36年ぶりのハングパーラメント(宙づり議会)となった英総選挙の結果は、完全小選挙区制に基づく2大政党制という「英国モデル」の行き詰まりを印象付けた。小選挙区制は「安定政権を生む」と強調されてきたが、民意を十分に反映しない「不公平さ」の方が際立つようになった。早くも選挙制度改革論議が盛り上がっており、英国の2大政党制は曲がり角に差し掛かった。【ロンドン笠原敏彦】
「一体誰が勝者なんだ」(BBCの看板司会者)、「有権者は口を開いたが、何と言ったのか判然としない」(ミリバンド気候変動相)。7日、英国は戸惑いの表情を見せた。今回の選挙は「英国モデル」の矛盾を有権者に周知させた。2大政党は小選挙区制の利点を「安定政権をもたらす」とするが、宙づり議会の実情と矛盾する。
第3党・自由民主党のクレッグ党首は2大政党を「古い政治」と批判し支持を急伸させた。しかしBBCの得票率予測で23%を得たにもかかわらず、前回より少ない全議席の9%弱程度しか獲得していない。「勝者総取り」の小選挙区制の「不公平さ」がクローズアップされた。また労働党が同予測で29・1%の得票だったのに、自由民主党の4倍を超える250議席以上となり選挙区の区割りが労働党に有利な実情も浮かんだ。マンチェスター大学のアンドリュー・ラッセル上級講師は「選挙戦で投票制度の改革が必要という考えが広く支持された」と話す。
7日、ブラウン首相、キャメロン保守党党首双方が声明で自由民主党に歩み寄り、選挙制度改革の用意があることを表明。連立協議を通じ「英国モデル」が変革を迫られる事態も視野に入ってきた。
英政治を変える起爆剤になったのは、初めて実施された主要3政党によるテレビ党首討論会だ。ラッセル上級講師は「テレビ討論は自由民主党に(主要政党としての)正統性を与え、同党が全国的に信用を築く踏み台となった」と指摘。「2大」から「3大」政党時代への正式な幕開けとなったと言えそうだ。
2大政党内では自由民主党をテレビ討論に参加させたことに「戦略的ミス」との批判が起きている。計3回の討論会は、延べ2100万人の国民が視聴。議員経費流用スキャンダルなどで有権者の無関心が懸念された選挙戦を突然、「過去数十年間で最もエキサイティングな選挙」(タイムズ紙)へと変化させた。一方、ノッティンガム大のスティーブン・フィールディング教授は「英国の政治がショービジネス化しかねない」と懸念する。
7日、ブラウン首相、キャメロン保守党党首が相次いで自由民主党との連立政権樹立に意欲を見せる声明を出したことで、連立交渉は事実上スタートした。しかしその行方は混とんとしている。
連立協議については、慣例に基づき、「現職首相に最初の組閣権が与えられる」との原則を官僚側が決めたが、労働党の大敗で原則は揺らいだ。
ブラウン首相は政権への「居座り」を決め込んでいるとの批判を避けるため、あえてこの原則を曲げ、保守党と自由民主党との連立協議を優先させる戦術に出た。左派勢力も内部に抱える自由民主党が保守党とは「水と油」の関係で、連立合意や閣外協力はできるはずがない、との読みがある。
また、連立協議が失敗した後で、自由民主党と合意し、少数与党で居残る道しか選択肢がない事情もある。首相は用意周到で、宙づり議会を予想、政権末期に選挙制度改革などを問う国民投票を11年10月に実施することを既に約束している。労働党の重鎮、ジョンソン内相は「自由民主党との連立には何の問題もない。経済政策や選挙制度改革で多くの共通点がある」と期待感を隠さない。
ただ自由民主党にとっては、熱望する比例代表制導入では労働党と主張の開きがある上、事実上「敗北」した労働党を支えることは大きなリスクだ。
次期政権発足の見通しは不透明だが、一つの期限は25日に設定された新議会での女王の演説だ。新政権が用意した施政方針を読み上げるもので、これを巡り行われる信任投票を乗り切ることが政権離陸のハードルとなる。信任されなければ、やり直し選挙となる可能性が一気に高まる。
戦後唯一の宙づり議会となった1974年総選挙では、ヒース保守党政権が労働党に4議席及ばなかったが、3日間の多数派工作を試み、政権維持を断念。第1党のウィルソン労働党が少数政権を発足させたものの、約7カ月後に解散総選挙に追い込まれている。
2大政党制が続いた英国には、大戦期を除いて連立政権の経験はなく、閣外協力も戦後は77年に自由民主党の前身である自由党が約1年間、キャラハン労働党政権を支えたことがあるだけだ。
毎日新聞 2010年5月8日 東京朝刊