは、小島さんにはやはり人を惹き付ける「何か」があると思う。もちろん人間である以上、欠点はある。
ある会員はこのように言っている。
「僕は小島さんの嫌な所や欠点を知っている。でも、それを全てを受け入れて尚、小島さんが好きで一撃会の会員でいる」
私は、この言葉が小島一志という男の全てを表していると思っている。
最後に小島さんの名誉のためにこれだけは書いておきたい。初めての稽古会で私は小島さんと組手をやった。他武道ながら高段位を許されていた私は最初から小島さんの顔面に向けたパンチのラッシュで攻めた。小島さんは何故か全く反撃しない。防御もしない、とはいえ微妙に上体を動かしてパンチのダメージを減らそうとしているように見えた。一分の組手のうち、半分以上がパンチの連打だった。
途中、小島さんは笑みを浮かべながら「顔面にみんな入ってるよ」と言った。それでも興奮している私は得意の顔面へのストレート(たまにアッパーも出したという人もいたが)一辺倒だった。
しかし小島さんは全く下がらずパンチをもらい続けている。私は「早く倒れてくれ」と祈りながらパンチを繰り出した。
「ラスト十五秒」
と審判が言ったかなと思った瞬間、私は小島さんに後ろの襟か首を掴まれ、あっという間に床に転がされ、上から膝蹴りの雨あられに遭ってしまった。
あまりに一瞬の動きで私はどのようにやられたのか全く理解できない。見ていた他の会員も狐に摘ままれたような感じだった。
とにかくその時、私は小島さんには一生勝てないと思った。後に小島さんは言った。
「あれが芦原英幸の本物のサバキ、回し崩しというんだよ」

あれから2年、私もやっとサバキの稽古が許された。だが極真空手とはまた違う痛みの連続である。しかし挫けようとは思わない。
小島さんはその後もブラジリアン柔術のチャンピオン経験者を迎えて一瞬で四本取り、相手の手首は前腕と区別できないほどに腫れあがった。脛椎を決められれば一週間は首が動かない。自分も少しでも小島さんの境地に近づいていけるようまた稽古しかないと思っている。


一撃会・会員T