時代の風

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時代の風:ハイチの大地震=作家・桐野夏生

 ◇刻々と被害伝える写真群

 年明け早々、怖(おそ)ろしい惨事に震撼(しんかん)している。ハイチの大地震である。首都のポルトープランスは壊滅状態で、すでに七万五千人が死亡、二十五万人が怪我(けが)をしたという。最終的な死者の数は二十万人に達するという説もある。

 山の斜面にあったスラムが一瞬にして潰(つぶ)れ、地滑りを起こしてなだれ落ちたと聞いて、メキシコシティーで見た異様な光景を思い出した。

 山の急斜面を、小さな建造物がぎっしりと覆い尽くしているのだ。遠くから見ると、山が殻に覆われているようで、違う惑星にでも来たかと思うほど不思議な景色だった。そこに住む人々は「パラシュート族」と呼ばれていた。パラシュートで空から舞い降りて来たかのごとく現れたからだそうだ。勿論(もちろん)、斜面には道路も水道もガスも下水もない。どんなに不便でも、そこに住まうしかない人々があまたいることに驚いた。

 そういうちゃちな集落が地滑りで崩落したら、どんな惨事になるのだろうか。おそらく何万人もの人々が瓦礫(がれき)の下敷きになって亡くなったのだろう。あるいは、まだ救出されずに、生き埋めになったままなのかもしれない。まるで爆撃にでも遭ったかのように、あっという間に大勢の人が亡くなったのだ。この爆発的崩壊を見ると、どうして最貧国にして失敗国家と言われるハイチに大地震が起きたのか、と恨めしい。死者の多さは、劣悪な建造物のせいもあろう。

 ニューヨーク・タイムズや、ボストン・グローブのサイトには、震災後のハイチの生々しい写真がたくさん載っている。写真ソースは通信社が多いようだが、見せ方や編集は、ジャーナリスティックな切り口が光って凄(すご)みがある。紙の媒体がいずれ退行することを見越しているのかもしれない。

 特に、ニューヨーク・タイムズのサイトは優れている。時系列順に写真が並べられたスライドショーだ。次々と更新されていくから、事態が刻々と変わっていくのを知ることができる。

 それらの写真を眺めていると、大地震が破壊するものは、人の命や家、街だけではなく、その後の希望だということもよくわかるのである。また、倒壊した家から命からがら脱出できたとしても、国家が機能を失うと、人々が生きられる可能性がかなり限定されることも。

 地震直後、まだ砂塵(さじん)が舞っている瓦礫の街には、抜けるような青空とは裏腹に、人々が茫然(ぼうぜん)と立っている。その虚(うつ)ろな表情の下に貼(は)り付いているのは恐怖である。道路には遺体が無造作に積み上げられている。運悪く建物に押し潰された人の、目を背けたくなるような写真もある。

 だが、突然の災害に遭ったか弱い人間の姿、と思えば、安全な場所にいる我々は、どんな酷(むご)い写真も正視するしかないだろう。現実として受け入れて生きている人が現にいるのだから。

 やがて、スライドショーは、怪我人でごった返す病院や、診察の順番を待ち続ける人々を映し出す。その数日後の写真は、略奪の様子である。倒壊した店から、食料を盗む人。警官が暴徒に銃を向けるシーンもある。先を争って水や食料を貰(もら)おうとする人々の目は殺気だっている。まるで戦場である。

 一週間経(た)つと、今度は、何もかもなくした人々の脱出行が始まる。ボートで、徒歩で、飛行機で、国を出ようとする。

 一番最近見た写真は、食料を求めて必死に手を差し出す人々の群れだった。赤ん坊を抱いた若い母親は悲しそうだった。

 また今日は、豪華客船がハイチ沖にやって来て、銃に守られながら、プライベートビーチで海水浴を楽しんだ、という記事も読んだ。船会社は、援助金も出しているし、救援物資も積んで来た、さらに観光という経済支援をしているのだからいいではないか、というようなコメントをしたとか。この世の矛盾のすべてが、今のハイチにはある。

 ハイチは、西アフリカから連れて来られた黒人奴隷たちが、砂糖キビプランテーションで使役された場所である。スペインに植民地経営され、その後はフランス、そしてアメリカという大国に揺さぶられ続けた。やっと初めての黒人国家を打ち立てたものの、失敗の道を歩んでいるように見える。

 私の年代は、パパ・ドクこと元医者のフランソワ・デュバリエの独裁が記憶に強くある。パパ・ドクは、トントン・マクートという秘密警察を作り、圧政を敷いた。独裁と恐怖政治と貧困はセットになって、人々を苦しめる。

 こうして収奪され尽くした挙げ句、何のインフラもないままに暮らさざるを得ない人たちが今、大地震の被害を受けているのだ。我々は遠い土地で気を揉(も)むしかないのだから、せめて目を耳を、ハイチに向けようではないか。

 余談だが、日本の新聞社でもニューヨーク・タイムズのような写真特集をしているところがあるのか探してみた。すると、当毎日新聞のサイトを始めとして、読売、朝日のサイトでも発見できた。が、見つけにくい。何とかならないのだろうか。=毎週日曜日に掲載

毎日新聞 2010年1月24日 東京朝刊

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